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仕事が重なって徹夜しました。この一週間で徹夜は二回目です。時間的にも、経済的にも、余裕の無い生活は嫌悪しているのですが、どうしても時間が足りなくなってしまいます。(せめて経済的に余裕が持てるなら、仕事で徹夜するのも我慢できます)物事というのは、どうして予定通りに運ばないのでしょうか。すべての物事が予定通りに運ばないのなら、まだ良いのです。問題は、仕事の締め切りやローンの引き落とし、約束の日時、納税期限などは容赦なく予定通りに来るのに、私の仕事と入金だけが予定通りにならない点にあります。先週の木曜日に東京へ日帰りの出張に出掛けたのですが、仕事が予定より早く終わってしまいました。このような時は、たいてい仕事が失敗の場合ですが、私の仕事はたいてい失敗なのに、予定通りに終わることが稀なのは理解に苦しむところです。さらに私の場合、交通機関までも予定通りに運行しないのです。この日の飛行機は定刻通り羽田空港を離陸したのですが、広島空港が雪と風のために着陸が遅れて、一時間以上も予定より遅れてしまいました。そもそも私は予定の立て方が楽観的すぎる上に、予定外の仕事が突然生じることがよくあります。(仕事が突然片づくことはありません)(また、予定外の仕事は突然生じたりしません)このような場合、責任感の強い私は徹夜するしかありません。(とくに、無責任にも、約束の期限をとっくに過ぎている場合)これまで何度も徹夜しましたが、いい思い出は皆無です。徹夜してやったことと言えば、マージャンで負けた、苦し紛れに試験勉強をした、苦し紛れに仕事をでっち上げた、くらいです。もちろん、徹夜してやった事はこれだけではありません。トランプに負けたし、女性にふられたし、仕事もできなかったものです。年のせいなのか徹夜するとこたえます。(徹夜までして、ふられると、とくにこたえます)徹夜明けの日は仕事をしていても、眠気で仕事になりません。眠気をこらえて仕事に臨みます。調子がいい時でさえ、ろくな仕事ができないのだから、よっぽどひどい結果になると覚悟していましたが、実際にやってみると案じたほどではありませんでした。徹夜すると、自分を客観的に評価する能力が麻痺するのです。(私の仕事は普段からひどい、という可能性も、わずかながら否定できません)睡眠不足は身体に悪そうな気がするのですが、何かの異常で何年も眠れない人をテレビで見たことがありますが私より元気そうでした。動物はすべて睡眠を取っているように見えますが、何のために睡眠を取るのでしょうか。睡眠中には食物は取れないし、生殖行動もできないし、敵に対して無防備になります。動物にとって、睡眠はむしろマイナスなのではないでしょうか。休息が必要なら、起きたままじっとしていても良さそうに思われます。一説によると、目覚めている間に取り込んだ情報や記憶を、脳が整理するために睡眠が必要だといいます。しかし、いくら睡眠を取っても情報が整理された気配はありません。(もしかしたら、「情報の整理」というのは「忘れる」という事なのでしょうか。それなら、起きているときからやっています)何年も眠れない人も、情報を処理しきれなくて混乱している様子はありませんでした。眠れない人の場合は、不都合といっても、「寝坊した」という言い訳が使えないくらいでしょう。もっとも、睡眠にも利点はあります。睡眠中は、飲みすぎない、食べ過ぎない、有害な行為をしない(睡眠中は有益な行為もしませんが、有益な行為は起きていてもしないのです)、無駄な浪費をしない(貯金もしませんが、起きていても貯金はできません)、下らない文章を書かない(代わりにいびきをかく)、弁解や言い訳や嘘を言わない(代わりに好きな人の名前などの寝言を言う)などの利点が挙げられます。こんな利点があるくらいですから、睡眠はたぶん何かの役に立っているのでしょう。よく考えてみれば、こんな下らない文章も、眠っていれば書くこともないのです。徹夜して仕事をする必要もないのかも知れません。そもそも私自身の仕事が必要ないのかも知れません。いろいろ考えていくと不愉快な結論が出そうです。早く寝てしまいましょう。私にとっては、不愉快な結論を避けるためにも睡眠は必要なのです。
March 31, 2005
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世の中には納得できない事が多いが、多くの男が特に納得できないのは、一部の男ばかりが不当にモテるということです。正確に言うと、「一部の男だけがモテる」ということに納得できないのではなく、「自分がモテる側に入っていない」ところが納得できないのです。動物学者によると、動物の世界でもモテるタイプというのがあり、ツバメの場合、尾の長いオスがモテるといいます。尾の短いオスとつがいになったメスは、しばしば尾の長いオスと不倫して、その子を産むらしいのです。では人間の場合、どのような特徴を持ったオスがモテるのでしょうか。先日のアカデミー賞の主演男優賞を逃したディカプリオですが、洋の東西を問わず女性からモテているらしい。なぜでしょうか。人種や国籍を除けば、私と大して違わないように思えます。中田さんに訊いてみました。「月とスッポンの違いがあります」不審に思った私は、さらに訊きました。「スッポンの方がモテるのか」「スッポンの方が社長よりはモテるでしょう」ますます納得できません。ディカプリオだけでなく、カメもライバルとは気がつかなかった。先日、知り合いの女の子と話していたとき、「ディカプリオのどこがいいのか」と訊いてみました。彼女はディカプリオのファンなのです。彼女は、ちゅうちょなく断言しました。「アゴの形がいい」彼女はブラッド・ピットのファンでもありますが、ブラッド・ピットもアゴの形がいいと言います。ようするに、エラが張っているのがいいと言うのです。このことから判断すると、たぶん彼女が好きなのは、クリントン元大統領、名倉潤、ハゼ、アンコウ、マムシなどでしょう。やはり人間はツバメとは違います。人間は長い進化の歴史を経て、ツバメにないアゴを獲得し、ハゼ、アンコウ、マムシの域に達し、女性はアゴの線で男を判断するようになったのです。他にも、背の高さ、手の大きさなどの男の外見に惹かれる女性がいます。なぜ、このような身体的特徴が好まれるのでしょうか。たぶん動物学者は、遺伝子や種の保存のうえで何らかの利点がある、と進化論的に説明するでしょう。たとえば、エラの張っている男は、噛む力が強く、(女性が)どんなに不味く硬い生煮えの料理を出しても食べることができる。歯を喰いしばる忍耐力があり、(女性が)どんな酷い仕打ちをしても耐えられる。歯で栓を抜けるから、(女性は)栓を抜く労働から解放される。背の高い男は、高いところに手が届くので、(女性は)高所作業の労苦から開放される。男の手が大きければ、(女性は)男の手を座布団の代わりに使える、などの利点が考えられます。こういう外見上の特徴で好き嫌いが決まっていることに納得できない男もいるでしょうが、ツバメでも外見にこだわっている以上、事実として認めるしかありません。外見にこだわるということは、裏を返せば、精神は二の次だということです。さらに裏を返せば、外見にこだわるということです。精神性の高さは評価されないのです。これなら私にも、まだモテる見込みがあります。(可能性を述べただけです)実際、内面より外見の方が重視されているのは確かです。鼻を失うのと、高校で得た知識を失うのと、どちらが良いかと訊かれたら、多くの人は迷わず、知識を捨てるでしょう。私は以前から、髪の形や服装にばかりこだわる人間に向かって、「表面ばかり取り繕うより他にすることがないのか。そんなヒマがあったら、私の仕事を手伝ったらどうなんだ!」と、そっと心の中で叫んできました。だが、外見にこだわることも進化論的な意味があるのです。しかし、種の保存や優秀な遺伝子の伝播のためなら、エラが張っている男よりも、長寿の年寄りの方がモテてもよさそうに思えます。女性がさらに進化して、「男は年を取っていればいるほどいい」と進化しないものか。そのとき、カメが私のライバルになるでしょう。(やっぱり、スッポンがライバルだったのだ!)
March 20, 2005
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よその会社にも女性の事務員さんが居ます。ちょうど、よその家の台所にもゴキブリがいるのと同じです。(前に使った言い回しと同じです)どういうわけか、どこの事務員も私の会社の事務員と似たり寄ったりです。定期的に秘密集会でもして、行動を揃える訓練でもしているとしか思えません。その証拠に、事務員という人たちは、たいてい事務所にいます。また、たいてい椅子に座って机に向かっており、机に座って椅子に向かったりしません。電話で話しているのを見たことはありますが、壁と話しているのを見たことがありません。弁当を食べているのを見たことはありますが、ライオンに食べられているのを見たことはありません。事務員がペンを持って何かを書いているのを見たことはありますが、仕事をしているのを見たことがありません。何よりも、私がへりくだって丁寧に接しているのに、揃いも揃って私に対する態度にトゲがあるような気がします。先日、ある保険会社の窓口に行き、担当の女性事務員を訪ねました。その女性はボールペンを持って机に向かっていました。バーベルや棍棒を持っている方が似合いそうなのに、惜しいところです。私 「保険料の領収書を受け取りに来たんですけど」彼女「身分証明書を見せて下さい」私 「でも、しょっちゅう顔を合わせてるでしょう」彼女「いつも拝見するたびに、怪しいと思ってたんです」私 「それは奇遇です。私も怪しいと思ってました」彼女「とにかく規則ですから、証明書を見せて下さい」私 「でも貼ってある写真が…、異常に悪く写ってるんです」彼女「顔に問題のある人に限ってそう思うものです」私 「そうですか。 あなたも写真写りが悪いと思っているんですか。 ただ、悪く写っているだけならいいんですが、あまりにも実物と違ってるんです。 写真よりも、そのボールペンの方がまだ私に近い」彼女「安っぽいところがですか?」私 「とにかく証明書の写真を見ると、かえって私本人かどうか疑われるぐらいなんです。 それでもいいですか?!」彼女「拝見します」私 「仕方がない。 私が疑われても知らないからね。 じゃあ、渡すから、見ないでくださいよ。 見るなら目を閉じて下さい。 あっ、見ちゃ駄目だ。 目がつぶれる!」彼女「なあんだ、よく写ってるじゃないですか。 楽しみにしてたのに。 よく写りすぎてマッケンジーさんとは分からないくらいですよ。 鏡を見たことがないんですか」どの事務員もこうです。(どの女性もそうです)うちの中田さんが失礼な態度をとるのは、まだ仕方ありません。中田さんに対しては、労働基準法違反の雇用契約という後ろめたさが私にあります。しかし、他の会社の事務員の女性に、こういう態度をとられる謂われはありません。(食事に誘ったという、後ろめたさはあります)もちろん、どう扱われようと私は、仕返しをしようとするほどの度量はないし、仕返しするほどの度胸もありません。一週間後に電話したら、この女性が電話に出ました。「もしもし、マッケンジーですが」「コホン、もしもし、コホン」「どうしたんですか? 大丈夫ですか? 食べ過ぎたんですか?」「いえ、コホン、この季節になると、コホン」「この季節になると食べ過ぎるんですか?」「食べすぎなんかじゃ、コホン、ありません」「じゃあ、腹が減ってるんですか?」「腹が減ったら、コホン、なぜ咳が出るんですか、コホン」「すみません。 早とちりして。 じゃあ、満腹すると咳が出る体質なんですね」「コホン、満腹なんかしてません、コホン」「ほら、やっぱり、食べ足りないんだ」「食べてばかりいるみたいに、コホン、言わないで下さい!」「えっ。 食べてばかりじゃなかったんですか。 でも一日五食は食べるでしょう?」「コホン、三回に決まってるでしょう!」「えっ。 一時間に三回も食べるんですか。 それで食べ足りないんですか?」「コホン、ガチャッ!」私の心配が通じないところも、うちの中田さんそっくりです。おまけに、私の用件を聞いてもらえない点も同じです。ついでに、私の仕事が進まない理由も、どうやら見つかったような気がします。ああ、忙しいっ!
March 9, 2005
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私はいつも忙しいが、最近は忙しさの余り、忙しさの原因究明を怠っていたような気がします。私が忙しい原因を考察してみれば、その対策も浮かぶでしょう。そもそも、一日のうちで私が最も時間と労力をかけて取り組んでいるのは探し物です。先日も、顧客に相続についての説明をする直前になって、自社株の評価を試算した書類をプリントアウトするのを忘れていることに気が付きました。持参したパソコンの中に入れていると思ってパソコンの電源を入れたところ、その途端にバッテリーの充電が切れてしまいました。結局、そのパソコンの中にはファイルを保存していなかったから良かったようなものの、そうでなければ、その重たいパソコンを持ち歩いたのが徒労に終わるところでした。事務所に帰って、別のパソコンの中からファイルを探しました。途中で電話がかかり、そばにあった封筒の裏に相手の電話番号をメモしました。その直後、気が付いてみると、メモを取ったペンがなくなっていました。今度はペンを中心に周辺を捜索しました。(ただのペンなら、そこまでこだわらないのですが、そのペンは、ちょうど私の四十回目の誕生日から五十六日目に、友人の事務所で拾った記念のペンなのです)捜索の収穫はゼロでした。探している間に、メモを書いた封筒を失くしたから、マイナスと言っていいでしょう。こういうことにならないように、整理方法を考案したのですが、そのアイデアを書いたメモもとっくの昔に失くしました。どうして、こうなるのでしょうか。誰かが盗んでいるという可能性も否定できませんが、ちょっと目を離した隙に私の事務所に入って盗んで出て行くほどの天才的な泥棒技術の持ち主が、なぜ私の安物のペンを狙うのか、という根本的な疑問が残ります。私の経験から言うと、物がなくなるのは、誰かに盗られるというのとは違います。盗られるのなら、単に物が移動しただけですが、私の実感では「完全に消滅した」というのに近いのです。まれに後で見つかることがありますが、それも、突然出現したという感じがします。そう考えて、私の居る所は「魔の三角地帯」かもしれないと疑いました。しかし、私が旅行や出張などで移動するのに合わせて「魔の三角地帯」が移動すると考えるのは、「地帯」という言葉の意味に反しているような気がします。様々な可能性を検討した結果、私は、『物体は何の原因もなく、突然消滅することがある』と考えるのが最も整合的な説明だという結論に達しました。この結論は物理学と真っ向から対立します。物理学では、『物体は生半可なことで消滅してたまるか!』という前提を立てています。例えば、物理学の理論によれば、冷蔵庫に三つ入れておいたイチゴ大福が、次に開けたとき二つになっていた場合、誰か(泥棒、私自身、事務員の中田さん、など)が食べたか、数え間違いをしているか、別の物質に変化したかです。これらの可能性を調べてみて、何の原因も見つからなかった場合(通常、“中田さんが自白しない限り”原因は見つかりません)、『何の原因もなく消滅した』とはされないで、『原因が見つからなかったから、原因はどこか別にあるはずだ』という結論を下すのです。しかしこれは、『私の金が、財布の中にも家にも銀行にも無いから、どこか別の所にあるはずだ!』とか、『自分は容姿容貌や性格にも優れたところが無いから、別の優れたところがあるはずだ!』と考えるのと同じくらい間違った推論です。物理学は経験科学です。当然、経験に忠実でなければなりません。それなのに、『物がなくなる』という、誰もがしょっちゅう経験していることを認めないのです。虚心坦懐に反省して、『物は時々何の原因もなく消滅する』と認めれば、さまざまな現象をより簡単に説明できることが理解できるはずです。そうすれば、私の責任を追及されることも無くなるのです。物理学を、こう修正すべきでしょう。『消滅しないのは、不要な物と邪魔な物だけである。 これらは原因が山ほどあっても消滅しない。 だが、貴重な物はときどき消滅する。 最も貴重なもの(美貌、優れた人格、才能)などは、しばしば最初から消滅している』
March 6, 2005
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