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今沖縄県立博物館で「柳宗悦の心と眼 柳宗悦の民藝と巨匠たち展」をやっている。それに伴って、彼の妻を特集した映画「兼子~Kaneko~」を桜坂劇場で上映しているので見に行った。ミクロネシアのヤップ島にて2週間自給自足の暮らしをするプログラムに参加して以来、自然との共生や暮らしの知恵、グローバリゼーションにおける問題点などなど、たくさんの素晴らしい文化と学びのつまった宝物としての民芸品に興味を持っている。そんなところから民芸運動の父としてその名を知られている柳宗悦氏に興味を持っていたのだが、実はその運動を推進した中心人物は、87歳まで演奏活動を続けた日本有数のアルト歌手でもあった兼子である、ということがこの映画で発覚した。英雄の影に女あり、とはよく言うが(言い回し、違うか?)いやいや、なんとも気風のいいおばあちゃまであった。着物をビシッと決めて、西洋独特の歌いまわしで荒城の月をなんとも哀しく歌い上げる。ちっちゃな体のまっすぐ伸びた背骨が、そのまま天まで突き抜けていくような存在感。真っ暗な空間に空から一筋の光がまっすぐ落ちてきているような緊張感は畏怖を感じさせ、歌い終わった後の微笑はほっこり「おばあちゃ~ん」って感じ。「悪さには厳しかったが、あとは自由にさせてくれた」と息子たちが語るように、歌手としても母としても陰陽のさじ加減がまさに「いい塩梅」である。父性と母性、西洋と東洋、律することと許すこと。相反する両性を、タイミングと相手によってどのように使い分けるかが、コーチングでクライアントと向き合うときも、自分の生活を作っていく中でも常にテーマとして現れてくる。コーチングを始めてから半年くらいは完全に「母性」よりだった。なんでも受け入れ、許し、ひたすら待つ状態。それがうまく機能することもあれば、あまりにも甘い環境でまったりしすぎでしまうこともある。過度のサボりは結局はストレスに繋がって、自分で自分の首を真綿でじわりじわりと絞めてしまうことになる。そんな中で必要になってきたのが「切れ味の良い刀」。優れたコーチはクライアントの本当に必要な質を呼び起こすために必要ならば、クライアントを一刀両断することをためらわない。私も自身のコーチにすっぱーんと切られることがしばしばあるのだが、切れ味のいい刀は全く痛くないのである。むしろ、快感☆(最近Mになりつつあるかもしれない・・・怖)始めはこの上級テクニックに感銘をうけ、自分もクライアントに対してやってみたのだが、どうにも相手を責めている感じが抜けなかった。焦って「受容」が必要な場面で刃のこぼれまくった刀でギギギとやってしまったこともある。(練習が前提だったとはいえ申し訳ない。。)うまくいくときのポイントは、「コーチの個人的感情」と「失敗への恐怖」を手放すことと、「クライアントにとって本当に大切なこと」をがっちり掴んでおくことだと思う。「西欧人のための発声方法を身につけそれで表現することと、私が日本人であるというアイデンティティが相容れないということは一度としてなかった」映画で一番好きだった兼子の台詞(大意)である。
2006.02.28
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昨日、大好きな人に失恋をした。「素の自分をもっとたくさんの人に知ってもらおう」ということで始めようと思っていた日記。念願のスタートをどんな素敵な記事で飾ろうかしらと勘案していたところで、こんな自分の醜態をさらすような滑り出しは至って心外なのだが、なんとも私らしくて結構なことである。日記の趣旨に悔しいほどかなっていて、最初から丸裸になるチャンスを贈ってくれた神様は全くひどいお方だ。さて、本題。去年の春に別れた元彼に、彼女ができたのである。私はとてもやきもち焼きで、女友達に彼氏ができても嫉妬してしまうから、もう恋愛感情がすっかりない元彼であっても、絶対に新しい相手に妬くことは眼に見えていた。だからできても教えないでほしいといっていたのに、彼は律儀にも報告してくれた。(ありがとうよ、、、笑)聞いたときはショックで、悲しみと怒りが湧いてきた。私自身、恋愛対象として彼をもう見れないことも見るつもりもないことも知っているのに、随分勝手な言い分だが、すごく大事なものをなくしたような悲しみでいっぱいだった。始めは取り乱し、彼に怒りをぶつけて拒絶した。一人になって、ゴーゴー唸りを上げている感情の渦におぼれながらも、どこかで私は冷静にその渦の中心をみていた。私は何を恐れているんだろう。何を悲しんでいるのだろう。負の感情を「悪いもの」として拒絶することなく、じっくり味わってみる力がついてきている自分を、少し嬉しく思った。ありがたいことに、彼は私の拒絶を乗り越えて、きちんと向き合ってくれた。恥もプライドも捨てて私は彼に自分の感じていることをそのまま口にすることにした。「悲しいんだよぉ。寂しいよぉ。」最初はその言葉にフォローを入れようとした彼だが、ただ聞いていてほしいという私のリクエストに辛抱強く応じてくれた。言ってる傍からみるみる悲しさが抜け落ち、安堵がただよってきた。余談だが、男女の間ではよくこんなやりとりがあると思う。女の人が悲しみや不満を述べ、男の人は解決を求めて戸惑う。「だったらどうしろというんだ。」「そういわれても困るよ。」「ごめんね。」どんな言葉も彼女には響かないと思う。女だってばかじゃない。出来ることか、不可能か、不条理なことなのかくらいの判断能力はあるし、なにも自分の言うとおりにしてほしいわけではない。ただただ、その思いを受け止めてほしいのである。自分の中の感情をそのまま言葉にしたいという欲求が女性は強い。非論理的であろうが不条理であろうが、そのまんま生み出したいのだ。(今、ドラゴンボールのピッコロのお父さんが口から卵を産むシーンがありありと蘇った。懐かし。)問題解決指向型の脳をお持ちの男性諸君は、その賢い脳を一度切って、ただただその卵を両手で受け止めてあげてほしい。そうしたらほっておいても中から素敵な雛が孵って、見る見る元気になっていくはずだから。さて、再び本題。その後の彼とのやりとりや、翌日のコーチングセッションで気持ちを整理していく中で見えてきたのは、自分の中にある愛情の源泉が枯れてしまうのではないかという恐れだった。彼といると、私の中から自然と愛情が溢れ、また彼からもいっぱい注いでもらえたから、愛情に飢えることがなかった。第一の恐怖は外からの愛情が消えることに対してだった。第二の恐怖は自分の内側からの愛情を自然と出してくれる対象を失ったことに対してだった。私は常々人間を愛し愛されたいと願っているし、コーチングのベースは愛情である。自分の中の源泉が枯れたのならば、水を求めてもっと深く掘らねばならないという恐怖観念が、まだまだ染み付いている。そのためにはすごい努力が必要と思ったし、そんなのは自然体から離れている感じがしていやだった。でも、そこでフと気づいた。私は彼を今もとても愛している、ということだった。別れを選択したときから、私はこの人を愛していないと思わなくてはいけないと、どこかで感じていた。それからずっとその気持ちにふたをしてきたのである。源泉は枯れていたのではなく、自分で埋めてしまっていたのだ。気付きが、パラダイムシフトを起こした。この時代の、このタイミングの、男女としてのパートナーシップに終わりを感じ別れたのだけれども、もっと根本の部分で彼への愛情は今でも脈々と息づいているのだ。その気持ちを私自身が受け入れ、自らはめていた栓を抜いたとき、みるみる水が湧き出でて、あっという間に広大な湖が生まれてしまった。コーチングの一番最初に浮かんだシーンが「砂場でひざを抱えて小さくなって泣きながら砂をつついている幼稚園児の私」だったことを、今、改めて思い出す。そうか、乾燥したその砂場で、一生懸命源泉を探していたんだね。すぐに気付いてあげれなくて、ごめんね。大事なこと知らせてくれて、ありがとう。私は、誰の中にも幼稚園児のその人がいると思う。純粋で、自分を飾らず、偽らず、感じたことを感じたままに表現する。嬉しいことも悲しいことも向き合う、とてもピュアで強い愛しい子が。でも、賢い大人の自分がその子の口をふさいでしまう。傷付くのが怖いから。向き合うのがしんどいから。流されるのが楽だから。この塞がれてしまった声を、私は丁寧に呼び覚ましてあげたいと思う。自分のも、出会う人々のも。これから何年もかけて、ゆっくりと。着実に。性別や好み、時間軸に限定される「恋」を失い、無条件に永遠に続く「愛」を知った私は強い。新しい彼女に心がいっぱいの彼は、私の愛情を受け入れてくれないかもしれない、という恐れは正直まだ時々顔をのぞかせることもあるけれども、それ以上に自分で自分の愛情にGOサインを出せていることが嬉しい。恥や恐れという殻を破れば、大好きな人たちへの愛情は尽きない。最初から愛せない人は、無理に愛することもない。まだその時期ではないのだけのことだろう。次々に湧き上がる愛情の中で、彼にだけではなく、日ごろから愛しているのにそれを示せていない人たちが沢山いることを思い出した。そんなわけで、ここいらで告白大会でもしちゃいたいのですが、よいでしょか?T君、「清美(きよはる)」コンビで愛し愛される仕事しようぜ♪そっちが懇願するくらい力をつけてやるから、みとけよこのやろう(笑)D丸~、生きてっか~?会えなくて寂しいけど、帰ってくるの待ってるよ~!のり~、愛してるよ♪あたいも少しは恋に夢見る少女から脱却できたかな?(反省、笑)ゆりぴょん。サランヘヨ☆なっちゃん、こがちゃん、たけしゃん。敬愛してやみません。遠朋、ちか猫、M川&K様、じゅんちゃん。幸せになってね。お父さん、お母さん、家族のみんな。うちの家族が世界一!ファミリーとして一緒に生まれてきてくれてありがとう。コーチ仲間&リーダーの皆様。わがまま娘のbeingを見つめて信じてくれて本当にありがとう。もっともっと羽ばたいていくね。クライアントの皆様。私を信じて心を開いてくれて挑戦してくれてありがとう。もっともっと大きくなるね。Y西先生、N口先生、限りない愛情と、許しと、人生を遊びとすることを辛抱強く教えてくれてありがとうございます。大好き☆これから特にお世話になるB先生&I島さん。周囲への思いやりと、仕事への愛情を学ばせてもらっています。敬愛!まだ見ぬこれから深いかかわりを持つ方たちへ。連愛しましょう。結魂しましょう。そうしてたくさんのかわいい子どもたちを創りましょう☆わーい、楽しみ♪まだ見ぬ君へ。精進します、、、(笑)ここにかけなかった人にも、沢山の愛を!なにより、こんなに長い日記(?)にお付き合いいただいた、あなたに感謝と愛をこめるわ。ぶちゅ☆そんなわけで、「みぃの気まぐれ日記」スタートです。いつ、何を、どれだけ書くかは全く未定。のんべんだらりと猫のように、気の向くまま風の吹くままあるがまま。これからもお付き合いどうぞよろしく~。
2006.02.26
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