というわけで、現代語訳とはそれぞれの訳者の「現代語釈」とならざるを得ないのですが、なにしろ名だたる作家や古典研究家が次々と挑戦されているわけで、それほどまでに実作者の想像力を刺激する作品だということなのでしょうか(少なくとも他の古典ではありえない現象です)。ところが、それぞれの訳にたいする厳密な評価というのが、日本ではわりあい少なくて、なかば読者に丸投げされている(そのあたり何となく商業的なニオイもしないではないのですが)。 例のA・ウェイリーの英語訳は、その訳文の完成度の評価が極めて高かったため、「The Tale of Genji」は英文学の古典に名を連ねたわけで、それ以前に何度か英訳が試みられたのはあまり知られていません。かの国では翻訳作業というのは一種の文化事業、文化移殖のような位置づけであって、この作業によって英語圏に、どのようなあらたな言語的豊かさをもたらしたか、というような捉えかたなので、商業的要素は最初から薄い(これは仏語や独語訳でもたぶん同様の考えかたであったでしょう)。