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昨日の新聞の記事に私はど肝を抜かれた日米3000本安打のイチローが その秘訣をインタビューされて聞かれた時に「僕が僕らしくあり続けた結果です」「今は通過点です」自分が自分らしくあり続けるって すごいパワーが居る。私は生きにくいと感じることがいっぱいある。それは自分が作っている環境です。周りの環境を周りの人を変えることは出来ません。自分が自分のままで居るってどれだけの精神力にエネルギーがかかるか・・・・イチローさんが奥様との会話の話をされた時のことをテレビでみた。奥様の話を目をみて聞くようにしていると・・・すごいなって思う。人の話を人の目をしっかり見て聞くって すごいと思う。ましてや 身内。甘えが出るのに 相手を尊重している。私が私のままでいる努力できているのかな?私は自分がまだまだ確立できてないなあ・・・このブログのサブジェクトのように そのままで現実をみていきたい。色眼鏡なしで 自分の価値観で 流されずに。。。今日 認知症の両親の介護と私の結婚式の相談で姉が家の近くまでわざわざ来てくれた。姉は実家に私たち夫婦が住むことを薦める。姉の厚意だと思う。「その方が得や」と何回も言われた。私は 自分の健康を取り戻したいし その「得」よりそれまで 一緒に住む苦労をしていく気持ちになれない。それが私の気持ち。母ひとりならひきとれる。両親共々 子ども虐待をしてきましたが 認知症重度の母をほっとけない。父は暴力的だし 警察も助けてくれないし 先を思うと絶望する。私はそれが精一杯だ。限界だ。一緒に住むこと 夫も考えてくれて家を建てる為に3社の会社に見積もりもしてもらった。今は夫は 出来ない気持ちになっている。見積書を捨ててと私に言った。その時に 夫にもうその気がないことを察した。私のままであり続ける勇気を イチローからもらった。
July 31, 2008
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朝 3時半に目が開きました当然横で寝ておるはずの夫が居ない飛び起きて リビングへ椅子に座ったまま寝ていました。疲れていたのね・・・帰りが12時半だった夫を待たずに私は体調が悪いので寝ていたのです。二度寝を試みたけど 頭痛がひどくて寝れない起きてベランダに出ると涼しい写真を撮りました。下記のような感じです。綺麗だった夏の朝ってこんなに涼しいんだしかし 頭痛はおさまらない。家事だ家事だ!家事やっちゃおう せっかく早起きしたんだから新妻は夫の寝ている寝室に忍び込み・・・ベッドカバーに枕カバー・タオルケットをはずし 洗濯しました。しかし まだまだ 頭痛はおそってくるだんだん がに。。。6時半に眠い目をこすりながら起きてきて 朝風呂に入り朝ごはんを食べている夫に「ちゃんと寝室で寝てなあれから寝られへんかったやん 具合悪いのに」と言ってしまいました夫よごめんなさい。遅くまで仕事をしてくれてるのに。昨日は頭痛解消の為にでオイルマッサージへ行く。「サラさん 体がこわばってるよ」と言われた。ほぐしてもらったが まだ固まりが残ってる感がして 来週も予約をとった。のかかる嫁や・・・昼からはの予約診察だった。先生に社会復帰のためには生活リズムが整うこと生活に支障(身体症状)がないこと勤労意欲がわくことを7月2日の診察の時に言われたので私は 「先生 一回も寝込みませんでした。今は頭痛に胃痛に辛いです」先生は 「そんなにきっちりしなくてもいいですよ。しんどかったら寝てもいいですよ」それを思い出して 今朝は夫を送り出して 薬を飲み朝寝をしてダラダラとしています。私って 真ん中がないのかなあ いい加減がわからないなあ夫は優しく「俺が仕事してる時に寝といてくれ~」と言ってくれたのに。寝込むと罪悪感があったり 意地をはって がんばったり。社会復帰は遠いかもなあ。。。頭痛さんに顔のぶつぶつさんに今日も悩まされる。朝日を思い出して に感謝して 優しいに感謝して穏やかにすごしたい。頭痛さん 私のまわりをうろうろせんといて!
July 31, 2008
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今日はブログ仲間の日記に触発されて 私の高校時代の闘病生活について書きます。私は高校3年の時に突然に倒れて 救急車で運ばれました。その日のことは 今も忘れられません。父は私が死ぬと思い泣いていて 母は気丈でしたが 119に電話をかけて「近所の皆様に申し訳ないので サイレンをならさないで来て欲しい」と頼んでいました。私は息が苦しくて苦しんでいたのですが その母のささやくような電話の声に傷ついていました。診断は「過換気性症候群」(過呼吸)でした。他に慢性盲腸と腎炎などの内科的な病気も併発していました。それから 私の闘病生活は始まりました。廃人のような私でした。食べれない・眠れない・起きてられない・電話がとれない・電車に乗れない。母は「タクシーでも 学校に行きなさい」と言ってましたが 病状は理解してくれて寝込んでいる私は 学校を休むことが許されました。それでも 少しよくなると 学校に行きましたが 授業中しんどくなり友だちが先生に言ってくれて 保健室に連れていってもらえました。優しい保健室の先生は対応して下さり 家に電話をかけてくれました。タクシーで帰宅すると 母がタクシー代を払ってくれました。その時のしんどい身体症状のひとつに「手のしびれ」がありました。自分の手でないような 違和感があり 起きていられませんでした。私はやっとのことで 母に助けを求めました。すると母は手をさすってくれました。嬉しかった。気持ちが和らぎいっとき眠れました。しかし 精神科の児童専門医は 母の苦情(私に構っていたら家事が出来ない)から私に「お母さんに甘えていてはいけない」と指示しました。今から考えると 私はまた地獄に突き落とされた気持ちになっていました。それを感じたのは 回復してからです。「スキンシップ」は大事です。そのドクターの指示は間違っています。何年も前のことなので医学も進歩してなかったのかもしれないのですが私は小さい時から母が自営で忙しく 構ってもらえず スキンシップもなく育ったのでその高校時代にそれを取り戻す為に 神様が私を過呼吸にしてくれたと感じます。そのチャンスは逃してしまい 私は学校に行ける日はともかく 笑っている友だちのそばにいき 一生懸命 笑いました病院から処方された薬は効きませんでしたがは私を救ってくれました。友だちも10キロ痩せて後ろからみたら誰かわかれへんなあと言いながらも私を受け入れてくれた・・学校のどのグループの人も。感謝している。とスキンシップはを救うのです。
July 30, 2008
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周りの方に支えられ 体調がすごくよくなって7月からは一回も寝込んでいない。夫との大喧嘩した日から 体調が 頭痛がねとねとと脳にこびりついている感じ。自分を許して薬に頼ってはみたけど寝込まないで 生活リズムを整えて 社会復帰を目指すそれは 今は危うくなってきている。胃痛に頭痛に痛みで苦しい 上体の左半分が痛む 気分が悪い 吐き気もするその身体症状を受け止めたいけど もうしんどい。どっかに行ってくれ~つきまとわないで~頭痛さん昨日のは怖がりの私の体を緊張させた。今日も午後から 雷らしい~想像しただけで 避難したくなる。今日は自分を許して 寝込むことにしようか・・・気持ちが葛藤している。涙がでそうだ。
July 29, 2008
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しあわせというのは、心がしあわせに向かったと同時にやってくる。そして、しあわせのほうへ向かって歩きながらしあわせになるものなの。 「斉藤一人 15分間 ハッピーラッキー」舛岡はなえ著より(私のお友だち かすみさんのブログより http://plaza.rakuten.co.jp/kasumim/)昨日の私はまいっていた。しんどくて 朝からプチ家出 頭痛さんもついてこられた。プチ家出の行き先は フィットネスクラブ。気持ちがふつふつとしていた私は 気が緩めば涙が出るといった感じだった。いつもなら1時間かけて自分の心や体に合わせてするストレッチもままならずお風呂に入って 大きなためいきをつく。ダンスのプログラムに入った時は 頭痛さんは傍観しているようで痛みは感じない。ダンスが終わると すぐに頭痛さんがやってきた。ショック食材の買い物をして夕方家に戻ると 夫が焼きそばを作って待ってくれていた嬉しかったがあたたまった。私が780円の特価のを焼き 豚汁をあたため恩師からの頂き物の高級な上品な味の生ハムを食べた。愛がいっぱいだ頭痛さんはそんな私に優しくしてくれて 眠りに誘ってくれた。夫がベッドまで運んでくれた。2時間くらい熟睡し 頭痛さんはどこかに散歩にでもいったみたいだった夜は鎮痛剤(ロキソニン)を飲んでしまった。まあ 仕方ない。頭痛さんも寝てくれて 私も眠れた。夫との時間は安心出来る。愛がいっぱいの皆様のコメントプログを読んでくれているお友達からの ありがたいですm(._.)m お陰様で夫の優しさを再確認出来ました。ひとりで頭痛さんと一緒に居る時は 悲観的に悲観的になっていく自分だとわかりました。痛みは辛いです。頭痛さんはきっと私に何かをおしえに来てくれているのでしょう。
July 28, 2008
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結婚式の衣装合わせの2回目に行って来ました。衣装の係りの人には自分の病気を話しているので配慮をして頂き感謝しています私がで席をはずしている時に係りの人が夫に私の病気のことや私にどう対応していいのかを聞いたそうです。そんなこと 聞きたくなかった。夫の説明がだったからです。夫の私の病気に対しての理解私が私の病気に対しての理解違っていて仕方ないけれど 心が寂しくなりました。心と体がきゅんと縮まっています。最近 病状が悪化しているので 自分でもふがいないです。結婚式に来て下さるお世話になった方々これからお世話になる夫の親族の方々に失礼のないように 楽しんでもらうようにと思うと気が上がってくる私です。今日は好きなこと ダンスやヨガをしてすごし いい汗を流して深く呼吸したいです。
July 27, 2008
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私の心の大きさあの日の心は米粒くらいで鉄のように硬かったそれで心いっぱいになってそんな自分が許せなくなる。他責と自責の繰り返し苦しい感情を作っているのも自分なのに。今ならわかる。悪夢をみた。夢は今の自分をおしえてくれる。だいぶまいってる。心も悲鳴をあげてる。ひとやすみ ひとやすみ~私の心大きくなあれ~そんなにがんばらなくてもええんやよ。自分に優しく 人にも優しく
July 26, 2008
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口に出して言いたくないことを みんな私は言ってしまった。「式の日も夫の家の希望を聞いて決めている。うちの両親がいつ死ぬかわからないのに それまで 生きてなかったら・・・・」「上司を式に招待するとか しないとかで 私を振り回さないで」「主賓は誰にするの?結婚式のコンセプトは?」「病気の私の両親は タクシーで1時間以上もかけて 夫の母のお気に入りの式場に行くねんで。 その大変さ わかる?」「もう結婚式はしたくない」「おばあちゃん おばあちゃん 助けて おばあちゃんのところにいきたい」他もいっぱい涙でぐちゃぐちゃになって言った。自分では言いたくないことばかりだった。私は妻として出来るだけ夫の気持ちを大事にしたかった。私は再婚だし 夫は初婚 夫のしたいようにと 動いてきた。限界だった。言いたくないことを言ってしまって 自己嫌悪を感じて吐き気がして 息が苦しくなり 倒れてしまった。夫が病院へ連れて行こうとしたが 薬でなんとか おさまって眠れた。朝は4時に目が覚めた。私はまた 自分で 病気を悪化させてしまった。年老いたおかあちゃん おとうちゃん 私の花嫁姿みてな。それまで 生きていてな。私の花嫁姿みて ちょっとでも元気になってな。
July 25, 2008
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結婚式は秋 わくわく どきどき こわごわ ずきずき どっしり私ら夫婦は40代 それでも 私の友だちは「花嫁が主役なんだからサラのやりたいようにしたらいいよ~」と言ってくれる。ありがたいこうしたいなって思いが浮かぶたび 相手のお母さんの目が気になって 止める来て頂くお客様にも失礼のないようにしていきたい思いもいっぱい。私はついつい 「この人なら大丈夫!」という人に結婚式の衣装合わせの時の写真をみせて をもらいたいねん。しかし そうそう問屋は卸しまへん。「コスプレかいな」 「仮装大会やなあ~」「顔がついていってないなあ」と言われるし確かに 自分でマーメードのウエディングを着てる姿をみて「クラブのママのようや」とつぶやいてしまうねん。その時は 写真を見てる人と一緒に がははと笑っていても後でまた 不安がやってくる。昨晩はお友だちに愚痴を聞いてもらい眠れたが・・・2時半に寝て5時に目が覚めた。頭痛が酷い。些細な事で傷つくのは 年のせい?ひがみ?心の病?人のせいにしている弱い自分なの?若い時はこんなことで悩まなかったのになあ~夫は会社のことで傷心中で本音は式に上司を呼びたくないと出かける前に言った式に出席して頂く方の名簿を作らないといけないのにまだ来賓は決まらず・・・ 夫の気持ち 夫のお母さんの気持ち お客様のお気持ち みんな考えると頭がぐるぐる 目がまわる。ふらふら~どうなってるのか私の心は迷路や。
July 24, 2008
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私は今日もラテンダンスを踊っていた。充実感にあふれている。いい汗をかいた。思えば私は中学時代から 姉の「運動神経がよくなるバスケ部に入り!」という一言でバスケットをやってきた。私の通っていた中学のバスケ部は全国大会3位の実績をもつクラブだった。今思えば苦しい練習だけが思い出される。戦歴はなし。お正月の3日からの練習。朝練(朝6時からの練習)に昼練(昼休みに練習する)もあった。クラブの部員は最初は50人くらい居たが厳しい練習で7人になった。テレビをみる時間もなく 歌謡曲も知らないのでバスケ部だけで会話していたのを覚えている。高校時代もなぜか 姉の言葉通り バスケ部に入部。テニスがしたい気持ちもあったのだが 姉を大好きだったから入ったと今は思う。OLになって 姉が20歳で嫁に行ったので 自分のしたいことをしだした。テニスだった。オープンの試合にも泊りがけで行くほど テニスが3度の飯より好きだった。試合前の緊張した晩も好きだった。試合であがったことは一度もない。勝負の世界なので 相手の苦手をみつけてとことん そこを狙わないと負けてしまう。試合に負けて 対戦相手と握手して そのままトイレに走って号泣したことも何度もある。それでも 私は練習好きだった。稽古は手を抜かない。まっしぐらだった。テニスには戦歴がある。劇団に居たこともあった。劇は好きだった。即興劇だったので 音楽もしたしアクターにもなった。各国の人と英語で話せて楽しかった。その時も頭のどこかで 「評価」が気になっていた。劇団はなくなり テニスも今はドクターストップがかかっている。今はラテンダンスをしている。誰と競うこともなく 楽しくステップを踏んで一生懸命練習する。私はもう人と競いあうことをやめたいと心の底で感じていて今の結果があると感じる。私は踊っていたら 幸せ。楽しい。今までそんな気持ちで 物事に取り組んだことはなかった。「勝たないといけない」「お客様がたくさん入ってもらえる劇をしないと」そういう気持ちが前面に出て 物事に取り組んでいたから ある意味純粋ではなかった。今は純粋にダンスをしていたい。幸せだから
July 22, 2008
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友だちが「助けて」と私に言ってくれた。不器用で頭の回転もよくない私は 必死やった。助けてもらうことばっかりで 助けられない自分がはがゆかった。助けられると思ってること自体 私は高飛車なのかもしれないな。今まで自分が病気になったりで 迷惑やお世話してもらった人の役にたちたい。友だちのお父様が亡くなられた。先日ブログに書いた遠方の友だちだ。高校時代の友だち3人で某ホテルで会った。友だちは癌と闘って苦労ばかりしている。友だちは自分の病気もあるのに 私の心配をいつも二人共してくれてこのブログも読んでくれている。愛を注いでもらってばかりの自分がはがゆかった。精一杯 友だちのことを感じて 動いていきたい。実家に母の誕生日のお祝いを渡しに行った。母の大好きな花にデイケアに来ていく洋服をプレゼントした。そこに親戚の人が来ていた。その人を 今も許せない心が心の底にねばついている。私は頭が真っ白になっていたが 精一杯 母に話をして 母の体をなでてエネルギーを送った。父が言った。「母が弱ってるから サラ夫婦に此処で一緒に住んで欲しい」と。私は自分の心が冷めているのを感じた。今日はそう言っていても 明日は「殺す」と言われるかもしれないという恐怖感がある。両親の介護のことは 頭から離れたことはない。介護したい気持ちもあるが 恐怖心があるのも事実だ。
July 22, 2008
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私は病で倒れて もう2年近くになる。頭痛がひどくて 殆ど寝込んでいた。あの頃頭痛と吐き気で嘔吐して 苦しんでいたあの頃身内の揉め事を受容できずに ベランダから飛び降りようとしてベランダで倒れたあの頃気力が全くわかず そういう自分を責め続けたあの頃突然歩けなくなって救急病院に夫に2回も連れていったもらったっけ・・・いろいろあったけど 病状はお陰様で落ち着いてきた。寝込むことが少なくなったし プチ家出もそういえばしなくなった。此処の家が私の居場所とやっと思えるようになってきた。心の病を通して出会った友だちの存在は大きい。自分がどれだけ心の病のこと 自分の真実を隠してきたかそして 心の病のせい 生育暦のせいにして 逃避していたことも感じられるようになった。心の病にかかるひとは エネルギーが高く 心が優しい。ダンスを再びしようと思えた。ラテンダンスをしていると集中出来て嫌なこととか 邪念とかはみんなふっとぶ。次はどのステップか常に脳と体を動かしていないといけない。ダンスは楽しい 好きって思えることが宝や。昨日 鏡の前でラテンダンスの稽古をしていて気がついた。私って自分の姿を鏡でみているけれど自分の目をみていない。自分の目をみるのが 恥ずかしいような怖いような・・・私は人の目をみるのが苦手で いっときは人の目が怖くて外出できないこともあった。自分をみることは不可能。鏡と言う媒介を通してしかみれない。その鏡というクッションがあるのに 私は自分の目をみることがなかなかできない。これから ダンスの時は 自分の目もよくみて稽古していきたい。何かが変わるような気がする。
July 21, 2008
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夫が傷心している。一緒に居ると感じる。食欲がない目が違う睡眠も浅い表情が寂しいそれに対してどう対応していいのか あたふたしている。そっとしておいてあげたいんだけど自分が出てしまって 会社やめる?と言いたくなる。夫が辛い思いをしてるのをみてられない。一緒に居てることで何か力になればと思う。私はと言えば 最近よくなっていた頭痛がやってきた。「痛い」ということは 体が緊張しているのかもしれない。薬を減薬しているんだが そのせいか?まあ 痛い時は 痛い痛いとすごしたらええ。私の痛みは 夫の心の痛みかもしれない。頭痛と共にすごそう。頭痛さん お手柔らかに。
July 20, 2008
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夫から珍しく仕事中なのにメールが来た。「サラちゃんへ 上司を許せない気持ちがあるので 式に参加して欲しいと今日は言えそうにない」といった内容だった。最後に「ごめんな」と書いてあった。私は通院中で病院の待合いでそのメールを読んだが夫の心の危機を感じてとっさに「上司を許せない自分の気持ちを大事にして。 私はいつもさんの味方」とメールを出した。夫はいつも私を守ってくれてる。私に何が出来るんだろうか?あたふたして うろたえている。
July 18, 2008
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希望あばたの病気は 一生治らない何歳までしか 生きられない などど絶望させる言葉を与える医師がいる権威を持っているだけに その言葉は重いそれを聞いた人は その生涯を不安と恐れを抱いて生きそして 絶望の中でもがくそんな打ちひしがれた人に 私は言うその医師たちは 人が変化することを知らないのだ今のあなたは あの診察時のあなたではないあなたの本当の診察ができるのはあなたと共に生きているあなたの中にいる医師だけなのだ と 矢上 裕 著
July 18, 2008
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朝から式の席順なり 音楽なりを考えていた親族間で未解決な問題があり 考えるだけで 涙が出てくる衣装のチーフさんが おとつい「お休みを頂いているので 衣装合わせの日の確認の電話を水曜日に入れます 時間はいつがよろしいですか?」私は 「お昼からでお願いします」と答え家に居た。でもかかってこず式場の専属スタッフさんもおとつい 電話をかけたが 繋がらず昨日かけたら 「お休みを頂いております」だった。衣装のチーフさんからは 今日電話があり 昨日 非通知で私の携帯にかけたらしい。着暦は残っていないが あえて言わなかった。私はずっと待っていた。非通知の個人的な電話 皆様でますか?私は出ません。怖いから。スタッフさんも 衣装のチーフさんも時間にいい加減で なかなか気持ちを分かり合えず私は 怒った 涙が出たそれで 式場に電話して連絡はメールでお願いしますと 伝えて切った。それから 友だちに電話で話してもらい私が「心の病」なので 些細なことでも傷つくので 担当者を代えようかと一緒に考えてもらって 思えた。ひとりでは何も出来ないけど ありがとう。それで 支配人さんにアポイントをとって 夫の都合に合わせて顔をみて お願いしようと思う。人的環境も大事だから。エネルギーのすきとおったひとに お世話をしてもらいたい。私も当然 衣装 宴会のスタッフさんと同様20代なら 気がつかず 同じような失敗をしたと思う。でも 年齢じゃないんやな。また これが。自分が楽になるように しんどくならんようにしたいきたい。まさに谷に居てるけど 周りの山を眺めていたい。ただ。
July 17, 2008
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私って中学・高校時代と 根性 根性 ど根性で バスケットの稽古をしていた。今の時代って そんな「根性論」は流行らないのだろうな今のプロの選手でも「まずは楽しむことです」という言葉をインタビューでよく聞く。私はいつも根性でがんばってきて 練習がきつかったしんどかった思いしか残ってない。親の期待姉の指示人にどうおもわれるかを重要にしていて自分がなかった。自分で選んでやってきてなかったように感じる。そういう私はなかなか「NO」が言えないねん。愛する夫にさえも ついつい過保護にしちゃいます。昨晩 思い切って こういうことは嫌だと 話してみました。自分自身 言えたことに びっくりしてるそしてそれを聞いてた夫は なんなく 受け入れてくれた。心が広い私はちょっと図にのって 披露宴の私の考えを聞いてもらった。私は客として披露宴にお招きされた時に 同じテーブルの人や隣のテーブルの人が誰かわからなく 自分で自己紹介して話をしたりしていた。私たちがお招きしたお客様が 同じ時間をすごしてくださるのなら私たちが お客様を紹介するってのは どうかな?と夫に提案した。夫は いいよって言ってくれた 自分で喋るのは苦手なんで司会の人に言ってもらいたいけど サラが自分で紹介するなら 俺もするわって言ってた。常識知らずの私なんで 式場のスタッフに相談して決めたいと思う。個人情報なんで嫌だっていうお客様がいられるかもしれないけれどスピーチしてくださる方は身元がわれるわけであって・・・・ひとりひとり 例えば「高校時代の友だちの○○さんです」とか紹介したいな。結婚式に行って こんなこと困ったとか こんなことが感動したとかあったらまた意見 聞かせて下さいね。
July 17, 2008
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昨日 嬉しいが来ました。北海道の友だちが お父さんの具合いが悪いので お見舞いに里に来てるので「夕方会わない?」と メールがありました。とてもとても 嬉しかった彼女は癌になり全摘出の手術を受けて 抗がん剤治療も終わった。彼女とは彼女の今晩泊まるホテルのロビーで待ち合わせをした。ちょっとどきどきした。髪の毛は大丈夫だろうか?抗がん剤で顔つきがかわることもあると 彼女から聞いていたので 不安だった。彼女と会うと いつものべっぴんさんでおしゃれな彼女だった彼女と一緒に 食事に行った。話がつきないねん~いくら話しても話題がいっぱいで 幸せな時間やった。彼女は「サラ 元気になってる!顔つきも話し方も前と変わってる」と言ってくれた。嬉しかった。私は病気になってから 友だちつきあいも少なくなっていた。彼女とは遠距離友だちとして メールや電話で話していた。彼女のお父様も認知症で 家族がその認知症に気がつかないときに 多額な借金をしてしまったらしい。。。彼女のお母さんは彼女が学生の時 突然死されて 彼女は悲しい思いをいっぱいしている。夫婦間の関係に悩み 彼女は「私は気持ちを出せないままだったから 癌になった」と言う。そのお父さんをお見舞いに病院へ行った彼女。お父さんは一時期は暴れて 点滴など抜いていたが 病院が鎮静剤などの薬の投与がありお父さんは うつになって 歩けないし 顔の表情も筋肉が弱って出せない。彼女が「来週また来るよ。」とお父様に声をかけると 顔の表情が出せないお父様の目から一筋の涙が 流れたと聞いた。私は 感動した。私も父との関係はよくないし 憎んでいるし 愛してもいる。いつか 彼女みたいに親子で心の会話が出来たらなあって感じた。一生出来なくても仕方ないと 自分に言い聞かせているがふつふつと そんな感情が湧いてくる自分もある。彼女と食事の帰り道 並んで歩いて「生きててよかったなあ お互いに こうやってまた会えたもんなあ 生きるってええことやなあ 病気がおしえてくれたこといっぱいあるな」そんな話が自然と出来た。生きるってええことやな。 パキラから新しい葉っぱが伸びています。
July 16, 2008
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結婚式で着る衣装はウエディングに色内掛けは決まった。間に自分の着物を着たい気持ちもある。次女の姉が買った振袖 両親が買ってくれて帯をつけて式に出たい気持ちがあります。しかし おばさんが振袖着るのかい?都はるみじゃあるまいし思い入れのある振袖着ようよ ふたりの自分が葛藤している。母は認知症です。私の花嫁姿をみてもらって元気になってもらいたい。「おかあちゃんがこうてくれた帯やで~おおきにな」とお礼を言いたい。次女の姉には 完全に無視されています。そんな姉は結婚式に来ません。姉の愛がこもった着物を着たい。そして 母が私の為に高価な帯を買ってくれた。家族がばらばらだけど 何か一緒になって欲しい気持ちの表れなのか?うちの今の夫の母は大阪が大嫌いです。それで関西弁が大嫌いです。両親へのお礼のお手紙を読む時は大阪弁にしたい気持ちがある。その方が私そのものだから。自分にうそはつきたくないねん。夫の母のことを思うと これ以上嫌われたくないから 大阪弁はやめようか・・・いろんな人の思いを考えると涙がでてくる。何も決まらないわ・・・。家族がばらばらのままの結婚式 自分の責任だけど 悲しい。涙が出てくる。姉を愛しているのに 今は仕方ない。それが 現実や。
July 15, 2008
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昨日は朝は 秋にあげる挙式のお世話をして下さるスタッフさんの言葉にひっかかって ひとり「もんもん」としていた。は寝たままだし 心のもんもんをどうしようと 此処のブログにそのことも書いた。貴重なご意見をありがとうございました。スタッフさんが悪気もないことや 私が甘えていただけってのもわかりました。家にひとりで居ると私は悲観的になる傾向がある昨日 心のもんもんさんと一緒にえいっと 勢いをつけて 暑い中 フィットネスに行った。まだ 気持ちは凹み気味ステップ指導があって つないでコンビネーションを踊って踊りまくり~~~ラテン音楽はは 日本の音楽ならば 演歌の世界熱いあふれる思いやあ 例えば「天城超え」の歌に近い世界ダンスが終わると「踊ったあ~」と感じて気持ちんよか~気持ちはすっきり。心のもんもんさんもどこかに行ってたで。集中することは素晴らしいことや私はダンスが大好きやあラテンダンスは演歌の味やあ~心のもんもんさん さようなら~
July 14, 2008
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昨日はウエディングの衣装決めに行って来ました。写真を載せたかったのですが 夫がブログサイズにしていない~~~夫は寝ている~あれこれいじったけど できないできない 感想は 疲れましたあ~担当の若い方はチーフさんとかで おばさんで病気をもってる女性の結婚式を考慮して 「個室はどうですか?ゆっくり出来ますよ」と言ってくれました。それまでに式場で打ち合わせ 2時間をこなしてきたので 夫も私もちかれてる私は衣装決めは すぐにぱっと決めちゃう男らしい?ところがある。夫の気に入ったのも着て 私の希望のマーメードも着た。体のラインがですぎて 夫のお母様に受け入れられるか・・・マーメードはやめて 第一印象でパンフをみて決めていたのにしました。色内掛けも カラーカウンセリングを踏まえて ピンクとゴールドのものにしました。これだけで 50万はかかる・・・・・ウエディングだけなら 節約婚と言われそう・・・式場の若いスタッフにも 衣装室のチーフさんにも「私若くないので 恥ずかしいわ~こんなの着てもいいのかな?」と言いました。すると その式場のスタッフも衣装のチーフさん 二人とも同じようなことを「70歳 80歳の方の結婚式もよかったですよ 感動しました」私ら 40歳近くのカップルですけど 新婚なんですけど・・そ そんな 大幅に年をあげて 慰めなくても。。。極端やなあ~20代の若い人には 再婚の私の気持ちわからないのかな?傷つくこともないのかな?でも すごく疲れたのは この言葉がひっかかってるねん。私は そんなええものではないけど なんだか 悲しかった。40代の人がウエディングを着る時に また この言葉に傷ついて欲しくないから この気持ち言おうかな?人によって違うから もういいんかな?私っておかしいん?ひねくれてるん?衣装の写真の掲載は終わらせて頂きます。ありがとうございました。
July 13, 2008
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昨晩は両親の介護をしてもらってる姉から電話があり会うことになった。私の家の近くまでわざわざ来てくれるとのこと 一時間以上もかかるのに。私はリハビリ中だったけど 歯科の予約も断って長女の元に。長女とは9つ違いである。小さい時にあそんだ記憶もないし 幼い時は 長女の成績が優秀だったので中学の先生に比較される。家庭科の先生の言葉 今も忘れない。「え~あの○○さんの妹さん?本当に?」長女も次女も 勉強が出来て努力家だった。私は努力するけど 出来ない子だった。母がかばってくれて 「サラは病弱で学校も休みがちだから仕方ない」と。母は私が泣くと理由も聞かず姉を怒ったのだろう。私が泣くとすぐさま 次女に口を塞がれて「泣いたら私が怒られる」と言われた。子ども心に次女に嫌われたくなかったから泣いてはいけないと私は私の心にふたをした。それでも辛い時はおばあちゃんの部屋に行き おばあちゃんのの膝の上で思い切り泣いた。何も聞かないでなでなでしてくれて泣かせてくれたおばあちゃん ありがとう。私は幼いながらに真実をみるのが怖かった。私は父によそに女の人がいることや店をださせていることも感じていた。でも幼な心に嘘であって欲しいと思い続けた。自分が感じていることは嘘なんだと言い聞かせた。自分の感情は間違ってると。今は次女夫婦とは 縁が切れた。相手から無視されている。長女も幼い時からひどい虐待をされて家に帰る時に帰りたくないと泣いていたそうだ。長女は親は本当の親ではないと感じたと昨晩話していた。私も同じだ。次女は「両親がいっぺんに 飛行機事故で死んで欲しい」と言ってたのが心に残っている。同じ境遇で育った仲間の姉妹が こういう形で決裂したのも 私の責任もある。何十年も話していなかった長女と私が今や仲良く週に一回は会いに来てくれる。真実を真実として 人様に言えない話が出来る。長女の心もわかるし 次女の心もわかる 偉そうに言う訳ではないけど姉妹だから。その3人がつながれないのが 悲しいけれど それが真実なんや。家族円満が理想なんで 期待して私が介護に奮闘していた頃もあった。介護を通して 仲の悪い母と次女・母と長女・長女と次女の間に入って 気持ちを伝えたり悪戦苦闘していた頃もあった。それが却って 心の狭い私 力のない私は 家族を余計にバラバラにしてしまった。期待は心の借金や。私は期待しない。今 自分に出来ること 自分がしたいことをするだけや。実家の人間関係はバラバラや。それでええやん。仕方ない。愛しているけど 仕方ない。
July 12, 2008
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今週は寝込むことの少ない週で減薬にも成功した。私って やるやん体内時計がなぜか5時か5時半に起きるようになってしまい今朝も5時に起きちまった 昨晩は夫の帰りが遅く1時前だったので 寝たのは2時半なのに・・・ちょっと睡眠が足りてないなあ~まあいいいっか(春吉さんのまあいいっか教に入信)私の体調のいいところ吐き気・嘔吐などの身体症状はなくなった減薬の結果 副作用もなくなり 代謝がよくなった これ以上若返るのか頭痛が軽減股関節の痛みは全くなし体半分の痛みも少しある。前よりは 随分まし。凹むことやあたふたすることもあるけど どうにかお陰様で乗り越えた私が今出ている体のサインで気になるところ顔の湿疹来年向けて社会復帰を果たしていきたいな体が緊張してしんどい時は体をゆする(小さい子がイヤイヤするように激しくゆるりと) 呼吸する(私は緊張すると呼吸をするのを忘れちゃう)体調が悪い時は好きなことだけをするに限る>私の結論
July 12, 2008
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私は山本モナさんが好きだ。その山本モナさんが キャスター復帰の日の夜巨人の二岡選手とラブホテルに入るところをスクープされて 謹慎処分になった。http://www.j-cast.com/tv/2008/07/10023273.html彼女は今回のキャスターの復帰を「リベンジのリベンジ」と言って意気込んでいたのです。彼女はチャンスをいつも自ら つぶしてしまう。これは 心理学的用語では 「キックミー」のゲームである。最後に自分が破滅してこのゲームは終わる。彼女は悲しいかもしれないのが これは 彼女の行動パターンで自分が作ったシナリオ。彼女を気の毒に感じる。私もこの「キックミー」のゲームを繰り返して来た。自分に言い寄る男性には 見向きもしないで 絶対 無理だと言う人にアプローチする。相手が振り向くと 心が覚める。恋愛トラブルで どれだけの人をそのゲームに巻き添えにしてきたか今 詫びても 取り返しがつかない。私の父が愛人の元に居るのをずっと幼いから感じてきた私は 父を取り戻したかった。寂しかった。嫌われたくもなかった。男性不信を心の核にもっているのに 寂しさから逃れたくて 恋愛に依存してきた。今も父を憎んでいるし 愛しても居る。私はその父との闘い中で どれだけの血を流してきたのだろう。埋めても埋めても埋もらない心の穴。父に愛されたかった。私を見て欲しかった。私はもうこのゲームには終止符をうった。夫に出会い 最初は苦しんだけれど お陰様で落ち着いてきた。安心できる空間に環境。山本モナさんのニュースをみて 自分の恋愛依存症だった頃を思い出した。
July 11, 2008
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コメントのお返事を書く前に日記を書くことを許して下さい。すみません。学生時代 バイトしていた歯科医院に治療に行った。私は左の片頭痛がひどいので 左の歯の治療をしたら 頭痛が楽になるんだと自分に言い聞かせていた。いや 妄想の世界に入っていた・・・治療が始まった。まずは 麻酔の注射。流石いい先生 注射は全く痛くない。痛がりの私には 安心する~~虫歯は小さいと聞いたのに 削られる~削られる~相当 奥が深かったみたい・・・治療が終わり 先生が「しみるかもしれないよ」と言われた帰宅すると 頭痛とあごの痛みが 食欲もない。あ~駄目だ~歯科の先生に電話をする。明日は 別の歯の抜歯だったがそれは止めて今の痛みをとりましょうと言われた。軽く パニックってるかも~自分の気持ちとちぐはぐな行動をしていたのか?【気になること】お中元のお礼の電話が一本も入らない。届いてないのか?嫌われてるのか・・・前のお母さんのお店に行って この前 姉と一緒に歌わせてもらったのお礼に品を持って行く。なんだか 冷たい感じがした。錯覚?でも お母さんにしたら 私は別のところに嫁に行ったんだし 娘って言われたくないかも。ちゃんと聞いて話をしたらよかった。ただ 品物を置いて帰宅した。心残りか また 日傘がないないと 店に戻る。店にはなくて おつかいものを買った店にあった。ドジな私。不妊治療に心がちゃんと向かない。排卵誘発剤を飲むのが怖い。長女と連絡がとれない 私に何か怒ってる?気になることは ちゃんと聞いて解決していかないと 聞いて自分で感じて決めないと。そのお釣りが この頭とあごの痛み?ああ~~~~夫はまだ仕事中。顔にも湿布を貼って 百年の恋もさめるありさま。妻は痛みと闘ってる。夫に電話しようか・・・友だちにしたら迷惑?鎮痛薬に安定剤にあらゆる薬に頼る。若い時は歯の治療をしても元気だったのに。年っていうこと?適応障害という心の病がまたひどくなってるの?減薬してたのに巻き戻されるアクシデントに弱い私 情けない 情けない
July 10, 2008
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昨晩は私がリビングで寝てしまった~前の日は夫がリビングで寝てしまった相方?が寝てしまったら 上にタオルケットをかけてあげ起きれるときに 互いに寝室に運ぶ私たち夫婦は新米で 喧嘩もよくするし 私がよくプチ家出もする。最近 お陰様で我が家のリビングはくつろげる空間になっています。私も夫も実家が家庭の見本にならないので 自分なりに家庭のあり方をブログ仲間にもおしえてもらい考えて実行した。奥さんは家の太陽だから 笑顔で家族を照らす家庭は戦場(職場や学校)で疲れた翼を休める場所家族を否定しないで受け入れて悩みは一緒に考えていく相手を責めないで 私はこう思うと I(私)メッセージで話していく。我が家では 「でも」「だって」は禁語我が家では 「ありがとう」「ごめんね」挨拶を大事にする。あったかい家庭を作るために 大好きな料理をして夫をおもてなす。夫は洗い物やごみ捨てをしてくれるようになった私の病気への理解も深まり いたわってくれるようになりました私の体調も徐々によくなり なんと 今週は一回も寝込んでいません!嬉しい社会復帰の光がさしてきたように感じます。昨日はお中元を贈りに百貨店に行けました。その帰りに 買い物をしました。買い物をすると どうしてこんなに気持ちがいいのでしょうじゃじゃじゃ~ん 買いました。ダンスウエアいくらでしょうか?な なんと 890円でした自分のを買うと夫にもと思い ノースリーブのTシャツを買いました。この映像はただいま 洗濯機の中なので アップできませんが 210円也夫はたいそう喜んで もう一枚 色違いを買って来てとのこと我が家は リラックス そして リーズナブルにいきまっする
July 10, 2008
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僕たちは いつも手を握っている。休んでいるときも 眠っているときさえもこんなにも 人間は 手をゆるめることがつまり 手放すことが 不得意だ不安を 手放す病人であることを 手放す相手を許し 自分は被害者だと思うことを 手放す自分だけが不幸だと 思い込むことを 手放す本当はそれだけで エネルギーのブロックは はずれ生命エネルギーが流れ出し 元気になるはずだから 自力整体は まず手からほぐすんだ 矢上裕先生著 自然治癒力を高める自力整体を私はしている。その先生が(矢上先生のお弟子さんの先生です) 私に冊子を下さった。そこに載っていた詩です。涙が止まらなかったです。先生は私が素直である 真面目であることを 評価してくれてわざわざ 冊子を下さった。ちょうど 私も先生にささやかなお中元を用意していた。以心伝心だった。先生は驚きべき言葉を私に下さった「あなたみたいな素直で真面目で 体の治癒力を体感する人に指導者になって欲しいの あなたの心は感動する力を持っている。エネルギーが高いのよ」私は耳を疑った。確かに私はお陰様で元気になりつつあるが 山あり谷ありである。手術も気が湧かないと 自分の勝手でしていないが 着実によくなっている。私みたいに苦しんでいる人をひとりでも 救えたら 私そのもので 社会に還元できるんだ。まだまだ 実感はないが 自力整体をよりいっそう勉強して人の役に立てたならば それほど 嬉しいことはない。自分の実体験で ひとりでも多くの人の役に立ちたい。私今此処に存在するのも 人のお陰だから。
July 8, 2008
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私はあわてんぼうのドジです以前にもブログで紹介しましたが私は右と左のサンダルを間違えて履いて出かけてしまった夫は「マリリンモンローはヒールの高さを右左を変えて歩いていたんだよ。 その方がセクシーにモンローウィーク出来るやろ サラの足元もオッケーや」ううう~優しい夫私は仕事をしている時は 自己評価ですが 早さが命で 全職員の中で一番早くに出勤する。仕事をするのも 早さで勝負。テキパキと対応できる自分やと思い込んでおりました。しかし よく考えると ドジだったのです子どもさんを見ながら 作り物をしていた時に で左手まで切ってしまいました。まだまだあるわ~モノがいっぱい入ってるダンボール箱に足を思い切りぶつけて 足の親指を骨折したその頃 休むことを自分に許してなかったので朝 整骨院に行って 骨折したところを固めてもらって出勤していた。すごいスピードでをこぎ トレーラーと接触して 入院2ヶ月もともと あわてんぼうで 休むことや のろいことを許さなかった。これは 父譲りかな。いい方向にその遺伝子をもっていけなかった私父は怪我や事故はしなかったから 同じではないわ。昨日はしょうがをすろうと勢いよくした時 しょうががとんでいき をすってしまい 血が吹き出て来ました。自分のの車輪に 自分の日傘を巻き込んで 日傘が折れました。 昨晩は七夕で 夫が少し早めの22時に帰って来てくれました。だのに 私は指を怪我したことで 機嫌が悪い自分の思い通りに自分の体が動かないからです。傷が化膿してなかなか治らない私は 怪我した指を濡らしたくなくて左手だけで食器を洗ったり いつものスピードもでないし イライラ夫は「洗い物は僕がするから おいといて 七夕祭りしようなあ」と ううう今考えると夫は優しすぎるくらい 優しい。私はなんで急ぐのやろう?早いのが何がええのやろう?今まで事故や怪我ばっかりやったやん・・・仕事をテキパキして出来る人になりたかったん?そんなのもともと無理やん それで倒れたやんか!自問自答ゆっくり動くのがええと 自力整体の先生も言ってたやんか!そうだ!ゆっくり動いてみよう!ゆっくりから 何かが見えるかもしれない。今日は私がで送っていくよと言うのに私がしんどいことを考慮して たくましく 出勤して行った。つきあい初めのころは いつも私が運転手だったのに。夫はたくましく優しくが大きくなっている。私も見習わないと。夫のを受け止めて 自分のも大きくしたい
July 8, 2008
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七夕おめでとう夫とふたり七夕まつりをする。今日 花屋さんに注文して届いたパキラさんに七夕の願い事など書いた。夫は「こどもができますように」「サラの病気がよくなりますように」「お金持ちになれますように」「旅行に行きたい」私は「幸せをありがとう」「絆を大切に出来ますように」「夫と私の相合傘」うふふ「結婚式が素敵な式になりますように」欲深い私皆様も楽しい七夕まつりをおすごしくださいませ。明日は夫は私に浴衣を着て待ってて欲しいそうです。着物好きの私は とってもうれしかったです総ては自分から初まるフィットネスで虐めてくれた人達が めちゃ優しくなりました。自分から立ち上がって行動を起こせないと 何も起こらないと勉強になりました。ブログ仲間さんたちの支えがあったお陰です。どうもありがとう楽しいこといっぱいしていきたいねん気が湧いてきた私薬は減薬しているのに 元気代謝 良好
July 6, 2008
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朝 起きると胃が痛い・・・ 楽天さんのメンテナンス中なので 写真を撮っていました。昨日は久しぶりに夫と秋にする結婚式のにカラーカウンセリングに行きました。私も夫も夏色が似合うと診断されました。私ら夫婦は夏男夏女でおます私は淡いピンクや淡い紫が似合い フリルや柔らかい色が似合うそうです。私は私を知ってたんだ年甲斐もなく ピンクをよく着ていますし フリフリも大好きだったのですウエディングは 体のラインが出るマーメイドの形にしようと決めていたけどお客様のことを考えると 夫のお母様や親戚の方にも受け入れてもらいやすい柔らかい素材のものにしようかとも考えています。似合うって言われたし・・・私って「褒め」に弱いんですう~褒め殺されたいカラー診断をしてくださるプロの方の対応は素晴らしかった。言葉使いに対応の仕方 パーフェクトでした。素敵な方でした。見習わないとこんな私みたいなおばさんにも 「お嬢様」と言って下さいました。ちょっと恥ずかしかったけど 嬉しくもあったなあカラー診断が終わって に行くと びっくり久しぶりのお出かけに緊張して 朝から下腹が痛くまた腫瘍か? とか心配になったり大勢の人の大都会に気分が悪くならないか?今日はキャンセルできへんわ~とに入って体を暖めて自分でリンパマッサージして 心配になっていた。どんな服を着て行くかファッションショーをして夫にみてもらいあのフリフリのカーディガンがないとか探し回って 出かけるのが ぎりぎりにおまけに玄関をでると 「あ~サングラス忘れた」「財布忘れた」と二度も行ったり来たりその結果が下の写真です。それに で気がついたのです。目から火が出る。穴があったら入りたいってこのことですね・・・私ってドジやねん~笑ってやって下さい。そのまま「どこでもドア」で帰宅したかったけど 夫の優しい対応「わからへんで~俺の靴はくか 変えたるで~」その優しさに甘えて その後衣装室に行きアポイントをとり その後 久しぶりの外食にも行きました。私って意外と図々しい帰宅してからも 何人ものウエディング姿をみた私は 気持ちがまだまだ 花嫁ムード式に列席してもらう人のリストを書いてみたり インナーを着てみたりしてました。夫にも協力して欲しくてゼクシィを2月に買ったのですが あまり興味のない様子。一生懸命相談してるのに 夫は に心を奪われている。私ったら また 怒ってしまいました。挙句の果て 結婚式をやめるまで話が進展してしまい・・・穏やかな女性になりたいのに。優しい夫 ごめんね。私が服を探している時に一緒に探してタンスの中まで整理してくれた写真が下の写真です。夫は私がおたおたしていても 怒ったりしないで 手伝ってくれる優しい温和な人なのに。ごめんね・・・
July 6, 2008
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私は日々草が好きやねん理由は夫と出会ったころに 我が家に来たお花。どんな環境にも強い。毎年花を咲かせてくれる。この花が二つ咲いて時 夫は「僕とサラや」と大喜び(一枚目の写真)また 同じところに蕾がでたときに夫は「サラとぼくの赤ちゃんや」と喜んでいました(2枚目の写真)夢をくれる日々草ありがとう。何よりブログをしていてよかったと痛感する一日だった。私をどれだけの思いで 皆様 支えて下さっているのか 泣けてきます。この下記の詩は 詠み人知れずです。花のように優しく実のようにたおやかに根のようにしっかりとたとえ誰に知られなくても自分の道を行きませう。自分の道 ひとりでは歩いていない。ブログ仲間の皆様 まいどおおきに
July 4, 2008
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【疲れた】2日(水)の晩 夫の仕事の話を真剣に聞き 朝の1時半になった。流石に疲れ果てた夫のなんの役にもたってないことに 自己嫌悪していた。【イライラする】今日は落ち着かない日だった。誰の役にもたってない自分を自責していた。朝から 銀行に振込みに言ったり 郵便局に書留を送ったり あたふたしていた。お金が滝のように出て行く。ああ~かなし。医療費もかさむ。社会保険庁から 特別便が来て半年を過ぎても返事なし。電話をかけてもいつも「電話が混雑していて・・・」とアナウンスが流れる。つながらない。しかも 電話がつながっても有料なだ。社保庁が間違えているのに なんで フリーコールにしないの?イライラする。【嬉しかった】以前バイトしていた歯科に定期健診に行った。虫歯が10年ぶりに発覚しかも抜歯しないといけないパノラマのレントゲンをとる時 「妊娠してたらあかんから お願いやから プロテクターつけて」と言われる先生の奥様。「きっと 赤ちゃん出来るよ」と言って下さった。優しさに涙がでそうだった。歯ブラシ20本 お祝いと言ってプレゼントして下さった結婚のお祝いをもらえるなんて 再婚なのに・・・優しさに感謝。【切れた】前のお母さんが経営しているお店に長女と一緒に行き楽しんでいた。そこに同伴目的の他店の若いホステス登場。言葉使いがため口で私に対してだけ はむかう言葉ばかり発する。しばらく我慢していたが私は切れた「私はママの娘やねんで!なんちゅうものの言い方するん!」そうすると その若いホステスは謝った。私にはまだ 北新地のホステスだったプライドがあるのか・・・怒ってしまった。ホステスなのに 下品な言葉使い。嫌だった。ホステスも立派な仕事や。お客様が 「美人同士が喧嘩したらあかんで~」と仲裁に入る始末、情けない自分が。言い返したい人には言い返せず 弱い人に言う自分が情けない。帰宅して ベッドで泣いた。心が迷子や。息が詰まる。関節が痛い。苦しい。【個人的に私への中傷メールが来たという人に】今までなかった自分のバージョンで「誰がそんなこと言ってたの?」と聞いた。心にひっかかり傷になっていたから その答えは「誤解を招いたようです。そのことはサラさん対象ではありません」ええ~なに それ!自分の言ったことに責任を持って欲しい。【長女の歌に感動】長女も私よりひどい虐待の中で育っている。初めて姉の歌声を聞いた。人の心に響く綺麗な声に感動した。長女として産まれて自分をどれだけ犠牲にしてきたか。姉は自分に負けず賢く実直に生きている。長女は偉大・・・尊敬する。
July 3, 2008
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この絵は私が書いたお気に入りの絵です。一生懸命書いた宝物でした。だから 独り暮らしだった頃のリビングのよく見えるところに貼っていた。ある日 姉が私の家に来た。来るなり姉はこう言った、今も忘れない。「なに!この下手くそな絵!こんな絵よう飾ってるわ!」私はひどく傷ついた。泣きたかった。自分の感情を殺して へらへらしていた。姉の気持ちに迎合して その宝物の絵を 私は捨ててしまった。写メールに撮っておいてよかった。自分が好きと思っているのに 批判されると自分の感情が流される弱さをもっている私。姉は優等生だった。私は奴隷のような感じで 学校に姉を迎えに行きかばん持ちまでした。私って姉が好きだったんだろうか?今 姉には 完全無視されている。姉を愛している気持ちに変わりはない。と同時に姉に言いたいことがいっぱいあった。「私はこの絵が大好きやねん!誰がなんと言おうと宝物やねん。 お姉ちゃんにそんな風に言われると 悲しいわ。泣けてくるわ。 いつも私を否定ばかりしないで欲しいねん。私はあほやけど 一生懸命やで。 私の大切にしてる人形を首吊りにしたり 私が泣くのがおもしろかったの? 私の帰宅が遅いと言って 私の頬を10回も叩いて 痛かったで。 お姉ちゃん 大好きやったけど お姉ちゃんに言いたいことがいっぱいあるねん」話すチャンスは二度とない。悲しいけど それが現実や。
July 1, 2008
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