サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2009.12.24
XML
テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 さて思いのほか、例によっておしゃべりの長くなってしまった、この「玉鬘」の帖の話ですが、どうやら今回でおわりに出来そうです。
 このブログの目的は、もちろん「源氏物語」の全面訳ではなく(それなら世に数多出ている名訳があります)、はたまた逐帖的な解説でもなくて(そんな学識はもちろん私にはありません)、この長い物語を今の時代にじっくりと読んでいけば、どのように読めるのか、どのような感じを抱かせられるのか、一般に出回っている「源氏もの」の概説書や入門書の類では、どうしても食い足りないようなところを、もう少し原文に近いところまで接近して読んで行ったらどんな感じがするだろう、というのが発端でした。
 今年の初め、寂聴さんの訳で生まれて初めて完読して、思い至ったことをあれこれしゃべっているうちに、一ヶ月ほどで終わりにするつもりが、どうしても原文の響きを知りたい、実際のところ紫式部はどう書き記しているのか、といったことが気になり出して、山岸徳平さん校注の岩波文庫を読み始めたのですが、さらには今ふうの読み方をするのに円地さんの訳も参考にして読んでいるうちに、訳文すること自体の魅力が分かってきて弱っているのです。

 前にも少し触れましたが、口語訳には「創作の模倣」という魔力があるようです。今どきの作家の方やそれ以外の人々で、「源氏物語」に取り付かれるようにして口語訳に挑戦される人が次ぎ次ぎ出てくるというのは、やはりそれだけテキストに魅力があるということであり、こうしたことは他の古典ではちょっとありえないでしょう。その魅力とは紛れもなく今に蘇る人の心の生々しさであり、訳者のほとんどの人が紫式部の生の声を聞いたような感じで、口語訳されているのではないか。この場合紫式部の生々しい声とは、たぶん創作の産声に立ち会える、という魔力であるでしょう。
 私がそんな場面に遭遇できるとは、もちろん到底思っていませんが、それでも少しは今どきの世でも、読める「源氏物語」に少しでも近づきたいとは思っています。で、そうであるためには長編でよくやる急ぎ読みは最初から捨てて、むしろ長編であるがゆえにスローダウンして、できるだけゆっくり読んで行こう、というのがここ最近のこれまた少しひねくれた指向です。

 しかし現状のペースをみてみると、一年かかってやっと「玉鬘」までですから(しかも厳密にいうと、最初の方のa系物語はほとんど触れてません)、同じような調子だとあと軽く三年くらいはかかってしまいそうな気配です。このかん他にもまとまって話したい本や話題があって、簡単には「インテルメッツォ」でいくつか触れてきましたが、話せずにとうとう年を越してしまいそうな本もあります。今年の初め予告していた科学ものの本なのですが、中味が思いのほか「宇治十帖」とコラボする印象があって、いつか取り上げようと思っていたのですが、いつになるか分かりません。ヘンに焦らすのもシャクなので、ここで題名だけ挙げておきます。

― 橋元淳一郎著「時間はどこで生まれるのか」(集英社新書) ―

というのですが、いわゆる哲学者の時間論と較べて、何と明解なことか。相対性理論も量子力学もお手上げの文系人間として、それでも同じ文系の哲学的時間論よりはるかに腑に落ちるというのは、何か重大な問題を含んでいるような気もします。

 まあそれはさておき、いつか「宇治十帖」の話をするときに、この本の時間論を使おうと思っていたのですが、ご覧の調子なのでいつになるか分かりません。「宇治十帖」がおそらく時間をメインテーマに据えた物語であろうことは、ごく始めのほうで少し予告しましたが、その話はとうぶんお預けになりそうです。

 さて、この「玉鬘」の帖、初めて読んだときは、中味をまったく知らなかったということもあって、「紫式部もなかなかやるじゃないの」というぐらいの気分で、むしろ前半の筑紫での求婚譚を面白がっていたのですが、今回再読していて実はあまり面白くなかったのです。物語の味はどうやら後半の長谷寺霊験譚以降にあるようで、とすればこの帖のヒロインは右近ということになるでしょう。すっかり老女房になった右近と光源氏との微妙なやりとりの機微は、やはり紫式部ならではの筆致で、私たちを納得させるのです。

 ところで、ここまで読んできて紫式部の文章で、一つクセらしきものを感じます。彼女はどうも自然描写はあまり得意ではなかったのではないか、あるいはさしたる関心を持っていなかったのではないか、ということです。時の移り行きを、花とか紅葉などで歳時記的にたくみに取り込んでいるのですが、それらはあくまで物語進行上の道具立てであって、たとえば「万葉集」のように雄大な自然美を、そのまま感動して生々しく書き記すということはしない。
 「須磨」の情景とか、このたびの筑紫からの帰還の様子も、ハッキリ言ってお芝居の書き割り風で、読んでいて特異的な印象を残す、ということが無いのです。これはたぶん彼女が実際には須磨にも筑紫にも行ったことがなかったろう、というのが第一原因ですが(それに比較すれば、長谷寺の情景の具体的なことは、彼女が間違いなく実際に行ったであろうことを示しています)、たんに道行きの苦労ということであれば、もし彼女が父為時について越前に行ったことがあるのなら、彼女の想像力を持ってすれば、印象的な記述を残すことは、さして難しいことではなかったと思うのです。
 これは彼女が実は越前には行かなかったろう、というような詮索をしているのではなく、彼女の指向性として人智の絡まぬ自然そのものの情景には、あまり関心がなかったのではないか。彼女の恐るべき好奇心は、突出して人の心の機微にだけ向けられていて、自然の風景に心が及ぶ暇は無かったのではないか、というのが今私の抱いている感想なのですが、さて。

― 源氏1000年 「玉鬘」 おわり ―





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2009.12.24 11:51:10
コメント(0) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Archives

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01

Profile

TNサリエリ

TNサリエリ

Comments

TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

Favorite Blog

まだ登録されていません

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: