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私には女性の考えていることが解りません。あのバッグが欲しい、美味しいものが食べたい、素敵な恋愛がしたい、マッケンジーはイヤだ、と考えているところまでは解りますが、それ以上は見当もつきません。女性の考えていることが解らないので、良かれと思ってすることが、たいてい裏目に出てしまいます。うちの事務所にいる女性に、元気がなかったので、私が気を遣って「食べすぎですか、それともカード破産したんですか、それとも仕事をしていないから良心が痛むんですか」と聞くと、怒られてしまいました。他にも、ある女性に『愛される女になる方法』という本をプレゼントしたら怒られてしまったこともありました。贈り物をされるのが嫌なのかと思って、何も贈らなくても怒られます。もしかしたら、私は愛されていなのかも知れません。好意も持たれていない可能性さえあります。せめて、邪魔者扱いしないで欲しい。考えてみれば、今の世の中において、男はほとんど邪魔者なのかも知れません。女性は仕事を持ち、ブランドバッグを多数所有し、男を複数所有することも可能になりました。子どもを産むにも、精子バンクなどを利用すれば、希望に近い子を作ることもできます。女性が男を必要とするのは、愛玩または観賞用か、慰みもの程度に過ぎないのでしょうか。女性がどのような男を好むのか、色々な女性から意見を聞いてみました。出てきた意見はまちまちで、あまりにも違い過ぎます。意見の中には「セクシーな男がいい」という意見もありましたが、「セクシーな男」の意味を問い詰めると、結局、「魅力的な男」という、何の参考にもならない意見である事が判明しました。また、男の外見について長々と希望を述べる女性もいましたが、そういうどうにもならないことを希望する女性を、私としては軽蔑するしかありません。男の好ましい内面として、参考になりそうな意見をまとめると次のようになります。〔1〕 頼れる男(強い男)これは「黙って俺について来い」という男ではなく、むしろ包容力のある男で、「ふだんは黙って見守ってくれているが、いざという時にビシッと注意してくれる」男だというのです。おそらく、すき焼きを食べているときに、好きなだけ高い肉を食べさせてくれて、ときどき「そのネギの下に肉があるよ」と注意してくれるような男なのでしょう。〔2〕 頼りない男(危なっかしい男)頼りない男や危なっかしい男を好む女性は「この人には私がついていてあげなくてはいけない」と思うらしいのです。それなら、寝たきり老人を好きになっても良さそうに思いますが、女性が寝たきり老人に群がっているのを見たことがありません。(病院で女性看護師が群がっているのは、見たことがあります)私は頼りないことにかけては自信があります。私が何かしようとするたびに、周囲の者は黙っていられず、「ああしろ」「こうしろ」「そうするな」などと指導するから、私が「放っておけない」タイプだということは明らかです。そう思って、自分の頼りなさに胸を張ったら、「“頼りない”と“信頼できない”とは違う」と言われました。〔3〕不良っぽい男(危険な香りのする男)不良といっても、本格的な悪人とか、悪事が本職の方のような男ではなくて、ちょっと突っ張っている感じの男のことを指すようです。「やんちゃな男」や、次の「無鉄砲な男」に近い雰囲気だと思われます。〔4〕無鉄砲な男(行動力のある男)慎重に行動する男や堅実な男は、なぜか人気がありません。逆に無鉄砲なところを男に求める女性は以外に多い。私は、慎重に熟慮を重ねた末に、軽率な行動をするタイプだから、この条件に合うかどうか微妙なところです。ただ、無鉄砲と言っても、ギャンブルに大金をつぎ込んで借金を作ったり、裸で外を走り回るのは許されません。女性の考えは、おそらく、“自分と付き合う程度に無鉄砲”であって欲しいということなのでしょう。(無鉄砲で無分別でないと自分とは付き合えない、と自覚しているのでしょう)もちろん、他の女と浮気するほど、無鉄砲であってはなりません。無鉄砲と言っても、よほど慎重に行動しないと、無鉄砲とは認められないのが難しいところです。〔5〕リードしてくれる男(押しの強い男)このタイプは、成長した女性には人気が無くなる傾向にありますが、まだ男というものが解っていない若い女性の一部は、男にリードしてもらうことを夢見ています。こういう女性も遠からず、本当に男にリードを任せたらとんでもない結果になることに気づき、自分がリードしなくてはならないと考えるようになります。そして結局、男がリードするのと同じくらい悲惨な結果を招くことになります。男が適切にリードする方法さえ知っていれば、こういうことにはならないはずです。女性を思いどおりリードするのは、実は簡単です。女性に「好きなことをしろ」「欲しい物は何でも買え」と命令すれば女性は服従するものです。ただし、そういう男になるには大富豪の経済力が必要です。〔6〕やさしい男やさしい男は昔から人気があります。やさしさの中身は、「プレゼントをくれる」「食事をごちそうしてくれる」「好きなことをさせてくれる」「他の女には冷たい」など、聞けば聞くほど恐ろしくなるような苛酷な内容です。やさしい男になるのは、決してやさしくない。このようなやさしさが私に欠けていることは認めますが、こんな苛酷な条件を要求するような女性にもやさしさが欠けていることを認めてもらいたいものです。〔7〕対等のパートナーリードするのでも、されるのでもない「対等」の関係とは、具体的には、「プレゼントをくれる」「食事をごちそうしてくれる」「好きなことをさせてくれる」「他の女には冷たい」などです。これを「対等」と呼ぶのに疑問を感じるような男は、女性にモテる資格はありません。〔8〕かわいい男女性が「かわいい」と呼ぶものは、子犬、仔猫、洋服、靴、バッグ、俳優、車、店舗など多様です。「かわいい」という言葉をどういう意味で使っているか不明ですが、こと男に関していえば、「抜け目のない男」というよりは「スキのある男」ということになるらしい。たぶん、女性がつけ込むスキがある男なのでしょう。私はスキだらけの男です。そのため日頃から女性につけ込まれていますが、女性にモテているようには思えません。〔9〕少年のような男この点については自信があります。私は「大人っぽい」とか「成熟している」などと言われたことがなく、子どもじみていると言われているのです。しかし「少年のような男」と「子どもじみている」はまったく違うようです。ある意見では、男が無心に何かに打ち込んでいる姿を無邪気と感じるらしい。だが無邪気に風俗通いをしたり、積み木遊びに夢中になったりしても、少年のような男とは認められないでしょう。少年らしさを狙うには、大人の計算が必要です。〔10〕清潔感がある男さわやかな印象を与えるような男のことなのでしょうが、これは明らかに外見の問題です。もし内面が、清廉で廉潔無欲で清潔な男がいれば、ブッダやキリストのように着のみ着のままで不潔な外見になるのです。さらに、ブッダやキリストのように、女性と交わろうとはしないでしょう。ちなみに私は女性から「私生活が不潔っぽい」と言われますが、実際には、清爽で飾らない欲望のままに純粋に生きているだけです。私は潔白だ。〔11〕何でもいいこんな意見の女性がいるのかと思うでしょうが、こういう女性によく聞くと、ハゲはイヤ、デブはイヤ、貧乏はイヤ、マッケンジーだけは絶対イヤ、などと注文がうるさい。「何でもいい」というのは、「自分の希望通りなら何でもいい」という意味なのでしょう。女性の意見を並べてみると、ほとんどの男は、「道理で自分がモテないはずだ」と納得するでしょう。しかし、彼女たちが選んだ男を見ると、とうてい厳しい条件をクリアしているとは思えないロクでもない男ばかりです。それにしても、世の中の男達は、なぜこのような苦しみや痛みを感じながらも、女性にモテようとするのでしょうか。男は女性の呪縛から解放されなければなりません。女性に媚び、へつらってまでモテなくてもよいでしょう。男達はモテることへの欲求を放棄すべきです。私は放棄しませんが。
December 15, 2005
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少し前、某銀行の女性職員が十億円近くのお金を詐取したとの報道がありました。なぜそのような事が可能なのでしょうか。できれば私が銀行員の頃に教えて欲しかった。銀行を去った今となっては、“私に貢いでくれる女性の見つけ方”か、“私の言う通りに動いてくれる女性の作り方”を見出すしかありません。かつて私は、女性は天使、女神、観音様のような存在だと信じていました。悪くても、犬や猫の仲間だろうと思っていました。その後、幾多の苦い経験を重ね、ライオンかハイエナの仲間ではないか、と疑う段階を経て、怪獣やゴジラの類いだと気づいたとき、ついに真理に到達したと思いました。暴れる怪獣を相手にして、打つ手はない。女性との付き合い方を考えても無駄だ。こう思いました。「どうして私のような善良で弱い男を平気で踏み潰せるのか」についての疑問が氷解した瞬間でした。しかし、あるとき米国のテレビ番組(ディスカバリー・チャンネル)を見てから、私の認識は一変しました。それを見たのがいつだったのか憶えていませんが、私が経済問題に悩むようになって以降のことだと思います。さらに絞り込めば、私が女性問題に悩むようになって以降ですから、ここ四十年以内の放送だったのでしょう。その番組は、冷戦時代に東ドイツの諜報部が西側の女を、どうやってスパイに仕立て上げたかを描いたドキュメンタリーでした。その方法は、狙いをつけた女に男性諜報部員が接近して、恋に陥らせ、スパイ行為を働かせる、という古典的な手口です。元諜報部員の証言によると、狙った女は、ほぼ100パーセント恋に落ちたらしいのです。これを見て、ぜひ知りたいと思ったのは「どうやって狙った女を恋に陥らせることができたのか」ということです。その諜報部員がハンサムだったのなら、まだ解ります。ベッカムがモテるのは仕方がありません。納得は出来ませんが、あきらめはつきます。しかしテレビで見た限り、誘惑した諜報部員はどれも、私と似たり寄ったりのサエない男なのです。そういう男が、富豪、医師、IT企業の社長、ベッカムなどを装いもせず、狙った通りの成果を挙げたのです。私がテレビに釘付けになったのは、私を知る人なら容易に想像できるはずです。その具体的な手口を、私以外の全男性に代わって知りたい。もっと知りたいのは、どうやってスパイ行為を働くように説得したのか、ということです。たとえ女性が恋に落ちても、男のして欲しいことをやらせるのは至難の技です。第一、頼みごとが尋常ではありません。西側の女性に祖国を裏切って、重罪を犯してくれと頼んでいるのです。しかも、尋常な相手に頼むのではありません。「ちょっと新聞を取って下さいませんか」というささやかな頼みごとでも、言うことをきこうとしない女性が相手なのです。番組によると、親密になって数ヶ月たったころ、「スパイをしてくれないと、もう会えない」と言って、女性にスパイを働かせたといいます。しかし、これでは何の説明にもなりません。かりに私が、「新聞を取ってくれないと、もう会えない」と言っても、相手の女性を喜ばせるだけでしょう。私が女性に踏み潰されているのは、たぶん、女性との付き合い方が適切でないか、女性が適切でないか、私が適当でないかです。その答は、私を知る人なら容易に想像できるはずです。
December 8, 2005
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先日、テレビを見ていたら、日本に長期滞在している外国の男が、日本の女性について語っていました。「数人の日本人女性と付き合った(この時点で私は許せないと感じた)が、日本の女性は自分の意見を持っていないから、付き合っても飽きてしまう」と言っていたのです。(ここで私の怒りは頂点に達しました!)(飽きたのなら、私に紹介しろ!)そんな私の孤独はともかく、この発言の内容自体も私の認識と大きくかけ離れています。その男と付き合った女性は、英語が苦手で「イエス」としか言えなかったか、男が、何か(お地蔵様など)を日本の女性と思い込んでいたのではないでしょうか。自分の意見を持たない女性が本当にいるなら、ぜひ紹介してもらいたい。私の周囲にいる女性は、確固たる自分の意見を持っています。「エルメスじゃなきゃイヤ」とか、「ベッカムみたいじゃなきゃイヤ」とか、「マッケンジーはイヤ」など、詳細かつ明確な意見を持っていて、妥協というものを知りません。結果的に、ベッカムとは似ても似つかない男と付き合ったりしているので、どこかで妥協しているのでしょうが、少なくとも私の説得で女性が意見を変えたためしはありません。日本人は、男女を問わず、自分の意見や主張を持たない、とよく言われますが、これは明白な誤りです。うそだと思うなら、通りがかりの人に「千円出せ」とか、「私と付き合え」と言ってみるがいい。女性の買い物にケチをつけてもいい。人間の自己主張の強さに改めて驚くはずです。実際は誰でも他人の自己主張の強さには手を焼いているはずです。自己主張するのは簡単です。しゃべる必要もありません。よく電車で青年が足を投げ出して座っていますが、これは「自分の前方五十センチは、俺の領域だからな!絶対に侵害させない!(コワいお兄さんが来ない限り!)」と、自己を主張しているのです。犬が放尿によってテリトリーを守ったつもりになっているのと同じ種類の自己主張でしょう。犬も自分より強いオスには、放尿による主張は通用しません。なぜ日本人は自己主張をしないとされているのか不可解ですが、さらに不可解なのは、自分の意見を持ち、それを主張するのが良い、とされていることです。他人と違う意見を持てと言うなら、二+三=六だ、という独自の意見を持てばいいのでしょうか。急いでいるとき、グループ全員が「日替わりランチ」を注文しているのに、一人だけ「スペシャルシーフードグラタン」を注文すべきなのでしょうか。自分の意見を持って良い場合は限られています。自分の利益や好き嫌いを主張するときのような、他人から見るとどうでもいい場合だけです。むしろ自己主張は、迷惑と争いのもとです。自己主張と同類のものとしては、わがまま、主体性、こだわり、頑固などがありますが、はた迷惑なものばかりです。それなのに「日本人はもっと自己主張すべきだ」と叫ばれているのです。たしかに、日本の外交は外国に対して強い主張をしないし、日本人旅行者が海外でカモにされることも多いと感じます。これは損なことでしょう。損をするから自己主張が必要だと叫ばれるのかも知れません。しかし、なぜ損をしてはいけないのでしょうか。他人に迷惑を掛けているわけではなく、むしろ喜ばれているのです。ソクラテスは、「加害者になるよりは被害者になれ」と主張したし、キリストは、「左の頬を打たれたら右の頬を出せ」と説き、私は、「左の頬も右の頬も打たないでほしい。どうしてもと言うなら、力いっぱい打たないでほしい」と希望しました。(三人とも被害者である点が共通しています)(ソクラテスもキリストも最期は死刑になったのが不吉です)私に危害を加えることしか頭にない者たちには、おおいに反省してほしいものです。もちろん、主張すべきことは主張すべきです。しかし、主張するなら、他人と違う意見より、正しい意見を主張すべきです。「エルメスじゃなきゃイヤ」と主張するより、「二+三=五」と主張して頂きたい。とくに私の価値については、正しい意見を持ってもらいたい。こう主張したら、ゆりちゃんに「本当に正しい意見を持ってもいいんですか」と言われたから訂正しますが、暖かい意見を持ってもらいたい。
December 3, 2005
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人は、目とか耳とか本とかPCのディスプレイとかから得られる情報だけでは、物事の真実を判断することは出来ないとカントは考えた。(かどうか、知りませんが)たしかに、キャバクラ嬢の愛想のいい笑顔や、「わぁ~、来てくれたんだぁ♪すっごい嬉しい☆すっごい会いたかったのよぉっ!」そんな言葉を額面通りに受け止めるのは愚かなことです。しかし、社交辞令や営業用の笑顔と解っていても悪い気はしない、というのも一面の事実です。「どうせ、仕事だから愛想よくしてくれているだけ」と冷ややかに受け止めても良さそうですが、あえてそうしないでニヤけてしまうのは、カントが言う『自由意志』の働きなのでしょう。カントは必然の支配を受けない自由意志こそ、人間の尊厳の源と考えました。人間の尊厳に関わるとなれば仕方ありません。尊厳を守るためにも、存分にニヤけざるをえないのです。また一人の女の子に通いつめて仲良くなると、愛想よくされるだけでは満足できなくなるのが常です。キャバクラ嬢もそのあたりは心得ていて、上客と見込んだ客には、あえて疲れた顔を見せて、「マッケンジーさんの前だと、仕事を忘れてリラックスできちゃうのよね~」なんて言ったり、わざわざぞんざいな口調で話したりして、「あなたは特別な人」感を演出したりするのです。いったい何を信じればいいのか分かりませんが、それでもやはり、男が目指すべきは、彼女達の言動の中に「仕事を越えた部分」を見つけ出すことです。「いくら仕事でも、彼女だって、時には本音を見せてくれるはず。本音を見せてくれるのは、自分に特別な好意を抱いているから」「さっきの態度や言葉は、けっして演技じゃない!」こうした可能性の存在を信じられない男は、キャバクラに行く資格はありません。(そういう人は最初から行きませんが)カントも、『限界がある人間の感覚器官で認識できないからと言って、神が存在しないという証明にはならない』と言っています。キャバクラにおいても、「仕事を超えた部分」のように見える言動が、果たして真実かどうか証明する必要はありません。ただ、無心に全力で信じればいいのです。「俺は特別な存在だ」「俺には素顔を見せてくれている」「俺に好意をもってくれているかも知れない」と。『イワシの頭も信心から』ならば、『女の子の愛想も信心から』です。そもそもキャバクラで男が追い求めている「成果」とは、いったい何でしょうか。「もちろん、狙った女の子を口説き落とすことだ」と力説する方は少なくないでしょう。その日を夢見て、男は足しげく店に通い、プレゼントでご機嫌をとり、アフターで高いお寿司をおごったりします。果てしない散財ですが、それでも口説き落とせるとは限りません。カントは、周囲の目や、見返りを期待するのではなく、『自分がやりたいからやる』『好きだからやる』という純粋な動機で行動してこそ価値があると考えました。たとえば、海で溺れている美人を反射的に助けるように、“下心や欲得抜きで”行為そのものの尊さに基づいて行動させる道徳法則のことを『定言命法』と名づけています。(どこかの宗教用語みたいですが)人は定言命法に従って初めて、自由な主体となるというのです。(まったく意味が理解できませんが)要するに、口説き落とすという結果は二の次で、入れあげたいから入れあげる、という境地になれたとき、我々は真の意味でキャバクラを楽しめるのです。「成果」を求めるのではなく、「入れあげたい」という『定言命法』に従うことが尊いのです。とは言っても、首尾よく成果が挙がってしまう可能性も無くはありません。そのときは、「ああ、これでは自由に楽しんだことにはならない」と言って、自分で自分を非難しなければならなくなります。しかし、自分自身の非難なんて、痛くも痒くもない、嬉しい状況でもあるので、どっちに転んでも大丈夫なのは言うまでもありません。またカントは、『他人も自分も、手段ではなく目的として扱え』と言っています。これも私なりに解かり易く解釈すると、『欲望を満たす手段として女の子を見るのではなく、女の子に欲望をかき立てられること自体が大事である』ということではないでしょうか。お互いがお互いを目的としている関係が成り立つとき、(私は『愛』か『打算』が生まれると思っていますが、)カントは彼が理想とする『目的の王国』が生まれると言っています。(なぜか『目的の王国』という言葉に、夜の繁華街の匂いを感じます)欲望の世界においては、とかく『目的』ばかりが空回りしがちです。徒労感や無力感に打ちのめされたときには、「これでまたカントの理想とする境地に一歩近づいた」などと思ってしまうことで、力強く立ち直りましょう。間違っても、迂闊に『目的』を遂げてはいけません。とくに、ゆりちゃんに対して、私以外の男には、けっして許されることではありません。≪註≫実は私は「キャバクラ」なるものに行ったことがありません。そもそも私の住む街に存在するのでしょうか。聞きかじった上っ面の知識に、適当な当て推量(と仮名)で書いたに過ぎません。今回の件を検証するためにも、ぜひ誰か私を連れて行って下さい。もちろん、勘定もお願いします。【イマヌエル・カント】よく分かりませんが、史上もっとも偉大な哲学者の一人。几帳面なタチで、毎日、決まった時間に散歩するカントを見て、街の人は時計の針を合わせたとか。しかし、けっしてカタブツなわけではなく、話好きで明るいキャラだったらしい。ちなみに、彼は一生独身でした。(夜の街を散歩していたのでしょうか)ところで、カント自身が『コペルニクス的転回』と言った“認識”とは、たとえばキャバクラ嬢が「大好き」と言った場合、本当に大好きかどうかは問題ではなく、言葉の意味は聞く側が勝手に決めるもので、それこそが“正しい認識”であるというものです。解かりにくいので、私の解釈で簡単に言うと「世界は自分の解釈(勘違い)で作られる」ということです。この考え方に立つことで、この世界は何倍も楽しくなりそうです。(悲しくもなりますが、そこは考え方一つということで)夜の世界も楽しくなるでしょう。ちなみに私は、ゆりちゃんと二人きりの世界(目的の王国)で楽しくしたい。
December 2, 2005
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