ワインは色々な面で他の酒から峻別される。まずワインは基本的には皆で飲む社会的飲料だ。この点、ウイスキーなどの孤独の酒とは違う。そして伝統があり、文化があり(ブルゴーニュは UNESCO
世界遺産登録間近だ、いやもうされたのか?)世界的に作られている。その点日本酒とも全く違う。そしてワインそのものの価格、ライオールやロブマイヤー等の小道具へのこだわり、仕来り、全てエリート感満載だ。そういう意味でワイン好きの人を文化人類学的に観察してみると面白い。
ざっと、俗に言うワイン好きの人は単なるワイン好き、ワイン通、ワインオタク、そしてワインバカと分類されるように思う。勿論、例外も有るが大抵はこんなところだ。
まず単なるワイン好き。ワインと呼ばれるアルコール度13 % 程度の液体ならなら基本的に何でもオーケー(低アルコールのドイツワインは何故か混飲されない事が多いようだ)。白、赤、泡、旧世界、新世界、どれも楽しく飲め、ワイン会では多人数で産地の違うワインを混飲することが多い。日本ワインに異常な関心を持つのもこの範疇の人の特徴である。ワインそのものよりもワイン会で多人数が集まり皆で楽しい時間を送ることが主目的。主メンバーはお金と時間が有りながら reproductive age を過ぎ婚活が終わった独身、或いは子供を育て上げた有閑専業主婦。経済学的に言うと機会費用が少ない人々。群れる事で孤独感を癒すのだろう。ワインに関して、折角色々飲んでいるのだが長期記憶に留めたり、勉強して上のステップに行こうとする事例は稀。向上意識がないのだろうか、殆どのワイン好きはこの範疇に止まるように見受けられる。
二番目のカテゴリーはその次がワイン通。自称、他称二種類存在するがどちらも独身男性が多い。やたらと蘊蓄を語り、如何に自分がワインを知っているか、自分のセラーに素晴らしいワインを持っているか、或いは DRC 等の素晴らしいワインを飲んだ事やブラインドで当てた事を自慢する。即ちマウンティングだ。現地に行った経験があり、妙齢の女性が同席しているとなるとそのマウンティングパワーは倍増する。他人の持ってくるワインをエチケットで評価する一方、持ち寄りワイン会では微妙なところを持ってくる事が多く、自分のワインを貶されるとすこぶる機嫌を悪くする。持ち寄りはないワイン会では主催者のワインにケチを付ける。纏めると無知の知を知らない、傲慢、そして微妙に吝嗇な、残念な人である事が多い。
無知の知を悟り、マウンティング癖が治まって来るとワイン通も三番目のワインオタクに進化する。
(この項続く)
Intermezzo 2022/09/04
雑感 2022/05/20
PR
Calendar
Free Space
Comments
Keyword Search