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こんにちは、昨夜の女子フイギュア世界選手権、浅田真央選手3度目の選手権優勝 を飾りました。オリンピックで出来なかったショート、フリーをミスなく滑りきるという目標 を達成しました。表彰式の前には佐藤信夫コーチに金メダルをかけ、そしてコストナー のコーチをしているローリー・ニコルさんに祝福されます。ソチオリンピックでのショート での失敗で唯一心残りだったローリーさんへの恩返し、見事に歴代の最高得点の演技 をローリーさんに見せることが出来ました。 今日は北海道阿寒郡鶴居村のタンチョウを紹介します。 ここは鶴居村の二大給餌場の一つ、鶴見台です。 給餌人の渡部トメさんです。ここは昭和38年頃、付近の小学校に冬になるとタンチョウ が集まり、先生と児童が給餌したことが始まりです。昭和49年に小学校が廃校となり 近くに住んでいた渡部トメさんが意思を引き継ぎ、給餌を続けています。 白鳥もタンチョウに混じり餌をついばんでいます。トメさんの話では白鳥のことを困った もんだと言っていました。トメさんが行くと怒るものだからそばに寄ってこないそうです。 やはりタンチョウは飛んでいる姿が美しいですね。 つがいのダンスです。繁殖期になると求愛ダンスがあちこちで見られます。 タンチョウは一夫一妻制とのことです。 こちらがタンチョウのねぐらとなっている雪裡川に架かる音羽橋です。この橋からねぐら の様子を撮影できます。右側が歩道となっておりシーズンにはカメラの三脚が並びます。 雪裡川です。この川の中で片足で眠ります。これは外敵に襲われないためだそうです。 冬の寒さの厳しい朝方は川の朝もやの中、幻想的なシーンが見られます。 それでは今日はこの辺で、次回はまだ未定です。何がアップされるか いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。 お楽しみに !!!
2014.03.30
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こんにちは、今日は3月23日に行われた帯広市のばんえい競馬の模様をお贈り します。 帯広市ばんえい競馬場、ばんえい十勝です。 こちらが観戦スタンドです。まだ出走前なので中で予想し、馬券を購入しています。 北海道池田高校の吹奏楽部の生徒さんが東日本大震災の募金活動で演奏していま した。 こちらがパドックです。出走馬の状態を観察出来ます。みんな力強く見えます。 見る人が見れば分かるのでしょうか? 出走ゲートに収まり整列する騎手達です。 いよいよ出走です。勢いよく一斉に飛び出します。 坂の障害は二つあり、まずは第1障害に向かいます。まだ横一線です。 第1障害ではまだまだ余力があり、力強く乗り越えて行きます。 第2障害になるとかなり体力を消耗しておりなかなか坂を越えられません。休んで力を 貯めて一気に駆け上がろうと懸命です。 もう一歩です。後続も近づいて来ました。騎手も懸命です。 第2障害を越えると後はゴールを目指します。ゴール寸前で止まってしまう馬もいる ので最後まで目が離せません。馬券を買っている人は馬と一緒にゴールまで走り、 応援します。 今日の入場者数は約4600人とのことでした。馬券はインターネットや場外馬券場でも購入 出来るのですが、やはりばん場の魅力は馬のすぐ近くで馬と一緒になって走ることが出来る 面白さだと思います。 ばんえい競馬は明治時代に北海道の厳しい暮らしの中から生まれ、当初は馬の価値や力 を試す競争として始まりました。明治の終わり頃からソリに過重をかけて引かせる方法に なり農耕馬の祭典として定着していきました。 昭和21年より都道府県が主催とする公営競馬となり、昭和28年から市が運営するようになり ました。当時旭川、帯広、北見、岩見沢の4ヶ所に競馬場がありましたが、平成19年に旭川、 北見、岩見沢市が撤退して帯広市による単独開催となりました。また平成16年には北海道の 馬文化として北海道遺産に選定されており文化的価値が見直されています。厳しい運営が続 いているようですが何とか存続していけるように応援していきたいと思っています。 それでは今日はこの辺で、次回は北海道阿寒郡鶴居村のタンチョウをお贈りします。 お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.27
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こんにちは、今日は十勝岳連峰の模様と凌雲閣温泉の後にいった吹上温泉保養センター 白銀荘を紹介します。 こちらが露天風呂からも見えた上ホロカメットク山です。凌雲閣の裏手です。 荒々しい岩肌が見えます。 こちらが写真を撮った場所の足元です。凌雲閣の裏手ですぐ険しい崖となっており 谷底です。 右手に見える山が富良野岳です。雲が掛かっていなければ本当にきれいだと思います。 昨年の11月に来た時には天気は大変良かったのですが、とにかく駐車場は車と人が一杯 で身動きがとれる状況じゃなかったのですぐに引き返しこのような写真は撮れませんでした。 あの時は帰ってから上ホロカメットク山での遭難事故を知り、おそらく捜索の人達や報道関係 の人達で一杯だったのではと思います。 こちらが凌雲閣から見た上富良野の町です。 こちらが吹上温泉、白銀荘です。凌雲閣温泉の手前の美瑛の白銀温泉へ向かう道路 を1kmほど走った所にあります。この道路は冬の間通行止めとなっておりこの白銀荘 で行き止まりとなっています。駐車場にはたくさんの車があり、さすがに温泉の中の撮影 は無理と思い、カメラは車においてゆっくり温泉を楽しむことにしました。こちらも源泉 100%の天然温泉ですが色は透明でした。露天風呂からは残念ながら山の景色は見え ませんでしたが、温度も高く澄んだ空気も気持ち良くゆっくりと温泉を味わいました。 男女それぞれ4つの露天風呂があり、また水着着用の混浴露天風呂もありました。中の 温泉はヒバの浴槽や打たせ湯、岩風呂、サウナ室があります。またここは自炊専用の 宿泊施設となっていますので泊まる時には食事を作る準備が必要です。調理器具や食器 は備付のものを利用できますが、箸や食材は自分で用意する必要があります。 こちらがこの日の十勝岳です。雲が掛かっています。 こちらが去年の11月に来た時の吹上温泉の駐車場から撮った噴煙を上げる十勝岳の 写真です。この日は雲一つない本当にいい天気でした。青空はいい写真が撮れます。 それでは今日はこの辺で、次回は帯広市のばんえい競馬の模様をお贈りします。 お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.24
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こんにちは、楽天社員による楽天市場での二重価格表示指示が報道されています。 元値を上げ、そこから値引きしたように見せかけ販売するという手口を商店に指示 していたとのことです。以前の楽天イーグルス優勝の時には、店側が勝手にやった こととしており、楽天社員の関与はなかったとされていますが、これも楽天側の指示 による疑いがあります。私も楽天市場で色々買い物をしていますが、変な商店はない だろうと思って購入していました。しかし楽天側が主導していたとすると、これは大変 な問題です。信用を失うのは一瞬ですが信用を取り戻すのには容易なことではあり ません。もちろんネット上の取引には危険な側面があることは否定出来ません。でも だからこそ信頼出来る商店を大事にしたいと、楽天だから安心して取引が出来ると そう思ってきました。今回の事件はそんな信頼を裏切る行為です。楽天さんには猛省 を促し信頼の回復に努めてほしいと思います。楽天ブログを使わせてもらっています が、「何だ問題の楽天か」と言われることがないようにしてほしい、そう願います。 さて今日は先日、大変天気が良く、久しぶりに十勝岳に出掛けて来ました。十勝岳の ふもと十勝岳温泉の凌雲閣と吹上温泉に入ってきましたのでその模様をお贈りします。 こちらが標高1280mの北海道で一番高地にある温泉宿「凌雲閣」です。前回来た 時にはとにかく人が一杯で写真を撮るどころではなく早々に引き揚げましたが今回 はゆっくりと撮ることが出来ました。 凌雲閣の裏手です。かみふらの八景の山の風景が見られます。まだちょっと雲が多かった ので先に温泉に入ることにしました。 こちらが凌雲閣さんの玄関です。まだまだ雪が多いです。 さすがに温泉の中ではお客さんがいて写真は撮れないだろうと思いつつ、一応カメラ は持って脱衣所に行きました。一人入浴していた方がいましたがちょうど出るところで 入れ替わりとなりました。他に入浴客がいないのを確認し、急いでカメラを持って中へ 入りすばやくシャッターを切りました。こちらは入ってすぐの浴場です。浴槽の半分を大 きな岩石が鎮座しています。おそらくこのままの地形に温泉宿を建築したのでは思いま す。温泉の色は濃い茶色で源泉です。タオルを浸けると色が変色してしまいます。 この後ろにはサウナ風呂があります。 こちらが浴場奥にある露天風呂です。温泉の色は同じです。 こちらが露天風呂から見える山の景色です。ちょっと雲が掛かっていますが大変 綺麗です。もし雲がなければ素晴らしい眺望だと思います。お客さんが入って来る 前にと早々に撮影を切り上げ、この雄大な景色の中でゆっくりと温泉に浸かって 来ました。平日の月曜日ということもあり結局私が出るまで入ってくる人はいません でした。 それでは今日はこの辺で、次回は外から撮った十勝岳連峰の雄大な景色をお贈り します。 どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.20
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こんにちは、またまたやってくれました高梨沙羅選手、スウエーデン ファルンでの ワールドカップ第17戦、優勝です。これでソチ後、4連勝、今季14勝、通算勝利を 23勝としました。2位には今季大変力をつけた伊藤有希選手で、初めてのワン・ツー フイニッシュです。 今日はソチオリンピックの今まで紹介していなかった選手をお贈りしたいと思います。 残念ながらメダルはならなかった高梨沙羅選手です。ワールドカップでは圧倒的な 強さの沙羅選手でしたが、やはり初めてのオリンピック、いつもとは違った精神状態 だった思います。結果がだせず申し訳ない気持ちを現していました。そして4年後ま でにレベルアップしてオリンピックの舞台に戻ってきたいと決意しています。 次の舞台ではラージヒルも団体戦も種目となると思います。それまでメダルは預けて おきましょう。 男子ハーフパイプで見事銀メダルを獲得した平野歩夢選手(15)と銅メダルの平岡卓 選手(18)です。平岡選手は2010、2011年の世界ジュニア選手権で連覇しており12才 でプロスノーボーダー入りしています。平野選手は何と小学4年でスノーボードメーカー のバートンとプロ契約を結んでいます。そして2010、2011年のUSオープンジュニア ジャムで連覇しています。2013年には優勝2回と準優勝1回を挙げています。 日本で唯一の金メダルを獲得した羽生結弦選手(19)です。尊敬している選手はロシア のプルシェンコ選手で、彼もまた羽生選手を高く評価しており、「私は彼のヒーローだった かも知れないが、いまでは彼が私のヒーローだ」と最大の賛辞を贈っています。そして これからは彼の時代であると明言しています。 昨年の大怪我から立ち直り、これで最後と臨んだオリンピック。残念ながら6位とメダル には届きませんでしたが、納得のいく満足な滑りだったと思います。心のこもった滑りで 大変印象に残る素晴らしいスケーティングでした。 町田樹選手です。浅田選手と同様にショートプログラムを11位と出遅れ、フリーで巻き 返し、5位とメダルまでもう一歩でした。高橋選手に憧れ、高校、大学と同じ道を歩んで います。彼の言葉は哲学的で氷上の哲学者と呼ばれています。 スノーボード女子パラレル大回転で見事銀メダルを獲得した竹内智香選手です。 彼女は日本ではまだ歴史が浅いスノーボード競技の環境に限界を感じ、世界の チームに練習に参加させてほしいと打診しますが全て断られます。 その中でスイスナショナルチームがその熱意に参加を承諾します。23才から28才 までをこのスイスを拠点として活躍しています。 2010年までは日本ではマイナー競技であった為、支援企業がなく10社以上から断られ 無所属でした。この年、広島テレビが支援に名乗りをあげ、自らが企画した「ワールドスノー ボードフェスティバル」に海外から競技を通じて知り合った選手達が自費でこのイベントに 参加してくれて2011、2012年と2年連続開催を成し遂げました。そして2011年に企業 イメージの向上に繋がると広島ガスが専属契約を結びます。そして彼女のためにスキー部 が創部されました。ソチでは見事銀メダルを獲得した彼女ですが、金メダルを獲れなかった ことは残念、でもこれでスノーボードアルペンという競技が日本でも知られたことが良かった と、そしてこれを機会に後に続く選手が私のように遠回りをすることないように環境が出来る ようになればといっています。また自身もこれから競技を続けながらジュニアの指導、育成 などで恩を返して行きたいといっています。 ノルディックスキー複合(ノーマルヒル、距離10km)個人で見事銀メダルを獲得した 渡辺暁斗選手です。ソチ後のワールドカップでは2季ぶりに優勝し通算で5勝目を挙げ ています。荻原健司監督は「彼はキング・オブ・スキーだと断言する」といっています。 新種目のフリースタイルスキーハーフパイプで見事銅メダルを獲得した小野塚彩那 選手です。本人は上位選手の失敗による棚ぼたのメダルと笑っていましたが、そんな ことはありません。堂々と勝ち得た銅メダルです。 スピードスケートの男子500Mは長嶋圭一郎選手が6位、加藤条冶が5位とメダルには 届きませんでした。でも二人とも入賞、立派な成績です。 スピードスケート女子団体パシュートの押切美沙、田畑真紀、高木菜那選手です。 おしくも4位とメダルはなりませんでしたが良くやりました。 5位入賞を果たしたカーリング日本女子チームです。左から苫米地美智子、船山弓枝、 吉田知那美、小笠原歩、小野寺佳歩選手です。小野寺さんはソチ入りしてからインフル エンザにかかり、急遽サブの苫米地選手が代役を務めました。小野寺選手は治って 出場しますが本調子ではなくサブに回り、選手のサポートで貢献します。そして5人の 力で勝ち取った5位です。 今回のオリンピックでは本当にたくさんの感動を頂きました。メダルを獲った選手はもちろん ですが、メダルに届かなかった多くの選手にも感動をもらいありがとうございました。 まだまだたくさんの選手を紹介しきれていませんがこれでプレイバックソチオリンピックを 終わります。また次のオリンピックを楽しみに待っていたいと思います。 昨日久しぶりに青空が出て全道的に天気がよさそうだったので、十勝岳温泉に出掛けて 温泉に入ってきました。次回はこの温泉から見る十勝岳連峰と温泉の模様をお贈りします、 どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.14
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こんにちは、今日は浅田真央選手のソチ最後の演技をお贈りします。失意のショート プログラムから1日、そのショックに立ち直れないまま次の朝を迎えます。 前日の夜はとにかく悩んでショックから立ち直ることが出来ませんでした。眠れない夜 を過ごし、とにかく眠らなくちゃと思い眠りについたのが明け方の4時頃でした。 気持ちの整理がつかないまま、朝の練習にリンクに向かいます。 練習でも思うようにジャンプが跳べません。何とか自分を奮い立てようとしますがうまく いきません。納得のいかない練習を終えた真央は宿舎に戻り一人の時間を過ごします。 そしてご飯を食べて、寝て、休んで、考えて考えて考えます。そして姉の舞さんに電話 します(すみません、前回のブログで前日の夜に電話したと書きましたが、当日の練習 の後でした)。 舞さんは電話で「もうやるしかないよ。いままでやって来たんだから出来ない訳ないよ」 と勇気づけます。そしていままでのどうして上手く滑れなかったんだろうという考えから オリンピックの代表に選ばれたのに自分は何をやっているんだろうと、自分の不甲斐なさ に自分への怒りへと変わっていきました。そしてジムへ行き体を動かしフリーへ向かいます。 佐藤信夫コーチは「思い残すことがないように、自分の持てる力をすべて出し切りなさい、 それでだめだったら行ってあげるよ」と最後の言葉で送り出します。真央は決意を込めて 「行ってきます」とリンクへと向かいます。 曲はタチアナ・タラソワさんの振り付けでラフマ二ノフの「ピアノ協奏曲第2番」です。 こだわり抜いたトリプルアクセル直前の鋭い目つきです。いままでの顔つきとは全く 違います。 いよいよ踏み切ります。皆固唾を飲んで見守ります。 成功です。切れ味鋭いトリプルアクセルが戻って来ました。 そして次々とジャンプを決めます。このジャンプはお母さんに、このジャンプは舞さんに とこの時、一つ一つのジャンプに力になってくれた一人一人に感謝の気持ちを込めて跳 んでいたそうです。 6種類、8度のトリプルジャンプをすべて成功します。 そして最後のスケーティングです。 最後の力を注ぎこんでフィナーレへと向かいます。 最後まで頑張れと声援を送る佐藤コーチとタラソワさんのアシスタントコーチの シャネット・フォレさんです。 滑り終えた瞬間、悲鳴ともつかない大歓声でスタンディングオベーションです。 滑り終えた後、感極まって涙を流します。無事に滑り終えた安堵の気持ちと今まで 自分が表現しようとした滑りが出来たことへの喜びの涙です。 滑り終えた真央を見守る佐藤信夫コーチです。心の中で「良く滑った」と涙をこらえて いるようでした。 この時、ロシアのTVの解説をしていたタラソワさんは感動して涙します。真央さん に対して「すばらしい!マオありがとう」と、そして「彼女が偉大なアスリートである こと、そして困難に打ち勝ったということに本当にありがとう」と最大の賛辞を送って いました。 得点をじっと見つめます。142.71点、自己最高得点です。最終結果は6位と 何と10人をごぼう抜きです。最終成績は次の通りです。 ショート フリー TOTAL 金メダル アデリナ・ソトニコワ(ロシア) 74.64 149.95 224.59 銀メダル キム・ヨナ(韓国) 74.92 144.19 219.11 銅メダル カロリナ・コストナー(イタリア) 74.12 142.61 216.73 6位 浅田 真央 55.51 142.71 198.22 8位 鈴木 明子 60.97 125.35 186.32 12位 村上 佳奈子 55.60 115.38 170.98 浅田真央選手の滑走順は30人中12番目でした。あまりにも早すぎた為に高い採点 を付けづらい状況で実際よりも得点が抑えられたのではと思います。私の採点では 文句なく真央選手が一番です。 浅田選手は今後について「ハーフ・ハーフ」とまだ決まっていないと言っています。 オリンピックでやり残したことはないですかの質問に「バンクーバーではフリーで思った 演技が出来ず悔いが残り、ソチではそのフリーで自分の描いていた滑りが出来ました。 だから二つのオリンピックを合わせると思い残すことはありません」と言っています。 でも心残りはやはりローリー・ニコルさんの振り付けによるショートプログラムでの失敗 だと思います。自分のことよりローリーさんに申し訳ないという気持ちではないでしょう か。きっとこの気持ちが次へのステップになるのではと期待します。 今回のオリンピックではメダルが全てではない、メダルなんかなくても十分満足出来る し、人を感動させることが出来るということを教えてくれました。 それでは今日はこの辺で、次回はソチオリンピック総集編をお贈りします。 お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.12
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こんにちは、いよいよソチオリンピック開幕です。浅田真央選手はこのオリンピック を最後の舞台と心に決めて臨んでいました。19日、ショートプログラムです。 ショートプログラムの曲はローリーニコルさんの振り付けで「ノクターン」です。 ローリーさんは真央さんの成長をテーマに振り付け、二人で作り上げました。 冒頭のトリプルアクセルを踏みきる直前です。表情がちょっと固い感じがしました。 スピードもありいい回転で、これは跳んだと思いました。 しかしちょっと重心が後ろにずれバランスを崩します。 こだわり続けたトリプルアクセルの失敗、この後も立て直すことが出来ませんでした。 演技を終えた真央に笑顔はありません。 茫然として得点を見上げます。いままで見たことがない得点で16位とメダルの希望 は絶望的となりました。 インタビューでも何が起こっているのかわからないと答えるのが精一杯でした。 その夜、真央は失意のどん底でもう立ち直れないんじゃないか、もう滑れないんじゃ ないかと落ち込みます。 そして姉の舞さんに電話します。舞さんはもうやるしかないよと、今までやって きたんだから絶対出来るよと励まします。 こうして失意のショートプログラムは終わり、フリーへと向かいます。ツイッターでは 真央のショートに対して他の国々のスケーターたちの励ましの言葉が続々と書かれ ていました。 それでは今日はこの辺で、次回は感動のクライマックス、奇跡のフリーをお贈りします。 いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.10
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こんにちは、パラリンピックもいよいよ開幕し、早くもメダルを獲得しています。アルペ ンスキー男子滑降(座位)で狩野亮選手が金メダル、鈴木猛史選手が銅メダルを獲得。 そしてバイアスロン男子7.5kmで久保恒造選手が銅メダルを獲得しています。おめで とうございます。また高梨沙羅選手も今日のワールドカップ第16戦で優勝し、ソチ以後 3連勝、通算22勝目で圧倒的な強さです。また伊藤有希選手も3位となり海外2回目 の表彰台です。 それでは今日も浅田真央選手のソチまでの道のりをお贈りしたいと思います。調べれば 調べるほど、この選手はどこまでスケートに打ち込んできたのかとあらためて感じていま す。 2011-2012 母との悲しい別れの後、全日本選手権で優勝してその悲しみを乗り 越えたかに見えたが、その後の4大陸選手権で2位、世界選手権で 5位と調子を落とす。シーズン終了後にはスケートの意欲を失い、もう 競技を続けることは無理と引退を考えます。そして競技の為ではなく アイスショーの為、ローリー・ニコルさんに振り付けをお願いしてカナダ トロントへ渡りました。 いままで浅田真央さんのショートプログラムの振り付けをしていたローリー・ニコルさんは 真央さんの姿を見て「HEART BREAK」と彼女の心がどれほど深く傷ついているか感じ、 どうすれば真央さんを立ち直せるか悩み、彼女自身パニックに陥ったそうです。 真央さんと舞さんはローニー・ニコルさんの家に招待されて、ローリーさんの家族と 時間を過ごします。 スケートのことは忘れて、好きな時間に好きなことをする。普通の人が当たり前にする ことをこの時、真央は初めてその時間を過ごしたのです。 本当に楽しかったと、そしてこの時を過ごしたことがまた滑ろうと思ったきっかけ になったと舞さんは振り返っています。 そしてアイスショーの為に選んだ曲は「アイ・ガット・リズム」でした。真央さんの母を亡くした 心情を察し、勇気づけようと氷上で明るく元気になれる曲を選びました。そして真央は心か らこの曲でスケートを楽しむ心、そして滑る喜びを再び見つけたのです。そしてローリーさん にショー用ではなく競技用の振り付けを頼みます。 そして2013年の4大陸選手権のショートプログラムでこの「アイ・ガット・リズム」を 滑りました。 そして見事に滑り切り優勝しました。浅田真央復活です、そしてソチへと向かいます。 それでは今日はこの辺で、次回はいよいよソチオリンピックです。世界中を感動の渦 に巻き込んだ滑りを お楽しみに !!!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.08
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こんにちは、今日は浅田真央選手のバンクーバーオリンピックからソチオリンピック 直前までの軌跡を辿りたいと思います。 2009-2010 優勝3回、準優勝2回(バンクーバーオリンピック 銀メダル)、5位1回。 GPシリーズロシア大会ではトリプルアクセルが跳べず過去最低の5位 に終わり大スランプに陥るが日本に帰国し姉舞さんの助言により立ち直る。 バンクーバーオリンピックではSPで1回、フリーで2回のトリプルアクセル を成功させるがキム・ヨナ選手に敗れ銀メダルに終わる。 トリプルアクセルに失敗し、いままでのグランプリシリーズで一番悪い成績でした。 ここからスランプに陥りトリプルアクセルが跳べなくなります。 すっかり自信をなくし、練習でもトリプルアクセルが跳べなくなってもがき苦しんでいた 時、姉の舞さんを呼んで心の叫びを吐き出します。 ジャンプが跳べなくて「応援してくれて待ってくれている人達がいるのにどうしよう」と 泣きながら練習している妹に「5歳の頃から何万回、何千万回も跳んでいるのに急に 跳べなくなる訳はないよ、そんな人がいたらそれこそ天才だよ」とそして泣きながら 練習してもうまくいく訳ないから、明日からもう一回がんばろうと励ましました。 そして次の日に奇跡が起きました。トリプルアクセルを跳べたのです。浅田真央選手は 姉の舞さんに救われました。 そして2010年、バンクーバーオリンピックを迎えました。浅田真央選手17歳でした。 2回のトリプルアクセルを成功したフリーの演技です。しかし3回転フリップが回転不足、 3回転トウループが1回転となってしまいました。 フリーで納得のいく滑りが出来ず銀メダルに終わり、涙を流して悔しがる浅田真央 選手です。 金メダルはライバルのキム・ヨナ選手です。次の月に行われた世界選手権では浅田 選手が金、キムヨナ選手は銀メダルでした。 2010-2011 バンクーバーの後、ソチオリンピックに向け、6月から9月まで長久保 裕さんをジャンプ専門のコーチにつけ6種類すべてのジャンプの修正 に取り組みます。そして9月からは佐藤信夫コーチに師事します。 また2011年3月、東日本大震災があり、世界選手権は1か月延期と なります。その間、この惨状を目の当たりにして「こんな時に大会に出 てもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなり、結局このシーズンは 優勝が一度もありませんでした。 佐藤さんは「ここまで完成された選手をいまさら手を加えてどうなるの」という思い で最初は断ったそうですが、お母さんの熱意にほだされて引き受けたそうです。 このシーズンの全成績です。 2011-2012 優勝2回、準優勝2回、6位1回。 カナダでのグランプリファイナルの直前、母の病状悪化の知らせを受け 急遽帰国したが母は肝硬変のため48歳で死去、その死の際には間に 合いませんでした。その夜、母の思い出を舞さんと二人で語り合いました。 そして葬儀翌日に練習を再開し短期間の練習で全日本選手権に優勝を 果たしたのです。亡き母に捧げた金メダルです。 お母さんの匡子さんは舞さん、真央さんがスケートを始めた頃からずっとそばで 二人を見守り、二人のことが命だと言っていたそうです。 それでは今日はこの辺で、次回は母の死を乗り越え、ソチオリンピックへと向かいます。 どうぞ お楽しみに !!! いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。
2014.03.05
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こんにちは、今日はソチオリンピックで世界中を感動させた、女子フイギュアの浅田 真央選手の軌跡を振り返りたいと思います。スケートの出会いからソチオリンピック まで調べていると、あまりにも出来事が多すぎて、とても1回のブログでは紹介しきれ そうにないので数回に分けてお贈りしたいと思います。写真はフジテレビの「金曜プレ ステージ 独占! 誰も知らなかった笑顔の真実」の放送から撮らせて頂きました。 いままで知らなかった浅田真央さんのすべてがこの1本に込められています。とても 良い作品でした。 まずは真央選手のジュニア時代からシニアまでの年度別成績とその年の出来事を まとめてみました。 1993年(3才) 姉の舞さんと共にスケートリンクに遊びに行ってスケートに出会 い姉と共に名東フイギュアスケートクラブに入会。 安藤美姫さんも同クラブに在籍していました。とにかくスケートが好きで真っ先にリンク に上がり、最後まで滑っていたそうです。 2000-2001 グランプリ東海クラブに所属、伊藤みどりのコーチである山田 満知子、樋口美穂子両コーチに師事。 浅田選手は芯の強い子で自分で納得しないとなかなか「はい」と言わなかった と語る山田満知子コーチです。天才スケーターと言われていますが舞の方が 天才型で真央は努力型と言っています。 2000-2002 全日本ノービス選手権 Bクラスで連覇 9才以上11才未満 2002-2003 全日本ノービス選手権 Aクラスで連覇 11才以上13才未満 お母さんの匡子さんはまるでコーチのように毎日練習に付き添っていました。スパルタ で姉の舞はよく怒られて真央はそれを見ながらうまく立ち回っていたとのことです。 2003-2004 ISUジュニアグランプリ優勝、準優勝2回(全日本フイギュアジュニア 選手権含む)、4位2回、6位(全日本フイギュア選手権) 全日本フジュニアフイギュア選手権での滑りです。 2004-2005 ジュニアグランプリ3戦すべて優勝し、ジュニアデビュー。ファイナル では女子ジュニア初のトリプルアクセルを成功。全日本ジュニア選手 権優勝、世界ジュニア選手権優勝。全日本フイギュア選手権準優勝。 2004年のジュニアグランプリファイナル表彰式です。ここからキム・ヨナ選手との 宿命のライバル関係が始まります。二人とも1990年9月生まれで5歳からスケート を始めるという運命的な出会いです。 2005-2006 優勝2回、準優勝3回。成績的にはトリノオリンピックの出場条件を 十分だったが、ISU(国際スケート連盟)の「五輪前年の6月30日 までに15歳」という年齢制限に87日足らずに代表資格を得られず。 2005-2006年のISUファイナルグランプリでイリーナ・スルツカヤを破り優勝。 2006-2007 優勝2回、準優勝2回、3位1回。この年、コーチをラファエル・アント ウニアンに変更。1シーズン同コーチに師事したが、2シーズン目に 解消しました。コーチはもちろん続ける意向で、アメリカで次の大会 の準備をしていました。しかし全日本選手権の後、浅田選手がコーチ のもとへ戻らず、アメリカに来るか、師弟関係を解消するか迫られて 已むを得ず、同コーチを去ることを決意しました。実はこの時、お母さ んが癌の宣告を受けておりスケートに集中出来ない状況でした。この ことを後で知ったアントウニアンさんは、もしこのことを当時知っていれ ばあのような最後通告はしなかっただろうと後に語っており、コーチを 続けられなかったことを今でも後悔しているそうです。 左がラファエル・アントウニアンコーチ、真ん中がタチアナ・タラソワさんです。 2007-2008 四大陸選手権に初出場、初優勝、世界選手権優勝を含めて5回優勝、 準優勝1回。タチアナ・タラソワのもとでバレイなどに取り組み表現力、 芸術性の強化を図る。この頃は身長の伸びとの闘いの毎日でした。 身長が1cm伸びただけでも踏切のタイミング、バランスなどが変わって しまいジャンプの感覚が狂ってしまうそうです。 GPファイナル 優勝 キム・ヨナ、準優勝 浅田真央 2008-2009 優勝4回、準優勝1回、3位1回、4位1回。コーチはタチアナ・タラソワに 師事。苦手なトリプルルッツやトリプルサルコウをプログラムに入れる, フリーで2回のトリプルアクセルを跳ぶなどの新しい課題に取り組む。 GPファイナル 優勝 浅田真央、準優勝 キム・ヨナ タチアナ・タラソワコーチの指導を受ける浅田選手です。力強い指導力で常に100% の力を出すように指導しています。 それでは今日はこの辺で、次回はバンクーバーオリンピック、そして母との悲しい 別れをお贈りします。失意のどん底からどのようにして立ち直ったのか? いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。 どうぞ お楽しみに !!!
2014.03.03
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