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2024.12.04
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カテゴリ: 怪談
​​ 怪談チャンネルの「四谷怪談」評が偏っている

筆力は衰えているが、一再ならず書きたかったことなので書いてみる。
「四谷怪談」映画の中で一番優れている作品を推す者どもが怪しい。怪談映画の評価は人それぞれと思うが、世代も関連する。さらに作品の完成度に言い及び過ぎる者たちがうっとうしい。You Tubeに出演する専門家たちがそろいもそろって、昭和34年版ばかりを激推しするので、「ほかの作品と比較ぐらいしてみろよ」と文句を言いたくなる。




ズバリ書くが中川信夫氏の「東海道四谷怪談」(昭和34年、1959年)を激推しする者たちがほとんどでうんざりだ。
根拠はいたって単純。この「東海道四谷怪談」は総天然色で各場面の構成がスマートで、伊右衛門(いえもん)の人物設定もきちんと立案されている気がするから、映画全体の完成度が高いと思わせるに充分である。

だが、作品の体裁が整っていればそれが最高傑作と映るに決まっているとしたら、それは観客あるいは見る者を無視しがちになるに違いない。
これもザックリ言って「怖いこと」が必要十分条件と定義する限り、昭和31年版「四谷怪談」(毛利正樹監督)のほうが数段恐ろしさが際立つ。


新東宝昭和31年(1956)「四谷怪談」


制作はいずれも当時存在した新東宝で、「東海道四谷怪談」が1959年(昭和34年)、「四谷怪談」が1956年(昭和31年)で、悲劇のヒロイン役は「東海道四谷怪談」が若杉嘉津子(わかすぎ・かつこ)さん、「四谷怪談」が相馬千恵子(そうま・ちえこ)さんである。なお、相馬千恵子さんは、現在101歳で、ご健在だ。やはり男より女の人のほうが長命するかたがたが多くて、驚くばかりだ。若杉嘉津子さんは亡くなられているものの、没年不明ながらも、2005年にトークショーのゲストとして出演なさった事実をみる限りでも、この時79にはなっていらっしゃって、長命なさった可能性を否定出来ない。

この『四谷怪談』の何が恐いのかというと、お岩様がだまされて毒薬を飲み、まもなく顔の半面が無惨に崩れてゆくところあたりから既に恐い。その時まだ死んではいないのだが、女の命とも言われる髪の毛が顔が、醜くはれ上がってゆく過程が既にして恐ろしい。
現にあんまの宅悦(たくえつ)は、お岩様の凄絶な顔をまともに見られずに震えて逃げてばかりである。


白黒の掲載画像はいずれも新東宝昭和31年版(1956)「四谷怪談」より。主演は当時として165cmの長身だった相馬千恵子さん。映画の中でも、民谷伊右衛門役の若山富三郎氏より背が高いのではと見える。


つまり人一人、まだ死ぬ前であり生きているのだが、面相がこの世のものとは思われぬ凄まじさで恐ろしいのだ。
女の人ひとりが、次第に死につつあり、死んだあとには果たして・・・と、容易に想像出来る過程が恐ろしいのだ。

このような四谷怪談映画などの考察は、過去複数回行なっているが、文章につづるとなると、ある意味構えてしまい、頭の中には雑然たる文案はあるのだが、一字一句ずつつづらない限り、形に残る日本語とはならない。筆の運びは拙いが、やはり書き記すに如(し)くはなし。

見ていて「これは恐い」と見続けるのが本当に恐ろしくなる怪談映画は、「既に生きていながらも、次第に面相が変貌を遂げる」筋書きのものがある。
「真景累が淵」もその一つと言えようか。
やや横道にそれるが、本作は明治期の落語家・三遊亭圓朝(さんゆうてい・えんちょう)師匠によって作られ演じられた言わば我が国の古典怪談の代表の一つであり、全部演ずるのはほぼ無理というほどの長さだ。


若杉嘉津子さんが主演した新東宝「怪談累が淵」(1957)。三遊亭圓朝師匠の「真景累が淵」が原作の古典怪談の名作。

旗本の深見新左衛門(ふかみ・しんざえもん)が、金貸しの鍼医・皆川宗悦(みながわ・そうえつ)の取り立てにカッとなって斬り殺し、死体を家来に処分させる。これがほぼ物語の始まりのところだが、深見には次男に新吉(しんきち)、宗悦には長女・豊志賀(とよしが)がいて、この二人はのちに割りない仲となって、いよいよ身の毛もよだつ怪異談へと話が進んで行く。

恋仲の二人は実に親子に近いほどの年の差だが、豊志賀は弟子としてかよっていた若いお久が新吉と親しくなる様子に嫉妬して、その嫉妬心昂じて、顔半面の醜い腫れを生じて面相は凄い様子に変貌する。
つまり生きているあいだに、見るも恐ろしき形相へと日ごとに変貌してゆく。新吉は豊志賀の世話をするのだが、年増の豊志賀は、愛想尽かしを案じて新吉を執拗に慕う。これが見ていても恐ろしい。

だが四谷怪談の凄さは格別である。お岩様は伊右衛門にはかられて殺される結果となるけれども、暴行されたり斬られたりして絶命するのではなく、南蛮渡来の毒薬で顔半面を崩され、さらに小刀がのどに刺さって絶命する。これには作品により、毒薬の作用が初め顔を崩し、症状が進んで絶命に至るパターンもある。

少し前にYou Tubeの「オカルトエンタメ大学」に出演した高橋洋(たかはし・ひろし)氏(映画監督・脚本家・映画批評家)が、怪談の作り方を講義なさっていた時、『因縁話にせざるべし』と言いながらも、怪談の白眉として挙げた「四谷怪談」を「因縁話だがこれは例外的に恐い」と説明してくれたのが印象に残る。


お岩様が初めて「チキショー」と伊右衛門への恨みの言葉を叫ぶシーン。故・楳図かずお氏によると、顔の右側に変貌が現われ、これは左脳を毒薬で破壊されたからで、顔面は交差して右側に出るとのこと。さすがヒット・メーカーだった楳図かずお氏と、敬意を覚えた。



昭和31年版の「四谷怪談」が恐いもう一つの描写というべきシーン。はりつけられたお岩様を乗せた戸板が川を流れて来るシーンで、戸板が画面に最も近づいた瞬間、死体であるはずのお岩様が、『カッ』とばかりに目をあける。これは死体を投げ捨てた伊右衛門たちは知らないわけで、見ている観客たちに向けた場面というべきか。


髙橋洋氏は「人間が幽霊になってゆくまでを見せるという、比類なき描写に恐さがある」と言っている。私も説明を聞いていて誠に、その通りだと感心したものだ。

さて、この怪談テーマのブログ、今回の最後として、ネット検索で見事だと敬意を持った一つの映画サイトから、四谷怪談評について書かれたものを抜粋要約してしめくくる。
この映画サイトのかたにひとことごあいさつしたいと思っているが、本ブログ掲載前にするのが筋と心得るものの、一応参考資料として掲げておき、改めて事後連絡との形で許されるだろうかと迷っている。

よって、このかたの批評文を丸写しなどということはせず、書いた通り抜粋要約してみようと思う。私の心を捕えたのだから、このかたの四谷怪談評は、昭和31年版の「四谷怪談」をきちんと評価している。さらに昭和34年版の「東海道四谷怪談」をも中庸に評価していて、そのへんは私のような狭量さはなく、バランスがとれている。

このかたのホームページは『日のあたらない邦画劇場』がメインページとでも呼ばせていただけたら幸いですが、この中に『日本映画の感想文』と題したページがあり、さらに『ジャンル別作品目次』があり、クリックすると、『四谷怪談がいっぱい』に到達、ここで複数の四谷怪談映画に関する巨細な、しかもユーモアも見事な(都合九つの)作品タイトルを見ることが出来る。

まず相馬千恵子さんがヒロインを演じた昭和31年(1956年)「四谷怪談」に及んだ文章から抜粋要約する。
★カットごとのメイクの変化で、面相の悪化の過程を見せる。照明のライトの移動なども陰影の効果を実現している。
本作「四谷怪談」のほうが、こわさでは上回る。つまり今なら特殊技術が進歩して、技術に限界のある撮影時の画像をあとからの処理で補えるところ、当時はライティングの工夫などでカバーしたということだ。

若杉嘉津子さんの西洋風幽霊に対して、相馬千恵子さんの純和風幽霊のほうが、その醸し出す陰湿さがはるかに上。ここが大事だ。相馬千恵子さんは、目が腫れぼったい一重まぶたの美人だ。私見になるが、これだけでも見ていて「この女の人、凄みをたたえている」と思えそうな和風である。★

いよいよ抜粋要約している本サイトのかたの情報量の凄さがわかるエピソードをつづる。
昭和34年(1959)「東海道四谷怪談」についての記事からである。なお、ヒロインの名前は、私自身の主義としてだが、敬称を付してつづる。要するに恐ろしいのです。
★お岩様の顔が薬で崩れ、あんまの宅悦が恐怖のあまり逃げ惑うシーンの撮影では、本物の赤ん坊を抱いていた若杉嘉津子さん(既に出産して子の母親となっていた)は、キャメラを追いつつ、赤ん坊から見えないように顔をそらして必死で演技をしたという。

さらに隠亡堀(おんぼうぼり)の戸板返しのシーンでは、看護師を待機させて、宅悦役の大友純氏と同じく若杉さん本人も、身体に悪いはずの塗料だらけの水の中に本当に浸かっていた。★

邦画大手の中で真っ先に倒産した新東宝は、同時代を生きて過ごした人にしか知られぬほど、忘れ去られた映画会社になったが、怪談映画、殊に四谷怪談に限ってみると、間違いなく他の大映・東映・東宝を突き放していた。


『日のあたらない邦画劇場』⇒『日本映画の感想文』⇒『四谷怪談がいっぱい』⇒『東海道四谷怪談』『四谷怪談』
ありがとうございました。





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最終更新日  2024.12.04 10:17:53
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