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ハーバービジネスオンラインの「 “昔なら入れなかったレベルの学生が東大に受かっている”!? 日本人の学力が低下し続ける原因とは 」という記事によると、OECDが実施している15歳の子どもたちを対象にした学習到達度調査のPISAで、2000年の調査では数学的リテラシー1位、科学的リテラシー2位、読解力8位だったのが、2003年には読解力14位にまで落ちて、数学的リテラシーや科学的リテラシーも徐々に順位が落ちているようである。代々木ゼミナールの東大特進クラスなどで現代文小論文を担当する予備校講師の高橋廣敏氏によると東京大学に進学するような上位層でも読解力、記述力は低下していて、特に記述力は格段に下がっているそうな。小説を読めない人が増えているのはゆゆしき問題なので、これについて考えることにした。
・なぜ国語力は低下したのか
上の記事だとスマホとゲームが主な原因で、受験勉強ばかりやって本を読む時間が減ってインプットが減ったことでアウトプットも減っていると言っているけれど、これはその通りだろう。
大学生は読書をする方がいい
という記事で書いたけれど、2015年頃には大学生の53.1%が1日の読書時間がゼロになってスマホで情報収集するようになって大学生の読書離れが問題になっていた。けっこう前のニュースでLINEで若者が文章を書かなくなって「マ?」とかの短文やスタンプで返事を済ませたりしているという記事を見たような記憶がある。ゲームでも初期のオンラインゲームはキーボードを使ってチャットの文章を入力する必要があったけれど、今はヘッドセットでのボイスチャットが標準的なので文章を入力する必要がなくなった。ネット検索もGoogleアシスタントやSiriで音声入力できるようになって、簡単な答えなら文章でなく会話で応答するようになって文章に接する機会が減る。Twitterや2ちゃんねるとかで文章を読み書きする機会があっても短文が主なので、前後の文脈を理解したり論理的に章立てして文章を読み書きする訓練にはならない。新聞や雑誌の発行部数も年々減っているので、子供が親が読んでいる新聞や雑誌に興味をもつことも少なくなっているのだろう。書斎があれば本棚の本を家族で共有できるけれど、パソコンやスマホとかのパーソナルな端末だと家族がどんな本を読んだりサイトを見たりしているのかわからない。というわけでITの発達が国語力にも影響していると考えられる。
しかし日本だけでなくて他の国でも子供はスマホを持っているだろうに、日本の学力の順位がじりじり落ちているのはなんでなのかと考えると、外国はパソコンを使ったICT教育が進んでいるのに対して、日本だとようやく小中学校へのタブレットやクロームブックの導入が始まった程度で家庭でスマホが主に遊びに使われていて教育のために活用されていないのが国語力低下の原因かもしれない。それに他の国は経済成長して富裕層が増えて子供の教育に力を入れるようになった一方で、日本は経済停滞して子供を教育するどころか子供を産まなくなって少子化で競争が減りつつあって、親が子供の教育にかける時間や金の余力の差が出ているのかもしれない。中国系アメリカ人の教授が子供にスパルタ教育をした顛末を書いた『タイガーマザー』という本だと中国人は子供を親の所有物のように扱うので容赦なくテレビとゲームを禁止したそうだけれど、日本の親は子供に嫌われたくないのでゲームを禁止できないのかもしれない。
・なぜ国語力は必要なのか
国語はしばしば作者の気持ちなんて知っても役に立たないと揶揄されるけれど、例えばアメリカ大統領の就任演説のときの大統領の気持ちを答えよという設問なら、日本の政治家がそれを読み解けなければアメリカとの交渉が不利になる。あるいは「お前には娘はやらん」と因縁をつける彼女の父親の気持ちを答えよという設問なら、それを読み解けなければ結婚できなくなる。こう考えると限られた情報の中から相手の気持ちや論拠を知る力はあらゆる場面で重要である。古代ローマのリベラルアーツで自由七科のうちで文法学、修辞学、論理学と三つも言語に関する学問だったように、人が持つ必要がある技芸として言葉を読み書きする能力は必須である。人間は言語と文字を持ったからこそ意思疎通して知識を蓄積して高度に社会を発展させることができたし、高い地位にいる人ほど情報を発信する必要があるので、資料を正確に読み解いて情報をインプットして思考をまとめて論理的に主張する能力が必要になる。この能力は文系学問だけが必要とするわけではなくて、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻教授の須藤靖は 2017年の学術俯瞰講義
で語学力・文章力・表現力が低い人は理系研究者に向いていなくて議論したり論文を書いたりするのに重要なのだということを言っている。
母語は思考の基礎になるので、母語の読解力が低い人は外国語の習得もしにくくなる。教育熱心な親は子供をバイリンガルにしようとして子供の頃から英語教育をするけれど、母語の発達が不十分だとバイリンガルでなくてセミリンガル(別名ダブル・リミテッド)になって日常会話はできても抽象的な内容を伝達したり理解したりできなくなって教育に失敗するパターンがある。
日本語は主に日本人だけが使っていて人口でいえば英語やスペイン語と比べてマイナーな言語なので、日本語の読解力が低い日本人が外国語を覚えて外国で活躍するとは考えにくい。日本語の読解力が低下すると日本語で書かれた文献の資産が十分に活かせなくなってインプット量が少なくなって、相手の言うことも十分に理解できなくなってコミュニケーションが不十分になって、なんやかやで国力が落ちることになる。上の記事で東大生のレベルが落ちて幼稚になっていることを問題視しているように、エリートのレベルが落ちることで長期的に見て日本の大学や企業の研究力も落ちていくと思われる。今までの学校の授業だと語学が重要視されていてたいていの大学だと英語の他に第二外国語も履修する必要があるけれど、今後は定型表現程度の翻訳はAIの自動翻訳があれば足りるので、マルチリンガルになることに労力を割くよりも特定の言語で深く考える力のほうが重要になる。
若者が読書離れして国語力が年々落ちても社会で国語力が必要でなくなることはないし、舌禍事件でポストをなくす政治家やSNSが炎上するインフルエンサーがいるように一度言った言葉は訂正しにくくて信用が落ちやすいので、エリートになるつもりの人ほど国語力を鍛えないといけない。
・なぜ文系学問の教養が必要なのか
国語なんてたいていの人が話せるしスマホで漢字の変換ができるんだから受験で現代文を勉強しなくていいじゃんと言う人もいるけれど、国語力が低下して小論文を読み書きする能力が落ちると文系学問の研究も衰退することになる。
文系学問というのは人間の心理や文化や歴史や社会について理解するための学問で、日本のビジネス界では文系は実学でないから金儲けの役に立たないとみなされてうけが悪い。しかしビジネスの目的はなにかと考えると、単に物やサービスを作って売ることではなくて生活を便利で豊かにして幸福にすることで、物やサービスを作って売るのは幸福になるための手段の一つにすぎない。手段だけ考えて、我々がどんな歴史の上に文化を築いてこれからどんな社会を目指すのかという目的を忘れては意味がない。人間は感情や思想に基づいて行動するがゆえに利益や理論だけでは人を動かせない場合がしばしばあるので、社長や政治家のように立場が偉くなるほど相手の信用を得るために文系の教養が必要になる。特に宗教や人種や歴史の理解がないと相手の信用は得られない。
日本は2018年のOECDの名目GDPに対する輸出額の割合が18%で内需に依存しているので、グローバルなビジネスでの文系学問の必要性を理解しにくいのかもしれない。文系学問軽視が日本の外交下手につながって、日本企業はもっと輸出できるポテンシャルがあるのに外国でシェアが取れなくて、輸出依存度が低いから外国の歴史や文化を理解しようとしないという悪循環になる。鯖江市が中国企業にレッサーパンダと引き換えに無償で眼鏡作りのノウハウを教えてそのままシェアを奪われて産業が衰退したり、日本のメーカーが中国進出に失敗するのは取引相手の文化を理解していないからで、組織のトップに文系学問の教養がないと被害が甚大になる。
ライフネット生命の創業者で立命館アジア太平洋大学学長の出口治明氏がビジネスパーソンが歴史を学ぶべきだと啓蒙しているけれど、文系の教養の必要性を理解している人は経済界では主流派ではない。それゆえに子供の国語力が低下していることも世間ではあまり重大なこととして受け取られていないのかもしれない。大前研一が週刊ポストの記事で「 文系知識の価値は5円
」と言うのが典型的で、文系を極端に軽視してはばからない人が経済界にいる。5円の根拠は文系の知識はスマホですぐ検索できるからだそうだけれど、そのスマホで検索すると出てくる文系の知識は文系学者が日々研究してアップデートしていると気づいていないあたりは浅慮である。
・文芸創作が果たす役割
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