草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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2020年04月19日
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人生を長い間生きていると、色々な事を経験し、様々な事件や出来事などに遭遇する。私にとっての大事

件の筆頭に挙げなければならないのは、勿論、柴田悦子との出会いであったが、それはその後の展開がそ

のようになったから、そう言えるのであって、当時は、最初の出会いの瞬間には、少なくとも私の方に

は、それ程の「大事件が勃発する」とは夢想だに出来ない、そもそも事件らしい物に繋がる気配すら感じ

ない、日常茶飯的な平々凡々たる些々たる出来事の一つにしかすぎなかった。

 だから、後から振り返ってみると、彼女の方で心の中に強烈な印象を残した度合いに比べると、何とい

う隔たり、差異があったのかと、奇異と言うか、ある種の驚きの感情を禁じる事が出来ないわけだ。

 一つの出来事にに関して、それに係わりあった二人の当事者にとって、出来事の受け止め方が相違して

いた事に、不思議な感動すら覚えてしまう。

 しかしながら、一般論として考えてみると、一つの出来事と簡単に言い切ってしまったが、一つの出来

事、事件はその事に関係した様々な人々にとって、様々色々に受け止められ、感じ取られていると考える

方が、当たり前の解釈なので、そう考えて来てみると、私が後々に大きな感動と不思議さを以て振り返っ

た「この事件」は、一般にはごくごくありふれていて、出来事とか事件とすら呼ぶに値しない事柄であっ

たわけで、それが一大重大事件に発展したのは、ひとえに悦子が心にうけていた衝撃の異様な大きさと、

それに見合った猛烈な、そして人間離れしたエネルギーを伴った、驚異的な行動力にかかっていたのだ。

 だから、私の心の動きとは全く無関係に行われた、悦子の側の一方的な行動が、結果として私に甚大な

影響を及ぼし、私が夢想だにしなかった運命の大きな舵取りに決定的な作用を、するに至った。

 何と幸運で、恵まれた境遇にあったのかと、改めて神仏に感謝しなければならない。

 翻って考慮してみるに、人の幸不幸とは誠に不可思議な廻り合せであり、人の意識的、意図的な行為・

営為と全く関係ない所で、絶妙にして微妙な影響力を発揮しているものなのでありました。

 そもそもが、人の運命などというものは、九十九パーセント以上が眼には見えない不可思議な力によっ

て営まれているもので、従って人力を遥かに超越した、それこそ神様や御仏の尊い計らいによっている。

だからと言って、人の営みや行為が全く無意味だとは思わない。たとえ、一パーセントに満たない範囲で

あったとしても、人の思考や行動は神仏の絶大な影響力に対して、決してバカにできない力を持っている

事を、私は心の底から信じてもいる。

 いや、人として無力とも一見思える、そのささやかな部分に力を発揮することこそ、人として生まれた

者が大切にしなければならない、肝心な勘所なのだろうと、信じる者なのだ。

 つまりは、非常に雑駁な比喩にもならない比較を、私と悦子との関係に持ち込んでみると、九十九パー

セント以上の悦子の比率に較べて、一パーセントにも満たない私の割合であっても、あの時点までの私の

生きて来た全存在が、無意識の裡に瞬間的に稲妻の如き煌きをはっして、暗暗裏に画龍点睛の作用を果た

したのだ。だからこそ、神仏は二人の結びつきをよしと嘉して下さったのであろう。いや、そうに間違

いない事だ。

 つまり、決定的な瞬間の、爆発力を齎すバネとして働く瞬発力は、実は常日頃の営々として継続されて

来た、持続力に掛かっていたことを、正しく意味しているだろう。従って、瞬間と永続との間には相互に

非常に密接不可分な関係があるわけで、要するにそれは一生涯に渡って続く日常のどの瞬間も、同等に

大切な要素を構成していることを意味しているだろう。

 何か特別な瞬間だけが、取り分けて他より大切なのではなく、継続される日々の一挙手一投足こそが、

大切で、決定的瞬間での爆発的な力やエネルギーを呼び込む、根本的な原動力を生むのだ。

 考えてみるまでもなく、これは極めて当たり前な事で、改めて事新しく論うべき事柄でもないわけであ

る。が、しかし、である。

 こうした素朴で、初歩的な所に人生の大事があるとは、普通には特別意識されないで、有耶無耶にさ

れ、そのまま見過ごされてしまうのが、私たちの生活の実態なのではあるまいか。

 そして、こういう具合に理詰めで考えを進めてくると、それは何も個人の場合だけに限らないことは

直ぐにわかる。大袈裟に言うば、ホモサピエンスという種を形成した原動力も、こうした各個体の日々の

行動なり、思考力の指向性の集積された結果が、積り積もって明確な形を取ったものと、考えられる。

 つまりは、ほんの僅かな量の集積が、神仏という偉大な力の御加護をうけながら、仕舞には大きな結果

を将来した。そう言えるわけで、すると普通に生物進化などと表現されている現象も、進化であるか、そ

れとも退歩であるかはわからないけれども、とにかく或る一定の方向を目指した変化であって、その変化

の善し悪しは、それを有効に活かし得る個体の能力如何に懸かっている。そう言わなければならないだろ

う。

 してみると、日本人の付和雷同性などと、一括りに批判される性向に関しても、全く違った見方が可能

だと、直ぐに気づくであろう。

 周囲をよく見回した上で、大勢と歩調を合わせて、過誤のない生き方を選択する事は、人が言う程悪い

程度の低い生き方とは、あながち言えないのではないか。いや、むしろ我々日本人の先祖達は、賢明で

あったからこそ子孫達に多くの恩恵を齎したのだと、言明した方が、より健全な発言であると今の私は

強く思うのだ。

 否、更に進んで積極的になれば、我々日本人は自信を持って、将来の難局に対処すべきであって、その

場合に自分たちよりもより賢明に生きている他者がいたならば、謙虚に見習う柔軟性を失わなければ、そ

れで十分なのではなかろうか。

 人類が結局は破滅する運命にあるならば、私たちは潔く運命を共にする覚悟を固めよう。その上で、自

他の為により良い選択が何処かに見いだせるのであれば、そのように振る舞えば良いだけのはなしであっ

て、これまで通りに、人間というものを根本から信頼し、より積極的で、肯定的な生き方を堅持するよう

に努めようではないか。

 自分独りだけ良い目を見たり、甘い汁を吸おうなどといった、下衆根性だけは持ちたくないもだと、私

などは密かに思っている。

 これは公開はしているものの、自分自身との対話なので、人様がこれを読んで、どのような感想を抱こ

うが勝手なのであり、であれば、私の方も勝手に好き放題を書くことは、もとより勝手なのだ。

 と、一応は瞬時のためらいを見せつつも、書きたいと思ったことは書くのが、私の私らしさなのだ。つ

まり、私の実感の本質を披瀝しよう。

 日本人の中から悦子という素晴らしい女性が生まれたのだから、その一事を以て、日本という国は比類

なく素晴らしい国だと、強く主張したい。これ以上の名言を、何処の誰が口に出来ると言うのか。どうで

す、この夫馬鹿ぶりは!

 今回は、このくらいにしておきましょうかね、はっ、はっ、は。





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最終更新日  2020年04月19日 17時24分25秒
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