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副題<「権威に訴える論証」に騙されるな!>相変わらず忙しくしていますが、この忙しいのに結婚式に招待されてしまいました。時間的にも繁忙を極めているのに、経済的にも窮乏を極めそうです。それにしても、結婚式というものは、実に幸せな良い気分になれるものです。いにしえの賢人は、この感情をこう表現しました。「人の不幸は蜜の味」と。それにしても、よく「結婚式の祝辞は無い方がいい」と言う人がいますが、私はそうは思いません。結婚式や披露宴、さらに結婚そのものなどは、無いほうがいいと思いますが、祝辞には意義があります。(内容には異議もあります)ことに夫婦円満の秘訣を説く祝辞は貴重です。私はこれまで、祝辞に真剣に耳を傾けてきましたが、いまだに功を奏したことはありません。秘訣を説く人を見ても、その人自身に功を奏しているようには見えません。この場合、「自分の夫婦生活がうまくいっていないような人の夫婦円満の秘訣は信用できない」と考える人がいるかも知れませんが、これは誤りです。こういった誤った推論を対人論法といいます。これは、発言者の人格、経歴、行動などを理由にして、発言内容が誤っていると推論するもので、実質的には人身攻撃をしているに過ぎません。犯罪者が不良少年に「罪を犯してはいけない」と説教したり、タバコを吸う大人が未成年に「タバコを吸うな」と注意するのは言行不一致かも知れませんが、それを理由にして発言内容を誤りだとするのは間違っています。先日、妻がニュースを見て「弱者を食い物にするのは許せない」と言ったとき、私は「私のような弱者を食い物にしているのは誰だ」と言い返そうとして思いとどまりました。せっかくニュースの中の男に向いている矛先が、私に向いてしまうのを恐れたからでもありますが、妻の普段の言動を理由にして、発言内容を誤りと決めつけるのは論理的に間違っているからでもあります。私とは対照的に、妻は間違いだからといってひるむような人間ではありません。(真実にもひるみません)妻がひるむのはゴキブリだけです。(ゴキブリの方がはるかにひるんでいると思います)妻は普段から、対人論法をはじめ、誤った推論を自在に使っています。妻は私の提案をことごとく退けますが、おそらく彼女は、「自分の言うことに、夫は反論しない。ゆえに自分の言うことが正しくて、夫の言うことは誤りである」と推論しているのでしょう。こういう人間はおうおうにして、自分のことはすべて正しいと考えるものです。しかし、「権威ある人がAと考えた。ゆえにAは正しい」という推論は『権威に訴える論証』といい、正しいとは限らないのです。とくに妻の場合、いくら暴力的なまでの権威をふるっていても論理的には大間違いです。(こう言っても妻には応えません。論理も妻の前では無力です)通常、我々は人の言うことをききません(これは私に対する人々の反応を見れば明らかです)が、他人が言うことでも、権威があると認めると無条件に信じるものです。たとえば、円周率の求め方を知っている人は少ないと思われますが、それでも国の検定による教科書に「3.14」と載っているのだから正しいと無条件に信じています。飛行機に乗ることに不安を感じない人は、航空会社の訓練を受けたパイロットと整備技術者を信用し、その彼らは飛行機の製造会社と設計を信用し、その設計者は物理学を信用し、物理学者は数学者を信用しています。(その数学者も、自分の妻には信用されていないに違いありません)このように。「専門家がこう言った。ゆえにそれは正しい」という推論が多用されていますが、この推論はいつも正しいわけではありません。専門家が常に正しいとは限らないし、専門家が専門領域外で発言することもあるからです。たとえば、コマーシャルで発言しているタレント達は、薬や電子機器や保険などの専門家ではありませんが、彼らが有名だからという理由で彼らの発言を信じるのは誤りです。また、テレビやマスコミの発言を正しいと考えるのも誤りです。さいわい、彼らはたいてい公共的な中立性や健全な常識を持っているからいいのですが、一部の国のように、公共性が偏った思想や宗教に影響を受けることも認識しておく必要があるでしょう。一芸に秀でた人物や業績を残した個人を過大に評価し、その発言などを妄信することは危険なことです。嘆かわしいことに、私の周りでも誤った推論が横行しており、「マッケンジーがこう言った。ゆえに誤りだ」と非常に誤った推論をしています。しかし、そのような人も、私という人間を深く知る前は、「マッケンジーという人物は信用できるかも知れない」と考えていたはずです。初心を忘れるな、と私は言いたい。世阿弥が言ったことだから正しいはずです。
May 31, 2005
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このページを訪れる皆様にお知らせします。このところ私の個人的な都合により、ページの更新や返事が返せない日が続いてしまい、まことに心苦しい限りです。そのような状況にも関わらず、皆様には労わりの言葉を頂き、心苦しく申し訳ない思いでいっぱいです。…ところで、実は私の文章は、下書きから校正に至る作業を何日かに分けて作成しております。すでに下書きを終えたものも何点か存在していました。(過去形です)そのような今日、ある事情により、もう少しお待ちいただく事態になってしまったことを皆様にお詫びします。本日、未明、私の事務所において盗難事件が発生いたしました。パソコン、デジカメ、PDA(SONY:CLIE)を盗まれてしまいました。さらに、数百万の現金や、残高数千万円の預金通帳、有価証券、権利証、貴金属宝石類も、見あたりません。窃盗事件の以前から見あたりません。どこにあるのでしょうか。幸いなことにデスクトップPCは無事ですから、仕事への支障は軽微なものです。そもそも私の仕事も軽微なものです。がんらい私の性格も軽率なものです。それにしても、(今となっては証明するすべもありませんが)過去最高の傑作であった下書きが盗まれてしまいました。今後の私の文章が面白くないと感じられる方は、私の事務所に侵入した窃盗犯に不満を向けることを提案します。最後に私からの教訓。失ったモノは、「価値があった」と錯覚しがちである。失ったモノは、存在しなくなったからには、価値の存在も失ったのである。〔追伸〕失ったモノや、失いそうなモノに、“執着すること”を“愛”と錯覚しがちである。思い出(過ぎ去った過去への哀愁≒愛執)として愛でましょう。《つい追伸》本当に泥棒に盗られたのです。盗まれたのは、ノートPC、デジカメ、PDAのみだと認識しています。事務所内の什器・備品などへの保険も契約しています。盗まれたPC内のデータのバックアップも(おおむね)取っていると思われます。PCのウィンドウズにおける、起動その他のパスワードも設定しています。しかし、そうはいってもアドレスデータが800件近く、HD内に存在することの責任は重く受け止めなければなりません。皆様に迷惑が及ぶような事態が発生した場合には、ご一報下さい。私に可能な範囲で、誠心誠意、対応させて頂きます。ご迷惑とご心配をお掛けして、本当に申し訳ありません。・・・陳謝深謝! m(_ _)m
May 20, 2005
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