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「こだま」と聞くと私の年代は新幹線を思い浮かべる。後にもっと速い「ひかり」が出来、光より早いものは存在しえないのでどうするのかと思っていたら「のぞみ」となった。リニア新幹線が出来た時どんな愛称がつくのだろうか。さてその「こだま」はもち論音の反響を言うが、「山びこ」は森の精・木魂(こだま)が引き起こすと考えれたが,ギリシャ神話では森のニンフ・エコーの仕業と考えられた。ニンフ・エコーは美少年ナルキッソス(Narcissus)に恋して言い寄るが叶わない。同情した女神ネメシスはナルキッソスを自分以外愛せなくしてしまう。水溜りに写った自分の美貌に恋し、口づけしようとして水中に沈んでしまう。その水辺に水仙の花が咲いた。こうして水仙はこの美少年の化身とされる。ナルシズム(Narcissisms、ナルシシズムが正しい)は自己愛、特に異性を愛せない人格に使われることが多く、侮辱的表現となることが多い。さてそのヒガンバナ科スイセン属の植物を少年の名前からnarcissusと言う。水面に写る姿を見なければならないので皆横を向いたり下を向いたりしており、決して上を向くことは無い。長い前置きの後本題である。もう40年以上も経つ我が家の植え込みに自分で持ち込んだ覚えのない水仙が次々と咲いている.2月初めには伝統的な日本水仙が清楚な姿と芳香を放ちながらやってきた。少し遅れて中心部が淡い黄色の洋種水仙(園芸種?)が咲いた。小型の黄色水仙であるテータテート(Tete-a-tate)だけは何年か前余りのかわいらしさに園芸店で一鉢入手したものがはびこって、文字通り小人たちが寄り集まって(Teteはフランス語で頭)ひそひそ話をしているさまを彷彿させる。毎年大挙してやってくる我が家の春の常連客である。テータテートと入れ替わりにやってきたのがラッパ水仙、イギリス定番の花でウエールスの国の象徴でもあり、「希望」の象徴でもある。私はある年の春をイングランドで過ごしたことが有るが公園や道路と言わず民家もこのDaffodilで溢れていた。まさしく日本人が桜を愛でるようにイギリスの春の代表的花で春をたたえる物語や詩の題材であり、高校時代の英語読本で誰かの詩を読んだ記憶がある。これもどこから来たのであろうかスノーフレークと言うスズランによく似た鐘状の花びらに緑の斑点をつけた水仙が美しい。スズランはこれより小型で英語ではスノードロップと名前もよく似ている。正確には水仙ではないがこれも水仙同様ヒガンバナ科の植物で極めて近い類縁体である。以上テータテート以外は知らない間に我が家に忍び込んだ水仙類であるが今では毎年春の常連客で、まさしく「客あり遠方より来る また楽しからずや」の心境である。
2021.03.19
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日本では節分をもって春の始まりと考えるようだが、欧米では春分の日からが春の季節と言う考え方が主流だそうだ。2月になると段々日差しが強くなり春が待ち遠しくなる。光の春と言われるこの季節も結構いいものである。 春分の日には太陽がほぼ真東から登り真西に沈む。我がマンションから覗く富士山はまだ裾当たりまで真っ白、山はまだ冬であることを知らされる。2,3日前から各地でソメイヨシノの開花が報じられているが、梅と桜の間に挟まるのがコブシとモクレンである。 両者は花期が同じで見分け難いがコブシは花弁がやや小ぶりで結果としてハクモクレンが華やかに見える。 寒中に咲く寒緋桜(緋寒桜)に始まり、大島桜など各地にローカル名で呼ばれる山桜や里桜がご当地桜としてあり私の散歩道にも下のようなきれいな桜が咲いている。もう一本ソメイヨシノの並木に早咲きがあったので写真に収めたが花びらの色からサトザクラであろう。そういえば近所に御衣黄(ギョイコウ)、ウコン桜など言う名で花びらが緑色の桜の木があるが、花期の初期が緑で段々桜色になるようである。そして3月16日私の散歩道にもソメイヨシノが咲き始めた。この石神井川河畔の桜並木は約2キロにわたり両岸が歩道で河川敷があったりして商業施設が一切なく、住宅も立ち込めていないため混雑もなくコロナ下でも週日は安心して花見が出来る。それにしても近年のソメイヨシノは急ぎすぎである。理想的には4月1日を中心にして前後1週間に咲いてほしい。やはり桜と言えば卒業式か入学式の両方、あるいは一方だけでもカバーして欲しいものである。人生の節目に咲いてこそ桜の存在価値が倍増するというものである。八十年近く前、私の小学校一年生の国語の1ページ目は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」で始まり校舎は桜の花で囲まれていた
2021.03.18
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ちょっと前に節分の豆まき、そしてつい先日は虫が顔を出すという啓蟄を聞いたかと思うともう春分が近いという。寒い最中に芽を吹いたり実をつけたりするフキノトウやヤツデの実も勇ましい姿に変身している。今年は節分が2月2月日であった。節分を過ぎると梅の季節である。 今年は節分が2月2月日であった。私は2月3日が節分と思いこんでいたが、実は 37年前の昭和59年には2月4日が節分で、124年前の明治30年には2月2日であった。そしてつい先日は虫が顔を出すという啓蟄を聞いたかと思うともう春分が近いという。春分の日から昼が長くなり始め、この日太陽は真東から登り真西に沈む。その日を含めて前後3日の1週間が春の彼岸で、多くの日本人はこの期間にお墓参りをする。さて今年の春分の日は3月20日である。地球の公転時間は365日5時間48分46秒なので約6時間分余ってしまう。そこで4年ごとに閏歳を設けて2月を29日として調整する。時間は人為的なものなのでこれで良いが太陽が正確に西に沈む日は人知の及ぶ範囲ではないので今年は2月20日に真西に沈んでもらうことにした。Wikipediaに予測表があたので転載する。年号を4で割ると余りが出る、その余りの日数が0-3で春分の日が決まる。上の表を見ると1664-1699年に生きた人は春分は2月20と思っていたことだろう、一方1990-1959年に生きた人は2月22日もありだが2月21日こそ春分と思っている。今の人の多くは20日も21日もありだと思っている。そしてなんと2092から2099年の間には4年毎に2月19日が春分の日となる。
2021.03.16
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気が付くと2月も今日が最後の日である。ようやくコロナ第三波も下火になったが、一日当た約2500人もの感染者を出した時はどうなることかと思い、ただただ我慢の月であった。自然の移ろい以外何も新鮮なインプットもなく私の今月分メモリー容量は何の変動もない。矢張り今回も自然の移ろいでお茶を濁すことにする。今週辺り散歩道の梅もほぼ満開をむかえている。下の写真を載せる時白黒どちらを先にしようかと考えてやはり紅白の梅という慣用句から紅を先にした。紅白、白黒の慣用的順序は何からくるのだろうか。もうすぐ雛祭りがやってくる、女の子がいる家庭ではお雛様の飾りつけをしていることだろう。ilust.comの画像を見るとみな赤いお餅を上に飾っている、画像検索をかけても逆は皆無である。最近ではひな祭りにも上のような紅白の重ね餅を飾るようであるが本来ひな祭りは「桃の節句」の行事で桃色・緑・白の三色の菱形の餅を重ねて飾るのが古来のしきたりである。雪(白)を冠る大地に春が来て草木(緑)が芽生え、やがて桃(ピンク)の花が咲き節句のひな祭りが始まることを象徴している。したがって下から白緑ピンクの順だろうが色彩効果を考えてだろう白を挟んで飾っている。普通紅餅には食用色素を使い、緑はヨモギを練り込んで着色する。そして白餅には本来ヒシの実を練り込むのだそうだ。紅餅にはクチナシを練り込むとのことであるが、クチナシは黄色の色素でピンクにはならず、食用色素を混ぜる。昔は紅色色素として何を使っていたのだろうか。それとも黄色、緑、白の三色だったのだろうか。これらの混合物はそれぞれ意味があって、クチナシは解毒作用、ヒシの実は血圧降下、ヨモギは造血作用を有しているそうだ。子供のころなぜ春の節句にだけ菱形の餅を作るのか不思議だったが、ヒシの実から菱形になったと言う説がある。私が子供のころ桃の節句は旧歴で祝っていた、太陽暦では3月下旬から4月初めで、菜の花、蓮華に囲まれて春うらうらと良い季節であった。取っ手のついた小さな鮮やかな木箱に三色の引き出しがありそこに御馳走を詰めて蓮華畑、桜の咲く川の土手、小高い丘のなどで遊山(ゆさん)と称して野外ピクニックを楽しんだ思い出がある散歩道に戻ると沿道にある何本かの早咲き桜が満開であった。一般に早咲き桜は、春を知らせるというよりは春を押し付けに来たみたいで可愛げがない。フキノトウはもはや開花寸前で春告げ草の新鮮さは露もなく哀れな姿であった。
2021.02.28
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ブログ上で敬愛するGKhenさんが先日のブログで菅原道真の和歌を英訳している。 こち吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ When the east wind blows flourish in full bloom you plum blossoms ! Even though you loose your master don't be oblivious to spring (https://plaza.rakuten.co.jp/kokoronoyasuragi/diary/202102120000/ ) そこで「こち吹かば…、英訳」で検索をかけてみた。 Web辞書Weblioの例文につぎの英訳があったの。(https://ejje.weblio.jp/) When the wind is in the east, I want it to blow the scent of Japanese plum flowers to meeven if I disappear from here, you, Japanese plum flowers, do not forget spring.When the east wind blowslet it send your fragrance, oh plum blossomsalthough your master is gone do not forget the springWhenever the east wind blowsmy dear plum blossoms remember springeven if your master won't be here (editor不調、色の制御が出来ず失礼) また個人のブログにもいくつか見つかった。perfume plum blossomsriding on Easterly Windremember springseven without your master(https://blog.goo.ne.jp/deviliana/e/fb73446163542fa3053f0667ff08875e)My dear plum blossoms:Catch east windsTo send your scent.The master's not thereBut forget not spring.(https://www.rondely.com/zakkaya/kanko/minor/sugawara.htm)When the spring wind blows,Send me your scent on the wind.My dear ume blossoms,Never forget springEven without your masterhttp://guide-wisteria.cocolog-nifty.com/blog/waka/index.htmlMy ume tree, could you please send your scent on the east wind? Don't forget to bloom in spring even if I'm not here.(https://note.com/infinity0105/n/n4fdbec406c4d)皆それぞれに趣のある訳である。私が注目したのは「にほひおこせよ」と「はるなわすれそ」の部分である。前者は春風(東風)に載せて毎年都の香りを西(大宰府)に運んでくださいの意と思われ、「おこす」は「起こす」ではなく「遣す」で、「人から人へ何かを運ぶ」の意味だと東風が運べるのは都の西側に限られる。つまりこの部分はこれから毎年春が来たら「お前(道長邸の特定の梅の木)の香りを大宰府に運んでおくれ」と別れの挨拶をしている情景だろう。後者は”not forget"よりは”remember"がよりふさわしいと思われる。個人的には私が初めて出会った単語の"oblivious"という単語が一番ふさわしく思われる。辞書によると「忘れ去ること」「忘却」であるが「・・・に気が付いていないこと」と、裏読みしなければならない奥行きの深い言葉は和歌にふさわしい。今でも覚えているが高2の英作文の試験で、「忘却とは忘れ去ることである、忘れ得ずして忘却を誓う悲しさよ」を英訳せよというのがあった。これはその時間になると女湯がガラガラになると言われた当時のラジオドラマ「君の名は」の冒頭のフレーズであった。その時この単語を知っていればかなり点数が上がったことだろう。
2021.02.15
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2月は受験の季節我が家の一番年少の孫も当事者なのでやはり気にかかる今頃である。受験となると100%自分頼りなのだが世人は天満宮に詣でて道真公にお願いする。公とて裏口入学のブローカーではないので困惑していることだろう。道真公と言えば真っ先にに思い浮かぶのは66年前古文の授業で習った和歌東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ「春が来たら花を咲かせて芳香を起こしてください主人がいなくなっても春が来たことを忘れないでおくれ」と解釈していた。この歌は政治的陰謀論で大宰府に左遷される道真が都を去る際庭の梅に託した歌と思っていた。前回のブログに続く三題噺の題として調べてみると少し理解と疑問が湧いてきた。国語の先生のブログによると「をこせよ」は「送ってよこしてください」の意で「起こす」とは別の言葉。「梅の花よ 東風に載せて 都から大宰府へその香りを送っておくれ お前の主は都を離れ、遠く西の大宰府に流されるが 春が来るときっと都に残るお前の香りを思い出したいものだ」つまり東風は香りの運搬屋さんでここでは都と大宰府の間で香りの缶ずめを運ぶ宅急便役にしている。道真が大宰府に左遷されたのは昌泰4年(901年)1月25日と記されている。陰暦には閏月があるのでこの日が正確には分からないが陰暦1月25日は太陽暦では今年は3月8日に当たる。ちなみに京都北野天満宮のホームページによると梅の開花は今年は2月3日で3月初めが最盛期を迎える。そうすると道真は最盛期の梅の花を眺めながら読んだことになる。まだ咲いていない梅の木を見て、その年の春を見ずに去る残念さを歌ったのではなく、春爛漫の梅の花を見ながら来年以降もよろしくとお願いしている歌だったのだろう。下の2葉の写真は大宰府天満宮の本殿前にあるというご神木の「飛梅」である。この梅は大宰府天満宮では毎年一番早く開花するそうだ。日本で一番大切にされている梅ノ木であろう。またこの梅の木は株分けされて子や孫が全国の天満宮にあるそうだ。道真は都の自邸に桜、松、梅を植えて愛でていたという。このうち桜は悲嘆にくれて枯れてしまい、松と梅は道真をしたって大宰府に向かって飛んで行ったそうだ。しかし途中松の木は疲れて神戸市須磨の海岸に降りてそこに根付いてしまった。梅の木だけは頑張って大宰府まで飛んで行ってこの「飛梅」になったという。そうすると「東風」は必要ない訳で、ややつじつまの合わない話ではある。私が何十年か前に大宰府を訪れたのは8月だったので姿は上の写真お様に青々としていたのだろうか、その姿は全く脳裏に浮かばない。
2021.02.14
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このブログを始めて14年が過ぎた。その間月に数稿は発信し続けきたが、今チェックしてみるとなんと今年に入ってまだ一稿も投じていないことに気付いた。コロナ下予定表は病院以外真っ白でブログねたに事欠いたことが分かる。この間二度の入院などもあったがほぼ毎日散歩は続けている。2月は光の春、中旬ともなれば梅の季節である。1月14日の散歩中馥郁たる香りに目線を上げると蝋梅が咲く誇っていた。花びらが蝋細工のように透き通っているのでこの名があるが、クスノキ目ロウバイ科の植物で梅とはかなり遠い関係らしい。それでもこの花の香りは高貴である。春の到来を告げるのが梅とすればロウバイは春が近いことを予告する役であろう。ロウバイの咲く川岸の対岸に紅白一対の梅の木があることは前から知っている。1月の下旬にはまだ小さな蕾だったのだが今月6日ふと気fが付くとほぼ2分咲き位にまで咲いていた。紅梅が早いという先入観を持っていたがこうして見るとその差はわずかである。次にここを通りかかったのは2月9日大きな変化は見られないがそれでも少しは進んでいて紅白の面積が伸びている。桜と違って開花の速度は緩やかである。桜は現代的でせわしなく現れ、せわしなく散って行くが梅は悠長でやはり平安時代によりフィットする挙動である。花見と言えば江戸時代までは梅の花を指し、ソメイヨシノが現れると桜が中心となる。確かにヤマザクラなどには梅かなと思われる風情の物もある。毎年この時期になると春を待ちきれずに熱海や湯河原の梅園に出かけてこのブログにも度々報告をしてきた。今年は梅まつりなどやっているのだろうか。 (次回は梅と天満宮と梅の花)
2021.02.13
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一編のブログもアップしない間にもう正月も目前、罪悪感にも似たものを感じる。通りがかりにスマホに納めた写真アルバムに頼ってみることにした。私が週一回昼前に通る横丁がある。昔から続くという理髪店の女主人が毎日この百メートル近くあると思われる長い横丁に水を撒いている。朝早くらしく現場を見たことは無いが、規則正しく時計回りの渦を描いている。冬以外は私が通りかかる時刻には乾いていて分からないが、12月過ぎからはお決まりの通りで歩くのが楽しくなる。音楽の五線譜の中を歩いている気がして楽しんでいる。多分昔は普通の光景だったのだろうが今は貴重な街角風景である。お顔を見たことは無いが長生きして続けていただきたいものである。周りは住宅街であるが床屋の2,3軒先に小さなバーがある。春先の自粛期間はずっと閉まったままだった。夏頃営業しているように見えたがコロナ第三波の最近はまた営業している様子はない。ここの店主の趣味はバルーンアートと見えて、いつも店前見事な作品が展示してある。長い風船を折りたたんでいろいろな形を作るストリートパフォーマンスがあるがここのはもうちょっと込み入ってる気がする。文字風船などは自分で制作するのだろう。営業はしていないが三月だよ、店主は元気だよとのメッセージだろう。4月になり東京都の虹のマークをつけてやっているよと言いたいのだろう。いろいろなキャラクターがちりばめられているがアニメ音痴の私には分からない。新型コロナのRNAモデルみたいである。何かの結晶構造みたいである。科学展示に使えそうだ。夏は何と言ってもこれですよね。どんなストーリーか知らないが多分今評判の「鬼滅の刃」のキャラクターではないだろうか。ミッキーマウスは分かるがあとは?多分「アナと雪の女王」、「ドラえもん」、「サンタクロース」、他は分からない。天国に降る雪の結晶はこんな物かもしれない形かもしれない.以上ほぼ一年間の店主によるバルーンアート来年も楽しませてください。
2020.12.24
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毎年秋の紅葉見物の仕上げとして石神井公園の近くにある三宝寺と道場寺の紅葉を楽しんでいる。コロナ下の今年はどこにも出かけなかったので先週両寺に出かけてみた。今年はさっぱりである。我が家の下を流れる石神井川には2キロ近く両岸に桜並木が伸びており、この時期になると真っ赤に紅葉する。一般に桜は紅葉樹としては顧みられない存在である。その理由は桜の葉が表が真っ赤に紅葉しても裏側はほとんど白っぽい色をしているためである。モミジやカエデのように薄い葉は裏からでも赤く透けて見えるが、桜の葉は厚く表の色はほとんど裏側からは見えない。我が家は八階にあり、桜葉の表側だけを眺めrことが出来るので並木は真っ赤に見えるわけである。しかし今年は夏の日照りが9月になっても続き、10月中にはほとんどすべての葉が落ちてしまって紅葉する葉がない。そんなわけで近所で見かけるモミジも赤い葉が半分と茶色に枯れて枝に残っている葉が半分と散々である。それでもせっかくの日和なので良いとこどりをして記録に止めておくことにする。三宝寺は豊島氏の菩提寺で江戸時代も将軍家の鷹狩りの拠点として使われ今でもいたるところに三つ葉葵の紋所がみえる真言宗の古刹で、境内には四国八十八か所の碑並び、江戸時代から庶民が遠く離れた四国八十八か所参りを手軽にできる場所であった。三重塔にはそれなりの威厳と風格がある。 三宝寺の隣には鎌倉時代禅の修行所として多くの修行者を集め、いざ鎌倉と言うときの拠点ともなった道場寺があり、ここは私の秘蔵紅葉の名所である。 そここにも立派な三重塔があり周りのモミジが美しい所である。この塔は30年ほど前に新しく建立されたもので、白く輝く木肌がむき出しの塔はそれはそれで美しく、モミジとよくマッチしていた。現在もう新築の輝きはなく、古刹のそれとあまり違わず堂々たる佇まいである。この塔を見ていつも感じるのは我が越し方である。この塔と共にわが身も少しは円熟の色を出せているだろうかと気になる。 まだ青葉のモミジ葉も多く、今後の気候次第ではまだ希望が持てそうである。本道の横には掲示があり、コロナのため日中も扉を閉めていると記されている。仏の代理として鎮座している仏像を拝めなくとも祈りの気持ちは板戸など何の抵抗もなくつき抜けるのでこれでもよかろう。地球の岩盤をも突き抜けるというニュートリノみたいだとふと思ったことである。
2020.11.30
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濃霧に包まれた朝であったが10時過ぎると霧はすっかりどこかへ消えてしまった。コロナ下ではあるがあまりの好天に近くの寺に紅葉見物に出かけようとして空を見ると薄い鱗雲が空一面に広がっていた。 どういった気象条件下で鱗雲が発生するのか知らないが勝手に考えてみた。まず風の強い日はすぐに空気が混じり合うので雲同士がくっ付いてしまい雲はこんなに空一面に広がらないだろう。地表近くに漂っていた霧の水分はほぼ真上に昇って行って薄雲が出来、弱い風に流されて鱗状になり、空一面に広がる。鱗雲は澄んだ秋空に広がる巻積雲の一種イワシ雲、サバ雲などの仲間で一つ一つの雲片が線状ではなく、少し丸みを帯びてくるとその程度によってイワシ雲、鯖雲となるが人によって判断基準は違うだろう。地表近くの霧は空気の流れによって集まり、群れから塊になるのではないだろうか。名前は分からないが薄絹のような印象を受けるので絹雲と呼ぶことにする。これだけでは魅力がないが地上の風景の背景としてはなかなかのものである。
2020.11.30
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先週26日朝起きてみると世の中が暗い。そういえば昨夜の天気予報では濃霧が告げられていた。朝食を済ませて外を見るとボーと明るいところが見えた。日の光がだんだん強くなったのか、温度が上がって霧が薄くなったのか分からないけれど、ややあって太陽の輪郭がはっきりしてきた。さらに時間がたつと周りが明るくなり、丸い虹とまでは言えないが心眼で見ると月の傘のようなものが見えなくもない。太陽も少しだけハレーションを起こしてその輪郭が少し黄色がかって見えてきた。カメラへの光量を減らすため網戸越しの映像を期待したが、手元のカメラにはマニュアルフォーカス機構がない。カメラの注目はどうやら網戸でしかないようだ。そういえば最近の野球中継では見かけなくなったが、かってのテレビカメラはバックネット裏から撮影しており、金網がボヤっと映っていた。画面が切り替わった時などピッチャーではなく、ネットに焦点が合った画像をよく目にしたものだった。今でもアナウンサーはよくファウルボールがバックネットに当たったなどといているが、たぶん今頃の球場はネットなど無いのではなかろうか。もっとも近所の中学や草野球では金属ネットが健在である。
2020.11.29
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ブログねたに窮すると助けを求めるのが家人の育てる花壇の花々。先週から咲き始めてあっと言う間に満開なのがオキザリス・グラブラ数年前に神代植物公園で求めた一鉢がこんなに育ってしまった。特に何も手入れはしていないで、春先に葉が枯れたら鉢を積み上げておき9月になると床に並べて水やりをするだけでこのように育っている。先日Google Earthを覗いていたら、勿論細部までは分からないが2,3年前のこれらの鉢がはっきりと認められた。米粒のような葉でとてもオキザリスとは思えないが、よく見るといくつかのオキザリスの要素を備えている。オキザリスの和名はカタバミ(酸漿草、片喰)で、酸漿草は生薬ではそのままサンショウソウと読むらしく、酸味の素はoxalic acid (シュウ酸, 蓚酸)でまさしくオキザリスの酸を意味している。片喰は夜間葉が二つ折れになって半分になることと関連がありそうであるがよくわからない。もう一つオキザリス・グラブラと時を同じくして咲き始めたのが小さくてまっ白い菊と思われる花でこれも数年前に園芸店で購入し、夏は醜いので短い茎だけを残しておくとこの時期こんな清楚な花を咲かせてくれる。初夏まで咲き続けるが花の色が紫がかってくるので刈り取ってしまう。次は今の時期多くの家の庭先で見られる千日紅、昔からある家庭菜園の花であるが花びらがセルロイドのように乾燥しているので、庭のままでも切り花にしてもドライフラワーにしても花の色があせない。確かに千日近くは赤い色を保つがたいがいは飽きて捨ててしまう。長持ちすると思ったら観賞する部分は花弁ではなく苞らしく、道理で長持ちすることが納得できる。時々白い品種を見掛けるが紫やピンクの品種もあるようだ。今日の昼食卓には紅白の花盛が添えられていた。 花盛の隣には隣家から頂いて熟れを待つ洋ナシが一つ、千日紅と一対の静物画のような佇まいで並んでいる。
2020.11.18
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水辺の植物に注意しながら歩いていると水辺の野草と共にいろいろな生き物も目に飛び込んでくる。この川には多くのマガモが住み込んでいるが、春先テニスボール大の雛が列をなして親鳥に付きまとっていたのがこの時期になるともう一見しただけでは親子の区別が出来ないくらい大きくなっている。とはいえよく見るとやはりその動きや容姿の端正さから若さが読み取れる。それにくらべて親鳥はやはり風格が感じられる。こういった鴨は本来渡り鳥で冬に飛来するものだが、多くの公園や沼にいるものはほとんど定住するものである。冬日本に渡来する白鳥を餌付けしているところが全国各所にあるがそこには必ず白鳥の数倍の鴨がいる。これらの鴨は本来の渡り鳥である。私はお蕎麦屋に行くと多くの場合カモ南蛮を注文する。本来飛来する野生の鴨を捕まえたらしく、皇室でも先週鴨狩をしていた。ところで人工的に飼育した鴨をアヒルと称し、卵や肉をとるために飼育されたものだが、さらにアヒルと鴨を掛け合わせたものが合鴨である。お蕎麦屋の鴨肉は合鴨の肉が多く用いられているらしい。生物学的にはマガも、アヒル、合鴨全て単に鴨だそうだ。思い出したのはインドネシアを旅した時、鴨牧場を発見した。よく知られているようにインドネシアはイスラム教の国で四つ足動物の肉は原則食べず、代わりに鳥肉をよく食べる。そこで合鴨が飼育され、昼間は水田や水路で放牧(?)され朝夕には牧(?)夫達が鳥舎から出したり入れたりして管理している。菅笠を付け細くて長い竹の鞭を持って長い鴨の列を誘導している光景は何とも牧(?)歌的長閑さである。水辺と言えば多いのがセキレイ、これは胸やお尻が黄色なのでキセキレイだ。これはハクセキレイだろう、長い尻尾を盛んに石にぶつけている。背中が真っ黒のセグロセキレイを多く見かけるがこの日はお留守のようであった。さらに水辺には季節外れの蝶がまだあちこちに飛んでいた。昔からネギ坊主に泊まった黄蝶は幸福の印とか言われているそうだが確かにひらひらと舞う黄蝶はのどかで良いものだ。モンシロチョウと言えば蝶の代表格である。春先によく見かけるのは羽の淵がもう少し灰色がかったもものが多いが、この日見掛けたのはほぼ真っ白の羽にまるい紋所がハッキリとしていた。名家の若侍の気品を備えている。赤丸は日本の紋所と言ってもいいのではないだろうかと思うが、黒丸だけの紋所と言うのは見たことが無い。次に見つけたのはどこにでも見られるツマグロヒョウモン。ヒョウ紋は文字通り動物の豹に由来すると思われるがツマグロはなんだろうと思っていた。和服の裾の端を褄(ツマ)というらしいということを知って納得である。羽の端が黒いのが雌、下の部分だけが黒いのが雄らしい。黒い部分が広いだけにメスの方が腕力がありそうである。いずれにしても秋の空は高く、澄んだ薄い紺色―空色ーの空にに絹雲、綿雲、ちぎれ雲、イワシ雲、水辺には行きそびれた黄蝶の舞とコロナを忘れせせるのどかさである。
2020.10.29
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今年は9月も10月もほとんど毎日雨が降った。やっと昨日あたりから空が高くなり、雲も薄くなって秋らしくなった来た。毎日の散歩道の川岸に小さな白い花を持つ雑草が生え茂っている。以前から名前が気になっていたが断定しかねていた。ミゾソバと思っていたのだがネットの画像データではみなピンク色の花が咲いている。花や葉の形からタデ科の植物であることは分かるが最近になってミゾソバに白花種もあることが分かった。同じ時期に同じ場所に咲く類縁種にアキノウナギツカミとママコノシリヌグイというのがある。 (Wikipediaより)前者は茎にとげのような毛があり、ウナギでも滑らないという意味、後者はなんと品のない命名であるが継子のお尻ふきの意味らしい、また韓国では嫁のしりふき草の名もあるらしい。いずれも昔の名前だが野草にはしばしばオイヌノフグリとかヘクソカズラとか酷いものがある。因みにフグリは栗を入れた袋の意味らしい。後者に至っては屁と糞を重ねたもので何ともびろうな話である。さらに尾籠な話であるが「尾籠」と言う苗字の人が全国に550人ほどいるそうである。ここまで書いた後散歩の足を少し伸ばして石神井公園に行ってみた。そこで間違いなくミゾソバの群落を見つけた。ズームしてみるとかすかにピンク色でWebで見る画像そのものである。話を前日の散歩の戻すと水辺にもかかわらず背のひくいススキがミゾソバと混在して秋の気配を漂わせている。揺れ動く川面と首を垂れる寸前の薄が季節感を漂わせる。コウゾリナも線香花火のような花序が川面に揺れている。以前から語源に疑問を持っていたが「顔剃菜」らしい、茎や葉に剛毛があり、それが髭剃りを連想させたそうだ。夏時からいつも気になっていたもので、もう一つ線香花火のような花序を持つものにハゼ蘭がある、大きさ5ミリ以下の小さなピンク色の花をさかせる。どうしても名前が分からなかったが今回やっと同定することが出来た。今はもう花は無く実が成っているだけだがこれがまた可愛いのである。下の写真はWebから借りたものであるが、3ミリほどの小さな花でありながらしっかりと5弁の花弁としべが分かる。咲いている花を見る機会が少ないと思っていたが、夏の午後2、3時間しか咲かないとのことで、そのことから三時草(花)、三時の貴公子、三時の天使などの愛称があるそうだ。暑い時間帯には散歩に出ない私のような無精者には花を見る機会は少ないが、今の時期は赤い実が綺麗である。Wikipediaによると赤い実が線香花火を連想させるところからハゼ欄と言う名がある。「はぜる(爆ぜる)」とはホウセンカのように植物の実が十分に熟しパンとはじけることを指す言葉らしい。そういえば我が家でも今日もはじけてベランダに飛び散った初雪草の種を拾い集めているところである。
2020.10.28
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前ブログのタイトルは"Daddy-Long-Legs"である。日本語で「あしながおじさん」と訳されるがこのおじさんの足は右足か左足かそれとも両足か等考えたこともなかった。半世紀以上も前に見た「あしながおじさん」というタイトルの映画の原題名を「ダディー・ロング・レッグ」と思い込んでいたが、今回Webで調べた時「ダディー・ロング・レッグス」が正しいと初めて認識した。私の記憶の中の「おじさん」は一本足と言うことになってしまう。その昔私の知人でアイルランドに移住した日本人夫婦が話したことを思い出した。その人が言うには現地生まれの4才の娘さんが靴下を片足だけつけてもう一方を探しながら"Where is my sock ?" と言ったという。その人はお嬢さんが無意識に靴下の単数・複数とそれに伴う動詞の選択をしているのに驚いたそうだ。話を元に戻そう。英語で原則複数形を用いる名詞として、glasses, scissors, shoes, socksなどがあるということは習ったがこの時動詞は単数形か複数形かは忘れてしまった。"Scissors cut(s) a paper" ではカッコ内のsは必要なのか不要か。Scissors are(is) a pair of scissor等もareかisか分からない。私達の時代,大学の英語の授業は大体英米作家の随筆の講読で、発音、会話、英作文、文法など実用的英語は教えられた記憶がない。したがって私の英語力は実用力・応用力は別として今でも高校3年時が一番高かったっと思っている。最近日本のプロ野球の放送はあまり見ないが後期高齢者の特権で昼前にBSテレビで大リーグの試合をよく見る。スコアがテロップで示され、今日のワールドシリーズでは"0 out"と表示されていた。なぜこんなことを記すかと言えば昨年の放送では確かに”0 outs"となっていた。その時疑問に思って調べてみると「ゼロは複数扱い」という説明に当たりしぶしぶ納得したことを覚えている。天下のNHKが昨年複数扱いをしたゼロを今年は単数扱いをしている。多分どちらも正しいのだろう。"Any"と "some"もややこしい、Web 上にこんな例文が乗っている、"I don't have any pets"の訳として「私は1匹もペットを飼っていません」である。では"I have some pets" はどうだろうか、この場合「私はペットを何匹か飼っています」となり、日本語では単数だったり複数だったりする。少し神経質になりすぎたようだ、所詮言葉は事象を後追いするもので、「言葉ありき」というのは間違いだろう。ゼロに関してゼロ・サム言う語を思い出した。もともとゲーム理論からきた言葉で「あるものが勝利すればそうでないものは敗者になる」という極めて常識的なことだ。つまり両者を足せば”±”ゼロになるということだろうか、ところがこの考えに反して政治やビジネスの世界でよく用いられるのがウイン・ウインという言葉がある。互いに不足するものを物々交換し合う場合ウインウインだが近代的に貨幣を介してそのやり取りをするとゼロサムになってしまう気がする。「あしながおじさん」、ゼロの単複問題、ウイン・ウインとグレードの低い三題噺をになったが、私の誤解・不理解・感違いも大いにありうる。ボロが出ないうちに(もう出てしまっている?)お開きとしましょう。
2020.10.22
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前ブログで私のあしながぶりを披露したが、「あしなが」と言えばすぐに連想するのはアメリカのミュージカル映画「あしながおじさん(Daddy-Long-Legs)」だ。これは1912年女流作家Websterによって書かれた児童文学書の映画化で、タップダンサーのFred Asterとバレリーナ―出身の女優Lesly Caronが共演した名画である。孤児院出身の少女の文才に惹かれ、毎月手紙を出すことを条件に大学までの奨学金を匿名で送る。少女は一瞬垣間見た後ろ姿からこの人をDaddy-Long-Legと呼ぶようになる。当時幅広のスクリーンに映し出される二人のダンスシーンは圧巻であった。”Daddy”がなぜ日本語訳では「おじさん」になったのかは不明であるがストーリーの結末から言ってやはりオジサンがふさわしいと思う。 以降、例によってほとんどWikipedia から学んだことであることを断っておく。少女は下のような手紙を送っている。したがって少女はDaddy-Long-Legsのもう一つの意味も知っていた訳で"A real true Daddy-Long-Legs" と記している。それは手紙に描かれた絵で、これは日本語で「ザトウムシ」と呼ばれる8本の長い足を持つ蜘蛛のような虫である。名前は知らなかったが夕暮れ時古い蜘蛛の巣などの上でよく見かける蜘蛛と同類の虫である(昆虫ではない)。 ザトウムシは豆に針金の足を付けたような虫と表現されるが頷ける。その前足であたりを探りながら歩くことから日本語では「ザトウムシ」とはなはだ不本意な名前で呼ばれている。別名も「メクラクモ」とあまり良い名でないが、英語ではHarvestman(英)とかDaddy Longlegs(米)と呼ばれるそうだ。 よく似たものとしては「ユウレイグモ」とか「ガガンボ」があるそうだ。後者はカトンボ、アシナガトンボ、カゲロウ、ショウジハリなどの別名があり、写真で見る通り6本足で羽を有しれっきとした昆虫である。蚊とトンボの合体、トンボのような翅と胴体、カゲロウの様な薄い羽根、障子の桟上でよく見られることなどそれぞれ納得のいく名前である。「あしなが」で思い出すもう一つのものは「あしなが奨学財団」で昭和三十年代日本経済の成長期に社会インフラが整備されないままに交通量が激増し1日に全国で百人を超える交通死が起き、交番には毎日全国と東京都の死亡事件数が表示されていた。私の記憶では東京の数字がゼロの日はほとんど無かった。そんなわけで交通事故による遺児がたくさん生まれた。そこで1969年に「交通遺児育英会」が設立され寄付を募った。正式名ではなかったが人々はこれを「あしなが奨学金」と呼んでいた。私もこの会が解散するまで細々と献金してきたが、1990年代になって交通システムの整備とともに交通死数は激減した。遺児が減少し、彼らを支える資金は満たされたとして会は解散されたこの解散は私としては唐突感は否めなかった。複雑な事情が有ったようであるが、補助対象を広げてこの事業を引き継いだのが現在も活動中の「あしなが育英会」である。
2020.10.21
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山の観光地ではそろそろ紅葉の季節になってきた。例年であれば紅葉めぐりをしているが、今年はコロナ騒ぎの上に年のせいもあり一向に腰が上がらない。散歩道の色づいた落ち葉に目をやっていると長い自分の影が写っていた。これはまさしく「あしながおじさん」である。戦後私が子供のころ玩具など無かったので屋敷内の竹を切ってきて自分で竹馬を作って乗り回したものである。写真の影ほどでもないが、10歳あまりの少年が50センチ近い竹馬に乗って人通りの少ない道路に出ると違った世界に来たみたいな快感を覚えたものである。上の絵は江戸時代のものであるが私の記憶にあるのもこのくらいの高さはあった。竹馬乗りは自転車と同じで慣れてしまえば歩行は意外と易しいが集中していないと転落することになる。最初と最後が難しい、降りる時は飛び降りれば出来るが乗る時は片足づつなので大変だ。大人に支えてもらうか壁を背にして乗り、それからバランスを採って歩き出せばよい。 西洋の竹馬乗りはスティルト(stilts)と言って膝下で足に固定する。この場合手は自由なのでいろいろなことが出来、大道芸にはもってこいである。したがって下の写真のような光景を私も何度か見掛けたことがある。上野公園当たりの大道芸ではよく見かけるのではなかろうか。画像検索しても見つからなかったが昭和30年代大阪道頓堀の食い倒れ横丁で例の宣伝マンが高足で太鼓をたたいていのるのを見た記憶がある。中国では「竹馬」は日本のようなものではなく、太い竹の頭に鬣(たてがみ)のような紐をつけ、もう一端を斜めに切って子供がこの竹棒をまたいで引きずり、馬に乗った気分にさせるものを言うのだそうだ。そんなことから幼馴染を「竹馬の友」と言う。これは三国志の時代に二人の武将が幼馴染で一人の少年が乗り捨てた竹馬をもう一人が拾って乗ったことをさげすんでいる故事から来たものとされている。日本語の解釈方が素晴らしいと思う。
2020.10.20
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66年前の大学時代第二外国語としてドイツ語を選択した。当時一般教育担当教員の多くは旧制高校の先生たちで、皆個性の強い高い見識を持った人たちであった。私のドイツ語の先生は言語学者というよりはドイツ哲学者で個性のある方であった。前期で一通り文法(と言っても単語の語尾変化だけ)を習い、9月から「さあ諸君これからは太平洋を犬かきで泳ぐようなものだが」と言って文豪ヘルマンヘッセの”Aus meinen Kinder Zeiten”(私の少年時代)という本を読まされた。それが終わると「諸君よく頑張った、今度は科学の本を読もう。私は科学は全く分からないので今度は君たちが先生ただ文法上のことは一緒に考えよう」と言って指定されたテキストは高名な物理学者HelmhorzのFrankfurt大学とHedelberg大学での講演録であった。題名は”über Eis und Gletscher"(氷と氷河について)というもの。この時以来私は氷河と言うものに強い興味を覚えていた。後年スイスやアラスカ、カナダなどを旅した時、務めて氷河の景色を楽しんだのこのためである。1984年の夏休みを家族と共にドイツで過ごす機会が有った。知人にスイスアルプスでお勧めどころを聞くと即座にEggishorn だと言った。聞いたこともない山であった。そこからはアルプスで一番大きなアレッチ氷河が真下に見え、さらにアイガー、メンヒ、ユングフラウは勿論、天気が良ければマッタ―ホルンやモンブランまで見ることが出来ると教えてくれた。下の地図で右下の黄色い線に沿って世界一遅い(Av. 36km/h)特急列車の氷河特急が走るBernard線で、急行などとまらない小さなFieschという駅がある。駅から10分くらい歩いただろうか、ロープウエイの駅があった。道中多くのスキーペンションやシャレーが有ったが夏季ほとんど客はいないようで閑散としていた。今は知らないがその時はスキーシーズン以外は客がいないのだろうと思った。ロープウエイの同乗者はみな巨大なテントと棒を担いでいた。後でわかったことだが彼らはみなハングライダーであった。私はこの時初めてハングライディングというものを見た。ロープウエイを降りてほんの数分ガレ場を登り稜線に出ると、そこはもうEggishorn(2893m)の頂上で眼下に巨大な氷河が横たわっていた。私の写真はもう色あせているのでGoogle Earthの360度写真をお借りすると氷河の先には例の名峰三山がそびえ、美しい氷河の縞模様や所々氷河の中央部に巨岩が散らばっている様子をっきりと認めることが出来た。それにしても美しい光景である。下の写真で氷河の手前の尖がった山がEggishornである。知人からはマッターホーンやモンブランが見えるといわれていたが望遠鏡を持参しておらず、カメラもズーム機能を持っていなかったのではっきりとは確認できなかった。実はこのブログをものしようと思ったのはGoogle Earth 添付の写真で見ればここから本当に見えるかどうかが確認できると考えたからである。下の写真は左方がEggishorn の頂上である、したがってこれは空中写真ではない。黒い矢印のあたりを拡大して中央下部の流れは眼下のアレッチ氷河末端である。そして上部中央左寄りにマッターホーンが、その右にモンブランの姿がハッキリ認められる。私達もこれらの360度写真が撮られた頂上直下の岩場で昼食をとったがその時確かにモンブランが視野に有ったことを確信した。以上がEggishorn頂上から見えるヨーロッパアルプスの名峰である。これが36年前の旅の再現とマッターホルン、モンブランへの思い出話であある。そのスイスの後スイスのゴルナーグラートからマッターホルン、モンブラン直下イタリア側のエルブロンネ峠から眺めたMonte Biancoの雄姿は忘れがたい景観である。
2020.10.14
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前回のブログで金木犀について記した。その後台風14号に伴って居座り続けた秋雨前線のため暫く小雨が降り続けた。昨日日曜日の午後雨が止んだのでいつものコースを散歩した時、雨の前には咲き誇っていた金木犀の花が雨に散らされてすっかり枝を離れ、木の下を黄金色に変えていた。台風が夏の気配をすっかり洗い落として秋を運んできたみたいである。台風14号は日本本土を離れて伊豆諸島を少し痛みつけただけで南下した。この南下と言うのが台風にとっては珍しい行程である。この台風の国際名はチャンホンと言う香港名らしい、台風の影響を受ける可能性のあるアジア14か国が順番に並べたリストから付けるらしい。ちなみに台風とは赤道より北、東経180度より西側の太平洋で発生し、風速17m/秒以上の低気圧の別称である。なぜかアメリカが含まれている。考えてみればグアム島は極東アメリカ領である。グアム島にはアメリカの重要な軍事基地があり、台風の影響はアメリカ領土に及ぶ。そこでJoint Typhoon Warning Center (JTC)という政府機関が台風情報を発している。昨日のJTCホームページの情報を転載すると上の写真で、右上の赤い矢印が台風14号、下の図が進路予想である。この台風はグアム島の南方で発生しているので台風は里帰りに向かっているわけだ。残念ながら望郷の念むなしく熱帯性低気圧に落ちぶれてしまったのは残念である。アジア諸国を荒らして威風堂々故郷に錦とはいかなっかようだ。川に沿った散歩道の下には水辺のプロムナードがあるが、その間の斜面の石垣にはヒメツルソバが群生しており、真冬を除いてほとんど一年中金平糖のような花を咲かせているその葉っぱが色付いてきた。晩秋には全体が赤く紅葉するがそれがそろそろ色付き初めている。まだまだ小さな秋であるがやがて本格的秋が駆け足でやってくることだろう。追加: 上で熱帯性低気圧に落ちぶれたと書いたが、現在の衛星写真が下のもので台風は雨散霧帰したわけでは無く、まだ目の名残を残して渦巻くようすが伺える。あともう少しで凱旋である。もう少し頑張って記録を残してほしいものである。(12日15.30 追記)
2020.10.12
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昨今散歩しているとどこからともなくいい香りがしてくる。私は長年悪臭を嗅いできたせいか臭覚が劣化していて、どことなく漂うかすかな香りというのをあまり感知しないがそれでも金木犀の香りはしっかりと受け止められる。一般に強い香りというものはいやらしいものであるが木犀の香りは例外である。庭木として好まれる金木犀はふつう一、ニ本孤立しているものだが、私の散歩道には十本前後密生しているところがある。それが今一斉に開花しているので公害並み香りである。金木犀にはその仲間に銀木犀と言う花の色が白いものがある。見たことはあるが今近所には見あたらないのでWikipedia から拝借したのが下の写真。いずれも香る木であるが花の密度や香りは金木犀が強い。「木犀」とは変な名前であるが葉っぱの形が動物の犀の足に似ているのだそうだ??雌雄異株で花の付きは雄株が断然多いそうだ。日本には雄株しかないらしい。植木としての苗木はすべて接ぎ木で簡単に作られるそうだ。香りが強いので昔は便所の脇に植えられることが多く、最近ではトイレの消臭剤に用いられることが多く、若い人にはトイレの匂いと認識されることもあという。植物の香り物質としては炭素数が10-15個の分子が多く、脂肪酸のように直線型の分子もあるが炭素が5個で枝分かれした構造のイソプレンと言う単位が2,3個結合しているテルペン類と言う化合物が多い。小さな分子では揮発し過ぎていい香り物質も芳香とはならない。分子が大きすぎても揮発せず空気中に放出されない。メントールは炭素数10個のアルコール、木犀香のひとつの成分であるリナロールも炭素数10個のアルコールである。森林浴は樹木が放出するこれらの成分を浴びることで、私はドイツの黒い森(Schwarz Wald)、オーストラリアのブルーマウンテン、白神山地で経験したことが有る。これらの森から出る植物の分泌物をフィトンチッドと称し、森林浴はこのフィトンチッドを全身に浴びることとされるが外国のそれは濃厚すぎて息苦しい感じさえ覚えるほどであった。日本のそれは杉、ヒノキ、ヒバ、ブナなどの香気でどちらかと言えばまろやかである。このブログを書いていて今は旬を過ぎてしまったが「ニオイバンマツリ」言うやはり芳香を放つ灌木が我が家の屋上植込みにあることを思い出した。早速外に出てみるとまだ2輪だけ白い花と花びらが散ったズイだけが残っていた。アップで撮るとまだかすかに紫の影が残っている。この花は咲き始めは下の写真(Wikipediaより)のように紫色をしている。日が経つに連れて退色し最後には白くなる。これは上品な香りを放つので名前のニオイは理解でき、漢字では「匂蕃茉莉」と綴る。蕃は外国のことで茉莉はジャスミンの類を指すそうだ。そう言えば江戸時代オランダの書籍を翻訳する役所を「蕃書調所」と言いこれは今の東大のそもそもの始まりである。ニオイバンマツリは花の寿命中に変色すると書いたが一日花ではない。それに対して今を盛りの花として酔芙蓉がある。我が散歩道の始まり点に一本の酔芙蓉の木があり、何年か前にブログに記したことが有る。この時は朝から夕方まで一日数回定点写真を撮って白→ピンク→赤と酔っぱらって変色してゆく様子を示した。昨日は一日雨模様で近所の酔芙蓉は夕方になってもまだピンク色であった。今回のテーマは香る木であまり匂いのきつくない酔芙蓉は主題でないので朝と夕刻の花、そして明日咲く白い蕾の写真に止めておく。今回酔芙蓉をここに載せたのはある人のブログで「大人の香りがする」と記されているのを拡大解釈をしたまでである。低温、曇雨のこの日は夕刻になっても真っ赤になるほどは酔っ払いもできずちょっと飲み足らなそうである。
2020.10.08
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中秋の名月のブログを書いていて彼岸にまつわる話として曼殊沙華を思い出した。赤い花なら曼珠沙華 阿蘭陀(オランダ)屋敷に雨が降る濡れて泣いてる じゃがたらお春未練な出船の ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る うつす月影 いろがらす 父は異国の 人ゆえに金の十字架 心に抱けど乙女盛りを ああ曇りかち ララ曇り勝ち平戸離れて幾百里 つづる文さえ つくものをなぜに帰らぬ じゃがたらお春サンタクルスの ああ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る私が生まれて間もないころの流行歌であるが、ずっと歌われ続けている哀歌である。江戸時代長崎では偉人の男性と日本人の間に生まれた子はそれだけで罪人であった。一種の流人としてジャガタラ(インドネシア)に追放された。お春もその一人で母国への慕情を歌ったのがこの歌である。「長崎物語」という話の主題歌であるがいついつまでも歌い継がれ数えきれない歌手たちが歌い続けてきている。9月末から我が家の植え込みや散歩道で見かけた花をスマホ写真に納めておいた。曼殊沙華は別名ヒガンバナであるがアジアに広く分布し、日本では北は北海道から南は南西諸島まで文字通り全国に自生している。ただ自生していると言っても人工的に渡来したものであるから人跡未踏の地には無い。曼殊沙華・彼岸花と書いたが全国的には異名が沢山あり千近くとも言われている。Lycorinという猛毒を持つので農作物からの虫よけとか田んぼのあぜ道に植えてモグラ防ぎにしたそうだ。また墓地に多く植えられたことから不吉な名前が多い。彼岸の頃地面からいきなり花径が伸び、花が終わると葉が生えてくる。学名はLycoris radiata でLycorisはギリシャ神話の海の精に因みradiataは花弁が放射状に伸びることからである。日本名が多岐に亘るのでタイトルは学名にしておいた。白い曼殊沙華を知ったのは20年くらい前である。新聞の地方版に記事がありそれ以降所々で見かけるようになった。そして最近では大して珍しくもない存在となった。そして最近ではゴールドの曼殊沙華をよく見かけるようになった。こうなるともう赤い曼殊沙華の持つ陰気な印象は吹っ飛んでしまう。白とゴールドの曼殊沙華を左右に従えて赤いサルビヤがなんだか偉そうである。さてこの花は実を付けず球根で繁殖する。白やゴールドの花はほぼ間違いなく人工的と思われるが種を付けい球根植物をどうして交配させるのだろうか。電子組み換えが使われているのかもしれない。
2020.10.04
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一昨夜は中秋の名月であった。ここ何年かはこんなに三夜連続で輝く秋の美しい月を見られたのは無かった気がする。例によってネットで得た知識を昔から知っているような書きぶりで、はなはだ恐縮であるがこのブログのタイトルは「中秋の月」で 文頭は「中秋の名月」とした。以前から仲秋と中秋は何が違うのか疑問に思っていたが今回調べてみると陰暦の八月は通常「葉月」と言うが別名仲秋とも言うそうである。そして7,8,9月が秋でそのど真ん中の8月15日が中秋(の日)でその夜の月を「中秋の名月」と言う。さて今年は10月中にもう一度30日が満月だそうだ。となると今年はもう一度「仲秋の月」を見ることが出来ることになる。空気が澄んでいて空が暗くなってから登るこの日の月は赤銅色から黄金色へと美しく変化してゆき、暗闇から煌々と満月に照らされた街の姿が現れてくる。都会育ちの方々には想像し難いだろうが、戦後の暗い田舎道を歩いていた私は無灯火下での新月の夜と名月の下自分の月影を見ながら歩いた楽しい夜の対比をつい思い出してしまう。粋人は昔から米粉で作った丸い団子をピラミッドに積み上げ秋の薄を生けて月見酒と洒落込んでいた。京都の銀閣寺は月見のために設計されていると聞いたことが有る。銀閣寺から見ると月待山から漆黒の空間に真っ赤な月が登りはじめるのだそうだ。他にも月見櫓を持つ城は松本城をはじめ沢山ある。月見の宴は一族を結ぶ絆を確認するのに必要だったのだろう。さてこの2,3日夕刻7時前後、そしてトイレに起きた真夜中バルコニーに出ては中秋の月をデジカメに納めた。 14日月 9月30日夕刻 14日月 10月1日深夜(1日) 中秋の明月 十六夜月 10月1-2日考えてみればいままでにも月の形や色などについて何篇かのブログをものしてきた。今はもうあまり月について記すこともないのでこれまでとする。
2020.10.03
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オックスフォード市に入る前にKidlingtonと言う町がある。前回のブログをこのKidlington Lockで終えたのは一連のブログの冒頭で記した推理小説「Oxford運河の殺人」でそのトリックのハイライトがこのKidlington LockとOxford市街の北にあるDuke's Lockの間にあるからである。Kidlington LockKidlington Lockを過ぎたあたりに広大な青い畑を発見し、ズームしてみると太陽光発電畑であった。平地が有り余るイギリスでは電気も畑で作れるわけで都市部のすぐ近くで自然エネルギーが得られるのは羨ましい。運河の対岸にはGosford Rugby Football Clubの練習所が何面かあり、その上に不思議な模様が見える。牧草地だろうか、木立が多くそれを避けて草刈りをすると自然にこうなるのかも知れない。一時期ミステリーサークルで世界を騒がせたイギリス人は冗談もスケールが大きいので疑問である。さてKidlington Lock から2キロほど南下すると下の地図で示したDuke's Cut(公爵の掘割)-Shuttleworth Lockとも言う-と呼ばれるOxford運河とテムス川を連絡する運河が分岐する。Oxford運河はそのまま市中を貫き町の南部のIsis水門でまたテムス川と合流する。地図で見ると大して水路が短くなる訳でもないのにこの掘割を作ったのは市中の交通渋滞を避けるためのバイパスとしたのだろう。下の写真でOxford運河右上から左下に流れているのが「公爵の掘割」である。本ブログを書くきっかけとなった「Oxford運河の殺人」でのミステリーのトリックがこの区間で起こっている。犯人の女性は年寄りの二人の船員を酔わせておいて3人目の少年船員をかどわかし、船を川岸に寄せてもらい下の写真のスラップと言うポイントで船からひょいと河岸に飛び移る。そして打ち合わせておいた悪党の夫が見知らぬ少女を殺害し、妻が船から突き落とされ溺死したことにして殺害した少女の遺体を運河に投げ込む。二人は闇に紛れて遁走し保険金をだまし取る物語である。二人の船員が犯人として冤罪で処刑されて久しいが、物語の主人公の刑事が胃潰瘍で入院し、院内生活の退屈まぎれに図書館司書の協力を得て昔の公判記録を丹念に検証し事件を解明してゆく物語である。上の写真で右上部にあるのがShuttleworth Lockで、そこから400ヤード(340m)上流に懸った橋から遺体は運河に投棄され、公爵の掘割に流れ込んで上の写真でフリーウエイを潜ったあたりで発見されている。Google からの写真では立派なレンガ橋に見える。勿論物語はフィクションであるが作者の脳裏にはこのイメージがあっただろう。
2020.09.20
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Coventry からOxfordまでの運河のほぼ中間のBanburyからOxfordまでの間は大きな町もなく時々小さな村を通り過ぎてのどかな田園地帯を進み、ある意味レジャーそのものである。上の写真で赤い線で示した運河の左には広大な牧草地に牛の群れが見える、そして右側にはテニスコートとプールを備えたファームペンションらしきものが見える。また下の写真にもプールを備えた家が見えるが別荘だろうか。そんなのんびりした船旅の間にも15の閘門式水門を通過するのでその都度自分で水門壁を開閉して水位を調節しなければならない。この間Coventry,Oxford間にはかなりの高低差はあるものの急な上り下りは無く水門はすべて一段で通過してゆく。もう一つ航空写真を追っていて見つけたことはすべてのLock は一扉式で、前々回に説明した2扉式は一つもなく、水の流れが緩やかなことを示している。ほとんどは田園の牧場地帯にポツンとある小さな水門であるが、中には下のようなレンガ壁の本格的Lockも目にする。 牧場地帯を通り抜けるので公道はあまりなく、牧草地の中に多くの跳ね橋が懸っている。ほとんどはトラクターを渡すためだけの橋で人間が通ることは少ないのだろう。イギリスではこんな私有地もトレッキングに開放されているところが多くある。柵を超える時の扉の開け閉めはしっかりしなければならず、ハイキングシューズの底の溝に羊の糞が詰まってなかなか取れず困ることもある。 村に入り公道を横切る時には橋も立派のものに代わる。Oxford運河の旅も終わりに近く、北隣のKidlington という町に入るLock 河岸にまで伸びる大きなバックヤードを持つフラットハウスが並ぶ。
2020.09.20
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Oxford運河は数あるイギリスの運河の中でも古く、産業革命ごく初期の1970年代から建設が始まり、ナローボート専用の運河である。CoventryとRugbyの間のルートは水門のない水平区間である。数え方にもよるがRugbyと Oxford の間には26か所の閘門式水門があるとされている.しかし現在私がGoogle Earthと Gogle mapで確認できたのは18か所にとどまった。復元された現代の運河ではもちろん馬が引く曳舟では無く、ディーゼルエンジンであるから閘門式水門(Lock)がなくとも遡上できる所が有ったりして廃止されたLockもあるのだろう。そんなわけで今回は主としてRugbyとOxford 間にある、Lockを中心に記載する。まず最初に現れるのがHilmorton Lock、ここには本来六つの閘門が有ったが、今確認できるのは三つである。下の写真を見てみると左側航路でLock に入っている青い屋根のナローボートは閘門の長さいっぱいの大きさで、上流側は一枚扉、下流側は山型に閉じた二枚扉である。細かく見ると下のように左が上流側、右が下流側からの写真で末端を白く塗った開閉レバーがあり、全て人力で扉を開閉する。前者は一人で操作できるが後者には2人力が必要である。山型の方がより強い水圧に耐えるが上流と下流の違いはよく分からない。さらに多くのLock では上下とも山型が採用されている。さらに細部を見ると下の写真のように扉の上には扉を開閉する前の放水穴として付けられた開閉窓を上げ下げする回転式レバーがついている。船の装備品であるハンドルを水平棒の端に差し込んでぐるぐると回す。家族旅行ではもっぱらこれは子供の仕事である。さらに子供も大きくなれば扉の開閉レバーに尻を当てて力仕事をして両親の手伝いをしている。大きな子供のいる家族ではお母さんはLock通過には必要なく船内で読書などに耽っている。Hilfordの水門を越して比較的なだらかなところを進むとBraunston Junctionにであう。ここではBirminghamからLondon に通じる白い線で示したGrand Union運河に合流する。そしてそこからNapton Junction まで直線で7キロ余り、水路では10キロ余りと思われる区間はこのGrand Union 運河と共有している。赤いい線がOxford運河、白い線がGrand Union 運河である。共有部分の端となるNapton Junction はイギリスを代表する2大運河の合流点にしてはささやかな船溜まりがあるだけで少々驚きであるが、その小さな水溜りには岸辺にとどまらず水面一体にぎっしりボートが停まっている。Napton Junction ではGrand Union運河と別れて西に向かい、Napton Lockに向かう。 Naptonまでは比較的平坦な田園地帯を進んできたが、Napton Bottom Lock からNapton Top Lockの間9連続閘門を経て15mの丘を登る。分かり難いが上の写真で一番上の黄色いピンがJunction 真ん中のピンが丘下のBottom Lock、そして一番下のピンが丘上のTop Lockと続いている。9個の閘門を通過すると、ここからの丘陵地は下の写真で見られるようにくねくねと曲がりながら水位を保ち進んでいる。そして今度はClaydonの町の西方にある5重連の閘門を通過して9.3mの水位差を下る。Claydon Lockを下るとあとは一気にこの運河の途中ではRugbyに次ぐ町のBanburyに到着する。Banburyでは駅のすぐ側を通過している(青線)。赤丸で囲まれた英国鉄道の赤いマークが駅の入り口で、白いテントはおそらく市場だろう。運河の岸辺に市場があるのは自然の理である。江戸時代の日本橋川と日本橋河岸もそうであった。余談であるがイギリスの鉄道には原則改札は無いので赤マークのあたりで道路から直接階段を上がってホームに移動する。線路右側の青い屋根の駐車場からも直接ホームに出る跨線橋が見える。私が滞在したことがあるNew Castle upon Tyneの駅は車でホームに乗り上げることもできたし、地下鉄の昇降口が駅のホームのど真ん中にあって階段を登るだけで乗り換えが出来たことを思い出す。
2020.09.19
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Stetton under Hill村のレンタルボート店を過ぎて少し行くとNew Bold on Avonという村にまたArmada Boat Hireと言う名のレンタルボート店がある。上の写真で白い矢印がそれであるが、その店のホームページを見ると下の写真のような小さなボートもある、これなら操縦はそんなに難しくはなさそうだ。ナローボートはその名の通り幅は2.13m以内に限られ船の大きさは長さで決まる。この長さだと多分1LDKだと思われる。右下の赤い矢印で記した間は明らかにトンネルになっている。横切る道路もない牧草地のトンネルにはどんないわく来歴があるのだろうか。色んな村の名前を記してきたがこれらなすべてRugby 郊外の村々である。下の写真はRugbyの工場地帯を左から右へうねりながらと進む運河である。町中だけに多くの小さな橋が架かっている。Google Earth には数多くの運河上からの写真がリンクされており、バーチャルトラベルには楽しい光景である。歴史的なうつくしい橋が多く見られるが版権の問題で紹介できないのが残念である。興味深いことにRugby の町の住宅地帯のはずれに小さな貯水池がある。その横を流れる白い矢印はOxford 運河、そして貯水池に繋がって赤い矢印間で運河を横切りくねくねと右方向に流れるのがシェイクスピアの町Stratford upon Avonへと繋がるエイボン川の上流である。Rugbyはもちろんラグビーフットボール発祥の地である。Rugby校の生徒がサッカーの試合中ボールを手にして走ったのが始まりとされている。余談であるがサッカーもラグビー―も英語ではフォットボール、そこで前者をAssociation Football 、後者をRugby Footballと言うが"Association"の”soc"に人を示す語尾"er"を付けてSoccerとした。何とも狐に騙されたような気分である。果たして本当だろうか。Rugbyの次の村Barbyにはおおきなマリーナが見える。さらに進むとま瓢箪型の大きなDunchurch Marinaが現れた、上方の整然とした建物群は刑務所である。なぜか刑務所の建物には星形や放射線状の物が多い、たぶん管理に便利なのだろう。運河からマリーナを望む優景色は見事である。
2020.09.15
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Godivaチョコレートに関連する逸話で有名なCoventryは重工業地帯のBirminghamから約20キロ東側にある中都市である。その市中から約6.4km東北の地に黒い丸で示した点の Hawkesbury村に三つの運河が合わさったHawkesbury Junction がある。下の航空写真で水路にナローボートが列をなしている、この左上から下に向かう運河はCoventry運河で、北はTrent-Mersey運河を経てLiverpoolへとつながっており、南下すればCoventryの市中に至って終わる。このJunctionから右上に始まるのがこれからネット旅するOxford運河である。Coventry運河からOxford運河に入るには中央下に見える船溜まりを通る。写真の白い屋根左下に見えるのが19世紀初頭から営業し続けるGreyhound Innである、一階がパブ二階が簡易宿泊所だろう。一度この種の宿に泊まったことが有るが建付けが悪く、客の出入りする音や夜遅くまで賑やかなパブのざわめきなどで落ち着かなかった。運河をやや進んで下の写真は斜めに伸びる鉄道に沿った運河と斜め上に伸びるShilton Lane と交わるあたりでこの運河が町と田園を分ける境界になっている。 なおこの道路はスコットランドのGlasgowまで伸びるイギリスで一番長いフリーウエイで、イギリスの高速道路はみな無料である。少し見にくいが下の写真では白い矢印を付けた曲線が運河であたり一面畑や牧草地である。右上の赤い丸は”Fosford Hill Equine Service"と記されている、すなわち獣医師の診療所である。場所から言って犬猫病院ではなく文字通り羊を中心とする家畜医であろう。程なくしてAnstyと言う運河と道路に沿った集落をすぎる。この航空写真を見るとイギリスの集落の様子がよく分かる。家は道路に沿ってぎっしり並んでいるが、それぞれ広いバックヤードを有し、さらに牧草地やタウンムーアと呼ばれる町の共有地になっている。タアウンムーアと言うのは原則牧草地で誰でも自由に羊を連れてくることが出来たそうだ。村落と言っても運河沿いはのんびりとしたものである。Stetton under Fosseという村落に着きました。鉄道と並行に走る運河に沿って白い矢印はガソリンスタンド、赤い矢印はナローボートのレンタル店です。Armと呼ばれる短い一本の水路が上に延びているがこれは村落に通じる短い水路で、人口200人前後のこの町はローマ時代からの古い街のようだ。昔は水運の良いところに町が出来たので村や町の名前にBourton on the HillとかNew Castle upon Tyneなどのように河川名の前に"on"や"upon"を付ける所が多くあるが"under"がつく地名は少ないだろう。どんな来歴があるのだろうか。Armには数隻のレンタルボートと思わしきものが係留されている。ナローボートは普通1週間単位で借りるものであるが、こんな片田舎のボート屋(Rose Narrowboat)では一日単位のレンタルも可能のようだ。何しろボートに運行にはライセンスは要らないので私も10歳若かったらすぐにでも経験したいところである。ここはBrinklowという町の近くでCoventry とRugbyの中間地点である。Oxford までは先が長いので今日はこれくらいにしておこう。
2020.09.14
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もう20年以上前の夏休みことである。たまたま古本屋でハヤカワ・ポケットミステリーの「オックスフォード運河の殺人」という本を手にした。日本の新書版によく似たサイズ、厚めの紙表紙一枚でアメリカのペーパーバック本と同じ装丁で本の側面を黄色く着色したミステリーシリーズの一冊である。オックスフォード運河を運行する夜行の貨客ボート上での殺人事件を描いたコリン・デクスターの”The Wench is Dead” の翻訳本である。原題にOxford運河の文字は無い、翻訳題を見なければ手にしなかった。時々読み返して楽しむために保存していたがいつのまにかなくなっていた、そこで今は文庫本として出版されているものを入手した(下左の写真)。ストーリーはともかく私はこの本でイギリスの運河と言うものに大いに気を奪われてしまった。そんなことが発端でイギリスの運河に関する本を買って楽しんだりしている。 オックスフォード運河はLady Godivaの逸話で有名なCoventry郊外からOxfordでテムズ川に繋がる約120キロの運河で、46か所の閘門(水門)を有し、ここを運航できるボートは長さ21.96m、幅2.13m、吃水(舟底と水面間)1.23m、吃水線からの高さ1.83m以内に限られている。いわゆるNarrow canalでこの細長いボートはNarrow boatと呼ばれる。日本と違って平地の多いイングランドでは運河が網の目のように張り巡らされているが、これらは産業革命によって大量の石炭を消費する重工業が栄えたイギリスでは馬車輸送に代わって大量運送に適した運河が整備された。その運河も鉄道の普及によって長い間埋もれた存在となっていたが近年再整備されてレジャー目的で復活してきた。大型船の通らない狭い水路は牧場の中を通り抜け、水道橋を渡り、水路トンネルをくぐり、長閑と言う字を絵にしたような光景が続くかと思えば、船を横付けできるカフェ、コンビニエンスストア、ロッジ、土産物店など日本の道の駅のような施設が所々にある。田園地帯、都市中心、工場地帯等変化に富んでいる。いくら平らな土地とはいえ、丘や谷を通過しなければならず、特に水路の山登りのための閘門通過はうるーずの楽しみである。運行ライセンスのいらないこのナローボートはオーナーボートあり、レンタルボートあり、多くのボートは日常生活に必要な施設は整えており、中にはボートを住処にしている人もいる。話を元に戻そう、ナロ-ボートは初期は貨物輸送として使われていたが、船の改良や水路の整備で横行速度が上がり人の輸送にも 使われはじめた。1842年の記録では一頭立てのボートで16㎞/時、22トンもの荷を運ぶことが出来、旅客輸送でも乗合馬車に対抗できるようになった。移動時間そのものはまだ馬車が早かったみたいであるが、より安く静かな運河の旅はガタガタ揺れる馬車よりも快適で、特に夜行便の快適さは馬車とは比べ物にならなかった。ただし小さな密室での夜行便は特に女性客は相客に恵まれないととんでもないことになる。また乗客だけでなく乗組員もいわくあり人物が多かったみたいで、「オックスフォード運河の殺人」もこんな中で起こった殺人事件である。もう一つ物語上必要なのが運河に沿って必ず伸びている側道「曳舟道」で、この側道は現代では絶好のハイキングコースともなっている。エンジンが普及していない当時にあって運行は馬力で、Fly-boat, swift-boat, gig-boatなどと呼ばれていた。貨客船にはExpress Boat Serviceというのもあり、これは2頭立て、つまり2馬力の牽引力を持つ快速艇と言うことになる。当然ながら馬は駅伝方式で変えて行く。また船が橋やトンネルを超える場合、所によっては曳舟道がない場合があり、その場合は人を増やして船べりに立ち片足で河壁を蹴って進んだそうだ。多分それを生業にしている人達がいたのであろう。話は飛ぶが以前私が中国の重慶から上海までの長江船下りをしたとき、支流の神農渓というところで船乗りをした。そのとき土地の部族が難所を曳舟することを昔から生業としており、いまも観光船を引く仕事をしていた。さしずめ日本で言えば大井川の水夫みたいなものである。まだまだコロナ禍で家に閉じこもる日々、Google Earthのフライトシミュレーションで世界各地の空からの景色を楽しもうと努力したが、ジョイスティックを持たず、マウスだけで航空機を操縦するのは難しく数知れぬ墜落事故起こしてしまった。そこで諦めてGoogle Map で航空写真と時々Google Streetからの地上写真を交えて「Oxford 運河の殺人」の物語の舞台を旅してみようと思った。結果はどうなるか予想がつかないがこのブログで報告することにする。
2020.09.12
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八月末から9月初めにかけて約10日間に大型台風の3連発であった。しかもそれらはほとんど同じルートを通り、沖縄県から九州の西沖をかすめ朝鮮半島をかすめて消滅していった。かって社会主義国家から資本主義国家を守る前線としての日本列島が有ったが、気象学的にみると朝鮮半島を含む大陸は日本列島によって台風の脅威から守られている。太平洋の熱水からのエネルギで出来る台風は日本列島を越えると日本海の冷水域に入って急激に衰え大陸に向かう前にしぼんでしまう。天気図で見ると綺麗な円型の輪から急に萎びたゴム風船のようになる。トランプ大統領は日本に防衛費の負担増を要求してくるが、日本は朝鮮や中国に台風からの防衛負担金を要求したい気分である。そんな台風の合間、夕暮れの西空を見ると傘の開いた松茸のような雲が出来ていた。もう少し脚が長いと広島の悪夢を連想するがなんとか高感度の範囲に収まっている。特に傘のエッジは悪夢とは程遠い絹雲の装いである。クラゲ雲と言う名もあるらしい、そう呼ぶことにしよう。気象学的には雲は10種に分類されるそうだ。高層に現れる巻雲、巻層雲、巻積雲「天高く馬肥ゆる秋」という言葉があるが、秋の雲は上層雲と言うことが分かる。ちなみに大気の上層とは大体1万メートル以上である。山で見る雲海、谷間を漂うガス雲、富士山を美しく見せる浮き雲などは下層雲。下層とは約5千メートルくらいまでの地表に近い範囲。その中間は空気や湿気に富み、動きも激しい中間層で大空を演出するのも中層雲が多い。雲の学術名学術用語としては巻、層、積、乱4字の組み合わせである。そんな味気ない用語とは別に古来高層雲をすじ雲、うろこ雲、うす雲などと呼んできた。同様に中層雲をひつじ雲、おぼろ雲などと呼び、下層雲をきり雲、わた雲などと呼び、中下層にまたがり厚みを持つ雨雲などと呼んできた。特記に値するのは入道雲とも呼ばれる夏の勇者、積乱雲である。この特別な雲は地表から1万メートル以上にも立ち上がる特別なものである。熱せられた大地は強い上昇気流を生みつむじ風、竜巻、落雷、稲妻を生み出す。湿気や空気に乏しく高度1万メートル前後を飛行するジェット機から見る積乱雲は力強く垂直に伸び、「入道」というよりは荒れ狂い、のたうつ竜である。大気層と雲
2020.09.08
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暑い暑いと言っている間に何時の間にか今年も8月が過ぎゆきてゆく。体温よりも高い温度が有ったので今年は「暑い」というよりも「熱い」日が多かった。真夏日、猛暑日と言う使い分けができたが前者を「暑い」後者を「熱い」と区別しては如何であろうか。そしてもう一つ今日を最後に行ってしまうのが「としま遊園地」夏はプール、冬はスケートと大人も子供も馴染んできた遊園地である。94年もの長い間愉快な空間を演出してきた豊島園もいよいよ幕を閉じることになった。8月は閉園に際して"Thank you for evrything-Hanabi" と銘打って連日花火が打ち上げられている。そして30日にはしんぶんでの2ページぶち抜き広告で最後のジョウが戦い終わってうなだれている。作者のチバテツヤさんは練馬区民で豊島園からは遠くない富士見台に住んでいる。練馬区にあるのになぜ豊島園かというと、練馬区は元々豊島区の一部でもあったが、それも名前の起源ではない。もともとこの地には室町時代の豪族豊島氏の練馬城があり、太田道灌によって征服された後、江戸時代を通じて田畑となっていた地に1926(大正15年・昭和元年)遊園地として開園している。園内を石神井川が貫通し、春の桜、初夏のアジサイ夏のプール、秋は学校や会社の運動会、冬はスケートなどが呼び物であった。ニューヨークのコニーアイランドから買い取った回転木馬エルドラドも人気だった。世界初の試みとして屋内スキー場、流れるプール、大波のプール等常に新しいアイデアを込めたアトラクションを提供していた。また1967から2004年まで週末の花火は圧巻で約30分火玉の途切れることなく打ち上げられた。風向きによっては花火の火の粉がパラパラと落ちてきて迫力十分であった。実を言うとわが家は直線で約2キロ余り離れているが夏の週末ルーフバルコニーから眺める打ち上げ花火は圧巻で30年くらい前は知り合いを呼んでよくビアパーティーを開いたものだ。近年は騒音、降下物などの害のため中止になっていたが閉園が決まり7月中旬からほとんど毎日上のポスターにあるようにThank you for everything-HANABI と銘打って5分間花火が上げられている。ただこの花火近隣に遠慮してか多きは打ち上げではなく仕掛け花火が中心でわがやからは近くの屋敷森に隠れてよく見えなかった。その花火もいよいよ今夜が打ち止めである。さすがにこの2,3日は小型の打ちあげ花火が増えていた。(ここまで用意しておき、あとは8時からの花火を採録することにする)最後の花火を少し記録にとどめておこう。矢張りどことなく「さようなら」と言った感じの火炎である。94年の最後を閉じる花火なので存分に記録しておくことにする。 これらはすべてまだ一時間もたっていない採れたての映像である。最後の炎光がフェイドアウトしてゆく様子を下の二枚に示しておく。文字通りさようなら豊島園である。園地は東京都が買い取り、避難公園としての「練馬城址公園」となるようだ、そして一部はハリーポッターをテーマにしたアミューズメントセンターになるという。開園は2023年というから私が立ち会えるかどうかはおおいに疑問である。子供が小さい頃毎年通ったプールもなくなるのはさみしい限りである。私からも礼を言わせてもらおう 有難う!!
2020.08.31
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我が家はマンションの8階角部屋で東側に屋根付きベランダ、南側に屋根なしバルコニーを有している。唯一の利点は空と都心のスカイラインががよく見えることである。郊外とはいえ大都会なので夜も一等星と惑星くらいしか楽しめないが昼間の空景色はばっちりである。そんなわけで季節の雲の形はよく観察する。昼食後の東側ベランダからはまだ厚みはあるが少しばかり秋を思わせる浮雲が見える。季節の挨拶としては「残暑お見舞い申し上げます」と記す今日この頃であるが現在戸外の温度計は35.5℃を指している。西の空には細かな千切れ雲と言い、絹衣のような、これは秋を思わせるに十分な雲が浮かんでいる。少し目を南に振るとやはり厚みのある浮雲が漂っている。地表が熱せられて上昇気流が起こるので秋の絹雲は全く違った形状の雲である。そして筑波山方面には積乱雲が卵が見える。蒸気の源はどこだろうか荒川かあるいはもっと遠く筑波方向の山々かもしれない。関東平野を囲む群馬や栃木の山々は平野からの熱風を引き上げて一気に乱気流となり日本有数の雷・雷雨多発地帯となっている。いつものように東京湾上空は水源にも熱エネルギーにも恵まれ(?)、層の厚い積乱雲を発生している。ただ分厚い積乱雲ではあるが山がないため空高くねじ登った雲ではなく雷を伴うことは少ない。たとえば下の雲のように一部が盛り上がってもすぐ立ち消えになり太い雲の柱に成長することが少ない。私の経験から言って東京の西部の雷は東京湾よりは多摩地方からくることが多い気がする。興味深いことにこれらの積乱雲は時々刻々と姿を変える。それを自分が知っている山の姿にたとえるのも楽しみである。例えば上の写真は稜線は違うが山肌は中央アルプスの剣岳にイメージがあう気がする。上は槍ヶ岳かマッターホルンを連想させてくれる。このように自分がかって訪れた山を連想しながら思いを掻き立てるのである。ちょうど逆光で霞んで見えるが西方向には相模湾からの水蒸気を含む大気を丹沢山塊が吹き上げて、やはり多きな積乱雲の塊を作っている。夏の雲ながらわずかに秋の気配を運んでいるようにも見える下の雲に命運を託すことにしよう。
2020.08.29
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コロナ騒ぎで我が家でも心配事がある。実は長男が中国深圳に、次男がインドのニューデリー・チェンナイ(以前のマドラス)に単身赴任しており、ともにもう半年以上閉じ込められている。週末にはいろいろ今の暮らしぶりをLineで知らrせてくる。深圳は中国本土にある町で香港の隣に位置している。かっては地下鉄やバスで香港市中を通ってかんたんに空港に行けたみたいだが、今は香港への立ち入りが禁止され、市中を経ずにフェリーで空港に行くそうだ。もっとも日本への空路はほとんどなく行き帰する人も少ないそうだ。深圳と言っても古い人には馴染みのない近年経済特区として興した街なのだ。それだけにすべてが新しく近代的な作りになっており、それだけに昔の街並みとの対比が顕著とのことである。海上から、見るビジネス街はニューヨークを彷彿させるものがある。ビーチにはヤシの木やリゾートマンションだろうか、ホノルルの雰囲気を彷彿させる。ビジネスをするには多くの場合下のようなCOVID19への非感染証明が必要で、会社で全員がPCR検査を受けたみたいである。単身赴任で休暇はあっても帰国もままならず、週末に雲南省に出かけたらしい。麗江という観光都市があり、目的は近くのゴルフ場で時間を消化するためらしい。麗江は何年か前の四川大地震で壊滅的は被害を被ったが、数年を経ずして観光スポットの旧市街は復元されたそうだ。 「江」の字がつくので多分水の都だろうと思ったが、こんな内陸部の水源はGooglr Skyですぐに理解できた。市中から15㎢の所に玉竜雪山と言う高山があり、そこから季節を通して雪解け水が流れてくるのであろう。この山は標高5596mで北半球では最も南に位置する氷河を持つ山で、国立公園であり、世界遺産にも指定されている。下の写真で下部が麗江市、上部白い部分が玉龍雪山、赤のマークがゴルフ場。麗江市中からはバスに乗ればかんたんにロープウエイ乗り場に行け、そこから4506mの展望台までロープウエイで行ける。こんなところで白球を打つのは気持ちがいいことだろう。しかしこのゴルフ場は標高3千メートル以上にあり、空気の薄さが問題で球はよく飛ぶと思われるが高山病の心配があるだろう。看板を見ると「麗江玉龍雪山国際高尓夫倶楽部(ゴルフクラブ)、吉尼斯(ギネス))世界之最」と記され認定証がコピーされている。不可解なのは「世界の之最」だ。状況からして「最高地」の意味は理解できるが、普通「最」は中国語でも「best」で「一番」「至上」を意味すると思われ、続いて名詞がこなければ意味をなさないと思われる。などと中国語の知識をまったく持ち合わせない愚漢の愚痴は尽きない。コロナ下の8月、84歳を迎えた老人の頭にはブログ種が何も入力されない。十数年間毎月ものしてきたブログが途絶えるのではないかと危惧し、今回は息子の力を借りることにした。高山の裾にたなびく雲海、そして白いバンカーを漂わせた緑の平原はほんのちょっぴり冷気を運んでくれるような気がしてこのブログをものしてみた。
2020.08.15
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多分今週は一年で一番熱い一週間であろう。ましてや世界中で新型コロナが席巻しているCOVID-19, GO TO, 政府はコロナをうつさないでどんどん動けという、受け入れ側の地方の知事は帰省は遠慮を、と訴えている。今年は記録にも記憶にも残る日本のお盆祭りである。そんな中、浜松の孫からお祝いにウナギのかば焼きが送られてきた。確かに今週は目出度くもあり、目出度くもない私の84回目の誕生日である。それにしてもコロナと酷暑の下、水屯の術で誕生日を迎えている。外界には出ないで水中に潜り、竹筒を空中に出して静かに息をしている。昨日13日、水中ならぬエヤコンの室内からベランダの温度計をズームすると38℃を越えている。体温よりはかなり高い気温である。天気予報で午後所により激しい雷雨と言っていたが、どうやら我が家のあるところはその所に当たっていたらしい。短時間激しい雷雨となった。程なくして青空が戻ると東天に見事な虹が出た。この季節虹はよく見かけるがこの日の虹はなかなかの完成度である。虹は水滴による日光の反射であるから私と太陽の高さの真ん中の高度に出ることになる。口径の大きなレンズを持つカメラを持ち出して撮影したのが下の写真である。全自動設定での撮影は同じデジカメでもやはり大型カメラが綺麗な画像になる。今回の虹が良かったのは完全な虹の架け橋ができていたことだ。多くの場合どこかの部分が欠けていることが多い。水滴の大きさや濃度が全体に均一でないとこのような綺麗な円形にならない。実を言うとこの日の虹は完全な形であったが西の方角に薄雲が掛かっており、日光がやや弱く完全な形ではあったが強くはなかったので副虹円はかすかなものであった。 久しぶりに無欠の虹を見たが虹は本来丸形だと言うことは度々述べてきた。夜の星座と同じで下半分は地平線の下になってしまうため地上からは見えない。飛行機だとそれが見えるという訳だ。これも前に記したが多くの国で虹は4色になっているらしい上の写真でもボヤっと見ていると赤、黄、青、紫の4色と考えるのが自然な気もする。
2020.08.14
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新型コロナウイルスがわが国に上陸してもう半年が過ぎた。初めての経験に国を挙げてパニック状態が続いている。この間いろいろな外来語が生まれ人口に膾炙してきたが、ここでWikipediaに尋ねながらまとめていくことにする。COVID-19 (Coronavirus Disease 2019)2019年新型コロナウイルス感染症、日本では単に「新型コロナウイルス感染症」と呼ばれ、感染症法に基づいて強制入院などの措置を取ることができる指定感染症に指定されたほか、政府が緊急事態宣言を発令できるようになった。パンデミック(英: pandemic)ある感染症の世界的な大流行を表す語。語源はギリシア語のpandemos (pan-「全て」+ demos「人々」)である。感染症の流行は、その規模に応じて(1) エンデミック、(2) エピデミック、(3) パンデミックに分類される。このうち最も規模が大きいものがパンデミックである。「エンデミック」は地域や季節的周期で感染率が一定している状態をいう。「エピデミック」はエンデミックの範囲を越えた想定外の状態をいう。エピデミッは分かりずらいが 特定のコミュニティ内で、特定の一時期、感染症が広がること。こういう風に日本語に訳すと長ったらしく分かりにくくなるのでついそのまま片仮名にしてしまい、大衆には不評をもたらすのですね。クラスター(Cluster)クラスタ (cluster) は、英語の単語で、「房」「集団」「群れ」のこと。 元々はブドウの房ですよね、一本の枝から出て所々に集団がある状態。イメージとしては集団感染の病院、キャバレー、ホストクラブ、介護施設などぴったりのイメージですね。他の新語に対してこの言葉はあまり非難されず素直に受け入れられている。オーバーシュート(Overshoot)コロナ騒ぎで一番評判の悪かった言葉、 英語で行き過ぎを意味し、 環境の収容力を超えて過剰な数が集中する状況。シュートと言うとバスケットボールを思い起こす。確かに一球ずつシュートされるとすんなり点が入る、2球同時にシュートされると両方とも外れてしまう。これは典型的オーバーシュートである。この言葉は爆発的感染拡大と訳されるが、これでは感染者数と病院の受け入れ可能数のバランス感覚に欠けており、上記 病院の収容力を超えて過剰な感染者が集中する状況は表現されていない。ソーシャルディスタンス(Social distance)相手に手は届きづらいが、容易に会話ができる距離のこと。英和辞書を見るとsocialの意味として(1)社会の、(2)社交的、懇親の、と続いている。パーソナルスぺースと言う語もあるが、Social distanceは「社交距離」「交友距離」と訳せばすんなり受け入れられた気がする。「社会的距離」は悪訳なのでマスコミもソーシャルディスタンスを使い続けている。 ロックダウン (Lock down)文字通り建物や囲われた空間に鍵をかけてしまうことであるが、現代の町には塀が無いので今は外出禁止令を意味する。世界各国・各地で同様の措置がとられているが、それらは英語圏ではロックダウン(英語: lockdown)と呼ばれている。英語でのlockdownは、中国の武漢で行われたような、当局が感染者を徹底的に捜索して強制的に隔離すること。ロックダウン (lockdown、封鎖)は緊急事態に鍵をかけてしまって、建物やエリアへの出入りが自由にできない状況をいう。武漢では完全なロックダウンが実施され、建物には見張りが立ち、マスクをしない不急の通行人にはドローンが飛んできて家に帰りなさいと警告したそうだ。アラート(Alert)これは東京アラートとして出現した小池知事の造語かもしれない。「警報」事態は昔からよく使われる語で地震警報(Earthquake warning)、警戒警報(Warning alert)、 空襲警報(Air raid warning)と並べて見るとAlertは近く起こるかも知れないので注意してなさい、Warningはもうすぐ起こるので覚悟しなさいということだろう。辞書を引いてみて初めて小池知事の母心が理解できた気がする。不埒な人は東京アラートは都庁とレインボウブリッジを赤色に点灯するサインだなどと言っていたが、母の心子知らずだ。エアロゾル(Aerosol)コロナ感染が接触感染は別にして、呼気から出て数分以内に落下するつばきの飛沫、空中を漂うエヤロゾル、空中を漂うウイルスによる感染などが議論されている。菌類以上のより高等な細胞生物と違ってウイルスは何かに寄生していないと生きられないので空気感染は無いだろうとされている。飛沫感染はマスクが効果的であるが、エヤロゾルは超微粒子なのでマスクの効用は無い。ゾルとは超々微粒子が液体や気体に浮かんでいる状態で液体や気体の分子につつかれて空中に浮かぶ風船のようなもので、こういう均一な混合物をコロイドと言い、粒子は沈殿することは無いのでいつまでも空気中に浮かんでいる厄介な代物である。
2020.07.21
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今日も東京では293名のコロナ感染者、連日の新記録である。そしてGoto策は強行される。当然ながら感染症専門家は時機尚早を叫ぶ、経済専門家はなんとしても夏休みにGotoさんに頑張ってという。東京以外は全国一律、今や東京人はばい菌扱いであるそれにしても、今年の夏休みは来週やってくるのだろうか。ドタバタ策は日本の政治に似合ってはいるが、賢策とは言えないだろう。以上は気が滅入る話、そして藤井棋聖の誕生は思わず笑顔が出る愉快な話。そんななか、探し出したブログ種がこのビール。馴染みの図鑑カフェ・Fumikuraで昼食時に頂いたのがこのビール。心臓に問題を抱えて以来アルコールはほぼ避けてきたがリストの表示ではアルコール度2.5%、しかもカシスビールとある。以前、カシスクリームのラム酒割りをナイトキャップにしていたこともあり、トライしてみた。食事もパスタ用ミートソースをご飯に載せたカレーライス風にしてもらった。2.5%ではアルコール分はほとんど感じないがそれでも何となく顔が温まってきた。1822年創業のLindemans醸造所、カシス Lambic Beerと読める。さらにAuthentic Lambic Brewery for Six Generationsの文字が読み取れる。ほぼ200年間6代に亘るLindemans社は分かるがLambic Beerは初見なのでWikipediaへ。有りました。そもそもビールには上面醗酵のエール、下面醗酵のラガー、ハイブリッド、自然醗酵のワイルドビールがある。Lambicはベルギーのブルッセル南西に位置するPajottenland(パホッテンランド)という狭い地方のZenne川に生息する野生の酵母菌・バクテリア菌と醗酵蔵の固定菌によって作られた酸味の強いワイルドビールだそうだ。昔からこのゼンネ川流域にある十数社の醸造所のひとつがLindemans社で、酸味を消すためフルーツジュースを加えて再発酵させるのだそうだ。一種の地ビールということになるのだろう、美味しいビールと言うよりは下戸に優しい飲んだ気にさせてくれるビールである。
2020.07.17
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Google mapが月一回その月の行動を知らせてくれる。その軌跡はいつもの散歩経路以外に区内の病院に行くくらいで外出歴を示さない。当然ながらブログも種がなく疎遠になりがちである。そんなわけで目にする時の移ろいとしては道端の草木と夜景の変化位である。6月我が家から見え、コロナに反応するのが都庁とスカイツリーの照明であった。都庁全体のイルミネーションなのだが手前のマンションに遮られて我が家から見えるのはツインタワーの展望室の照明だけである。緊急事態宣言中、外出自粛勧告中はは両塔とも真っ赤に照明されていた。いわゆる東京アラートと言うやつだろう。第二段階に下がると青くなった。注意しながらの外出自由化されるとレインボウ照明に変わった、東棟は赤く見えるが窓の角度で我が家からは赤とオレンジが強調されているようだ。大阪の通天閣はきいろもあるよういだが都庁では見かけなかった。スカイツリーも同じような変化をする。赤は警報だろう。やはり青は警戒印だろうか。頂上のスポットに多色の照明は出来ないためだろう、何色かを替る変わる点滅させている。あまり私の好みではないがやはり下のような平時色がいいようである。
2020.07.15
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梅雨に入り気負いずくのは草花である。ルーフバルコニーの西面は冬季強風のためアクリル板を付けてあるがそこに這わせたネットにアメリカ(琉球?)朝顔が勢揃いした。正確に言うとデビューしたのは一週間ほど前だが数日は1,2輪に過ぎなかった。やはり梅雨が引き金のようだった。大輪で鮮やかな紫色、そして淡い透き通るような上品なピンク、一株だけ斑入りの白花が混じっているのは突然変異だろうか。バルコニーの南面には上品さに欠ける赤の山ユリも来た、やはり百合の花は白くなければ価値は下がる。コロナウイルスではないがこの花のわが家への経路は不明である。隣にこれも新顔で由来不明のフランネル草が一株、その色に似合わないい静かなたたずまいである。東側ベランダにも洋種朝顔が咲き始めた、階下の遊歩道が最近赤いアンツーカーに代わってしまった。以前のレンガ敷が良かったが桜木の根が張って歩道を持ち上げてしまうのでこの始末。 いずれにしてもいよいよ梅雨本番である。
2020.06.14
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カメラで撮ったた写真はほぼすべてクラウドアルバムに保存している。普段あまり気にしていないのにここ2,3か月満月前後の写真が何葉かあった。まず目に入ったのが下の写真で5月7日夕刻7時過ぎ、食事の時ふと窓外に目線を映すとほぼ水平の位置に丸いものがあった。部屋の中からカメラに収め、調べてみると14夜月であった。そういえば4月の満月は今年一番明るいスーパームーンであったことを思い出した。探してみると有りました。これが今年地球に一番近い月である。6月2日午後の散歩時に羽田空港新ルートを飛ぶ飛行機の爆音に上を見上げるとなんと白昼の月影があった。まさしく丸い薄雲の姿と見まがうばかりである。6月2日昼間の月が丸いのか下が欠けているのか発揮しないので夜を待ってカメラを向けると上弦の月は満月が近いことを知らせてくれた。そして6月7日また満月が巡ってきた。残念ながら6月の満月は水墨画の月のようでいつもどこかに雲が掛かってしまう。それでもそのおかげで赤い色がさえている。青ざめた白い月の光は昔から狂気を誘うといわれており、狼が宿るともいわれる。バイエルンの王ルードヴィッヒが入水したのも青い月が湖面に写る満月の夜と言われている。月の満ち欠けによって起こるとされる「間欠性精神病」のことを英語でLunacyといい、この語は法律用語でも「心身喪失状態」を指す語になっている。雲のかかった赤い月では気が狂いそうもない。2日後にはもうはっきりとした上が欠けた月になっていた。この日は湿気もすくなく上天に昇った月は白く煌々と輝いていた。まったく知らなかったが満月には名前があり、4月がPink Moon, 5月がFlower Moon, 6月がStrawberry Moonだそうだ。
2020.06.10
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ここ何か月かは散歩とクリニックが主な仕事である。いつもは川淵の遊歩道を登ったり下ったりしているが週末になると老若男女多くの人がランニングをしている。我が区でも270人を超えるコロナ感染者を数える中当然多くのランナーたちの中には保菌者はいるだろう。そんなことを考えつつ週末の散歩道はルートを変えてみた。もうだいぶ前のことだが私鉄の線路を高架にするとき決まり切ったように沿線住民の反対が出る。そこで都(区)は線路北側の日照を確保するため側道を作り民家と距離を置くことだ。立派な舗装道が出来てもほとんど1ブロックごとに変転する一方交通路となった。したがってこの側道は車はほとんど通らず、歩道にも人はあまり見かけない。多額の税金をつぎ込んだ結果であるが、車道を我が物顔で散歩できる。車やコロナを気にせず、風景は最低だが年寄りの散歩にはいい。こんなところにドクダミの群落が出来ている。空地にバラバラ生えているのはよく見るがここまではびこるとこれはもう市民権を得たようだ。あの嫌な臭いもここまであけっぴろげだと気にならない。やせた空き地に生えた背の低いものを刈り集め、焼いてドロドロしたものをできものに塗って膿出しをしたのはもう70年も前のことだ。毒を吐き出すのでこの名があるが、いろいろな薬効があると見えて「十薬」の名もある。よく見るとかわいい花である。次のブロックには誰かが植えたのか自生したのかいつの間にかアジサイが咲き始めていた。あじさいの花については毎年蘊蓄を垂れているので今年はよしておく。もう九州も四国も梅雨に入ってっていることを知った。関東も来週は雨になりそうだ。」最近よく見かけるようになった柏葉アジサイ、小さな宇宙船みたいである。鉄道とクロスする川に沿って少し行くと、これも梅雨時の花キンシバイの群落に出会った。大きくて美しいが確かに花の形は梅みたいである。すぐ近くにあるのがキンシバイとほとんど見わけのつかないビョウヤナギ。こうやって並べて見るると確かにはなびらの形が少し違う。知る人ぞ知る見分け方は葉の付き方、キンシバイは同じ場所から二葉同一面に伸びている。一方ビョウヤナギは交互に90ど度回転して対生している。調べてはいないが前者は花の形から、後者は葉の形からの命名ではなかろうか。
2020.06.09
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あっと気が付くと今はもう六月である。五月は花の季節とて我が家の屋上植え込みにもいろいろな花が行き交った。いつの間にかサツキが満開になっている。最初は貧弱でバラバラな形であったが、試行錯誤の俄か庭師によって40年以上かけてこの形になった。ただ大きさはほとんど40年前と同じである、しいて言えば幹は少し太くなったような気がする。 白いサツキも咲いているがこちらは40年を経ていまだこの無様な格好である。これも2、3日前から咲き始めたヘメロカリスが今を盛んである。こちらはキスゲの仲間であるが、高さは30せんちくらいで日光霧降高原や信州霧ケ峰高原のニッコウキスゲよりも小柄で花弁もちいさく、何も世話をしないのがいいのか毎年盛んに我が家を彩ってくれる律義者である。30年くらい前に箱根の湿性花園で初めて目にし、園芸店で求めたものだがそれからは毎年梅雨時前に来てくれる。そしてピンクの洋種朝顔は昨日から咲き始めた新参者、昨年散歩中の都営住宅で採種しておいたものが見事に開花した。今日の初顔は紫色で、すこし大型のアメリカ朝顔、まさしくこの一輪が今年最初のもの。明日からは数も増えそうである。これももう我が家で数年を過ごす多年草、確かにアサガオ顔でるが日本の朝顔よりはかなりどう猛でこれから秋の始まりまで咲き続ける。先週緊急宣言が解除になったと思ったらまた東京アラームがでてしまった。今夜は見通しのきかない夜で夜景もはっきりみえないがデジカメを夜間モードにすると確かに都庁の東西展望室が赤く照明されていることがわかる。テレビによるとレインボウブリッジも色を失い赤一色だそうだ。都庁には赤鬼がいるみたいで、たしかにコロナは避けるかもしれない。
2020.06.03
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コロナウイルスと戦ってくれている医療関係者には無限の感謝をささげたい。ブラウン管を通してコロナと向かい合っているだけのわが身を顧みている。昨日はこれらの医療関係者に感謝するため航空自衛隊が都心上空、とりわけ多くの患者を受け入れている病院の上空を中心にブルーインパルスを飛ばした。残念ながら我らが上空はルートから外れていたが、別の意味でそれは良かったのかもしれない。多くの動画が投稿されているが毎日新聞提供のYoutube上の画像とトラベルWatchのホームページ上の動画を拝借しよう。ブルーインパルスと言うと私はオリンピックの五色の輪を描いた印象委が深く当然多色雲と思っていたが、昨日のは6本の白い煙であったようだ。スカイツリーも感謝の照明をしていると聞いたので早速ベランダに出てハンディーカメラでズームしてみた・確かにここは塔の上部と根元をブルーに照明している。ブルーインパルスは自分の名前をすてて白い煙を撒き、スカイツリーは青にしている理由は何か意味があるのだろうか。他にも大阪通天閣、小倉城、神奈川県庁なども青色イルミネーションだそうだ。またホテルはほとんどが空室なので窓をドットにしてハート模様を描いたり感謝の文字をえがいたりそているようだ。プロ野球のチームにはスコアボードにCrap for Carerersと書いて全員で拍手をするというパフォーマンスをしているようだ。私はただ手をあわせるだけだが感謝の気持ちは変わらない。有難うございます!!!!
2020.05.30
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80有余年の人生で自身パンデミックの渦中に身を置くのは初めてである。不要不急は今の私そのものなので散歩以外に外出の機会もない。十数年前にブログを開設して以来少なくとも毎月何篇かは投稿校していたのに、一編の投稿もないまま五月ももう80時間足らずになってしまった。午後急な雨に急いで散歩を切り上げて帰ると雷を伴った大粒の雨、ややあって東の空に久方ぶりに見る大きなアーチが懸った。心眼で見ると二重のアーチである。何年か前に世界各地で虹は何色かということを考えたことがある。確かに人間の目は紫から赤までの色を見ることが出来るが、色調委は連続的に変わるのでしいて言えば無限の色があるわけだ。虹は太陽光が雨滴に反射して人間の目に到達するので、一時反射と二次反では色の順序が逆になる。多くの国で虹は4色とされているが、確かに下の写真では赤、黄、青、紫しか区別できない。そんなことを考えていると虹はあっという間に消え、夕陽で池袋の街並みが白く輝いて見えてきた。我が町の近くはまだ霧雨が残り、カメラのピンが合わない夕景色となっていた。
2020.05.28
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コロナコロンナで気が散っていたらなんと今日はもう4月の最終日Stay Home とやらでここのところ電車に乗ることもなく近所の散歩だけで過ごしてきた。振り返ってみると4月は初めのころに2編のブログを挙げただけである急いで散歩中スマホで射ておいた4月の残像を挙げてこの月を送ることにする。確か4月の満月はスーパームーンだったよな気がする、4月5日の月は黄昏を待たず、まだ行きそびれた桜の花びらを通して白く輝いていた。息子たちが卒業した中学は街中とあってファウルボールが飛び出さないように高いネットで囲まれているがそこに茂ルモッコウバラが毎年この時期になるとネットを黄色く染める。もっとも今年はネットの向うに元気な掛け声は無い。 ハルジオンとヒメジオン、区別の仕方を調べてブログした記憶があるが今はもうどれがどれだか、あるいは同じものかもしれないなどと言う心もとなさである。空地にはハナニラに似た、しかし遥かに気品のある園芸花のペンタスに似た五弁の白花が咲き乱れている。いずれがアヤメかカキツバタ、この区別もブログしたことがあるがもし論そんなことは忘却の彼方である。そういえば月初めにはまだ花だったたんぽぽも風に吹かれてもう今はほとんど柄を残すのみ。時間というものは一方に向かってしか流れ方を知らない不憫な存在。月日はまさに光陰矢の如し。どう考えても明日やもしれないわが命今年も季節の移ろいを実感できたことに感謝、感謝
2020.04.30
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今年の桜は散り際が良くない。例年より10日も早くやって来たのにぐずぐずしてまだ居座っている。小人(COVID)に脅されて動きは取れないようだ、少々みっともない。ことらも脅されてあまり外に出られない。ぼんやり外を見ているとなんと植え込みのつつじがもう満開である。両脇のさつきはさすがにまだ蕾もない。そういえばいつの間にかてゅーリップも終焉を迎えている急いではダメ、あなたの出番はこれからのはずだ!何年か前から我が家に勝手に来てくれた《水仙あやめ》葉っぱが円状ではなく南北に広がる面上に集まる習性をもつ、どこかの植物園でバナナのような大きな草がやはり南北に葉を広げ磁石代わりに使われ《旅人の樹》と言われていることを知った。そこで我が家では水仙あやめを《旅人のk樹》と呼んでいる。CIVIのせいでどこの展望台も休業中だとかそれでも我が家から見る限りスカイツリーもすクランビルスケアも客もいないのの照明だけは煌々と点灯している。盛夏が日本に到着した頃からすかいつりーの照明が少し変わった。以前は塔の先端に照明は無かったが五色の照明が付き順次入れ替わっている。多分オリンピックを意識してだろうが赤緑黄青で、あと黒を加えればオリンピックの五輪マークの色となる。さすがに漆黒の空に黒い照明は出来ないみたいである。ちなみに五輪はヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアをシンボライズしたものでクーベルタン男爵の発意だそうだ。ユーラシア大陸を二つにカウントし、南北アメリカを一つにしたのは男爵に感謝である。たださすがにコストのかかるこんな派手な署名は最近見かけなくなった。
2020.04.07
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東京の今年の桜開花は3月16日であった。それからもう3週間が経過したのにまだまだ姥桜なんてものじゃない、さすがに青春期とは言えないがまだまだ葉桜には程遠い壮年期の風情である。そしてこれからは枝垂れ桜、八重桜とまだまだ桜の季節は続く。そしてソメイヨシノと共演するのは山吹の花太田道灌ではないが八重の山吹には実が成るが一重には実がない。「七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」貧しい一家に蓑(実の)は無くとも心は豊か。一方使い捨てビニル傘は多々あれども心貧しき現代人。散歩道の川面には多くの鴨たちが泳いでいたり、お尻を空に向けた姿勢で潜り食事している。この春に生まれた若鴨たちも、もうこんなに成長している。どこか痒いのだろうか、この子は勢いよく水しぶきを上げて水浴の最中散歩ルートでは三羽のシラサギが人の目には見えない魚・虫をあさっている。片足で立ち、もう一つの足を水中でびりびりと振動させて餌を水藻から追い出す。多分大人の二羽は夫婦と思われるがいつもかなりの距離を置いて行動している。三羽目の鷺は明らかに子供で、エサ取りもたどたどしいそれどころか奇怪な行動をとる。この日は高い桜の枝にとまって動かない。長い人生で枝にとまったゴイサギはよく見かけたがシラサギが桜の枝高く留まっているのは初めて目にした光景である。大志を抱く若きシラサギに栄光あれ!!
2020.04.06
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とにかく大変な勢いである。テレビ各局も朝から晩までコロナ、コロナ、今まではこの言葉に好感を持っていた人が多かったのに一挙に悪玉になってしまった。何時までも新型と言っていられるか分からないので日本もそろそろCOVID19に慣らしておかなけれないけないだろう。桜も異常に早い時期だがコロナに引っ張られてやってきた。花見に浮かれている場合ではないがここは都心と違って花の量は多く人は少ない。今年もコロナに合わせて桜が咲いた記録を残すべく敢えて本項を残すことにする。石神井川河川敷 3月26日土曜日の人出もこの通り 3月28日人に見られなくとも務めは果たしている都心の有名な花名所にもない見事な花の下の遊歩道いつもはさえない灯篭型照明もこの時期は桜と良いハーモニー味気ない橋の欄干も何となく風情を感じる花の命は短くて 少しの風に漂う花吹雪今週は東京に爆発的感染拡大 Over Shoot が危惧される後者の言葉は市民には不評のようだ私は専門家ではないので想像ではあるが、”Over Shoot"は多分感染症の専門家から出た専門用語なのだろうバスケットボール、サッカーのリング、ゴールポストを考えてみるリングなら一度に一球、ゴールポストもキーパーは一度に1球しか対応できない。10球も100球も一度に投げ込まれたらいわゆる防御崩壊である。要するにスポーツでいえば攻撃側用語は「爆発的感染拡大」守備側から見ると「オーバーシュート」オフェンス側から用語が無かったのででデフェンス側からの用語を使ったまでであるが、専門家はあくまででデフェンス側の人たちなので当然の結果である。「爆発的感染拡大」では医療側からの観点を欠くかもしれない。厚労省の担当者も「一般的に分かりづらいのは確かだが、日本語で正確な意味を伝えにくく、適切な表現が難しい」と述べているそうだあまり目くじらたてずに両方受け入れるのが良いと思う。
2020.03.30
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先週のある日猛烈に冷え込んで鉢植えの植物が皆凍傷でやられた。ところが同じ週末は今年一番の20度近い暖気に包まれた。そんな目まぐるしい間の一日、春には信じられないような見通しの日があった。デジカメをもって玄関先の廊下に出てみるとなかなかの富士の雄姿であった。同じ場所で目を90度転じるともう一つの富士山が目に入った。左肩下がりの頂上や傾斜角度など富士山そっくりであるが雪が少ない。これも関東の名峰、日光男体山である。その日は夜も見通しばっちりでCOVID19に痛めつけられて営業中止中のスカイツリー客もなく収入もないが頑張って自己主張。営業休止と時を同じくして新しい照明が取り入れられている。従来は尖頭部の明かりがなかったので最上部の細いアンテナは見えなかったが最近ははっきり認識できるようになった。ツリー全体のイルミネーションは以前と変わらないが新しい最上部の照明は緑、赤、黄の3色を交代で勤務させている。遮るものがなく東京の町全体を俯瞰することができる渋谷スクランブルスクエアも営業しているのはわからないが、遠慮がちに照明は明るい。コロナ騒ぎで外出もままならない昨今、あまりblogが途切れるのもさみしいので家を離れることなく、簡易デジカメには実力以上のものを要求している。
2020.03.16
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昭和18年(1943)私は国民学校(今の小学校)に入学した。国語の教科書の第一ページは「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であった。当時はまずカタカナを習った。祖父なども手紙は漢字・カタカナ交じり文であった。新種コロナウイルスはパンデミックという新たなステージに入ったらしい。新種だけに治療法はどこもなく、病院と言っても根本的には病気の治療ではなく症状を和らげているだけである。一昨日ヘラ神殿の前で行われたオリンピックの採火式は実に美しいイベントではあったがギリシャ国内での聖火リレーはさっそく中止になったという。ちらりちらりと開催延期・中止の足跡が聞こえてきだした。IOCの末端理事、日本の重要メンバー、トランプさんの発言と段々周りが騒がしくなった。アドホック委員会の森さん、小池さんが断固開催と言っているのは立場上当然であるが、結果はどうなるのだろう。要は日本の事情よりも世界の事情が重視されるということだ。「コロナの陽性」が「妖精のコロナ」となって魔法の杖を振って沈めてほしいものだ。このブログを書いているこの時間のニュースで靖国神社のソメイヨシノの開花が宣言された。一昨日すでに一輪開花、昨日は2輪開花、そしてきょうは5,6輪以上で開花となった。実は私は一昨日の散歩で開花を発見していた。概して古木ほど開花が早いが、古木でも枝の先よりは太い幹から直接芽吹くのが早く開花する。この日は気温も今年一番の20度近く、空も快晴、大人の言うことを聞かずいたずらっ子が飛び出したという感じの花である。一転今日は真冬の寒さ、気温も3度でみぞれ模様となった。今夜は雪かもしれない。私が見たハシャイで飛び出した花弁はどうしていることだろう。今年の東京区部ではまだ積雪がないが、少し白いものが敷かれた方が似合うのは蕗とフキノトウ。ついでに我が家の屋上花壇に咲く春の花を探すと待雪草 スノーフレークなどと呼ばれる水仙の一種である。昔はあまり見かけなかったが花弁に緑のマークがついて実にかわいい少女を思わせる花である。一方スノードロップとほぼ時期を同じくするのがラッパ水仙、daffodil。4月中旬ともなるとイングランドの町中に黄色い花が咲き乱れて一気に春めいてくる。一春北イングランドで春を迎えたことがあるが、陰気な冬を過ごした人々は一気に活気ずく。もう一つどこから迷い込んでくれたか、ここ数年一株だけの草花が咲く。丈は10センチ余りの草で、マニュアルフォーカスがない小型カメラとてボケているが花は沖縄月見草とホタルブクロを足して2で割ったような花びらである。昨年も調べたがまだ同定には至っていない。上でみぞれが降りはじまた始めたことを記したが、数行を書き終え一杯のお茶をいただいている間に外はボタン雪になった。今晩は冷える予定なので。明日の日曜日朝の景色は真っ白かもしれない。乞うご期待である。
2020.03.14
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今我が家の花壇に咲いている春のキバナとしてキバナカタバミの他にもう一つ水仙の一種テータテートがある。テータテートはもちろん園芸種名であるが、Narcissus cyclamineus(シクラメ咲き水仙)から改良したものであるが学名を持ち、Narcissus cyclamineus Tete-a-tete である。ラッパ水仙の一種と思われ、水仙であるから当然花は皆下を向いて咲いている。下の写真で左上にちょっと見える普通の水仙に比べて背が低く花は地面に近い位置で咲いている。Tete-a-teteはフランス語(eの上に ’ がつく)で英語でいえばhead to headひそひそ話、内緒話、差し向かい(特に男女)と言う意味になるそうだ。小声でぼそぼそ話している様子は下の光景を思い出させる。ロダン作「カレーの市民」、市民を救うためにフランス王の意思に反しカレーはイングランドに降伏し、市民代表の7人が自分で首に綱をかけて降伏する。結果的にはイングランド王妃の嘆願で救命されるが悲壮な場面である。悲しい例えをしてしまったがそれは画像の構図上の例えであってテータテートの花言葉は「自己愛」「自惚れ」「再びの愛」「報われる恋」。ギリシャ神話で絶世の美男子ナルキッソスが言い寄る女神たちを皆袖にした。そこである女神が呪いをかけ、水溜りに映った自分の影を見るように仕掛けた。自分の姿に見とれた少年はついに地下に吸い込まれてしまう。その水溜りの跡に咲いたのがNarcissus【水仙】だったという訳だ。自分の美しさや聡明さに酔いしれる人をナルシストと言うのもここから。美しい物には毒がある。実は水仙は彼岸花と同類の植物で各部に同じような毒がある。ニラと間違えて食する人もあり昔から中毒事件がある。群れから離れて二人だけでひそひそ話をしているカップルがいる。恋人同士のひそひそ話は何なのだろう。聞き耳、覗き目 人は皆好奇心旺盛である。小さなカメラを地面に置いて恥ずかしそうに下を向いている恋人たちの表情を覗いてみた。カメラの不純な動機とは裏腹に彼らは実に晴れ晴れとした無垢の表情である。「ごめんなさい」。テレビは一日中COVID19が国難をももたらしたと騒いでいる。実際全国の学校に休業指令とは私は聞いたことが無い。うんざりする中何かほのぼのとした「おはなし」をと思いあえてブログって見た次第である。
2020.02.28
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テレビは朝から夜遅くまで新型コロナばかりであり、実をいうと我が家でも二人の息子がインドと深圳に閉じ込められて子供の卒業式や入学式に出られないそうだ。先々週の厳しい寒気はあったものの今年は概して暖冬でいつの間にか2月も終わりに近い。草木はウイルスには全く不感で梅や桜も2週間早い開花だそうだ。我が家でも草花がだいぶ前から春の先駆けを務めている。なぜか春先は黄花が多い。先々週の厳しい寒気はあったものの今年は概して暖冬でいつの間にか2月も終わりに近い。草木はウイルスには全く不感で梅や桜も2週間早い開花だそうだ。我が家でも草花がだいぶ前から春の先駆けを務めている。なぜか春先は黄花が多い。まずは下のオオキバナカタバミ、地を這うように広がった葉から長い花柄を伸ばして賑やかに咲いている。少しの風でそれぞれが勝手に由来でいる。揺れ方は時に激しく、時に穏やかで阿波踊りのようにも思える街を練り踊る阿波踊り一つの風にそれぞれの花は勝手に揺れている中にも、お囃子に合わせて統一した動きにも見える。徳島阿波踊り空港の阿波踊り像カタバミはその旺盛な繁殖力にあやかろうとおおくの家紋に使われてきた。幾種かのカタバミはクローバーに酷似しており、ともにハート型で、クローバーよりははるかに稀であるが四つ葉のものもあるようだ。そういえばカタバミの花ことばは「決してあなたを忘れない」とか「輝く心」「母のやさしさ」などと「愛)や「喜び」表すものが多い。フランス語やスペイン語でカタバミのことを「ハレルヤ」ともいうそうだ。キリストをたたえる祈りの言葉である「ハレルヤ」に由来するといわれる。
2020.02.26
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