サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2010.01.07
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テーマ: 古典の日(312)
カテゴリ: 文学
 月影の冴えわたる明け方の月夜、雪はますます降り積もってきた。松風が、小高い梢から吹き降ろしてきて、興ざめしそうになるなかで、(踏歌の人々の)青色の袍(ほう、束帯の上着)が萎えかかり、かさねた白襲(しろがさね)の色あいは、これといった飾り気もないように見える。(しかし)插頭(かざし、冠に挿した花や枝)の綿飾りは、色艶もないけれど、場所柄のせいか、雅趣があって結構で、命も延びるような心地がする。源氏の殿の中将の君(夕霧)や、内大臣の君達(柏木たち)は、そのなかでもひときわ、目立って華やかであった。ほのぼのと夜が明けていくころ、雪はまだ散らついて、そぞろ寒い折りから、「竹河(催馬楽の曲名)」を謡いながら、寄り添い舞う姿、ゆかしい声々を、絵のようにも描き止めることが出来ないのは、(何とも)残念なことである。

 「男踏歌」とは、平安時代隔年ごとに行なわれた大陸由来の正月行事の由で、Yahoo辞書によれば、「足で地を踏み鳴らし、調子をとって祝歌を歌う集団歌舞。平安時代、正月十四日または十五日に、四位以下の人が催馬楽(さいばら)を歌いながら宮中から貴族の邸を巡回する行事」ということなのですが、それにしても冬のいちばん冷え込む時節柄に、夜を徹して御所から朱雀院、六条院と謡い踊り歩くとは、ずいぶん難業ですね。
 「踏歌節会」は平安時代、五節会として特に重んじられた公式行事の一つで、饗宴も伴うのですが、夜明けどきになった六条院では酒と湯漬けだけの饗応で、とにかく暖を取るのが肝心だったでしょう。

 それにしても、今どきの私たちと較べると、昔の人というのは暑さ寒さに強いというか、無頓着にさえ見えるときがありますね。京都の冬の寒さは今でもハンパじゃなくて、私など気分的には裏日本の気候感覚に近いとさえ思っている(少なくとも太平洋側の冬の気候ではありません)のですが、彼らはいっこうに気にするところがないようです。
 この時代、火鉢のような円形の火桶(ひおけ)と方形の炭櫃(すびつ)はあったようですが、炬燵などはなかったはずで、ましてエアコンやホッカイロなどあるわけもなく、家屋の構造も基本的に夏向きで風通しが良いうえに、畳なども部分的にしかなかった(床は基本的に板張り)のですから、貴人たちといえども暖はひたすら重ね着をするしかない。まして庶民たちはと想像すると、それこそ身震いしてしまいそうですが、狭い民家ならむしろカマドとか囲炉裏とかがあって、かえって暖を取る手段としては有効だったかもしれません(その代わり大量の煙と煤に覆われることは覚悟しなくてはなりません。炭は煙も煤も出ないので貴族の持ち物でした)。

 とはいえ人間というのは、相当な環境でも適応できる生き物であるようで、私自身振り返ってみても、子供時代相当貧寒な暮しをしていたと思うのですが、案外意に介さなかった記憶があります。これは環境が人とその振るまいを自在に操っている結果とも言え、逆にいえば、人はいったん楽な環境に入ってしまうと、それに際限なく過剰適応してしまう性向があるわけで、とくに今日のような寒い日だと、凍てついた明け方どきの冴え冴えとした月影など、私はとても拝む気にはなれませんね。
 イヌイットの人たちが、自分たちの住む極寒の世界ほど恵まれたところはない、と自慢するように、平安の貴族たちもまた、この生活スタイルこそ我が世の春と信じて疑わなかったのです。人の思い込みというのは、別の時や場所から見れば、ずいぶんヘンに見えて理解困難な事例はよくあるものですが、当人たちにとってはそれがごくあたりまえ、自分たちの価値観を支えるシンのようなものだったでしょう。

 それはそのまま今まさに暮らしている私たちの生活スタイルや振るまいにも言えることなので、デフレ環境が進行して日本はますます悪くなって行く、と思い込んでいる人たちは、こうした人(や生き物)の生活していくうえでの可塑性というものを、古典や地誌や生物学でもっと知ればよろしい。いちばん不幸なのは、中国に抜かれただの、アメリカに干されるだのといった、可塑性のない思い込みに囚われた、頑ななる思考態度だと思うのです。この囚われがちな思考態度とは、どうも人にだけ特有の振るまいかたであるようで、それは以前なら宗教という形で人社会を覆っていました。今の世界(とくに日本)は宗教的振るまいは表向き影を潜めていますが、それが気鮮やかに見えなくなったぶん、ヘンな具合に人の振るまいに現れることがよくあるのです。
 そのあたり宗教の衰退とナショナリズムの勃興を、宗教者と近代官僚に共通する振るまいかたに見い出して、一体で考えようとしている例の佐藤優氏の「はじめての宗教論 右巻 見えない世界の逆襲」(日本放送出版協会)は、とても面白いのですが、よろしかったら一読してみてください(ただしこの本全体は、キリスト者でない私のような読者にはちょっと難しい。問題の所在を確認するだけなら、序文のところだけで充分な感じもするので、立ち読みでもいいか?)

 時や場所を変えて見れば、ああだったこうだった、とあれこれ難癖をつけるのは後知恵で、実際にそういう環境になればなったで、人というのは(生き物は)それらに不満をかこつこともなく、それなりに(人の場合はシンを見い出して)生きていくものでしょう。
 想像力の手間を省いて、あれはおかしい、これは間違ってる、といった安直な思考に走る態度こそいちばん危ういのではないか?

 またまた話が逸れてしまいました。「初音」の帖はこの正月行事でおわり、季節が春に向かうにつれて、玉鬘の物語も少しずつ動き出すみたいですね。それにしてもおお寒!頭のなかも早く「春よ来い!」

― 源氏1000年 初音 おわり ―





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Last updated  2010.01.07 11:04:20
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TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

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