お散歩 。。。 0
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にほんブログ村 奈良ホテルで二泊目の夕食は、和食を選択。 新館5階の< 花菊 >が、会場となります。 先付 海老、烏賊、浅利のトマト風ゼリー寄席 キャベツ 磯のり風味のソース ( 磯のりの風味が効いていて、とても洒落たお味 ) 前菜 かに生姜風味煮 一寸豆 帆立貝酒煮うに和え 木の芽 ひすい梅 ( ひすい梅が、甘くてデザートみたい!!) 吸物 清汁仕立 鯵新蒸 栗麩 大根 人参 蓮芋 葱( うん~~~、この清汁の味は、関東では絶対に味わえない。さすが 関西の薄味お出汁、絶品です!! ) 造里 ヒラマサ、カンパチ、マグロの三種盛り合わせ 芽物一式 ( これは、どこでも食べられる内容で、特色なし ) 焼物 あわび酒盗風味焼き 酢立 はじかみ ( 高級食材のあわびですが、歯が悪い皇子にとっては、固くて味を 楽しめない・・しょんぼりのしょんぼり・・ ) 蒸 大和茶風味の饅頭 穴子 銀餡 とき山葵 ( かような蒸饅頭はよく出てきますが、中からアナゴが・・・ 皇子的には、オナゴのほうがよかった・・ ) 小鉢 焼き茄子胡麻浸し くこの実 煮物 炊き合わせ ( 味付けが薄味淡泊で、おくさまの南瓜煮の方が、皇子的には好き。) 酢物 牡丹海老 蛸湯引き 袱紗胡瓜 蓮根 金魚草 酢味噌ソース 留椀と御飯 奈良県産ひのひかり 香の物 味噌汁 ( こしひかりでなく、ここは大和国のまほろば、ひのひかりといネーミングが 最高!!) デザート メロン イチゴ 柏餅 ( 甘党の皇子、おくさまの柏餅まで、食べてしまいましたあ~・・・ ) 懐石料理のフルコースとはいえ、昨日のフレンチとは違い、胃にやさしい 和食ですから、翌日には残らないでしょう。 ============================ 軽井沢万平ホテルは、ブログ開始前に宿泊したので、残念乍ら滞在 記事は残っていません。 いずれにせよ、コロナを気にせず以前のように、気兼ねなく旅する事が出来る 日が、早くきて欲しいものです。 = 完 = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.20
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にほんブログ村 1泊目の夕食は、メインダイニングルーム<三笠>で、フランス料理の フルコース。 アミューズ サーモンといくらの親子丼のようなもの 前菜 ラングステイーヌ(手長エビ)と鯛のデユエット 生姜の香り スープ 人参とジャガイモのクリームスープ ( 人参の嫌いな皇子にとって、これはいけませんでしたね ) 御口直し シャーベット 魚料理 舌平目の詰め物 ホウレン草包み 雲丹を添えて シャンパン風味のソース 中に、舌平目がこのように・・・ 絶品のお味でしたあ~~!! メイン 国産牛フィレ肉のステーキ フランス産フォアグラとともに マデラソース ( 味が薄く、マデラソースのステーキとしては、悠愛倶楽部懇親会で利用して いる、清月堂の方が美味しい!! ) デザート コーヒー イタリア料理や中華料理が好きな皇子は、かような本格的フレンチは 苦手。 それでも、アミューズ・前菜・魚料理は、絶品の評価でしたあ~~!! 温泉旅館ではないので、風呂に入る楽しみもなく、汗を流してすぐ就寝。 そして翌朝6時30分という、皇子にしてはアーリー・バードで、起床したので やんす。 朝食は、下のような和食乃至洋食の選択。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.19
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にほんブログ村 2017年5月に初めて奈良に行き、奈良ホテルに宿泊しました。 その時の記事は・・・・========== 猿沢の池を廻って、三条通りを奈良ホテルへと、歩みを進めます。 25分ほど歩いたでしょうか?! やっと荒池の向こう側に、奈良ホテルが見えてきました。 お~~~、さすがクラシックホテルの佇まい!! 明治42年(1909年)に、関西の迎賓館として創業。100年の時を経ても、 当時の重厚で華麗な佇まいを、残しています。しかし興福寺の宝物館と同様に、 昔の建築物では耐震基準を満たさず、ここも営業を続けながら耐震工事が進行中。 桃山御殿風檜造りの本館は高い天井が特徴で、廊下の幅の広さには 驚かされました。 でも、スタンダード・ツインでしたが、廊下の広さの割には部屋は狭い。 夕食は、一泊目がフレンチ、二泊目を和食をお願いしましたが、さてどのような お料理が出るのでしょうね?! = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.18
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にほんブログ村 朝食もメインダイニングルーム、ザ・フジヤで。 アメリカン・ブレックファストでもよかったのですが、カニのクリームソース オムレッツが美味しそうだったので、それを含むメニューを注文しました。 サラダとフレッシュ・オレンジジュース カリフォルニア・オレンジをスクイーズしたフレッシュジュースだけに、普段の 濃縮オレンジジュースや 40%果汁とは、やはり味が違いますね。 蜂蜜ヨーグルトにフルーツ添え 濃厚な蜂蜜をヨーグルートにかけると酸味が調和され、蜂蜜の甘味とのハーモニーが 絶妙!! トースト・クロワサッサン、コーヒー デイナーの時にも書きましたが、富士屋ホテルのパンはとても美味しくて、 トーストもクロワッサンも絶品。 カニのクリームソースのオムレットとソーセージ ふわふわオムレットの中に、カニちゃんがたくさん、入っていますよ。 こんなに美味しいオムレットは、いままで食べたことがありまへん!! 大満足の朝食でした。 ところがですね・・・ 実はスイートの部屋が広すぎて、寒いのなんのって・・ 古い建造物なので暖房は、スチームによる集中暖房ですが、この時期 とまっています。寒ければエアコン暖房でとの事でしょうが、天井が高くこの 広さに対しエアコン 1個では、所詮無理な話です。 夜中に寒くて毛布をかけましたが、時すでに遅く風邪を引いてしまったようです。 予定では、芦ノ湖方面を観光して帰ろうということでしたが、調子が悪いので ホテルをチェック・アウトすると、そのまま東京に戻りました。 どうも、富士屋ホテルは鬼門のようで、昨年に続き沈没でごじゃりまする。 要は、かような高級ホテルは所詮、貧乏性の皇子に向かないということで しょうね・・ しょんぼりのしょんぼり。 ホテルの裏山にあった、水車小屋 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.15
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にほんブログ村 夕食は食堂棟の、メインダイニングルーム< ザ・フジヤ >。 格天井に描かれた 636種類の高山植物や御簾、動物の彫刻など、重厚な食堂 ですよ。 大倉製陶製のお皿には、富士山と富士屋ホテルの花御殿の絵柄が・・ アミューズ マグロのマリネ柚子風味のヴィネグレット 富士屋ホテルのパンは自家製でその味には定評があり、ホテル敷地入口にある < ピコット >でも販売されていますので、宿泊客でなくても購入出来ます。 コンソメスープ ( 天井の灯が写ってしまいましたね・・ ) 皇子のメインは、牛フィレ肉のブロシェット デイアブルソース 奥様のメインは、真鯛と帆立貝のポワレ キャベツのエチュベ添え デザートは、フロマージュブランのムースにバニラアイス添え きゃっ・・・また、プレートにハッピー・バースデーと。 皇子の降誕を祝う日本国民の喜びは大きく、こんな箱根の山の中まで・・・ そういえば、箱根旧道を運転してきた時、沿道で人々が日の丸の小旗を振って いましたね。 正月の箱根駅伝ではないのに、不思議に思ったのですが、これでガッテン・ ガッテン・・・ ローソクが立っていないので、吹き消す必要がありません。ですから、 息切れ、たちくらみもせず。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.14
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にほんブログ村 帯状疱疹発症で、当ホテルの滞在が楽しめなかったこともあり、翌年2015年 4月に、リヴェンジでまた箱根富士屋ホテルに宿泊しました。 その時の記事は・・=========== ちょうど1年前、皇子の誕生祝を兼ねて憧れの富士屋ホテルに、宿泊しました。 ところが目に激痛が走り、部屋に温泉を引いた風呂があるというのに入浴もせず、 ただただ痛みに耐えていたのでした。 翌朝即帰京して、眼科に直行。原因はわからず、目薬を処方されました。 痛みが止まらないことから他の眼科病院に行き、MRI など撮ったもののやはり 原因不明。 3日後に顔面に疱疹が発症し、初めて帯状疱疹であることが判明、即入院と なった次第です。疱疹そのものは1週間の入院・点滴治療で完治しましたが、 後遺症の顔面神経痛にいまだ悩まされいるのです。 左眉から額にかけて、引きつるような痛みがあります。風にあたっても痛く、また 雨や寒いときには痛みがひどくなります。従ってこの一年間運動・旅行も出来ず、 久しぶりの長距離ドライブの上での、再訪となりました。 昨年はこの花御殿に宿泊しました。千鳥破風付きの入母屋と校倉を模した壁が 特徴的な建物で、登録有形文化財に指定されています。 これが本館の入り口です。鳳凰の彫刻が素晴らしいですね。 さ~て、今回はどの棟に泊まるのでしょうか? 富士屋ホテルのマスコット、テデイー・ベアと看板娘が、皇子を笑顔で迎えて くれましたよ。 今回は、西洋館で皇子に相応しい、スイートをご用意したと・・・ 西洋館は 1906年( 明治39 )建てられたもので、窓は全て上げ下げ窓という、 典型的な明治期の洋館。この棟も登録有形文化財に指定されてます。左端の 二階が、宿泊したお部屋。 きゃっ・・・お部屋も広くて、天井が高いですねえ~~!! = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.13
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にほんブログ村 デイナーは17:30から、メイン・ダイニングルームで。 アミューズ 海の幸ジュレ タマネギのクリーム添え 自家製パン ポタージュスープ 牛フィレ肉ステーキ エシャロット入りポルト酒ソース 皇子の誕生日ということで、ホテル側からお祝いのメッセージが・・・ ヨーグルトムースとイチゴのシャーベット 従業員でハッピー・バースデーを歌ってくれるとの申し出でしたが、満席の館内では さすがの皇子も、これは辞退させて戴きました。 奥様とのツーショットの写真を撮ってくれて、このようなバースデーカードと ともに退席時プレゼント。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.10
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にほんブログ村 日光の金谷ホテルもそうでしたが、圧巻の建築物は富士屋ホテルも同様に 食堂棟。こちらの方が規模も大きく、登録有形文化財と近代化産業遺産に 指定されています。 富士屋ホテルの食器は大倉陶園製が使用されております。大倉は、< セーブル のブルーか、オークラのホワイトか >と言われるぐらい、色の白さ・陶磁器の 硬さ・肌のなめらかさにおいて他の追随を許さない、日本の代表的洋食器 メーカー。 そのオオクラのイヤーズ・プレートが、ダイニングルーム入口に 飾られていました。 ダイニングルーム受付 636種類の高山植物が描かれいる、格天井 怖い顔をした、トーテムポールが柱の下に置かれています。これは、従業員 が お客様に十分なサービスをしているかどうか監視している、三代目山口正造 自身を表しているものだそうです。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.09
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にほんブログ村 本館にあるチェック・イン・カウンター。マスコットのくまちゃんが、お出迎え。 チェックインは、午後3時から。 フロント・ロビーの柱に彫刻された、オナガドリ。 さすが外国人宿泊が多いホテル。ポーランド出身のボーイさんに案内されて、 お部屋へ・・ 361の< たちあおい >。 天井がとても高く、日光の金谷ホテルと同じ竹の組格子。 ( 日光金谷ホテルで泊まった部屋の天井 ) 小田急トラベルの本企画では、デラックス・ツインルームなので、金谷ホテルよりも 広いお部屋を用意してくれました。 外人用のリゾートホテルを目指した花御殿には大浴場はなく、各部屋の内風呂に すべて温泉がひいてあります。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.08
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にほんブログ村 箱根富士屋ホテルには、2014年5月と2015年4月二回泊まりました。 しかし、1回目は帯状疱疹による目の痛みで翌朝即帰京、2回目は暖房器具の 不具合で風邪をひいてしまい、どうもこのホテルは皇子にとって鬼門。 2014年5月に宿泊した、抜粋記事は・・・ 花御殿にいつか泊まりたいと思いながらも、その宿泊料金に二の足を踏んで いました。ところが小田急トラベルが、一日二部屋だけ特別料金での提供という 企画があり、それでは皇子の誕生日祝いにと。 ところが、その3日前から左目の奥に痛みが発症し、どうしたものかと思い ながらも、無理して行ったのです。案の定痛みはその夜頂点に達し、宿泊部屋の 風呂が温泉なのにもかかわらず、入浴も出来ず痛みに耐えていました。 翌朝、チェック・アウト後とんぼ返りで東京に戻って、眼科医に直行しました。 そして、 その二日後に帯状疱疹が発症し、即入院となった次第です。 富士屋ホテルの創業者は、山口仙之助。明治4年20歳で渡米し牧畜業を学び、 7頭の雄牛を購入して帰国しました。慶応義塾に入校後、福沢諭吉に国際的なホテル の必要性を説かれ、牛の売却資金を基にして、富士屋ホテルを開業したのでした。 外国人から< フラワーパレス >と呼ばれた花御殿は、この立派なお髭の三代目 山口正造が1936年に竣工。木造4階建ての千鳥破風付の入母屋と校倉を模した 壁が特徴的な寺社建築。全ての花の名前をつけた43の客室で構成されて います。 16 時から館内ツアーがあり、前述の富士屋ホテルの歴史説明や、館内の 施設概要探索が組まれていました。 寺社建築を思わせる瓦葺屋根、唐破風の建築様式の本館入口。 本館と西洋館 鎧戸付の典型的な明治期の洋館である、西洋館。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.07
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にほんブログ村 さすが130余年の歴史を誇る金谷ホテル、随所に彫刻やレトロ感覚いっぱいの 装飾品。 メインダイニングルームに飾られていた 迦陵頻伽( かりょうびんが )。 会津小荒井の< 吉田仙十良 >の作品で、材質はケヤキ、岩絵の具による彩色が 施されています。 上記 2作品も、ダイニングルームに飾られていました。日光東照宮< 三猿 > の模写でしょうか? 左甚五郎の弟子、右源五郎の作品です。 ( 笑い ) ホテル館内には、あちこちに大きな鏡がかけられています。外国人の客がメインで あったことから、身嗜みを恒に注意している彼らを、ホテル側としても意識して いたのでしょう。これは、鳥居の形をしたフレームの鏡で、とても面白いですね。 柱時計と、温度計 椅子とテーブル フロントはこんな感じ。飾られている写真は、左からヘボン博士、創業者金谷 善一郎、そしてイザベラ・バード。彼女はイギリス人でヘボン博士の紹介で、 カナヤ・カッテージ・インに宿泊し、著書< 日本奥地紀行 >の中で、 金谷家の事を紹介しました。 夜もだいぶ更けてきました。 それでは、みなさまお休みなさい。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.04
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にほんブログ村 ダイニング・ルームは、本館の二階にあります。 入口に、大正中期から戦前まで使用された、ノリタケや東洋陶器の食器が 飾られていました。 夕食は、特製日光虹鱒デイナー 。 前菜 日光湯葉と海老のサラダ ( 湯葉が日光の特産品である事を、初めて知りました ) オニオン グラタンスープ( オニオン・グラタンは大好きなスープですが、味が濃からず薄からず、絶妙の おいしさ。 ) 日光虹鱒のソテー 金谷風 メインは、虹鱒のソテー、フライ、ムニエルの中から選択出来ますが、金谷 ホテルの名物料理ということで、ソテーを註文しました。これは虹鱒をムニエル にした後、少し多めの日本酒でフラッペし、川魚の特有の匂いをまず消す そうです。 それから、醤油・バター・砂糖で味付けした、初代料理長渡部親方が考案した 料理。しかし、照り焼きのような甘い味で、期待してたものとは違いました。 やはり、淡水魚は塩焼きが一番なような気がします。 野菜サラダ( 野菜は全て、契約農家からの直仕入れとかで、フレッシュでトマトの甘みには 感激!!! ) 本日のデザート お肉料理が入っていませんので、全体に軽めのデイナーですが、さすが金谷 ホテルのお味。でも、虹鱒の選択を間違えたことが、心残り。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.03
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にほんブログ村 戦前に創業したホテルまたは戦前に建築された日本のホテル建築を称して、 クラシック・ホテルと言います。代表的なものが、 日光金谷ホテル (1873年6月開業) 富士屋ホテル(1878年7月15日開業) 軽井沢万平ホテル(1894年7月1日開業) 奈良ホテル(1909年10月17日開業) ホテルニューグランド(1927年12月1日開業) コロナ禍で昨年の2月以来、何処にも旅行に行けず、みなさんもストレス満載の 日々と推察します。 そこで、過去に泊まったクラシックホテルの記事を、抜粋再掲載しますので 少しでも旅行気分を味わって、おくんなまし。 まずは、2012年5月に宿泊した、日光金谷ホテル。 明治4年頃、アメリカ人宣教師で医者である、ヘボン博士が日光を訪れた時、 外国人向けの宿泊施設がないことから、東照宮の楽士をしていた金谷善一が 自宅に招じ入れました。 これがきっかけとなり、外国人専用のカッテージ・イン( 民宿 )を 明治6年に開業したのが、金谷ホテルの前身と言われています。 昭和10年にこの別館が竣工し、創業から数えると130余年の歴史あるホテル。 観光シーズンでもない平日であることから、予約はスタンダード・ツインで したが、ホテルが側の好意でこの別館のデラックス・ツインに、グレード・ アップしてくれました。 チェック・インが2時半ということで、館内のコーヒーショップで、キャラメル・ マキアートを飲みながら・・・ きゃっ~~!素敵なお部屋ではないですか!ピクチャー・ウインドー のように、大きな窓から外の景色が見えます。壁紙も日本的なもので、情緒 たっぷり。 当ホテルでは冬季にいまだ、スチーム方式の暖房器具を使っているそうです。 天井も木質系の素材で、外国人を意識した和洋折衷スタイルのホテル。 ホテルの説明によると、アインシュタイン博士、ヘレン・ケラー、イザベラ・ バードなど、各国の有名人がここに宿泊したようで、彼らのサインが宿帳に 残っているそうです。 窓から見える、木々の新緑が眩いばかり。 = つづく = ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2021.09.02
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にほんブログ村 最後に、栃木市に鎮座する星宮神社( ほしのみや )に、寄りました。 1432年に社殿が建てられ、五穀豊穣の守護神として、地元の人々から崇拝されて きました。 また、江戸時代になると、巴波川の船運が発展し、河岸で商売が盛んになった ことから、商売繁盛の守護神という性格も、併せ持つようになりました。 神仏習合以前、星宮神社では虚空菩薩像が、祀られていました。 虚空菩薩の乗り物がウナギであることから、御朱印を含めてウナギに まつわる神社として有名。 境内にあるのはなで牛でなく、なでうなぎ。 干支の字をなぞると、水を求めてどんな困難をも乗り越えるウナギのように、 願い事が叶うとされています。 歴代の神職さんは、ウナギは虚空菩薩の乗り物であることから、ウナギを食べない 風習が守り伝えられているというのも、面白いですね。 戴いた御朱印は、 通常御朱印 うなぎのぼりと題された特別御朱印で、体をくねらす3匹のウナギが描かれ ています。 新天皇即位記念、三面にわたって描かれた、限定御朱印 栃木ICで東北自動車道に乗り、佐野SAで名物佐野ラーメンを食べました。 縮れ太麺で、醤油薄味のラーメンですね。 以前よりチャーシューの味を向上させたとのうたい文句通り、なかなか美味しい ラーメンだと思いました。 途中ところどころ、強い雨に合うことがありましたが、暗くなる前に自宅に 戻れてホッ!! 翌日は、台風の影響で一日中風雨が吹き荒れましたので、予定を一日繰り上げて 帰京したのは、正しい選択だったと思います。 == おちまい === ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.22
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にほんブログ村 東京への帰路、東北自動車栃木ICまでの下道に、気になっていた寺社が あるので、寄ってみることとしました。 まずは、下野市にある龍興寺。 ほえ~~~!! 立派なお寺さんですね・・ それもそのはず、あの鑑真和尚開基の霊場とのこと。 唐にあった揚州龍興寺の法を移し、寺名を生雲山龍興寺として、761年に開基 したのが始まりとされています。 820年には、弘法大師・空海が逗留し、密教を伝授されたという記録も、 寺伝には残っているそうです。 山門の左右に鎮座する仁王さま。 普通は朽ち果てた像なのですが、当寺の像は随分と新しいですね!!! あらあ~~、可愛らしい小坊主さん。 本殿。 寺務所で叶札を戴きます。 そして、お札を梵字台の上にのせ、書いてある指示通り梵字をなぞり、 願い事を唱えます。 ブロトモ皆様のご多幸とご健康を、こころから願いながら、 ボロン・ボロン・ボロン。 ボロン、ボロン、オンボロロン。 うん・・・????? 戴いた御朱印は、御本尊地蔵菩薩のカラフルな書置きです。 初めての参拝者はこの御朱印ですが、参拝をかさねると薬師如来や観音 菩薩 などの、他の御朱印が授与して戴けるそうです。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.21
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にほんブログ村 二日目、朝起きて外を見ると曇。一方、テレビの天気予報では、これまでにない 大型台風が、翌日には関東を直撃すると。昨年9月御朱印行脚で京都に行った 時、ものすごい台風を経験し、ホテルに足止めをくらいました。その恐ろしさを 知っているだけに、那須に1泊して翌日帰る計画は断念。ホテルへキャンセル の連絡をしました。 益子時計の美味しい朝食をとった後、道の駅ましこに寄ってみる事と しました。 行く途中にあった、秋桜畑。 秋桜というのは、高原に咲いていてこそ綺麗だとおもうのであって、平野の畑で 満開であっても感動は薄いものですね。 最近の道の駅は何処でも、施設が綺麗でまた商品も充実しています。 お目当て岩村 和朗のコーナーがありました。 おくさまが、三人への孫へのプレゼントと買ったものが、これ・・・・ 14匹のねずみが、表面に焼かれていますね。 そして、三人で遊べるように、カード・ゲーム。 海外でもいわむらかずおは人気で、これはフランスのものの逆輸入版。 そして、自分にはつつましく、絵葉書を・・・・ == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.20
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にほんブログ村 益子時計は B&B ですから、夕食は提供しません。 そこでチェック・イン時、美味しいレストランが近くにないかと聴いたら、 茶力 経ケ坂を薦められました。 想定外に立派なレストラン。 台風の影響か、お客さんは誰もいません。 板長さんのお薦めで注文したのは、季節限定の秋御前。1日 20食限定の提供 だそうです。 思いがけない美味しさ、松茸の土瓶蒸しも食べる事が出来て、 大満足!!! 地元の人に聞かなければ、このような情報は得る事が出来ないでしょうね。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.19
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にほんブログ村 宿泊先はいつもシテイ・ホテルでしたが、今回初めてB&B ( ベッド& ブレックファースト )形式のプチホテル益子時計としました。 2001年益子に移住してきた神田智規さんが、2005年にオープン。 彼は、このホテル経営の他、益子観光協会理事や道の駅ましこの支配人も務めて います。 ホテル1階ロビーにあるトイレのライトが、自動センサーになっているん ですよ。 そこで見つけた面白いメモ・・ そして、壁には< 北の国から >の遺言書が、貼ってありました。 ホテルに併設された器ギャラリーには、益子在住若手陶芸作家の作品が、 展示されています。 陶器はとりたてて興味をひく作品はありませんでしたが、飾られていたこの絵画が とても気に入りました。 オーナーのおくさまに聞いてみると、岩村 和朗( いわむらかずお ) という絵本作家の作品だとか。岩村は芸大工芸家を卒業後36歳の時に益子町へ 移住。農業に従事しながら創作活動に励み、1983年に出版された14匹の ねずみ三世代家族の物語、<14匹のひっこし>や<14匹のあさごはん>が 大ヒット。 共に、100万冊を越えるロングセラーとなり、栃木や茨城など北関東の小学生 なら、誰もが読んだことのある童話だとか。 岩村は1998年、那須郡馬頭町( 現那珂川町 )に、< いわむらかずお 絵本の丘美術館 >を開設し、館長を務めているそうです。馬頭町は行くには 遠いと話したところ、道の駅ましこでも14匹のねずみグッズを置いている とのことで、明日道の駅に行くこととしました。 台風が上陸するというので、キャンセルが続出し本日の宿泊客は、わてら夫婦と 女性一人だったことが、翌日の朝食時に判明。 ヘルシーでアット・ホームな、朝食ですね。 ホテル敷地の隣に、日々舎というベーカリーがあります。 国産小麦と自家製酵母で作るパンとベーグルが、益子で最も人気のあるパン屋さん だそうです。 ベーグルといっても固くなく、なかはもちもちで確かに大人気のわけがわかり ました。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.18
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にほんブログ村 濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家の濱田庄司が創作の場とした 古民家や工房、作陶の参考の為に世界各国から収集した工芸品を展示した、 ミュージアム。 二号館と三号館。 工房 焼成釜 4号館 古民家。 濱田庄司館。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.17
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にほんブログ村 1966年から始まった益子陶器市は、春のゴールデンウィークと秋の11月3日 前後に、開催されます。販売店約50店舗の他、約500のテントが立並び、伝統的な 益子焼、カップや皿などの日用品・美術品が販売され、春秋合わせて約60万 人が訪れるそうです。 主要な窯元・工房や販売店が立並ぶ、城内坂通りをぶらぶら散策しました。 一番大きなショップやまに、に入ってみました。 素敵な茶器や絵皿がありますが、いまや断捨離のモメントに突入している 二人は、ジャスト・ルッキング。 こんなの、かわゆ~~~い!!! 皇子の目をとめたのは、佐伯守美の象嵌泥彩樹林作陶の数々。 疲れたので、通りの向かいにある珈琲ショップで、小休止することとしました。 お水のコップや珈琲カップ、ケーキ皿など、勿論総てが益子焼です。 甘いものを食べて元気が出た二人は、今日の最後の目的地益子参考館へと 向かいました。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.16
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にほんブログ村 拝観料300円を払うと、本堂の内陣に安置されている仏像群を拝観出来ます。 欄間の彫刻も、古色蒼然としていますね!! 内陣に入ると・・・ 正面に御本尊の、十一面観音像。 本面の頭上に、様々な表情の十一面を頂いています。 如意輪観音像。 福徳を表す如意宝珠と、知徳を表す法輪を持っておられます。 千手観音像。 千の手と千の眼をもって、衆生を救済するという、仏さま。胸の前で合掌する 二手を除いて、それぞれの持ち物を持った40本の手が、各25の救済をすると 考えられています。 こんなおもろい、仏像も・・・ 境内にあった、御神木のこうやまき。 貴重な仏像の参拝を終え、急な石段をこけぬように慎重に下り乍ら、麓の納経所 に戻りました。 笑い閻魔さまの御朱印と、廿番札所の二体の御朱印を、拝受致しました。 従来の男性の書き手に比べ、若干迫力は欠けるものの、よく描かれていると思い ます。 次は益子の街に戻り、市内を散策致します。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.15
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にほんブログ村 次に向かったのは、益子町の郊外獨鈷山(とっこさん)に位置する西明寺。 真言宗豊山派に属し、正式名称は獨鈷山普門院西明寺。 当寺の< 笑い閻魔さん >の御朱印が、コレクターの間ではちょ~~ 人気。 予約制になっていて、東京から電話すると女性がでてきて、 ( その日は笑い閻魔さま、いつもの書き手の男性がお休みなの。) ( え~~!! ) ( でも、私も練習して、最近は書けるようになったんよ。) ( 上手なの?? ) ( まあ~、失礼な・・ ) というわけで、ともかく2時のアポをとりました。 一車線の細い山道を上っていくと、駐車場と休憩所がありました。 納経所は12時~13時まで閉鎖されていますし、2時まではまだ時間があるので 休憩所獨鈷處( どっこいしょ )にて、お昼をとることとしました。 中に入ると右側に、笑い閻魔さまの額が・・ ここの手打ちそばが有名で、一日20食限定。 甘露そばというだけあって、つけ汁は甘いのですが、味は絶品!!! 納経所が開いたので、予約している旨を女性に伝えると・・ なんと獨鈷處で、お運びをされていた方。御朱印帖を預けて、それでは 参拝しましょうか・・・ ほえ~~~!! なに、この急な石段・・・ ふ~ふ~言いながら登り切り、振り返ると・・ 西明寺のご本尊は十一面観音菩薩で、坂東巡礼第20番、下野第13番の札所。 天平9年(737)行基菩薩の草創。土佐日記で知られている紀貫之の後代、 紀有麻呂によって建立されました。その紀貫之夫妻の像は現在、西明寺本堂の 奥に安置されているそうです。 楼門と三重塔( 戦国時代天文年間の建立)などは、国の重用文化財に 指定されています。 寄棟造り茅葺きで、正面三間に蔀戸をつけた簡素な建造物が、閻魔堂。 堂内には閻魔大王、善童子、悪童子、奪衣婆、地蔵尊の五体の仏像が並んで います。 この閻魔さまは、よく見ると笑っているでしょう。 どうしてなのでしょうか? 閻魔さまの横には地蔵菩薩が立っています。閻魔さまはそのお地蔵の化身と いわれます。他人のためなら地獄にも行くという、お地蔵は決して怒りません。 いつも笑みを浮かべており、その真言は「ハハハ」という笑い声。 だからその化身である閻魔さまは、笑っているというわけです。 地獄で苦しむ人のためにも、笑い続けているそうですよ。県の指定文化財と なっています。 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.14
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にほんブログ村 一時期の暑さも落ち着きましたので、久しぶり二泊三日で栃木県へと旅行を 計画。目的は焼き物の街益子と、故高見先生が開園した那須のアジア学院 訪問、そしてちょこっと御朱印行脚。 ところがよりによって、台風19号が上陸可能性大との予報で、旅行を 断念するかどうか直前まで迷いました。でも過去、事前に大騒ぎしたほどの 台風でなかったこともあり、進路次第で旅行中に最終的に判断するとして、 予定通りに出発。 第一日目、北関東自動車の真岡ICで降りて、まず向かった先は鹿島神社。 ひどい渋滞もなかったのに、東京から3時間もかかり、栃木はとお~~~い!! 鹿島神社は東北・関東地方を中心にして全国に600社あり、茨城県鹿嶋市の 鹿島神宮が総本社。多くは鹿島神宮から勧請して創建され、神宮と同じ 武甕槌命(たけみかづちのみこと)を主祭神としています。 主祭神「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」は、神代の昔天照大神の命によって 出雲の国に天降り、大国主命と話し合って日本の国を一つにまとめた神様です。 益子町の中心部に鎮座していて、勝負必勝祈願に全国各地の学校や団体、 スポ-ツ選手などの参詣の多い神社。 又、夏の祇園祭では関東の三大奇祭と呼ばれる“御神酒頂戴式”が開催され、 真夏に三升六合五勺(6.5ℓ)の燗酒を受当番町の男衆が、10名で3盃飲み干す 儀式が催行されるそうです。 本殿は普請中で参拝出来ないし、境内は予想していた以上に狭いし、ほんま しょんぼりの神社でした。 でも、目的は神社そのものでなく授与される、御朱印。 通常御朱印 秋の限定御朱印 十三夜限定御朱印 == 続く == ブログ村ランキング、参加しています。 下の画像を応援クリックしてね。 ↓ にほんブログ村
2019.10.13
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にほんブログ村 つぐないの旅も、ウイーンでの今夜が、最後の夜。 そこで、旅のフィナーレに相応しいのは、これっしかな~~~~い!! ウイーン国立歌劇場でオペラの鑑賞。 三人とも、オサレして・・・ Tーシャツとジーパンという、トランプと同じ非常識なアメリカ人観客も いましたが。 9月から6月までの上演期間に60以上の異なるオペラや、バレエの 作品で 300回以上の公演が行われます。フルタイムの歌手、ウィーン国立 バレエ団、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、コーラス、ステージオーケストラ などを擁しています。 運よく当日の演目は、モーツアルトの代表作、愛と冒険のファンタジー < 魔笛 >。 子供から大人まで楽しめるオペラとして、魔笛の上演数はどの国でも多く、 オペラファンにとっては、人気の作品です。 特に、夜の女王のコロラトゥーラによる超絶技巧アリア「 復讐の炎は地獄の ように我が心に燃え 」、パパゲーノの「おいらは鳥刺し」やパパゲーナとの 二重唱「パ・パ・パ」などの名曲が散りばめられています。 想い出をスーツケースにいっぱい詰めて、翌日帰国とあいなったので ごじゃりまする。 あとがき アルバムを整理してたら、ヨーロッパ家族旅行の写真が、三冊でてきました。 皇子がウイーンに駐在し、渡欧を楽しみにしていた家族。想定外の短期での 帰国で、彼等の落胆ぶりは・・・特に息子は・・・ そこで、皇子が企画した自由旅行を、1993年8月28~9月12日に催行 しました。 ウイーン回想録は、おくさまが保存してあったわての手紙を詠み返し、 書き起こしたものです。しかし、アルバムの写真だけから当時の記憶の糸を辿る 事は、なかなか難しい作業。お昼に何を食べたか思いだせない、現在の記憶力 ですから。 そんな旅行記ですので、もし思い違いがあったら、許してつかんさい。 また、当時は8ミリビデオで景観を撮影していたので、写真は家族の スナップショット中心。それだけに、風景だけの写真は少なく、どうしても家族が 入っているショットを、掲載せざるをえませんでした。 旅行記を書くにあたり、おくさまからは掲載差し止めの提訴。 最高裁まで争った結果、皇子の全面勝訴でした。その判決主文は・・ 26年前の画像は、今の容姿とはかけ離れており、誰が見ても 現在の個人を特定化する事は難しい。また、原告のみならず被告人も、その 男前をさらしていることから、被告人の景観描写を目的とする主張に理が ある、と認めるものである。 そういえば当時はイケメン、いまや狸オヤジという、失礼なコメントも ありましたな・・ く~~~~、許せ~~~~ん!! 煽り運転してやる!!! という理由で皆様の、おめめ汚しになったことを、最後にお詫び申し 上げます。 しかし、こうやって今思い起こしても、この旅行企画は、素晴らしい 内容だったと自画自賛!!! そこんじょそこらの、旅行代理店パック・ツアーなんて、目じゃない・・ 家族も大満足!! お金も使いましたが・・ 想い出は、プライスレス。 方向音痴のわてが、恙なく全行程を運転出来たのは、グッド・ナヴィゲーターの 我が息子がいてこそ出来たものと、改めて彼に感謝。 長らくのご購読をありがとうございました。ダンケ・シェーン!! そうだ、 ウイーン、 行こう~~~~!!! (オーストリア観光局) それにしても、ちかれたび~~~~!!! = これで終わりなのだ、ワンワン == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.28
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にほんブログ村 (4)ホーフブルク宮殿 640年にわたるハプスブルク家の、政治の中枢となった居城。 シェーンブルン宮殿が夏の離宮に対し、ここは冬の主皇宮として使用されました。 現在この中には、オーストリア連邦大統領公邸、欧州安全保障協力機構の 常設 会議会場、国立図書館、シシイ博物館、イヴェントスペースなどが置かれて います。(5)マリア・テレジア広場 王宮裏側から自然史博物館、美術史博物館に進むと、その間がマリア・テレジア 広場で、中央にマリア・テレジアの像がありました。 (6)美術史美術館 ウイーンは、音楽のみならず美術も楽しめる街。 前回紹介した、ベルヴェデール宮殿上宮の美術館では、クリムトの代表作 < 接吻 >を見学することが出来ます。 ここは、古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している、 オーストリア最大の美術館です。 豊富な絵画コレクションの中で、特にブリューゲルの作品数が世界最大。 < 子供の遊戯 > < 雪中の狩人 >などの原画を見る事が出来、感激する 事は間違いありません。 (7)シュテファン大聖堂 ウイーン中心部のランドマーク的存在が、シュテファン大聖堂。 12世紀半ばにロマネスク様式の教会として建設されたことに始まり、13世紀 から14世紀にかけてハプスブルク家のルドルフ4世の命により、建物主要部分が ゴシック様式に建て替えられました。 聖シュテファン大聖堂は、ハプスブルク家の墓所であり、モーツァルト の結婚式が行われた場所としても有名。 聖堂には、北側と南側に2本の塔が建てられており、身廊の全長は約107m、 高さ39m。 南塔は343段の螺旋階段で登れますがパスして、エレベーターを利用出来る 北塔を上りました。 大聖堂の屋根には様々な色の瓦で、オーストリア・ハンガリー帝国の 双頭の鷲、ウィーン市とオーストリアの紋章が描かれていました。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.27
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にほんブログ村 ロンドンから、ドイツへ、そしてオーストリアに入り、最終目的地ウイーン に着きました。 懐かしのウイーン・・・街の隅々まで知っていますが、おくさまと息子は初めて なので、ガイドとして市内案内を。 (1)シェーブルン宮殿 ハプスブルク家の歴代君主が、夏の離宮として使用した宮殿。宮殿と庭園群は 世界遺産に登録されています。 宮殿の外壁は金を塗る計画でしたが、当時の財政状況を勘案し、マリア・ テレジアは黄金に近い黄色にしました。このことから、テレジア・ イエローと呼ばれています。 現在公開されているのは40室程度ですが、モーツアルトがマリー・アントワネット に求婚したという、鏡の間も見学出来ます。 幅約175メートル、奥行き55メートルの宮殿の中に、全部で1441室の部屋 があります。観光客に公開されている2階部分を除いた居室は、賃貸住宅と して一般に貸し出されているというのですから、ビックリポン!!! 東西約1.2km、南北約1kmという広大な規模の、シェーンブルンの庭園は、 オーストリアを代表する名園とされています。庭園の奥小高い丘に建てられいる のが、グロリエッテと呼ばれる対プロイセン戦の勝利と戦没者慰霊の、 ギリシャ建築の記念碑。 (2)ベルヴェデーレ宮殿 1714から1716年にかけて下宮(Unteres Belvedere)、1720から1723年に かけて迎賓館である上宮(Oberes Belvedere)が建設され、これも夏の離宮。 上宮は< オーストリア・ギャラリー >で、19世紀以降のオーストリア絵画を 展示、美術史美術館に次ぐ、オーストリアで二番目に大きな美術館。下宮は < 中世とバロック美術館 >となっています。(3)ホイリゲ 夜は、グリンツイングにある、ホイリゲでウイーンの夜を楽しみました。 ホイリゲではワイングラスではなく、1/4リットルのジョッキで白ワインを 飲みます。食べ物は、チーズや自家製ハム、ソーセージやバーベキュー、サラダ などを、ビュッフェ・コーナーでセルフサービスで買ってきます。 ホイリゲにつきものの音楽を「シュランメル」といい、ヴァイオリンや アコーディオン、ギターを演奏しながら歌います。演奏してもらいたい曲を リクエストし、彼等にチップを払うのが習慣。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.26
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にほんブログ村 サンクト・ヴォルフガングからウイーンへの、道すがらに寄ったのが グムンデンとメルク。 グムンデンの街はトラウン湖の北端に接し、トラウン川が流れ込んで います。 ここの主要産業であるグムンデン陶器については、ウイーン回想録 でもご紹介致しました。 グムンドナー・ケラミック社は、オーストリア陶器生産工場としては最大で、 同社の食器がオーストリアのほぼ全家庭に浸透しているそうです。 続いて訪れたのは、メルク。 ここのメルク修道院は11世紀末に建立、ハプスブルク家の有史より古い歴史が あります。しかし、現在の建物は18世紀後半に改築されたバロック様式で、 キンキラキンもいいところで、修道院の「清貧」という言葉からは、 あまりにもかけ離れた建築物。 現在、メルク修道院では約25名の修道士が共同生活し、併設するギムナジウム (8年生の中等教育機関)には、約900名もの生徒が在籍しているそうです。 メルク修道院はマリー=アントワネットが、フランスにお輿入れする 際、道中1泊した場所としても知られています。 フレスコ画の大理石ホールを抜けると、270度ほどのパノラマを眺めることがで きる、テラスに出ます。テラスからはドナウ川が見えました。 圧巻なのは約10万冊の蔵書を有する図書室。 活版印刷が発明されるまでは総て手書きによる写本でしたが、ここには1888冊の 写本があり一部は展示されています。 ドナウ川沿いを、ウイーンに向かって車を走らせました。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.25
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にほんブログ村 サンクト・ヴォルフガングは人口約3,000人弱の小さな町。 湖畔にある可愛らしい町で、そこにある四つ星ホテル白馬亭が、今日の 宿泊先。JALのスッチーが薦めた記事を読んで、おくさまが是非と所望したので、 ウイーン事務所のNさんに予約をお願いしました。 10世紀頃に聖人ヴォルフガングが山の上から斧を投げて、落ちた場所に教会を 建て たという伝説 から、この町は巡礼の地として栄えます。15世紀には 巡礼のピークを迎え、年間2-5万人もの巡礼者 が訪れたとか。 この町を巡礼時代よりさらに有名にしているのは、「白馬亭」を舞台にした オペレッタ「白馬亭にて」(Im weissen Rossel)。コメディー調 のオペレッタで、サンク ト・ヴォルフガングや ザルツカンマーグートを題材に した歌がでてきます。ただ、ストーリー自体はレベルが低く、オペレッタとして 皇子は評価していません。 翌日、この近辺のメルヘンチックな、街並を散策しました。 町の中心には15世紀に建てられた、巡礼教会 PFARRKIRCH があります。 ミヒャエル・パッハーが 1481年に制作したゴシックの中央祭壇は、オーストリア で最も重要な文化財のひとつで、両翼に 16枚の板絵を配し、マリア戴冠、十字架 のキリスト、祝福を与える神へと上昇する木彫りの シーン は、後期ゴシック芸術 の最高傑作に数えられています。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.22
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にほんブログ村 ザルツブルク南東に、多くの湖と2000メートル級の山々が織りなす、美しい 自然の広がる一帯があります。ザルツカンマーグートと呼ばれ、 一年中観光客の絶えない景勝地です。 その中の一つ、ヴォルフガング湖は美しさで特に人気が高く、映画 『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台となった登山列車や山、オペレッタ 『白馬亭にて』の舞台になった町もあります。 というわけで、今日はこの登山列車に乗って、シャーフベルク山へ。 そして今回の旅行でおくさまから、白馬亭に是非泊まりたいとの希望が ありましたので、宿泊はそこに・・・・ ヴォルフガング湖畔の美しい町、サンクト・ヴォルフガングの 背後に見えるのがシャーフベルク。 シャーフベルクは3つの湖に囲まれた1783メートルの山で、サンクト・ヴォルフ ガングから頂上まで、シャーフベルク登山鉄道で40分ほどかけて登ります。 ほえ~~~~!!! 9月7日はまだハイシーズンなのですね。観光客が順番待ちで、わんさか待機 していますがな。 1時間半ほど待って、やっと乗車する事が出来ました。 車窓風景を眺めながら、登山電車はゴトゴトと高度を上げていきます。 眼下の湖の見える面積がだんだん大きくなり、山並に囲まれた高原の緑の絨毯が 広がる風景を楽しんでいると、山頂駅に到着。 ブンダバ~~~~~!!! 360度パノラマのその風景は、素晴らしい~~!!!の、ひとこと。 ヴォルフガング湖ばかりでなく、背後にはモント湖やアッター湖の姿を見下ろし、 遠くはダッハシュタインの氷河も見渡せます。 山頂のレストランテラス席で、お茶をしながら至福のひとときを、 過ごしたのでした。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.21
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にほんブログ村(4) ゲトライデ・ガッセ ザルツブルク旧市街地のザルツアハ川に沿うように、東西320メートルの通りが あります。これが穀物通りと呼ばれているゲトライデ・ガッセで、道幅は狭 いのですが旧市街のメインストリート。 路地が建設され始めたのは、ザルツブルクの街が司教区となった700年頃からと、 いわれています。中世の趣を残す通り沿いには、高級ファッション店や宝石店など が並び、どの店も手の込んだ美しい鉄細工の看板が設置され、人々の目を 楽しませてくれます。 父にはチロリアン・ハット、母には琥珀の指輪をここで、お買い上げ。 試しにおいらが、被ってみました。 ちょ~~~、似合わない~~~!!! (5)ミラベル宮殿 大司教ヴォルフ・デイートリヒが、1606年愛人ザロメ・アルトの為に 建てたとされている、宮殿。 おい、おい、神に仕える大司教が、愛人????? どうなっていたのかねえ~・・・ 現在はザルツブルグ市長公邸として、使用されています。 ミラベル宮殿には、美しいミラベル庭園が付設されてます。 映画サウンド・オブ・ミュージックでは、このペガサスの噴水の 周りを、ジュリー・アンドリュース演じるマリアが、子供達と一緒に ドレミの歌を歌い、踊ったところですよ。 (6)MOZART WOHNHAUS モーツアルトが1773~87年まで住んでいたところ。 ゲトライデガッセにあったのは、モーツアルトの生家ですから、このほかにも 住まいはモーットあると????? 夜は、市内のシュロースホテルのレストランに行ってみました。 この旅行記で、お料理の写真として唯一、撮られた写真でした。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.20
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にほんブログ村 今日は一日、ザルツブルク市内観光。 ザルツは「塩」、ブルクは「砦」の意味です。前章のバート・デュルンベルクで 産出される岩塩を、ハライン 市において製塩。それを、大司教から特権を与え られたラウフェン(Laufen)の船乗りたちが、ハラインからヨーロッパ各地に 送っていたそうです。 ザルツブルクはモーツアルトが、1756年に生まれてから25歳まで住んで いた処。彼の音楽を愛する世界の人々にとって、いわば巡礼地になっていま す。とりわけザルツブルク音楽祭の開催される、夏のシーズンはどこの ホテルも満員となり、モーツアルトの生家のある狭いゲトライデ通りは、混雑を 極めて動きがとれないそうです。 (1)ホーエンザルツブルク城 ホーエンザルツブルク城は、700年もの年月をかけて造られた巨大な城塞です。 街の至るところから 城を眺めることができ、まさにザルツブルクのシンボルとも 言える存在。麓からこのケーブルカーで上りましたが、世界最古の ケーブルカーだとか。 城内は広く、かつて大司教が実際に使用していた食堂や寝室などがあります。 また、ゴシック調の繊細な木彫り細工で装飾された壁が目を引く「黄金の間」、 王にふさわしい贅沢な家具で設えられた「黄金の部屋」も必見。 拷問の部屋には当時使用された、数々の拷問の道具が陳列されており、ち~~と 気味が悪い!!!展望台からはザルツブルグの街並みと、アルプスまで見渡せる 絶景のパノラマ ビューが広がっていました。(2)ザルッブルク大聖堂とドーム広場 イタリアのバロック様式を取り入れた建築で、収容人数が1万人という大聖堂。 また、ヨーロッパ最大のパイプオルガンを所蔵していることでも有名。 大聖堂の前のドーモ広場では、色々な業種の屋台が出店されていました。 ほえ~~~・・おくさまは、早速なにか買ったようですね・・・・ (3)モーツアルトの生家 「モーツァルトの生家」は、ザルツブルクで一番賑わっているゲトライゼガッセ にあります。 建物の中は博物館になっており、モーツァルトが使用したピアノ やバイオリンなどの楽器、自筆の楽譜・肖像画などが展示されています。 モーツアルトといえば1984年に制作された、映画アマデウスが思いだされ ます。 サリエリの口を通じて、トム・ハルス演じるモーツアルトの一生を描いた作品 ですが、アカデミー作品賞・監督賞・主演男優賞など8部門を独占。 モーツアルト作曲のオペラ、後宮からの誘拐、フィガロの結婚、ドン・ジョ ヴァンニ、魔笛のハイライト・シーンや、数多くの彼の曲が劇中に使用されて、 音楽ファンにはたまらない作品でしたね。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.19
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にほんブログ村 ドイツ国境近くのウンタースベルク山地の麓に、ハラインがあります。 ザルツブルク州では、ザルツブルクに次ぐ第二の都市。 古代ケルト民族の時代に、この地域で狩猟採集民が最初に塩分を含んだ 山の湧水を発見。 その何世紀も後に、ザルツブルクを支配した大司教が、利益の上がる岩塩の売買 を占有し、そこから得た莫大な富で豪奢なバロック様式の大邸宅、「レジデンツ」 を造り上げたのです。 ハラインの歴史的な岩塩坑は、1994年から観光用岩塩坑として公開される ようになりました。 ハラインの岩塩坑の歴史への旅は、まず入口で白いつなぎを着ます。 そしてトロッコ列車とは名ばかりの、これに跨って坑内へと進みます。 そして、薄暗く天井の低いトンネル内を、しばらく歩きます。 すると、これを滑ってさらに地下に行くんだと・・ 坑夫が作業場へ行く時間を縮めるという目的で、設置された滑り台。 木のレールに跨り、上半身をやや後ろに倒しながら滑り降ります。高さがある ので、暗闇の中を滑り下りるのは、ち~~~と怖い・・・ ガイドツアーも中盤に差し掛かると、今度は地底塩湖を渡るための船に 乗ります。 岩塩坑のトンネル網は全長65キロあり、今でも9階層を抜ける長さ約12キロ のトンネルを、人が通れるそうです。 1時間ほどの楽しい地底旅行を終え、今日の宿泊先へと向かいました。 人生に一度くらい、シュロスホテルに泊まりたいと言ったら、Nさんが 予約してくれたホテルがここ。 Schloss HaunspergA-5411 Oberalm bei Hallein Hammerstrasse 51 右側にあるのがチャペルで、敷地内に教会があるんですよ。 品のいいオーナーご夫婦に迎えられ、お部屋へと。 食事は朝食付きだけですが、アメリカン・ブレックファストの美味しい、 手料理が出てきました。 日本人のような、おもてなしの心を持ったオーナーご夫妻の応対に、 とてもゆったりとした気分で泊まることが出来、大満足~~~~!!!! == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.18
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にほんブログ村 皇子がミュンヘン出張時、週末に訪れその美しい佇まいに感激したのが、 ニンフェンブルク城。 1664年、フェルディナント・マリア侯が妃アーデルハイトのために、造営した 別荘がその歴史の始まり。その後19世紀半ばまでのたび重なる増改築および 庭園の造営により、現在の姿となりました。 その姿はまさに、「妖精(ニンフェ)の城(ブルク)」の名に 相応しいとは思いません?! 白鳥が浮かぶ運河の後ろに、優雅な姿を見せている左右対称のバロックの城が 本城 Hauptschloss。 南翼にある美人画ギャラリー Schönheitengalerieには、ルートヴィヒ1世が 愛した美女36人の肖像画がずらりと壁面を飾っているそうですが、時間の関係も あり今回は割愛。 翌日ドイツからオーストリアに入境しました。 ここが、ドイツとオーストリアの国境。 いよいよ、懐かしのウイーンと対面出来る日も、近づいてきましたよん。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.15
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にほんブログ村 ドイツの代表的な料理といったら、ジャガイモとソーセージ。 あえて食べたいと思う料理ではありません。そこで、息子が中華料理を食べたい というので、フランクフルトでも中華、そしてミュンヘンでも宿泊したヒルトン ホテル内にある、中華レストランに行きました。 したらなんと、そこはフランクフルトと同じ店、チェーン店だったのですよ。 海外に和食レストランはありますが、料金が高くてまずい。醤油味に飢えて いるなら、中華にしたほうがまず無難です。 今日は、ミュンヘン市内見物と郊外のニンフェンブルク城に行って、オーストリア に向かう行程です。ミュンヘンは1972年にオリンピックが開催され、ドイツでは ベルリン・ハンブルクに次ぐ、第三番目の大都市。 (1)フラウエン教会 FRAUEN KIRCHE 2本の塔の上に載った玉ねぎ型の屋根が、ミュンヘンのランドマーク。 1468~1488年に建てられ、ハレンキルヒェというドイツ特有の後期ゴシック 様式で、窓が高いことから内部はとても明るい。 (2)マリエン広場と新市庁舎 ミュンヘン旧市街は、リング状の大通りに囲まれた、旧市街の中心部がマリエン 広場。広場中央には黄金のマリア柱像が輝き、正面にあるのが新市庁舎。14年の 歳月をかけて1881年に落成した新ゴシック様式の建築で、約100mある塔の 内部は見学も可能です。 新市庁舎のドイツ最大の仕掛け時計、グロッケンシュピール Glockenspielが有名。 聖金曜日と諸聖人の日を除く毎日、11:00と12:00(3~10月のみ17:00も) に約10分間、32体の人形が動き出します。 この人形はなんと等身大。内容は、1568年のバイエルン大公の結婚式を祝う もので、騎士が馬上槍試合をしたり(勝つのは青と白の旗のバイエルン騎士!)、 ビール樽を作る職人たちが踊ったり、これは一見の価値があります。 (3)レジデンツ Residenz バイエルン王家であるヴィッテルスバッハ家の本宮殿。 内部は4つの博物館と劇場になっていますが、最も重要なのは豪華な部屋や 大広間など、かつての王宮内部がそのまま見られるようになっているレジデンツ 博物館 Residenzmuseum。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.14
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にほんブログ村 続いてはリンダーホーフ城。 ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち唯一完成した城で、1874年築城が 開始され、1878年には完成しています。 本城はヴェルサイユ宮殿内の大トリアンノン宮殿を手本にして建てられた ルネサンス様式で、建物内部はロココ様式の豪華な装飾。 庭園内の金色の女神像の噴水。 城館を出て、カスケードの奥に、ヴィーナスの洞窟があります。 ワーグナーのオペラ「タンホイザー」に出てくる、ヘーゼルベルクの ヴィーナスの洞窟をイメージした人口の鍾乳洞。 金色の貝の舟に従僕とともに乗り、ルートヴィヒ2世は本物の白鳥を連れて、 この人工湖を遊覧していたというのですから、まさに狂気の世界!!! 洞内の照明は、10分ごとに赤や緑など色が切り替わり、しばらくすると人工的 に作った滝が流れてきます。 暗い洞窟内に流れる、タンホイザー序曲を聴きながら、ルートヴィヒ 2世の幻想的な世界へと、厳かに誘われたのでした。 雨の中を今日の宿泊地、ミュンヘンに向かったのでした。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.13
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にほんブログ村 今日は、ノイシュヴァンシュタイン城とリンダホーフ城の 二つを見て、ミュンヘンまで抜ける行程。 麓のホーエンシュヴァンガウにあるチケット売場で、事前にツアーのチケットを 購入しなければなりません。お城ではチケットは販売されていないので。 ここからお城までは坂道を徒歩で上がるか、チケット売場の先にあるバス停から バスか馬車を利用するしかありません。つ~わけで、我々は馬車に乗り ました。 ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見る、ノイシュヴァンシュタイン城が 最も美しいと言われています。 本城は19世紀に、バイエルン王であったルートヴィヒ2世によって 建築されました。面白いのは、石造りではなく鉄骨組みのコンクリートおよび モルタル製で、ドイツの城館に見られる小聖堂や墓地がありません。 ルートヴィヒ2世は中世騎士道への憧れを強く抱いたようで、ワグナーの パトロンとして膨大な額の援助を彼に施し、彼の創作するオペラをこよなく 愛する、いわゆるワグネリアンでもありました。というより、狡猾なワーグナー に利用された、と言った方がいいかもしれません。 ルートヴィヒ2世はこの城の他にも、リンダーホーフ城、ヘレンキームゼー城の 建設を始めるなど、その建設費用はバイエルン政府の財政を圧迫。ルッツ首相に、 精神病で統治不能と判断され、ベルク城に軟禁されました。そして その翌日、謎の死をとげたのでした。 王がノイシュヴァンシュタイン城に居住した期間は、わずかに172日間であった との事。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.12
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にほんブログ村 御伽の国の街ローテンブルクを後にして、ロマチック街道をひたすら走ります。 < 川と草地のロマンティック >をモットーとしている、 デインケルスビュール に寄ってみました。フランケン地方南東部及び ヴェルニッツ川沿いに位置します。 ここでも素敵な木組みの建築物が・・・ 上の左から三軒目が、ドイチェス・ハウスと呼ばれている、豪壮な 多層階 建築で木彫りが施されているもの。 到着するとおくさまがまずすることは、その街のお店を覗くこと。 そしてここでは、ポーチを買いましたがな。わても負けじと、靴屋さんで スニーカーを。 気に入って日本でも長らく履いていましたが、さすがドイツ製!!!十年以上 もって最後は、歩行中に底がパカッと剥がれてしまいましたがな。 昨今の靴はブランド品でも中国製が多くなり、耐久性もなくなってしまい ましたね。 そして、アウグスブルク。 紀元前15年にローマ皇帝アウグストウスによって築かれた城にその起源をもつ ことから、ドイツで最も古い都市の一つに数えられます。 ところで、当時はまだナビなど開発されていません。 地図を見ながら運転するわけですが、極端な方向音痴の皇子が こんなこと、出来るわけがおまへん。 助手席に座った息子が、地図を見ながら右、左と指示してくれるので、彼の ナビに従って車を走らせるだけ。ところが、このナビ時々昼寝をしてしまうん ですわ。 今日の宿泊地、フュッセンに着きました。 フュッセンは海抜808メートルに位置し、バイエルン州では最も高い都市で、 市内には多くの湖があります。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.11
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にほんブログ村 ドイツ人に「最もドイツらしい」と言わしめるほど、城壁などの建造物やメルヘン な景観が、中世のままのような状態で残った街が、ローテンブルク。 日本の観光ツアーでもここでの宿泊が必ず組まれていて、日本人にもお気入りの スポットです。 入り組んだ路地や小さな公園、それを取り巻く木組み住宅といった、中世さながら のよく保存された旧市街は、まるでおとぎの国の中にいるようで、皇子も 大変気に入りました。 ローテンブルクで1番の写真撮影スポット「プレーンライン」は、城壁に 囲まれた旧市街の南側、コボルツェラー門近くのここ。左右のかわいくてカラフル な家のメルヘンな街並みと石畳の道路、奥にアーチトンネルのある塔を眺める景観 は、まるで中世のドイツにいるような感覚になるほどです。 旧市街の中心部にあるのが、マルクト広場。 市庁舎や市参事会酒宴館に囲まれ、聖ゲオルグ噴水があります。 周辺には聖 ヤコブ教会や人気レストランなどの観光スポットが集まっていることから、 ローテンブルク観光の拠点となっています。 マルクト広場に面する建物が「市庁舎」。元々は中世にゴシック様式で建造 されましたが、1501年に半分が消失し16世紀後半に再建が開始されたため、 広場に面する主要な庁舎はルネサンス様式となっています。 ローテンブルクは全長約4.2kmに渡って「城壁」に囲まれています。 ところどころにある塔や門から自由に登って、散策できました。 ローテンブルクでみつけた、可愛いお店がケーテ・ウォルファルト 本店クリスマスビレッジ。 一年中いつでも、3万点以上の伝統的なクリスマスの飾りを、取り揃えています。 1981年にオープンし、世界中から多くの観光客が訪れるようになりました。 ケーテ・ウォルファルトのオリジナル商品は、ローテンブルクにある「ローテン ブルガー・クリスマス工房」で作られ、総てが手塗りの人形のオーナメントだ そうです。 ここで皇子が思わず買ってしまった、木製のオルゴール。 どえりゃ~、高かったあ~~~!!! == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.08
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にほんブログ村 ハイデルベルクから東に約58キロ走ると、モースバッハという街があり ます。ネッカー=オーデンヴァルト郡の郡庁所在地で、同郡の最大都市。 マルクト広場にある木組みの建築物が有名で、中でも1610年に建造された 木組み建築であるパルムシェ・ハウスは、この街を象徴する建築物。この建物の 角柱にある、『ナイトコプフ』は特筆に値します。 マルクト広場に面しては、さらに塔を持つ市庁舎やゴシック様式のシュテイフト 教会があります。この教会の現存する最も古い部分は、1370年頃に建設された そうです。 今日の宿泊地ローテンブルクまでの途中には、可愛らしい街並の都市が いくつもありました。 その一つの、ランゲンブルク。人口、わずか2000人弱の小都市です。 みなさんもお気づきのように、いわゆるバイエルン州西端部を南北に貫く 観光道路、< ロマンチック街道 >を走っているわけです。 ヴュルツブルクからフュッセンまで366キロにわたり、中世都市や美しい城や 世界遺産など、多くの見どころが点在しています。 あまりにも見どころが多く、その都度車を停めては見学しましたので、 ローテンブルクに着いた時は、街頭の灯りがともされていました。 城門をくぐって街の中に入ると、宿泊先のホテルがなかなか見つからない。 わからないドイツ語で聞いてみても、その返事がわかるはずもなく、グルグル 街内を走りまわって、やっと見つけたのでした。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.07
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にほんブログ村 フランクフルトでレンタカーをして、ハイデルベルクに向かいました。 ベンツに乗りたかったのですが、レンタル・フィーがバカ高く、OPEL OMEG で我慢。 知識人のはしくれとして、皇子がドイツで訪れたかった街が、ハイデルベルグ。 ライン川とネッカー川の合流点近くにあり、ドイツで最も古い大学ループレヒト= カールス大学の所在地として、知られている街です。 まずは、ドイツで最も有名な城址として知られている、ハイデルベルク城 に行ってみました。ケーニヒシュトゥールの北斜面、渓谷から80mの高さに 位置し、街の風景全体をそこから見渡されるからです。 緩やかな傾斜の中庭を囲んで、ロマネスク・ゴシック・ルネサンスなど、様々な 建築様式の古い城館が立並んでいます。 城内では大きなワイン樽が保管されており、ここでもまたドイツの白ワインの 試飲販売をやっていました。 試飲したグラスは、記念に持ち帰ることが出来るので、おくさまが早速グビグビ と。 まず~~~い!!と言いながら。 だから言ったでしょうが!!! 皇子は、運転手なのでグラスを掲げて、記念撮影だけ。 ハイデルベルクから東へ19キロ走ると、保養地として有名なヒルシュ ホルンがあります。 ここはネッカー川の湾曲部に位置し、周囲はオーデンヴァルトの森に囲まれた 高台。そこにあるシュロス・ホテルでお昼をとることにしました。 26年前ですから、まだブログなどやっておらず、料理の写真などを撮る 習慣はありませんでした。 記憶をたどってみても、ここで何を食べたのか、どうしても思いだせないのです。 当然ですよね。 今日のお昼、何を食べたかも思い出せない、記憶力の劣化なのですか・・ しょんぼりの、しょんぼり。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.06
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にほんブログ村 ロンドンから夜遅く、ドイツのフランクフルトに到着。 今度は、ホテルに予約がきちんと入っていて、ホッ~~~!! 正式名、フランクフルト・アム・マインは人口72万人を超える ヘッセン州の最大の都市で、ドイツ全体でもベルリン、ハンブルク、ミュンヘン、 ケルンに次ぐ、第五の都市。 翌日、GRAY LINE の現地ツアー< DAY TOUR ON THE RHINE >、 ライン川下りクルーズに参加しました。 ライン川は全長1,233キロにも及び、中流域にあたるビンゲンからコブレンツ までの65キロは世界遺産に登録されています。その中でも、伝説の岩 < ローレイライ >の謂れは、ドイツに行った事がない人でも、知って いますよね。 フランクフルトからツアーバスでリューデスハイムまで行き、そこで ライン川下りの観光船に乗船します。リューデスハイムから終点ザンクト・ ゴアールハウゼンまでは、1時間40分の船旅。 起点となるリューデスハイムは、ドイツ有数の白ワインの産地。 150mほどの狭い< つぐみ横丁 >にはワイン酒場が並んでいました。 それではと、試飲しましたが・・・ ( 甘い~~~~!!! こんなの、ワインではおまへん。) ドイツワインは甘味が強く、フレンチワインの味に慣れている我々には、 ち~~と無理です。下戸のソムリエ皇子が言うんだから、 間違いなし!! それでは、ライン川クルーズに乗船しましょうかね・・・ 川の両岸には、古城や中世の街並みが点在し、30以上の古城や城址を 見る事が出来ます。 ビンゲン中世の女予言者ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの建てた女子修道院があったライン川河畔の町。 ローレライザンクト・ゴアールの対岸にそそり立つ高さ約132mの岩壁。川幅が狭く、水深も深く、船乗りに恐れられた難所です。 ザンクト・ゴアールローレライの下流にある町。シュロスホテルは13世紀に建てられた要塞を改装した古城ホテルとして人気。 ザンクト・ゴアール・ハウゼンザンクト・ゴアールの対岸の町。背後にそびえるネコ城は、カッツェネルンボーゲン伯爵が14世紀に建築船酔いか、それとも先ほど飲んだワインの影響か・・・なんだか、まわりがぐるぐる回りはじめましたがな。終点ザンクト・ゴアールハウゼンに向かえに来ていたツアーバスに乗って、フランクフルトへ戻ったのでした。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.05
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にほんブログ村 弊社のロンドンの店には、東京で上司だったM氏が資材部長として、赴任して いました。 住いがあの高級住宅街、メイフェアって聞いて、びっくらこきましたがな。 こちとら遊びでロンドンに来ているのですが、一応上司にご挨拶ということで、 彼の自宅を訪ねました。 メイフエア地区は、西はハイド・パーク、北はオックスフォード・ストリート、 東をリージェント・ストリート、南をピカデリーに囲まれた、ロンドン随一の 高級住宅街。 ミュージカル映画< MY FAIR LADY >の題名は、このメイフェアレデイ (MAYFAIR LADY ) を訛りでもじったものだそうです。 渡英前に、日本からのお土産に何がいいか?聞いたところ、柔らかい食パンと アンパンが欲しいと。イギリスではパンが硬くて美味しくなく、日本のパンが どうしても食べたいと言うのです。 つぶれたらなんの意味もなさないので、手持ちで機内に持ち込みました。 アンパン何十個というのも、結構な重さであった事を、記憶しています。 彼は、バツイチでしたが、海外出張時のフライトで、出逢ったスッチ~と 再婚。まさに、このロンドンが新婚生活の場所となったのです。 機内で彼女に足を踏まれ、これを機会にコアラのマーチを彼があげた ことが、なりそめとなったと。 この話が、東京で有名となり、独身部下が海外出張時には、必ずアイル ( 通路側 )の席に座ります。そして、わざと足をスッチーに踏ませて、 コアラのマーチを彼女にあげることが、流行りました。 しかしその後、スッチーとめでたく華燭の縁に至ったという話は、聞いた ことがありましぇ~~ん。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.04
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にほんブログ村 バッキンガム宮殿といえば、なんといっても衛兵の交代式。 これを見学したいがために、数時間前からベストポジション確保にかけつける、 観光客もいます。 バッキンガム宮殿の衛兵交代式は、原則的に4~7月は毎日、それ以外の期間は 1日おきに行われています。衛兵交代式はバッキンガム宮殿の前庭にて11:30 から行われますが、大きな見どころである衛兵の行進は11:15にスタート することから、その前に必ず到着する必要があります。 行進する衛兵に従い、写真を撮っていた皇子。 ふと見ると、おくさまも息子も、いにゃ~~い!! しかも、参加していたツアー・ガイドさんも、見当たりません。 これはひょっとして、まずくありませんか??? わては、はぐれてしまったのです。 集合場所にも戻っても、バスは待機しておらず、そこに二人もいません。 イギリスと日本のツアーの大きな違いは、自己責任で行動するということ。 日本では、観光スポットで集合時間に、必ず遅刻する人がいます。この場合、 ツアーバスはその人が現れるまで出発しませんし、なかなか出現しなければ ガイドさんは、大慌てで探しにいきます。 ところが、イギリスでは集合場所で出発時間になると、参加者数再確認 をガイドさんがするわけでもなく、バスはそのまま発車してしまいます。 出発時間に遅れた人間が悪いとして、そのまま置き去りにしていってしまう わけです。 次の観光スポットはわかっていたので、タクシーを拾いあわててそこに行き、 三人はめだたく再会できたのでしたが・・・・ 二人もガイドさんから迷子になってしまい、指定の場所に戻ったけれど、 バスが駐車していなくて、焦りまくったそうです。そこは駐停車禁止の場所 なので、集合時間までバスは来ないことが、後でわかったと。 それもこれも、イギリスではツアーガイドさんがカラフルな折り畳み傘を 目印にさせ、一行を案内するシステムになっているからです。日本では、ツアー 会社の旗をガイドさんがかかげるので、わかりやすいですよね。 ところが、バッキンガム宮殿のような、多くのツアー客が集まる場所では、 たくさんの折り畳み傘が花開いています。自分のガイドさんの傘が、花柄なのか 縞柄なのかの判別は、そんな雑踏の中では極めて難しいのです。 イギリス人は傘を使用する事を嫌う国民性からして、なして団体ツアーの 目印が折り畳み傘なのか、全く理解出来ないシステムと思いました。 == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.03
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にほんブログ村 ウイーン駐在が1年という、不完全燃焼のまま帰任となった皇子。 ガッカリポンと、その意気消沈たるや・・ ところが傷口に塩を塗るがごとく、わが息子の怒りがわてに向かって・・・ 夏休みにウイーンに遊びに行くと、彼は楽しみにしていただけに。 ( なんやねん・・・とうちゃん、いいかげんにしや~~!!初めての訪欧で、 おいら楽しみにしてたんねん。テルテル坊主を、毎日軒下に吊り下げて いたのに~~・・ ) と言われても、こればかりは会社の判断であって、どうにもなりまへん。 そんなある日、ウイーン事務所でお世話になったNさんより、あの憎き所長が 現地社員からのパワハラ告発で、解任になったとの報せが入りました。 んだば、家族へのつぐないの旅として、ヨーロッパ旅行を するかと・・・イギリス・ドイツそしてオーストリアへの・・ 皇子の作ったスケヂュールにそって、ホテルの予約をNさんがウイーンから、 総てやってくれました。 最初の宿泊地が、ロンドン。 ところが、旅のしょっぱなから、トラブル発生。チェックインの為に、フロント に行くと、予約が入っていないというのです。 N氏からもらった、予約確認のテレックスを見せても、入っていないものは 入っていないと。その態度が非常に横柄で、明らかに有色人種に対する差別が、 ミエミエ。 押し問答の末、ついにキレた皇子は・・・ ( いいかげんにしろや~~!! こちとら数か月前から予約入れているのに・・ どたまかちわったろか~~!! ) と。 英語では難しい表現だったので、日本語で・・・・ この剣幕に怖れたのか、ぶちぶち言いながら、ある部屋に通されました。 ところが・・・ なんと、なんと、狭い屋根裏の部屋・・・ メイドさんの住み込み用でないの????? 正規料金で、これはないんじゃないと、また怒りが爆発。 しかし、長距離フライトで到着した後だけに、これ以上喧嘩をするエネルギー もなく、眠りについたのでした。 朝食は、日本食が選択出来るというので、前夜予約しておきました。 これからは、当然洋食が続くものだと思って・・・ ところが、出てた来たものを見て、目がテンテンテン・・・・ おつむ、テンテンテン・・・ アジノ干物、ご飯、お味噌汁と見かけは、日本食のよう・・・ ところが、ご飯はおかゆのようにグチャグチャ、味噌汁は当然粉末を溶かした もので且つぬるい・・アジノ干物というか、生の鯵が干からびたものなのか、 よくわからない味の鯵。 こんなまずい日本食は、これまでの長い人生において、食べたことはあり もはん!!! 昨夜から相次ぐ不愉快な事件は、ひとまず置いといて・・ GREY LINEの現地ツアー< THE LONDON EXPERIENCE >に 申し込みました。ガイドさんは当然イギリス人で、英語の観光案内が車中に 流れます。 お決まりの観光スポット、ウエストミンスター宮殿・国会 議事堂や ロンドン塔、タワー・ブリッジや セントポール大聖堂を見て、バッキンガム・宮殿に 着きました。 さすが、ロンドン一の観光スポット。 宮殿の前には、観光バスがずらっと並んでおり、ツアー観光客がワンサカ・ ワンサカ・・ これでは、迷子になりかねません。 ということで、トラブル発生!!!・・・ == 続く == ブログ村ランキング参加しています。 下の画像を応援クリックしてね ↓ にほんブログ村
2019.08.02
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