ヴィーテ・イタリア高岡(Hiruccio)のイタリアワイン&主夫日記

ヴィーテ・イタリア高岡(Hiruccio)のイタリアワイン&主夫日記

PR

Profile

Hiruccio

Hiruccio

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments

坂東太郎G @ 調味料の味(05/29) 「石垣の塩」に、上記の内容について記載…
http://buycialisky.com/@ Re:納豆の味に思う。(05/31) cialis kopen in europatestimonials viag…
2008/05/06
XML
カテゴリ: 映画と読書

塩野七生ルネサンス著作集(2)


この本のまえがきには、以下のような愉快な部分があります。


「ルネサンスの女たち」の成分表

政略結婚 8
戦争   2
略奪   2
暗殺   6
恋    4
牢獄   2
gokan   1 (←漢字で入力すると削除されます(^^;)
処刑   4
そして権謀術数にいたっては数知れず。




実にどろどろとした人間の暗部、ネガティブな部分が
その成分のほとんどを占めているように見えますが・・・。

また、こんな言葉も。

映画「第三の男」のオーソン・ウェルズのせりふとして



「きみは僕の悪人だと非難する。しかし、数百年の平和の
後に、スイスはハト時計をつくっただけなのに、ボルジア
や他の連中が悪事を尽くしたと非難されるルネサンスの
時代には、レオナルドやミケランジェロによって、偉大な
文化が花開いたではないか」




息を呑むような圧倒的な美しさとは、数々の政治闘争と
戦争、権謀術数に明け暮れる人間の業と表裏一体、切っても
切れないカップルのような存在なのでしょうか?


少なくとも歴史はそれをしっかりと物語っています。


第一章の、カテリーナ・デステ にしても、彼女が芸術家の
パトロンとしてヨーロッパ中の賞賛を浴びた事実は、文芸の
庇護者だから、つまり戦争という惨くも醜い人間性とは
対極的なモノに情熱を注いだから、ということに世評では
なっていますが、実のところは、マントヴァの領主としての
彼女のプライドこそが、いえ、というよりも、
自らとその国を守るという目的のために使った道具こそが
文化芸術であり、手段がその庇護あったという意味で、
芸術の歴史における意味合い、位置づけがより本質的、
核心的に浮かび上がってくるように思います。


※カテリーナ・デステが嫁いだマントヴァのゴンザーガ家直系
 子孫所有のワイナリー!

「ヴィニ・ディタリア」で10ヴィンテージ、最高評価であるトレ・ビッキエリを受賞。サン・レオ...



第二章、ルクレツィア・ボルジャ。 チェーザレ・ボルジャの
妹ですな。権謀術数の誉とは父である教皇アレッサンドロ
6世といえるほどに、当時イタリアを蹂躙しようと画策して
いた大国フランスの懐に入り込み、まさに返し技で一本を
取ってしまうような老獪さと強靭な精神で「イタリア統一」
を夢見た法王の娘。


「女を知ることは歴史の真実を知ること。ある時代を
よく知ろうと思ったら、その時代の女たちを良く調べると
よい」


とゲーテは言ったそうですが、ルクレツィア・ボルジャほど
父と兄に翻弄された人生を歩んだ女もいないのではないかと
思えるほどで、3人目の夫(二人目は兄に暗殺される)が
フェッラーラ公エルコレで良き夫だったことがせめてもの
慰めですが、それでも男たちの政争の道具にされて、その果て
にはフェッラーラを教皇領に奪われるのですから・・・
ボロ布のように使い捨てにされた女というイメージを
持ってしまいます。

それだからこそ、彼女を通して、当時の歴史の激烈を
極めた、食うか食われるかの凄まじいばかりの争いが
際立って見えてきました。

※ローマのお膝元、フラスカーティ地区のメルローです。




第三章は、カテリーナ・スフォルツァです。

イタリアの女傑。

イタリアルネッサンス最高の、美しく、残忍な女。

スフォルツァの名で、ピンと来る方もいらっしゃると
思いますがミラノのスフォルツェスコ城のあの
スフォルツァ家の、あのイル・モーロの姪に
当たります。

いわば下克上の時代でもあった戦乱の中で、様々な豪族、
野武士たちが傭兵としての技量を争いあっていた時代、
その勝ち抜き戦で優勝したのがスフォルツァ家だった、
といえるのですが、その血の気の強い気性を受け継いだ
カテリーナは、小国ながらフォルリの伯爵夫人となり、
夫なきあとは自ら軍の先頭に立ってチェーザレ・ボル
ジャ率いる教会軍との攻防を戦います。


籠城戦を制したチェーザレ・ボルジャは、自らの部屋に
彼女を監禁して、「イタリアの女傑」を陵辱したと
言われますが、その後の一年間におよぶローマの
サンタンジェロ城での監禁の後は、あのサヴォナローラに
魂の救済を求めるほどに強靭な精神は潰えていきます。

この晩年の彼女を評して、「神の恩寵の勝利」とヨー
ロッパの歴史家たちは彼女の一生を終わらせるそう
ですが、塩野七生さんによると


「彼女が惹かれてやまなかったのは、金と権力と恋、
 これらを失い、再び手に入る可能性がなくなって
 初めて、神に近づき始めた」


と結んでいます。


ルネッサンスの輝きの一つに彼女の「女傑ぶり」が
加えられることによって、その光と影のコントラストは
一層に強くなり、その魅力も増していくように感じます。


倫理的な「善悪」というものなど、ルネッサンス世界が
含みうるほんの一部に過ぎないのだということを
思い知らせてくれる人物像です。


※フォルリIGT 





第4章は、
ヴェネツィア共和国のカテリーナ・コルネール。



ここでルネッサンスは、東方のオスマン・トルコの台頭と
いう要素を取り入れなければならなくなります。


1453年にビザンチン帝国の首都コンスタンティノープル
がトルコによって陥落させられると、その触手を徐々に
西方に向かって伸ばしてくる勢力に対して、どう立ち向かうか。


もちろん当時それに最も敏感だったのが東方貿易で
ヨーロッパ有数の栄華を誇っていた商人の国家ヴェネ
ツィア共和国でした。


その政治的、戦略的拠点としてキプロス王に嫁ぎ、
王なきあと、ヴェネツィア政府の傀儡として好き勝手に
利用されたのがカテリーナ・コルネールでした。


ヴェネツィア政府は、彼女を利用することでキプロス人の
名誉を傷つけることなく「併合」し、レヴァンテと
呼ばれる東地中海の、しばらくの制海権を独占すること
に成功します。

併合後、カテリーナ・コルネールは、表向きは「優雅な
年金生活」を現ヴェネト州のグラッパの里「バッサーノ
・デル・グラッパ」近郊のアソーロで送ります。

そこで花開かせた宮廷文化もヴェネツィアルネッサンスを
語るうえでは重要なのかもしれませんが、この章では
「国家の傑作」ともいえるヴェネツィア共和国の実利主義
目的を達成するためには、いかなる手段も実行に移す、
しかも、表面上は平和裏に、当の本人にも気づかないように
一国の女王から権力を奪取してしまう芸術のような政治
手腕です。

※バッサーノ・デル・グラッパの名手中の名手!





全章を通じて、「女の哀れ」というものが、強く、深く、
ギラギラと輝きながらにじみ出てきます。

そして同時に、それぞれの人間として、女性として生きる
刻印=個性が、時代と彼女たちが生きた国と歴史の中に
活き活きとまた冷徹な視線と、そして大きな愛着と共に
書き込まれていました。


塩野七生の処女作です。
この頃からもう存分に塩野七生だったんですね(^^;)


彼女自身が、カテリーナ・スフォルツァでありカテリーナ・デステ
である。そして決してルクレツィア・ボルジャでもカテリーナ・コ
ルネールでもない。そんな気がします。


イタリアワインスクール「ヴィーテ」
夜の初級編です!
6月3日(水)~大阪北浜


イタリアワインスクール「ヴィーテ」
京都の上級編です!
6月18日(水)~京都河原町


イタリアワインスクール「ヴィーテ」
大阪の上級編です!
6月24日(火)~大阪心斎橋










お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008/05/11 04:13:09 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: