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2022年10月22日
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この間、楽天ブログの埋め込みアクセスカウンターがなんか変じゃね?という話を書いたところ、翌日から急にカウント数が激減しました。どっかで見てるんかい(笑)いや、このところコンスタントに200前後アクセスカウントがあったのが、急に2桁前半とか。ボットのクローリングがカウントされてないとかならいいんですけれども、試しに自分のブログ絡みのワードで検索してみたら、今まで結構検索されていたような個別の記事が全く出なくなって、トップページに絡む形で出るだけに。
 ま、いいんですけれどね。アフィリエイトとかやってるわけじゃないし、元々誰が読んで下さってるかも定かじゃないし。とはいえ、今まで普通にgoogleとかで検索して出ていたような記事が突然出なくなったってのは、なんかあるんですかね。それこそ、どっかでネガティヴなこと書くとチェックしていじったりしてるのかしら。そんな暇ないと思うけど。でも、なんというか、小人閑居して悪事を為す、じゃないけれど、つまらない人間がたまさかなんか「力」を持ったりすると、勘違いしておかしなことをし始めるとかね。ありますからね。それが拗れると大変なことになったりするものなのだけれども。

 ロシアの国立のバレエ団、となってますが、これはいわゆるバレエなのか、モイセーエフバレエとかいうそうですが、これがこないだから日本に来て公演をやっていて、それが若干物議を醸しているそうで。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221018/k10013862321000.html

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20221018/1000085925.html

 物議を醸してる、というわけではないのかな。そもそもこんなところが来て公演やってるなんて私は知らなかったし、呼んでいるのは、ロシア関係の団体や演奏家とかを呼んでいるところらしいです。
 記事を読む限りでは、例によってロシアの文化芸術と政治は別物だ、という意見がある一方で、日本在住のウクライナ人は「文化を人間から切り離して考えることは出来ない」として反対を呼びかけたそうで。

 個人的には、基本変わりません。ある意味ずるい部分もあるけれど、国立の団体だとか、公の禄を食んだ者を、今聞く気にはならないですね。運動まではしないけれどもさ。「文化芸術と政治は別物」という見解よりは、「文化を人間から切り離して考えることは出来ない」という見解の方が、私はより適切であると思います。理由は幾らでも述べ立てることは出来ると思うけれども、シンプルに言えば、結局、政治も、文化芸術も、勿論戦闘行為も、皆人の為す事であることに変わりはないのですよ。そこに線を引いて考えたいというのは分からないでもないけれども、でも、一線を超えてしまった状態では、やはりそこに嫌悪感を感ぜざる事能わず、なのですよ。
 大統領に責任がある?でも、悪いけど、前世紀から生きていて、ソビエト連邦崩壊のニュースをリアルタイムで見ていただけでなく、その前の冷戦時代も見てる者の立場からすれば、ある種の独裁者を押し上げたのには国民に広く責任があるのですよ。今更「自分達のせいじゃない」なんて言うな、とね。そんな国の看板を掲げてやってくる人間がやらかす文化芸術とはなんなのか、と思わずにはいられないと思いますけれどもね。

 不幸な時代ではあるのでしょう。そんな時代に生まれ合わせた不運は彼らの責任ではない、と言われるかも知れません。でも、そこに生きている以上、責任は否応無しに引き受けざるを得ないのです。理不尽と言えば理不尽ですが、そんな理不尽は何某か誰でも何処でもいつでも抱えているもので、それは彼らが背負うべきものである以上、背負わざるを得ないのですよ。

 いや、それだって一つの考え方に過ぎないので、普遍的ではないのでしょう。でも、そう思ってしまうのだもの。それが私にとっての「義」というものです。そんな中、今まさに同じ看板で人殺しを遂行している、その看板背負って文化芸術を名乗るということ。要はそういうことでしょう。文化も芸術も政治も、同じ人の為す事であることに変わりはないのです。
 まして、ロシアという国は、文化芸術を政治に積極的に利用してきた国であるのですよ。前にも書きましたが、以前​ ゲルギエフ隷下のマリインスキー劇場の「イーゴリ公」の引越公演 ​でそのあまりの改変に呆れ果てた身としては、正直近寄りたいとは思わないのです。

 人に強制はしませんけれどもね。でも、自分は絶対行かないな、と正直に思います。





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最終更新日  2022年10月22日 02時48分53秒
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