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小国町の福運三社巡りの中の2つで、大きなケヤキの根元から湧き出る湧水と、醍醐天皇の孫である小松女院にまつわる伝えが残る小さな泉。けやき水源は小国両神社の近くにある、樹齢1000年以上と言われるケヤキの木の根元にある水源地。水は古くから枯れることなく湧き続け、何百年にもわたり人々の生活を支えてきたという。水源には水神様が祀られており、かつてここにお参りをした商家が富くじで一番くじを当てたという逸話から、福運を招くスポットとして注目されている。鏡ヶ池は小国両神社の西隣にある湧水池。平安時代の中期に醍醐天皇の孫娘にあたる小松女院が、身分違いの恋で都から豊後国(現大分県)に左遷された恋人の清原正高の行方を追う途中に立ち寄ったと言われている。小松女院は祠の下に清らかな泉が湧いているのを見つけ、正高との再会を祈り己の姿を映し出す鏡を身代わりとして神仏に捧げ、同行していた11人の侍女らと共に1人1枚ずつ、累計12枚の鏡を池に投じたという。その後村人たちはこの池を「鏡ヶ池」と呼ぶようになったそう。けやき水源の全景。けやき水源のケヤキの木。幹囲は7.5m、樹高は18.5m、推定樹齢は1000年。杖立川沿いの木の中でも特に存在感を放っており、根は水面スレスレまで出ている。水源池。池底からは砂を巻き上げながら絶え間なく水が湧いているのが見える。訪れた時は魚群も見えた。時折鯉が泳いでいることもあるそう。昔ながらのレトロな手押しポンプ。試しに押してみたが水は出なかった。昔はここで野菜を洗ったり、スイカを冷やしたり、町民たちの憩いの場になっていたそう。水神様。富くじにまつわる逸話が伝えられているスポットの一つで、小国郷の商家だった橋本順左衛門が毎朝けやき水源の水神様に自然の恵みを感謝し、小国両神社に祈願し、後述の恵比寿様にその日の商いを報告するという三社参りを毎日欠かさず行っていたところ、けやき水源に小舟が入る夢を見てこれを吉兆だと感じ、富くじを引いたところ見事に一番くじを引き当てた。その話を聞いた郷内の城尾村一郎右衛門も参拝を1年続けた結果、4回も一番くじを引き当てたことから、けやき水源は福運を招く場所だと信じられるようになった。その後も福運の話が絶えずに今日まで続いているという。けやき水源から歩いて3分の場所に、鏡ヶ池がある。鏡ヶ池。清らかな小さな泉で水神様が祀られており、ここに醍醐天皇の孫娘である小松女院とその侍女たちが、小松女院と離れ離れになった清原正高との再会を祈り、鏡を投げ入れたと伝えられている。砂の中に鏡(現在水に沈んでいるのはレプリカだそう)が見え隠れしているが、全て見えると災害が起こると伝えられている。今では恋する女性が池に小銭を投げ入れ、恋人との再会を祈ってるんだとか。藤棚があり、ベンチやテーブルも置いてある。鏡ヶ池の碑。恵比寿様。富くじにまつわるスポットの一つ。富くじで一番くじを当てた橋本順左衛門が、毎朝けやき水源の水神様、小国両神社に参拝した後、夕刻にこの恵比須様に商いの報告をしていたという。なお、一番くじを当てた橋本順左衛門と城尾村一郎右衛門は、恩返しとして手に入れた財で町の道を石畳にしたり、寺社に寄進したり、橋を掛け直したり、水害防止の堤防を築くなど、財を独り占めすることなく社会に貢献したという。石畳になった道は「富くじの道」と呼ばれ、今も一部が現存している。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.10.30
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小国町の福運三社巡りの一つで、小国郷を開拓した神を祀る神社。「宮原両神社」と称されることもある。宮原祇園社獅子舞は小国町指定無形民俗文化財、中神楽は南小国町指定無形民俗文化財にそれぞれ登録されている。主祭神は高橋大神(タカハシオオカミ)、火宮大神(ヒノミヤオオカミ)。配祀神に雨宮媛命(アマミヤヒメノミコト)、御妃神二座、御親族の神十六座を祀る。後述の富くじにまつわる逸話から、千両・万両の神様と呼ばれる。社記によると太古の昔、高橋神、火宮神の兄弟神は阿蘇大神こと健磐龍命(タケイワタツノミコト)より小国郷開拓の命を受け、農耕を起こし民に衣食住を与え、殖産興業などの知識を教えたという。郷土を築き上げた多大な功績を敬仰し、仁徳天皇の御代に高橋大神を祀り、反正天皇の御代に火宮大神を祀ったことで両神社の社名が始まったと伝えられる。平安時代、鎌倉時代に社殿が建立されるが、兵乱によって焼失。1689年(元禄2年)に本殿が再建される。1913年(大正2年)に本殿を解体移築し、楼門、拝殿を新築した。1991年(平成3年)に発生した台風19号により境内の杉の木が倒木し、楼門、本殿、社務所が破損・大破。1997年(平成9年)に再建され現在に至る。江戸時代に小国郷でも行われていた、富くじにまつわる逸話が残る。小国郷の商家だった橋本順左衛門が、毎朝けやき水源の水神様に自然の恵みを感謝し、小国両神社に商売繁盛を祈願し、夕刻には鏡ヶ池に祀られている恵比寿様にその日の商いを報告するという、いわゆる"三社参り"を日課にしていた。ある日、順左衛門はけやき水源に小舟が入っていくという不思議な夢を見てこれを吉兆だと感じ、富札を買ったところ見事に一番くじを引き当てた。その話を聞いた郷内の城尾村一郎右衛門は、1年以上も水神様、小国両神社、恵比須様に参拝を続け、見事に4回にもわたって一番くじを当てた。これらの逸話から小国両神社、けやき水源、鏡ヶ池は福運を招くと信じられ、現在も参拝した人から様々な福運の話が上がっているそう。毎年10月14日に御本祭高橋大神祭と献幣式、10月15日に御本祭火宮大神祭、10月16日から18日に御神幸祭、10月19日に御遷座祭が行われている。西参道の石鳥居。扁額には両神社と記されている。右手に社号碑がある。征清神徳記念碑。慰霊碑。手水舎。楼門。1953年(大正2年)に宮山を切り開き本殿を解体移築する際に新築された。1991年(平成3年)に発生した台風19号により境内の杉の木が倒木し、一度倒壊したが、1997年(平成9年)に再建された。額には小国宮と記されている。狛犬。高橋宮御神木。御神木に両手で触り、その触った手で自身の頭部から足の方までさすると力が得られるんだとか。拝殿。1953年(大正2年)に宮山を切り開き本殿を解体移築する際に新築されたもの。前面と左右の軒下に奉納された大きな絵馬が掛けられている。本殿。拝殿背後の少し高い位置にある。正面から見て左の方に高橋宮、右の方に火宮と記された扁額が掛かっている。屋根は台風19号の被害によって一度大破しており、1997年(平成9年)に再建されている。本殿の前には杉の巨樹が2本立っており、2社の境内社が向かい合うように鎮座している(どちらも何社かは不明)。拝殿と本殿。社務所。三神杉。楼門の正面左手にある3本に分かれた杉の巨樹。それぞれの木に高橋大神、雨宮大神、火宮大神の神霊が鎮まっている。拝殿・本殿のある場所から東の方に、杉の木に囲まれた境内社がある。天神社、多賀社。天神社の御祭神は菅原道真公で、学業成就の御神徳がある。多賀社の御祭神は伊弉諾尊(イザナミノミコト)で、開運、商売繁盛、厄除、縁結びの御神徳がある。銭洗い御神水。てぼ(籠)にお金を入れ、御神水をてぼの中にあるお金にかけて清めた後、願い紐に5円玉や50円玉を通して財布に入れる。清めたお金は使うことによって廻り廻って自身に運が巡ってくると言われている。祇園社(廣峰神社)。御祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)で、無病息災、疫病退散の御神徳がある。7月23日から25日に小国町指定無形民俗文化財に登録されている宮原祇園社獅子舞が行われている。奉納された干支の像。丑、寅、卯、申、亥の像があり、それぞれの像を触るといろんな御利益が得られると言われている。正面鳥居のすぐ横にある、御神木のイチョウの木。根元に綿貫の隠れ岩があり、両手で触ると力が得られるんだとか。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.10.29
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2024.10.18
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○湯の花御膳天ぷら、マグロの刺身、冷奴、茶碗蒸し、小鉢、吸い物、ご飯、漬物脇田温泉湯乃禅の里にある食事処。名物の地鶏釜飯や各種定食、手作りの豆腐などの一品料理もあり。今回いただいた湯の花御膳は人気ナンバー1のメニューで、ボリューム満点の一品。手作りの豆腐とサクッと揚がった天ぷらが美味しかった。脇田の水を使った蕎麦を食べられる手打ちそば処「禅」、地鶏料理が食べられる地鶏炭火焼「ぽっぽしゃん」も隣接している。露天風呂の入浴料金が最大で500円安くなるお食事セットもあり。湯乃禅の里入り口。露天風呂湯乃禅の里。男湯女湯それぞれで違った種類の露天風呂が合わせて9種類ある。サウナもあり。単純温泉で、皮膚病、傷、神経痛、胃腸病に効く。少しカルキの匂いがするのが気になるところであるが。湯上り後の休憩所もあり。竹原古墳。国指定史跡に指定されている古墳を復元したもの。実際の古墳は6世紀後半頃に造られたもので奥壁に壁画が描かれており、石室内からは武器、馬具、装飾品などが出土していることから、かつてこの地を支配していた豪族の墓だと推測されている。脇田温泉。犬鳴峠の麓、犬鳴川沿いにある温泉街。奈良時代から存在しており、歌人の大伴旅人が入浴した記録も残っている。温泉の泉質はアルカリ性単純温泉で、美肌の湯として親しまれている。俳句の道と呼ばれる道沿いには、宮若全国俳句大会の入選作品を記した句碑が連なり、犬鳴川は夏になると川遊びのスポットとして賑わう。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.10.14
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豊後水道の防衛を目的に設けられた豊予要塞の一部で、大型のカノン砲が設置されていた要塞跡。豊後水道の守備要塞として1927年(昭和2年)に構築が開始され、それから4年の歳月をかけて完成された。1933年(昭和8年)に山頂にカノン砲が2門設置され、これらは巡洋艦「伊吹」の後部主砲に搭載されていた。しかし1942年(昭和17年)に行われた演習中に、実弾4発の試射をしていた際に最後の1発が砲身の中で暴発。カノン砲は大破し死者16人、負傷者28人を出す大惨事となった。太平洋戦争の終戦後に軍事要塞の役目を終えた後も遺構は残され、砲台があった場所にはドームが建てられており、地下弾薬庫や冷却水槽などの跡も見られる。カノン砲が設置されていた場所にはドームの他に螺旋階段が設けられており、近年ではフォトジェニックなスポットとして注目され、MVやおおいた麦焼酎二階堂のCMにも採用されたことがある。観覧料は大人200円、小・中学生100円。忠魂之碑。暴発事故の直後に生き残った兵士たちによって建立されたもので、裏側には亡くなった16人の兵士の名前が刻まれている。前の方には当時の実弾が置かれている。平和の塔。太平洋戦争で亡くなった旧鶴見町の町民465名の名前が刻まれている。2000年(平成12年)に巻き網船が豊後水道で巻き揚げたプロペラ。戦闘機のものだが断定は難しく、調査の結果、大日本帝国海軍が設計・開発した二式大型飛行艇のものである可能性が高いという。このプロペラがある場所の隣に、地下弾薬庫跡に続く通路が伸びている。地下弾薬庫跡。奥行きのある部屋で中はひんやりとしていて、かなり湿気ていた。砲台跡登り口。ここから山頂近くの砲台跡まで。かつては砲弾の上げ場として使われていたところで、172段もの階段が続いている。現在は小型のスロープカーが設置されており、それに乗って砲台跡まで行けるようになっている。小型スロープカー「伊吹」。この地にあったカノン砲を搭載していた巡洋艦から名前を取っている。係員の人に操作を教わり、自分で操作して昇降する。通路。脂油庫。太平洋戦争当時の写真が壁に掛けられている。主動力室。壁や天井には電気系統やパイプの跡が見られる。諸管溝、通路。壁には太平洋戦争当時の写真や、豊予要塞・丹賀砲台の歴史について記したパネルが掛けられている。水圧畜力機室、上部冷却水槽。水槽は青色にライトアップされていた。砲側弾火薬庫(廻廊)。砲塔井。かつてカノン砲が設置されていた場所。砲塔井の直径は10m、深さは12.8m、厚さ2m以上のコンクリートの壁に囲まれている。巡洋艦「伊吹」にも搭載されていたカノン砲は45口径30cm砲で、射界210°、最大射程距離は30,000m(有効26,000m)。1942年(昭和17年)に行われた演習での暴発事故によって16人の死者を出し、カノン砲も大破した。今も残る壁のえぐれや焼け跡から、当時の惨状が見て取れる。現在は天井にドームが設けられ、中心には螺旋階段も設けられている。近年ではフォトジェニックなスポットとして注目され、写真撮影に訪れる人もいる。砲塔井天井のドーム。砲塔井を雨や風から守る目的で造られた。山頂から見た景色。豊後水道と佐伯湾が一望でき、大島や元の間海峡も見える。↓ランキング参加中。この記事が良いと思った方はクリックしてねにほんブログ村
2024.10.07
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