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**** ちょっとリアルで気持ち悪い話なので、苦手な方はご遠慮下さい *****もしかしたら前に書いたかもしれません。でも最近ペットを飼うようになってから、どうも前に聞いたその話が頭から離れないんです。この話を思い出す度「こんなことダメでしょう。。でもやっぱり違う文化なのかしら・・・」って考えてしまいます。もしよろしければ読まれた方のご意見を聞かせていただければと思います。香港にいた頃のお友達(日本人)が付き合ってた中国人の彼氏。彼は香港とのボーダーを越えたすぐ向こうの町、深センで調理師として働いていました。中国大陸で調理師といえば、大概の食材は取り扱ったことがあるということですが、そんな彼でも今まで一度しか食べたことの無い食材がありました。そう、タイトルにも書いた通り、「猿の脳みそ」です。ここから先は、その彼から聞いた話。4つ足のものは椅子と机以外なら何でも食べれる、っていうくらい食材、またその調理法に富んだ国中国。私も中華料理は大好きで、しょっちゅう食べてますがその食の国中国でも、猿の脳みそは「珍味」に属するそうで、めったにお目にかかれない。でも、彼はあるときその貴重な珍味を口にすることになる。ある高級レストラン。猿の脳みそを食するため、専用のテーブルが設置されている。真ん中には丸く穴が空いていて、筒のようにくりぬかれており、深さは約30センチ。そしてテーブルすれすれには、猿の頭を固定する器具が設置されていて、その日の食事が一通り済むと「デザートの時間」となる。ウエイターは一人一人に、小さな銀のスプーンを配る。猿は先ほど説明した、テーブルの真ん中のくぼみに生きたまま入れられ、頭を固定。もちろんこの段階では生きている。頭を固定し、猿が「動けなく」なったところで頭蓋骨を開け、脳みそをむき出しにして「さあ食べましょう」状態だそうなんだけど、そんなに量自体は多くないので、一人当たり小さなスプーン一杯程度で6人分で終わってしまうらしい。味は・・・・特にないそう。特にないと言うと偽りかもしれないけど、何も調味料をつけないそれはきっとそれが正直なところだと思う。生きたまま脳みそをとられていく猿の顔は見えないけど、同僚の香港人から聞いた話によれば、目がグルグル回っているそうだ。映画「ハンニバル」をごらんになった方はありますか。あの映画の中でも同じようなシチュエーションが出てきます。映画館の中で、私はあまりにも気持ち悪くて、スクリーンを見ることが出来ませんでした。中国の食べ物は、体のどこかが調子悪い場合、動物の体の同じ部分を食べて補うと聞きます。そして猿は賢い動物として知られるので、きっと昔の人々は猿の脳みそを食べ、その賢さを得ようとしていたのではないのかなあと思うけど、今現在はもうそんな必要ないような気がするわ。中国は私の好きな国の一つです。そうであってもなぜかこの話は心の中につっかえちゃってなかなか取れてくれないようです。私は猿の脳みそを食べるかって?もしチャンスがあっても絶対食べません。スプーン一杯で一生思い出して良心が痛むなら少々ボケてしまった方がいい。。。。。
2004年03月31日
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小ネタですが、普段の生活の中でちょっと面白かったことを書いておこうかな。先週の日曜日。近所のモールに出かけたところ、通路で出店みたいにしてガラス細工や冷蔵庫なんかにつける動物の形のマグネットが売られていた。店主は中国系のおっちゃん。。。。結構かわいかったので「アライグマないかしら」と思っておっちゃんに聞いたら「ん~~?アライグマねえ。。。あっ、2個あるよ!」って取り出してくれたものは、アルマジロ !!!!!全然似てないやんけ~~~!あまりの違いに腰が抜けそうになったけど、笑ってその場を立ち去りました。おっさんは何か言いたそうでしたけど。ウチの会社の社長も時々面白いことを言って笑わせてくれる。ついこの前も何か言って私を大笑いさせてくれたけど、何だったかわすれちゃった。思い出したらまた書きます。
2004年03月30日
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今週末は結構忙しかったんです。土曜日は、この前予約したLA行きのチケットの代金を払いに旅行会社へ。何でも近頃のチケットはEチケットだか何だかで、お金払って予約番号もらったらあとは当日カウンタへ行き番号を伝えるだけ。チケットが無いんだって。なんだかそれって不安だわ。ってか、チケットをもらって赤いカーボン紙みたいなのにいろんな数字とかが書いてあるのを見て「旅行に行くのね!飛行機に乗るのね!!」ってワクワクするのに、その楽しみを一つ取られたような気分。さみしーーー。でもお金を払ってスケジュールをもらったらちゃっかりしたもんでもう気分だけはカリフォルニア。日程的に余裕がないので、前々からお会いしたかった方達と会い、ちょっと観光出来たら充分かなと思う。で。。。。行く場所。最初おっさんは「ディズニーランドは外せないっしょ。」って張り切ってたんだけど、今はなんか「ユニバーサルスタジオだな。決まり。」って変ってるしさ。どっちも行きたいけど、映画好きな私たちだからやっぱり今回はユニバーサルへ行く可能性の方が大だわ。旅行会社の帰りに本屋さんに立ち寄って、地図コーナーへ足を運んだ。・・・・色んな種類があるもんだね。たくさんの中から、2つを選んだ。一つは「ナショナル・ジオグラフィック ロサンゼルス」14ドル95セント也。これはラミネート加工が施されてて、大きな幹線道路が目立つように書かれているから運転中便利そう。そしてローカルエリアで分からなくなると困るから、「ランド・マクナリー シティーマップ」を買った。3ドル95セント。これはぐっと細かく、各道路まで書かれている。この2つがあればまあ大丈夫かな。。あとは地元についてから買えばいいしね。今日ランチを食べに「リッキーズ」ってレストランにもこの地図を持ち込んであーでもない、こーでもないと話して、早速旅行気分の私たちでした。
2004年03月29日
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今日、仕事が終わってウチのマンションの郵便置き場に行くと、カナディアンタイヤのカタログが山となって置かれていた。毎週水曜日に配達される地域の新聞と一緒に家に持って帰って来て早速開けてみる。。。カナディアン・タイヤは日本だと「DOIT」や「ジョイフル・ホンダ」のような「男の人やファミリー向けのとにかく食べ物以外ならほとんど揃ってるし、お安いのよ」的店で、結構人気がある。カタログには私でも欲しくなるようなものがいっぱい。● 夏に向けて、バーベキューグリル。各種。●「今年はBBQベランダでやりたいな。。。」● パティオ用 日傘付きダイニングセット ●「家を建てた時に欲しいなあ」● 屋外用物置 ●「いらないもの入れるのにちょうどいい」● アウトドア用自転車 ●「今のがダメになったら欲しいわ」それ以外にも、子供のおもちゃ、運動用具、ピクニック用テント、浮き輪、車用品、タイヤ、釣り道具、ガーデニング用品、電化製品、インテリア、収納用品、美容器具、ダイエット用品、ペットグッズ、照明器具、工具、ペンキ、ドアノブ、ポンプ、ファイヤープレース などなどなど・・・。特に車用品が充実しているから、男の人に人気みたいですね。カナディアンタイヤのウエブサイトはwww.canadiantire.ca です。今年の夏はBBQくらいは出来るかな。4月のイースターホリデーには、おっさんのおかんとじいちゃんに会いに、ケロウナというところに行くから、それも楽しみ。もちろんブレンディとラッキーも一緒に行きます。おかんは「ウサ孫達に会えるの、楽しみだわあ。」って言ってくれてるので今からワクワクです。5月にはカリフォルニアにも行ける。前からお会いしたかった方達にも会えるので、楽しく過ごせるように今からじっくり計画を立てなくちゃ。ホテルはどこに予約しようか、今はまだ考えているところです。多分ベストウエスタン系が慣れてるから、今度の週末に近くのベストウエスタンに行って、ホテル一覧をもらってくる予定。これがあると便利だよね。
2004年03月25日
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最近、日系人の方との出会いがあったり、日系センターに行ったりしてようやく日系人の歴史のようなものがおぼろげに見えてきた。過去のことを引っ張り出してきてどうするんだ、と思われる方もなかにはいらっしゃるかもしれない。私も「何で気になるのかしら。」と思い、少し考えてみた。このままおっさんと一緒にカナダに住むとして、子供が仮に出来たらカナダで2つの国をバックグラウンドに持つ子供ということで、良い面、悪い面両方あると思う。2つの国を持つ人々を見ていると、どちらにも属することが出来ず悩んでいる人もあったり、また学校でいじめられ、だれからも相手にされなかったり。あるいは逆に片方の国を蔑んで見るようになったり。カルガリーにいた頃、友達の知り合いが白人と結婚。男のコが生まれた。その子が幼稚園の頃、日本人の子供達と一緒に遊んだりしていたんだけど、ある日「○○ちゃんは茶色い子。」と言ったらしい。お母さんは驚いて「茶色い子って誰のこと?」と聞いたらやはりその日本人の子のことだったらしい。子供は子供なりに「自分はどっちに属するか」なんてやっぱり考えているんだろうか。人種や肌の色、国籍に関係なくパーソナリティで判断出来る人、たくさんいそうでなかなかいないような気がする。でも、他人が世の中を変えてくれると思っちゃだめなんだよね、きっと。自分達が他の人に話しかけ、シャイなところを脱ぎ捨てることで将来の姿が少し見えてくるかもしれない。************************************話題を変えて・・・・今日社長から「すてぃっちさんは、ウチで働き始めて何ヶ月くらいになるの?」と聞かれたので「3ヶ月ちょっとです」って答えたら「もう試用期間済んでたね。ごめんごめん。じゃあ給料今回から10%上げてちょうだい。」と言われたのでとても嬉しかった。何か一生懸命働いているのを認めてもらえたような気がして。10%というと金額的にはそんなに大きくないけど、気持ち的には80%くらい上向きになったかな。あはは。明日も張り切って仕事行こうっと!
2004年03月24日
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今日の内容は、カナダ国内で日系人が「敵国人」として強制移動させられているなか、「カナダ人」として戦争へ行った兵士達。以前にも日記に書いたけど、バンクーバーのスタンレーパーク内にある「日系カナダ人戦没者の碑」のまわりに見事に咲く満開の桜がちょうど今見ごろ。戦争で亡くなった彼等は、自分の事を日本人と思いながら死んで行ったのか、それともカナダ人として。スタンレーパークに行く度に思う。「無名の兵士達」「日系カナダ人がカナダ政府当局の手による強制移動という不正、財産の没収、収容所への監禁などを経験している最中に戦争勃発前にカナダ陸軍に入隊していた少人数の日系カナダ人兵士達が、カナダ国内でないがしろにされている正義やフェアプレーの大原則を守るために前線で戦っていたことは、歴史の皮肉と言えよう。その兵士の内、坪田デビッドは、ディーぺにおける奇襲攻撃中捕虜となり、ドイツの捕虜収容所に収容されていた。田中ミノルはノルマンディとドイツ戦線に従軍し、ドイツのカルカー付近の作戦中戦死した。太平洋戦争勃発後、カナダ軍に入隊することを希望した日系カナダ人は、ブリティッシュ・コロンビア州のパテロ州知事をはじめとする政治家達から強固な反対に遭った。その政治家は次のように述べている。「・・・もし彼等(日系カナダ人)が軍に召集されたなら、やがて選挙権を要求するであろう。しかしブリティッシュ・コロンビア州の我々は、決してそれを認めることが出来ない。もし日系人を召集するとの命令が下されたことがあるならば、私は直ちに閣下がその命令を却下するよう、喪心よりお願い申し上げます。」二世、またはカナダ生まれの志願者は、カナダ陸軍によって入隊を拒否されたが、後日英国パイオニア隊に入隊を許可され、上等兵の階級が与えられた。しかし彼等は最後の土壇場になって外国の制服を着て海外に行くカナダ人と連邦下院において侮辱され、結局カナダ政府は政策を緩和して日系カナダ人を二等兵に降格したあとカナダ軍に受け入れた。恐らくもっとも悲しむべき誤りが、第一次世界大戦の日系カナダ人軍人に対してなされたと言えよう。彼等の記録は血を持って綴られている。すなわち、従軍した196名のうち54名が戦死し、また93名が戦闘中負傷、その中の多くの人々は戦後勲章を授けられた。(これらの人数、及び戦死された方々の名前は、この日系兵士の碑に刻まれています。)入隊前、ブリティッシュ・コロンビア州のフレーザーバレーの農地に入植していた人々が復員した時、彼等日系軍人達の家屋や財産は正当な手続きもなく没収され、在郷軍人土地法に従い、第二次世界大戦から帰還した白人の軍人に売却されてしまったのである。」「彼等の中には、自分が長年住み慣れた土地でなれた仕事に戻るためブリティッシュ・コロンビア州にもどって漁業をする申請をしたが、次のような回答が返って来た。「貴信に対して次のように回答します。1942年のはじめに戦時措置法に基づいて可決された日系カナダ人への漁業許可証発給制限に関する命令は、1945年の「国家非常事態転換期指揮権に関する法律」に基づいて依然として有効であることをお知らせします」と。1947年3月、彼とその家族は、遂に西海岸に帰る許可証を連邦警察から受け取ったが、ニューウエストミンスターのサンバリーにあった家は、敵性外国人資産管理人によって在郷軍人土地法の責任者へ無断で売却されており、そこに戻ることが出来なかった。彼等は真珠湾攻撃の2日前の1942年12月5日に完全に改築された家に移ったのである。その家に移る前に家の基礎、屋根、ポーチを新しくし、さらに配線、配管も取り替えたばかりであった。家と7.7エーカーの海に面した土地は、彼が海外に従軍している間に帰還した白人の在郷軍人に売られてしまっていた。不動産の没収に対して公正な決着をつけようと再三試みたが、彼の保証要求は何ら解決されなかった」踏んだり蹴ったりだ。こんなめに遭って、よく「それじゃあ元自分が所有していた家を放火してやる」なんて人が出なかったなと思う。カッとしてそういう行動にでてしまう人もいそうな気がするけどな・・。私なら暴れるぞ。うん。スカンクを大量に放つ。。。。。とか。
2004年03月23日
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土曜日に購入した本の続きです。カナダの日系人が第二次世界大戦中に経験した強制移動・財産の剥奪、それ以上に一生かかっても取り戻せない心の傷はだれが癒してくれるのだろう。私は今この国で縁あって末席に住ませてもらっているが、彼等と同じ日本人としてこの国で行われた事実は知るべきだと思った。再び抜粋で申し訳ありませんが、私の下手な文章よりもずっと明確に書いてありますので、こちらを参考にしたいと思います。「1942年2月、カナダ政府はブリティッシュ・コロンビア州の西海岸に住む、日本に民族的起源を持つ全ての日系カナダ人に対する追放令を発した。その措置によりカナダ政府は市民としての基礎は民族性であって、個人の価値ではないとの見解を助長してしまった。続く7年間、カナダの歴史上前例のない規模の人権と公民権の侵犯が始まったのである。戦時措置法による無期限な権力を後ろ盾にして連邦警察(RCMP)の警察官は、令状なしに昼夜問わず家屋に侵入し、準備にわずかな時間しか与えず人々を移動させた。日没から夜明けまでの夜間外出禁止令が「あらゆる日系人種」に施行された。夫婦は無理やりに別々にされ、男子達はレインボー、ジャスパー、そしてイエローヘッドのような所の道路工事に狩り出された。家族と別れることを拒否したものは、オンタリオ州のぺタワワやアングラーの捕虜収容所に送られた。「敵性外国人男子」だけを収容することが政府の最初の方針であったが、間もなく移動と監禁は全ての日系人にまで拡大された。自分の家から追い出された家族は、ブリティッシュ・コロンビア州の内陸部の移動の中継地となったバンクーバー・ヘイスティング公園内にある家畜収容用の建物に入れられた。その後、アルバータ州とマニトバ州の畑で働かせるため、目的地へ移動。彼等は目的地に到着すると直ちに身体検査を受け、公開の競売場における奴隷同様に労働のために仕分けられたのである。その土地の最高当局から「敵性外国人」の烙印を押された日系カナダ人達は、その強制された移動先においても、疑惑と不信に満ちた目で見られたのである。アルバータ州は戦争終結後、連邦政府が日系カナダ人の再移動を保証するという条件付のみで彼等を受け入れた。土地を買ったり借りたりすることを禁じられ、法務大臣からの特別な許可がないかぎり作物を栽培することも出来ず、ビジネスや住宅のための土地、建物の貸借契約は厳重な管理下におかれ、数々の都市では日系カナダ人の居住が禁じられていた。保安委員会は。1942年3月4日から移動を開始、10月までにその任務を達成した。すなわち日本に民族的起源を持つ2万1000人の人々は自分達の家から立ち退かされ、生活手段から引き裂かれてしまったが、これに対する法的手段はなかった。これらの権利剥奪はその後起ころうとしていることの単なる前触れに過ぎなかった。日系カナダ人が西海岸にあった彼等の地域社会から立ち退かされるやいなや、彼等の家屋、ビジネス、及び財産はそれを厳重に管理する義務を持った敵性外国人資産管理人の「保管」の下におかれ、それらの所有物はその「所有者の承諾なしに」処分され始めた。生涯かけて蓄えた財産は瞬く間に処分され、家具、家庭用器具、ミシン、ピアノ、家財道具等は焼け残り品のような特売価格で売られていき、一般の人達によって引っ張りだこで買い取られてしまった。箱やトランクに仕舞われていた食器、銀製品、衣類、そしてかけがえの無い家宝などは開けられもせず、評価もされずに1件あたり2ドルで売却されてしまった。フレーザーバレーだけにおいてもブリティッシュ・コロンビア州の中でももっとも肥沃な土地1万3000エーカーを所有していた769世帯の農場は、その土地を1エーカー当たり64ドルで売却された。1941年12月8日に押収された1200隻の漁船は、1942年1月13日に承認された内閣令に基づき処分。同様に1500台の乗用車、トラック、及びオートバイは1942年初夏に競売にかかり、多くのものに買い取られていった。それらの売り上げから得られた資金は、不動産業者や競売人の費用、保管料や手数料及び日系人が収容所にいる間の生活費として差し引かれたため、霧散してしまった・ジュネーブ協定に基づく捕虜や敵国人でなかった日系人は、自分達の収容のための費用を自分達の意思とは関係なく強制的に支払わされていたのである。」
2004年03月22日
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今日は上海出身の中国人のお友達と会うため、待ち合わせをした。おっさんが気を利かせてくれて「ボクは一人で映画を観に行くから、2人で楽しんで」と言ってくれたから、友達と2人でつもり積った話をした。お昼ごはんを食べるため、まずはバスに乗り「日系ヘリテージセンター」へ。ちょうどお昼どきだったから、かなり混んでたけどなんとか席に着き、ランチメニューの中から友達は豚キムチ定食、私はメンチカツ定食を注文。ご飯が来るまでのあいだもぺちゃくちゃ。ご飯を食べながらぺちゃくちゃ。ご飯を食べた後もぺちゃくちゃ。1時間半ほどもいたかな、それからようやく立ち上がり「日系博物館」を見学することに。カナダに移民した日系移民の軌跡を垣間見るような感じでいろいろな写真が展示され、特に現在ガスタウンとして観光地となっている場所付近の日系商店街や、日系小学校、洒落た洋装に身を包み、車の前でポーズする日系人男性。それらは戦争前のもの。そして戦時中強制的に収容させられた日系キャンプの模型図や、日系野球チーム「Asahi」のユニフォーム。日系人の選挙権を求め、政府に働きかけたものの却下。新聞の記事の切り抜きには「Japs can not vote」とあった。強制収容されたときの様子やキャンプでの生活を収めたビデオなどもあり、その中で語っていたある人は、ロッキー山脈の奥地に押し込められ「あの橋から先へ行ってはいけない」との決まりなので、勝手に外出も出来ず、「あの橋の向こうへ行ける日は来るのだろうか」と日夜不安な日々を過ごした。自分の身に置き換えてみるとかなり厳しいものがある。食べ物はどうやって調達したんだろう。水もない、電気も通っていない場所でどうやって炊事、洗濯するのか。冬の寒さはどうやってしのいだのか。洋服もほとんどないのに。帰りに書籍コーナーで見つけた本を購入した。題名は「裏切られた民主主義(Democracy Betrayed)」この本のまえがきは、どのような経過で日系カナダ人が戦時中カナダ政府が行った自分達への仕打ちに対する気持ちを訴えるかに至る過程がが要約されているような気がした。抜粋してみると、「1942年、日系カナダ人はカナダ政府によって人権と自由をすべて剥奪され、敵性外国人としての烙印を押された。この政府の処置によって日系カナダ人が被った苦痛、屈辱、損失は何人にも償うことができない程、膨大かつ過酷なものであった。歴史はやり直しが出来ないのである。しかしながら、我々は前向きの姿勢でこの問題に取り組みながら、カナダの法律と原則に対する違反を正す方法を提案する力を持っている。もし我々がそのような行動を取らなかったとしたら、我々のカナダ市民としての義務と責任を放棄することになるであろう。以前にカナダ政府が我々に対して行った屈辱や、我々に着せたその汚名は、正義やフェアプレーを旨とするカナダの伝統に今や汚点として残っている。人種偏見の犠牲者を拘禁し、財産権を剥奪し、家族をばらばらにし、個人の持っている民主主義的権利を蹂躙したことは、日系カナダ人のみならずカナダ国民一般の平和、秩序、道義に対しても損害をもたらした。さらに我々日系カナダ人社会に与えた損害は、民主主義そのものに対する裏切りであった。我々が戦時中の不正に対して正しい解決を求めるのは、それが市民としての行動であるからであり、民主主義に対する裏切りが再び起こってはならないと考えるからである。我々は補償を要求するに際し、我々の国カナダに対して誇りを持っており、カナダを民主主義国にしているその原則を信奉している事を確言する。」日系人として生まれながら、なおかつカナダ人としてカナダに暮らす日系人。自分が生まれた国から裏切られ、敵国人と差別され町やハイウエーのあちこちに「ジャップ立ち入り禁止」と書かれたらどんな気持ちがするだろう。この先はこれから読むので、また後ほど感想を書きたいと思います。あ、お友達とはその後場所を移動し、ドーナツ屋で夕方6時までぺちゃくちゃしゃべりまくりでした。あー楽しかった。
2004年03月21日
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昨日「アメリカ西海岸へ行きたいのだ」って言ってけど、どうやら夢がかないそうです!!!!!!!今日、年末調整みたいなやつで「T4 タックス・リターン」の申告をしに会計事務所へ。金曜日の夜だからかどうかは分からないけど、出てきた人は「ヨロヨロ・・・・・ッ。。。」としたジイサンだった。。。何となく不安。と思いつつ、ジイサンに書類を見せた。私たちの申告、今年はちょっと複雑で1. おっさんが学生だった時の授業料の還付。2. 州を越えて引越ししたので、その還付。3. 2人の収入を一緒に申告する。だった。。ジイサン、慣れないPCを何度も間違えながら2時間後。ようやく出来上がった。結局手数料135ドル也を払って、還って来る額は約2,500ドルーーーーーー!!!って判明。やったあ!!!こんなに還付されたの今まで無かったわ。だからもうおっさんも興奮しちゃって「よし、ディズニーランド、決定だ!!」だってー。私もホント嬉しかったわ。そしてジイサンにお金を払った後、夜ご飯を食べるためモールを徘徊。なかなか良い場所が見つからなくて、結局バーガーキング。久しぶりに食べたけど、バーガーキングにも「ベジタリアン・バーガー」があるんだね。健康志向、ってところかしら。夜ご飯を食べながら話してたんだけど、イースターはおかんのところへ行きたいらしく、レンタカーでウサギたちも連れて行き、カリフォルニアはその後、5月くらい???これから費用的な事を少しづつ調べますが、どれくらいかかるのかな。それにしても楽しみだな・・!おっさんとの初アメリカ!!
2004年03月20日
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4月9日から12日まで「イースター」ってことでお休みになる模様。ってか国民の休日だから、全国的にお休みなんだろうね。今のところはっきりとは予定出来てないんだけど、西海岸、行きたいなあ。ハリウッド、サンフランシスコ、ディズニーランド、ユニバーサルスタジオ、ラスベガス、グランドキャ二オン。。。。カナダもアメリカも似たようなもんかもしれないけど、やっぱりあこがれるよ。レンタカーして気ままな旅してさ、泊まる場所も適当に決めて食べたいもの食べて・・・・。一応飛行機の値段を今日聞いたら一人税込みで350ドルくらいだったわ。それ自体はそんなにお高くもなく、お手ごろかなあと思ったけどウチにはウサギ達もいるし、おっさんも日本や香港だったらお金がなくても行きたい、って人なのに、アメリカとなると「1万ドル貯金してからなのだ」とかせこいこと言ってるのさ。だから、結婚以来香港や韓国には行けても、アメリカ、ハワイなんか一度も連れていってもらってないよ!!何と言って説得したらうまくいくかなあーー。絶対「NO」って言わせないコツ・・・。うーーん。。。
2004年03月19日
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今日は平日なのに、みんなに親切にしてもらって何だか嬉しかった。仕事中。社長がランチに出かけて、戻って来たと思ったら「はい、すてぃっちさん、これワンタン麺。ボクもこれランチに食べて美味しかったから買ってきたよ」って言ってテイクアウトのをくれたの。その時私は既にお昼を食べちゃってたから、「ありがとうございます」って言ってとりあえず冷蔵庫へ。これは明日のお昼ごはんにしようかな。そして家に帰って来て、郵便チェックしたらたくさん郵便が来てた。香港で一緒に仕事してた女の人から。「誕生日遅れちゃったけど!」ってメッセージが入ってて小さなマグカップが一緒に同封されていた。そのマグカップにプリントされてるキャラクターってのがコブタ。で、その名前が「ポークチョップ」・・・・。って食べ物の名前じゃん!!香港にいたときはそんなにかわいいと思わなかったけど、今こうやってみるといろんなことが思い出される。懐かしいなあ。それ以外にも、カルガリー近郊の町で精神科医をやってるおっさんの父親もたいに慕ってる人からも、誕生日おめでとうカード。そしてSPCAのボランティアの方からも、ラッキーとブレンディをヨロシクね!って手紙が来てた。離れていても、いろんな場所から私たちのことを思ってくれる人達がいるって嬉しいね。今日は雨が降ってるけど、心はすでに春だよ。連絡事項。おっさんの風邪、少しづつ良くなってますけどまだなんかひどいです。今日はムリヤリ仕事行かせたけど、途中で帰って来ちゃった。明日はダブルシフト。昼間仕事した後、少し家に帰って来てそして夜12時から、朝8時まで。ちょっとおっさん疲れそうだよね。今日はゆっくり寝てもらわなくちゃ。
2004年03月18日
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今日は、おっさんが仕事帰りにモールの美味しい香港ケーキを買って来てくれる約束だったんだ。香港系のケーキ屋さんは、日本のケーキみたいにホイップクリームが入ってて、フレッシュフルーツがたっぷりだから美味しいんだ。私が仕事終わって帰って来るのと同じ時間だったみたいで、途中交差点のところで会ったから、一緒に帰って来た。どうやら風邪を引いてしまった模様。ちょっと心配だから、夜ごはんは野菜スープ。簡単だね。さてケーキ。おっさんがいつも愛想振りまいて店の人と仲良くなってるから、店の人も特別に今朝注文受けてから作ってくれたんだって。マンゴーがケーキの外側に貼り付けてあって、本当に美味しそう。夜ご飯を食べた後、早速食べることに。マンゴーの味がすごいして、今まで食べたことないくらい美味しいケーキでした。で、↑↑ このマンゴーケーキ。。。カルガリーで働いている頃。当時の職場は中国系の人達が多い職場で、聞こえてくるのはほとんど広東語。まあそんな中、あるときその中の一人がケーキを買ってきてくれた。色んな種類のがあって、中でも人気はやっぱりマンゴー・ケーキ。私も一足遅れて行くと、みんなはもう既にパクついてた。そしてみんな満面の笑みをたたえながら、口々に「すてぃっち、マ●コー、マ●コーケーキ!!」「It's good!!」「This is called マ●コー・ケーキ!!」「すてぃっち、まだここにあと1個マ●コーケーキ残ってるよ、食べなさい!」ってあんた達、ヤヴァイ言葉連発だよ・・・・・。恐らく私はその時引きつった顔をしてたんじゃあないかなあ・・。でも、私もみんなに混じってしっかりそのマ●コーケーキ、食べたけどね(笑)。 後で同僚の日系人に言ったら「へええええ。いい言葉教えてもらっちゃった。俺も早速マ●コーケーキたーべよっと!!」って言ってるから「あ、私が最後の食べたよ」って言うと残念そうな顔してたよ。マンゴーケーキを見るたびに思い出す出来事でした。あはは。
2004年03月16日
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お休み中のはずなんですけど、ちょっと更新。今日は本当に良い天気。しかもおっさんが仕事でいなかったので、「ニューウエストミンスター」って所に行った。そこは「アーミー&ネイビー」って店や「バリュービレッジ」(リサイクル品の店。安い)があるから、時々チェックしに行く。歩いていると汗ばむほどの陽気で、昨日までつぼみだった桜も、今日辺りから咲き始めているのではないかしら。いつもならスカイトレインで行く所だけど、今日は違う景色を楽しみたかったので、バスで行くことにした。時間は20分ほど余計にかかるけど、「あ、こんなところにこんな店があるんだ」とか、「美味しそうなレストラン。今度チェックしよう」など色々な発見があって私は好き。約40分のバスの旅は、左右を忙しく見渡すことであっという間。この、ニューウエストミンスターっていう市は、カナダでもその歴史において割と初期の頃に発展した街。サーモン漁で発展したのかな・・・?すいません。あまり詳しくなくて。でも、街には今でもかなり古い家や建物が残されていてそこで古い歴史のある街だということが分かる。バスを降り、「バリュービレッジ」を見たけどめぼしいものは無し。だから「アーミー&ネイビー」へ。この前見た時シャワーカーテンの良さそうなのがあったから、それがもしまだあれば買おうと思って行ったらまだ余裕であった(笑)。シャワーカーテン。7ドル99。それに、バスタブにかけるような感じのシャンプーとか石鹸とかを置くラック? 3ドル99。それだけ買ったらボチボチ帰ることに。朝早く起きたせいか、本当に疲れちゃって家に速攻帰ってから少し昼寝。ブレンディとラッキーを部屋に出してたからちょっと心配だったけど、2人共動いてなかったから良かった。おっさんが夕方帰って来たから、風呂とか入ってちょっと休憩させた後ギリシャ風?レストラン(ってかファストフードだけど)に行って夜ご飯にすることに。日本語でぺちゃくちゃしゃべりながら店内に入ると、東洋人の男性がおっさんに向かって「日本語が上手ですね」って英語で話しかけて来た。聞いて見ると、日系3世らしい。日本語は少し分かるけど、ほとんどしゃべれない。苗字はTanakaさん。おじいさんの代にカナダへ漁業に従事するため移民。そして第二次世界大戦のために、サスカチュワン州の日系人キャンプへ強制収容させられた。家も、土地も、船乗りに一番大切な船も政府に「敵国の人間だから」ということで没収させられた。日系人とは言え、カナダに移り住んで日加両国の国籍を持っていたにもかかわらず、全部丸裸だ。Tanakaさんのおじさんは、カナダ政府に「日本の国籍とカナダの国籍のどちらを選ぶか?」と聞かれたので、生まれてから住み慣れたカナダを選んだ。そしたら強制的にカナダ人として戦争に徴用され、戦地に送られたそう。日本を選んだら強制送還。日本語はしゃべれない、頼れる人もいない日本に帰るのは大変だっただろうな。で、結局戦争が終わっても没収された土地や店、船も白人に安く売り払われて自分たちには何も返って来なかった。一度写真で見たんだけど、バンクーバーのガスタウンは昔日系人の店がたくさんあって、ちょっとした「日本人街」だったそうなんです。それらも全部没収され、白人に売り払われた後は「Now Under Management of WHITE CANADIAN」(この度、白人系カナダ人の経営になりました)と看板がかけられていた。ここから1980年代にカナダ政府が正式に日系人に謝罪をするまで数十年。しかもTanakaさんの話だと、1980年代のお金で2,3000ドルしか補償がもらえなかったそうだから、それこそ泣きっ面に蜂だ。彼は言う。おじいさんたち一世は、嫌なことやつらいことがあっても何も言わなかった。しかしだいぶ後になってようやく事実は家族に伝えないといけないと思ったのか、僕たちに言うようになった。職場なんかで、アジア諸国の人々からは「お前達日本人が戦争中にウチの国を占領した!!」と冗談とも本気とも付かない事を言われるけど、あの時日本には他に選択の余地がなかったんだ。しかも、直接戦争を経験した人達は「ああいうことがあったけど、同じことが再び繰り返されないように努力しなければいけない」と言う。文句を言うのはそれを知らない若い世代だ。事実を伝えるのは大切だけど、間違ったことは伝えたくないね。。と。それからも話はラストサムライ、イラク問題、日系人が日本に行って、日本語がしゃべれないので逆差別??を受けた話など、たいそう盛り上がった。日系人と普段直接話す機会がほとんどなかったので、今日の出会いは本当に有意義だった。だから書き留めておきたいなあ、と思ってね。
2004年03月14日
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まーたひとつ年取ってしもうたばい。。。。いっつも思うけど1年1年があっという間に過ぎて行きます。毎日毎日、とくに今の場所に引っ越して来てからは幸せ過ぎて、幸せな時間っていうのは過ぎて行くのが早いなあ、って。でも幸せだと思うことは大事ですよね。そう思うと、楽天始めて、暖かいお友達や親しくなれた方達もたくさん出来た反面、つい最近開設当初から親しくさせていただいている管理人さんのHPがとうとう休止になるほど嫌がらせをされているというのがあって、インターネット上の付き合いって本当に難しいなあと思った。昨日おっさんとレストランでご飯が出てくるのを待ちながら話してて、お友達のHPの事を言っている時に涙が出てきた。楽しくやるためのHPなのに、そんな辛い思いをする必要はないんだよ。っておっさんが言ってだけど、本当にそうだと思う。他人を攻撃するために書き連ねるのは簡単だ。でもそれはやっちゃあいけないんだよ。HPは自分の生活の一部。でもそれが全てではない。みんないろいろライフスタイルがあると思うし、いろんな目標もあると思う。HPでイヤな事があっても、本来の日々の生活で自分が幸せだったらそれが一番だね。だから、私もやっぱりいつも幸せでありたいから、今日の誕生日を持ってしばらくお休みしたいと思います。でも、仲良くしていただいている皆さんの所にはまたお邪魔させていただきますね。(←都合のいいやつ)
2004年03月12日
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昨晩1/2カップのペレットと、干草、それにパセリとにんじんをブレンディとラッキーにあげて寝た。で、今朝6時に起きてケージの上にかけてある毛布を取って「おはよー」って言ったらブレンディの目つきが違う。明らかに「腹へったーーーーー!!メシ、メシ、メシーーーッ!!」って感じで立ちあがったり、ぐるぐる走ったり。「はいはい」って言いつつ、とりあえずペレットだけを皿に入れたらすぐに食べ始めた。よっぽどおなか空いてたんだねえ。水、野菜にも「ワグワグワグッ!!!」ってすぐに飛びついてたから、ホントぎりぎりだったんだね。でも。そう思って次に多めにあげちゃうと今度は残しちゃうし。難しいねえー。
2004年03月11日
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さて、昨日の続きですが。。。。引っ張ってすいません。ホテルのフロントっていつでも・もの静かな、かつ丁寧な対応・常にゲスト第一で・丁寧かつ迅速な対応・何事も正確にとかなんとかも結構重要になって来る(らしい)んですよ。で、それでも失敗した時はまあ何とかホテル側が対応しましょう、と。私のシフトは、木、金、土の一番クソ忙しい時に深夜勤務、日曜は夜勤明け、月が休みで火、水は日勤。だから体の疲れが取れないんだよね。夜勤に慣れた頃に日勤に戻り、ミーティングとかに出なくちゃいけない。仕事なんかも夜中に一人だから、慣れないわさ。で、その日のシフトでちょっと問題のあったゲストなんかの事を「記録帳」に書いて次のシフトに渡すのね。その日は翌朝引継ぎするのが例の「教育係」で、ノート見た時「何で私がこんなことまで気にしなくちゃいけないのよ」とか言ってるの。カッチーン、と来たので「それを見て翌日に対応するのがあんたの仕事やろうが」って言ってやった。多分そのことを他の人にも言ったんだろうね。なんかみんな話はするんだけど、あいつの目もあってあんまり話せない。それに私がゲストをチェック・インしている時、チェックイン用の紙をプリントアウトしたのを「ビリビリッ!」ってあいつが破ったりもしたしね。「ちょっと、私がプリントアウトしたのどこやったのよ」って言うと「ああ、何か良く分からなかったから破って捨てた」とか言いやがった。もうこの女とは1秒も一緒にいられないと思って、速攻翌日辞めてやった。上司(女性)は「せめて今週のシフトはやってもらえないかしら」って言ってたけど、「いや、とてもじゃないけど働ける環境じゃないので辞めます」って言って。そしたらちょっとムッとしてたけど、その週のシフトやってたらまたそいつが何してくるか分からないしね。退職願いにもちゃーーんといきさつを書いて、こういう理由で辞めます、って書いたから、あいつの昇進にもちょっとは影響あったんじゃないかな。その後の情報によると、教育係がしばらくの間深夜勤務だったらしい。それに教育係には向かないってことで降ろされたらしいし。ぷぷ。そりゃそうだよ。私だけじゃなく、フレンチ・カナディアンの新人のコもいじめてるの見たもん。大声で「こんなのも出来ないの」って言っておいて、上司には「もうあの人何も覚えてなくて、教えるのが大変なんですうう」って言ってるんだから。人に教える前に自分の点数稼ぎが先だからね。ユニフォームを返し、キャッシュも返し、IDカードも無くなった時、「ようやくこのきつい職場から開放される!」と思った喜びのほうが大きかった。空気も新鮮に感じ、走り回りたい気分だったよ。おっさんはこの時まだ学生で、収入の方を心配して続けて欲しかったようだけど、金のためだけに働くのはイヤなので自分の意思を通した。その後、こんな場所でちゃんとした仕事が見つかるわけもなく、ファスト・フードでバイトする生活が始まったんだよね。金には困ったけど、それでもまあ今思えばみんなでワイワイ言いながら働いたあの職場での期間は楽しい日々だったなあと思う。。。。。。追加です。フロントって、やっぱりいろんなゲストをチェックイン・チェックアウトするので、特徴のあるゲストは覚えています。変ったカップルとか、問題のある客(これにも暗号があるんですよ。で、PCのスクリーンでそのゲストの名前を調べるとその暗号が出てきます。)、それに男性が一人で泊まりに来るとフロントに電話がかかって来て「○○っていう女性がフロントに来たら7階のボクの部屋へ通して下さい」って言って来たりね。もちろんこの場合は「エスコートサービス」と呼ばれる職業の方たちです。。。私たちも一応は、ゲストからのリクエストなので、そういう方もお通ししますが、その後はすぐに噂大会・・・・。やっぱり「教育係」はその時も張り切って悪口言ってたよ。なんか、まだまだネタがあって次々に思い出したから、また書きます。
2004年03月10日
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親の家に住んでいる間は、生活に困ることもないし、ご飯だって時間になれば自動的に食べられるから良かったけど、自活するようになるとそうはいかない。特に就職後。あわただしく会社に行く支度して、駅まで走って行って何とか満員電車に乗り込む。そして人の洪水の中、オフィスに入ってやれやれ。今日も間に合った。もうだれも起こしてくれるひとなんていないから、自分でやらなくちゃいけないって結構大変だよ。会社では、朝、10時、3時のお茶入れの時間は噂話で大賑わいだった。まあ内容は大した事ない。課長がどうした、とか主任がこんなこと言ってムカつくなど。グチを言い合って、ストレス発散、みたいな所はある。たまにある飲み会なんかでそれは顕著にあわられて、普段嫌がらせばかりやって私たちを苦しめる主任なんかは、だれにもお酌してもらえない。けど、普段から良くしてもらってる男性にはみんなでお酌したり。まあこんな感じで一応のバランスは取れてたんだよね。そのころって、なんだかんだ言って今考えると結構のんびりだったよね。そして日本を出てから・・・・。いろんな人と出合った。いい人、悪い人。 いい人そうに見せかけて、実は悪い人。そんなんでもとりあえず何とか無事にやりすごし、ある所へ就職した時に「教育係り」として教えてもらうことになった人がクセモノだった。・・・・ちょっとこれから出かけるので、続きは後で。。。さて、続き。とあるホテルでフロント係りとして働くことになった私。フロント担当って、結構覚えることもたくさんあって、ホテルに就職するためのカレッジとか行ってなかったから、一番最初っから勉強。それでもホテルの制服をもらって、私のサイズに合うよう採寸してもらい、補正してもらったら「これからホテルウーマンになるのね!」って期待でいっぱいになったりしたもんだ。覚えなくちゃいけなかったことは、PCのメニュー全部。チェック・イン、チェック・アウト。接客マナー。ホテルの施設・サービスとその時間帯。ハウスキーピングへチェックアウト後の連絡。他の部署やベル・ボーイ達とのコミュニケーション。日本語・英語の通訳。自分のシフトの時に使うキャッシュの管理。VIPゲストのチェック。ゲストから問題があった時に電話がかかってくるので、その対応や問題解決。フロントに直接客室の予約をしに来るゲストもいるので、それの予約。私はそれらに加え、さらに週3日「グレーブヤードシフト」ってのがシフトに組み込まれていたので、その時は夜11時から、朝8時まで勤務。その間、375室ある客室全部を担当し、チェックアウト用の請求書をプリントアウトして、セキュリティーの人に頼んで、各室に配ってもらう。それにオーバーブッキングした夜なんかは、他に部屋がないので、他のホテルに電話して客を納得させて、ホテルの費用でタクシーに乗せて転送もしなければいけない。そういう忙しい日に限って、バンケットで大きなパーティーがあったりして、酔っ払い達が「おしゃべりタイム」しに来てくれるんだよね。あはは。それとか、「カギなくした」とか「車をベルボーイに預けているから、チェックアウトに合わせて玄関に車を回しておいてくれ」等々・・・・。その他にも、いろんな事を覚えきれないくらいたくさん詰め込んだ。夜なんかは寒かったりるからホームレスの人とか、酔っ払いの人が入り込んで来たりトイレを使いに来る。夜10時以降はトイレもカギがかかったりしているから、貸してあげられないからイチイチ断るんだけど、時々出て行かない人もいて、あるオジサンとかは警察が来るまで粘ってるんだよね。セキュリティーの人もそれ分かってて、来る度に警察呼んで。 ちょっとかわいそうなんだけど、そのホームレスの人もマイナス25度の中、外で凍えるより警察に連れて行かれて、暖かいところにいたほうがいいんだって。ご飯も食べられるしね。お客さんにもいろんな人がいて、いい人もいれば嫌な人もいる。私の教育係りも、最初は普通に教えてたんだけど、向こうはもう何年も同じことやってるから分かりきってるんだけど、私なんてそんなの知らないからイチイチ確認すると怒るんだよね。「今日の宿泊客は何組の予約が入っているの?」って聞くから、調べてると20秒くらいで「ちゃんと教えたでしょ!私は向こうに行くから!」ってすごい勢いで向こうの部屋に行く。その場にいたエンジニアとか「ポカーン」状態。20秒くらいで逆切れすんなや。って、でもそいつは上司がいたりすると「分からないのォ?」って態度が違うんだよね。そこのホテルは有名なホテルで、このまま働き続ければ良かったんだけど、教育係とその友達のお陰で半年位で辞めちゃったよ。この人達って他の人からも嫌われ者で有名だったらしく、後日エンジニアと偶然電車内で合ったときに言われた。そっか。みんなから好かれてないんだね。思いっきり客にも高飛車だし、失礼だったりするのは別に平気なんだけど、私が接客するときはぴったりくっついてチェックしてるし、イチイチぶつぶつ言ってるし、うぜェ。マジでそこにいた時間はストレスがいっぱいでしたね。早く辞めてよかった。。。あ、あとムカつくイタリアンオヴァ事件もあるので、それもまたいつか機会があれば書くことにしましょう。会社とかって実際仕事し始めたりする前は、どんな人達と実際毎日働かないといけないか分からないから、いいことばっかり想像するけど、なかなかいい人ばっかりで楽しくて仕方ない職場ってのはめったにないね。たいがい一人か二人は嫌なヤツがいて、つまらん会社生活になるって感じで。きっと他の人も苦手な人とかって職場なんかにいるだろうな。それでもやっぱ仕事だからって我慢したりするよね。お疲れさんです。
2004年03月09日
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今日は、予報通り雨でした。せっかくホワイトロックへ行く予定が、こんな雨じゃあ海に行っても楽しくないから、ってことでおっさんの希望で「IKEA」へ家具や小物を見に行くことに。日曜日なので、早起きした後ブレンディとラッキーのケージの掃除とエサ交換をし、野菜を食べさせてから少し部屋のなかで運動させて。支度しているうちにおっさんが起きだして来たから「飲茶行こうか」ってことになって、飲茶→IKEAの予定を決め、ウサギ達をケージに戻してから出かけました。雨は一日止みそうにもなかったから、しっかり雨支度してタオルも持ち、駅まで。電車もそんなに混んでなかったから、一番前に座って景色をパチリ。ちょうどいい具合に向かい側から対向車が来ました。 さてIKEA。 本当に広い敷地を使って、広々としています。店の中を見てまわるだけでも、結構な散歩になりますよ。やっぱり週末だけあって、今日はめちゃ混んでて、家族連れでカフェテリアもごった返し。だから、私たちは店を出た後、道の反対側にある「デイリー・クイーン」でランチ。久しぶりにデイリークイーンしたけど、ハンバーガー半分しか食べられなかったよ。お腹いっぱい。デイリー・クインのは、ちゃんとBBQみたいに焼いてあるから肉が美味しいです。さて、再びIKEAへ戻り。。。。いろいろ物色し、小物を数点購入。・ クローゼット用シャツなんか入れるフォルダー? 19ドル99 色:シルバー(おっさん)・ 小フライパン 4ドル99(すてぃっち)・ コードカバーするホースみたいなヤツ 3ドル99・ アルカリ電池(単3)10本 2ドル99・ チーズスライサー 3ドル50 (おっさん)こんな感じで、税金まで入れると、40ドル60セント。結構なお値段です。店を入ってすぐに、こんな垂れ幕?みたいなのがあって、一番左側のデザイナーの男性は、日本人でした。なんかイイ!!海外で日本人が活躍しているのを見ると、会った事もない人達だけど、なんかとっても嬉しくなります。 いろいろおしゃれなのが多くて、全部欲しくなっちゃうんだけど、今日は特に洋服を入れる引き出しや、2段ベッドの上だけみたいなやつが欲しくなっちゃって。だってベッドが高い場所にあれば、その下に机とか置けるし、場所も活用出来るような気がしてね。IKEAカナダのウエブサイトは・・・・http://www.ikea.caカタログの商品などが全部見られて、キッチンなんかも参考になりそうなデザイン満載ですよ~。IKEAの後は家に帰り、おっさんがIGAってスーパーで買ってきたチョコレートケーキを食べてちょっとしたお祝いでした。おなかいっぱいだよ。
2004年03月08日
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せっかく「IHOP」に行って、パンケーキなんかを食べる予定だったのに、家を出たあとにおっさんが「やっぱり雨が降ってるから遠くには出かけたくない。レッド・ロビンに行こう」って言い出したんですよ。仕方ないから行ったけど、なんかファミレス系のレストランはどこで食べても同じようなサービス、同じような味。味はまあまあだけど、美味しく感じませんでした。ちょっと残念。一応食べたものは、おっさんがラザニアディナーにチョコレートシェーク。私がベジタリアン・ハンバーガーにビール。チップ込みで33ドル。結構高いね。 その後、野菜などを買い足すために、「Save-on-foods」というスーパーへ。ここって結構大きくて、品揃えもいいし、倉庫みたいに箱単位で買えるから、商売やってる人なんかも買いにくるみたいです。お値段も割と安いよ。今日は、イチゴやブドウ、パセリ、バナナ、シャンプー、マウスウォッシュなど。必要なものだけね。ここのウエブサイトはhttp://www.saveonfoods.com/1/index.html です。オススメ料理とか載ってて、結構面白いよ。今週の広告も掲載されてるから、HPでチェック出来るしね。店の中はこんな感じ ↓↓ -------------------------------------------------------一応予定してたツメ切りのために、SPCAまで行ってきました。今日のために用意した移動用キャリーに二人を入れて、おっさんに持ってもらってスカイトレインの駅まで徒歩で。途中、だれかが草むらで小さなウサギにハーネスをつけて散歩させているのを発見。彼女の自宅の横だったようで、ご主人も車を直してたのにわざわざ私たちのところまで来て、しばらくウサ談義。ウチも早く暖かい季節になって、散歩に連れて行きたいなあ。とりあえず今日は雨だったから、そのあとは急いで駅へ。そして、おっさんが駅で切符を買ってるときに、先日あったジャニ系のホストブラザーに偶然遭遇。おっさんがちょうど電話番号無くしたところだったから、よかったーなんていいながらしばし会話。彼のガールフレンドも他の場所から遊びに来てくれてたらしく、紹介してくれた。そして彼らの別の友達も。やっとこさ電車のホームまで着くと、今度はなんか知らんおっさんが、自転車押してよろよろとこっちの方へやってくる。うわ・・・酒臭いよ。飲んでるな。その酒臭いおっさんもウサギを飼ってたらしく、「いやあ、ほっとくと子供がどんどんうまれて大変なのよー。ういーー。」とか話しているうちに、電車が滑り込んできた。ちょうどいいタイミングだね、と思いながら電車に乗ると席もたくさん空いててキャリーを座席の上に載せ、さらに私達もキャリーを挟むように座った。向かいの席の老婦人も「あら。ウサギね。今日はどこへ行くの?ふふ。」って話しかけられたり、他の人もいっぱいいっぱいブレンディとラッキーのことを見てくれて、本当に嬉しかった。やっぱりペットを持つって、知らない他人ともすぐに友達になれて、話すきっかけも作れていいもんですね。SPCAに着いた後は、お世話になっている人にツメの切り方を教えてもらい5分くらいで終了。意外と簡単そうだったけど、神経とか血管を傷つけないように気をつけないとね。。。そして私たちは再び家を目指して同じルートを帰ることに。雨も少しだけ本格的に降ってきたから、いそいで歩いて駅まで。。。。私たちのキャリーは上からも見れるように、格子状になっているので雨がかかってびしょぬれになってないかが心配。ウサギって確かあんまり水に濡らしちゃだめなんですよね・・・。駅に着いて、早速2人をタオルで拭いてあげましたが、ラッキーがぶるぶる震えてる。カワイそうに。電車に乗った後、しばらくなでてあげたら少しは良くなりました。そして今。ウチに着いてもやっぱり興奮しているようなので、部屋の中で勝手にくつろげるようにしています。ブレンディはベッドの下。ラッキーはダイニングチェアの下。それぞれお気に入りの場所があるようだね。今日はこれから夜ご飯を食べに、おっさんの希望で「IHOP」(アイホップ・・・・パンケーキがメインのレストラン。チェーン店で、日本にもあるよね)に行って来ます。どんなだったか、また後でUPしますね~~!
2004年03月07日
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ウサギ達のツメがだいぶ伸びて来たので、SPCAの人にメールを出して「切り方教えてもらってよかですか?」って聞いたら「いいですよー。久しぶりにラッキーとブレンディにも会いたいし」って言って下さった。だから早速お言葉に甘えて、明日の午後に2人を連れて行くことにした。今日はその準備のため、会社帰りに「Tisol」に寄って必要なものを買い足し。・ ネコ用移動カゴ 42ドル99セント。・ ツメきり 4ドル99セント。・ エサ 7ドル99セント。税金なんかも合わせると、62ドルくらいになっちゃうんだよね。結構お金かかるけど、やっぱりペットを持つってお金じゃないですよね。2人ともだいぶ慣れ、今日はブレンディが私の足に手をかけてくれました。かわいかったよ。-------------------------------------------------------あれは私が高校生の頃の話・・・・・。女子がほとんど、っていう学校に行ってたんだけど当時の私は髪が本当に短くて、耳出し当たり前。って感じだったんですよ。で、1ヶ月に一度の美容院通い(←しかも田舎の美容院だから、名前が「ヘアサロン・アルル」とか意味が良く分からないけど、なんかそれっぽいの!ってカンジの名前のところ)だと、お小遣いのほとんどをそれに使ってしまうため、私と友達は自分達で交互に髪を切りあいっこするってことにしたのね。私達は嬉しかった。だって「よし!!これで親に、髪切り行くからお金ちょうだい、って言って、お小遣い倍増計画だぜ!!」なーんて具合に作戦を練っていたんだもん。ぐふふふふふ。。。。放課後の教室で私達は家から持ち出したハサミとケープを使い、髪を切った。まず友達。彼女、見た目も私にそっくりで、よく他の人から「昨日どこそこにいたでしょ?」とか言われたりしたけど、実は彼女だった、なんてことしばしば。それが同じような髪型になるんだから、ますます似てしまうではないか!!冗談とか言ったり、将来の話や、いろんな話で盛り上がり、無事終了。初めてにしてはまあまあの出来じゃあないのよ。ぬふ。「さあ、お客様、出来ました」とか言いながらケープを取ったりしてね。そして私の番。おもむろに座り、髪を切ってもらう。他の友達とかもたむろしてたから、皆で話しながら普通に切ってもらい、耳の上を直線に切ってもらうときに事件は起きた。友達が「はっ!!!!!すてぃっちごっめーーーーん!!耳切った」って。「え?」って何気なく鏡見たら、右の耳の真中あたりが「さくっ」って切れて、血が出てるゥーーーーー!!。いそいでティッシュで覆ってばんそうこうを貼り、取合えず最後までカット。。。。他の子から「いやあ、こりゃあすてぃっちの耳なし事件だよ」って言われたよー。ってか笑われたよーーー。でもなんかそれ以降も別にその友達とは仲良かったな。あ、でもそれ以降髪切り大会はなくなりました(←当たり前)高校卒業してからは音信不通になっちゃって、今ごろどうしてるのかは分からないけど、なんか懐かしいね。このころは毎日何かしら事件が起きて、犬に追いかけられたり、原チャリで警察につかまったり。それ思うと今の高校生の子達が大騒ぎしてるのも、後になると懐かしく思い出すんだろうな、とかってカンジで何か怒れなくなっちゃうよ。
2004年03月06日
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ウチのおっさん、今日で30歳になる。めでたく30代を迎えるわけなんだけど、なんかいつもと変らない日を過ごしています。本当はどこかへディナーへ行って、映画でも見て・・・なんて思ってたんだけど、家に帰って来てブレンディとラッキーをケージの外に出して、小屋を掃除したり、2人を遊ばせたりしているうちに面倒臭くなっちゃって、結局家で食べることに。ご飯と野菜に魚のフライ(レモン&ハーブ味だって)。それにへーゼルナッツケーキチョコがけ、紅茶。全然普段と変らないけど、まあいいや。映画の時間を調べたら、7時のショーが既に始まってて次は10時。それから見ると、終わるのが夜中になるからやっぱりやめることにして、結局いつもと同じように家でボーーーーッ。。。。。おっさんはロジャースビデオから借りてきたゲーム「スターウオーズ」で遊んでます。まあ、なんか特別でも何でもないけど、こんなのが一番楽なのかなあ。。。そういえば、会社の近所で「オンボロ家」があって、長いこと誰も住んでなさそうだから余計痛みが早くなった、、、って感じの。それをここ最近ちょびちょび直してるなあ・・・と思ったら今朝いきなりきれいになってた!外壁とかも、サイディング?を貼って、屋根もきれいになって。これならきっと誰か住みたくなるよね。そしたら今日午前中早速家具屋さんのトラックが来てたから、誰かもうすぐ引っ越して来るんじゃないかな。うらやましいなあ。庭付きの家。
2004年03月05日
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アメリカの寸法とかの単位って、イマイチ苦手。考えたりしなくちゃ感覚的に分からなかったんだけど、電話帳で便利なのを発見したよ。忘れないように書いとこうと思ってさ。------------------------------------------------------LENGTH------------------------------------------------------inches ---- 2.54 cmfeet ------ 0.30 myards ----- 0.91 mmiles ----- 1.61 km------------------------------------------------------AREA------------------------------------------------------sq. inches --- 6.45 sq. cmsq. feet ----- 0.09 sq. msq. yards ---- 0.84 sq. msq. miles ---- 2.59 sq. kmacres -------- 0.40 ha-------------------------------------------------------MASS-------------------------------------------------------ounces(avior.)--- 28.35 gounces(troy)----- 31.10 gpounds ---------- 0.45 kgshort tons(2000 lbs)---0.91 t-------------------------------------------------------VOLUME-------------------------------------------------------fluid ounces ---- 28.41 mlpints ----------- 0.57 Lquarts ---------- 1.14 Lgallons --------- 4.55 LCubic feet ------ 0.03 cubic meterscubic yards ----- 0.76 cubic maters-------------------------------------------------------TEMPERATURE-------------------------------------------------------(F-32)x 5/9 =Cでもこんなのとか、アメリカ住んでる人とかだったらやっぱりわかるんだろうね。面倒じゃないかな?
2004年03月04日
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3月に入ってから、本当に良い天気が続いている。会社のみんなで「本当にいい天気で、仕事なんかしたくないねえー」っていいあってたけど、まさにそんな感じ。あさってはおっさんの誕生日だし、その次の週は私の誕生日が来るから今週末は何かささやかなお出かけをしようと思い、同僚にどこがいいか聞いてみた。そしたら「ホワイト・ロックのビーチなんかに行って散歩したり、近くにモールもあるからランチはそこで食べたりもいいんじゃない?」って言われた。そりゃあいいアイデアだ!!幸いバスの便もあるらしいから、片道2ドルで行けるし、そこへ行くまで1時間半くらいかかるから、ちょっとした旅行になる予感。ホワイト・ロックはアメリカとの国境に面した小さな町で、ほとんどが住宅地になっているみたい。↓ ↓ こんな町のようです。http://www.fraservalleyguide.com/WhiteRock.htmlでも、明日から雨になるって噂もあるから、どうなるかは今のところお天気次第だね。晴れますように。。。。。。映画の話題。「パッション」っていう映画がとても人気があって、ロード・オブ・ザ・リングより売れ行きはすごいらしい。イエス・キリストが処刑される数時間の間の事をリアルに表現されており、アメリカではそれを見た初老の女性がショックで心臓発作を起こし、救急車で運ばれたというニュースも見たくらいすごいそうな。キリストにはあんまり興味がないけど、熱心に信じている人にとってはどのように受け止められているのだろう。メル・ギブソンの信仰心の篤さが映画に乗り移ったか、それとも単なるハリウッドの演出作品なのか。見てみないとわからないね。
2004年03月03日
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去年日本に帰った時に髪を切ったままで、相当伸びてたし季節も春らしくなってきたので髪を切ることにした。特に好みの場所っていうのはないから、近所の香港系ヘアサロンへ。ここはこじゃれたかんじで日本式のストレートパーマなんかもやってるらしく、毎日かなり人気があるし、値段も23ドルからってことだから、そんなに高くもないね。おっさんにはモールでぶらぶらしてもらうことにして、5センチほど切ってくださいと男性のカット担当の人に告げた。香港系のヘアサロンって、かなりカットが上手かなあ、と私なりには思うんだけど、どうなんだろうね。香港でもだいたい1000円から1500円も出せば結構思ったような感じで上手に切ってくれるから、今回も同じようなのだろうなと思って。ミンさんという名前の30代くらいの人はやっぱり結構カットが上手そう。ササッとおおまかなところを切った後、細かい部分を仕上げていくんだね。1時間ほどして出来あがった髪は結構思った感じだったけど、5センチのわりには短くなったなあーー。ってか20センチくらい短くなってるよ。ま、いいかあ。また伸びるしね。今週末は贅沢させてもらって、春用のウインドブレーカーみたいなのも買ってもらったり、外食もした。天気も良かったし、ブレンディとラッキーもたくさん遊ばせられたし、春が来るっていいね。
2004年03月01日
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