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SF「恐竜境に果てぬ」 序章 第1節 1・2 


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SF「恐竜境に果てぬ」 序章第2節1・2


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恐竜境に果てぬ序章第3節その1


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恐竜境に果てぬ第1章第1節その1


恐竜境に果てぬ第1章第1節その2


恐竜境に果てぬ第1章第1節その3


恐竜境に果てぬ第1章第2節その1


恐竜境に果てぬ第1章第2節その2


恐竜境に果てぬ第1章第2節その3


恐竜境に果てぬ第1章第3節その1


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2003.12.22
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カテゴリ: 科学
ちょっとした空想が、のちに現実のものになることは既に書いた。私が少年の頃、トランシーバー遊びに興ずる子を見て、「あれを日本中どこにいても出来たら、連絡網が列島全土に拡大して、日本にいる限り、限界線なきトランシーバーになるのに・・・」と想像していたら、電話はやがて子機を伴うのが当たり前になり、その子機がヒントとなって、携帯電話を生んだ。

これしきの想像力は誰しも持っているはずだろうが、私にはそれを現実化する才がないから、専ら空想するばかりである。まして、「伊東家の食卓」の如く、発明工夫趣味はないから、あの番組にも興味がないし、たいした物は登場しない。ご苦労なこととそっぽを向くだけである。

人間が想像して未だ実物を実現出来ぬ極にあるのは、「タイムマシン」だろう。誰しもこれの実現を便利・夢の発明と思うだろうことは、「ドラえもん」が大ヒットしたことでもわかる。だが私は根拠はないが、死後の世界を異次元と空想する者だから、時間旅行機の発明は、人類にとって一大重大事件となると思い、これを余り歓迎していない。

もう少し日常に近いことを空想するのが常である。人の本で知ったものもあるから、これから枚挙するものの中には盗作もある。
まず私自身が日ごろ感じていることから書く。それ以降は盗作交じりである。
我が家では夜、必ずテレビをつける。実は私は各局がブラウン管から発するこれらの特に音が耳障りである。

会話はほとんど母が相手だが、私の声は蚊の鳴く如くか細く、又口跡が聞き取りにくい声帯に出来ているようで、母の耳には届きにくい。私にはテレビが耳障りだから、リモコンの消音ボタンを押すか、甚だしきはテレビそのものを消す。
これを繰り返すうちに思いついたのが、「団らんに配慮したテレビ」である。そんなもの作られるわけもないことを承知だが、願望は願望としてある。

つまりテレビにそっぽを向いて会話が弾み出す頃、センサーが感じ取って、ボリュームを自動で下げる装備のテレビを欲するのだ。時に、会話よりテレビ画面に興味をそそられることがある。そこで沈黙すること何秒か経つと、テレビは次第にボリュームを上げるのである。
昔、ラジオしかなかった昭和30年代初め、茶の間の片隅に台など作りつけて、そこにラジオが置かれていたが、日常会話の妨げにもならず、ラジオの音も聞こえて、両者あらかじめ和解出来ていた。

テレビは人間の五感のうち視覚・聴覚の二つをも奪ってなお、さあ見よ、聞けとばかりやかましく怒鳴り立てんばかりだが、視線を向けても、再びそっぽを向きたくなる映像と音声を発するばかりである。そこに展開するものは、百害あって一利なき愚劣な企画ばかりだ。

たまに懐かしい歌番組をやっても、あるいは特にCMは、人の歌う声より、宣伝文句より、バックの音楽が大きくてうるさい。聞き取りにくい。テレビにもイコライザーをつけて、例えば歌手の声だけを前面に大きく出す装備は無理か。伴奏というぐらいだから、添え物程度で良いと思うが、うるさくてたまらない。

次。三交替勤務の人は、昼間熟睡しなければ次の仕事に支障をきたす。部屋の蛍光灯というものは、スイッチを入れて暗い空間を明るくするためのものだが、この逆ができないか。真っ昼間は当然日の光で部屋は明るい。照明はいらぬ。三交替の人はこの自然光が目障りなはずだ。カーテンを、更に遮光カーテンを引き、なるべく部屋を暗くして寝る。

だが不完全である。そこで、自然光を一定範囲だけ遮断する逆照明とでも言うべきものが出来ないものだろうか。部屋へ入ると照明器具に似て非なるものが天井から吊る下がっている。カーテンは開けたままである。だが、この器具のスイッチを入れたとたん、部屋の中だけ真っ暗になるのである。これでつかの間深夜の闇を再現できる。

温度の寒暖を調整して、両方を具備したエアコンは既に完成している。逆転発想の発明は無理であろうか。
逆転以外に、多機能装備の製品が既にある。ラジカセはその好例だ。私はラジテレと言うべきものを欲する。テレビがラジオを兼ねるものである。電気屋にある大型テレビにこれが取り付けられることは無理だろうか。昔の生活が恋しいのである。耳からだけ聞くと、聴覚がとぎすまされ、かつて我々が過ごした、かしましくない生活がよみがえる。

風呂を急いでわかす必要が急に生じた時、たまたま汚い残り湯があると、栓を抜いた小さな穴からちょろちょろ流れ尽きるのを待たねばならぬ。ある方法で、瞬時に湯船一杯の水を蒸発させ、ついでに外気中に追い出す装置が出来ぬものか。

その逆に、電子レンジの如く、比較的短時間に浴槽の水をあっというまに適温の湯に変える風呂は出来ぬものか。エネルギー消費がとんでもないものになり、実用的でないのかも知れぬ。

観光地へ行ってせっかく写真を撮って帰って来て家族に見せても、もの言わぬ画像がぽつんと写っているだけである。だが、音波を捕えて、ディスクに保存するような装置がカメラにつけば、それは風景と共に、フィルムに録音保存される。帰宅して特定の装置で写真を見ると、華厳の滝の画像と共に、滝のごーごーと落ちる音が再現されるのである。ま、これはビデオカメラ一つあれば出来ることだから、どうしてもというほどのものではないが。

私は寝ぞうが極めて悪い。このせいで風邪を引き込み、寝込んだこともある。敷布団・毛布・掛け布団それぞれの適当なところにボタンかホックのようなものを取り付けて、ある程度以上動かぬズレぬ布団セットを欲するが、その存在を寡聞にして知らぬ。あるいはさがせばあるのか。

又私は厳冬期でも、拳法の運動をしたいと思うが、体が弱いからか、必ず風邪をひく。運動しても逆効果である。外暖房とでも言うべき画期的製品が出来ぬか。スイッチを入れると、外の一定空間だけ、春になるのである。程よい汗がかける。

万が一、失職することがある。あるいは生きているのがいやになることがある。「仮死装置」なるものが出来ると、衣食ままならぬ間、意識を失いたいと思う間作動して、完全死に至らぬ程度に、人間の代謝機能を低下させてくれる。タイマーをセットしておいて、何日か、何週間か眠ったのちに目覚める。このかん、電気もガスも食事もいらぬ。これは寿命を延ばす副次的効果をも兼ね備える。ただし、起きた時、己れを取り巻く情勢は更に悪化していることもあるから、何とも言えぬ。

空気を使わぬタイヤが出来ると、タイヤ会社は商売上がったりだろうが、車に乗る者は、不意のパンクのおそれからは解放される。これは、幼児の三輪車を見て思いついた。
これだけ進歩した自動車にもかかわらず、チューブレスタイヤがせいぜいで、エアーレスタイヤは絶対出現せぬ。やはりメーカー事情なのか、それともそんなタイヤは無理なのか。

ついでに、路面凍結域に接近すると、センサーが働いて、タイヤをあっというまにスノータイヤに変貌させる2機能タイヤが出来たら、真冬どんなところへでも、とりあえず出かけられる。積雪が一定値を越えると、又してもセンサーが働き、走行不能表示を出す。ここで引き返せば良い。

更に車。今は進歩してどうなっているのかわからないが、以前、軽自動車で走行中、突然車がのろのろ走行になり、遂に止まってしまった。父に連絡すると、まもなく来て燃料計を見るなり、近くのスタンドへ走って行った。スタンドの従業員が「ああ、ガス欠ですね」と言って、用意したポリタンクのガソリンをその場で注入、父は「どうもお手数かけました」と礼を言い、いかにもガス欠などみっともないという顔をした。

だが依然エンジンはかからぬ。何、ガス欠ではなかったのだ。私はそれしきのことに気がつかぬアンポンタンではない、人のトラブルをすぐその者の愚かさゆえと決めつける父がアンポンタンなのだ。
ヒューズ切れであった。これを知らせ、とりあえず予備ヒューズを作動させる車はあるのか。これも寡聞にして存ぜぬ。

酒飲みは検問でしか捕まえられないが、それでも警察と装置のおかげで、飲酒運転の発見は可能になった。
ならば、新生児すべての脳髄のある個所に、特殊装置を埋め込む手術を施しておく。
長じて浮気をした者の例えば額に、赤い色の輪が浮き出る。「私は浮気しました」と文字通り顔に書いてあるのだ。朝帰りした亭主・夜遅く帰宅した女房いずれも、「会社の付き合いで」、「友達とバッタリ会って」が通用しなくなる。
夫婦仲良く、共白髪。一生潔白に添い遂げるのである。こんなもの、出来やしないな。





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最終更新日  2021.02.27 01:39:02
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