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この冬はまったく冬じゃあないみたい。ふつは、ドイツで一番暖かい当地でも、11月には零下になる日があるし、12月、1月ともなれば、氷点下はふつう、ときには零下15度などという日だってあるというのに、この冬は、これまで外に氷が張った日は1日か2日だけ。先週は、他の地域は雪や嵐があったけれど、当地は雪はふらなかった。そして、2、3日前から、もっとポカポカ暖かくなり、昨日は日中は17度になった。野鳥も花も、春がきたのかとまちがえているようで、シジュウカラがさえずり、ブラックバードも小声で歌っていた。一瞬、ヨーロッパコマドリもさえずった。バラは剪定もしない内に、なんと新芽を吹いてしまった。秋に残っていたバラの花もいまだに残っている。このまま冬なしで春になってしまうとは思えないから、いつかしっぺ返しがくるんだろうな。いったん、花を咲かせてしまった植物にとっては、大打撃のはず。地球の反対側では大雪になったり、気温が下がっていると聞く。そうなると、地球温暖化なんてない、と性急に思ってしまいがちだけれど、事はそう簡単じゃない。地球全体の気温が年々、上昇していて、北極の氷が融けているのは確かだから。氷がとけると、海水の温度が下がって、海流の状態も変わって、これまで寒くなかった地域が寒くなったり、天候の動きも大きく変わっていく。この先、どうなるのだろう。アフリカの干ばつがますますひどくなっている。この状態が続けば、政治状況や社会状況の悪さも手伝って、難民はますます増えるだろう。そうなったとき、ヨーロッパを始め、豊かな国はどう反応するのだろう。自分たちが享受している富を、飢えている人と分け合う気構えがあるのかしら。まず、自分に問うてみるほかないね。さあ、どうする?って。そのときには、「自分が飢え死にしている側の人間だったら、どうする?」と自問せざるを得ない。「もっとも大切なあなたというのは、幸運が尽きてしまったときに残されたあなただ」「人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である」とマーク・ローランズという哲学者は「哲学者とオオカミ」の中で書いていた。わたしは大戦後に生まれ、次なるカタストロフや戦争が起こる前にたぶん、消えているはずだ。それに、アフリカとか、シリアやイラクに生まれてわけでもなく、インドの道ばたに生まれたわけでもなかった。そう、とても運が良かった。ノホホンと生きてきた自分は、上の引用文に照らせば、まだ本当の自分、もっとも大切な自分を知らないのかもしれない。ホロコーストの記録や戦争のドキュメンタリーなどを読むと、どんな人間もおかれた状況しだいでは、想像できないほど残忍、卑怯になる可能性を抱えていることがわかる。個人の生活ではやさしい人間が、他の人間にどれほどひどい仕打ちができるかを知ると、人ごとではない気がする。ナチの時代に、強制収容所の監視員になっていたら、収容所に連れてこられ、仕分けされてガス室送りになる人を、身の危険をおかしてでも助ける勇気があっただろうか、それとも、他の監視員やナチといっしょになって、ひどい仕打ちをしていただろうか、、、。海の中のプラスチック、ナノ粒子(もう海水からつくられた食塩にすら微細プラスチック粒子は含まれているのだそうな)、昆虫や植物の激減、気候変動などなど、わたしも含めた人間たちがしでかした、自らの生きる基盤の破壊を思うたびに、ますます、自分も含めて人間嫌いになる。
2018/01/25
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前回の続きを書こうと思っている内に、時間がどんどんたってしまった。何か特別なことをしたわけでもないし、忙しくもないのに、残された(たぶん)少ない日々がどんどん減っていく。おまけに、珍しいことに、理由もなく発熱して、数日間は元気がなかった。熱は下がったけれど、後遺症として食欲がなくなってしまった。料理やパン焼きはする気が起こるのに、食べたい気がしない。前はおいしい料理のことを考えただけで、食べたい気持ちが起こったのに、今はいささか逆、食べ物のことを考えると気持ちが悪くなりそう、、、。体重も減った(お腹は出たまま、体重だけが高校生の頃に戻った)。こんなことを書こうと思ったのではなくて、フィクションとノンフィクションのことについて思う事の続きを書きたかった。いろいろなプログを読んでいて、いつも思うのは、事実の重み。実際にどこかの誰かが体験したことは、たとえそれがどんな些細なことでも、どんな平凡なことでも、刺激がある、説得力がある。もし、小説の中で、プログに登場するような日常茶飯事や「こんなお料理ができた」「こういうパンを焼いた」といったことが細々書かれていても、たいていの場合は読者は退屈すると思う。ところが、実際に存在する人がプログで身の回りの体験を報告すると、それが奇怪でも大きな出来事でもなくても、引き込まれる。そして、次はどんなことを体験するのかな、どんなお料理を作るのかな、ご家族はどんなことをしているのかな、などと楽しみになる。これって、「覗き見」的な刺激なんだろうか。前にも書いたけれど、小説はどんなに感動的でも、エキサイティングでも、ホラーでも、終わってしまうと、夢を見たあとのような空虚感に襲われる。面白かったけれど、こんなことは実際には起こらなかったんだという、「がっかり感」。そんじゃあ、わたしも実際に体験した諸々の冒険を赤裸々に書けばいいじゃん、と意気込んでは見るけれど、ちょっと書いてみて、恥ずかしくなるんだなー。なんだか露出狂みたいでね。というわけで、キッチンをウロウロするだけで、日々は過ぎていく。
2016/10/07
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日本でもポケモンGoがリリースされたそうですね。今日、こちらの新聞に載っていた「ポケモン関係、おかしなニュース」。ある男性が野外で(って当然か)ポケスポットを探している内に、トイレに行きたくなったそうな。けれども、トイレまで行っている間に取り損ねるポケがどれだけありかを想像して、トイレにわざわざ行くのがもったいなくて、道ばたに止めてあった友だちのクルマにおしっこをひっかけたんだって。その友だちは当然ながら怒って、警察沙汰になったそう。ポケモン探しは相変わらず続いているドイツでは、一方では若い男性の拳銃乱射で9人の方が亡くなったり、先週は鉄道内で難民少年が刃物をふりまわしたりと、メディアでの話題はもっぱらテロや無差別殺戮。今回の拳銃乱射をした男性が、数年前に起こった高校生の乱射事件(生徒や先生を何人も射殺してから自殺した)を「見習った」ということで、あの事件を事細かに伝えたり、犠牲者の家族にくわしいインタビューした番組もあった。さらには、ちょうど5年前の7月ににノルウエーで起こった右翼男性の連続テロも、今回のモデルだったということで、ラジオでは数日前、一日中といってよいほど、この事件を扱うニュースが多かった。こういうメディアの反応、あるショッキングな事件が起こるとそればかり伝えることには疑問を感じる。こういう大きな反応は、まさにこういう行為をする(したい)人やテロリストが目ざすことなのではないか。不幸でひとりぼっちで、仲間はずれで、希望も生きる意味ももてなくて、死にたくて、どうせ死ぬなら他人も巻き添えにしたい、と思う人は、どうせするなら、世間やメディアをあっと言わせ、一瞬でも世間の的になってから死んでやろう、などと思うかもしれない。また、テロ集団は、テレビや新聞やインターネットが彼らの行為におののき、騒いでくれれば、まさに思うつぼのはずだ。もしかして、世間やメディアが大騒ぎしたり、恐怖を表には出さず、こうした行為を「無視」したら、テロリストは「え、反応してくれないの」とがっかりして、この方法はとらないかもしれない。報道は大切ではあるけれど、それによって政治や制度や社会が改善されるような方向に向けた報道以外の、余計な(たとえば、被害者の涙を見せたり、「今、どのようなお気持ちですか」みたいな、心のプライベートな空間を無視するだけで視聴者や社会には何の役にも立たないようなインタビュー)、ただ視聴者の好奇心を満たすためだけの報道は何も意味がない。そもそも、テロや乱射事件に出会う確率、それで死ぬ確率は、自動車事故や病院感染、手術ミスで死ぬ確率よりも、はるかに少ない。わたしはアウトバーンや国道を自動車で走る(って自分ではドライブできないから、助手席で)とき、「本当に本気で」いつも怖い。交通事故の死亡者は減ったとはいえ、今でも一年に3400人余りの人が亡くなっている。病院に対してわたしが持つ恐怖感はもっと大きい。ドイツで一年間に病院感染(抗生物質が聞かないマルチ耐性菌などの感染)で死ぬ人は4万人だそうで、手術や治療ミスで死ぬ人も19000人だとか。それなのに、こういう報告書が発表された翌日にメディアでちょっと騒がれるだけで、すぐにこういうニュースは忘れられる。本当は、こういうニュースこそ、一日中ラジオやテレビで問題視され、討論やインタビューすべきなのに。なぜテロや乱射事件だと大騒ぎされ、市民が実際に恐怖を感じる(らしい)のに、もっと死亡確率がはるかに高くて現実的に恐ろしいこうした事件は大きく扱われないのだろう。本当は、病院の衛生の抜本的な改善(それには金がかかるんだそうで、病院は尻込み、そんな無責任なことがあっていいんだろうか)とか家畜の大量飼育における抗生物質の激減(マルチ耐性菌が増えないように)が必要なのに、数万人の無駄な死は、政治からもメディアからも、ほとんど無視されているとしか見えない。テロや乱射事件でご家族を失った方には、もちろん深く同情を禁じ得ない(とくに、子どもや孫を失った方はどれほど辛いかと思う)。それと同じほどの同情を、自動車事故や病院事故でご家族を失った方にも感じる。どちらも無駄な死なのだから、わたし個人は病院事故や感染の方がずっと怖い。だから、もし大病になっても、病院には行きたくない。メリットとデメリットの確率をどうやってくらべたらいいのかな。
2016/07/25
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UEFA欧州選手権(って日本語では言うんだな、こっちでは単にEMって呼ばれてる)が進行中。テレビの通常の番組がこのために大幅に変更されちゃうし、ドイツチームの試合がある日は道路が空っぽになり、大型のテレビスクリーンを置く野外カフェや飲み屋はどこもいっぱい。準々決勝があったときにはザールブリュッケンという町にいたのだが、ドイツチームが勝ったとたんに町中はコルソ(警笛を成らしながら車を走らせる)でうるさい。15分ぐらいで収まるかと思ったら、1時間たってもまだプープー鳴らして走ってるやつがいる。準々決勝ぐらいで、こんなにはしゃいでいいんかい?しかも、自分自身が闘ったわけでもないくせに、まるで自分の成果のようにはしゃく子どもっぽさは、男性特有なのかな。サッカーのファンを見ていていつも思うが、女性のファンもますます増えてはいるとはいえ、とくに男性のファンの行動はとても子どもっぽい。喜び方、応援のしかた、騒ぎ方、、、、、男性はおとなになっても子どもの属性をたくさん保っているのかもしれない。女性は(実際はともかく、理論的には)子孫を生み育てなければならないから、子どもっぽさを早くに捨てなければならないんだ。いい歳したオッサンがレストランで、テレビの試合を見ながら、ゴールが決まったわけでもないのに、応援チームのちょっとした成功があるたびに、ラッパの代わりに植物のみずさしを吹き鳴らしていた。ユーモアだと思っているらしかった。準決勝の対イタリア戦が始まる前、近所のキオスクではおばさんとお客の間でこの試合が話題になっていた。最初の客におばさんはドイツ国旗の小さなシールみたいなのをあげていた。次の客(明らかに本物のドイツ人女性)はおばさんに「わたしが応援するのはウエールズとアイスランドよ。この二国に決勝まで勝ち残ってほしいわ。ドイツには勝ってほしくない。あの傲慢さが我慢でいないわ」ときっぱり言っていた。なるほどな。わたしもこれを望みたい。ドイツは2年前にワールドカップで優勝したことで、かなりいい気になっている。試合ではかなりモタモタするくせに。高い金で買われているスター選手いっぱいのドイツチームよりも、無名のおじさん選手がいっしょうけんめいプレーしているアイスランドの方がシンパシーを感じる。イタリア戦があった晩、テレビで試合は見ずに、別の映画を見ていた。それでも時々、チャンネルを変えてチラホラ経過をうかがっていたら、なかなか結果が決まらない。ドイツが負けたら、ちょっと面白いことになるなあ、なんて密かに望んでいたんだけれど、ドイツチームってワールドカップでもそうだったけれど、運がすっごくいいのよね。結局勝ってしまったじゃないの。フライブルクでは長時間の車のコルソはなかった。ここの市民は冷静なんだ。残念ながら、アイスランドはフランスに負けてしまった。あー。残念。サッカー戦に関連して思うのだけれど、わたしのアイデンティティーってなんだろな。そもそも、アイデンティティーという言葉は複雑だ。辞書には「自己同一視」という訳語が書かれているけれど、この言葉ですぐに感覚としてピンとくる人って少ないんじゃないかな。アイデンティティーというのは、「あー、わたしってやっぱり日本人なんだ」とか「わたしはいかにも江戸っ子だは」とか「わたしは何々家の人間らしく生きている」とか「わたしは女性」といったような自覚、自己の帰属意識といったら良いかもしれない。わたしの国籍は今はドイツだ。30年もいるから、考え方や物腰もかなりドイツ的かもしれない。でも、一方では冷めた目でドイツ社会を観察している自分がいて、そのときのわたしのアイデンティティーは「ドイツで生活するガイジン」だ。じゃあ、日本人としてのアイデンティティーがあるかというと、日本のメンタリティー、国民性、心情は外からでもよくわかるし、和食に関連した部分ではおおいにアイデンティティーありなんだけれど、日本人としての自覚みたいなものはない。関心はたくさんあるので、現在のような社会情勢や政治情勢にいささか心配になるとしても、つまりは外からの傍観者でしかない。だって税金払うのもドイツ、選挙もドイツだから、責任や義務もこちらの国にあるしね。そんなことを考えていて、気がついたけど、そもそも自分には帰属意識が薄い。自分の家族への帰属意識もなかったかもしれない。林間学校でホームシックになったこともないし(家から離れてせいせいした気分だった、林間学校が楽しかったわけではないのに、だって友だちがいなかったしな)、よその家に泊まって家が恋しくなったこともない。だからホームシックというのがどういう感情なのかもわからなかった。ドイツに留学したときも日本に帰りたいとかいった、ホームシックは経験しなかった。それなのに、当市からいったん日本に帰ったときに、はじめてホームシックにかかった。涙を流して「フライブルクに戻りたい」とダダをこねた。別にこちらにいる特別の人間が恋しかったのではなく、この町、この社会、この雰囲気に戻りたかった。そして、実際に戻ってしまって、永住を決めてしまった。ということは、わたしのアイデンティティーはこの町の社会にあるのかな。たしかに、サッカーのブンデスリーガでも、SCフライブルクに勝ってほしい。ドイツのナショナルチームに勝ってほしい気持ちよりも、SCフライブルクにブンデスリーガで勝って欲しい気持ちの方が強い。この度、第二リーグからま第一リーグに再昇進して戻ってきて、ほんとにほっとしたもんな。サッカーファンでもないのだから、この気持ちはひとえにこの町とのアイデンティティーのせいなのだろう。冷めた気持ちで考えれば、これも一方的だ。わたしがいくらこの町やこの国にアイデンティティーを感じても、相手側はわたしをフライブルク人とかドイツ人とはまずは見ないだろうし、、、。それでも、いつも驚くのだが、スーパーなどで、ドイツ人のおばあさんなどが、「目が悪くて読めないんだけれど、ここに何て書いてあるの」とか「これは何」とか聞いてくることがよくあるし、町を歩いていて、ドイツ人に道を尋ねられることもよくある。外見がガイジンかどうかなど気にしないで、同国人に対するように対応する市民がほとんどなのは、とても気持ちがよい。ドイツで生まれ育ち、自分としてはドイツ人のアイデンティティーがあるトルコ人などがよく、「ドイツ人から『あなたドイツ語がうまいですね』と言われるとカチンとくる」と言う。その気持ちもわからないではない。自分としては生まれも育ちもドイツ人のつもりなのに、自分のドイツ語を誉められることで「あなたはドイツ人ではなくて、ドイツ語がうまいガイジンなんだよ」と釘を刺されるような気分になるのだ。相手に悪気はなかったにしても。外見もドイツのドイツ人にむかって「あなたドイツ語がうまいですね」とは誰もいわないもんね。わたしは心のどこかでこう思っている。アイデンティティーなんていらないんだと。自分は自分、ただの人間でしかない。何人かだとか、女性か男性かだとか、敢えて決めつける必要はないんだと。
2016/07/04
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どこかで聞いたり読んだりした発言、誰かがなにげなく言った言葉が、頭のどこかにいつまでもこびりついている。大事なことは忘れるし、大切な言葉もとんと浮かばないし、思い出のほとんどすら、もはや忘却の彼方にかすんでしまっているというのに、いくつかの言葉だけが肌のシミのように、いつまでの残っている。その一つが大昔、三十年以上も前に、藤本義一という人、あるいは彼の奥様が雑誌のインタビューで言ったこと。彼(または奥様)は「忙しい、忙しい」と言わないようにしている。彼によると、「わたし、忙しくって」という人は、そう言うことで、さも自分が勤勉だったり、重要だったりしているような気分になるのではないかという。なるほどね、たしかにそういう面があるわ。彼は、「忙しい」と周囲に言うと、周囲に無意識に心の負担をあたえるので、たとえ本当に忙しくても、口に出して「忙しい」とは言わないのだそうだ。この文を読んでいらい、わたしも「忙しい」と他人に言うことはなくなった。まあね、実際、忙しいと思うことはほとんどないんだけど。たとえ、することがたくさんあっても、忙しいという感覚ではなくて、「あれをしてから、これをして、そのあとあれをしよう。これとこれとは後回し」という感覚。そもそも、他人に「わたし忙しいの」なんて、言う必要はない。藤本氏が言ったとおり、「忙しい」と他人に言うことで、知らず知らずにネガティブな気分を与えてしまうことはあるだろう。もう一つ、心にとまった言葉は、インドでのこと。事の背景は話せば長くなる。今から10年前、友だち夫婦(夫ドイツ人、妻日本人)のご子息がロンドン在住のインド女性と結婚することになって、結婚式をインド(ラジスターン州の町)で盛大に(数日かけて!)あげることになった。お嫁さんのご両親もロンドン在住だったが、親戚その他が山ほどインドにいるので、お嫁さん側のお客は何百人にもなる。それで、ドイツ・日本側のお客の数をせめて20人ぐらいにはするために、わたしたちもかり出された(というか、結婚式出席にひっかけて、数週間のインド旅行をした)。で、結婚式が行なわれる町(お嫁さんの実家がある町)の駅にドイツ側からの出席者数人といっしょに到着したときのこと。お嫁さんの妹(イギリスで学業を終えて戻っていた)が下働きの男性たちを引き連れて、わたしたちを出迎えてくれた。下働きの男性たちは、わたしたちのスーツケースなどの荷物を運ぶため。インドは下働きと上働き、その中間などなど、階層がかなりはっきり区別されていて、ショックを受ける。で、この若い女性(新婦の妹)がわたしたちを出迎えたときに、友人夫婦(新郎の両親)に言った一言がいまだに、彼女のきれいな微笑み顔といっしょにしみついている。「ストレスいっぱいなの」の一言。どうして、これが頭に残ったのだろう。たぶんだけれど、その瞬間に、この言葉とそれを発した人の状況と、下働きの貧しそうな男性たちの姿、駅の状況、ひいてはインドの一般状況(道路で暮らす大量の人々、観光地で目の当たりにする貧富の大きな差などなど)との間に違和感を感じたからなんだろうな。このやさしくてきれいで、若い恵まれたお嬢さん(お父様と同じく医学を学んだ)がインドの駅で「ストレスで大変」と笑みを浮かべながら言うと、なんだかブラックユーモアみたいに聞こえる。友人(新郎の父親、とても穏やかなドイツ人)は息子の小姑になる、この女性にやさしく「それはたいへんだね」と言葉をかけていた。この出来事があっていらい、わたしは「ストレス」なるものに、懐疑的になってしまった。ストレスってなんだ?少なくとも、わたしは自分では「ストレスがたまる」などと周囲に向かっては言わないようにしている。ま、実際、能天気だから、ストレス感じないからだけど。たしかに、娘の会社での働かせられ方を見ていると(下っ端なのに、会社の引っ越しを少ない予算で一人で実行しなければならなかった。しかも本来の役目の傍らで)、ストレス過剰で倒れるんじゃないかと心配になるから、ストレスが実際に存在するのはわかる。本来は動物である人間が、これだけ自然から離れて、コンクリートの中で一日中コンピュータの画面に向かっていたら、それだけでもストレスになるだろうし。ほかにも頭にこびりついている、何気ない言葉があるはず、これから思い起こしてみよっと。
2016/05/13
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こちらの先週末の新聞には、久しぶりに日本に関する記事が載っていた。・「戦争法案」が、多くの市民の反対にもかかわらず、採決されたこと。・大都市のビジネス街では、黒や紺のスーツ姿ばかりが目立つが、猛暑の中、省エネのために「クールビズ」が唱えられ、「沖縄シャツ」(?アロハシャツのこと?)姿もチラホラ見られるが、メジャーになるほどには広まってはいない。・オリンピック競技場の建設費が予定を膨大に上回りそうなので、見直しが検討されている。また、昨晩のテレビのニュースは、福島原発近くの避難指定地域の指定解除を報道していた。国は「原発問題は解決した」としたいのだろうな。解除すれば、避難のための慰謝料も払わないですむし。場所によっては、通常の20倍の放射能が検出されているのに。日本には息子家族や弟家族が住んでいるし、わたしもたまには日本で仕事もしているけれど、自分が住んでいて政治の恩恵・弊害を被っているわけではないし、公的には「わたしの国」でもないので、外からとやかく言いたくはないけれど、やっぱり哀しくなる。ヨーロッパは、中東、ロシア・ウクライナ、北アフリカなどの戦争・内紛・テロ戦争に取り囲まれている。今はまだ、平和そうに見えるヨーロッパだけれど、いつ何が起きるかわからない。戦争って、エネルギーの無駄、金の無駄、命の無駄、無駄だらけだ、あー、もったいない。これに遣う金で、飢えている人、熱帯林、汚染する水などなどなどなどを守ったら、どんなに意味があるだろう。なんてことを言うと、「おまえは幼稚(ナイーヴ)だ、現実はそんなもんじゃない」と言われるんだろうな。アメリカは中国やロシアを鑑みて、日本やヨーロッパの国々にもっと軍事費を出させて、軍備を強化する。敵国だなんて言ってる場合じゃないのに。こういう国とも、なんとかうまくやっていくのが、政治的な手腕じゃないのかなあ。こんなことしている間に、ISがどんどん勢力伸ばしそう。ISに参加する若者が続出しているのも、根本にはそれぞれの国の政治の悪さが原因。失業し、将来に見通しがなく、住むところさえもない若者たちが(たとえば、チュニジア)、ISの誘惑にひかれて参加するのだそうだ。「今よりはマシ」というわけで。世界中で、金の使い方がまちがっているみたい。人間は自分の命の時間軸で物事を考え、すぐに利益を得る道を選んでしまう、情けない存在だと思う。孫子の世代がどうなるか、なんてことは、理論では考えても、実行には移せない。目先の景気回復、雇用促進、経済成長のためには、長期的なダメージは思考の枠外に追いやられてしまう。長期的には省エネが大切なのはわかっていても、目先の猛暑から逃れるためには、冷房をつけたくなるのと同じ。わたしだって、「人生は一回きり、短い人生、マグロが海から消えない内に食べちゃえ」となるから、他人のことは言えない。そもそも人間って、とんでもない欠陥がある動物なんだな。自分の生活場所を自分でこわし、同じ種の仲間を必要も無いのに殺し合い、食べらきれる以上の動物や植物を殺しては捨て。もし神がいるなら、言いたい。「なんでこういう動物をつくったの?」って。今週も、最高気温36、37度になるって。ああ。ドイツではこれまで冷房をもつ家なんて、ほとんどなかった。オフィスでも冷房なしが多い。これまでは、こんなに暑い日は、一夏にせいぜい数日、高々一週間ぐらいだったし、空気が乾燥しているので(今日は「蒸している」方だけれど、それでも40%、ふつうは30%)クーラーは必要なかった。それが、暑い日が何週間も続くようになって、クーラーを入れる家が増えてきたそうな。悪循環を呼ぶだけなのに。昼の12半の今は、まだ日が当たらない西側の窓から風が吹き込んで、気持ちがいい。それでも、日が当たる側の窓は閉め切って、熱風が入らないようにしている。午後の4時から6時が「魔の時間」。西側がすんごく暑くなるので、窓は閉めなければならない。東や南側もまだ熱が残っているから窓が開けられない。日がすっかり落ちる9時から10時になって、やっと冷気を入れることができる。ここ数週間、窓を開けたり閉めたりの繰り返し。でも、こんなことが悩みだなんて、平和とはなんとありがたいことか。ある方がメールで、日本の新聞に出ていた「自由と平和のための京大有志の会」の声明文を送って下さいました。的を得た、とてもいい文なので、お読みでない方のために、以下にコピーします。世界の平和がこれ以上、こわされないことを願って。戦争は、防衛を名目に始まる。戦争は、兵器産業に富をもたらす。戦争は、すぐに制御が効かなくなる。戦争は、始めるよりも終えるほうが難しい。戦争は、兵士だけでなく、老人や子どもにも災いをもたらす。戦争は、人々の四肢だけでなく、心の中にも深い傷を負わせる。精神は、操作の対象物ではない。生命は、誰かの持ち駒ではない。海は、基地に押しつぶされてはならない。空は、戦闘機の爆音に消されてはならない。血を流すことを貢献と考える普通の国よりは、知を生み出すことを誇る特殊な国に生きたい。学問は、戦争の武器ではない。学問は、商売の道具ではない。学問は、権力の下僕ではない。生きる場所と考える自由を守り、創るために、私たちはまず、思い上がった権力にくさびを打ちこまなくてはならない。
2015/07/20
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数日前からヨーロッパでは、リビア沖で起きた難民船の転覆事故が大きなニュースになっています。死亡者は700から950人と推測され、2013年のイタリア ランペドゥーザ島沖での沈没事故(死者366人)をも上回る犠牲者に、改めてヨーロッパの責任が問われています。ここ二、三年、アフリカ(エリトリア、ソマリアなど)から、そして現在も内戦が続いているシリアからの難民が激増しています。アフリカからの難民はリビアから、古い漁船やボートにあふれるほどの数で、水も食糧も満足にないような状況の中でやってくるので、途中ですでに亡くなる人も多いですし、沈没事故も毎日のように起こっています。去年だけでも難民船の転覆で数千人が死亡したとも伝えられています。こうした事態に対して、これまでヨーロッパは救済を真剣にはやっきませんでした。船が着くイタリアは、救出を自国だけでは手に余るとして、救助対策は一年で打ち切られ、今は難破事故が起こったら、近くを通っている貨物船が対応する程度とか。今回の大事故で、政治家達は「こんなことはあってはならない」とは言っていますが、その口から「悪いのは、難民の手引きをする斡旋人だ」という言葉も。たしかに、斡旋人は人買いみたいな面もあるので、罪はありますが、斡旋人に金を払ってでも、そして死ぬ確率が高いことがわかっていても、自国から逃げてこようとする人は後を断たないのです。その中には、赤ちゃん連れの女性や子どももたくさんいます。難民の中には、アフリカを何ヶ月、いえ一年以上もかけて移動して、やっとヨーロッパの端までたどり着く人もたくさんいます。途中で水がなくなり、死ぬような、地獄のような目にあって、やっと目的地にたどりついたら、難民として認知されずに追い返されてしまったのに、地獄が待っているのがわかっていても、またもヨーロッパめざす人もいます。それほど、自国での生活がむごい、厳しいということ。理由は経済的なものもあれば、政治的なもの(たとえば、独裁政治家に反対して、捕まれば殺されるか、拷問を受けるかの結果が待っている)。トルコを介してなどで逃げてくる、シリア人の場合には、内戦で生活場所を失い、いつ爆撃で死ぬかもわからない人たちです。難民の多くが、社会福祉で名高いスエーデンや、経済的に豊かな(?)ドイツを目ざすそうですが、受け入れる側もたいへんです。具体的に受け入れる、つまり難民が住む場所を確保して、生活の面倒を見るのは、国ではなくて、それぞれの自治体ですが、自治体は借金をかかえて、どこも財政難(だからドイツだって豊とはいえないかも)ですし、そもそも難民用の住居ができるというと、周辺の住民が反対するので、これすらむずかしいのです。たった数十人の難民を受け入れると発表した、旧東ドイツのある町の町長は、住民から脅迫状を受けたり、家族が脅かされたりしたために、ついに町長の座を降りてしまいました。難民用の住居が放火される例も、しょっちゅうあります。フェイスブックには「ついでに難民も焼ければよかったのに」などというメッセージをアップする人も後を断ちません。ドイツ人だって、敗戦後は難民だった人がたくさんいました。戦前はドイツの一部(東プロイセン)だった現在のポーランドやロシアの一部から、ナチの敗戦で西に逃げてきたのです(日本の満州からの引き上げと同じ)。BFも2才から3才以上になるまで、母親や姉妹ととぼとぼと徒歩で荒野をさまよい、空き家に身をひそめながら命からがら逃げてきた難民の一人です。こうした難民の多くは途中で死んでしまいました。ですから、ドイツ人だって難民の心理や状況は理解できるはずですが、現実には、「近くに難民がきたら泥棒が増える」とか「怖い」とか、理由なく不安がる人が多いのです。肌の色が違う、顔つきが違うというだけで、「怖い」と思ってしまう。不安というのは理屈ではないですから、これをただ、否定しても、相手の思いを変えることはできませんしね。「じゃあ、お前は自分の住まいの一部屋に難民家族を住まわせるかい」と聞かれたら、わたしだってノーと言ってしまいます。でも、自分の家の隣や近所に、難民の家族が住むことには、ぜんぜん反対ではありません。一カ所に難民が何百人も集中するセンターではなくて、地域ごとに何人かが分散的に住んで、地元の人と混じりやすくする方が、孤立しないし、地元民もなじみやすくなると思うから。文化交流にもなります。考えてみれば、わたしだって、難民ではないにしろ(ベトナム戦争後には大量のベトナム難民をドイツは受け入れたのでベトナム人はたくさんいます)、ガイジンなんだから、疎まれる可能性もあるはずだけれど、そういうことは経験しないですんでいます。アフリカに関していえば、本当は長期的には、アフリカの国々の貧困の原因(たとえば、ヨーロッパが自国の農産物を補助金をつけて、アフリカに安く売るので、アフリカ自身が自国の農産物を売ることも買うこともできなくなる)を解決するような対策、海外援助のお金がどういうわけか独裁者などの金持ちの手にわたってしまうのをやめて、地域の人々が自分の力で生きていけるような援助が実現するような金の出し方をするといった、根本的な政策の転換が重要なのでしょうが、それもなかなか実現せず、そういっている間にも、船の難破は毎日のように起こり、毎日、何十人、何百人もの命が失われています。一ヶ月ぐらい前に起こった、フランス山中でのジャーマンウイング航空の飛行機墜落事故(副パイロットの自殺行為)で、数十人のドイツ人(その多くが、スペインのホームステイから戻ってくる途中の生徒たち)が亡くなったときには、その晩は一部の娯楽系の番組は中止され、首相も大統領も追悼式に参加するほど国をあげて嘆き、悲しみに長い間ひたりましたが、アフリカ人が千人近く亡くなったことへの反応は、「こういうことはあってはならない」程度の反応です。命は同じと思うのですが。ヨーロッパのすべての国が難民を受け入れているわけでもなく、数国に難民が集中することも問題を大きくしています。そんな中で、先週末、すばらしいイベントがありました。友だちのドリスがヴォランティアでお手伝いしている、「難民による難民をテーマとした音楽劇」。フライブルク市立劇場の演出家の一人(女性)が企画、実行したプロジェクトです。一年前には、難民としてドイツにきたばかりで、ドイツ語がほとんどまたは全然話せなかったアフリカ人、シリア人、アラブ人などが「亡命、今と昔」をテーマに劇をし、歌を唄い、踊りました。長い台詞をとうとうと話し、身振り手振りもなかなかで、みなさんとってもすてき。プロジェクトは大成功で、観客の喝采をあびました。このような企画によって、市民の難民への偏見が少なくなることを祈ります。
2015/04/22
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こだわらないバゲット posted by (C)solar08三本同時焼き!バゲットの気泡を開かせるには焼成の温度が高いことが大切、一度に何本もオーブンに放り込んではだめ、最高温度が230度にしかならない私のスティームオーヴンならなおさらのこと。とは知りながらも、時間とエネルギーの無駄に耐えられなくて、三本(一本当たりの粉量150g)を同時に焼いてしまいました。でもね、結果は一度に一本を焼いたときと変わりがありませんでした。なーんだ、一本で焼いても三本でも同じぐらいのできなら、これからは三本同時に焼こうっと。大きな気泡ボコボコはどのオーヴン(最高温度300度の4面石張りのオーヴンでも)でも達成できなかったので、もうこれ以上はがんばらないぞ。石張りオーヴンで試したのはたった数回だけだけれど、もう試す気にもならない。「もう試す気にもならない」というのがいかにも自分らしいです。とことんは突き詰めない、頑張らない、こだわらないの(こだわらないことにこだわる、と名言をおっしゃった方もいますが)。歌手でも、音楽家でも、大金持ちでも、画家でも、小説家でも、ある一つのことに執着し(オブセッション)、こだわり、人並みならぬ努力をし、何もかにも忘れて没頭した人だけが成功するのだと思います。絵を描かずにはいられない、冷や飯をくってでも小説を書きたいという衝動。何をしてでもいいから、金が欲しい、有名になりたい、という強い願望。ピアニストになったある同級生は、1日7〜8時間も練習すると言っていました。うー。パンオタクだって、クープを開かせるために毎日何本も焼いたという方は数知れずいらっしゃるようです。わたしにはこういうオブセッション、こだわりがまるで欠けています。ちょっとやってみて、「あ、クープは蒸気があればある程度は開くんだ」とわかれば、もうそれで興味は失せ、気泡はわたしの技量ではこれ以上はだめらしい、とすぐにあきらめるの。「気泡が開いたからって、どれほど味が変わるのさ」などと言い訳をしながらね。そもそも、がんばる、というのは具体的な対象や目的や動機がなければ、できないことだと思います。「勉強、がんばりなさい」などと子どもに言っても、何にがんばったらよいのか、何のためにがんばるのか、何にがんばりたいのかわからなければ、がんばれないと。勉強にがんばれば、成績がよくなって、良い学校や大学に入れて、良い大学を卒業すれば良い会社に勤められて、、、と言われても、「それでどうなる」、その先に何があるのかが見えなければ、そんな途方もなくあやふやな目的のために、がんばるのはむずかしいだろうなあ。他人よりも出来が良くなりたい、という願望が強い人は別として。やはり同級生の中に、ビートルズに熱中した女の子がいて、髪型もビートルズ、話題もビートルズだけ。彼女はいじめられはしなかったものの、周りから「どうせまたビートルズの話でしょ」といささか嘲笑されていた部分もあったようです。でも、彼女はそんなことも気にせず、寝ても覚めてもビートルズ。そして、ビートルズの歌を理解するために、英語にはものすごくがんばっていて、他の課目はともかく、英語だけはものすごくできるようになったようです。こういう動機って、すごい推進力を発揮するのですね。わたしも一度だけ勉強にがんばったことがあります。中学3年のとき銀座の「かねまつ」のショーウインドウで赤のハイヒールを見つけて、父に「欲しい」と言ったら、賭け事が好きな父は、「賭けをしよう。学年で3番以内になったら、買ってやる」と言いました。まがりなりにも「名門」私立の学校に、ビリっケツ近くでやっと入れたわたしには絶対に達成できないことに、父は賭けたのです。でもね、赤いハイヒール欲しさに動かされて、例外的に頑張りましたよ。困ったのは体育。こればかりは努力しても成績はあがりません。跳び箱もでんぐり返しもできないから(体が反射的にすくんで動かなくなる)。それを補うためには、努力すれば何とかなりそうな他の教科を一応は勉強しましたよ。とにもかくにも頑張ったおかげで、父にハイヒールを買わせることができました(学年での番数は公表されないのですが、先生に「ハイヒールがもらえるかどうかがかかっている人生の一大事態」と言って、お願いしたらこっそり教えてくれた)。人生で最初で最後のちゃんとした(かかとの細い)ハイヒールだったかも。ここで頑張れたのは、ハイヒールという具体的な動機、どうしても達成したい目標があったからだと思います。ハイヒール獲得後は成績が元の状態に下がったのは、言うまでもありません。父親は二度と同じような賭けをしようとは言ってくれなかったから、やる気なくした。オタクというのは典型的なオブセッション型の人間、自分の好きなことにこだわって努力し、がんばる方ですね。えらいなあ。わたしはある程度「こうやれば、たぶんこうなるらしい」とわかった時点で、それ以上はこだわって追究しないから、何事も中途半端で終わってしまうんだろうなあ。もう人生も最後の段階。いまさらがんばって何になる、という思いがまず来てしまって、色々な事に手を出しては、しばらく後にはやめてしまいます。人生を振り返って強く思うのは、自分がどうしてもやりたい、こだわりたいということを若い内に見つけることがどれほど大切か、ということです。「これができるのなら、たとえ貧乏でもいい」というものを見つけること。でも、学校の勉強というのは、こういう「自分が好きなこと」を見つける作業を阻止する面がありますね。わたしにとってはそうでした。やってみたいな、という興味がわいても、目の前に期末試験などがあると、したいことや読みたい本は後回しにして、まずは試験の準備を適当にしたりしている内に、時間がどんどん過ぎて、気がついたらおとなになっていて、大学は出たけれどやりたいことは別に特にはなし、という自分に気がついたけれど、それを見つける努力もまたしてもせず、まずは目の前にいたすてきな男性と結婚し、子どもをもうけ、、、、と。「君はいったい人生で何をしていきたいの」という疑問を、結婚後間もなく夫(いまでは元夫)から突きつけられて愕然とした気持ちは、いまだに強く残っています。その結果(かどうかはわからないけれど)、唯一ある程度はこだわって実行したのが、こちらで生活をすることだけだったなんて。これもまた、かなり適当な面があって、頑張ったなどとは言えないし、、、。ま、人間もいろいろ。こだわり、がんばるタイプの人もいれば、こだわらないで色々なことをちょこっとだけするタイプの人もいるからこそ、社会が面白いのかもしれません。いまさら頑張るタイプになろうとも思わないし、なれるわけでもなさそう。ここまできても、いまだにがんばらない自分をすぐに許します。バゲットもこれでいいのよ。同時三本焼きで。前回に書いたスーパーの安売り椿、最後のつぼみが全開しました。大輪の椿みたい。これはお買い得だったわ。大事にしよっと。Camellia japonica posted by (C)solar08
2015/03/05
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このところ、特に旧東ドイツ、中でも特にドレスデンでは、ペギダ(西洋のイスラム化に反対する愛国的ヨーロッパ人 )と名乗る集団が毎週月曜日に大きなデモ(デモではなくてお散歩だとしていますが)をしています。場合によっては1万人もの「ふつう」の市民が集まって、声高々に「我々は国民だ」(我々こそが国民だ、というようなニュアンスが感じられる)と叫んでいます。このフレーズは、旧東ドイツと旧西ドイツが統合される前に、旧東ドイツ人の多くが毎週、月曜日に集まって、旧東ドイツの独裁政治に反対して唱えたシュプレヒコールと同じです。ペギダをなす人々はイスラム教徒と過激なイスラム原理主義者の区別をせず、回教信者なら誰もがテロリストであるかのようにとらえたり、宗教を問わず難民・移民に反対し、果てはユダヤ人の排斥を唱えるナチがかった傾向の人も混じっているようです。よりによってイスラム信者の割合がとても少ない(0、2%)ドレスデン、そもそも外国人が少ないドレスデンでどうして?と不思議がられてもいますが、その謎はまだ解けていないようです。イスラムを理由なく怖がる人もいます。パリでのテロによって、この恐怖は拍車をかけられたようです。政治が自分たちのことを考えてくれない、という不安がこうした心情を生み出す、ということも考えられます。たしかに、世界のどこでもと同じくドイツでも、ますます金持ちとそうでない人との差は大きくなるばかり。勤勉に働いても、生活がなりたたない人は増えています。自分の惨めな状況を移民などのせいにしたくなるのでしょうか。人間って、疎外感や劣等感をもつと、自分よりももっと「下」とみなせる人を探して、ばかにしたり、差別したくなる傾向があるでしょう。いじめという現象もその一つだと見ることもできます。いずれにしても、ペギダに参加する人たちは色々な形の不安や不満をもつ人の混合で、ナチ的な人もいれば、単に外国人を嫌う人も、あるいは政治に置き去りにされた不満感をもつ人もいるようです。ドイツは積極的な移民政策をとろうとしています。少子化、高齢化が進んで(日本ほどではないですが近いです)、このままだと将来年金を払ってくれる若者や中年層が足りなくなるし、職業能力のある労働力も不足するので、若い移民を受け入れることが、経済的にも緊急に必要だからです(経済界からの言葉)。それに対しても、ペギダは反対しているのです。ガイジンが多くなって、自分たちは損をすると。国営放送の政治レポート番組で、ペギダに参加する人にマイクが向けられました。ある男性の言葉にびっくり。「外国人を入れれば、ドイツは得をするなんて嘘だ。こんなニガーやガイジンは読み書きだって出来るようになりゃしないよ。やめてくれよ。南チロルだったら、こんなやつらは滞在許可をもらえないよ。やつらは作業所で働くことなんてできないんだから。ネジの一つの回し方も知りやしない。こんな連中を連れてきて、それが社会的な産物だなんて、やめてくれよ」とまくしたからです。この暴言には、別のデモ参加者もちょっとたじろいていました。画面を見ていて気がつきました。こんな差別的で、嘘もまじった暴言を吐いた男性の声と姿に見覚えがあります。あら、これはカールだ。前にこのブログでもなんどか紹介した、BFの旧友です。旧東ドイツの山にある、古いポストの建物を自分の手で改造して、すてきな家にしてしまった、元歯医者。彼には昔からナチ的なところがあったそうですが、外国人を赤裸に見下すような失礼なことをカメラに向かって言うとはね。自分だってトリックを使って、税金をまぬがれたりなどいろいろ怪しいことをしているくせに。毎年、カールの家を訪ねているのですが、去年は行きませんでした。なんだか、もう彼のところには行きたくなくなった。こういう人々でペギダは成り立っているのかな。ペギダのデモのニュースでマイクを向けられた、若いアジア人(中国人かベトナム人か)の女性は「私はドイツで育ち、今は大学で社会福祉を学んでいる。自分はドイツに同化したと思いたいけれど、こういう運動を見ると、いくら努力してもドイツ社会には入れてもらえないと感じる」と涙ながらに訴えていました。幸い、私の住むフライブルクはとてもリベラルでオープンな町なので、ペギダを支援する人はいるにはいますが、少数です。そして、昨日はペギダに反対する市民の自発的なデモ(一人の個人がフェースブックで呼びかけた)に2万人が集まったそうです(フライブルクの人口、約20万人)。おかげで、この町でガイジンとして辛い思いをすることはありませんが、そもそもガイジンってなんだろうと思ってしまいます。もう30年もこの地に住み、国籍もとり、税金も毎年まじめに払い、選挙にも行き、日本からの収入もこちらで支出し、こちらの言葉で考え、、表現し、ドイツ人の友の中にいても、ガイジン?まあ見た目はどう見てもガイジンだけどさ。日常生活で差別されていると感じることはないし、道路上などで「ガイジン、出て行け」などと叱責されたことは一度だけだし、襲われたこともないけれど、もし自分が若くて、就職などを探したとしたら、やっぱり差別はあるのかもしれません。それだからこそ、娘のことが心配になります。五歳でこちらにきた彼女は母国語がドイツ語で、幼稚園から大学までドイツの教育を受けているので、頭の中はドイツ人のはずですが、見た目も名前も純粋日本人。いやだね。こういう下らない心配をしなくてはならない、という状況がとても嫌です。今もヨーロッパ社会のこうした傾向が、イスラム原理主義だののテロへの恐怖から来ていることも確かですが、恐怖というのは論理的ではないから困ります。ドイツでこの十年にイスラム原理主義のテロで死んだ人は2人だとか。一方、若いネオナチによって殺された人(ドイツに定着して店などをやっている堅実なトルコ人が主)は10人。もっとすごいのは、病院の細菌感染(マルチ耐性菌)で死ぬ人はドイツだけでも、一年になんとなんと、4万人だそうです。その内の2万人の死は、病院が感染対策をきちっととっていれば、避けられたそうです。七面鳥、ニワトリ、豚などの飼料に抗生物質が多量に使われていることから、抗生物質が効かない耐性菌が増えてしまったのだとか。ペギダよりも、病院の細菌対策(オランダではスクリーニングによって防がれているのに、コストの点でドイツの病院は及び腰)を訴えるデモをした方が、命のためになりそうよ。
2015/01/24
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洗濯機のドラムが回転するのを、ぼっとして何分間も見つめている間に思ったことがあります。洗濯機とは全然関係ないけど。日本のあるすっごく大きくて有名な組織の部長さんが、一頃は何年もの間、毎年お客さまたちを引き連れて、当地に視察に来ていらっしゃいました。わたしは当時、こうした視察客のご案内や通訳やレクチャーなどをしていました。この部長さんは本当に気さくな方で、顔にいつも微笑みを浮かべ、ちょっとしたジョークを出してはメンバーたちの心をほぐし、わたしのためにはいろいろな和食材とか、自作の佃煮までわざわざ持ってきてくださいました。わたしよりも小柄なのに、わたしの重い鞄を持って下さったこともあります。恐縮して、「どうお礼をしたら良いんでしょう」と言うと、「体があるでしょう、カラダが」と、いつものノホホン顔で一言。この方の口から出ると、こういう悪い冗談も無害に聞こえるから不思議です。「こんなカラダでよろしければ、どうぞ。減るもんじゃないですから」と言いそうになりましたが、やっぱりね、日頃ユーモアに慣れてないので、「何をおっしゃいますか、このオバはんに」とかなんとか、もぐもぐごまかしただけ。ある時、今度はわたしの方が東京に出向いて、この方の組織が主催する催しで仕事をしたことがあります。組織の中で部下たちに指揮をとる部長さんのお顔からは、いつものひょうきんさはまったく消えて、厳しくて、ちょっと怖くいほどなので、びっくりしました。同じ人なのに、場所や状況が変われば、これほど変わるものとは!これがプロなのでしょうね。わたしの父方の祖父は世間知らずとも言える学者で、他人のことはまったく思いやれなくて、大学でもたくさんの方にいつも迷惑をおかけしていました。祖父のこのような性格にもかかわらず、最後まで祖父を慕って、祖父の元にしょっちゅういらして下さり、山登りなどにもお伴をして下さった方がいます。せっかくいらしたのに、祖父が長いこと待たせたり、約束をすっぽかしたりしても、この方は怒りもせず、まん丸いお顔にいつも善良そうな笑みをうかべているので、子どものわたしには、この方が善意のかたまりのように見えました。祖父の死後、一度この方にお会いしたことがあります。どこかの中学校の校長先生におなりになっていたこの方のお顔からは、昔のような善意の微笑みはほとんど消えていて、校長先生特有(?)の横柄とまでは言えなくても、しゃちこばった表情のお面をかぶったようになっていました。あの、他人の心をほぐすようなニコニコ顔も、時と場合によっては出てこないのだなと思うと、ちょっと寂しくなりました。先生といえば、大昔、二学期間だけ、ある地方の中学校の代替え教員(産休をとった教師の身代わり)をしたことがあります。そのときにも、驚いたものです。職員室では初々しくてやさしげな若い新米女性教師、目がぱっちりの可愛い女性教師、ユーモアたっぷりの男性教師たちも、教壇に立って生徒たちを前にすると、先生方に共通して見られる、ある特有の表情が浮かぶのです。なんと表現したらいいかなあ。慇懃無礼ではないけれど、まあ威厳に満ちた顔とでもいいましょうか。「甘く見るなよ」という姿勢を無言であらわしているような顔。見る側が黙ってしまうような顔。やさしくない顔。あ、そうそう、ふてぶてしい顔。あのお目目ぱっちりのやさしい女性の口元がふてぶてしく、微妙にひねられて、やさしさが消えるのです。それまで教師などしたことなく、家で3才と10才の子どもや夫にだけ相対していたわたしには、すぐには身に付かない顔でした。こういうの、生徒はすぐに見抜きます。若い新米女性教師がひとこと怒鳴れば、生徒たちはすぐに静かになるのに、わたしが声を大ににしても、誰も聞いてくれません(放課後の掃除も逃げられて、わたしが一人でした。ウー)。わたしのようなおばさんがほざいても、、家でお母さんに言われるのと変わらないから、生徒はビクともしないのよね。一人の生徒が言いました。「せんせー、もっと厳しくしなきゃだめだよ」と。わたしは、「わたしは教壇の上からあなたたちを見下すような姿勢はとれないの。同じ人間どうしとしてしか付き合えないの。あなたたちが知らないことを教えることはできても、だからってわたしの方が偉いわけじゃないから」と答えるほか、言葉が見つかりませんでした。ま、こういうわけで、先生失格だと思って、2学期間つとめただけで、教師生活は終わりました。マダガスカルに行ったとき、最初の二日間、あるドイツ人男性と彼のパートナー(マダガスカル人の女性)、彼女の連れ子である二人の女の子と彼と彼女の間に生まれた男の子が住む家に二日間泊まらせていただいたことがあります。この女の子たち(8才、10才ぐらい)はとても可愛くて、やさしくて、言葉は通じないのにわたしにもなついてきました。マダガスカルでは、生活程度がまあまあ高い家には、家族の親戚などが頼ってきて、家と同じ敷地内にある小屋のような所に住んで、掃除などの下働きをすることがよくあるようです。この家でも、女性パートナーの親戚らしき使用人とか、親戚の子どもたちが何人も小さな小屋に住んで、毎日必要もないほどの掃除や洗濯(手で洗う)をしていました。毎日するから、もう洗う物も掃除をする場所もないくらいほど。家の子どもたちが遊んでいるそばで、親戚の「使用人的」子どもたちは働かなければならないのです。ちょっと奴隷みたいな感じです。それでも、昼間、ドイツ人男性がいないときには、こういう「使用人的」子どもたちもこの家の子どもたちと遊んだり、テレビを見たりしていますし、この家の子どもたちが小屋の方に行って、遊ぶこともあります。その様子を見ていて気がついたのですが、わたしにはとても可愛くて、あどけない表情をする女の子たちが、彼女たちにとっては従姉妹である「使用人的」子どもたちに対しては、全然ちがう表情をするのです。これも、さっきの先生的な表情とどこか似ていることに、わたしは気がつきました。さっきまでのあどけなさは、どこかに消えてしまって、「わたしとあんたたちとは身分が違うんだよ」というふてぶてしさを含んだ表情。こんな小さなときから、こういう階層意識のようなものが植え付けられるのだということがちょっとショックで、この時のことは今でも忘れられません。昔は日本でもそうだったのかな。今もそういうことはあるのかな。そういえば、このマダガスカル人女性は、ドイツ人男性が正式に結婚してくれないことにいらだっていました。いつか彼が男の子だけを連れて、ドイツに戻ってしまうのではないかと怖れていたようです。そうなったら、この女性も、使用人たちから「マダム」と呼ばれて敬われる生活から、また元の生活に戻らなければならないかもしれないからでしょう。彼女もまた、わたしたちには本当の表情(らしきもの)を見せるけれど、使用人たちにはかなり横柄な「マダム」的な態度をとっていたわ。マダムが板についたのね。人は時と場合に応じて、色々な顔をもたざるを得ないのでしょうね。職場ではそれなりの役職の人間を演じ、家でも父親、母親の顔を演じ、最後にはどの顔が自分の顔なのかわからなくなるのかなあ。わたしも場合によっては顔が違うんだろうか、、、。知らない内にふてぶてしい顔をしているんだろうか、、、。
2014/12/20
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ぜんぶ食べちゃった posted by (C)solar08自分の子どもが小さなとき、子どもの将来について心配したことはほとんどなかった。それどころか、幼い娘を、言葉もわからないこの国に無理矢理つれてきたり、あちこち引き回しても平気だった。それなのに、娘の子どもを見ていると、心配で心配でたまらなくなる。親ばかならぬババ馬鹿。でもね、心配する根拠はたくさんあるの。汚れまくる海。一見きれいに見える海も、たいへんなことになってるんだね。歯磨きクリームや化粧品に含まれるプラスチック(ポリエチレン)の微粒子で汚される海。この微粒子はあまりに微粒で下水処理場のフィルターも透過して海に入り、魚の口に入り、最終的には人間の口に入るそうだ。実際に、牛乳や蜂蜜からこの微粒子が検出されている。微粒子が体の組織に入り込むと、炎症を起こす危険性があるとか、、、。化粧品の微粒子だけでなく、無為に捨てられるプラスチックやビニール袋も最終的にはプラスチックの細かい粒となって海にたまり、魚の体内に入り、最終的には、、、、という同じプロセスが起こっている。福島原発から出る放射性物質で、海洋が汚染されているのはもとより、北海の海底にも、昔沈められた核廃棄物の缶がたくさん潜んでいて、放射能汚染はあるはず。海だけの問題ではなくて、地球は悪くなる一方。戦争の危険だってますます大きくなっている。今はおばかなことに、ウクライナをめぐってロシアと欧米が意地の張り合いをしているけれど、どっちもどっち。欧米だけが正しいとは思えない。それだけでなく、世界じゅうで戦争に似たことが起こっている。そもそも、世界中の人が先進国なみのレベルの生活をしようとしたら、地球はいくつあっも足りなそう。それがわかっていても、わたしだって生活を変えようとはしないし、世界を変えようと努力するわけでもなし。多くの人がそうなんだろうね。ブツブツ言っている間に、危機はじわじわと大きくなっていく。ワタシ自身は幸運だった。第二次大戦後に生まれ、高度成長にのってそれなりに暢気に暮らし、今世界がしていることのツケが回ってくる前に地球からおさらばできそうなのだから。でも、この子、今は毎日楽しそうに遊び、食べ、しゃべりまくっている子が大きくなる頃には、どれほどの苦難が待ち受けていることか。考えれば、心配はつのる一方。でも、外では鳥がさえずり、桜やハクモクレンやレンギョウや水仙やクロッカスや沈丁花などが咲き乱れている。今年は春が一ヶ月早く来てしまった。これだって、本当は心配の種になるはずだけれど、個人的にはうれしくて、心配も忘れて、春ののどかさにひたってしまう。
2014/03/14
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テレビで、コメディアン(ドイツの)がこんな調子で漫才(のようなもの、風刺を込めたお笑い話)を始めていました。「ゾウがラクダに向かって「おまえ、背中におっぱいつけてんか?」と言ったら、ラクダがゾウに向かって「おまえは、顔にしっぽをつけてるじゃないか」と答えたそうです。世の中には不思議な動物がいるもんです、、、、」ほんと、ゾウとかラクダとかキリンとかを一度も見た事がない人が、ふつうの他人からこういう動物が世の中にはいるよ、と聞かされたら、信じないかもしれませんね。それでも、実際には、たとえ動物園などで実物を見たことがなくても、たいていの人がこれらの動物がいることを信じているのは、図鑑とかテレビや雑誌とかで写真や図で紹介されているでしょうね。信じる、というのは不思議なことです。新聞に載っていること、本に書かれていること、テレビで報道されていることが真実なのかどうか、実のところわからないけれど、専門家やジャーナリストが言っているのだから、本当なんだろうと、わたしたちは善意に信じるわけです。昔、「鼻行類」という本を訳したことがあります。その名の通り、鼻で歩く動物です。いろいろ種類があって、単純な種は棒状の鼻だけでできたような体で、伸びたり縮んだりしながら移動します。鼻と四つ足で歩く種(ハナアルキ)、ダンボのような大きな耳の種、人間の乳房のような胸をもつ種、、、などが精密でユーモラスな図入りで紹介され、その進化、鼻という器官が歩いたり、手のように使われたりするようになった進化の過程も、詳しく生物学的、生理学的に解説されています。そう、理論的にはこういう動物が存在しても、おかしくはないのです。ただ、この動物群は多くの人に知られる前に、核兵器実験のために絶滅してしまったのだと本には書かれています。だから、私たちはこの動物を見たことがないし、標本もないので、実物を見ることはできません。この動物の存在を信じるか信じないかは、それぞれの人にまかされているのです。この本は数十年前にドイツで出版されて、著者(生物生理学の教授)は「鼻行類」について大学の生物学科の学生たちの前で「鼻の下に付け髭つけて」講演もしたそうです。どこかの博物館には、鼻行類の模型も展示されていたことがあります。権威のある学者が発表しているのだから、この動物はいるに違いないと思った人はたくさんいて、どこかの国の新聞すらも真剣にこれを記事にして、「核実験のためにそのような貴重な動物が絶滅したとは遺憾である」と論説を出したとか。もし、このような奇妙な動物がいる、という話をしたのが学者ではなくて子どもだったり、どっかのおばさんだったりしたら、どうでしょうか。きっと誰も信じなかったでしょうね。物事の信憑性、ある事を信じるか、信じないかは、それを主張するのが誰であるかによって、大きく変わってくるのですね。ところで、ゾウとラクダのお笑いを聞いていて思ったのですが、ゾウから見たら、人間は奇妙な動物に見えるだろうねえ。サルから見たって、人間は奇怪だよね。体が毛皮におおわれていなくて、ただの肌がむきだしなんだから。「気持ち悪ー」って思うだろうね。私たちだって、体に毛がない、アフリカのデバネズミの写真を見ると、ぎょっとするでしょう?奇怪とか奇妙とか異常とかいうのは、誰にとってそうなのかで変わってくるんだね。そういえば、マダガスカル島(アフリカ)に数週間いた間は、周囲の人のほとんどがブラウンの肌だから、自分もそのつもりになっていて、たまに白人とか黄色人を見ると、奇妙に感じたものです。まあ、BFも白人だから毎日見ていたわけなのに、周囲の肌の色の大半がブラウンまたはブラックだから、私の「標準」の目安がブラウンになってしまったらしいです。不思議な感覚でした。ということは、周囲の人の意見とかセンスとか考え方が圧倒的にある一つの色を帯びていたら、私も知らず知らずの内に自然にそれに染まってしまうということかしら。恐ろしいことです。
2014/02/23
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ドイツではいま、ヴァレンしア・オレンジがとても安くておいしいです。1キロ当たり1ユーロ(約130円?)という商品も、スーパーではふつうにあります。そして、しかもそれがおいしいの。夕食のデザートは一年じゅうフルーツサラダでも飽きないので、冬期間はオレンジを毎日1個は利用しています。こうしてのんきに喜んでいたら、昨日テレビで哀しい事実を知ってしまいました。ドイツのオレンジはほとんどすべてスペインからの輸入ものなのですが、フランスなど他の輸入国とくらべても、ことさら安いのだそうです。それは、大手のスーパーチェーンが生産者や卸業者に安値を迫るから。大手のスーパーチェーンはドイツ以外にも支店をたくさんもっているので、圧力が効くのです。その結果、オレンジ農家は1キロ当たり15セント(20円以下)とか信じられないような安値でオレンジを売らなければならないのだそうです。それで、生き残りをはかるためにスペインの農家は、オレンジの収穫をする労賃を節約するために、アフリカからの難民を雇うことが多いのだそうです。ただし、雇うといっても正式に公正な賃金を払うのではなく、畑に野宿させて、ものすごい低賃金で働かせるのだそうです。アフリカ人たちは住む家もなく、金もないので、テントのようなものをはって、ちゃんとしたトイレもないような生活をおくっています。ゴミや汚物にまみれて。アフリカに帰りたくても、帰る金もないから、こうせざるを得ないのです。雇い主の農家ばかりを責めるわけにはいきません。責められるべきは、安いオレンジに目を輝かせ、一番安いオレンジを売っているスーパーを探す、ワタシたち自身。もちろん、値段をたたくスーパーもですが。この状況は、こちらですっごく安く売られる衣料のために、低賃金で危険な労働条件で働いているバングラディシュやカンボジアの衣料工場と似ています。月収5000円余りのあめに、休日もなく毎日12時間働いている人の生活が報道されていました。こういう番組を見ても、ワタシには何もできないよなーとボヤイていたら、オレンジの場合には、最後にちょっと希望のもてる事例が紹介されていました。ドイツなどのスーパーに売るのをやめて、インターネットを介してオレンジをお客に直売している農家です。ふつうは収穫されたオレンジを卸業者や輸出業者に売るだけのところを、直売農家は採れたオレンジを畑ですぐにボール箱に梱包して、発送するのだとか。こうすると、収穫からお客の手元に届くまでに3日しかかからないので、熟したオレンジを収穫して送ることができ、お客は新鮮で甘いオレンジを食べることができるのだとか。値段は1キロ当たり3ユーロ(360円から400円ぐらい?)だそうですが、人を苦しませないで、しかもおいしいオレンジが食べられる!これから探してみなければ。ドイツ人は良く言えば節約型で合理的、悪くいえば、かなりケチ。とくに、食料品が安いことにあまりに慣れきっていて、オレンジが1キロ400円などというと、すぐ「高ーい」と思ってしまいます。わたしもそうです。食料品というのは生きるための一番大切なものだから、本当は良質なもののためにはケチるべきではないのに、他のものにはおしまず金を出すくせに(ちなみに、タバコは1箱600円以上)、食料品にはケチる傾向があります。ワタシも反省しなければ、、、。子ども時代を思い出すと、父がみかんはきらいで、輸入物のネーブルオレンジが好きだったのですが、当時はオレンジは高級品でした。父が生きていて、今ここにいたとしたら、安くておいしいオレンジに歓喜して食べたかしら、それとも、「そういうふとどきなことをするスーパーからオレンジを買うのはいかん」と言ったかなあ。昔、実家の近く、東京の根津にはじめてスーパーが出店したとき(周囲は八百屋さんや魚屋さんなど小売り店がたくさんありました)、「ああいう大型資本の店で買ってはならん。昔から正直に商売している小売店を応援しなければ」と言って、スーパーで買うのを禁止した父でした。ワタシはときどき、父に内緒でお菓子などをスーパーで買いましたが、さすがに野菜や魚、肉は昔から知っている小売店で買ったものです。根津の商店街の小売店たち、今も残っているのかなあ。ああ、なつかしい。
2014/01/31
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Oh, what a morning!(Freiburg, Wiehre, 11.12.2013) posted by (C)solar08南ドイツは夜中は零度以下の日々が続いていますが、日中は快晴で抜けるように青い空がすてきです。市のはずれの山、1200mには先々週の雪が残っていて、今冬、最初の雪でそりやカントリースキーをしている人もいます。そういえば、前号で書いたループは日本ではスヌードじゃなくてネックウオーマーっていうみたいですね。ここで訂正しときます。日本語?はむずかしい。札幌の豊沢さんという方が個人ですてきな小冊子「ひと」を発行なさっています。最近この冊子に、私が十年以上も前に出した児童書を紹介してくださった関係で、いくつものバックナンバーをいただきました。この小冊子には毎回、すばらしい活動をなさっている方々の詳しいインタビュー記事が載っています。どの活動もまさに「本物」で、わたしはすっかり感嘆してしまいました。たとえば、10号で紹介されている札幌のくすみ書房。大型店やネット販売に押され、町の小さな本屋さんが姿を消していくなかで、「売れない文庫フェア」とか「中学生はこれを読め」などの企画によって、残る努力をなさっている、そのお姿がすてきです。古本と珈琲のブックカフェ「ソクラテスのカフェ」にも行ってみたいなあ。ドイツでも大型書店チェーンに押されて、小さな本屋さんはほとんどない状況です。ネットでの本の購入をやめて、近所の小さいけれど良い本を並べている本屋さんを応援することにしました。8号に紹介されている「フ―ム伊達家」もわたしの狭い世界を広げてくれました。ファーム伊達家は、家族で協力して自然農法の野菜を提供しています。ただし、自然農法といっても、無農薬/有機肥料ではなくて、無農薬かつ無肥料。有機肥料も与えず、長年かけて、光と水と土だけで野菜が育つまでにするのだそうです。いわば、野菜が元の野生植物のようになるように鍛えるということなのでしょうか。コンポストなどを与えなくても、おいしい、味の濃い野菜が実るということに、目をみはりました。そこまでに行くには気が遠くなるほどの時間と労力がかかるようですが、家族で力を合わせて、失敗にもまげずに実行なさっている姿勢には頭が下がります。こういう農業、ドイツではまだ聞いたことがありません。東日本大震災避難者の自助組織を運営する、チームOKやみちのくの会の方のお話にも、深い印象を受けました。原発や内部被爆、健康、これからの生活についての不安を口に出す場ができたということだけでも、避難してきた方々にとっては大きな救いになっているそうです。「自分が避難してきて本当によかったかどうか、今でも葛藤している」方がいらっしゃるということに心が痛みます。自分や子どもの命を守ることに良心がとがめるなんて!北海道紋別郡滝上町滝西の森で夏に「森の子どもの村」(この森という字は、ここでは木と水と土という字を合わせて書く)を開き、小中学生のためのキャンプ生活を運営なさっている、徳村彰・杜紀子さん夫妻(80才を越えたおじじとおばば)もまさに本物。キャンプでは電気も水道もガスもなく、子どもたちが自力で沢から水をくみ、火をおこして食事を作るのだそう。おもしろいのは、参加する子どもたちの親が口出し、手出しをすると事が進まず、子どもたちが自主的に動くとすんなりいくということ。おじじは広島原爆後の内部被爆のためか、強度の貧血を煩っていたのに、森で生活することによって、回復されたそうです。これらのほか、シュタイナー農法でのチーズづくり、札幌トモエ幼稚園、ヨガ道場をなさっている方のインタビューもありました。どれにも共通して言えるのは、これらの方々は自分の理想や考えや信念を言葉で終わらせるのではなくて、実際に実行、実践していらっしゃるということ。新聞などの大きくは取り上げられないけれど、社会にとってとても重要なことをなさっている、すばらしい方々がいらっしゃることに嬉しくなりました。私のように、ただ情報を右から左に移すだけ、偉そうなことをただ書いているだけのなまぬるい生活とは根本的に違います。こうした方々の努力にたたただ敬服します。心にカツを入れられ、世界が広がるような思いでした。郵便局のクリスマスグッズ(ドイツ、フライブルクにて) posted by (C)solar08
2013/12/11
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もう、一ヶ月前の話なんですが。カソリックセミナーという団体は、社会のさまざまな分野での講演会や映画会を開いています。一ヶ月前に開かれたのは、「東京の胃袋」というドキュメンタリー映画の試写会と制作者たちとのディスカッション。監督は、ラインヒルト・ディットマー−フィンケさんという女性です。2008年にご主人のフォルカー・フィンケさんが浦和レッズの監督に就任した折に、ご主人といっしょに二年間、滞日されたのです。ご主人のフィンケ監督は、その前、15年くらいフライブルクのサッカーチームの監督として活躍しました。彼がチームを育ててくれたおかげで、フライブルクのチームはこのところ、たいていは(時には第二リーグに落ちた)ブンデスリーガでプレーをしています。この試写会にはご主人もいらしてました。相変わらず、苦みばしったいい男(老けたな)。ま、それはいいとして、フィンケ夫人、ラインヒルトさんは、東京での住まい、高層ビルのマンションの窓から下に広がる家々を見て、「これだけの人が食べる食物はどこからきて、どこへ行くのだろう」と思ったことがきっかけで、映画を製作したそうです。映画は築地の魚市場(大きなマグロ、高い!)、アジアのさまざまな国のおかずを入れるお弁当屋さん(すっごくおいしそう)、高級料理屋さん、これらの素材をつくる東北の農家、有機農業を営むご夫婦、宮城のお米でつくるお煎餅メーカー、そして、食料品の最終的な到達地である浄水場の職員さん、清掃事業の職員さんなどのインタビューや、これらの方々の仕事の様子で綴られて行きます。インタビューされた方々がカメラを前にして、照れながらも、訥々と語り、時にははっきりと意見をおっしゃるのが、すてきでした。ラインヒルト・フィンケさんがいったん撮影を終えたあとに、東北の震災と福島事故が起こりました。それで、フィンケさんはまた日本に飛んで、前にインタビューした方と、もう一度インタビューしたのです。一番心が痛かったのは、農家の方の話。これからどうなるのか、まったくわからない不安がひしひしと伝わってきます。お煎餅メーカーの社長の苦悩も。これまでお米を買い上げていた東北の農家の方の信頼を裏切りたくはないけれど、お客はおせんべいのお米が東北からと聞くと尻込みするので、米の購入先を変えなければならない辛さ、、、。映画のあとのディスカッションを聞いていて、すばらしいと思ったのは、フィンケさんが、かなり日本人のメンタリティー(気質というか国民性)を理解していること。ヨーロッパ人の常識ではかるのではなくて、相手の心情や言葉による表現の仕方がヨーロッパ人とは違うのだということがわかっていらっしゃるようでした。会場の聴衆の一人、男性(友達の義兄、旅行業者なんだけど)が「日本人て、そんなにナイーブ(繊細という意味ではなくて、幼稚というか素朴というかお人良しみたいな意味で使います)なの」と発言しました。ほら、日本人はマイクに向かって、真っ向から政治的な発言とか、「これはこうで、こうだから、けしからん」とか言わないでしょう?だから、誰もが偉そうにぺらぺらとまくしたてるヨーロッパでは、そういう行動が一見、ナイーヴに見えてしまうのかもしれません。でもね、これに対しては、他の聴衆から「そういう偏見はよろしくない。あんたはわかってない」などなどと批判が飛びました。まあね、何でも批判するドイツ人から見ると、これだけこけにされても、静かに受け入れる(ように見える)日本人が歯がゆいのかもしれませんね。「なぜもっと怒らないのか」と。いずれにしろ、すばらしい監督の手による、興味深い映画でした。日本でも上映会があったようですが、またどこかで上映されたら、ぜひのぞいてみてください。さまざまな職業の人たちの生の声、生活ぶりが見られるだけでも、楽しく、しかも考えさせられます。それにしても、赤いバンで屋台のようにして売られるお弁当(おかずを個々に選べるらしい)、おいしそうだったなあ。
2012/11/04
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先日、友人の誕生日のごちそうに呼ばれていきました。彼女はエコガーデニングの専門家、市民講座でおとなや子供にコンポストづくりやエコガーデニングを教えたり、環境教育の活動をしています。日本にも何度か呼ばれてワークショップなどで指導したことがあります。テーブルセッティングされたお部屋で、壁にかけられた字がふと目につきました。筆で「書道」としっかり書かれています。ディナーに呼ばれたお客の一人が、この文字を指して私に、「この字を見てどう思う?」と聞きました。私は思ったとおりのことを、正直に言いました。「どちらの漢字もしっかり書かれていて、私が書く字よりもずっと正しくて、きれいだけれど、どう見てもこれは外国人が書いた字ということが、すぐにわかるわね」と。「どうして、どうして」「どこが、どこが」と皆さん(呼ばれたお客は私以外はすべてドイツ人)が声をあげます。「説明するのはむずかしいのだけれど、つまりはバランスというかね。こっち(『道』の『首』の部分)と、この部分(しんにょう)の位置関係が、いかにも外人が書いたと思えてしまうの。「書」の方は、あまりに角張っているというか、、、。でも、私は習字の時間が大嫌いだったから、こんなにきれいに書けないわ。それでも、私のきたない字を見た日本人は、「字がきたない日本人が書いた、ひどい字」だと思うでしょうね。どうして外人の字とそうでないかがわかるかが不思議よね」みんなは、わかったんだか、わからないんだか、不審そうな顔をしています。BFが紙の隅を指して言いました。「ここに日本の朱色のハンコまで押されているじゃないか。これは書いた人が押すもんでしょ。やっぱり日本人が書いたんだよ」「いいえ、絶対にそうじゃないと思う。微妙にどこかが違うのよ!」と私。お客たちがわさわさ言っていると、キッチンから彼女(招待してくれた友人)が入ってきました。さわぎを聞いて、彼女は吹き出しました。「これ、もちろん私が書いたのよ。やっぱりわかる?外人が書いたってことが。あ、ハンコ?日本のハンコがきれいなので、どこかのハンコ屋で、適当な三文判を買って、それを紙の隅に押したのよ。なんて書いてあるのか、わからないわ。へへへ」みんなは笑いだしました。「フライブルクで日本人の書道教室に参加して、これを書いたのよ。ちゃんと下に私の名前もカタカナで書いてあるでしょ(これをみんな見落としていた)。先生の書いたのは、こっちの字よ」と指されたところには、みごとな達筆で「愛」と書かれていました。街角でときどき、タイ人やベトナム人が経営している似非日本レストランで、漢字やひらがなを見かけることがあります。そのときにも、上のと同じ感覚をいつも受けるのです。ときには、Tシャツにプリントされた漢字でも、いかにも外国人が書いたと思われる字があります。書かれた漢字は正しいけれど、どこか違う、それぞれの部首は正しいのに、全体のバランスから、母国語でない人が書いたということが。「あなたの字はあんまりきたないから、テストの裏からでも、あなたが書いたということがわかりますよ」と中/高校の先生から言われていた私が言えることではないですが、、。逆に言えば、私が書く横文字は、ドイツ人が見ればすぐに、外人が書いた字だとわかるでしょうね。こういう現象って、「認識の問題として」おもしろいですね。近頃は、こちらにいらっしゃる韓国人や中国人と日本人のみわけは昔よりはむずかしくなりましたが、それでも、たいていは区別できます。それは着ているものとか、顔やつくりの違いというよりも、全体の感じからわかるのです。姿勢とか表情とか、着ている物全体からかもしだされる雰囲気とかバランス。人間がこうしたことを、日常的に自動的に即座にみわけている、ってことが面白いです。そういえば、人は初めて会った人(たとえば列車の中とか、デパートですれちがうとか)を、5秒でおおまかに判定/評価する(自分の好きなタイプだとか、いやな感じだなあとか、かっこいいとか、、、、)そうです。私たちの頭には、たーくさんの情報がつまっていて、それが一瞬でバシバシっと計算して、答えを出すのですね。考えてみれば、すごいもんです。
2012/06/25
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最近、福島県にお住まいの女性から、次のようなメールをいただきました。ご本人の承諾を得て、下にコピーします。事故現場周囲にお住まいのかたがた、とくに小さなお子様をおもちのご家族が、不安を抱えながらも脱出する道もなく過ごされていることに心が痛みます。少しでもお役に立てればと思って努力はしているのですが・・・。「Solar08さん、こんにちは。長いこと、ご無沙汰しておりました。いろいろとご心配いただいていることと思いますが、3月の大地震以来、こちらでは大変な状況が続いています。今日は、特に福島県の子どもたちの置かれている危機的な状況をお伝えし、また可能な中でお力添えをいただきたく思い、メールを書き始めました。長くて申し訳ありませんが、どうか読んでください。私たちの住んでいる三春町は原発から50km足らずの位置です。地震の翌日から、私たち家族は福島を離れて大阪まで行き、その後は東京の実家に避難していました。ここ3週間ほど、中2の娘の学校のことで家に戻ってきています。福島県ではあきれたことに4月6日に学校が始まり、始めていながら一方でようやく校庭などの放射線量を計測し、あちこちで驚くべき数値が出てきました。4月初旬の時点で、原発から20km圏内はすでに避難区域でしたから、計測調査はそれ以外の、全く避難勧告の出ていない地域のすべての公立校約1600校で行なわれました。その結果、76%の学校において、法律で「放射線管理区域」に設定されるべき0,6マイクロシーベルト/h の数値を超えており、さらに、そのうちの約3分の1の学校(全体の約20%)では放射線業務従事者の許容値である2,2マイクロシーベルト/ hさえ超えていることが分かったのです。法律では、毎時0,6マイクロSv(正確には3ヶ月で1,3ミリシーベルト=1300マイクロシーベルト)を超える場所は「放射線管理区域」として標識をたてて管理することが決められており、また労働基準法ではこの「放射線管理区域」における18歳未満の青少年の労働を禁じています。職業的被曝をする人にはこの許容値を超えないようにするために、個別の被曝管理が義務づけられています。しかし、そのような法律に全く言及することなく学校は始まり、さらに文科省は4月19日、これまでの安全基準値を20倍引き上げて成人にも子どもにも適用し、毎時3,8マイクロシーベルト以下の学校では制限なしで屋外活動さえも許される、という通知を出しました。その翌日には、この通達は県内の隅々まで行き渡り、実際に子供たちが外でマスクもしないで遊んでいるのです。そんな校庭で遊べば、土ぼこりを吸い込んで子供たちはよけいに内部被曝をしてしまいます。何故わざわざこんな愚かしいことまでやってくれるのでしょうか。子供たちが走り回っている姿を見ると、とても冷静ではいられません。その後の対政府交渉などから、この年間20ミリシーベルトを学童に適用という決定において、国側のいずれの専門家の容認もなく、数値をめぐる審議の議事録さえも残されていない、というようなことが明らかになってきました。文科省は原子力安全委員会の進言を元に決めた数値であると言っていますが、原子力安全委員会は、「委員会の中に、20ミリシーベルトを容認した専門家はいない、数値はこれから検討して決める」などとトボケたことを言っています。国会でも文科省に数値撤回を求める動きが出てきており、国内外の専門家グループ、日弁連会長、日本医師会ほか、多数の抗議声明が出されています。しかしまだ、文科省はこの数値を撤回しません。20ミリSvという基準値を下げれば、二つの中核都市である福島市と郡山市を避難指示区域にせざるを得なくなり、それが困難だからです。だから国は、とんでもない数値が出ているにも拘らず、「嫌な人は自主避難をどうぞ、補償はありません」という態度を決めこんでいます。私は、まもなく東京の実家にとりあえず娘と移る予定ですが、娘は学校が大好きなので、まだ納得させられません。なぜ自分だけ安全なところに行くのか、みんなはその後どうなるの、と訊かれれば、私にも答えはありません。私たちの町は近隣の町より比較的、線量の数値が低いので、勝手に安心しているような雰囲気があり、娘の友達も誰も動きません。両親とも地元出身という方が多いですから、実際に自主的に避難できるのは、幼児を抱えていてどうしても心配だったり、県外に母親の実家があるような人たちがほとんどです。これは県内のどこの市町村でも同じような実情です。ドイツの感覚からすれば理解しにくいことでしょうが、福島の人たちにとって代々住みついてきた土地を離れることは、並大抵のことではありません。ましてや何の補償もなしに家も仕事もスッポラかして自主避難するなんて、とてもできることではありません。県の姿勢も理解できないところです。県がリスクアドバイザーとして招聘した長崎大の医学者は、「年間100ミリシーベルトでも安心、問題ない」という講演を県内各地でして回っています。リスクがきちんと公の立場から伝えられないので、皆の認識がバラバラになっていて、危険や防護に対する認識が住民の間で共有できない状態になっています。原発はまだ何ら収束の見通しすら立っていないのに、大地も海もこんなに汚染されているのに、あたかも通常化に戻そう戻そうとしているかのようです。私たちも、もう本当に疲れてしまいました。長々と書いてしまいましたが、原発自体の惨状もさることながら、地域住民に対するこのあまりに酷い対応、無策、誠意のなさに、私たちはもう一つの絶望を見る思いです。どうか、Solar08さんのドイツ、ヨーロッパでのネットワークの中で、この子どもたちをめぐる問題をメディアに流していただけないでしょうか。もちろん私たち大人も大変なのですが、今は福島の子どもたちに焦点をしぼって国内でも運動が大きくなってきています。あらゆるネットワーク、団体、人々とリンクして、とにかく国がこの問題をもはや絶対に先送りできないようにしたいのです。もうあまり悠長にしてもいられません。子どもたちは、日々被曝中です。どうか、お力を貸してください。お願いします。私の方で探せる情報の提供、状況説明などは、できる限り何でもいたします。ご存知かもしれませんが、取り急ぎ、見てほしいサイトを送ります。a) これまでの経緯について分りやすい解説。京都精華大学 細川先生、ラジオ放送30分。http://www.youtube.com/watch?v=Jf-fcdKFu4Yb) 福島県でお子さんをお持ちの方々へ、教育関係者へ。(東大研究員の方からのメッセージ)http://fukugenken.e-contents.biz/information01c) 福島老朽原発を考える会(フクロウの会)http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/d)日弁連 会長声明 http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/statement/110422_2.htmle) 玄侑宗久氏のブログ、 私たちの三春町在住の芥川賞作家、僧侶。http://yaplog.jp/genyu-sokyu/daily/201104/13/4月13日の文章が印象的。f) 武田邦彦、中部大教授のブログhttp://takedanet.com/学校に20ミリシーベルト撤回を求めるオンライン署名も始まっています。ぜひ、ご協力ください。(署名)http://www.foejapan.org/infomation/news/110509.html※国際署名は下記から。The Second Nuclear Emergency in Japanhttp://fukushima.greenaction-japan.com/archives/41どうか、よろしくお願いします。」こういうお手紙でした。
2011/05/23
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昨日、買い物帰りに、近頃は行かないのに昨日だけたまたま入ったカフェで、ラジオから流されるニュース(近くで大声でしゃべっている人の声でよく聞こえない)に「ヤーパン、トキオ」の言葉が混じっているのに気づきました。帰宅してこちらのローカルラジオを聴いて、地震のことを知りました。あわてて東京の息子に電話をして、ことの詳細を知りました。幸い、息子の家族は無事(食器が落ちただけだそうです)。同じく東京に住んでいる姪にメールをしたら、彼女たちも無事。「通勤者が徒歩で帰る光景は壮観だ」という感想をもらいました。彼女たちの両親は東北地方に住んでいて、電話がつながらないのが心配ですが、無事ではあるようです。仙台に住む親戚もいるはずなのですが、様子がわかりません。ドイツでも昨晩は、特別ニュースのほか、局によっては日本の放送局と同じように、刻々被害状況を伝えていました。ドイツからは、瓦礫の中に埋まってしまった人を見つける技術・装置を備えた人たちが日本に派遣されたそうです。ニュースを見て、何人ものドイツ人の友だちが私の所にも「家族は無事?」と心配して、電話をくれました。友だちってありがたいですね。フランスから電話をくれた友人もいます。彼女は「みみずのカーロ」の活動をしていた女性なので、「もしかして被災者の中に、カーロ活動の取材や見学でこちらにいらした日本人の方もいるのではないか」と心配されたそうです。真相を知るすべが私にもありません。津波で、ゴミのように海に流しだされる家々を見ていて思いました。テレビでは粒のようにしか見えない、あの家の一つ一つに、命がこもっているのだと。それぞれの人がこれまで築いてきた人生が、無惨に破壊され、消えていくのだと。テレビで見ている私には、ただの悲惨な光景でしかないけれど、その光景の真っ只中にいらっしゃる人たちの絶望・恐怖・悲しみは想像できないほどです。亡くなられた犠牲者の方の冥福をお祈りします。被災された方に「命だけは助かったのだから、がんばって」と申し上げます(これしか言葉が見つからないのがもどかしいですが)。火山や地震の国に原発は危ないです。とここまで書いたおところで、日本の学者から、原発が非常に危険な状態だというメールをもらいました。原発30km圏内の方だけでなく、東京方面の方々も避難の準備をしておいた方がよいということです。これから息子たちに連絡します。きちんと公正な情報が出されることを願っています。
2011/03/12
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ゆとり世代なるものが日本にあることは、知りませんでした。日本の国立大学で教えている知人が、下のような意味のことを教えてくれました。「御存じかと思いますが、日本には"ゆとり世代"という一団の世代が存在しています。彼らの特徴の一つは、そもそも大学に出てこないこと。理由を聞くと「体調が悪い」のだそうです。ゼミで発表をさせると、その日の朝に「体調が悪くてできません」とメールが来ます。調査に行こうとしても時間通りに来ません。体調が悪くて起きられなかったのだそうです。そして今・・、「体調悪いけど、寝ないでやればできます。でも、身体は絶対壊れるでしょう」と言ってきました。これを教えてくれた知人は、最後に「日本の未来は暗いです」と結んでいます。でもね、十年以上前にも、大学の先生たちは、よくこういう状況を嘆いていたから、あまり変わってないんじゃないかなあとも思います。もっと昔、私の大学時代だって、いい加減だったしねえ。毎日喫茶店ですごく時間の方が授業や勉強に過ごす時間よりも長かったような・・・。もっともっと状況が厳しくなってきたら、こういうゆとり世代だって、がんばるのかな。ま、がんばらなくたっていいんだよ、という見方もありますが。
2011/01/22
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明けましておめでとうございます。質素な雑煮 posted by (C)solar08ドイツでは大晦日を祝って、正月はほとんど祝わず、週明けから仕事が始まります。というわけで、昨日、大晦日の晩はクラブ(今じゃあドイツでもディスコとは言わずにクラブって言うんですねえ)やレストランはどこもパーティーで満員。劇場もどこも満席。で、町の真ん中にあるビール専門の飲み屋に入ってみました。ここはクラブに行くには歳のいきすぎた人たち(つまりは25歳から90歳ぐらいの人たち、中心は中年の男女)でいっぱいでした。DJがオールディーズやドイツの歌謡曲もまじえた中年向きの音楽を次々出してきて、客はテーブルの間の狭い空間で、踊っていました。これはこれで楽しいもんです(今日は脚が筋肉痛)。早めに家にもどって夜中零時に町中で打ち上げられる花火(今年は家の前でも打ち上げる人多し)は窓やベランダから楽しみました。天空から花火についていた棒が突然落ちてきたのにはびっくり。刺されなくてよかったー!そして本日の元旦は?世の中は静まり返っています(夜明けまで祝っていたから、みなさんまだ眠っているんでしょうね。私も10時に起きました)それで、まずは洗濯をしました。日本では、元旦の朝にはお雑煮を食べたんだよなあ、と思いましたが、起き立てはやっぱりコーヒーとパンしか口に入りません(日本では和食の朝ごはんもすらすら喉を通るのに、不思議です)。で、昼食はお雑煮。実は年末に、東京の親友からすばらしいプレゼントをいただいたんです。おいしい新そば(ちょうどお蕎麦が切れたところなので、大喜び)のほかに、ひじき、わかめ、海苔など貴重な和食材、そして玄米餅や乾燥小松菜まで!!!うれしかったー!たすかったー!友だちのありがたさをしみじみ感じます。玄米餅と乾燥小松菜 posted by (C)solar08今年はお餅なしのお正月だわ、とあきらめていたのですが、これでお雑煮だけはできました。japanische Mochi aus Naturreis, gebacken posted by (C)solar08粒粒が感じられる香ばしいお餅です。鰹節と昆布でひいただしに大根と乾燥小松菜を入れたおつゆ。実家のお雑煮は、いつも大根と小松菜だけで、子ども心には寂しくてシンプルすぎました。今回もちょっと寂しいので、昨晩の「豚の赤ワイン煮」の残りを切って、トッピング(写真では見えないほど小さいです)。前にぴかままさんにいただいた乾燥柚子皮ものせました。貴重なお餅なので、残りは冷凍。いつか食べたくなったときのため。去年はプライベートでは何事もなく過ぎてしまいました。仕事はちょっぴり。パンを焼いたほかには何も生み出していないことに、不満や良心のとがめを覚えます。自分は何をしたいのか、自分は何をすべきなのか、手探りのまま、こんなに生きてしまいました。この分では、わからないまま終わりそう。なにしろ不精だからね、「とりあえず本でも読んで」とうやむやにしている内に時間が過ぎて一年がたってしまうのです。まあね、植物でも動物でも、生きるために生き、食べ、眠り、繁殖して終わるのだから、生きていられるだけでも、何事もないことだけでも、健康なだけでも幸せなはずなんですけれど、ついね、何かしなくては、とあせるんですね、いまだに。このアセリのために、この国まで来てしまったわけです。さて、今年の抱負は?と聞かれても、何も浮かびません。すっごいアイディアが浮かんで、おっもしろい物が書けたらいいんだけれどね。すっごいアイディアは、苦労してひねり出さなければ、簡単に湧いてくるわけではなさそうです。じゃ、とりあえず、パンでも焼こうかしら。いまだに調子の出ないクロワッサンとバゲットの完成をめざして。昨年はこんなブログでもお読みいただいて、感謝しております。今年もこんな適当な調子のブログですが、よろしくお願いします。戦争のない世界になりますように。熱帯林がこれ以上、こわされないように。石油事故や金融危機を生み出すような企業をのさばらせないような仕組みができますように。(などと他人事のようにほざいているだけでは何もよくならないことは承知の上で、あえてて願い事として)。
2011/01/01
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フライブルク、ドライザーム川の岸の紅葉 posted by (C)solar08今朝、悪友が電話で「ヘルマン・シェーアが亡くなったよ。ニュースの最初のテーマになってる」と知らせてくれました。びっくりしました。一週間前にシェーアさんが重病だという夢を見たばかりだからです。ニュースによると、周囲の人も予想していなかった急死だそうです。原因は明らかにされていません。シェーアさんは社会民主党の代議士ですが、一方で二十年以上前から再生可能エネルギー(自然エネルギー)利用のたいせつさを訴え、ユーロ・ソーラーという再生可能エネルギー利用を推進するNGOを設立した人。「ソーラーの父」とも呼ばれるほど、太陽エネルギーや風力・バイオガス発電に貢献してきました。シェーアさんは、自分の党内にもある強い反対勢力を克服して、二十年前に「再生可能エネルギー法」を成立させました。これはドイツ内のすべての電力供給企業に、それぞれの地域でできた太陽光や風力その他の再生可能エネルギー源による電力の買取を義務付け、最低買い取り価格を定めた法律です。現在では50カ国ぐらいに、同様の法律があります。この法律のおかげで、ドイツの再生可能エネルギー発電が急激に発展し(発電量全体の15%、日本は1から2%だとか?)、ドイツは風力発電装置や太陽光発電装置の産業部門で強くなり、輸出国にもなりました。この部門で雇用は30万人分以上を提供しています。ところが、現在のドイツ政府は「原発からの脱却からの脱却」を決め、古い原発、飛行機の墜落に対する安全対策もない原発の稼動の大幅な延長を決めました。もともとシェーアさんは経済学者で、経済の立場から、「石油・石炭・原発などの限りある資源に頼っていたら、将来の経済は成り立たない。石油をめぐる戦争もますます多くなる。京都議定書などのコンセンサスをめぐって議論するよりも、いち早くエネルギー供給や資源供給を自然資源に切り替える国が、長期的には有利に立つのだ」と説いてきました。彼の功績はたたえられ、「オルタナティヴなノーベル賞」と呼ばれるライトライブリフッド賞も1998年に受賞しています。カリフォルニアを訪問したときは、シュヴァルツネッガー知事に招待されて、再生可能エネルギー利用をめぐって会談したことがあります。シェーアさんがお書きになったソーラー地球経済(岩波書店)を翻訳させていただいたことがきっかけで、私はシェーアさんと知り合いました。十年前のことです。シェーアさんは日本語版の読者のために、メッセージも書いてくださいました。訳者あとがきを書くために、ちょうどフライブルクにいらしたシェーアさんをつかまえて、インタビューさせてもらいました。ワインと生クリームてんこ盛りのアイスクリームを同時に食べ・飲むというすごさに圧倒されたことを覚えています。坂本龍一さんが「現代人必読の書」とこの本を推奨してくださったと聞きましたが、内容が堅めで、しかも値段も高いので、あまり売れなかったのは残念です。その後、ベルリンのオフィスにもお邪魔してシェーアさんにインタビューしたことがあります。ユーモアをまじえた語り口にいつも感心しました。でも、ヘビースモーカーなのが気になりました。シェーアさんはインタビューで、「日本はテクノロジーで先端を行っているのだから、日本こそが再生エネルギー利用の先頭に立つことができるし、持続可能な経済発展のチャンスをつかむことができる」と語ってくださいました。シェーアさんは環境だけでなく、平和・反戦運動、兵器縮小にも力を入れていた政治家です。このような貴重な政治家を失ったことは、ドイツにとっても、世界にとってもたいへん残念なことです。ショックから覚めないまま、街中に出たついでに、久しぶりでフライブルクの寿司レストラン「芭蕉庵」に寄りました。寿司親方が握るおいしいお寿司をいただいて、シェーアさんの霊を弔いつつ、口とお腹をなぐさめました。人間て(私って)、エゴイスティックなものですね。たいせつな方が亡くなったことを悲しみながらも、一方ではお寿司をぞんぶんに楽しんでしまうんですから。ランチのお寿司ながら、おおとろまでサービスしてもらい、幸せな気分になってしまいましたよ。フライブルク、街路樹のカエデ posted by (C)solar08
2010/10/15
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ひさしぶりにベルリンの娘に電話をしたら、「オカアチャン、ぼくちゃんの給料値上げしてくれるって!」というビッグニュースを教えてくれました。彼女はベルリンの衣料メーカーで、いちおうデザイナーとして仕事をしています。娘は、ケルン大学で「演劇・映画・テレビ学」とフランス語を六年学び、マギステル(ドイツに以前はあった称号。日本などの修士に相当する称号でしょうか。現在ではドイツも学士とかマスターが導入され、いろいろ批判も受けています)をかなりの成績で(親バカですんません)取得して、卒業しました。これでもう彼女を養わないですむ、と思ったのもつかの間、彼女は「ボクちゃんは、頭で仕事をするのは合ってないみたい。手で仕事をしたい」と言って、今度はベルリンの職業学校のデザイナー科に三年間通いました。デザイナー科といっても、型紙おこし、裁断、縫製までをみっちり鍛えられたようです。ところで、彼女は学校では裁縫を習ったことがありません。ドイツでは小学校五年生以後、または七年生以後は、学校の系統が三つにわかれます。九年生(日本の中学三年)までの義務教育で終わって、その後は職人や農業などの修行をするコース(基幹学校)、十年生(日本の高校一年に相当)で卒業試験を終えて、そのあと看護婦さんとか技術系の専門学校などに進むコース(実業学校)、十三年生または十二年生(高校三年)までいって、アビトゥアという卒業試験(大学入学資格試験)を受けて、大学に進学したり、就職したり、あるいは専門学校に行くコース(ギムナジウム)。娘はこのギムナジウムで学んでから大学進学したのですが、ギムナジウムでは家庭科という課目はありません。ですから、料理も裁縫も習ったことがないのです。基幹学校や実業学校では、「技術」とか「家庭科」に相当する課目があるようです(少なくとも、フライブルクが属する州の指導要領にはありました)。私が教えることもなかったし(家庭科は小学校から高校まで3で通した)。というわけで、この職業学校で娘は縫い物やミシンの使い方を、一から学ばなければならなかったのです。同級生の大半は、実業学校を出てすぐにきた16歳ぐらいの娘さんや少年だったので、娘よりもずっと若い彼女たちの方がずっと能力があったわけ。不器用な私の血を引いているのではないかと、私はとっても心配でしたが、彼女はなんとか、すべての難関をくぐりぬけ(時にはひどい代物ができあがった)、卒業制作は、ベルリンの大きな会場でのファッションショーで発表し、就職難の中でも、なんとか現在の会社に就職することができました。就職の面談のときに、自信がない娘は「雇っていただけるなら」と、給料の交渉もしませんでした。支給される額は、彼女の学歴に対応した額よりはずっと少ないということは、彼女のあとに入ってきた同僚の給料を聞いて、わかったようですが、あとの祭り。でもね、ドイツの労働条件って、給料の額はともかく、とてもいいと思いますよ。たとえば、年休は六週間ぐらい。去年、彼女は原因不明の病気で4週間近く病欠したのですが、このために休暇をとる必要もなく、給料も全額支払われました。超過勤務に対しても、お金で支払われることもあれば、一部は休暇を増やすという形で報いられるようですし。去年、おそるおそる、人事課の人に「給料を値上げして」とお願いして、3パーセント上げてもらったとか。今年は不況で、周囲に解雇される人もいたので、彼女は恐ろしくて昇給の話をもちだす勇気がなかったのですが、上司の方から彼女に、昇給の話をしてくれたのだそうです。うー、うれしい(私の内心)。娘は夫に経済的に頼るのを極端にきらっているくせに、私に頼るのは平気だからねー。頼られても、ないスネはかじれないのよ。娘の仕事事情を聞いていると、いろいろ考えさせられます。彼女の会社の得意先の一つは、フランスのブティックとか卸業者。ファッションのパリがなんでドイツの衣料のメーカーから買わなければならないのかと思うのですが、得意先は、「中年をすぎてバスト・ウエスト・ヒップの区別があまりなくなったご婦人用の服を売る」(パリの得意先の方の言葉)ので、彼女の会社が作る服がちょうと合っているのだとか(若い女性向けのブランドも作ってはいますが)。というわけで、娘の「作品」(?オオゲサ)はパリで売られることもあるらしい。5000着売れた服があるとか、言ってました。この会社の服はリーズナブルなお値段が売り物の一つ。取引先のデパートやアパレル業者からは、価格をダンピングされます。そのつけはどこに行くかというと、中国です。デザインはベルリンでされても、縫製はポーランドや中国の下請け業者でされます。コストを押さえるために、ここでも縫製料がダンピングされます。中国のある下請け業者では、電気もないところで、ひどい労働条件で縫製されているのだとか。暗いところで縫ったために、出来上がった服にシミがついていたということもあるのだそう。ドイツの会社から現地に出かけた社員が、下請け会社に「労働条件を改善するように」と要求したら、「そんなことを言うのなら、工賃をもっと上げてくれ」と逆に要求され、黙らざるを得なかったそうです。下請け業者に払う縫製代を上げれば、次にはデパートに卸す価格も上げなければならず、そうすれば、デパートが卸させてくれないかもしれず・・・・と、悪循環がはじまります。有名デザイナーの服も中国で縫製されることが多いですが、ブランド物は価格が高くても売れるので、中国の縫製業者にも、かなり納得できる縫製代を払えます。一方、彼女の会社のように、手ごろな価格が売り物のメーカーは、そうすることもできないのです。一度、娘といっしょにデパートのバーゲン衣服を見ていたら、彼女は「布代とか縫製とかのコストを考えたら、一着一万円以下のジャケットなんか作れるわけない」と言っていました。それは当然ですよね。でも、実際にはディスカウンターではその半額にも満たない衣料も売っています。そして、失業率が高いドイツでは、こういう安い衣料を必要とする人もたくさんいます。そして、そのために、中国などで労働者は過酷な条件で働かなければならないのです。現在では、ポーランドや中国の下請けも高くなってきたので、先進国の会社はもっと安い労働力をもとめて、ほかの国も探しているのだそう。まさに国々の労働条件の差を利用した「搾取」ですね。どうしようもない状況で、悲しくなります。ところで、不器用なわたくしですが、5ユーロ(600円ぐらい)で買ったビロードのハギレと型紙(10ユーロ)で、前にドレープの入ったトップを縫いました(恥ずかしくてお見せできません)。ミシンは娘が職業学校時代に使ったお古。ものすごく性能のよいミシンらしいのに、私ができるのは直線縫いだけです。
2010/03/15
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ブログの効用、盗用、悪用、濫用十七歳のヘーゲマンさんという少女が「アホロートル」、そうあの動物、アホロートルから取ったタイトルの本をドイツで、二週間前に出しました。ベルリンを舞台に、アルコール、セックス、さまざまなドラッグなどで明け暮れる若者たちの姿やソドミーその他いろいろ、ショッキングな内容を赤裸に描いた小説のようです(読んでないから、あまり言えない)。この本は発売以来、大ヒットで二週間でベストセラー二位に上昇、作者の女の子は「天才登場」とばかり、メディアでさかんに取り上げられました。見たところはなんてことのない、ふつうのティーンエージャー。両親が離婚したあと、母親の元で暮らしていたのですが、母親が亡くなってから、ベルリンで演劇の仕事をしている、その分野では父親の元で生活しているそうです。彼女はこの小説で書かれているようなことを、自分で体験したわけではなくて、いろいろな人のブログを読んで、そこからヒントを得て、自らの創作力でそれを文学に仕立て上げたといいます。ところが、二週間後にスキャンダルがもちあがりました。企業コンサルタントをしている青年が、この本には自分がブログや本で書いたこと、時には会話全体が盗用されている、と名乗りをあげたのです。彼の場合はヘーゲマンさんとは違って、想像や創作の力で書いたのではなく、体験がブログになり、ブログを書くために、体験をしたといいます。ハードなビジネスからの息抜きとして、ベルリンの夜の生活にはまっていき、その体験をブログで書いたのがはじまり。段々に、この順序が逆になって、ブログに書くために大麻やヘロインその他、もろもろのドラッグを摂取し、過剰にアルコールをあおり、男女の見境なく、場所も選ばず性的関係をもち、、、それを書き、また種を得るために、ますますこの世界に入り、、、という悪循環にとらわれたのです。彼はこのブログを「ストロボ」という小説にして、小さな出版社から出したのですが、本は数百冊しか売れなかったのです。その一冊をヘーゲマンさんは読んだのです。今では彼はこの夜の世界から足を洗い、結婚して子どももいる、ふつうのビジネスマン。その彼が、ヘーゲマンさんの「アホロートル」に、自分が書いた文章を見つけたのだから、驚いたのは当たりまえです。ヘーゲマンさんは、「あまりにいろいろなブログを参考にしたので、どこの箇所がどこから取ったのか、わからない」と言っています。このニュースもメディアでセンセーショナルに取り上げられ、ヘーゲマンさんは盗作者という汚名を負うことになりました。まずは「アホロートル」の文章の一部に引用元、つまり「ストロボ」からの引用である旨を明記し、この作者の名前を本の謝辞に入れることで、問題は落着しそうです。それでもこれをきっかけに、ブログ時代の著作権の問題が話題になってきました。著作権というのはむずかしいです。ヘーゲマンさんの本が売れ、青年の本が売れなかったのには、やはり理由があります。ただ体験を書き連ねただけでは、文学や小説にはならないかもしれないから。ヘーゲマンさんは、青年のブログや小説を、いわばネタ、材料として、ほかにもいろいろなブログをネタに使って、そこから、彼女自身の作品を調理し上げた、作り上げたわけですから、単純に盗作の汚名をきせることはできないでしょう。テレビのインタビューでのヘーゲマンさんの言葉の使い方からも、彼女に文学の才能がうかがえます。話す言葉が、もう面白い文学的な文章になっているのですから。考えてみれば、ブログって、他人の生活について、これまでだったら、知りえないことがわかるんですよね。ブログを書いている人の日常生活とか食生活とか、思ったこととか、細かにつづられているわけですから。そしてときには、その人の「心の内側」をのぞくこともできるんですね。それが面白いです。たとえば、ある人、Zさんがブログで「Xさんとお会いしたら、想像していたのと違ってほっそりしたおしとやかな方だったのでびっくり」と書き、そのXさんの方も自分のブログで「Zさんにお会いして、あまりの素敵さで、私は恥ずかしくなってしまいました・・」と書いていたりして、読んでいるわたしたちは、両方が相手に対して抱いた気持ちがわかるでしょう?だから、小説を書く人には、すばらしい材料の提供先ですね。ああ、残念、私は創作能力がゼロですから、小説は書けません。書けたら、いろんなブログを参考にできるのになあ。ご心配なく、そんなこと絶対にしません(できません)から。できたらいいのに、とは思いますが。
2010/02/14
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ガラス玉の雪帽子 posted by (C)solar08植物の水やり装置。中空のガラス玉に水を入れて、逆さにして植木鉢にさしておくと、水がゆっくり土に浸透する。Goerlitzのガラス工房で買ったもの。ヴェランダの植木鉢に挿しっぱなしにしておいたら、雪帽子をかぶってしまいました。年末から雪が降ったりやんだりの日々が続いています。もう雪は見飽きたというのが正直なところ。フライブルクはもともと雪が少ない地域なのですが、今はヨーロッパ中が雪だらけですから、ここも例外というわけにはいかないみたいです。デイジーだといかいう罪のない名前がついた低気圧のせいらしいですけどね、もう雪は見飽きました。北海道の方から見れば、「へでもない」でしょうけどね。外出するのも、すべることを考えるとつい気後れがします。でもそうも言ってられないので、近くというか、歩いてたった一分のところにある老舗エコショップに行きました。雪が降っている間は、道路がツルツルではないので、私でも歩けました。ちょど犬の散歩に出ていた、下の階の奥様(年齢は同じなんですが、とてもふっくらした方で、リハビリ用など健康体操を教えている女性)から、「バランスとる練習のために、片足で立って、もう片方の足を立っている方の脚のひざにあてて、両手を上に伸ばして、深呼吸を何回もしなさい」と教わりました。やって見たら、これはそんなにむずかしくなかったけれど、役に立つのかしらん。二ヶ月ぐらい前から、書いても書いても、気に入らないで困っていた原稿をやっと書き終えました。たった二ページなのに、どうもしっくりこなくて迷いに迷っていました。そもそも、昔から作文が嫌いでした。本の感想文とか、要約を書け、というのは特に苦手でした。要約なはずなのに、やたら長くなっちゃって。だから、自分がなんでこんな仕事をしているのだろうと、不思議になります。今回も思ったのですが、形だけかっこつけて書いた文、優等生が書くような道徳的くさい文は面白くないということ。自分の本当の心から出ていない言葉は、読む人の心を打たないし、書いた当人の心も打たないんです。学校の作文も、先生に書けと言われて、宿題としていやいや書いたから、面白いいのが書けなかったし、書きたくもなかったのだと思います。たった一度だけ、先生に「面白い」と言ってもらえた作文は、自分でアイスクリームを作ったときの体験記。アイスクリームづくりがあまりに楽しかったので、それを伝えたくて、どんどん書けたのです。それで今回も、二ヶ月かかってやっと嫌々書き上げた、いかにも環境保護論者が言うような文を、どたんばになってボツにしました。そして、思い切ってぜんぜん別の、とっぴなテーマに変えました。こちらは、自分が心から面白いと思ったテーマ。すると、今回はスラスラと行きました。編集者がこれを受け入れてくれるかは、わからないんですけど。心から興味のあること、印象を受けたこと、思ったことしか、言葉にはならないのですよね。当然ですが。ブログというのは、誰かに強制されて書くわけではないし、頼まれるわけでもなくて、自分が「書きたいから」、「書きたいときに」、「書きたいことを」書くでしょう。だから、面白いんですよね。携帯メールやブログのおかげで、誰もが気軽に何かを書く気になるのは、とてもよいことだと思います。人間ってやっぱり社会的動物ですね。自分ひとりのための日記はなかなか続かなくても、、他人にも読んでいただく日記だと、書く気が起こるのだから(もちろん、例外はたくさんあるでしょうけど、傾向として)。ベランダからの雪景色(いつもと同じ) posted by (C)solar08
2010/01/09
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旧東ベルリンの改築された家(左は改築前) posted by (C)solar08明日(というか、日本ではもう今日ですね。11月9日)は、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が落ちた(っといっても、本当に落ちたわけではなくて、ここのチェックポイントを通って、大量の旧東ドイツの人が、西側に出られ、これが事実上、旧東ドイツの崩壊となった)20周年記念日です。どうして、こういうことになったかは、必然(ハンガリー・チェコを通って出国する人が増えて、国はなんとかしなければならなかった、国内の不満がますます高まった、自由を求める人が毎週のようにデモをしたなどなど)と、偶然(出国許可の手続きについての記者発表が早すぎた、検問所に詰め掛ける人の多さを見て、ついに検問所の人が中央政府の許可なく、人々が壁を通るのを許さざるを得なかったなどなど)が、いくつも重なった結果で、この経過はまるで小説のようです。ともあれ、若い人の中には、「え、壁って何?」とか「東ドイツ、知らなーい」と答える人がいるほど、ドイツが東西に分かれていたことは、遠い話になりつつあります。どこの町も、少なくとも中心地では、家々が美しく改修されたり、新しい建物がたち、かつての灰色一色の町並みは姿を消しつつあります。多くの市町村が、西側よりもしっくなほどです。一方、東西ドイツの人々がおたがいに溶け込んだかというと、いまだにそうではないようです。旧東ドイツの人は、テレビや夢で見た西ドイツの生活がいざ現実となってみると、失業とか貧富の差など、それほど夢のようでないことを悟ります。賃金などの東西格差にも不満が出ます。旧西ドイツ側の人は、いまだに払わされる連帯税(旧東ドイツ地区の復興のために払う税金)が不満ですし、旧東ドイツ人が不満を言うことに対して、「これだけしてやっているのに、文句ばかり言う」と叱責します。それに、どこかに、旧ドイツ人のことを軽蔑したり、馬鹿にする傾向もあります。旧東ドイツの制度には、いいものもたくさんありました。たとえば、保育園の充実。女性も働くことが当たり前だった旧東ドイツでは、乳児・幼児への保育がしっかりしていました。旧西ドイツは、いまでも他のヨーロッパにくらべて、保育園が不足しています。この点を誰かが指摘すると、「おまえは東ドイツをほめるのか」と批判されることがあるのだそうです。社会主義の国のものは、なんでも悪い、と決めかかる人もいるのです。旧東ドイツでは人々は、物不足、自由のなさといった状況の中で、お互いに助け合って生活をしていたそうです。だから、お互いに助ける、は今でも当然。ところが、個人の自由を謳歌する西ドイツの人には、こういう連帯感が少ないみたいです。ずっと昔に、苦労して東ベルリンから西ベルリンに亡命してきた友人は、そういう連帯感が身に付いていて、自分がお金もないのに、誰かが困っていると、有り金はたいても、貸してあげようとするので、見ていてびっくりしたことがあります。女性の自立意識も東西でちがうようです。西ではまだ、妻が何かを決めるときに、夫にいちいち許可をとる傾向があるのですが、旧東ドイツの奥さんたちは、自分でどんどん決めるのだそう(もちろん例外はあるでしょうが)。こういう東西の差は、家族内でもあるそうです。壁が落ちるまで西側で暮らしていた両親と、それまで東側で暮らしていた子どもは、日常生活では今では和気あいあいでも、政治や社会のことについては、意見が違うのだとか。外国人である私は、こういうのを見ていて、おもしろいです。東西ドイツの人が、いまだにテレビで喧嘩するのも、おもしろい。東ドイツ出身のあるカバレティスト(政治や社会をおもしろおかしく諷刺するアーティスト)が、「東ドイツは、不正な国家だったが、その中に公正さも見られた。西ドイツは公正な国家だが、その中にいくつも不公正がある」と指摘していて、言いえて妙と思いました。私はこれまでにも時々アップしたように、ゲーリッツとかワイマールとか、ドレスデンなど、旧東ドイツが大好きです。古い歴史建造物が改造されて、町が美しいのもありますが、人々がとても気さくで、親切だからです。ビジネスビジネスしていなくて、素朴で自然。知らない人に話しかけたり、面白い会話に入ることもできるのです。これから「統合二十年」のドイツがどう変わっていくのか、楽しみです。
2009/11/08
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いま、ドイツの経済も、アメリカの経済・銀行危機のあおりをくって、暗い影がさしております。銀行問題は別として、いつも疑問に思うことがあります。ドイツでも日本でも、いや世界のどこでも、「景気が悪い」「経済成長率が低い」「消費低迷」といった意味の言葉は、どれもネガティブな意味で使われるでしょう?消費が低迷し、経済が成長しないと、世の中つまり世界が困った状態に陥るような。でもね、そもそも、少なくとも先進国の人間はもう、生きていくのに必要な物はほとんど所有してしまっていて、そんなに新しい物を買う必要はないのではないでしょうか。もちろん食料やエネルギー・水は別ですが。ですから、市民が次々と無限に消費をし、新しい物を買い、使い、捨てるということを基盤にしている、現在のような経済のシステム、常に成長をつづけなければ破綻するという経済システムはおかしいのではないか、というのが、経済には素人の私の素朴な疑問なのです。それに、同じメディアや政治家が、矛盾したことを言っているようにも思えます。地球温暖化防止や資源節約のためには、できるだけ物を大切にし、壊れたものは直して使い、長く使い、できるだけエネルギーを節約するべき、というのは今では常識ですし、メディアも政治もそれを提唱しています。その一方で、同じメディア・政治家が、「消費が低迷して困ったことだ、消費をどんどんして経済を成長させなければ・・・」というのですから、「いったいどっちなんだ。物をむだに消費して、経済を成長させた方がいいのか、それとも、長い目で考えて、未来のためにも、資源・エネルギー・物は効率よく、長く使えばよいのか」と聞きたくなります。物の消費、つまり生産しては売り、使い、捨ての繰り返しに依存せず、それでも世の中の人々がある程度には公平に暮らせる新しい経済システムというのは、ないのでしょうか。それとも、私が勉強不足なだけで、本当はあるのでしょうか。これ、ドイツ人の周囲の人に聞いても、誰も答えられないんですよ、結局は。「とりあえずは経済が成長しないと、環境対策もできないし・・・・」なんて議論になってしまって。お金あっての環境対策といっても、そのお金をひねり出すために、どこかで生産・消費・廃棄をしているのであれば、それで実現した環境対策の効果は相殺されてしまうのではないか、とナイーブ(素朴・幼稚という意味です、繊細という意味ではなくて)な私は思ってしまいます。(こういうこと、謝礼や印税をいただいて書く雑誌記事や本には、気軽に書けませんが、自分のブログなら何でも書けるから、助かります。)ついでに書いてしまうと、人間、一生を生きるために無限に金が必要ではないはずだから、たとえば100億円以上の財産は一人の人(会社ではなくて、個人)に持たせない、という法律を「世界規模で」つくるっていうのはどうでしょうか。つまり「超金持ち防止法」。世界規模でつくらないと、他国に金が流れてしまうから、するとしたら世界規模で一致して。そして、それ以上のお金をもっている人から徴収したお金を、超貧しい人々が自力で生活できるためのお手伝いのお金に回す、あるいは食料援助に回す、自然エネルギー利用に回すというのは。本来、税金というのはこれに似た目的で存在しているはずでした。金持ちになるほど高税率をかけて徴収した金で、「本当の意味での公共事業」すなわち、公共交通、水供給、通信の自由(電信電話)、エネルギー供給、教育といった、すべての人が最低限生活するために必要なものの供給に回すのです。これらの事業は国営・公営にして、たとえ赤字でもすべての人が享受できるようにする、というのが民主主義の原則の一つであったはずです。それがいつのまにか、「受益者負担」にすりかえられてしまって、今の人はそれが当たり前のように思っている傾向があります。だから、たとえば「トラムやバス運営が赤字」というと「それは困りますね」という答えがかえってくるのです。でも、本当は赤字ででも、税金を補助してでも、誰もが移動できるように、誰もが水を飲めるように、誰もが煮炊きできるように、つまり最低限の生活を保障すべきなはずです。これは、憲法(日本でもドイツでも)で定められているのですから。いつのまにか、ヨーロッパでも日本でも民営化や受益者負担がふつうのようになっていることに、怒りと危機を感じています。
2008/10/03
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