サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.03.12
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カテゴリ: 文学
 さて、葵の上死亡後の左大臣家の様子はというと、祖母の大宮が悲嘆にくれて、寝込んでしまうのはしようがないとしても、父の左大臣の意気消沈ぶりが、多少おおげさすぎるのではないかとも思えるのですが、これはやはり彼女の死が、左大臣一族の存亡に拘わることでもあったからでしょう。
 このあたり、当時一般的な通い婚という独特の婚姻制が、影を落としているので、いくら契りを結んだとはいえ、男が通わなくなれば、たとえ子供をもうけていたとしても、嫁の一族のほうの立場は不安定になる。平安時代、系図としては男系社会なのですが、相続や子育ては基本的に嫁方(里方)が行うという、古代以来の農耕社会の母系形態が残っていて、今回のように嫁が死亡するということは、自動的に婿が通わなくなる蓋然性が高い、つまり 光源氏との縁が切れる 、という不安があるのです。
 息子(夕霧)がいるじゃないか、という話になるのですが、この後ずうっと先まで夕霧は左大臣家の祖母、大宮の元で他の娘や息子たちといっしょに育てられるので、明らかに皇族ではなく世俗代表の左大臣家の血筋を引くのです。光源氏も実子(しかも一人息子)であるにもかかわらず、案外冷めた対応をしているように見えるのは、もちろん彼自身の個人的な思い入れ(その中味はひょっとすると「源氏物語」全体の主題とも、あるいは関係してくるのかもしれませんが、今は触れません)もあるのでしょうが、当時の社会通念としてはそれほど不可解なことではなかったでしょう。
 左大臣としては、将来帝になるかもしれない光源氏に、いわば先行投資のつもりで、一人娘の葵の上を添い伏しの嫁として源氏方に送り込み、さらには息子の頭の中将を常に接近させることで、関係の強化に努めてきたわけですが、ここへ来て彼女の死亡という思わぬ事態に途方にくれている、という構図になります。

 この左大臣の不安は結局杞憂に終わるのですが、桐壺帝の信任を得て、政界に権勢を振るった左大臣としては、光源氏の胸先三寸で一族の繁栄が左右される、つまり 主導権が握れない状態 というのは、耐えられない事態だったでしょう。喪中のために長く左大臣家に逗留していた源氏方の家臣が、年が明けていっせいに引き上げていくのを見守る一族の姿には、その意気消沈ぶりが鮮やかです。引き籠っていつまでもジメジメしていられないと、源氏は桐壺院へ参上しようとする、

― 御車さし出でて、御前などまゐり集まるほど、折知り顔なる時雨(しぐれ)うちそゝぎて、木の葉さそふ風、あわたゞしう、ふきはらひたるに、御前に侍ふ人々、物、いとゞ心細くて、少し、ひまありつる袖ども、うるひわたりぬ。「世さりは、やがて、二条の院に泊り給ふべし」とて、さぶらひの人々も、「かしこにて、まち聞えむ」となるべし、おのおの、たちいづるに、…又なく物悲し。 ― 同上()筆者

 御車を引き出して、御前駆(おさき)などが参り集まる頃に、ちょうど折り知り顔の時雨が降り過ぎて、木の葉を誘う風があたりをあわただしく吹き払うと、お前にお仕えしている人々は何とも心細く、少しは乾くひまのあった袖がまた誰も皆濡れてしまうのであった。
 夜はそのまま二条の院(源氏の自邸)にお泊りになると仰せ出されたので、お側付きの人々もあちらでお待ち申し上げようというのであろう、それぞれ支度をして左大臣邸を出て行くので、…この上もなくもの悲しい。(円地文子訳、新潮文庫、()内は筆者)

― つづく ―





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Last updated  2009.03.12 16:06:40
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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