心の健康
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生き方の哲学ー7ulalan@ 浦蘭 嶋多朗「みおつくし」9月号より人類の数があまりも増え過ぎたため弱肉強食の法則が乱れている。そのため歪みが起こり、あらゆるところで不条理が発生し、弱肉強食の法則が保てなくなっている。解決の糸口が全くつかめない戦争が続き、親殺し子殺しが普通に扱われ、社会に蔓延してしまう。動物や植物の世界では宇宙の法則に沿って生物のバランスが保たれていた。人間は弱肉強食という自然界の食物連鎖の法則を崩し、地球の自然環境という宇宙の法則までも破壊している。人口が増えるということは生存競争が激しくなるのは当然で、争いごとも多くなり、発展すれば戦争にもなります。生活する場所を広げたり、動物で言えばテリトリーを広げるようになり、血縁関係や同色人種、同胞の数が増えれば領土を広げたくなります。獲物や食料、生活必需品や生活物資の豊富な地域を求めて獲得しようとします。色々な面で他者との比較や欲望が発生し、人口が増えれば増えるほど連鎖連動して争いも増え、略奪や闘争も増えます。そして安心のできる安定した生活は脅かされ、平和な地域社会や国家は長期に維持持続できなくなります。やがて欲望だけで生きる「どぶねずみ的」発想の人類が大勢発生し、たくさん育ちます。いつの間にか多いことが良いこと、大きいことが好いことなどと錯覚が根付きます。「支配・被支配二層構造と世襲・相続の制度が差別・不条理・戦争の元凶である」と、新田氏も言われています。実は少数派民族や少数派の地域で欲の争い事に悩み煩わされず、平和に安定した生活を営んでいる人々の方が、高層ビルやパソコン、携帯電話が無くても人間らしい充実した毎日を過ごしているのかも知れません。他者と比べるから欲が出る、他人と比較するから競争心が起きる、他者他人を見るから闘争心が芽生える。なぜ知性があるはずの人間が毎日闘争したり競争したり、生命まで奪い合わなくてはいけないのでしょう。と言うより、なまじ知性があるが故に闘争や略奪、殺人を繰り返すのかも知れません。たまたま人間だけに知性がある為に死を恐れ、四苦八苦に悩まされて生きなくてはならないのでしょう。しかし、知性が人それぞれにあっても、気づきを常に意識して生きている人と、気づきを意識しないで生きている人では人生の価値観に大きな差がでてきます。人間がいつかは死ぬという事は誰もがわかりきったことですが、闇雲に死を恐れ、遠ざけ、忘れようとして生きる人と、生と死は表裏一体で、生きている以上は常に死は隣り合わせで生活をしているという事を理解して生きている人では、日常生活の過ごし方、捉え方に違いが現れてきます。付け加えるならば、他の生き物社会がすべてメス社会なのに、人間社会だけが男性社会ということも原因になっているのでしょう。死を常に意識して生きている人は、今、ここを生きることができますが、死を意識しないで生きている人は過去と未来にとらわれ、今、ここを生きることができません。今、ここをよく生きていれば無闇に死を恐れたり、死ぬことが悪いことと考える理由も必要もありません。病気も死も生きている以上、常に表裏一体で人生には付きものですから、受け入れて仲良く生きれば苦痛も恐怖も和らぐでしょう。いくら大金を積んでも死は先のばししてくれませんし、いくら偉い人でも病気から逃れることはできません。大金持ちでも貧乏でも、偉い人でも凡夫でも、病気と死は常に平等に与えられています。地球上のすべての生物と、人間も一体と考え、人間様だけが地球上で特別待遇ではないと自分に言い聞かせることも時には必要かも知れません。そもそも、死ぬだの生きるだのと、人間が勝手に考え出した動詞で、他の生物や動物社会では名詞も動詞も無いし、死ぬも生きるも区別は無いわけです。自然の法則、宇宙の法則、食物連鎖の法則で生きたり死んだりしているわけです。もちろん死が悪いとか生きるが好いなども人間が勝手に決めた錯覚の価値観です。ならば、もしかしたら動物社会から捉えれば死が好くて生きるが悪いかも知れないわけです。発想が少し飛躍しましたが、生物動物社会から見れば人間社会が勝手に考えたり決めたりしている事は、とんでもない、考えも及ばない錯覚かも知れないのです。他の生物や動物社会から言わせれば「物事の善し悪しを勝手に人間だけで決めないでくれ」と言いたがっているのかも知れません。人間社会の常識は他の動物社会や自然界には通用しないし、適応しないでしょう。知性を持った人間社会が勝手に作り上げた科学による地球自然支配は、人間の自己中心的進化現象であっても地球規模で捉えれば退化現象なのです。二本足の知性を持った人類は地球を支配し、進化し続けているが、反面、地球と自然を破壊し続けている。進化した人間の知性は功的側面がある反面、罪的側面も表裏一体として同居しているのです。すべては表裏一体ですから、常に表も裏も意識して見たり考えたりしていなくては本質を見失います。死ぬことも生きることも表裏一体ですから、死を理解しないと生きる本質は理解できません。貧困な生活と裕福な生活と両方を知らないと、本当の貧困も裕福も理解できません。本当の貧困は裕福を知らないと理解できないし、本当の裕福は貧困を知らないと解りません。生まれつき貧困で貧困のまま人生を終われば、本当の貧困も解らないし、本当の裕福も解りません。生まれつき裕福で裕福のまま人生を終われば、本当の裕福も本当の貧困も味わえないでしょう。お釈迦さんは生まれ育った宮廷から外へ出て、凡夫の世界や四苦八苦を知り、死を知り、真理に目覚めました。たとえ、お釈迦さんでも宮廷内で死ぬまで過ごせば、真理にも目覚めず、裕福が当たり前で貧乏な生活の存在も知らずに、本当の貧富の差もわからずに一生を送ったのでしょう。先進国の生活を知らないアフリカの奥地の原住民は自分達が貧乏などとは思ったことも無いでしょうし、裕福な生活をうらやましいと考えもしないでしょう。世界情勢は平成セミナーで新田氏が既に予測している流れになり、どう考えても将来的には米ソも及ばない中国の経済発展の勢い。そして中国と繋がりの深い北朝鮮にアメリカは遠慮し、アメリカにとっては既に用なしで、危機感と緊張感が全く無く、あてにならない日本は国際社会からも蚊帳の外へ爪弾きにされつつあります。国民不在の政党のための政治、自民党だの民主党だの、朝青龍の今後の成り行きだの、視聴率優先でテレビやメディアが大騒ぎして浮かれている場合ではないのでしょう。テレビ、ラジオ、メディアの視聴率とは何なんでしょう?61億の多数派「どぶねずみ的」人間を対象にした営利目的の数値です。インターネットも変革しつつあり、一般大衆化しつつありますが、閉鎖的で地域社会的なテレビ、ラジオと違い、インターネットの大きな利点はグローバルで規制も少なく、世界共通であるということです。世界にアピールしたい事を同時に瞬時に発信するためには、共通語とされている英語で発信する必要があります。そして欧米社会より地球温暖化や自然破壊を軽視していた後手後手日本も、やっと二歩も三歩も遅ればせながら一般社会に危機感が浸透しつつあります。将来は組織の時代から個人の時代へ移行し、そして他の生き物社会を見習って男性社会から女性社会になっていけば、地球上の人類は65億から61億が淘汰され、適正数の4億に近付くのでしょうか。
2007年08月31日
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