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2015.08.31
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カテゴリ: 教養書
19世紀から20世紀前半のロシアの革命について書いた本。

●まとめ
18世紀末にヨーロッパの啓蒙主義がロシアに伝わり、ツァーリズムの中で知識人に自由主義思想を持つ人たちが現れ、虐げられた民衆を救うために革命を起こそうとする。アレクサンドル1世が急逝した際の帝位継承の隙をついてクーデターを起こした1825年のデカブリストの乱は失敗して、アレクサンドル1世の弟のニコライ1世の権力を強めることになってしまう。ニコライ1世はプーシキンを手元において飼い殺したり、ドストエフスキーをこらしめるために死刑宣告したりしつつ、ヨーロッパの1848年革命がロシアに波及するのを阻止するものの、1853年のクリミア戦争で敗北したことでロシアがヨーロッパより遅れていることが明らかになり、ニコライ1世の長男アレクサンドル2世によって西欧化政策がとられ、1861年に農奴解放令が出されるものの、政治的支配から経済的支配に変わっただけで実質的な農奴開放にはなっていなかった。農奴解放で自由な労働力ができるとロシアの工業化が進む一方で、農業は近代化が進まずに貧富の差が激しくなり、不満を持った農民が各地で反乱を起こす。
モスクワやペテルブルグの大学では青年たちがドイツ哲学などの西欧思想を学んでいたが、スラブ主義(スラヴャノフィール)と、ベリンスキー、ゲルツェンらの西欧派(ザーパドニク)が対立していた。大学で自由は制限されて集会が禁止されるものの学生運動が起き、政府が鎮圧するものの、70年代にナロードニキと呼ばれる革命家たちが出てきて様々な組織を作って人民(ナロード)の中に入っていき、テログループ、農民啓蒙グループ、都市労働者宣伝グループなどが活動を模索し、1881年にアレクサンドル2世を暗殺する。アレクサンドル3世は貴族を支柱にした専制のみがロシア国民に幸福をもたらすという信念をもっていて、父親がなまじ自由主義ぶったせいで暗殺されたと考えて、自由主義を取り除くロシア化政策をとる。
ナロードニキの革命家が農民の革命をしようとする一方で、プレハーノフらは労働者階級のマルクス主義革命を起こそうとし、1891年にロシア初のメーデーが起きる。マルクス主義の研究も進み、レーニンがマルクス主義者になってプレハーノフに傾倒し、マルトフらと協力して新聞「イスクラ」(火花)を発行する。専制を倒すための革命ではナロードニキの自由主義の党とレーニンらの社会主義の党が対立し、1903年のロシア社会民主労働党の党大会でレーニンとマルトフが対立して、プロレタリア革命を目指すレーニンらの多数派(ボリシェヴィキ)といったんブルジョワと協力して政権をとった後でブルジョワと戦ってプロレタリア革命を目指すマルトフらの少数派(メンシェヴィキ)に二分する。
1905年の血の日曜日事件で非武装労働者の皇宮への平和的請願行動に対して発砲されたことで皇帝信仰はゆらぎ、農民が暴動を起こし、戦艦ポチョムキンでも反乱が起きる。
第一次世界大戦でロシア国内で不満が高まり、ラスプーチンを重用する皇宮への不信感がある中、愛国者のブルジョワたちは戦争を革命の機会ととらえ、1917年の二月革命でペトログラードのデモが反乱に発展してブルジョワ議員たちが臨時革命政府を作り、帝政が崩壊する。スイスに亡命していたレーニンは二月革命を知って帰国して、人民がブルジョワにだまされていると「四月テーゼ」を読み上げ、権力を取るためにアナーキーと協力して武装デモを起こし、十月革命でボリシェヴィキが権力をとる。ドイツのロシア侵攻を止められず、仕方なく1918年にドイツとブレスト=リトフスク条約で講和すると、今度は反ボリシェヴィキ勢力と内戦が起きて、フィンランド、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャンが独立。トロツキーが赤軍総裁となって内戦を制するものの、レーニンが卒中で倒れると、新参のトロツキーと古参のスターリンがレーニンの後継者争いを始め、トロツキーは除名されてスターリン派が実権をとる。
スターリンは1928年から五ヵ年計画で急速な工業化を推し進め、農村の集団農場化を推し進めるために富農を絶滅させる。1928年から文学も自由に書けなくなり、人民へのイデオロギーの指導をしなければならなくなった。スターリンたちは公安委員会を作って大粛清を行い、1934年から4年間に800万人が逮捕されて自白を強要された。トロツキーは無罪になるものの、1940年にメキシコでスパイに暗殺される。

●感想
前半は19世紀の革命、後半は20世紀のレーニンらの革命の話。後半はレーニン中心になり、主要な革命家については詳細に書かれているものの、民衆のための革命だったはずなのに、革命によって民衆の暮らしがどう変わったのかという点が記述不足で物足りない。
382ページで1932年に無理な農業集団化による食糧不足で500-600万人が死んだことに言及しているけれど、説明が不十分。ホロドモールのことを指しているのだろうけれど、単なる農業集団化の失敗として書くのでなく、ゲーペーウーが脅威とみなしたウクライナ民族主義者の計画的虐殺という側面にも言及するべきだろう。20世紀最大級の虐殺のうちのひとつとして議論されている出来事をうわべだけさらっと書いてスルーするのはよくない。
プーシキン、ドストエフスキー、ゴーゴリなどの作家への言及も若干あるのでロシア文学好きな人は興味を持って読めるけれど、あちこちの記述が物足りないのでロシア史を詳しく知ろうとしたら結局は他の本も読まなければならない。人物の写真があり、巻末に索引と略歴と地図がある点はよい。
面白かったのはベリンスキーの批評。「文学も批評もひとしく時代の意識であるが、批評は哲学であり文学は直観であるところがちがう。いまは、文学は批判的であることによってのみ時代の精神をあらわすのである。作家が生活をえがくためにえがくだけで、時代の問いにたいする答えをしないなら作品は死ぬ。人がたのしむことだけでなく知ることを欲するのは現代である。いまの世紀は芸術のための芸術を拒否する。何のために生きるか、何が真実であるかを今日の知性でとらえねばならぬ。それが作品の歴史性だ。」というのは日本の純文学の死に様をも予言しているようだ。ロシアでは投獄覚悟で思想を表明して文学にしろ革命にしろ思想家を輩出して世界史に残る仕事を成し遂げた一方で、現代の日本の作家は言論の自由があるにもかかわらず書くべきこともなく、インテリというほどの知識も思想もなく、時代の問いにたいする答えもないまま、生活をえがくためにえがいた私小説や芸術のための芸術のポストモダン小説を文学ともてはやして、読者たる民衆を無視して内輪で褒め合っているのだった。現代よりも過酷な時代を命がけで生きた人たちというのは成功したにしろ失敗したにしろ魅力的なもので、現代の日本の純文学を読むよりは歴史の本を読むほうが面白いのである。純文学にも革命がおきてくだらない作家を粛清してほしいものだ。

★★★☆☆






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最終更新日  2016.02.11 00:10:14
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