三角猫の巣窟

三角猫の巣窟

PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

サイド自由欄

コメント新着

三角猫@ Re[1]:修正について考える(11/12) 本好きさんへ 本の感想文が減ったのはい…
本好き@ Re:修正について考える(11/12) 最近は、本の感想文が減って、寂しいです…
三角猫 @ Re[1]:進学と就職について考える(09/27) 四角いハムスターさんへ おっしゃる通り…
四角いハムスター@ Re:進学と就職について考える(09/27) ご無沙汰しております。  最近はコメント…
三角猫 @ Re[3]:葬儀について考える(04/29) 四角いハムスターさんへ 伝染病や地震で…
2016.01.22
XML
カテゴリ: 小説
ギャングのツォツィが女に押し付けられた赤ん坊を育てようとしたり、被害者に同情して改悛しはじめてギャングが解散したりする話。

●あらすじ
アパルトヘイト時代の南アフリカで、ツォツィ、ボストン、アープ、ブッチャーはギャンググループで、給料袋を持っていたガンブートを満員電車の中で殺して金を奪い、新入りのボストンは殺人に乗り気でなく品性について考えてツォツィが何歳か尋ねるものの、浮浪少年グループでごみをあさって育ったツォツィは過去を思い出さないようにしていた。ボストンはツォツィに痛みを感じないのかと尋ねてフルボッコされながらも「いつかお前にも、心の痛みを感じられる日が来る」と説教する。逃げたツォツィは訳ありそうな女に靴箱に入った赤ん坊を押し付けられ、家に持って帰って世話をする。ツォツィは町に行って障碍者のシャバララの金を狙うものの見逃してやり、帰ると赤ん坊とミルクに蟻がたかっていたので、ミリアムを脅して世話させることにして、赤ん坊の名前をデイヴィッドだと答えて、ミリアムに赤ん坊をくれと言われてもおれのものだと断る。ツォツィが10歳のときに母親は警察につれていかれ、久しぶりに家に帰ってきた父親は妻がいないのを嘆いて妊娠している犬を蹴り、犬は仔犬を産んで死んでしまい、ツォツィは逃げて浮浪児になったのだった。ブッチャーが消えたとアープはいい、ツォツィはアープとも別れて、ギャングは解散する。ツォツィは血まみれで酒場に転がっていたボストンを見つけて世話してやる。ボストンは昔レイプ未遂の疑いをかけられて大学をやめてからギャングになったのだった。ツォツィはボストンに同情したと言って、シャバララに同情した出来事や自分の過去を話して、どうしてこうなったと聞くと、ボストンは「お前は神様についてきているんだ」と言って部屋を出て行く。ツォツィは教会に行ってアイザイアに神様の話を聞いて気分が軽くなり、ミリアムにはディヴィット・マンドンと自分の名前を名乗るつもりになるものの、まだミリアムを信用していないので赤ん坊を廃棄に隠していたら、廃墟をブルドーザーが壊そうとしているのを見て突っ込んでいって瓦礫に埋もれてごろつきに似合わないきれいな笑みを浮かべて死ぬ。

●感想
三人称。物語の構成としては、三人称で別の登場人物に視点が飛ぶせいで読みにくくなるうえに、主人公であるツォツィについての描写が相対的に足りなくなっている。シャバララ側とツォツィ側から同じ出来事を二回書くあたりは冗長。シャバララがツォツィに見逃してもらった礼として、「美」を思いついて母親は子供を愛するものだと言い出すあたりはプロットありきの展開のようで不自然。ツォツィの改悛をテーマにするならシャバララ側からの描写は削ってよかった。ツォツィに赤ん坊を押し付けて去っていった女の素性も動機も行方も不明で、プロットが雑。
物語の内容としてはツォツィの同情がテーマで、赤ん坊の存在感がほとんどなく、なぜツォツィが赤ん坊を育てることにしたのかというあたりも掘り下げられていない。ツォツィが赤ん坊をほしいなら、セックスして子供を作ろうと考えないあたりも不自然。ブッチャーとアープが酒場で女をつかまえてやっている中で、リーダーのツォツィひとりだけが童貞だとは考えにくいものの、ツォツィの性欲に関する部分は一切かかれていない。性欲の代わりに暴力で発散する異常者だというならまだ理解できるけれど、ツォツィはそうでもないので、セックスについてまるっきり考えていないあたりは人物設定がおかしい。赤ん坊を助けようとして死ぬラストシーンはリアリティがないドラマ展開で、改悛しはじめたツォツィがどうやって犯罪から足を洗って生活するのかというあたりはまったく書かれないまま、赤ん坊を救って死ぬという安易な贖罪と主人公の死で物語を終わらせてしまって、作者は最後にテーマをぶんなげて、これからどうするのかという未来の提示をしないままリアリティから逃げてしまった。結局のところ、主人公であるツォツィの人物像にリアリティがないがゆえに物語全体にリアリティがない薄っぺらいお涙頂戴物になっている。

●小説と映画との比較
アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画版『ツォツィ』と小説版との違いを比べてみると、映画版だとあちこちが誇張されている。
・小説版だとツォツィはナイフを肌身離さず持っていてそれを自信にしているのに、映画版だとナイフでなく拳銃になっていて、ツォツィはやたら拳銃を振り回すアホ男になっている。
・小説版だとボストンのツォツィへの説教が改悛のきっかけとなる意味を持つのに、映画版だとボストンの説教がなくなっていて、小説版でのツォツィが心の痛みを覚えるというテーマは映画版ではなくなってしまっている。
・小説版だと訳ありの女に靴箱に入った臭い赤ん坊を押し付けられて、恥ずかしがりながらコンデンスミルクを買いに行くツォツィのナイーブな面が垣間見えるのに、映画版だと女から盗んだ車に身なりのいい赤ん坊が乗っていて、ミルクを買いに行く場面はなくなっている。赤ん坊の親が金持ちなら身代金を要求すればもうひと稼ぎできるのに、捕まるリスクを犯してまでギャングが何のメリットもない子供を育てるのはリアリティがない。
・小説版では三人称でシャバララの人生を掘り下げていて、ツォツィは膝から下がなくて這っている相手に同情しているけれど、映画版では車椅子に乗っているシャバララに足があってツォツィは歩けると疑って目をつけている。
・小説版ではツォツィの母親は警察に連行されて犬は妊娠していたのに、映画版ではツォツィの母親が病気(エイズ?)で、犬は親父に蹴られるだけで出産はしない。そのぶん映画版では母が子を産むというテーマが削られている。
・小説版ではミリアムの夫は行方不明のサイモンだが、映画版では帰宅途中に暴漢に殺されたZachariasになっている。なんで名前を変える必要があったのか不明。
・小説版ではツォツィは赤ん坊は自分のものだと執着して、赤ん坊をほしがったミリアムに対して殺意さえ持っていたのに、映画版では浮浪児たちに赤ん坊をやると言い出していて、ツォツィが赤ん坊を育てる動機が薄れている。
・小説版ではブッチャーがいなくなってツォツィがアープを拒んでギャングが解散したのに、映画版ではツォツィが車を盗んだ相手の家に強盗に行って被害者を助けて仲間のブッチャーを撃ち殺すというご都合主義的な展開で、ツォツィの改悛をわかりやすくしようとしたのだろうけれど、映画向きの派手なオリジナル展開のせいでリアリティがなくなっている。

リアリティがまったくない映画版よりも小説版のほうが若干ましなものの、プロットが雑でテーマも掘り下げ切れておらず、小説として出来がいいというわけでもない。南アフリカを舞台にしたリアリティのある物語を読みたい人は、この小説を読むくらいならノーベル文学賞をとった南アフリカの作家ナディン・ゴーディマの小説を読んだほうがよい。

★★★☆☆

ツォツィ [ アソル・フガード ]

ツォツィ [ アソル・フガード ] 価格:1,620円(税込、送料込)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.07.06 22:56:33
コメント(0) | コメントを書く
[小説] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: