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昨日、10月15日、広島市現代美術館で行われている「アルフォレド・ジャー展」に行ってきました。その一部に、【WOODPRO SHOP】のスタッフが施工した杉足場板を使った展示があり、それを見に行くためです。が、「アルフォレド・ジャー展」そのものがとても印象深いものであったので、詳細は、後日レポートしたいと思います。冒頭の写真は、円形の中庭に張られた杉の足場板と、その中央には広島の紅葉の気が一本。紅葉の木の周囲の材料も杉の足場板から加工したもの。光と音楽のあふれる空間に、突然、赤ちゃんの産声が響きます。広島市内の病院の協力を得て録音された82人の産声が使われています。その生まれた時間をあわわした表がこちらで、この時間に正確に産声が再生されます。「生命の誕生」の持つ神聖さ、力強さ、希望といったものが感じられる展示となっています。そこに、杉の足場板が使われていることは、とっても感慨深いです。会期は昨日までであったので、【WOODPRO SHOP】スタッフの予定表に「現代美術館 撤去」と入っていました。間に合ってよかったです。さて、実は、【WOODPRO SHOP】の担当者から、撤去時の写真をもらいましたので、載せときます。植栽撤去中床 はがし中もとの更地になりました。ここは、空から日差しの入る円形の空間です。「アルフレド・ジャー展」については、あらためてご紹介させていただこうと思ってます。
2023/10/17
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今年のアカデミー賞の作品賞をはじめ、6部門を制して話題の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」を見てきました。通称「エブエブ」です。映画館のポイントがたまっていて、今月で無効になってしまうということで、久しぶりに夫婦で、映画を見に行くことに。キムタクの信長ものか、まだ見てない「すずめの戸締り」か、と悩んだ結果、エブエブに決定。ちなみに、この前はトム・クルーズの「トップガン マーヴェリック」。アカデミー賞を席捲した作品の割にはさほど観客も多くない印象で、「話題」になっているのはごく一部のマニアの間だけのようだ、という感想。作品は、いわゆる「パラレルワールド」もので、コメディタッチの人情もの。ガチのSF映画を期待すると、「?」となる。「パラレルワールド」というのは、現在自分が生きている世界と並行して、別の世界が存在する、というもの。人生にはいくつもの分岐点が存在し、違った選択をすれば、当然違った世界があったかもしれないのだが、実際にそれがある、というのが「パラレルワールド」。通常はパラレルワールドは「平行」なので、交わることはないのだが、何かのきっかけで超越してしまい別の世界と交叉してしまうことで事件が発生する。作品としては、突っ込みどころが満載で、カンフーが出てきたり、その他別の世界に移動する際のトリガーになる、ものについても必然性というものはあまりなくて、単純に「面白い」から、という感じ。事前に評価を見たのだが、全体としての評価もあまり高くないし、その中身を見てみると、「面白い」という高評価の人と、「ふざけるな」というくらいの勢いの低評価の人に分かれている印象。作品を見てみるとそれも納得できる。結局、その作品に何を期待したか、ということが評価の分かれ目になっている。ガチのSF映画や、ガチのアクション映画、ガチのヒューマンドラマを期待すると、「ふざけるな!」という感じになってしまうのだが、そういう思い込みを捨てて、素直に受け入れる人にはとても楽しい作品となっています。確かに「アカデミー賞と取ったのだから」という格式の高い気持ちで見ると、「なんじゃこりゃ」と思うかもしれません。映画を見た後に、いろんな人がしている解説を見てみると「なるほど」と思うことも多々あり、ふざけているようで、結構マジだったり、深いところもあるんだな、という印象でした。WBCの感動的な優勝決定シーンを見て、「漫画か!」と思った人も多いと思いますが、それくらいドラマチックな展開でした。ただ、大谷が投じた最高の一球を、トラウトが見事にはじき返してホームラン、なんて可能性もあったわけで、あるいは、村上、最後まで打てず、メキシコ戦で敗退・・・とか。そういうパラレルワールドがあるかもしれません。ただ、トラウトに打たれた大谷や、結局打てなかった村上が「不幸」かどうかは別な問題です。人生というのは本来やり直しはできません。その代わり、人生には勝者も敗者もなく、結局、それを決めるのは自分自身の心だけ。コンピューターゲームでは、明らかな勝ち負けの基準が存在し、明らかな劣勢となれば、簡単にリセットもできます。しかし、人生はリセットもできませんが、勝ち負けもありません。自分が幸せだと思えれば、それは人生の勝者だと言えますね。大谷選手と比べる必要もありません。「エブエブ」を見て、そんなことを思った次第です。
2023/03/28
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先週の日曜日のことになりますが、遅ればせながら「トップガン マーベリック」を見に行ってきました。そもそも、35年前のヒット作にして、トム・クルーズの出世作でもある「トップガン」も見ていません。前作が公開されたのは、1986年で、私個人は、就職して間もなくの時期でもあり、映画はおろかテレビもゆっくり見る時間もないくらいの多忙さでした。ということで、「トップガン」自体に、何の思い入れもなかったので、35年の時を経て続編が公開されてもさほど興味がなかった次第です。5月27日から公開されているこの映画ですが、すでに4カ月目に突入するロングランとなっています。「かなり評価が高い」と家内が興味を示し、さらに、家内の友人が直前に行って「よかった」と言っていたこともあって、急遽映画館に見に行くことになりました。前作も見ていないということで、土曜日の夜にはアマゾンプライムで前作を鑑賞。その感想はというと、「思ったほどでもない」。ストーリーも単純で、ほぼ予測された通りの展開。トム・クルーズ演じるエリートパイロットが、天才的な飛行を見せるのですが、訓練中の事故によって相棒を死なせてしまうという挫折。失意にやる気を失う主人公が、そこから起こる非常事態に直面して立ち直っていくというお話。そして、日曜日、「見るんなら 4dxでしょ」と、家内の友人の勧めもあって、4dxで鑑賞。なんと、満席でした。まだ公開中の映画ですので、ネタバレは避けますが、前作とうまくリンクされていて、かなり楽しめました。やっぱり、前作を見ていないと面白さは半減しますね。BGMはほとんど前作から引き継がれていて、前作を前日に見たこともあって、一気に36年の時の隔たりを越えて作品の世界観に入っていけます。それにしても、既に還暦というのに、トムクルーズのかっこよさは異常ですね。かつての天才パイロットは、今も無茶をする天才パイロットで、経歴はすごいものの、上官に疎んじられて「大佐」どまり。そのまま退官か、というところで重大事が発生。その困難な任務が「教官」としての彼に託される・・・・・というお話です。前作から「変わっていないのはトム・クルーズだけ」ということで、前作の配役で再登場している人はほとんどいません。さすがにそろそろ公開終了となる可能性が高いので、興味のある方はお急ぎを。なお、必ず前作を見てからにしましょう。
2022/09/15
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皆様、海の日がらみの三連休はいかがお過ごしだったでしょうか?新型コロナの第七波が襲来、ということで、重傷者はさほど増えていない感じではありますが、感染者は急増中で、不穏な空気ですね。我が家では、いったん山陰ドライブ旅行も企画していましたが、天気もあまりよくなさそうだし、コロナも蔓延中だし、ということで、旅行は中止して、三連休の初日は映画を見に行ってきました。それが、「KINGDOM Ⅱ」です。アマゾンプライムで「Ⅰ」を見て面白かったので、「Ⅱ」は劇場で見ようということになりました。私が説明するまでもありませんが、秦の始皇帝の時代を舞台にした漫画のアニメ化です。「民が苦しむ戦乱の世をおさめ、平和な世を作るために戦う」ことを始皇帝が誓うわけで、その瞬間、正義の物語となります。これは、織田信長とか、豊臣秀吉とか、徳川家康とか、戦国の世の覇者と主人公とする場合に使われる構図ですね。なにしろ、主人公が「悪」では、物語が盛り上がりません。始皇帝について教科書で習う薄い内容としては、・戦国時代を制し、中国を最初に統一した人物・「法家」を重用し、法治主義を政治の基本とした。(儒教の徳治主義に対して)・「焚書坑儒」を行い、儒教に対して思想弾圧を実施。・中央集権国家を目指し、郡県制を施行、文字、貨幣、度量衡を統一。・長江と黄河をつなぐ運河の建設、万里の長城の建設などの大規模土木工事を実施・不老不死の薬を求めて、徐福を派遣。一行は日本についたという伝説あり。・大規模土木事業、急激な政治変革などによって不満が全土に充満し、始皇帝の死後、4年ほどで秦は崩壊。物事を急ぎ過ぎた感じですが、偉大な功績であることは間違いないでしょう。ただ、「民が苦しむ戦乱の世をおさめ、平和な世を作るために戦う」とは、ほど遠い感じですね。中国の歴史は、政権を奪取した次の政権が残すので、当然、前の政権末期というのは、悪逆非道でないといけないので、よく書かれるわけはありません。今回、ブログを書くにあたって知ったことがあります。それは、秦の始皇帝が他国を攻め初めて、なんと、9年後には統一していたということ。「KINGDON Ⅱ」の最後の方で「いよいよこちらから攻めていくぞ!」って感じのセリフがありますが、その後、あっという間に中国全土を席捲したんですね。そして、中国統一の11年後には、不老不死の薬も手に入れることはできず、死んでしまうわけです。さらに、その4年後には、反乱が発生して、秦が滅びます。「KINGDON Ⅱ」のエンドロールが終わると、今度は「KINGDON Ⅲ」のコマーシャル。一体、いつまで続くのだろうか?なんて思いました。映画は、それなりに楽しめますが、インパクトは、やっぱり第一作の方がありました。
2022/07/19
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「地政学」という言葉は、最近特に耳にするようになりました。「地理」と「政治」を組み合わせたもので、地理的な要因が政治に与える影響を研究する学問です。地政学的な観点から見ると、ロシアのウクライナ侵攻の理由もはっきりとわかってきます。茂木誠さんは、予備校の世界史の講師ということですが、以前読んで面白いと思った「ニュースのなぜは世界史に学べ」という本の著者でもあります。⇒「なぜ?は世界史に学べ」茂木誠著 オススメ!2016年に発行された本なのですが、なんと、最初の話がウクライナでした。2014年に、ロシアはクリミア半島を強引に併合、遠い異国の話くらいの印象でした。黒海に突き出したクリミア半島は、地政学的に非常に重要な場所で、その場所を巡っては、過去にいろんな国が戦争をしてもいます。今回、「世界史で学べ 地政学」を読んで納得したのは、「ギリシャ」がなぜEUに加盟し、さらには、経済破綻しながらも、助けられており、かつ、ギリシャは強気でいられるのか、という点。それは単純に地政学的に重要な場所だから、ということです。「EUが助けてくれないんなら、ロシアに頼っちゃうよ」という感じですね。地政学的な観点に、歴史的な観点も含めて分かりやすく解説してある本で、世界で起こっているいろんな紛争の背景についての理解も深まること間違いなしです。
2022/06/30
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第二次世界大戦について、私たちは、知っているようでほとんど知りません。ひょっとすると、「戦国時代」のことよりも知らないかもしれません。学校の歴史も、わざとなのか、大正デモクラシーあたりで終わってしまいますし、おそらく受験でも、近現代史に関しては出題されにくいのでしょう。大きな要因は、第二次世界大戦を語ることそのものがタブーであったということもあるでしょう。語るとすれば、「日本はアジア諸国を侵略した」という前提から語るか、「世界唯一の被爆国として」という面からというケースが多いのではないでしょうか。しかし、それは、ある歴史の一面からの見方にすぎません。第二次世界大戦についての議論は、ともすれば「極悪非道な侵略者」とか、「欧米列強からアジアを解放した」といった二極化した議論になりがち。そのいずれも不正解ではないものの、一面的な評価にすぎません。ということで、本日ご紹介するのが江崎道朗著「近現代史の虚妄」。戦後に公開された、第二次世界大戦当時の極秘文書などから、第二次世界大戦の背景を「情報」という観点から見た内容となっています。ルーズベルト(米)、チャーチル(英)、スターリン(ソ連)。この3人が、第二次世界大戦の戦勝国の代表で、彼らこそ、大戦後の世界の形を決めた人間です。1945年2月、クリミア半島のヤルタで、戦後処理について協議したのが「ヤルタ会談」。それぞれが、そえぞれの国益を思惑をもってこの会談に臨んだはずですが、実は、ルーズベルトのブレーンたちの中には、共産主義者やソ連のスパイが多数いて、ルーズベルトをソ連の思う方向に誘導していった、という事実があるとのこと。日米開戦に誘導した背景にも、ソ連スパイ、共産主義者の影響が大きく、結局のところ、第二次世界大戦の始まりから終結まで、ソ連の思惑に沿って進んでいった、ということがよくわかる内容となっています。現在、ロシアがウクライナに侵攻していますが、その背景には、クリミア半島のヤルタで決定された「戦後処理」が少なからず影響していると思います。世界は今なお、第二次世界大戦の「戦後処理」の後遺症に悩み続けているといってもいいでしょう。今の世界の動きを理解するためには、第二次世界大戦を理解することは不可欠ですね。ということで、近現代史に興味のある方にはおすすめです。
2022/04/22
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少し前に読んだ本ではありますが、米中対立の激化で、中国の動きに注目が集まっているということで、今日は、浅田次郎の「中原の虹」から。「蒼穹の昴」シリーズと言われる、清朝末期を描いたシリーズの第三部目になります。もともと、「蒼穹の昴」は、1996年の発刊。続編の「珍奇の井戸」が1997年。そして、「中原の虹」が、2006年~2007年の発刊。10年以上も前の作品なんですね。実は、この本もブックオフで買ったものなので、私が読んだのは少し前ですね。これが完結編なのかと思ったら、シリーズとしては続いているようです・・・。大ヒット作でもあり、私は見ていませんが、「蒼天の昴」はドラマ化もされたようなので、多くを語る必要もありませんが、世界が大きく変わっていく時代、という背景が現代にも通じるものがあるような気がします。「中原の虹」の主人公は、満州の雄 張作霖です。馬賊の頭目として頭角を現し、滅びゆく清朝を尻目に満州一帯に勢力を広げます。ただ、蒼穹の昴シリーズの全編を通して、「芯」になっているのは、西太后。清朝末期に絶対的な権力を持っていた女性ですが、世の中が一般的に持っているイメージは、自分勝手で、嫉妬深く、残虐な女性。大昔にテレビで西太后の映画をしていたのをちらりと見たら、女性がツボに入れられてもがいていて、西太后が笑っている、という、なんとも恐ろしい場面でした。が、この物語の西太后はかなり趣が違います。清朝が滅びゆくことを受け入れつつ、新しい中国のために自分が人柱になっていくというような人物として描かれます。浅田次郎という作家の素敵なところは、すべての人に対して深い愛情をもって描く、という点ですね。頭のいいひと悪い人、強い人、弱い人、若者、年寄り、小賢しい人、愚かな人、悪い人、立派な人・・・・・。どんな人にも、見えない背景や人間味や人生の機微が感じられます。日本人には中国好きが多いですね。現代の中華人民共和国ではなく、「中国4000年の歴史」の中国です。これは、「論語」を精神的な支柱にしてきたということもあるでしょうし、「三国志」「史記」「水滸伝」などの物語にワクワクした、ということもあるでしょう。私自身がそうですね。で、現代の中国を見ますと、いよいよ世界の大きな分岐点が来たな、と思います。清朝は滅びましたが、「習近平」はそうはさせまいと策謀を巡らせている、という状況です。私が言うまでもなく、中国は「民主的」な国ではありません。共産党の一党独裁の専制国家です。専制君主である習近平が「こうする」と決めたら、明日にでも動き始めます。一方、民主主義というのは、結局、「国会の承認」だとか言って、手続きに時間がかかりますし、持っている資源だって、「平等」の名のもとに分散せざるを得ません。一方、専制国家というのは、決断から実行までのスピード感もありますし、なにしろ、持てる資源の集中投下が可能です。国民が犠牲になろうが、不公平であろうが、そんなことは関係なく、集めた資源を、国家の戦略に従って使うことができます。それが、中国の急速な軍備拡大にもつながっていて、一方では、日本など、経済的に中国なしでは成り立たなくなっています。こうしてみると、やっぱり中国というのは、紀元前から戦国の世を生き抜くために知恵を絞ってきた、深謀遠慮の国だ、とも思います。今、ウイグル自治区の問題とか、ミャンマーの問題とか、香港の問題とか、明らかに人権侵害な問題は噴出しており、アメリカのみならず、EUもまた、中国を批判し始めました。ちょっと遅すぎた感は否めませんが、ひょっとすると、民主主義が勝つ最後のチャンスなのかもしれません。私自身、中国は好きです。ただ、現在の体制というのは、明らかに間違いであり、どこかで止める必要はあるでしょう。「慣性の法則」というものがあって、動いているものはそのまま進む力を内在しているので、それを止めるためには、大きなエネルギーも必要ですし、そのために周囲にも大きな影響が出るでしょう。しかし、これ以上放置すると、もう誰にも止められなくなる、そんな気がしますね。中国は「易姓革命」の国です。天子の徳がなくなれば、徳のある別の人物に天命が下ります。「中原の虹」においても「天命」は大きなテーマとなっていますが、願わくば、米中対立からの大戦争による力の決着いうシナリオではなく、中国内部での「易姓革命」によって、世の中が大きく変わってほしいですね。清朝末期には、欧米と日本が積極的に干渉して、中国を食い物にしようとしましたが、今の世界ではそれもできないでしょう。中国そのものの崩壊は望みませんが、中国の一党独裁の崩壊、強権的な他民族支配の崩壊は必要だと思います。近い将来、日本も、日本人も大きな決断を迫られる時がくるのでしょうね。痛みを伴うとしても、正しい選択を希望します。ちなみに、「蒼穹の昴」も近所のブックオフで買ったのですが、そのブックオフも、閉店になりました。
2021/03/31
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以前、このブログでも紹介した、「世界のニュースを日本人は何も知らない」の続編ですね。ちなみに、前回の記事はこちら。⇒「世界のニュースを日本人は何も知らない」を読んで続編は、今回のコロナ禍で書かれたもので、その対応の国民性などが興味深く書かれています。著者の谷本真由美さん自身が現在、イギリスに住んで、その視点で書かれていますので、日本から世界を見ている風景とはかなり違うでしょうね。日本国内では、新型コロナへの政府への対応をめぐって、どちらかというと否定的な報道が目立っていますが、世界から見ると、日本の状況は「奇跡」らしいです。どうやら、特にヨーロッパでは、個人の自由を重んじる一方で、人のことには無頓着。「自分がこうしたいから、こうする」という発想が当たり前なのだとか。日本人の場合、マスクは「自己防衛」のとともに「人に迷惑をかけない」という要素が強いと思いますが、どうやら、それは日本独特の発想らしいです。まあ、日本の場合、どんな規制も「要請」どまりで、基本的には個人の良心に任せます的な感じですね。それでもって、このまん延度ですから、欧米から見れば奇跡と見えるでしょう。昨日からオリンピックに向けて、聖火リレーが始まりました。外国人からの受け入れはぜずに行われる方向のようですが、そういう方向であれば、おそらく行われるのでしょうね。日本人だけなら、その行動の予測もしやすいので、対策も立てやすいでしょう。ここに外国人がたくさん入国してくると、もう、予測不能になってしまいます。外国からの客が来れないというのは、確かに残念なことだとは思いますが、この世界の状況下で、オリンピックが行われるということ自体が「奇跡」に見えるかもしれません。この本には、イギリス王室を離脱した、ヘンリー王子とメーガン妃のことも書いてありましたが、この辺の事情は、日本人にはとても分かりにくいですね。その本によれば、この二人は「やらかした」人たちということで、イギリス国内では全く共感を呼んでいないとか。確かに、先日メーガン妃が、メディアに「英国王室は差別的で、自分は苦しめられた」旨を訴えていましたが、イギリス国内から見ると、「なんで身内の喧嘩を、海外のメディアに訴え、身内の恥をさらすのか」ということになるのでしょう。ちなみに、日本人は「水に流す」というのが、人間として潔く、すがすがしい心根の現れとされていますが、どうも外国には、そういう言葉さえないらしいです。
2021/03/26
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三連休の中日、今さらながら、夫婦で「鬼滅の刃 無限列車編」を見に行ってきました。おそらく、お子様連れの方は、すでにほぼ見終わったようで、客層はほぼ大人。若めのカップル系の方々が主力ではありますが、私と同年配の中年夫婦も結構いたように思います。これは完全に「孫パワー」ということなのでしょう。「孫」についていくには、じじばばといえども、「鬼滅」についていかないと、会話が弾みませんね。あれは、かれこれ3ヶ月前くらいでしょうか。埼玉に住む次男から送られてきたビデオの中で、小学2年の姉と年長の弟が会話していました。「ママの呼吸は何で戦うと思う?」「うーん フライパン」「キャハハハ」と二人で大笑い一体全体、何のことやら理解もできませんでしたが、その後私も、テレビでやっていたアニメの総集編などを見て、かなり会話についていけるようにはなりました。私が書くまでもありませんが、お話は相当悲しい話で、かつ、描写も相当グロい部分もあります。なにしろ、鬼の首を切り落とすわけですし、鬼は人間を喰らうわけですから、相当きつい描写になることは必然です。まずは、このアニメが、幼児から大人まで、幅広く支持されることに驚きます。昔の老人であれば、子供に見せるのはいかがなものか、と額に血管を浮かせることでしょう。ということで、じじばばは、今さらながら、孫についていこうと、映画館に足を運んだわけです。「無限列車」の話が終わったと思われた後に、ちょっと付け足したような展開の中で、それまでの「めでたしめでたし」な感じが覆されてしまう、とても悲しく残念なことが発生します。そして「許さん!」といった感じで、「つづく」。という、なんだか、ちょっと中途半端な気持ちになります。「え、これで終わり?」という感じでしょうか。個人的には、やや消化不良で、せめて、その中で一応の完結があれば、気分も少し違うかと思いました。子供たちは、この物語を見て、何を感じるのでしょうか?家族と普通に一緒にいられる幸福というものに気付くのでしょうか?それなら素晴らしいことですね。「人より優れたものを持って生まれてきたなら、それを世の中の役に立てなければならない」ということも、物語の大きなテーマであったようにも思います。人間は平等だといっても、生まれた境遇も違うし、頭の良さも違うし、運動能力も違います。努力で克服できるものもかなりあるとは思いますが、努力だけではどうしようもないことも多い。人より優れた能力は、天から与えられたものであって、自分のためだけに使うべきではない。という、傲慢な心を戒め、謙虚な心を持つことの大切さも教えているのかもしれません。「当たり前の暮らしがある」ということ自体が「恵まれている」ということでもありますね。日々、何事もなく生きていけることにこそ感謝が必要、ということでしょうか。この物語を見て、子供たちがそれに気づき、もっと優しくなれるとしたら、それはとても素敵なことですが、さて、どうでしょうか?
2021/01/13
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「鯉のはなシアター」と言っても、広島県人でなければおそらく知らないと思います。テレビ新広島といいうローカルテレビ局で、2014年から放送していた、深夜のカープ応援番組、「鯉のはなシアター」。カープに関わるいろんなエピソードを紹介している番組ですが、そこから生まれた「劇場版」があり、今年初めて見に行ってきました。なにしろ、2018年の作品で、映画の内容も、カープが25年ぶりに優勝した年の広島が舞台となっています。当時広島では、結構大き目の劇場でも上映されて、話題にもなりました。⇒映画.com 「鯉のはなシアター」昨年、問題を起こして活動を自粛していた、チュートリアルの徳井義実が主演。その間、カープはと言えば、丸が巨人に移籍し、三連覇のあと、二年続けてBクラス・・・。「今更」感満載ですが、今年のお正月は子供も帰ってこず、時間がまあまああったところに、横川シネマという映画館で、期間限定の再上映があるという情報をうちの奥様がキャッチ。そんじゃ、行ってみるか、ということになり、1月3日の朝、行ってきました。横川駅の近くの細い路地を入っていくと、「横川シネマ」はありました。昔ながらの小さい映画館といった風情ですが、すでに数人のお客が並んで開門を待っていました。「鯉のはなシアター」の上映は、朝10時からの1回だけ、ということで、遠くから見に来た人は早く到着して外で待っていたようです。この映画館に行くのも初めてでしたが、新作封切り映画ではなく、過去の名作やマニアックな映画を中心に上映しています。さて、映画の内容と言えば、おそらく広島カープのファンでなければ理解できないような内容が多く、しかし、カープファンであれば見ておきたい映画ですね。戦後に生まれた「カープ」のエピソードを交えながら物語は進んでいくのですが、物語そのものはやや陳腐です。ただ、広島県人、カープファンとしては、なんだかジーンときてしまう場面もあります。そして、なんと、この日、この映画の監督である、時川 英之監督が来られ、挨拶もされました。それで、朝から並んでいる人がいたのかもしれません。映画についての熱い思いを語られました。が、正直なところ、時川 英之監督のことは、この瞬間まで全く知りませんでした。帰りにはしっかり、うちの奥様と一緒に記念撮影していただきました。広島県人 カープファンであれば、一度見ておきたい映画です。小さな映画館ですが、こういう映画館も貴重ですね。
2021/01/05
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ここのところめっきり、本を読むペースが上がらない。なぜなら、本を読み始めると、ほどなく眠くなってしまうからである。パソコンやスマホが普及して、ちょっとした時間の合間には、ネットニュースなどを見ている時間は増えた。かつては、時間があれば本を開いていたのだが、今では、本を開くのは、夕食をため、風呂に入り、一通りいろんな日常作業を終えて、ソファーに座った時になる。そうすると、一日の疲れと、本の活字と反応するのか、眠気が襲ってくる。そして、思ったほど読み進めることができず、撃沈。まあ、そんなことで、昔ほど本を読むペースが上がらないのだが、最近読んだ本で「世界のニュースを日本人は何も知らない」という本がある。著者の谷本真由美さんという人のことは知らなかったが、ヨーロッパ各地で働いて、国連の期間でも働いていたことのある人らしい。オランダ人はケチで嫌われてる、とか、イタリア人は数日風呂に入らないので、臭いとか、まあ、そういった下世話な話題もありますが、興味深いのは、EUとして大きな経済圏をつくり、人の移動を自由にし、積極的に移民を受け入れてきたことに、大きな歪みが生まれつつあるという話。トランプの大統領当選や、欧州各国での右派の台頭は、第二次世界大戦での反省も踏まえて、「欧州の国同士は仲良く」「寛容主義」「人道主義」といった理想を掲げてきて、人の移動を自由化し、難民や移民を受け入れてきた結果、もともと住んでいた人たちの中に大きな不満が溜まっていることが要因。EUを離脱することに決めた英国の中心部の繁華街は、すでに、多国籍化して「古き良きイギリス」のイメージは全くないらしい。「人権」など、普遍的な正義をかざされると、それに反論した瞬間に「非人道的な野蛮な人」という烙印を押されてしまうような気がして、人は黙り込む。一見寛容に見えても、実は、言えない不満でいっぱいなのが現在の欧州らしい。今回のコロナの問題は、世界各地のいろんな矛盾を一気に吐き出すきっかけになるような気がしますね。日本人というのは、島国であったせいで、外に対する関心よりも、内向きな興味の方が強い傾向にあるのは間違いないでしょう。中国とアメリカが覇権を争っているときでも、国会では、アベノマスクが小さいとか、まだ届かないとか、検事長の麻雀問題とか、給付金のオンライン申請がトラブル、とか。少なくとも、テレビの報道はそんな感じ。そろそろ、コロナの後の世界で、日本はどういう立ち位置で、どうしていくべきか、という議論はあまり見られません。香港の問題だとか、5Gの問題だといろいろな問題がありますが、中国とアメリカの覇権争いは激化して、日本だって、いつまでも風見鶏では許されないでしょうね。短期的に、企業目線で見れば、中国の存在で大きな利益を得てきたし、すでに投資したものも回収したいでしょうが、国がそれに流されれば、長い目で見たときには大きな失策になりかねません。本来、共産主義の一党独裁体制のままで、自由主義貿易圏から利益だけ得ようとすることは許されるべきではないでしょう。ちゃんとしたルールがあってこその「自由主義経済」です。新型コロナ問題が一段落する頃には、各国が旗色を鮮明にすべき時がくるでしょう。もっと、そのことを議論すべきなのではないかと思います。さて、「自粛」で奇跡のコロナ収束を実現しつつある日本の動向というのは、きっと世界からも注目されていることでしょう。何を発信していくかが重要になりますね。
2020/06/13
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6月7日(日)、「廿日市市民ホール さくらぴあ」に、「日日是好日」という映画を見に行きました。樹木希林存命中に公開された最後の作品ということで、彼女が亡くなった際にも取り上げられていましたね。通常の公開はすでに終わっていて、今回は、私の住む廿日市市の市民ホールで上映がある、ということで、うちの奥様に誘われて行って来たしだいです。主人公が、お茶を通して成長していく様子を描く、というと非常にありきたりな表現になりますが、大切なのは「成長」とは何なのか?ということですね。原作は森下典子さんの自伝的同名エッセイ。「お茶」が教えてくれた15のしあわせ―とサブタイトルがついてます。もちろん私はお茶のことなど全く知らず、作品の初めのころに、主人公がいろんな「不作法」を行うシーンがあり、会場内は笑いがおきていましたが、私には何がおかしいのかも分からないくらいでした。物語は、女子大生である主人公が両親にすすめられて、近所のお茶の教室に通い始めるところから始まります。そのお茶の先生が樹木希林さんです。さて、話は戻って、「成長」とは何か?ということについて考えてみます。この作品の大きなテーマは、まさしくタイトルになっている「日日是好日」という言葉。作品中にも、それについての会話が出てきます。主人公のいとこが「どういう意味?」ときき、主人公が「毎日がいい日だってことかな」と答えいとこが「そんなこと分かっているよ」と言う。そこから物語は進み、終盤に入ってきて、先生がその意味を説明するシーンがあります。実際のセリフの詳細は忘れましたが、嵐の日は嵐を、雨の日は雨を、寒い日は寒さを受け入れて楽しむ心があれば「日日是好日」といった内容。どんな境遇にあっても、それは自分の受け止め方次第で、好日にも悪日にもなるということなんですね。もう一つ作品中に出てくる大きなテーマが「一期一会」。一生一度、これが最後という思いでもてなす、茶道の心得とされている言葉ですね。物語の中では、千利休の生きた戦国時代という時代背景の影響もあるだろうけど、と語られていました。昨年は、私の大学時代からの親友というべき人の突然死があり、今年に入っても、同級生の訃報や、お隣の奥様が亡くなられたり・・・。もっとちゃんと話しておけばよかったなあ、なんて思ってもあとの祭り。時間は決して遡ることができないので、後悔のないように、この時間を大切に生きようということなんですね。樹木希林扮するお茶の先生が最後の方で言います。「当たり前のことが、当たり前に繰り返されることが幸せよねえ」というニュアンスの言葉。この物語でいうところの成長とは、自分の置かれた境遇を受け入れて、感謝しつつ人と向き合えるようになるということなのかな、と思いました。それが「成長」である、と誰もが感じるのもまた、日本らしさなのかな、とも思います。毎年思いますが、日本という国は本当に災害が多い。地震、台風、洪水・・・・。にも関わらず、この狭い国土にはたくさんの人が生きてきました。災害にあった時の日本人の態度というのは、世界各国の映像とは全く違います。心の中には、どれだけのつらい思いや、悲しみがあるのか分かりませんが、それを受け入れようとする心の動きが伝わってきます。そして災害が起これば、「日常が一日も早く戻ってきますように」と願います。人間が人間らしく生きていくうえで、一番大切なものは「日常」なんですね。当たり前に見えることも、実は当たり前ではなく、それを支えてくれるたくさんの人がいて、自然があって、社会があって・・・・。いいことも、一見そうでないことも含めて、何もかもがありがたく感じられるからこそ、「日日是好日」なのでしょう。なんとなく、そんな風に思いました。
2019/07/09
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6月15日の土曜日。「アラジン」を4DXで見てきました。3Dとうのは、3D眼鏡をかけて映画を見ると立体的に見える、というもの。これに、座席の動きも連動して、さらに、においたり、水しぶきがかかったり、背中を小突かれたりするのが、4DXです。私は、今回が初体験でしたが、料金が少々高いものの、確かに楽しめます。魔法のじゅうたんに乗って飛んでいくところなんて、創造するだけでも楽しそうですよね。「アラジン」と言えば、もともと1992年公開のディズニーのアニメ。うちの長男坊が、1988年生まれで、次男坊が1990年生まれだったこともあり、うちの子供たちは、ビデオで何度もアラジンを見て、大好きだったとか。当時私は30才前後で、仕事も忙しく、毎日帰宅は子供が眠った後。私はこの年になるまで、子供たちがアラジン好きだということも知りませんでした。うちの奥様も、子供たちと一緒に何度もアニメのアラジンを見ていて、アラジン好き。実は、すでに友達と一緒に「アラジン 通常版」を見ていたのですが、「面白かったので、もう一回見てもいい。」ということで、今回、夫婦で4DXを見に行くことにしました。そういう事情もあって、アラジンそのものが初めてであったこともあり、4DXも初めての体験ということで、とっても面白かったですね。アニメのアラジン好きだった人からすると、いろいろ突っ込みたいところもあるようですが、楽しい映画です。ちょっと高いけど、4DX おすすめですね。
2019/06/17
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年末、やっと「ボヘミアンラプソディ」を見に行ってきました。やっぱ、泣いてしまうんですよね。年のせいかな。「ボヘミアンラプソディは、かなりいいらしい」という噂はきき、行きたいなとは思っていましたが、師走の慌ただしさでなかなか行けず、そうしていると、ある朝、会社のスタッフが開口一番「ボヘミアンラプソディ、見ましたか?」ときた。「見てないんよ~」「すごくいいんですよ~・・・・」というわけで、これは行かねばということで、あらかじめ映画館の席も予約。そして、年末の29日に夫婦で見に行ってきた次第です。うん、確かに、よかったです。以来、私の車では、クイーンが鳴ってます。「Queen」は1973年デビュー。私が、12才で、中学校に入ったころですね。当時、中学に入ると、みんな音楽に目覚めて、歌謡曲から、フォークソングやロックに興味が移行。私も例外ではなく、ラジオにかじりついて、雑音の多いAMラジオを、ラジカセで録音して聞いてました。私が最初に買ったレコードというのは、KISSの「ハードラックウーマン」という曲。顔面を白塗りにしてメイクした、KISSです。実は、KISSのデビューも1973年で、Queenと同じ年。当時の音楽雑誌では、新しくデビューした二つのロックバンドをこぞって取り上げていました。クイーンの人気は、世界にさきがけて、日本で盛り上がっており、1975年の来日時には、空港はファンで大混乱、というエピソードも残ってますね。その様子に、Queenのメンバーは感激して、日本びいきになったとか。私が多感な、中学校、高校時代を過ごした1970年代というのは、洋楽の黄金期。ハードロックでは、レッドツェッペリン・ディープパープル・エアロスミス・・・ビリージョエルとか、ボズスキャッグス、ブルーススプリングスティーンとか、まあ、とにかくたくさんのバンドや、ミュージシャンが登場しましたね。確かに、当時の曲というのは、今聞いても、ぜんぜん色あせていない気がします。当時の曲を、テレビでしばしば耳にしますが、当時の曲を聴いていた年代が業界でも力を持ってきて、「この曲がいいんだよ」ということで、使われているんだろうと推察します。ボヘミアンラプソディーの大ヒットは、当時青春時代を過ごした年代に加えて、それを知らない世代まで、クイーンの曲だけはしっていたから、という気もしますね。なんと、うちの長男も見てました。先日ニュースにもなっていましたが、この映画の興行収入は、日本が世界一だとのこと。
2019/01/09
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今更ながら、村田紗那香さんの「コンビニ人間」を読みました。芥川賞をとった作品で、私も、小説のタイトルくらいは知っていましたが、これまで、読もうと思ったこともありませんでした。会社の昼休みに、女性スタッフが「コンビニ人間、読みましたか?」と聞いてきたので、「読んでない」と答えると、「面白んですけど、表現しにくい、なんとも言えないもやもや感が残るんです」とのこと。ということで、さっそく購入して読んでみた次第です。100万部突破ということは、100人に一人は持っているということなので、私がどうこういう話ではありませんが、という前提で話を続けます。主人公は36才、女性、コンビニ店員。そう聞くだけで、人はいろいろな想像をめぐらしますよね。そういう想像というのは、その人が持っている「普通」という尺度から創造するわけなのですが、この小説は、まさしく、その「普通」にスポットをあてた本です。物語は、その主人公を一人称で進んでいくのですが、その語り口は極めて感情を抑えた、平坦で客観的なもの。周囲の感情の起伏を、客観的に、ある意味冷めた目で描いていくことで、ニュートラルな印象を受けます。が、主人公のニュートラルは、どうやら周囲のニュートラルとは違う、ということがだんだん分かってきます。ということで、薄い本なので、読書の秋におすすめです。私は大学時代に、2年間くらいコンビニでアルバイトをしていました。かれこれ30年以上前の話で、コンビニのマニュアル化も今ほど進んでいない時代です。確か、夕方の8時くらいから、深夜1時か、2時までの勤務。アルバイトも軟派な高校生から大学生、それに、昼間は普通に仕事して、そのあとコンビニで働いているおじさんもいました。住宅ローンを払うためという噂でしたが、真偽のほどは分かりません。当時は、お客のいないときは、レジでバイトがおしゃべりをする、というのも普通に行われていました。今のコンビニでは、レジで私語なんて、ちょっと考えられないことだと思います。それが、アルバイトに払っている金額に対して、一定のコストパフォーマンスを確保するために、マニュアル化が進んだのでしょう。「私語」ほど、無駄で店の印象を悪くするものはないですし・・・・。お客様がレジに並んでなかったら、商品を裏から出すとか、お客様が並んだら、すぐにレジに入るとか、お客様の入店の際のあいさつとか、余計なことを考える時間を与えないようにしてあります。マニュアル化というのは、ある意味、「個体差」を圧縮することです。個々の能力の凸凹をできるだけ平滑化して、「目標値」ん近づけていくには有効ですね。素手でケンカすれば、個人の力の差は明らかにでてきますが、防具をつけたり、ルールを決めたり、武器を持ったりすることで、「兵士」として均一化されてきます。コンビニのマニュアルというのも、ある意味「武装」なんですね。個性を鎧の奥に隠して、兵士になりきる。マニュアルという鎧の中に入って居る時に、妙な安息を感じたりする。人間というのは、不思議なものです。
2018/11/08
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井沢元彦さんといえば、「逆説の日本史」が有名ですね。週刊ポストに1922年から連載されていて、単行本も24巻。現在も連載中らしい。その存在は私も知っていました。散髪屋や、飲食店などで「週刊ポスト」を手に取った際に、目にしたことがある、という程度で、その際にもほぼスルーしていないので、内容もよく分かりませんでした。ということで、この「日本史真髄」は、その名の通り、そのエキスをまとめたもの、ということになります。本の帯にある通り、日本史の謎を「ケガレ」「和」「怨霊」「言霊」「朱子学」「天皇」を元に解き明かしていくもの。日本人にとって、この六つは「宗教」だと井沢氏は書いています。歴史を考えるうえで、「宗教」を抜きにしては真実は見えてこない、というのは、間違いないでしょう。日本史に決定的に欠けている視点が、この「宗教観」という視点であり、日本史の理解が間違っていたり、不十分であったりする大きな原因もそこにある、とのこと。言霊の国、日本では、口にするといやなことが現実になってしまう、という考え方が身についていて、それが「日本は負ける」と誰も言えずに戦争に突入し、そして玉砕の一歩手前まで突き進んだ最大の理由だと、氏は書いています。思っていても言えない、言ったら悪いことが起こりそう、悪いことが起こったら、それを口にした人間の責任になってしまう・・・・。そういう不合理が、軍部も政治家も「日本が負けそうだ」と言い出すことを躊躇させたゆえに、ずるずると戦争を長引かせて、原爆を二発も落とされるまで決断できなかった。確かに、一般の国民でも「日本が負けるのでは?」と口にしたら逮捕されかねない時代です。「誰も言い出せなかった」というのは、単に保身ということもあるでしょうが、それ以上に「言霊信仰」という心の奥に染みついた「信仰」がそうさせたのではないか、という見方です。日本という国は、「言霊の国」であるがゆえに、縁起でもないことは記録されません。身近なところでは、忌み言葉というのもありますよね。結婚式では不吉な連想をさせる言葉はタブー。切れるとか、終わるとか、壊れるとかいうと「縁起でもない」となる。「源氏物語」「平家物語」は、源氏と平家の怨霊を鎮めるために書かれた文学だ、という見方はとても新鮮でした。新しい視点で歴史を見るには、分かりやすさも、ボリュームも手ごろで、おすすめです。興味を持ったら、「逆説の日本史」の該当巻を読んで深堀りしてみてください、ということなので、ぼちぼち「本編」も読んでみようかな、と思ったりしてます。
2018/10/09
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久しぶりに本の話。映画を見に行って、面白かったので、原作も読んでみました。舞台は、広島県の呉市(作品中では、呉原)。不良マル暴刑事と、若手エリート新米刑事と、暴力団の話です。映画の方が、映像だけに、そこまで必要?というグロい映像も結構あったりしましたが、小説の方は、グロさはあまりなくて、その分、物語にも入り込みやすかったという印象ですね。「読んでから見るか、見てから読むか」というのは、40年も前の角川映画のキャッチフレーズ。当時中学生であった私は、ちょうど読書にも目覚めた頃で、インパクトのあるコピーでした。角川映画とのタイアップで、角川文庫でもキャンペーンを行い、「犬神家の一族」「八つ墓村」の横溝正史「人間の証明」「野生の証明」の森村誠一あたりが一気に人気作家になりました。横溝正史などは、すでに旬を過ぎた高齢の作家で、それまでそれほどの人気作家ではなかったものを、角川書店社長であった角川春樹が「絶対に面白い」ということで、過去の作品を掘り返して映画化し、文庫本の大ブームを起こしました。黒地に緑の字の背表紙の文庫本は、今でも我が家に相当あります。話はだいぶそれてしまいましたが、「ヤクザ」という存在を、人間社会の汚物を拭くための「必要悪」だととらえて、カタギとヤクザの間で、警察がどうあるべきかという結構深ーい話でもあります。きれいごとでは解決しないことって、世の中にはいっぱいありますよね。映画を先に見てしまったので、主人公の大上という不良マル暴刑事は、どうしても役所広司のイメージになってしまいます。それだけ、映画の中のインパクトもあったということですが、総じて、順番としては、「読んでから見る」というほうがいいように思います。ちなみに、「孤狼の血」を見た後、「仁義なき戦い」「仁義なき戦い 広島死闘篇」も、アマゾンプライムで見てしまいました・・・。
2018/07/25
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週末、13日(日)に、4月27日にグランドオープンした、[THE OUTLET HIROSHIMA]に行ってきました。開店前に現地に到着という、早出です。GWにこのそばを通過しましたが、アウトレット渋滞は、商業施設近隣の道路からさらに、最寄りの五日市インターの出口にまでつながって、おそらく、高速道路の料金所あたりも渋滞の中なのではないか、と予測されました。ということで、私は昨日が初めてでしたが、家内は、昨日ですでに4回目でした。さて、[THE OUTLET HIROSHIMA]は、イオングループが初めて手掛けた本格的なアウトレットで、広島初の本格的なアウトレット。規模も中四国最大。広島では、なにかと「中四国最大」という表現が多い。九州には福岡市という大きな町があり、近畿には大阪神戸。結果的に、「中四国最大」の都市である広島には、「中四国最大」のものができやすい。まれに、福岡よりも規模が大きいと「西日本最大」となります。商業施設内で写真をバシバシとるのもはばかられるので、さっと撮ったレベルの写真からイメージしていただきたいのですが、確かに、広いですね。構造としては、平屋の商業施設の上に、アウトレット店舗の建物を建てたという感じの構造です。完全屋根付きの1階は、飲食と映画館、スケートリンク、ボーリング場などのエンターテイメント施設が中心。2階部分がアウトレットで、ここは、平地に建物が立った感じの半屋外。そのため、雨天だと、ひさし部分を人が行き来するようになるので、混雑します。ちょうどこの日、広島を舞台にした、広島やくざ抗争映画である「孤狼の血」の初日。すべてのロケを、呉市と広島市で行ったということで、普段ヤクザ映画をみることもありませんが、夫婦で見てみることに。映画も、50才超えると、夫婦で2000円で見れますから手軽です。主演は役所広司。若手の刑事に松阪桃李。個人的にヤクザ映画が好きなわけではありませんが、かなりよかったと思います。随所にグロい映像が出てくるので、その点は要注意。ただ、それがやくざ世界の非人間性とか、理不尽さとかを表現しているんでしょうね。得体の知れなさとか、気持ち悪さとか。極道というのは、住んでいる世界が違う人。表の社会に生きる堅気の人間と、その裏にある人間的な常識の通用しない極道の世界。その接点にマル暴の刑事がいるのかもしれないですね。映画で見る分にはともかく、お近づきにはなりたくないです。全編広島弁ですが、ほとんど違和感を感じることのない完成度でした。昨日から一般公開が始まっているので、評価は定まってはいないと思いますが、損のない映画だと思います。映画館にあった看板。よく見るとサインが書いてありますね。
2018/05/14
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基本的に「本」は好きです。買い物に行って、妻がトイレなどに行くと、そのわずかな時間でも、本を開いていると手持無沙汰になりません。やっぱり、スマホよりも「本」の方がしっくりきますね。ただ、夜、ソファに座って本を読もうとすると、ものの5分くらいで眠気に襲われ、一向に前に進みません。というわけで、家で本がなかなか読めないのですが、先日、東急ハンズのイベント「廃材の森」に行くために往復の新幹線の中で読んだ本が「闇の子供たち」です。おそらく、もう5年以上も前にブックオフで買ったもの。2002年に発刊された作品なので、もうすでに16年前。見てはいませんが、2008年には映画化もされているようです。舞台はタイ。発展途上国というのはえてして貧富の差が極端に激しいものですが、農村地帯の「極貧」のために、10才にも満たない子供がわずかなお金で売られていく。売られた先は、児童専門の売春宿。描かれる内容は、私の想像を超える地獄のような光景です。欧米や日本などの裕福な国から来た幼児への異常な性愛嗜好者の慰み者となり、エイズに感染してゴミ捨て場に捨てられるもの・・・。前半はというと、読むに堪えないような「地獄」が描かれています。後半は、児童福祉施設で働く日本人女性と、新聞記者が幼児からの「臓器売買」をめぐって取材を進めながら物語が進みます。あまりの凄惨な内容に、この物語は、ノンフィクションなのか、フィクションなのかということが問題になります。おそらく、作者としては、限りなくノンフィクションの気持ちで書かれたフィクションということなのでしょう。作者の梁石日は、自身の父親や生い立ちがモデルとなった「血と骨」という作品で有名ですね。この作品もまた、すごくインパクトのある作品でした。梁石日の作品を多く読んだわけではありませんが、「理不尽」というのが大きなテーマであるように思います。理不尽とは、筋の通らない、理屈に合わない、ということですが、この世の中には、もって生まれた境遇のために、「理不尽」な人生を強いられる人というのは多いですね。それが、在日という問題であったり、「貧困」という問題であったりするのですが、本人にはまったくもって責任のないところで、理不尽な仕打ちを受けてしまう。人権の問題というのは、本来、この「理不尽さ」の問題なのでしょうね。先日テレビの番組で、巨大なゴミ捨て場でゴミをあさるスラムに住む人たちのことを特集していました。発展途上国にも「大量消費」の波は押し寄せて、大量のゴミが出るものの、それを適切に処理する費用もないため、都市の郊外に巨大なゴミ捨て場ができる。そこには有害物質もあり、不潔極まりない場所であるにも関わらず、それでもなお、日々の糧を得るためにゴミをあさる人たちがいて、ゴミ捨て場のそばには、ゴミをあさることを目的に集まった人たちのスラム街ができる・・・。日本では信じられないようなことが、今でも世界中で起きていますね。そう思うと、この物語というにも、あながち「嘘」ではないのだろうという気がします。何ができるわけでもなかったりするのですが、「知ること」「興味を持つこと」というのは問題解決のためには不可欠なことでもあります。
2018/04/24
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10月の3連休が終わりまして、かえって疲れた方も多いのではないでしょうか?天気にも恵まれて、あちこちで出かけられた方も多いと思いますが、今回の連休を作った祝日は「体躯の日」です。昔は10月10日と決まっていましたが、連休を作るために、法律で休みにくっつけることになったので、今年は10月9日でした。さて、本日は「カエルの楽園」を読んで感じたこと。百田尚樹さんと言えば、「永遠の0」のヒットで有名ですが、ここの所、ちょっと右翼的な発言でもいろいろ物議をかもしているようです。と、私も書きましたが、「右翼的」とか、「左翼的」とかいったことも、実は結構意図的に行われるレッテル貼りかもしれませんね。右翼と言えば、街宣車で大音響で軍歌を流す迷惑圧力団体を思い出しますし、言葉にもあまりいい印象はありません。左翼と言えば、赤軍派などの革命を志向する運動家を思い起こし、これもまたいい印象ではないですね。言い換えれば「保守」と「革新」ということになるのでしょうか。問題は、極端でない、大多数の中心の人たちは「語らない」ということです。大きな声を出しているのは、多くの場合、極端に走った一部の人。実際には、左右に極端な人というのは少なくて、結構グレーな部分に大多数の人はいるのだと思います。センターというものを決めてしまえば、右寄り、左寄り、という傾向は出てくるかもしれませんが、センターの位置だって、時代ととともに変わってくる、流動的なものですね。さて、この本はご存じの方も多いとますが、現在の日本の置かれた状況を、カエルを主人公にして寓話的に書いた物語です。物事というのは、「比喩」によって分かりやすくなりますが、この物語も、日本の置かれた状況を、カエルの世界に置き換えることで、分かりやすく表現したもので、大変読みやすいです。ただ、傾向としては、「右寄り」です。ここで「右寄り」と言いましたが、これもまたどこがセンターなのかによって、実は右寄りではないのかもしれません。この物語というのは、そういうことも含めて考えさせられます。この本の大きなテーマは「憲法9条」の非武装、交戦権の放棄です。「憲法9条によって日本の平和は保たれた」とする主張がありますが、実際にそんなことを信じている人も少ないとは思います。ただ、「9条を放棄したら、戦争に巻き込まれてしまうのではないか?」「徴兵制が復活するのではないか?」といった漠然とした不安を持っていることも事実です。日本のマスメディアは、戦後生まれた時から「リベラル」なので、どちらかというと、左によった報道が多いということも、実は、ネットが普及してから世の中に知られるようになってきました。そういう背景を踏まえて、いろんな意見を聞く、ということが大切ですね。ということで、この本も、そういう背景や、著者の思想的な背景も踏まえたうえで、自分はどう考えるのかを考えてみることが大切です。とても読みやすい本なので、普段は本を読まない人にもお勧めです。
2017/10/10
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ネタもないので、本日は、重松清の「その日の前に」について。その日とは、「ガンと宣告された妻が亡くなる日」のこと。あまり考えずに買った本でしたが、思いのほか、重いテーマでした。連作の短編集ですが、共通したテーマは「死」。しかも、老衰とかじゃなくて「若くして・・・」という死。病気で長く学校を休んでいる同級生のお見舞いに行く話や、主人公本人が突然「余命●日」を宣告されて、昔暮らした街を訪ねる話や、自分の母親ががんになってしまう話や、自分の妻ががんになってしまう話・・・・。確かに、ある日突然、誰にでも起こりうる話。人間、普通に生きていて、自分が死ぬ「その日」や、自分の大切な人が死ぬ「その日」を意識することはほとんどないけど、「余命」を宣告された瞬間に、一気に砂時計から勢いよく砂が流れ落ちはじめ、足がすくんで立ち尽くす。そこから、「その日」に向かって、その日を意識しながら生きていくこと。去る人、残る人、残す人・・・・。とても切ないことだけど、最終的には受け入れざるを得ないもの。重松清さんの作品は、これまで数冊読みましたが、根底に人間への愛情や優しさが感じられる作家ですね。知らなかったのですが、この作品も映画になったり、ドラマになったりしているようです。ちょっと気持ちの重くなるテーマですが、決して後ろ向きになったりすることなく、「生きること」に前向きな気持ちになれる作品でもあります。
2017/09/21
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村上春樹と言えば、ノーベル賞のたびに有力候補とされる世界的にも有名な作家であり、私がどうこういう必要もないのですが、必要はなくとも、個人的な感想は書いても問題ないでしょう。彼がノーベル賞の価値があるかどうかは分かりませんが、そもそも、なんでノーベル文学賞なんてものがあるのかも不明です。ノーベル文学賞とか、ノーベル平和賞とか、選考委員の趣味嗜好や思想で賞が決まるようなものは、ノーベル賞にはそぐわないのではないでしょうか?客観的に、世の中の進歩に大きな影響を与え、貢献した科学的な実績に対しての賞だけでいいのではないかと思います。つい最近、「騎士団長殺し」という新刊も発行され、真夜中12時の発売を待つ行列ができたことがニュースにもなっていました。村上春樹の熱烈なファンのことをハルキストなんて言ったりして、ちょっとした社会現象ですね。かれこれ、30年近く前に、「ノルウェーの森」も読みました。さて、2009年に発売された「1Q84」は、先日発売された「騎士団長殺し」以上に話題になったので、つられて買ってしまった人も多かったのではないでしょうか?私は、遅ればせながら、去年、中古の文庫本を買って読みました。文庫本は6巻構成で、最初の4巻はミステリータッチでかなり読みごたえがありました。が、終末が近づいてくるにつれて、頭の中になんとも言えない疑問符が現れ始め、最終的には、この話はなんだったんだろう?というような、ちょっと残念な気持ちになりました。大きな展開のスリリングな話が、ありふれたラブストリーにすり替わってしまったというような印象でしょうか。まあ、これは、読む人の読解力によると思うので、単に私の読解力不足もあるでしょう。「1Q84」が少々残念な読後感であったのですが、それでもひょっとすると、次の作品はぐっとくるかも、と思い、先日の紀伊半島ツアーの際に読んだのが、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」という長いタイトルの作品。2013年の初版です。一泊二日の旅行に持って行って、新幹線とバスの中で読了しました。それだけ、読みやすい文章であり、物語の展開もちょっとミステリーの謎解きタッチで、一気に読ませてくれるものがありました。が、やっぱりこちらも、最後は「ああ、そうなっちゃうのね」という感じで、残念な読後感となりました。ただ、小説というのは、読み手の好みもありますから、ベストセラー作家になって、必ずしも「好みのあう読者」ばかりでなくなると、辛口の批評が増えるのも当たり前でしょう。私も、「ベストセラーになったから」という理由で読んでみたのであって、コアなファンではありません。さらに言えば、小説から刺激を受ける感性というものも、年とともに衰えていくものと思います。若いころに読んだ本から受けた刺激というのは、やっぱり強かったし、「無条件」でした。年を取るほどに、なにやら分別くさくなって、理屈っぽくなって、何を評価するにも「条件付き」になってくる。物語と自分の間に距離をとって読むので、どこか冷めた目で見ているところがある。これはきっと、年齢とともに防衛本能も強まってくるからなのかもしれませんね。昔、「ノルウェーの森」を読んだ時には、もう少し物語に入り込めたようにも思います。おすすめでない本はブログに書いてもしかたないのですが、そもそもなんで「ノーベル文学賞」なんてあるんだろう?と思ったもので、書いてみました。
2017/03/29
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11月21日の土曜日、遅ればせながら、「この世界の片隅に」を見てきました。この作品は、当初、上映館も63館のみで、大きな注目も集めていなかったのですが、見た人の口コミから注目を集め、観客動員100万人を超えるヒットとなりました。ヒットを受けて、上映館数も増加し、現在も上映中です。時代背景は、第二次世界大戦の最中。舞台は、広島と呉。この映画は、「すず」という女性の少女時代から、結婚、呉での生活の日常を、戦争によって変わっていく世の中との関わりの中で淡々と描いていきます。広島での戦争の前の平和な日常、顔も分からない人との結婚、戦時下での呉での結婚生活。戦争の深まりは、配給の減少、空襲警報の数、そして空襲など、「すず」自身の日常の中で描かれていきます。大切な人を亡くしたり、物語は決して楽しいものではなく、作品中に流れる「悲しくてやりきれない」という歌のまま、なんともやりきれないものです。ただ、お涙頂戴的に、必要以上に悲しみを強調したりすることなく、押さえたトーンで淡々と進んでいき、それがまたとても心にずっしりときます。この物語に、私はとても「日本人らしさ」を感じました。そんな状況下にあっても、それを受け入れて、その中で精いっぱいに生きていくことは、日本人としても美徳にほかなりません。基本的は、とてもつらい物語なのですが、それでも根底に「希望」がある、そんな映画です。自分もしっかり生きなければ、と思える映画です。この映画を見に来た客層は、意外にも高齢の方が多く、驚きました。中には、すでに80を超えたようなおじいちゃん、おばあちゃんの姿も見えました。おそらく、戦時中を生きた方々にとっては、この映画というのは、自分たちの日常でもあったのでしょう。舞台が広島と呉ということもあって、この映画の評判の高まりとともに、ぜひとも、おじいちゃん、おばあちゃんに見せたいと思った人が、この映画館に連れてきたのだと思います。それにしても、この映画がこうして口コミを呼び、ヒットし、感動を広げているというのは、やっぱりこれも日本人の心の奥深いところを震わせているからなのでしょう。表面的な「お涙頂戴」や「戦争反対」ではなく、もっともっと心の深いところに響いてくる映画ですね。そのせいか、まだ悲しくもない、戦争前の平和な時代の描写あたりからすでに私の涙腺が緩んで、うるうる来てしまいました。派手な映画ではありませんが、確かに、見てほしい映画でした。に
2017/01/23
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ブログのネタもなくなってきたので、本日は本の話です。ネットの中古本屋で、送料を無料にするために、「1Q84」と一緒に買った本でしたが、個人的には「1Q84」よりも面白かったですね。作者の湊かなえさんは、ベストセラーになり、映画も大ヒットした「告白」が有名ですが、「少女」は告白に続いて、2009年に発刊された本です。ヒット作の次の作品というのは、大きなプレッシャーがかかるものだと思いますが、この作品は「流石」と言わせるものがありました。今年は映画も公開されましたが、私は見てません。「人の死」を見てみたいという感情が一般的なものかどうかは分かりませんが、女子高生たちのそんな軽い好奇心から出た行動が物語を動かしていきます。前半はどちらかというと、主人公である二人の少女の性格や生い立ちなどを振り返りながら、静かに進んでいきますのが、物語の半ばくらいからは、前半の伏線がどんどん結びついてきて、一気に読み進んでしまいます。なかなか一筋縄ではいかないのが、この人の物語ですが、この物語も、最後の最後まで、いろんな仕掛けがしてあって、楽しめます。が、楽しい話でもありませんので、気分が沈んでいるときは避けた方がいいかもね。
2016/12/07
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今月に入って、当初は見に行く気のなかった2本の映画を見に行きました。「シン・ゴジラ」と「君の名は。」理由は恥ずかしながら、「話題」になったから。「シン・ゴジラ」を、見に行ったのは9月11日。カープ優勝の翌日です。出社途中に聴くローカルラジオで、「シン・ゴジラ」の話題を話していて、何度も見に行く人がいるくらい面白く、ヒットしている、とのこと。ゴジラが横浜から東京にかけて上陸してくる際に、見覚えのあるビルをたくさん破壊するらしいが、その際に、自分の働く会社が破壊されると「へいしゃ~」、得意先が破壊されると「おんしゃ~」と叫ぶらしい、というようなわけのわからない話で、印象に残り、YAHOOの映画評価を見ても評価が高いということで、かなりミーハーな理由で行ってみることに。さっそく、夫婦でインターネット予約。TOHOシネマズでは、夫婦のどちらかが50才を超えれば、二人で2200円で映画が見れます。上映中に「へいしゃ~」とか、「おんしゃ~」とか言った掛け声はありませんでしたが、思った以上に楽しめました。もちろん、ゴジラという設定そのものがリアリティのないものではありますが、その中でもできるだけリアリティをという意図も強く感じられ、目線も低く、見ている観客も逃げ惑う当事者のような気分にさせてくれます。「おんしゃ~」「へいしゃ~」というのは定かではありませんが、ゴジラという未知なる圧倒的な存在を前にした人間ドラマでもあります。多少安っぽいところはありますが、十分楽しめました。ヒットしたのも頷けます。そして、昨日、22日の秋分の日に見に行ったのが「君の名は。」若者たちに大人気で、登場した場所に人が殺到し、舞台となった飛騨市では事情が分からず、「何事だ」とびっくりしたとか。なにしろ、飛騨市には映画館がなく、住民のほとんどはこの映画を見ていないらしい。というようなことをワイドショーでやっていて、さらに、うちの奥様の友人の娘さんが「絶対オススメ」なんて言ってるし、ということで、私と、うちの奥様と、その友人、計4人で行ってみることに。こちらは、高校生の男女を主人公としたアニメですので、観客も若い人中心。若干浮いた感じではありましたが、こちらもまた、しっかり楽しめました。高校生の男女が入れ替わる、という「転校生」的なイメージで見に行ったのですが、内容はぜんぜん違ってました。「忘却」をテーマにした、結構壮大な物語です。細かなところを言えば、確かに突っ込み放題なのですが、物語の展開も奇抜で面白く、そもそもリアリティを求めること自体が野暮な話。ハラハラしながら見れて、ちょっと切ない気持ちになれて、人のつながりについても少し考えさせられる映画です。アニメ映像の美しさについても話題になっていますが、確かに映像も美しく、リアリティがあります。アニメに「ぼけ」の概念を入れて、なおかつ光の描写にもこだわっているので、とても立体的に感じられますね。ということで、50才を超えたシニアでも楽しめる質の高いアニメだと思います。なにしろヒット作ですので、私がどうこういう必要もありませんが、若者の映画だと決めつけずに見に行ってみるのもいいかもよ。
2016/09/23
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つげ義春という漫画家がいます。最近ではほとんど目にすることもないと思うのですが、今もご存命のようです。この人は、実は、知る人ぞ知る伝説的な漫画家でもあります。長期連載がないことや、大ヒットがないことから、あまり知られていませんが、内向的で、ちょっとシュールな内容が純文学の匂いを感じさせてくれます。もともと、私がこの人の漫画を読んでみようと思ったのは、「水木しげる死去」の報道の際に、「『ネジ式』で知られるつげ義春さんもアシスタントをしていた」と言っていたからです。なんとなく名前は聞いたことがあったのですが、それからどうも気になって、ネットで「つげ義春コレクション」の第一巻「ねじ式 夜が掴む」を買って読むと、その不思議な世界観にはまり、随筆集を含めて7冊購入しました。好き嫌いは相当はっきりしそうですが、個人的には、かなり好きな方です。1954年の漫画家としてデビューし、1960年代が活躍期となりますが、有名な連載作がなく、単発的な短編が多いため、人気作家にはなれず、常に貧乏な生活をしており、食べるために水木しげるのアシステントをしていた、ということのようです。私が1961年生まれなので、活躍期は私の生まれたころから、小学生のころということになります。私は小学時代に漫画家志望で、少年ジャンプに連載されていた本宮ひろしの「男一匹ガキ大将」が好きでした。当時は少年漫画に「ハレンチ学園」とか「あばしり一家」とかいった、かなりエロい作品が連載されていたりして、子ども心にドキドキしたわけです。1960年代のヒット漫画は、「巨人の星」「あしたのジョー」あたりが有名ですね。ドラえもんは1969年の発表です。そういうヒット作の影で、とても地味で、内向的な作品を発表していたのがつげ義春です。ちょうど、高度成長から取り残された日蔭の部分で、カビやコケや生え、石をめくると奇怪な虫がでてくるという感じなのです。そのマイナーな暗い、鬱な感じがマニアックなファンを獲得したのでしょう。私が個人的に惹かれポイントの一つが、1960年代~70年代の初めという時代がかなり地を這うような現実感でもって描かれている点です。こどもの頃には見えなかった「あの時代」というのを、つげ義春の作品は見せてくれるように思いました。時代によって変わる作風も面白いです。まあ、機会があれば、読んでみてくださいね。はまる人ははまります。
2016/06/15
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ブックオフで100円で買った本。2004年に発行された本なので、もう12年も前の本です。ブックオフで買ったのがすでに数年前だと思うのですが、やっと最近読んでみました。これが、思いのほか、勉強になりました。イギリス、フランス、ドイツ、アメリカ、アラブ、中国、韓国の各国で、日本がどう報じられているかを、各国で特派員をした人や暮らした人がそれぞれ担当して書いています。全体を通して言えることは、各国の日本という国のとらえ方というのは、第二次世界大戦の際の関わり方に大きく影響されているということですね。そもそも、国連そのものが、いまだに日本やドイツといった「敗戦国」を「敵国」としているわけですから、なかなか「根」が深いです。イギリスにとって最も屈辱的な日は「日本軍によるシンガポール陥落」だそうです。その日から、大英帝国の斜陽は始まったという「歴史的な日」なのでしょう。そういう意味で、日本に対して「苦々しい気持ち」というのが根底にあるようです。アラブ諸国は比較的親日的と言われますが、その大きな理由は「日本はアメリカに原爆を落とされた国」だから。アラブも日本も、欧米にひどい目にあわされたということで、きっと日本人は今でも欧米を深く恨んでいるだろうと、アラブの人たちは信じているらしい。(12年前のことなので、今は変わっているかも)日本人というのは、そのあたりの感情が結構あっさり目にできているのですが、アラブの人たちは「目には目を、歯には歯を」という気持ちが強いので、当然日本人も、という風に思うようです。ただ、最近は、日本も「欧米と同一視」されてしまう傾向もあり、テロの標的になる可能性出てきていますが・・・アメリカは基本的に「我々は戦勝国である」というのが基本で、だからこそ、今回のオバマの広島訪問についても、「謝罪はしない」というのが当然のスタンスです。中国、韓国に至っては、自らの正当性を「反日」に求めているわけですから、論調のすべてが批判的にならざるを得ませんね。ということで、ちょっと昔の本ではありますが、「日本」がとう認識されているかということを理解するうえでは、とても役立つ一冊でした。ブックオフに行けば100円で売ってると思うので、興味のある方はどうぞ。
2016/06/07
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なんだか、懐かしすぎる久米宏氏絶賛という帯も微妙ですが、この本は、ほんとにおすすめです。「今」の時代に起こっている世界の諸問題を、世界史を振り返ることで、分かりやすく説明してくれます。「目からうろこ」の書といっても過言ではありません。私も、大学受験は「世界史」で受けましたし、歴史そのものも大好きで、いろいろ本も読んだりしてはいましたが、その知識というのは、やっぱり断片的で、全体のつながりを欠いたもので、「歴史」と「今」の間にかなりの距離があったのですが、この本は見事にその距離を縮めてくれます。日本人には理解しにくい中東問題や難民問題も、歴史を振り返ることでとても分かりやすくなりますね。この本の中で、私が一番びっくりしたのは「ペリーはアメリカ東海岸から喜望峰、インドなどを経由して日本にやってきた」ということ。なんとなく、アメリカの西海岸から太平洋を越えてやってきたと漠然と思っていました。ということは、ペリーは、イギリスよりも、スペインよりも遠くから日本にやってきて、「開国しろ!」と言ってきたんですね。アメリカがメキシコ領であったカリフォルニアを併合したのは1948年。ペリー来航が1853年なので、カリフォルニアの併合から8年しかたってません。当然西海岸には軍港もないので、黒船も東海岸から大西洋、インド洋、を経由して日本に来るしかなかったわけです。ただ、西海岸を併合して、太平洋からアジアに進出していくには、その拠点として「日本」が不可欠だった、ということのようです。茂木誠さんは、駿台予備校の世界史の講師。この人に教えてもらったら、ほんとに分かりやすいだろうなあ、と思いました。その他、とっても興味深くためになる話が満載ですので、「今」を理解したい方は、ぜひどうぞ。
2016/06/01
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※画像はYAHOO映画より拝借。お正月休みの最終日。ビデオを二本借りてきました。「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」と「桐島部活やめるってよ」。ミッションインポシブルの主役であるイーサンハントを演じるトムクルーズは、私と同い年です。さて、ミッションインポシブルについては、ハリウッドらしいとても面白い娯楽映画です。ドキドキ、ハラハラ、それでも、最後はうまく納まるんでしょ、といった安心感の中で見ることができる、ある意味「水戸黄門」的な映画ですね。どうやら人間というのは、年と共にやっぱり感受性が落ちてくるもので、年を取るほど「はっきりとしたオチ」が欲しくなってきます。サスペンス系のドラマの人気が衰えないのは、高齢化とも因果関係があるのではないかと思いますね。「どう感じるかは、あなた次第です」みたいなのは面倒くさくて、なぜそうなったのかをはっきりして欲しいわけです。断崖絶壁の上に立って、ちゃんと解説をしてもらわないと納得できない。そういうことでしょう。さて、そこで「桐島部活やめるってよ」の話です。タイトルからも分かる通り、学園をテーマにした映画です。朝井リョウという最年少で直木賞も取った作家のデビュー作でもあります。私もトムクルーズやジョージ・クルーニーと同級生ですから、今さら学園ものというのもどうかな?と思いましたが、話題にもなったし見てみよう、ということで借りました。映画を見終って、ひとこと。「どういうこと?」まさしく、これが、サスペンス症候群というか、水戸黄門症候群なのでしょう。そして、次の瞬間、この映画は、結論の意外性や謎解きをテーマにしたものではないのだということに気づきました。大学の三年生の終わりに、ゼミの先生の提出したレポートに「先生は、専門書を読め、小説などは年をとっても読めると言われますが、小説こそ、感受性の高い若いときに読まなければ意味がありません」などと、生意気なことを書いて、先生から「君は就職しても会社を辞めそうだな」と言われました。少なくとも当時は、「感じる」ということが自分の成長に必要だと思っていたのでしょう。きっと、年を取ってくると、感じるということが面倒臭くなってくるし、鈍感にもなってきます。そして、そういったことが「青臭く」感じてしまうのでしょう。長く生きて、それだけいろんな経験を積んできたことで、いろんな免疫がついて、自分の可能性の幅もどんどんと狭まってしまいます。ただ、本当は、いくつになっても、感じることが大切で、それこそが精神を若く保つ秘訣なのでしょうね。「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ」というサミュエル・ウルマンの詩は深いです。さて、「桐島部活やめるってよ」の話に戻りますが、この物語には、大きく分けて二種類の人間が出てきます。「いけてる人」と思っている人と、一見「いけてない人」。桐島という絶対的な「いけてる男」が、部活をやめるらしいという事件を軸に、物語は進みます。私などは、帰宅部で、典型的な「いけてない人」でした。数年前から高校時代の同窓会の役員のひとりになってしまいましたが、私以外はすべて放課後をクラブに捧げた人たちなので、「放課後を共有した」という連帯感があり、帰宅部の私は、知らず知らず引け目を感じてしまいます。思えば、帰宅部である私には「放課後」というのはありませんでした。「クラブをせずに、一体何をしよったん?」と聞かれますが、まったく、何をしてたんでしょうね。歴史は夜作られる、といいますが、学校生活は「放課後」に作られていたのでしょう。そんなことを思いつつ、この映画を振り返って見ますと、とってもよくできた物語です。「桐島」という絶対的な存在がいなくなった瞬間に、全体のバランスが崩れて、いろんな人間模様が浮き彫りになってきます。青春を忘れかけた人は、ぜひ見てみてはいかがでしょう?
2016/01/08
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日本人は、明治維新からずっと洗脳されっぱなしで現在に至っている、という内容の本です。著者の苫米地英人という人は、奇をてらった感じが、ドクター赤松っぽい怪しさをかもしていますが、一応、ちゃんとした科学者のようです。(もちろん、ドクター赤松もちゃんとした科学者ではあります。)認知科学者ということなのですが、それ自体もよくわかりませんし、何しろ、著作を見ても分野が幅広くて、つかみどころの難しい人であるのは間違いありませんん。ということで、今回読んでみたのは、「明治維新という名の洗脳 150年の呪縛はどう始まったのか」。明治維新と言えば、私も「竜馬がゆく」をはじめ、新撰組ものとか、いろいろ読んでわくわくしたものです。なにしろ、明治維新があればこそ、アジアで唯一欧米列強の植民地支配を逃れることができたという認識です。が、苫米地氏いわく、それこそが「呪縛」なのだとか。明治維新を作為的に「美化」し、「正当化」した勢力が背後にある、と言うわけです。よく言われることですが、坂本竜馬は、「竜馬がゆく」で国民的なヒーローとなりましたが、実際にはそこまでの大物でもなく、著者によれば、「グラバーの使い走り」だとか。グラバーというのは、長崎のグラバー邸で有名ですが、明治維新に活躍した武器商人のイメージですね。そのグラバーの後ろ盾があればこそ、薩摩とも、長州とも交流できたというわけです。明治維新がらみで出てくる陰謀説としては、フリーメイソンがらみのものも見かけます。グラバー邸の門柱にも、フリーメイソンのマークが刻まれていることからそういう話がでてきたのですが、その件については著者は否定的です。苫米地氏によれば、グラバーは明治維新直後に多額の負債を抱えたまま倒産。もともとは武器商人でもないくせに、日本国内の内乱に乗じて大儲けしようとして軍船を仕入れたりして、思いのほか幕府と薩長との手打ちが早かったことから、投資を回収できず倒産してしまったのだとか。欧米列強が世界中に進出して植民地支配を強めている時代背景を考慮しても、日本などという極東の国に来て商売をするなどというのは、そもそもまともな人間ではない、とも書いてありましたが、確かにそうかもしれませんね。今以上に世界の果ての得体のしれない国であったでしょう。興味のある方は、本を読んでいただければと思いますが、明治維新は、日本人の力だけで成し遂げたかのように美化して信じられているものの、実際には背後からそれを後押ししていた力があり、それこそが「国際金融資本」だという結論に。それゆえ、明治維新後も日本は国際金融資本の影響を強く受けてきたというわけです。明治維新後に日本は戦争を次々と経験しますが、これもまた、国際金融資本の意向に沿ったものだとか。国際金融資本と言えば、ロスチャイルドだとか、ロックフェラーだとか、ということになるのですが、私などの下々の人間からすれば、想像もできない世界で、とても事の真偽を確かめることもできません。国際金融資本の話になると、陰謀論がつきまとってくるのですが、利益を最大化することが「資本主義」の絶対の理念であるならば、そのために策謀を巡らせることは当然と言えば当然のことなのかもしれません。大統領だって、総理大臣だって、結構短い期間で変わっていきますが、選挙の洗礼を受けることもない巨大資本が大きな意思を持って動けば、この世界を動かすことも思いのままになるのかもしれません。自らは表に出ずに、見えないところで世界を動かしていくからこそ陰謀ということなのでしょう。オカルトまがいの陰謀論はともかく、そういう力というのはきっと働いているのだろうと思います。だからどうしたらいいの?ということになると、難しい問題でもありますし、この本に書いてあること自体の真偽も定かではありませんが、そういうことも含めて、いろいろ考えてみるのはいいことだと思います。日本人が当たり前として認識している「司馬史観」(司馬遼太郎の著作の歴史観)そのものも、実は洗脳のために利用されたのだと著者はいいます。私などのように、司馬遼太郎の著作で明治維新から明治時代を知り、わくわくした青春時代を過ごしたものとしては、少々複雑な心境ではありますが・・・。
2015/12/15
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又吉直樹作の話題作「火花」を読みました。家内の妹が買っていたのですが、「すぐに読む予定はない」ということで、借りて読んでみました。妹が買ったのは、芥川賞受賞直後のことで、その帯には「40万人の魂を揺さぶった」と書いてあるので、このときは40万部突破であったのでしょう。どうやら今では200万部を突破したらしいです。近年の出版不況を考えると、驚くべき部数ですね。ただ、40万人が読んで、ほぼ全員が魂を揺さぶられる、なんて作品は存在しないでしょう。1割の人の魂が揺さぶられれば、それはもうすごいことです。あらすじを私が説明する必要もないかとも思いますが、芸人である主人公と、その芸人が師と仰ぐ破天荒な先輩芸人の話です。思いのほか書評には肯定的なものが多く、ひょっとしたらと期待していましたが、私の個人的な感想としては、どうして芥川賞なのだろう?といったところです。帯にあるように魂が揺さぶられることはありませんでした。あくまでも個人的な感想ですので、読み手の感受性や、読解力の問題によるところも大きいでしょうね。美術品だって、見る目のない人には傑作を理解できない場合も多いので。大学時代、ゼミの先生が「小説なんていつでも読めるから、論文を読め」と常々言っていたので、あるとき、期末の提出資料の中に、「論文のような理論的なものは、今でなくても理解できますが、小説のように心に訴えるものは、心の柔らかい今読んでこそ、価値があると思います」と書いた覚えがありますね。文学というのも、読む年齢というのは重要だと思います。特に、純文学は、若いころにこそ、読むべきものでしょう。そもそも「純文学」という定義が難しいです。意外に知られていないのですが、芥川賞というのは、文学の最高峰に与えられるものではありません。対象はすでに作家としての地位を確立した人ではなく、新人と言える範囲の人が対象となります。また、作品としては「純文学」作品が対象です。「純文学」の定義として一般的に言われるのは、「娯楽性」よりも「芸術性」を重視し、出来事などの外的な事象よりも、人間の内面を描くことに主眼を置くもの。ということになります。推理小説とか、SF小説のように、人間そのものよりも、出来事を中心にしたものは「大衆文学」ということになります。そのため、単純に面白さを求めれば、期待を裏切られるということは十分あります。ワクワク、ドキドキ、というようなものではなく、どちらかというと、内向きの暗ーい話になりがちです。200万部も売れたということですが、読了率はどれくらいでしょうか。はっきり言って、ワクワク、ドキドキ、笑える面白さ、というのはあまりないです。確かに、不思議な言葉のかけあいというのはあるのですが、私にはさほど面白くはありませんでした。ただ、そんなものは「純文学」には不可欠ではありません。人間の内面に迫り、読み手の心にインパクトを与えることが大切です。インパクトには、いろんな種類のものがあるでしょう。それゆえに、文章の読解力がなかったり、感受性に乏しかったりすると、打っても響かないとうことになります。個人的にはそれほど深みも感じられず、共感するところもあまりなく、意外性も感じられず、どちらかといえば残念な作品でした。逆に、最初から芥川賞を取ってしまうと、あとあと彼自身が困るのではないかと思ったりもします。が、読み終わって、他の人の書評を呼んでみましたが、意外に面白いという人が多いようですね。私の読み手としての力不足なのかもしれませんし、、心の柔らかさが無くなったからかも知れません。あるいは、ソファでうとうとしながら読んだものなので、どうも気持ちが十分入っていなかったからだろうか、とも思ったりして・・・・。長い小説ではないので、もう一度、ざっと読んでみようかな。集中して読めば、二時間もあれば読めると思います。
2015/08/10
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ネタも切れ気味なので、本日は本のご紹介。 テレビでドラマ化されましたし、この本自体がベストセラーなので、私が詳しくご紹介する必要もないのですが、簡単にいいますと、父と子の物語です。私はドラマを見ておらず、この本だけを読みました。この本の中には、三組の父と息子が登場します。主人公と中学生の息子。5年前の交通事故で死んだ父と6歳の息子主人公と、主人公の父親。新しい自動車を買ってドライブに出かけた先で事故を起こして同乗の子どもを巻き添えにしてしまった親子が、成仏できずにワゴンに乗ってさまよっています。そのワゴンに、家庭が崩壊してさらにリストラにあい、「死んでもいい」と思っている主人公が乗り込んで、「ひどい人生」のターニングポイントとなった過去を訪れる、という設定。そこになぜか、病院で危篤状態のはずの大嫌いな父親が、主人公と同い年で合流してきます。ということで、物語はいろいろありまして、父と子の関係、家族の関係を見直していくということになります。「親の心子知らず、子の心親知らず」といいますが、本当にそうですね。うちには二人の男の子がいますが、すでに就職し、親元も離れ、次男はすでに二人の子持ち。ただ、私自身が「流星ワゴン」の主人公になる可能性だってあったとも思うわけです。思えば、前にいた会社に就職して、営業マンになり、帰宅は常に9時過ぎで、育児といえば妻に任せっぱなし。子どもの寝顔だけを見るような毎日で、かろうじて休日には子どもと遊んでいましたが、間違いなく「育メン」ではありませんでした。子どもがだんだんと成長し、小学生になったころに広島に帰ってきて、仕事は営業からカタログ製作などの広報的な仕事になりましたが、さらに帰宅は遅くなりました。うちの奥様によれば、うちの子も小学校から中学校にかけて、いろいろと問題があったようで、掃除時間に箒を振り回して女の子にけがをさせたり、暴れはじめたり・・・。どちらかといえば問題のある子だったのでしょう。私自身、小学時代はかなり問題のある子でしたし。今思えば、「仕事が忙しい」を理由にしていろんなことを妻に任せっぱなしにしていたなあ、とも思います。私自身が子どもの教育に努力したという記憶がほとんどないので、妻の努力や子どもたち自身の努力があってなんとか「流星ワゴン」にならなくて済んだのか、とも思ったりしますね。幸い、家庭内暴力とか、不登校とか、そういった問題になることなく、なんとか今を迎えました。これは、やっぱり、妻に感謝すべきことなのだろうと思います。確かに、仕事は一所懸命したと思いますが、家庭のことはどうだったろうと考えると、ちょっとお寒いです。とはいえ、私と同世代のお父さんは、少なくとも私も同僚たちは似たようなものだったでしょう。父と子の関係、というのはなかなか難しいです。もう一度子供たちが生まれたころに戻れたら、もっといい子に育てることができるかというと、きっとそういうものでもないのでしょう。母と子という関係は、意外にいつまでたっても変わらないように思いますが、父と息子の関係というのは、年齢とともに大きく変わっていくように思います。十代では大きく反発し、父のようには生きたくないと思い、二十代になると少しずつ父の苦労が分かり始め、三十代になると、だんだんと小さくなる父の背中に哀愁を感じるととに、父の人生を認める気持ちになり始め、四十代になると、明らかに年老いていく父を見ながら、親孝行を考えるようなる。父と息子の会話は決して多くありません。少なくとも、私の場合は。「元気にやっとるか」というその程度の言葉に、父をいうのは精一杯の気持ちを込めているのだということも、分かってきます。息子が里帰りすると、母親は一生懸命面倒を見ます。息子たちがそっけないと文句を言ってますが、子どもたちが小さかったころと変わりません。母親にとって、子どもはいつまでも子ども。父親はというと、いつまでも息子との距離感を測りかねて、言葉少なに近況を確認することくらいしかできません。しゃべりすぎると、親子喧嘩になったりすます。父親というのは本当に不器用だなあ、と思います。「流星ワゴン」には、そんな不器用な父親が三人出てきます。
2015/06/18
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先週の土曜日、久しぶりに映画を見に行ってきました。ちなみに、前回見に行ったのは「アナと雪の女王」です。さて、今回見た映画は、「アゲイン」という日本の映画で、原作は、「とんび」とか、今ドラマをしている「流星ワルツ」の重松清さん。「マスターズ甲子園」という、かつて高校球児だった人たちが、再び卒業高校単位で集まって、地区予選を勝ち抜き、甲子園の土を踏む、という実在のイベントをモチーフにした映画です。高校時代、県大会決勝を前に、部員の不祥事で決勝を棄権した野球部のキャプテンが中井貴一。ある日、不祥事を起こして退学した部員の娘が、中井貴一を訪ねてきて、「マスターズ甲子園」への出場を勧誘します。その娘は、マスターズ甲子園の事務局を手伝っている大学生で、当時の事情も知らずに、父が毎年書きながら出さなかったクラブの仲間たちへの年賀状を持ってやってきました。そこから物語はスタートします。父と娘の関係と、不祥事を巡る真実を軸に物語は展開するのですが、まあ、やっぱり泣けました。というか、だんだん年を取ってきたこともあると思いますが、「親子もの」というのは、どうも泣けます。なんでこの映画を見に行ったかといいますと、主題歌を浜田省吾が歌っている、というだけです。うちの奥様も筋金入りの浜省ファンですが、さらに筋金入りの友人も含めて、4人で見に行った次第。残念ながら、浜田省吾の主題歌については、個人的な感想では、かなり残念な出来なので、コメントすることもありませんが、映画の方は思ったよりもよかったです。地味な映画ではありますが、結構評価も高いようです。YAHOO映画 レビュー
2015/01/28
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社員旅行のバスの中で、「西の魔女が死んだ」を読みました。映画化もされていて、ビデオは見たことがありましたが、就職した息子が残していった本の中にあったので読んでみることに。簡単に言えば、いじめにあって登校拒否している中学生の少女が、田舎暮らしをするイギリス人の祖母のもとに預けられて、祖母との会話や自然の中でいろんなことに気づいて成長するお話です。「人は死んだらどうなるの?」と少女は祖母に尋ねます。祖母は答えます。「死んだことがないから分からない」この物語は、眼に見えている人や自然と、さらにその中にある、自然の法則や、命との係わりをテーマとした物語です。見えていないから無いのか?死んだら何もなくなってしまうのか?なんだか少しやさしい気持ちになれる、素敵な物語でした。「最後の3ページ。涙があふれて止まりません。」と帯にありますが、私も少し、うるっときました。
2015/01/23
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百田尚樹さんの、2013年の本屋大賞受賞作です。結論からいいますと、ちょっと残念な作品でした。上下巻になっていますが、戦前の部分というのは一つの物語としてまあまあ面白かったのですが、戦中から戦後にかけてのくだりはだんだんと説明的になり、主人公のカリスマ性を強調するあまりか、なんだかヒーロー物語の解説本のようになってきて、読むペースも落ちてきて、読後感もピンとこない感じでした。登場人物の名前も匿名と実名が入り乱れて分かりにくく、フィクションなのか、ノンフィクションなのかもあいまいで、感情移入しにくい作品に感じましたね。百田尚樹さんといえば、やしきたかじんの若い夫人のことを書いた「殉愛」を出版し、テレビでも特集をしていましたが、その違和感もあり、さらにこの作品が残念であったこともあり、「百田さん、大丈夫か?」という気持ちです。「永遠の0」から、一気に飛ばしてベストセラー作家となりましたが、ちょっと脱輪って感じですね。と、私がとやかくいうことでもないのですが、好きな作家のひとりですので、頑張っていただきたいですね。さて、この作品は、出光興産の創業者である、出光佐三さんをモデルとしたもの。出光といえば、小学生のころ、「出光丸」という、当時世界最大だか、日本最大だかという巨大タンカーの写真にわくわくした思い出があります。この物語の中で、実は、私の気持ちが一気に引いたのは、主人公が最初の奥さんと離婚するくだり。理由は「子供ができないから」で、それを理由に、夫人の方から離婚を申し出てきて、主人公は不本意ながら、夫人の気持ちを汲み取り離婚します。当時はそんな世の中だったのかもしれませんが、如何に素晴らしい人物であっても、それはいかんでしょう、という気持ちでした。本の中でも、この辺は、結構あっさり書かれています。どうも、その辺から読む速度が落ちたような気がしますね。
2014/12/16
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最近は、本も送料無料でネット注文できるし、本屋に行く機会も減りました。アマゾンなどは、勝手に好みまで推測して、いろんな本を勧めてくれますし、それはそれで便利ではありますが、実際に本屋に行ってみると意外に楽しいですね。ついついいろんな本を手に取って見てしまいます。この本もやっぱり、そんな風にして見つけた本です。井沢元彦と言う人は、生粋の歴史専門家ではありません。彼曰く、「歴史学者は一定の限られた部分だけの専門家なので、通史的な視点が欠落している」とのこと。この本は、日本の歴史を日本人の宗教観から見たものです。歴史の流れを理解するには、表面に起こった事象以上に、「精神性」「ものの考え方」を理解することが重要である、ということです。その中で、日本人の宗教観として挙げられているのが、・罪穢れ・禊払い・怨霊信仰・言霊信仰「源氏物語」や「平家物語」も怨霊を慰霊するためのものだという説もとても説得力がありましたし、日本が無謀な戦争に突き進んだ原因が「言霊」信仰にある、という説も納得できます。教科書の記述と対比しながら、とても分かりやすく解説してありますので、歴史の記憶があいまいでも理解しやすい親切な構成になっています。ものの見たかを変えるだけで、いろんなものが見えてくるんだな、ということを実感しました。逆に、頑なに一面からばかり見ていると真実は見えてこない、ということでもありますね。文章も読みやすく、とても理解しやすくかいてあるので、歴史の好きな人にはおすすめです。
2014/11/10
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去年就職し、関東に行ってしまった長男が置いて行った本の中から読んでみた本です。彼の残していった本の中では、伊坂幸太郎が一番多かったですね。本自体は読んだことがありませんでしたが、映画では伊坂幸太郎原作のものを見ています。「重力ピエロ」とか「アヒルと鴨のコインロッカー」とか。ジャンル的は、推理作家というくくりになるんでしょう。人気作家なので、私が説明する必要もないですね。で、最近読んだこの本は、ちょっと毛色が違って、推理ものでも、サスペンスものではありません。小惑星がぶつかってくるので、8年後に人類は滅亡する、ということが公にされ、世の中が混乱し、日本も無法地帯と化していたが、その後5年が経過して、世の中がだんだんと落ち着きを取り戻した時代の物語です。それぞれに背景を抱えた登場人物が、3年後に人類が滅亡するという極限状況の中で、何を考え、どう行動するのか、という短辺の連作です。大げさな感じではなく、淡々とつづられる物語だからこそのリアリティも感じられました。この人の映画もそうですが、なんとなく背景に人へのやさしさが感じられていいですね。自分が登場人物であったら、一体、どうやって過ごすでしょうね?。しばらく、長男の本棚で楽しめそうです。
2014/06/30
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7日土曜日。アルパークシネマに「アナと雪の女王」を見に行きました。会場のほとんどは子供連れで、私たちのようなシニアの夫婦は少なかったかな。まあ、アニメでもあるし、これは仕方ないことですね。アニメとはいえ、映像の迫力というのはやっぱりすごいし、クリエーターの人たちの能力の高さにも驚かされますね。これはアニメと言っていいのだろうか?という感じもします。最近の映画が全体にCGが多用されていますし、こういったアニメのCG化も進んでいるのでしょうから、実写とアニメの境界というのは、これからさらに曖昧になっていくのでしょう。さて、「アナと雪の女王」ですが、歌が社会現象になったりして、記録的な大ヒットのようですが、確かに、面白かったですね。アニメのミュージカルといった趣で、およそおじさんには縁遠い世界だと思いますが、それでもかなり楽しめました。たまにこけたりもしてますが、やっぱり、ディズニーって、すごいね。
2014/06/09
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週末、映画「永遠の0」を見に行きました。小説の方は3年くらい前の東京出張の際に、東京の本屋で買って帰りの新幹線の中で読みました。新幹線の中でも泣けてしまって、顔があげられなかったですね。当時は文庫化されてすぐのころで、すでにかなりのベストセラーでしたが、この本はその後も売れ続け、今では累計発行部数が500万部に超えたとか。それだけ、読んだ人が人に勧めたということなのでしょう。この物語は太平洋戦争末期の特攻隊で死んだ人の話です。すでに50歳を超えた私でさえ、戦争というものの実感がほとんどありませんから、今の若い世代ではなおさらでしょう。日本という国は、敗戦し、占領され、戦争までの日本のありかたを全否定されます。その時点で、戦争以前の過去というのは「否定されるべき過去」「恥ずべき過去」になってしまいました。そのために、現代の社会に生きる日本人は、今の日本の土台を作ってきた人たちの苦労も心の在り方も知しません。日本という国の繁栄は、決して戦後の努力だけで生まれたものではないでしょう。極東の小さな島国が、欧米列強を相手に無謀な戦争を繰り広げたのは、単純に領土的な野心だけであったのか?この物語が日本人の多くに受け入れられた要因の一つは、「物語の連続性」への感動だと思います。今の自分、今の時代が、過去の大きな犠牲の上に成り立っているということ。家族の将来、国の将来のために死んでいった人たちが、今に日本を残してくれたのだということ。現実にそういう過去があって、今につながっているということ。今まで根なし草のようであった自分のアイデンティティに、しっかりとした根の生えたような感覚がこの物語の中にはあります。戦後の時代を生きた父親の世代。戦争の時代を生きた祖父の時代・・・。今はすでに年老いてしまったり、死んでしまったりしている身近な人たちが、しっかりと時代を生き抜いて、今に時代があるということ。そのことに感謝し敬意を払うこと。それが「誇り」というものでしょう。誇りというのは、歴史の連続性の中でこそ生まれてくるものだと思います。考えさせられる小説であり、映画です。
2014/01/23
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食品添加物の元トップセールスマンだった人が著者だけあって、なかなか説得力があります。添加物だけで「とんこつ」スープを作る話から始まって、自宅の食卓に並んだ、ミートボールを嬉しそうに食べようとした娘さんに、「食べるな!」と言った話など、ちょっとしたホラーですね。ミートボールなどの加工度の高いものは、くずの肉片に添加物をいっぱい入れて作るのだそうです。たいていの味は添加物だけで作り出せるそうですし、安い肉や魚でも、添加物を加えると、ぴちぴちのつやつやに変身。いつまでたっても切り口が変色しない、カット野菜とか。早い(手間がかからない)、安い、うまい(気がする)食品というの利便性を享受することは決して悪いことばかりではなく、それによって生まれた時間やお金を有効につかうこともできるわけで、絶対的な悪ではない、と著者はいいます。ただ、だからこそ、その一方で、ちゃんとした食材を選んで、心のこもった料理を作ることの大切さも知らなければなりません。「おふくろの味は添加物の味」なんて、しゃれにならないことが結構現実でもあったりするんですね。添加物に頼りすぎた食生活を続けると、繊細な味覚が失われて、添加物が入っていないと満足できなくなってしまう、という中毒も生まれてくるそうです。とりあえず、パックの裏側をしっかりと確認して買うようにするだけでも、大きな意識付けにはなりますね。この本を読んで、とりあえず裏返して成分表をみるようになりました。そういえば、最近、腐った食品を見ることが少なくなったような気がしませんか?昔のパンはカビも生えたし、腐ることもありました。でも、今のパンって、カビも生えないし、腐らないですね。考えてみれば不思議なことです。本日もご訪問、感謝。
2013/03/27
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この本で、元外務官僚である孫崎さんがいうところの不愉快な現実とは・中国の大国化がすすみ、近い将来、経済力もアメリカと肩を並べ、さらに抜く。・アメリカは日本を守ってくれない。・戦争になったら、日本は絶対中国に勝てない・尖閣諸島は、中国にも、中国のものであるという正当な理由がある。単純に言えば、こんなところでしょうか。このことを大前提として、領土問題に多少目をつぶってでも、相手の都合を配慮し、「戦争」に発展することのないように、近隣諸国と有効な関係を築くことが大切。たとえば、東アジア経済連合みたいなものをつくって、経済的な互恵関係が出来上がれば、決して戦争は起こらない、ということ。EUだとか、ASEANの事例を引きながら、難しくても出来ないことはない、ということはないし、そうしていくことが、日本の国益に合致する、ということらしい。日本が相対的な弱者であるということを、しっかりと知った上で、戦略を立てないと、それはやせ犬の遠吠えでしかない、ということ。もし、中国が攻めてきて、尖閣諸島を占領しても、アメリカ軍が動いて、中国と戦闘を開始することなどありえない。そんな日本の小島のために、中国とことを構えることは、アメリカの国益にはならないからだ。それを日本人はいつまでも、いざというときはアメリカが守ってくれる、という幻想を見ているだけ。だから、日本は、アメリカから離れて、独自にアジア諸国と結びつきを強める必要がある。という理屈です。まあ、そんなに単純な話ではもちろんないのですが・・・。何事も、いろんな意見を聞くことは大事ですね。が、民主党の外交姿勢というのが、どうも、この考え方に近いものたったように思います。孫崎さんのいう、不愉快な現実、というのは、おそらく「現実」なのだろうとは思います。ただ、その現実から導き出される戦略というのは、必ずしも、孫崎さんのいう方向性だけだとも思えません。さて、皆様は、どうお考えになりますか?中国が攻めてきても、アメリカは守ってくれないとしたら?日本の外交というのは、どうあるべきなのでしょうね。難しい問題です。
2013/03/18
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部屋を整理していたら、かばんの中から「そうだったのか日本現代史」が出てきました。池上彰さんの本です。現代史というのは、非常に微妙な歴史です。歴史と言い切るには新しすぎて、ものごとの評価が定まりきっておらず、かといって「今」を知るには不可欠な過去。私は今、51歳ですから、半世紀を越えて生きています。昭和36年生まれですから、終戦後16年。私の幼少期ですら戦争は「過去」となっていました。でも、思えば、まだたったの16年しかたっていなかったんですね。1945・・・終戦。世の中の価値観がひっくり返った年。このとき、日本人は、これまで信じてきたものの多くを「否定」されてしまいます。しかし、逞しいというか、現実的というか、日本人は精神的なものにフタをして、経済発展を遂げました。なにしろ、神道と仏教とキリスト教がごく普通に混在する国ですから、切り替えの早さも圧倒的です。できるだけ周囲との軋轢を避けて、実利を追求してきた、ともいえますね。日本という国は不思議な国です。他の国と比べて、愛国心が強いとは思えませんが、多くの人が日本人でよかったと思っています。日本の将来に不安を感じながらも、それでも外へ出て行こうとは思わないんですね。海外に留学する人が減ったというニュースもありました。「世界幸福度地図」によれば、日本は90位で、中国よりも下。順位の根拠は不明ですが、日本人の最大の不幸は、自分は幸福だということに気づかないことだといえそうです。どうしてそうなってしまったのか、ということも、現代史の大きなテーマだと思います。(本の内容とは一切関係ありません)
2013/03/14
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時々、ブックオフに行って、本を買います。100円の本などは、よさそうだと思うとまとめて買ってしまうのですが、それなりに読む気になれない本も混ざってきます。この本も、実は、1年以上そのままになっていた本です。これまで映画やドラマにもなったようですが、私はまったく内容をしりませんでした。なんとなく、幕末ヒーローもの的なイメージを持っていましたが、読んでみるとまったくの別物。新撰組を題材にした物語ではありますが、近藤勇や土方歳三といった表のヒーローではなくて、地味に生きた吉村貫太郎という人物の話です。物語は、死に際の本人の語りと、それを取り巻く人物の回顧を交互に配置した構成をなっていますが、その時代を生きたそれぞれの思いと、「吉村貫太郎」という人物との関係がだんだんと明らかになっていくにつれ、とっても切ない気持ちにもなってきます。歴史には名前が残らなかったかもしれませんが、本当のヒーローというのは、きっと彼のような人間なのかもしれないですね。私としては、「永遠のゼロ」にも通じるものを感じました。2000年ころの作品で、いまごろ何を?という感じですが、とてもいい本ですね。浅田次郎さんの作品は、これまで何冊か読みましたが、人間への深い愛情と、人生への敬意にあふれていて、気持ちが優しくなれます。
2013/02/22
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百田尚樹さんの本ですが、オオスズメバチのワーカーが主人公という珍しい小説です。「みなしごハッチ」の世界とも近いとも思いますが、スズメバチの生態を可能な限り忠実に描いて、さらに、そこに感情移入できるというのは、百田尚樹さんという作家の力なんでしょうね。ワーカーというのは、ただひたすら女王蜂の生んだ子供たちを育てるために尽くすだけの存在です。ただ、物語は、ものすごくドラマチックにそれを描きだしてくれます。虫を擬人化する過程で、ともすれば押し付けがましくなってしまいやすいと思いますが、あえて感情的にならずに、さらりを書いてあるように感じました。生きとし生けるもの、昆虫も、鳥も、魚も、動物も、すべて己の生を全うすべく精一杯生きてるんだなあ、という気持ちになる本です。弱肉強食、食物連鎖、DNAを残したいという本能・・・。自然界で生きていくというのは、厳しい摂理の中に身をおくということでもあります。なんだか、自分の周りの生き物たちのことが、少しだけ愛おしくなってしまう、そんな小説です。興味のある方は、ぜひどうぞ。※「永遠の0」が映画化されるらしく、再び、書籍のランキングの上位に登場しているようです。累計、すでに150万部くらい売れたとか。どんな映画になるかは知りませんが、小説の方はほんとにお勧めです。
2013/02/13
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ここのところ、中国ともめてます。もめる少し前のことですが、「そうだったのかアメリカ」と「そうだったのか中国」を読みました。ともに、ブックオフで買ったものですので、安上がりです。確かに、アメリカのことも、中国のことも、知っているようであまり知らないですね。特に現代史というのは、学校の授業でも尻切れトンボの犠牲になる部分ですし、断片的な情報が知識をなっているだけです。その意味で、整理して理解してみるにはいい本でした。池上彰さんの本は始めて読みましたが、とても分かりやすいですね。中国のデモの際に問題になる「愛国無罪」という言葉。国を愛するがゆえのあらゆる行動は罪にはならない、という意味ですが、この言葉が生まれたのは1936年。中国の革命期に生まれた言葉です。既存の秩序を護ろうとする勢力に対し、それを打破しようと勢力が掲げたスローガンであったものが、いつしか、反日(=愛国)のためなら、何をしてもいい、という意味に置き換えて使われるようになったといいます。今回のデモは、単純に反日とか、尖閣問題というだけでなく、「格差社会」に対する抗議だという見方もありましたが、「愛国無罪」という言葉は、中国にとっても諸刃の刃なんですね。今後、どうなっていくのか、気になります。アメリカの「銃社会」というのがしばしば問題になりますが、なんで一般人に銃を持たせるのだろう?と日本人なら誰もが思います。武器は「権力」の専有物であって、一般人には持たせない、というのが専制国家においてはあたり前でした。民衆に武器を持たせれば、反乱が起こります。民衆に武器を持つ権利がないということが「階級支配」の象徴でもありました。しかし、自由の国アメリカでは、国の始まりから「専制的なもの」がありません。そのため、「武器を持つ権利」=自由の象徴、階級支配からの解放の象徴でもあるんですね。だからこそ、アメリカ建国の際に、自らの手で自らを守るために「武器」を持つこと、というのは「権利」として憲法で保障されたということです。「銃」の問題というのは、アメリカという国の成り立ちそのものと深く関連したデリケートな問題なんですね。利権も絡んでるようですし、アメリカから「銃」をなくすのは難しいことのようです。本日もご訪問ありがとうございます。
2012/09/21
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著者は、特別養護老人ホームに勤務する、お医者さんです。テレビでも取り上げられていたので、ご存知の方も多いでしょう。人間、60歳を過ぎれば、死に方を考えなさい、ということで、その中で、ガンくらい人間らしい死に方ができるものはないらしい。ガンといえば、末期に大変苦しむという印象がありますが、著者いわく、「治療しなければぜんぜん苦しまない」のだそうです。ガンを宣告されて、死ぬまでには一定の期間がありますので、その間に自分の考えをまとめ、家族に伝えたいこともまとめ、人間らしく死んでいくことができる。末期がんで見つかるのは幸せだとか。特別養護老人ホームで、高齢者の幾多の死を見送ってきた著者の言葉というのは、重みがあります。無理やり胃に穴を開けて直接栄養を入れるようなことをするのは、患者にとっては拷問以外の何者でもない。身体はすでに死にたいといっているのに、家族のエゴや医者の都合で無理やりに生かされてしまう。人間、死期が近くなれば、食べたくなくなるし、空腹で苦しむのではなく、自然に安らかに死ねるのだとか。高齢化社会で、社会福祉にお金がかかるから、若い人からどんどんお金を集めなければならなくなっています。そもそも、元気で老後を暮らすことに意味があるのであって、寝たきりの老人ばかりの高齢化社会ではやりきれない。「死ぬなら、子どもたちに迷惑をかけないように、自分のことができなくなったら、ぽっくり死にたい」というのが大半の人の願いでしょう。自分の「死」のあり方を自分で決めるようにしようというのも、この著者の提言です。生きているうちに棺おけに入ってみて、自分の人生を振り返ってみる、なんて集会もされているようです。医療が発達し、人間が自分の「死期」を自分で選べなくなった現代。自分が望むような死に方をする、というのは、大きなテーマですね。人生の締めくくりですから。まだ、私自身が「死」をそれほど身近に感じることはありませんが、両親も高齢ですし、それは順番にやってくることですから、少なくとも、心の準備はしておかないと、と思った次第です。本日もご訪問ありがとうございます。
2012/08/30
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疲れすぎて眠れぬ夜のために、とは、なんとも思わせぶりなタイトルです。内田樹(うちだたつる)というひとは、思想家であり、武道家でもあるらしい。通勤途中に車の中で聞いていた武田鉄矢のラジオでよく名前が出てきていたので思えていたのだが、何かを本をアマゾンで買うついでに、なんとなく買ってみた本です。内容といえば、一口でいいますと、「肩の荷物を下ろしてみましょうよ」という感じですね。物事の捉え方がとても的確で分かりやすく、説得力もありました。自分らしく生きようとか、オリジナリティを出そうとか、人よりも成功しようとか、自由に生きようとか、価値ある生き方をしようとか、そういう思いそのものがすでに囚われているんですね。これまで長い間を生き抜いてきた、ひとつの生命としての内なる声に、素直に耳を傾けることこそが必要なのでは、と。外からの強い刺激にさらされて、私たちは内なる声とか、身体の声に鈍感になってしまっているのかもしれないですね。本の内容とは、ちょっと違うかもしれませんが、私の感想でした。
2012/06/27
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「50歳を超えても、30代に見える生き方」南雲吉則著どうも私は、アンチエイジングとか、サプリメントとか、そういうわざとらしいことが嫌いで、人間として、自然に生きることが一番大切なはずだという半ば信念化した思いを持っています。薬を最後に飲んだのは、いったいいつだったか、忘れたくらいだし、最後に会社を休んだのは、確か12年以上前の子どもとディズニーランドに行ったとき。疲れるとやっぱり偏頭痛がするときもあるし、風邪らしいものをひくこともありますが、だいたいしっかり寝ると治ります。でも、「わしは病気などしたことがない」と豪語する人の方が意外に早めに亡くなられることも多い。これは、「自分の体は強い」と過信して、不養生や無理を続ける結果なのだと思います。さて、この本は、うちの奥様が買った本ですが、ベストセラーのようですね。20歳若返る、という感じで、タイトルを見ると、そこらへんのアンチエイジング本か、という感じもしますが、読んでみるとぜんぜん違いました。逆に、サプリメントとか、スポーツすることとかは、逆効果だそうです。タイトルに「生き方」とあるように、テクニックではなくて、やっぱり「生き方」についての問題提起でした。内容的には、かなり共感するところも多く、説得力もあります。飽食の時代といわれますが、それも20世紀に入ってからのこと。しかも、ごく一部の先進国だけの話です。それまでずーっと人類は「飢餓」に近い状態であって、それに適応するために体がおのずから進化を遂げてきたんですね。これまで、長い長い年月を生き抜いてきた遺伝子に組み込まれた情報は、100年や200年で簡単に変わるものでありません。私も、学生時代から比べると10キロ以上太りました。この本では、腹六分目を勧めておられますが、きっとそうなんでしょうね。空腹感が生命力を高める、というのもきっと事実でしょう。ストレス社会といわれて、ストレスがすべて悪いような風潮で、なんでもストレスを言い訳にしますが、必ずしもそんなことはないです。ストレスは、人間を成長させる原動力であることは間違いありません。大切なのは、ストレスを克服する「生命力」ですね。だんだんと本の内容は関係なくなってきたところで、これにて失礼いたします。興味のある方は、ぜひどうぞ。
2012/06/19
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昨日の日曜日はバランタイン商戦真っ只中の、広島市中区八丁堀に行ってみました。広島の八丁堀といえば、デパートが軒を並べる、広島の中心街。新天地や流川といった夜の街にも隣接して、とてもにぎやかな場所ではありますが、郊外型の大型商業施設も増えて、デパートの経営事情も厳しいのでしょうね。岡山に本拠を置く天満屋広島店はもうすぐ閉店で、売り尽くしセール中。かつては、デパートの屋上で子供を遊ばせて、昼ごはんは、デパートの大食堂、なんて時代もありました。めったに広島市の中心部に来ることはありませんでしたが、それでも、デパートの屋上の遊園地で遊んだ記憶はあります。さてさて、25回目の結婚記念日の記念に、というわけでもありませんが、「福屋」という地元デパートの8階に数年前オープンした「八丁座」という映画館で、「ALWAYS 三丁目の夕日64」を見ることに。すでに観られた方も多いかもしれませんが、なかなかいい映画でしたね。八丁座という映画館そのものが、アダルトを対象にした落ち着きのある内装、そして、広々としたソファ席なのですが、さすがに、客層としましては、東京オリンピックをはっきりと覚えておられるような年齢の方が多かったように思います。さて、舞台は、1964年の東京。東京オリンピックの年です。私は1961年生まれなので、はっきり言ってまったく記憶がありません。終戦が1945年ですから、それから19年後ですね。焼け野原であった日本が、オリンピックを行うところまで復活してきた勢いのある時代です。前後の「どん底」から始まった復興ですから、誰もが右肩上がりの成長を信じていたんでしょうね。ビルはどんどんと増えていき、電化製品が暮らしを変えていき、輝かしい日本の未来が信じられた、幸せな時代だからこそ、人々は、伸びやかに、ストレートに感情を表現しながら生きていたんですね。物質的な豊かさを極め、これから先、何を目標に進むべきかさえ見失っている現代からすると、うらやましい時代です。「三丁目の夕日」もこれで三作目となりますが、このときに多くの日本人が持っていた「希望」や「夢」が純粋に伝わってきますし、その一方で、時代の「浮かれ気分」で失ったものがあることも教えてくれます。この時代には、古きよき日本人の心を持った人たちが、戦時の鬱屈した気分を解き放って、自分の子供たちによりいい時代を残そうと懸命にがんばった時代でもあります。「戦争なんて繰り返したくない」「子供たちにひもじい思いはさせたくない」「思う存分勉強して、いい学校に行ってほしい」東京オリンピックの時代から、もうすぐ50年。気分は明らかに今のほうが黄昏ですね。この映画の中では、浮かれ気分の時代背景とは別に、今の人たちが忘れかけている「純粋さ」とか「素直さ」を感じさせてくれます。人とは比べられない、物質的な豊かさとは別のベクトルの「幸せ」があることを教えてくれる映画でしたね。夫婦で映画を見に来た人も多かったように思いましたが、二人で暮らしはじめた、若かったあの日のことに、誰もが思いを馳せたものと思います。本日もご訪問、ありがとうございました。
2012/02/13
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本日は本のご紹介。少し前にブックオフで1冊100円で買った本。前編と後編があるので、投資額は200円。日本という国と国民性を理解する上で、このくらい分かりやすい本はないというくらいにいいです。標準的な新書のサイズ2冊に12人のことが書いてあるので、一人分のページ数は読みやすい分量。しかも、単なる伝記ではなく、日本の「現在」との関連に絞って書いてあるので、密度が濃い。今は文庫本も出てるみたいですね。堺屋太一「日本を創った12人」堺屋太一さんといえば、元通産官僚で、大阪万博を企画した人。「団塊の世代」という言葉を作ったのもこの人でしたね。小渕内閣の経済企画庁長官もされました。なんだかしばらく見かけないような気がしていましたが、大阪市長選では橋下市長のブレーンとして活躍されたようで、橋下氏の後ろに映っていたりしてました。橋下氏の活躍というのはとても目立ちますが、ちゃんと老練で見識の深いブレーンがいるということが大きいようにも思います。聖徳太子から始まり、松下幸之助まで、全12人。とても面白いので、ぜひどうぞ。
2012/01/13
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