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2023/12/17
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カテゴリ: 今日の一枚

この写真は、11月に奈良に行った際に撮った、法隆寺です。
法隆寺といえば、聖徳太子の建立した、日本最古の木造建築だと、学校でも習いますね。

法隆寺は、607年に聖徳太子によって建立されたといわれていますが、現在残っている「最古の木造建築」は、その時のものではなくて、670年に焼失したあと、建て直されたものです。
それでも、最古であることは変わらないのですが、伽藍の配置なども変わっていて、聖徳太子が建立した法隆寺とは別物なのかもしれません。

大学時代に梅原猛の「隠された十字架」という本を読みました。
これは、法隆寺は、聖徳太子の怨霊を鎮めるため建てられた鎮魂の寺だ、という内容。
冠位十二階 17条の憲法など、聖徳太子の事績とされるものは多く、歴史上特別な存在ともいえますが、その子孫である山背大兄王は、蘇我氏に一族もろとも滅ぼされました。
蘇我氏は、その前に、物部氏も滅ぼしており、天皇の権威も脅かすほどになったため、それが、中臣鎌足と中大兄皇子によって蘇我氏が打倒され「大化の改新」へ。
1300年以上も前のこととはいえ、結構血なまぐさい話です。

当時は、世の中の禍を怨霊と結びつける傾向にあり、聖徳太子ゆかりの法隆寺が鎮魂のお寺となったという可能性は高いようにも思います。
「鎮魂」といえば聞こえはいいのですが、要は、「怨霊を封じ込める」ということです。

今も「隠された十字架」の中で印象に残っているのは、法隆寺の門は、中央に柱が立っており、これは、出入りを禁じる結界だというもの。

こちら、その中門。
確かに、ご真ん中に太い柱が立っています。

奈良に日本の都がおかれたのは、3世紀頃からとされていますが、はっきりと記録に残っているのは、古事記で、成立したのは、712年。
実は、その日本書紀も、藤原氏の手で編纂されたものなので、本当のところのそれまでの日本の歴史というのは「謎」なんですね。
調べれば調べるほど「謎」だらけの奈良でした。





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Last updated  2023/12/17 07:04:18 AM
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