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撮影地:福岡県宮若市 『犬鳴川河川公園』↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.29
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大分県佐伯市 『鶴御埼①』の続き。砲台跡へ続く道。駐車場のすぐ近くにある。砲台跡。鶴御埼の断崖に設けられた砲台の跡。岩壁に大きな穴を掘り、中には天井をコンクリートで補強したものも見られる。砲台を守るために前面もコンクリートで塞ぐ予定だったとのことだが、未完成に終わったらしい。奥には砲台同士を繋ぐ通路になる予定だったとされる小部屋が見える。古びた神社。鶴御埼灯台。九州最東端の地である鶴御埼の海抜150mの場所に位置する灯台。1981年(昭和56年)に初点灯され、日本の灯台の中では比較的新しい。白色のコンクリート造りで、高さは14.5m、海面からの高さは197m、光度は410000cd、光達距離は約43km。小島や岩礁が多く存在し、潮流が速く、夏季には濃霧が発生する豊後水道において、船の誘導や位置確認の目標として役立っている。旧海軍望楼跡。鶴御埼が軍事要塞だった頃に、豊後水道の海上監視や艦船との通信、天気の観測に使われていたコンクリート造りの建物。鶴御埼展望台。白色の展望台で、幸せの鐘と双眼鏡が設置されている。九州の最東端、非常に視界が開けた場所にあり、広々とした海と空が一望できる。豊後水道、日向灘が良く見え、天気が良いと愛媛県まで見える。弾薬貯蔵庫跡。水場跡。兵舎跡。鶴御埼が軍事要塞だった頃に使われていたと思われる兵舎の跡。鶴御埼で見られる軍事遺構の中では最も広大なもので、かつて鶴御埼でどれほどの兵隊が駐屯していたかがうかがえる。門柱や塀、建物の基礎が残っている。九州最東端の地へ。少し急な石段を下っていく。休憩所。石垣が立派だが、昔からあるものだろうか?九州最東端の地に到着。九州最東端鶴御埼と書かれた柱が立っている。目先には果てしなく海が広がり、潮風が心地良い。そして…奥にいるアレは何だ?最東端の地に立っている謎のキャラクター。ワカメをモチーフにしたキャラクターか?と最初は思ったが、調べてみたところ「さいとうたん」という鶴御埼のゆるキャラなんだそうな。キャラクターの形状も、鶴御埼の地形をモチーフにしたもののようだ。人気の少ない最東端の地で、異様な存在感を放っている。最東端の地から一望した景色。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.23
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読みは「つるみさき」もしくは「つるみざき」。鶴見半島の先端にある岬で、九州最東端の地。日豊海岸国定公園の一部。東経132度5分、北緯32度55分の場所に位置する。岬は鶴御埼自然公園として整備されており、季節ごとに椿、ツツジ、ノジギク、デイゴなどの花々が咲く。九州で最初に日が昇る場所としても有名で、元旦になると多くの人が初日の出を見ようと訪れる。道中には丹賀砲台園地、灯台博物館、展望ブリッジなどいくつかの見どころがあり、岬には鶴御埼灯台や展望台がある。また、明治から昭和の時代にかけて使われていた砲台跡や兵舎跡など、軍事要塞の遺構も随所で見られる。1894年(明治27年)に日清戦争が勃発したことをきっかけに岬には海軍望楼が設けられ、1926年(大正15年)には豊後水道の入り口に位置することから、豊予要塞の一部として一帯が要塞化された。1931年(昭和6年)に丹賀浦に丹賀砲台が完成。1942年(昭和17年)に鶴見崎第一砲台が設置された一方、丹賀砲台は演習中に砲弾が暴発し大破、多くの死者と負傷者を出した。太平洋戦争の終戦に伴い、軍事要塞としての役割を終えた。佐伯市観光案内所にて九州最東端到達証明書が発行されている。料金は200円(最東端へ行ったと分かる写真などが必要)。元の間海峡段々展望所。鶴御埼北側の元の間海峡では、潮の変わり目に上げ潮と下げ潮がぶつかり合う様子が展望所から見れるようになっている。海峡の先に見える島は大島。パノラマ展望台(展望ブリッジ)入り口。展望ブリッジまでは500mほど山道を登っていく必要がある。パノラマ展望台がある場所の周辺にも、軍事施設の遺構が見られる。この遺構は便所と台所と兵舎だろうか?パノラマ展望台に到着。ちなみにここでいくつか見られるコンクリート造りの円形の台は、西部軍情報隊跡で、豊後水道を通る敵艦隊の方位や距離を測定し、その情報を丹賀砲台に連絡する役割をもっていたそう。パノラマ展望台。標高279mの山の山頂に建てられた、360°の大パノラマを眺望できる展望台。1991年(平成3年)に完成したもので、高さは5.4m、長さは54mもある。展望台から見た、広々とした豊後水道の景色。天気が良いと四国地方が見え、より天候に恵まれていると豊後水道上にある水ノ子島灯台が見える。訪れた時は天気は良かったものの、奥の方がぼんやりとしていて少し残念だった。展望台から見下ろした九州最東端の地、鶴御埼灯台。大分県佐伯市 『鶴御埼②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.22
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多久市の岸川集落に鎮座する神社と、その境内にあるスダジイの巨樹。御祭神は熊野権現(伊弉諾尊(イザナギノミコト))。熊野権現とは熊野三山に祀られている神のことで、イザナギ・イザナミ・スサノオの三神を指すことが多いが、当社にはイザナギのみが祀られている模様。創建の年月は不明だが、創建には豊臣秀吉の逸話があるそう(詳細は不明)。かつては高所に鎮座していたが、参詣が面倒であるために現在の地に遷座した。熊野大権現のスダジイは熊野大権現社の御神木で、樹齢200年のスダジイの巨樹。佐賀の名木・古木に登録されている。石鳥居。のどかな岸川集落の住宅地に唐突と建っている。ここから真っすぐ進んでいくと、左手の丘の上に拝殿が見えてくる。手水。湧き水を使っているようで、水は綺麗に澄んでいた。手水のある場所から更に歩いて行くと左手に石段があり、上ってすぐの場所に拝殿が建っている。拝殿。木造で瓦葺の入母屋造。拝殿の裏にある石祠(本殿)。手前の両脇には杉の木が根を張っており、天高く伸びている。石祠の手前に立っている、灯籠を担いだ2体の鬼の像。天燈鬼に似ているが、何故阿吽の一対になっているのか、寺院に祀られる像のはずなのに何故神社に建立されているのかと謎が多い。拝殿のある場所から更に左の方へ進んでいくと、熊野大権現のスダジイまで伸びている細い石段がある。「熊野大権現のスダジイ」熊野大権現社の御神木。樹高は19m、幹周りは約12m、根回りは20m。推定樹齢200年。あまり知られていない巨樹ではあるが、スダジイの木としては全国で4番目のの大きさを誇る。根回りが非常に大きく、幹が5股ほどに分かれ複数の木を束ねたような形になっているのが特徴。スダジイの前にある石碑。すっかり風化が進み何と書いてあるのかも読めそうにない。幹。真ん中の幹は生育状態があまり良くないようで、中に大きな空洞ができてしまっている。補強しないと折れてしまいそうだ。根。こちらにもどんどん空洞ができていっており、倒れまいと必死に地面に根を張っている様子は生命の強さを感じ取れた。下から見上げて見たスダジイ。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.19
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江里山の棚田の近くにある、小城市を流れる一級河川である祇園川の上流部に懸かる滝。落差は90m。数段の流れを持ち、上段の滝は滝壺があり、下段の滝は長い傾斜のある岩肌を滑るようにして水が流れ落ちる。駐車スペースから滝まで川沿いに遊歩道が伸びており、上段の滝まで行けるようになっている。周辺は500mにも渡る渓谷地域で、地元では「お滝さん」と呼ばれ親しまれている。七曜の滝の入り口。この標識から先は車両進入禁止となっているので、近くのスペースに車を停めて歩いて滝まで向かう。道中に建っている観音堂。最近建てられたもののようだ。観音堂のすぐ横に滝までの道が伸びているので、そこから滝を目指して歩く。滝へ到着。休憩所。下段の滝。何段もある傾斜を、さらさらと心地良い音を鳴らしながら滑るようにして水が流れ落ちる。落差は上段の滝と合わせて90mと高めだが、傾斜が長く続くせいか一目ではそう感じにくい。上へと上がっていくとその高さが実感できるかもしれない。下段の滝の流れ。上から見た下段の滝。上段の滝。滝壺があり下段の滝と比べ落差が低く、急斜面の岩肌を流れ落ちる。滝にはモミジの木がかかっており、秋になると紅葉が綺麗なようだ。上段の滝の滝壺。水深は浅く、水は澄みわたっていた。上段の滝の流れ。滝を見守る観音像。滝の近くで発見した建物の跡。滝に向かう道中に観音堂があったが、かつてはここに建っていたのだろうか?江里山の棚田。彼岸花の名所として有名で、9月下旬になると真っ赤な彼岸花が棚田を綺麗に彩る。夏の中旬に訪れたときは一面が緑に染まっており、稲穂の実りは黄金色に変わっていこうとしていた。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.18
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2024.09.17
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○カツ丼スペシャルカツ丼、海老天うどん、サラダ、漬物ご飯を埋め尽くすほどの大きなとんかつが載ったカツ丼。これまた大きな海老天が載った海老天うどん。国道386号線・三隅川沿いにあるうどん店。大きなごぼう天が載った名物のジャンボごぼ肉うどんや、釜揚げうどん、板そばなど様々なうどん・蕎麦メニューが揃い、丼ものや定食メニューも豊富。金比羅うどんの名前は、先代社長がうどん職人を志してうどんの本場である香川県丸亀で修行し、金比羅うどんの命名をいただいたとのこと。今回いただいたカツ丼スペシャルは海老天うどんとカツ丼がセットになった、金比羅うどんの定番メニュー。うどんは機械に頼らず全て手打ちで作っているとのことで、コシがあって美味しく、出汁もこだわりの素材と日田の地下水を用い、あっさりとした味わいが特徴的だった。カツ丼は熱々で大きなとんかつが載っていて、とじた卵との相性が抜群だった。ボリューム満点であっという間にお腹いっぱいになり、価格も良心的だった。国道386号線を走っていると目に留まる、大きな店の看板。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.14
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福岡県福岡市 『能古島①』の続き。のこのしまアイランドパーク。能古島の北部に広がる、広さ約150000㎡の自然公園。1969年(昭和44年)に創業者である久保田耕作が、働き続けた人々は自然を求めるだろうと考え、福岡の都心に近い能古島に開園した。春は桜や菜の花、夏はアジサイやひまわり、秋はコスモス、冬はスイセンなど四季の花が咲く花の名所として有名。園内には食事処やバーベキューサイト、アスレチックやミニ動物園などもあり。入園料は大人1500円、子供(小・中学生)800円、幼児(3歳以上)500円(団体割引有)。アイランドパークの花畑。季節によって様々な種類の花が咲いている。訪れた時はサルビア、ブーゲンビリア、ケイトウなどが咲いていた。六地蔵さま。人間の持つ様々な悩みや苦しみを救うお地蔵様。民話「かさじぞう」でもよく知られている。思ひ出通り。姪浜にあった町屋を移築しており、レトロな雰囲気が漂う。食事処や喫茶店、駄菓子屋、土産屋などが並ぶ。陶芸・楽焼が体験できるスポットもあり。レストラン&BBQ「防人」。海と花畑が一望できる場所にある。地魚あぶり丼やカレーライスなどのランチメニューや、手作りのデザート、凍らせた能古島産のいよかんをサイダーで割ったいよかんクラッシュなど豊富なメニューが揃う。手ぶらで炭火バーベキューが楽しめるバーベキューサイトもあり。アスレチック。すぐ近くの木にはブランコが架けられている。西島伊三雄記念碑。福岡市出身のグラフィックデザイナーで、福岡市地下鉄のシンボルマーク、博多座のシンボルマーク、うまかっちゃんのパッケージなど福岡県にまつわるもののデザインを多く担当し、福岡市文化特別栄誉賞を受賞した西島伊三雄氏の記念碑。烽火台。日本書紀に「天智三年、対馬、筑紫国等に防人と烽火を置く」とあり、能古島は万葉集によって防人が存在していたことが明らかとなっている。この烽火台は防人が置かれていた時代に、敵の襲来や遣使船が来た際に煙を上げて大宰府に合図を送るために使われていたと言われており、壱岐島や宇久島の烽火台を参考にして復元したもの。パノラマ花壇。園内の北部、博多湾や志賀島、海の中道が見渡せる場所にある広大な花畑。春は菜の花、秋はコスモスが一面いっぱいに咲き、まるで花の絨毯のようになる。夏に訪れた時は花が植えられておらず、コスモスを植えるため土の耕しが行われていた。野外のバーベキューサイト。宿泊施設「Villa防人」。パノラマ花壇の近くにある、戸建てタイプのコテージに宿泊できる。建物はいずれも2階建てでテラス付き、内装は和風と洋風両方を取り入れたデザインとなっており、露天ジャグジー付きのコテージもあり。ミニ動物園。やぎの家、うさぎ園、ポニー小屋がある。動物たちには餌やりができるようになっている。運動場近くにあったひまわり畑。アイランドパークのひまわりを持ち帰りできるひまわり摘み取りイベントが行われていた。アイランドパークの創業者である久保田耕作氏が乗っていた、自家用のオート三輪。南の花畑。訪れたときは沢山のひまわりが花を咲かせていた。4つの畑があり、それぞれ10日ほど時期をずらして植えているんだとか。春はリビングストンデイジー、秋は遅咲コスモスが咲いているそう。のこのこボール。アイランドパークのオリジナルスポーツで、ゲートボールとゴルフを足して2で割ったようなもの。9コースを回って記録を競い合う。料金は9ホール500円、18ホール800円。牧の神神社。アイランドパークのすぐそばにある牧の神公園に祀られている祠。1799年(寛政11年)に再建された。也良崎万葉歌碑。"沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ(訳)"と記されている。能古島の北端にある也良崎は、防人が置かれていたことが判明している全国唯一の場所。この歌は山上憶良の作と言われており、船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだもの。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.13
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読みは「のこのしま」。博多湾の中央に浮かぶ島(有人島)。面積は3.95㎢、周囲は12km。人口は約640人。ひょうたん形の島で、山地形で平地が少なく最高標高は190m。福岡市営渡船の姪浜旅客待合所からフェリーで約10分で行けるようになっている。福岡市から手軽に行けるリゾート島として知られる。北部には花の名所として有名な「のこのしまアイランドパーク」があり春は菜の花、夏はアジサイやひまわり、秋はコスモスと、一年を通して様々な花が園内を綺麗に彩る。能古島キャンプ村・海水浴場もあり、食事処やレストラン、カフェも点在する。島の歴史にまつわるスポットもあり、多くの見どころがある。渡船所からアイランドパークまではバスが運行しており、レンタサイクルもあり。古くから存在が知られていた島で、平安時代の731年(天平3年)に書かれた史料においても「能護嶋」の名前で登場している。筑前国続風土記においては神功皇后が三韓征伐から帰還した際に、島に神霊を残し留めて降伏を祈ったことから「残の島」と呼んだという記述がある。奈良時代には島に防人が置かれ、万葉集にも詠われている。中世には外国勢力の上陸があったことが記録に残っており、1281年(弘安4年)の弘安の役では元寇が上陸している。江戸時代には福岡藩(黒田藩)の鹿の狩場となり、残島浦として筑前五ヶ浦廻船の拠点の一つとなり栄えた。1941年(昭和16年)に福岡市と合併した時に、現在の「能古島」の名になった。姪浜旅客待合所。ここからフェリーに乗って能古島に。能古島の他に志賀島、玄海島行きの便もある。待合所の近くからも、目視で能古島が見える。真ん中の島が能古島で、左奥に見えるのが玄海島、右に見えるのが志賀島。フェリーに乗って能古島へ。所要時間は片道で約10分。能古島へ到着。渡船所近くの漁港。永福寺。曹洞宗の寺院。古くは博多区にある承天寺の末寺で、神宮寺と呼ばれていた。創建の年月は不明だが、1602年(慶長7年)の検地帳に載っていることからそれ以前に創建されたと考えられている。明治維新後の神仏分離によって近くにあった養油軒と合併し、寺号を現在の永福寺に改称した。境内には、多々羅義雄の歌碑や二八観音などがある。地元出身の洋画家である多々羅義雄氏の歌碑。"産砂は 伊筑紫くに 能古ヶ島 夕陽の灘をば 何と拝まむ"と記されている。二八観音。1946年(昭和21年)に海上で能古渡船が転覆し遭難、その時船に乗っていた28人が犠牲となった。この観音像はその犠牲者の霊を弔うために建立されたもので、28人の犠牲者に因んで二八観音と名付けられた。能古渡船転覆遭難事故の慰霊碑。能古焼古窯跡。能古博物館の近くにある。1764年(明和元年)から1788年(天明8年)にかけて、当地で有田焼・高取焼系の陶磁器を作るために使われていた窯。本体の長さは22m、最大幅5.28m。焚口部と焼成部7室の合計8室構造の連房式登窯。江戸時代中期に使われ、有田焼系と高取焼系の陶器を焼いた窯は非常に珍しいといい、この窯跡は市で唯一残された古窯跡で、保存状態も非常に良いものとなっている。能許万葉歌碑。"風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(訳)"と記されている。能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、遣新羅使が能許の泊で風待ちをしている時の光景を詠んだもの。能古博物館。能古島の歴史・民俗資料や儒学の筑前亀井学資料、能古島出身の画家である多々羅義雄の作品が展示されている。金、土、日曜日と祝日のみ開館(5月と10月は全日開館)。入館料は大人400円、高校生以下は無料。白鬚神社。御祭神は住吉大神(スミヨシノオオカミ)、神功皇后、志賀明神など。能古島の産土神として崇敬されている。神功皇后が島に住吉の神霊を残し留めたことから「残の島」と呼んだという伝えがあり、その神霊を留めたのが白鬚神社だと言われている。境内には1689年(元禄2年)に寄進された石鳥居や、若者が力試しをした力石などが見られる。毎年10月9日に行われるおくんち行事は、市の無形文化財に指定されている。壇一雄歌碑。能古島は直木賞を受賞した小説家の壇一雄が晩年を過ごした場所としても知られている。旧宅跡には歌碑が建てられており"つくづくと 櫨の葉朱く 染みゆけど 下照る妹の 有りと云はなく"と妻であった律子の死を悼んで詠んだ歌が刻まれている。北浦城跡。島の東端にある城跡で、藤原純友の家臣である伊賀寿太郎もしくは山上憶良が築城したと伝えられる。平安時代の築城と考えられており、幅4.8m、深さ4.5m、長さ23mの堀が確認されているそうだが、遺構の見学はできないようになっている。能古島展望台。島の中央、山頂195mの場所にある展望台で、福岡市の街や玄界灘に浮かぶ島々を一望できる。福岡県福岡市 『能古島②』へ続く↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.12
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○能古冷やしうどんさっぱりと冷えた能古冷やしうどんのどごしのよい麺。能古島渡船所の目の前にある食事処。刺身や煮魚といった活魚料理、能古うどんがいただける。能古うどんは博多湾の中央に浮かぶ能古島発祥のうどんで、細い麺と強いコシが特徴的。今回は冷やしでいただいたが、麺は細くも弾力があってのどごしもよく、さっぱりと冷えていて夏にぴったりの一品だった。みなとやは渡船所のすぐ目の前、わずか1分足らずの場所にある。能古うどんは土産品としても販売されている。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.11
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金田政宗の旅の記録のトータルアクセス数が、200000を突破しました。いつも見て下さってありがとうございます。8月お盆の長野旅行は天候に恵まれ、素晴らしい景色が沢山見れて、美味しいものもたくさん食べれて良い旅となったが、総額10万円以上の大散財…9月以降しばらく遠出は控えたい。紅葉の時季まで我慢。ブログもストックが溜まり過ぎてほとんど書ききれていないし、どんどん書いていかねば。旅の記録はこれからもまだまだ充実させていく。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.09
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撮影地:佐賀県東松浦郡玄海町 玄海町いこいの広場 玄海町花火大会↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.04
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阿蘇と九重の間の森の中にある水源地。熊本名水百選に選定されている。湧水量は毎分30t、水温は一定して13.5℃、pHは7。池山水源と共に産山村を代表する水源地の一つ。約5万年前の九重火山群の火砕流が阿蘇の火山噴出物を覆い、その時に溜まった火山灰や軽石が豊富な水を貯める地層となり、その染み込んだ水が湧水となって湧き出ている。産山川の水源地の一つで、川の流れは最終的に大野川へと合流する。湧水池は原生林に囲まれ静かな雰囲気となっており、秋は紅葉の隠れた名所となっている。水汲み場あり。駐車場から湧水池まで遊歩道が伸びており、約10分ほど歩いていく必要がある。駐車場近くの広場。休憩所やトイレもあり。水汲み場。産山川の清流。川辺は緑が生い茂り、水は川底が見えるほど清らか。水思碑。産山区水道事業の記念碑。遊歩道を歩いて山吹水源まで。所要時間は片道10分ほど。途中で分岐点があるので、案内表示に従って進んでいく。遊歩道の途中にあった、2つの流れの合流地点。歩いて10分、山吹水源に到着。山吹水源の全体像。辺りはありのままの原生林に囲まれている。広さは同じ産山村にある池山水源とほぼ同じくらい。水深は浅い部分が多く、湧水池の中心には祠が建った陸繋ぎの小島がある。リフレクション。山吹水源の天井の景色を、波風立たない湧水池の水面が鏡のように写し出している。四季折々で写る景色が変わり、秋になると紅葉したカエデが綺麗に写る。澄みわたる湧水。池の上に立っている石柱。水神様だろうか?水流でゆらゆらと揺れる水草。池の中心に浮かぶ小島にある祠。池底の砂地を吹き上げながら、水が湧き出ている様子。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.03
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熊本県から大分県まで流れる玉来川の水源の一つである、木々に囲まれた水源地。名水百選に選定されている。湧水量は毎分30t、水温は年間を通して13.5℃。久住連山の伏流水が毎日豊富に湧き出ている。玉来川の源流となっている水源地の一つで、湧水は玉来川を経て大野川へと流れ込み、最終的には別府湾へ注いでいく。地元の人々からは古くから生活用水や灌漑用水として用いられ、1985年(昭和60年)からは飲料水としても用いられている。水汲み場もあり。湧水池の周辺は樹齢200年以上の木々に囲まれ、池には水神様が祀られており、神秘的な雰囲気が漂う。祀られている水神様の一つは1976年(昭和51年)に池の底から掘り出されたもので、約200年前の大水害で流出したものだと言われている。毎年8月5日を祭日とし、御祭りが続けられている。毎年6月中旬にはホタルが見れる。また、夏の一定期間中は夜間にライトアップがされている。玉来川源流の碑。カフェスタンドフォーシーズン。池山水源入り口にあるカフェ。湧水で淹れたコーヒーをいただける。藤棚。足水ができるようになっている。水は1分間も浸かっていられないほど冷たい!全国名水百選、熊本県名水百選の碑。橋を渡った先に湧水池がある。玉来川と池山水源の湧水の合流地。石橋の下には小滝があり、水の透明度は非常に高く澄みわたっている。川の水深が深いところは水がエメラルドグリーンに輝いて見えた。石橋。周辺にはモミジの木があり、秋になると周辺の紅葉が美しくなる。湧水池から玉来川の合流地まで続く小川。湧水池。辺りは木々に囲まれ静かな雰囲気で、木の隙間からこぼれた日は澄みわたる湧水を通じ池底まで照らしていた。池の底には水草が生え、まるで山肌のように生い茂っていた。祠に祀られている水神様。水神様が祀られている場所のそばから、水がこんこんと湧き出ている。池に寄りかかる木のそばからは、池底の砂地を吹き上げながら水が湧いている様子が見えた。池の中心に祀られている水神様。水汲み場。水汲みは基本的に無料だが、維持費のお願いがされている。絶え間なく大量の水が湧いており、訪れた人の中にはポリタンクを数十個持参し汲んでいた人もいた。水汲み場の目の前にはうぶやまの水の工場がある。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.09.02
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