草加の爺の親世代へ対するボヤキ

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草加の爺(じじ)

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2020年04月23日
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今日は朝から天気がよく、気分も爽快である。蔓延しつつあるコロナはなかなか執拗であって、簡単には

終熄に向かいそうにない。

 人生には山有り、谷有りというが、一国にも浮沈の目まぐるしい変化が見られる。特にこの十数年は自

然災害と言うか、自然の齎す脅威が顕著であるようだ。

 世界的には温暖化による地球規模の大変動が、我々人類に脅威を与えつつある。空気の汚染や海洋や河

川の汚染など、手の付けられない大災害にも見舞われている。

 人間たちが勝手気ままな振る舞いを続けた結果であって、誰を恨むわけにもいかない。天につばした結

果であり、天罰覿面なのだから。

 人間に自然という大巨人を組み伏せる力量や、才覚がある訳もなく、冷静に物事を考えさえすれば、幼

児にでもわかる明瞭な道理を、傲慢な人間どもは考えようとすらせず、素晴らしい玩具を与えられた子供

の如くに滅茶苦茶をやらかしながら、目先の面白さに気を取られたまま、今日に及んでいる。

 神はとっくの昔に愛想づかしをしてそっぽの方を向いてしまって久しい。今更、神や仏の御機嫌を取り

結んだところで、良い結果が得られるわけも無く、自分が蒔いた種は、自分で刈り取るより手はないの

だ。人間どもよ、どうだ、思い知ったか! 悪魔たちが様を見ろといった表情で、私達を嘲り、笑ってい

る。終末の時の裁判を待つまでもなく、既に断罪は下されてしまった。泣きべそをかいて、謝罪したとこ

ろで取り返しのつくような事態ではない。

 一体、どうしたらよいのか? どうしようもないのである。

 こんな絶望だけの時代でも、日毎に太陽は地球を照らして、万物の生成に寄与してくれている。この

事実を知るならば、祈りを捧げるが良い。祈りを、敬虔な感謝の祈りを、繰り返し、繰り返し捧げる

しか当面、これと言った救済へ道は見いだせない。

 しかし、これしかないと、誰もが謙虚な気持ちを取り戻し、日輪という大神聖に帰依する、つまり心を

すっかり任せきって、信頼を寄せるならば、太陽光という無限の慈愛が人体を介して、人々の霊魂にまで

霊妙な作用を及ぼして、一筋の光明が、かすかながらも確かな救いへの道が、自ずから開けるやも知れな

い。これしか、私たちには明日へ繋ぐ希望は残されていない。この事実を、しっかりと肝に銘じなければ

ならない。

 コロナという恐ろしい病気も、天災も、その他の諸々の災いという災いに関して、人間が、我々が関係

してない不幸は皆無なのだ。

 一つの幸いは、反面の不幸を必ずや、呼び込むのだ。この単純にして明快な真理を、忘れてしまったよ

うな顔を、決してしないことだ。自分にとって、又、自分にとって大切な人々にとって、何が一番大切な

のかを、常に自他に問いかけ、真剣に答えを模索し続けること。

 ここからしか、救いの道は開けたりしない。幸福への道は、常にたった一つなのだ。だが、その一つの

道の豊かで、広々としている事に気づいたなら、誰が他の道など好き好んで辿ったりするであろうか。

 もう一つ、我々にとって頼り甲斐のある相手がある。母なる大地をまるごと支えている大巨人・地球で

ある。太陽と地球、この無限の慈愛を具体的に表象している大切な天体が、私たちの守護者である。

 この有難い存在に対して、感謝の誠を捧げる。そうした生き方こそ、人間の生活の根本にあるべきなの

で、これを蔑ろにした生活は我々の幸福とは、無縁な、従って不幸を呼び込む元凶なのだ。

 大宇宙から生まれた二つの天体に、基本的に支えられている幸運。それは奇跡そのものであり、その奇

跡を支えているのが、神仏の愛情であり、慈悲心なのである。

 所で、私はこの世に生まれでて、物心が付き始めた頃、自分がどうして此処に居るのか、又、それは何

故なのかと、人知れず密かに悩んでいた。他者という人間を目の前にしていながら、その自他の明瞭な区

別さえ知らないでいた。こんな表現しか思いつかないほど、漠然とした疑問とも思考ともつかない、極め

て漠然とした感情であった。ところが、ある日ある時に突然に眼から鱗が落ちたように、自他の相違が決

定的であることを、それこそ翻然と悟った。と言うより、悟らされたのだ。

 自分が此処にいるのは、何か分からないけれども、何か或る特定の意味があるに相違ないと、知らされ

た。それ以来は、その特定の意味を模索する日々がはじまった。と言って、私の内部の問題であって、外

部に現れた言動には、特別な変化は見られなかったに違いなかった。ただ、自分と他人とは世界を見る目

が著しく異なっていると気づいた。

 自分以外との違いだけが、大きくクローズアップして、感じられた。世間を見る目、人々の価値観との

差異など、何故なのか理由は分からないながら、違和感だけが、居心地の悪さとして意識に上る。自分は

人と同じでありながら、決定的に違った何かを持っている。常に、そう感じる。感じさせられる。

 小説などを読んで、何か自分の手助けになるヒントなどが書かれていはしないか? そんな明確な目的

はなかったが、自分の理解の及ぶ範囲で、模索する日々もあった。

 が、結局は自力で解決の道を探し出さなければ、仕方がないのだと観念する。自分は自分で、他人とは

違うのだ。そもそも、そう感じたから始まった行動だった。

 森 鴎外を知り、ゲーテに惹かれて、高校から独学でドイツ語を学習し始めた。同時に哲学書などもあ

れこれつまみ食いするように、読書した。そしてニーチェに行き着く。しかし、もとより自分の漠然と

探し求めている何物かを探す参考には、全くならなかった。大学生の時に源氏物語と遭遇した。「凄

い!」と唸った。求めているものとは異なっても、人生の奥深さを垣間見る思いがした。

 そして、ソクラテスに押しかけ弟子入りした。汝自身を知れ、とは私の求めている問だったから。

 そして、とうとうゲーテも忘れ、ドストエフスキーや D. H. ローレンスも上の空になった精神状態の

時に、柴田悦子という流れ星に知らずして遭遇。以来、銘酒に酩酊した状態で今日に及んでいる。

 お前は亡妻悦子の愛の教えだけをこの世での思い出にして、次の世に旅立てばよいと、神仏からの御覚

しを頂戴した。何物にも代え難い尊い「愛」の教えである。

 悦子の中に全てが秘められていた。キリストの教えも、大日如来の慈悲心も。これが今日に到るまでの

私の足跡のあらましである。





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最終更新日  2020年04月23日 16時38分24秒
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