エッセンス・・・

エッセンス・・・

2019.06.30
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カテゴリ: 母との確執
婿養子ではなくなっても 同然の家計状況で
母は父と祖母の間で悩むこともあったろうと思います

父は喧嘩になるといつも 母だけではなく「お前ら」と言い
母はいつもそれを気にしていました 自分と母親をひっくるめて攻撃の対象としたからです
祖母は明治の人でしたから「主人を尊重する」ことを大事に考えていました
だから母の代わりに父に立ち向かう事はしなかった

父は昔風のシャイで硬いところがあったので
母を決して甘やかさなかった・・・好きだったのだろうなと思ったのは
晩年「離婚など考えた事も無かった」と言った事です

母からは何度も私たち子どもに「離婚したらどちらにつくのか?」と聞かれたことがありましたが
「別れる」というばかりで・・・実行には移さなかった
子供たちが成人し「別れてもいいんだよ」と言ってみても
怒りを心に持ちながら 母親が亡くなるとその代わりの誰かの様に
父の存在に依存しているように見えました

そして離婚しなかったのは「あなた達子供の為だ」と言っていました
母は「家」と「子供達」の「犠牲になった」とずっと思いこんでいました

年を取ってから母は私に
今の人はいいわね 手をつないで 私も手をつないでほしかった・・・と言ってました

父の癇癪の「地雷」を踏むのが得意??で
「それを言ってはダメだよ」と何度私が止めても 言ってしまい 
大げんかになる事もよくありました

お互いに寛容になれなかった・・・可哀想な人達だなあと何度思った事でしょう

父の賭け事とお酒の依存にも近い状態には
「戦争体験」が重くのしかかっていたに違いないと 今になって私は半ば理解できるようになりました

経験した人にしか共有できない思いがあるから・・・
知らない人に話すことはなく心の奥に閉じ込めて・・・きっとそれが苦しくなって
他で発散させようと・・・そうなることもあるのかなあ~と

父はロシア軍につかまり捕虜となった経験を持ちます
連行されたことは話してくれましたが どういう場所でどういう方法で等詳しくは話しませんでしたが
ここにいては必ず死ぬ 一か八かと2人で「脱走」したそうです
もう一人の方の名前など聞いていませんが別れた後も少しは連絡を取っていたらしいです
お酒飲みながらあの時が無かったらロシアで死んでいたかもしれないと言っていました
ドラマのような出来事を記憶の隅に眠らせておくのはつらかっただろうと思います・・・

父が脱走に失敗していたら母と結婚できなかったし 私たちも生まれることはなかったなあ~
とっても不思議な「運命」です


母が父の欠点を並べて愚痴っている時は決して父の弁護をしてはいけない・・・
そんな場面で ちょっとでも父の良いところを言おうものなら・・・

顔を真っ赤にして鬼の形相になり 体をぶるぶると震わせながら「まっだわからんのか!!」と
うなるように叫ぶのです

母は妻で 私は子で その立場の違いなど思いやる事もせず
ただただ自分の気持ちに頷いてくれればよいのだとはわかりますが
私は母のDNAだけ持って生まれたわけではないので・・・
そんなこと聞かされたときには本当に悲しくなりました・・・

その4に続く





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最終更新日  2019.07.05 22:39:05
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