サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.01.07
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カテゴリ: 文学
 若い人からみれば、いきなり一番アタマにくる感想から入ってしまいましたが(他ならぬ私自身が、若いころ一番反発していたのが「大人になれば分かる」という、問答無用の言葉だったので)、それでも50も後半となった我が身になって考えてみれば、この物語は少なくとも「宇治十条」に関していえば、「大人にならなければ分からない」としか言いようのないものです。
 この場合の大人とは、仕事も恋愛も結婚も子育てもひととおり経験して、ふと振り返ってみれば我が身だけにこびりついている、 取り換えようのない閲歴の後味 のようなもので、これがないと薫や匂宮、なかんずくこの男たちに弄ばれる浮舟たちが繰り広げる、この人生的な地獄の絵模様というのは、おそらく真に理解しがたい。いやもっというと大人(年長けた人)でも、理解できる人は限られているのかもしれません。何も私だけが本当に分かる、などというつもりはもちろんなくて(あたりまえです)、前提条件として、取り返しのつかない一回性の時間というものを実感できるのは、人生の後半に入ってからだろうということです。
 これらは私のような卑小なたわいのない人生を送ってきた身であっても、ただただ50数年という時間がもたらした、ごく個人的な達成だの喪失だのというのは、今となっては間違いなく二度と戻ってこないだろう、再現されないだろう、という一種の痛みのような感覚であって、人によってはこれを「かけがえのない」と形容するところのものであるでしょう。

 サカリがついたように、女遊びが止められない匂宮(これ、実は悲劇なのです)、自身の出生の秘密を知っているがゆえに人生を韜晦しながらも、さりとて出家を覚悟できずに、娑婆を彷徨しつづける薫、暴行同然の不倫を強要されながらも、そこに歓びを見出している自分を発見し、千々に思い惑う浮舟、これらの登場人物たちをこうした行動に駆り立てている動因とはいったい何なのか。それはたぶん上に述べたような、今この瞬間は二度と戻ってこない、取り返しがつかない、自分たちがすべからく、 生きているがゆえに逃れようのない時間の相のもとにある 、という一種の焦燥感からきているので、これはそれらを描き出した紫式部自身の述懐でもあったでしょう。
 それにしても宇治十条における男二人と女一人の人生の軌跡の交差は対称的で、寂聴さんはそこに男に対する諦め、あるいは復讐に近い式部の執念を見出されますが、たしかに冒頭謹厳実直で聡明な薫、二代目光源氏として輝くばかりの匂宮の二人は、後半に到って相も変わらず現世の欲を断ち切れずに、修羅場をウロウロするばかり、最終的には二人とも男=オスという記号に近い存在としてしか描かれず、今にも蒸発してしまいそうです。
 かといって、浮舟が出家によって真に救いの道を見出したのかといえば、これもまた茫々たる「夢の浮橋」の最終帖の結末では実は何も分からない。円地文子さんが「宇治十条は決着していない」とおっしゃっていたというのも、またさまざまな「浮橋」以後の物語が、後世書かれたというのも無理からぬところです。

 物語が本当にここで終わっていたのか、という話は、他の「源氏物語」全体の成立論とも絡めて、これまた古来さまざまな論争があるようですが、今現実にないものをああでもないこうでもないというのは、無為な論争なのでここでは触れません。私たちは今ここにある残された「源氏物語」だけを享受するしかないので、答えも(もしそんなものがあるとして)その中から探すしかないのです。
 しかし私の率直な読後感からいえば、紫式部は輝く匂宮も世間的栄達を果たした薫も、すべからく人生という時間の相に投げ込んですましているように、浮舟もまた女=メスとして記号化されて蒸発しかかっているようにみえ、結局これは彼女が 読者全体を、茫漠たる人生の時間の相に投げ返す ように意図したようにも思えてくるのです。

― つづく ―





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Last updated  2009.01.07 14:07:05
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
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