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五井駅の姉ヶ崎寄りに隣接している踏切です。駅周辺から広がる住宅地の中にあり、交通量は比較的多いです。この踏切のすぐ先には小湊鉄道線の「五井踏切」もあります。踏切名はこのあたりの地名、隣接する駅名からそのまま取られています。第三五井踏切 9K543M 幅員7.5M所在地:千葉県市原市五井中央西・五井中央東撮影日:18.11.29
2019.02.01
木々に囲まれた場所にある小さな踏切。この先には住宅が数軒あるのみで、住民以外の利用はほとんどなさそうです。踏切名の正式な由来は不明ですが、「和田前」「和田前谷」という小字が存在するのでこれに由来していると思われます。和田踏切 90K353M 幅員2.4M所在地:千葉県館山市山本撮影日:14.03.17
2014.05.15
山本地区の生活道路が交差する踏切。集落と国道128号をつなぐ道にあるため、狭い踏切ながらそこそこ交通量があります。幅が3M未満で、大型車の通行は不可能です。踏切名の「萩の台」の由来は不明です。萩の台踏切 89K966M 幅員2.6M所在地:千葉県館山市山本撮影日:14.03.17
2014.05.15
以前掲載したお宮踏切同様、第4種踏切です。こちらも水田地帯の中にあり、周辺はとても静かな環境となっています。前後の道は未舗装なので、自動車などは通行できません。反対側から。のどかで気持ちの良い風景が広がります。踏切名は、所在地周辺の旧村名「大作村」が由来となっています。大作村は中世より存在していた村のようですが、明治の初めに山本村(現・館山市山本)に合併し現在に至ります。村名の読みは「おおさく」ですが、踏切名は何故か「だいさく」という読みになっています。大作踏切 89K812M 幅員1.8M所在地:千葉県館山市山本撮影日:14.03.17
2014.05.15
「お宮」の名の通り、神社(諏訪神社)の裏手にある第4種踏切。この踏切は静かで雰囲気がよく、私のお気に入りの踏切のひとつです。反対側から。背後には神社の森があるため、ここからだと少し薄暗いです。木製の踏板にはなぜか番号が振ってありました。当踏切名の由来となった諏訪神社です。お宮踏切 89K523M 幅員1.8M所在地:千葉県館山市国分撮影日:14.03.17
2014.05.09
集落と水田の境目のようなところにある小さな踏切。踏切名の通り、付近には小学校(館野小学校)があり、通学時間には多くの利用があると思われますが普段はとても静かな雰囲気です。反対側から。向こうに見えるのが踏切名の由来となった小学校です。学校踏切 89K314M 幅員2.7M所在地:千葉県館山市山本・国分撮影日:14.03.17
2014.05.08
国道128号から分岐する広い市道と交差する踏切。道路に合わせて踏切も広くなっていますが、周辺の集落に行く住民が利用するのみなので交通量は少なめです。踏切名は所在地の地名が由来となっています。山本踏切 89K123M 幅員10.0M所在地:千葉県館山市山本撮影日:14.03.17
2014.05.07
のどかな風景が広がる場所にある踏切。周辺は水田や畑が広がり、踏切の先には森があります。幅は5Mですが、屈折式の遮断機が設置されています。踏切名は所在地の地名由来ですが、以前紹介した「安布里踏切」とは800M位離れています。第二安布里踏切 88K470M 幅員5.0M所在地:千葉県館山市安布里撮影日:14.03.17
2014.05.02
ビニールハウスが立ち並ぶ中にある小さな踏切。このあたりは花卉の栽培が盛んで、そのためのハウスと思われます。完全に郊外に入って周囲はほとんどが農地になり、利用者はほとんどありませんでした。踏切名の由来は不明です。小字や旧町名でしょうか?山下踏切 88K136M 幅員3.0M所在地:千葉県館山市安布里撮影日:14.03.17
2014.04.30
田園風景の中にある第4種踏切です。周辺は住宅が点在していますが、水田や畑などが多くなっています。小さい踏切ながら、近隣住民の散歩コースになっているようで撮影中も何人かの人が渡っていきました。踏切名の由来は付近にある寺院「蓮幸寺」ですが、なぜか踏切名は「連光寺」という表記となっています。館山方を見ます。街を離れ、のどかな郊外の風景が続きます。九重方を見ます。脇に見える自転車は今回の探索に使用したものです。連光寺踏切 87K869M 幅員1.8M所在地:千葉県館山市安布里撮影日:14.03.17
2014.04.30
古くからの住宅地の中にある小さな踏切。狭い道ながら交通量は意外にありました。このあたりから郊外の風景が広がるようになります。踏切名は「あぶり」と読み、所在地周辺の地名が由来になっています。安布里踏切 87K674M 幅員2.7M所在地:千葉県館山市安布里撮影日:14.03.17
2014.04.28
国道127号、128号と県道86号を結ぶ市道が交差する踏切。このあたりも館山の中心地で、主要な道路が複雑に入り組んでいます。抜け道的な利用が多く交通量は比較的多いです。反対側から。この市道は「房総往還」(現在の国道410号、以前紹介した「第九館山街道踏切」がある道路)と並行するルートだったこともあってか「館山街道」の名称が付けられています。第十館山街道踏切 87K095M 幅員6.3M所在地:千葉県館山市新宿撮影日:14.03.17
2014.04.27
靴屋踏切から九重寄りに少し進んだところにある小さな踏切。交差する道は狭く、付近に比較的交通量の多い踏切があるためここは利用者が少なそうです。古くからの住宅が集まる一角にあり、踏切の周囲も生垣や塀で囲まれています。「藤橋」という踏切名の由来は不明です。付近の小字や旧町名が由来でしょうか?藤橋踏切 86K981M 幅員2.5M所在地:千葉県館山市北条撮影日:14.03.17
2014.04.23
北条地区の住宅地の中にある踏切です。狭い道ですが生活道路や抜け道となっているため、交通量は意外にありました。踏切名の「靴屋」は、かつてこの近くに靴屋さんがあったことに由来しています。腕がよく近所でも評判のお店だったようです。館山方を見ます。九重方を見ます。このあたりは住宅地が広がっています。靴屋踏切 86K782M 幅員3.5M所在地:千葉県館山市北条撮影日:14.03.17
2014.04.23
国道410号と交差する踏切。館山駅や国道128号へ接続する道路のため、交通量は多いです。周辺は郵便局や病院などの公共施設が集中しています。反対側から。踏切名は、船橋と館山を結ぶかつての街道「房総往還」に由来しています。「房総往還」は安房・上総地域の重要な交通路とされており、木更津~館山間は現在の国道127号と同様のルートとなっています。この踏切が交差する道路は、「房総往還」のルートだった国道127号旧道(現・県道302号)の延長上にあります。「房総往還」という名称は一定ではなかったようなので古くから「館山街道」と呼ばれていたのかもしれませんね。この先には館山城や館山神社があり、その周辺が古くからの館山の中心地となっていました。第九館山街道踏切 86K532M 幅員7.7M所在地:千葉県館山市北条撮影日:14.03.17
2014.04.22
館山駅の九重寄りに隣接している踏切。周辺は商店や官公庁が集積する館山の中心地で、さらに交差する道路が国道128号や410号に接続するため、交通量はかなり多いです。反対側から。この先には北条海岸があり、踏切名の「海岸通り」の由来となっています。また海岸付近にある「北条桟橋」にはかつて汽船の発着があり、周辺が「汽船場」と呼ばれていたために「汽船場」の名称も合わせて付けられています。(現在は汽船の発着はほぼなく、北条桟橋は釣りのスポットとして親しまれています。)長い踏切名ですが、海や港と共存してきた館山の歴史を感じられる素敵な名称です。館山方を見ます。この少し先が駅です。このあたりも駅構内で、作業車両などが置かれています。九重方を見ます。ここだけだと複線に見えますね。汽船場海岸通り踏切 86K221M 幅員7.3M所在地:千葉県館山市北条撮影日:14.03.17
2014.04.20
館山駅の那古船形寄りに隣接する踏切。周辺は館山市の中心街で、住宅や商店が密集しているため交通量はかなり多いです。反対側から。この道の先には北条海岸があり、夏の時期はかなり賑わうものと思われます。踏切名は所在地の小字(地区名)が由来です。海岸の街らしい素敵な名前ですね。那古船形方を見ます。このあたりも館山駅の構内であり、この先に留置線があります。館山方を見ます。この先が駅で、南国ムードの駅舎が見えています。渚踏切 85K588M 幅員5.2M所在地:千葉県館山市北条撮影日:14.03.17
2014.04.18
安房鴨川行きの列車が江見駅を出て最初の踏切。駅周辺から広がる集落の外れにあり、利用者は少ないです。踏切名はこの先にある「九頭竜神社」が由来となっています。「九頭竜様」というネーミングが何となく面白いですが、地域での呼び名をそのまま踏切名に採用したのでしょうか。太海方を見ます。丘陵地と畑が続く風景です。江見方を見ます。すぐ先で線路の分岐が始まり、駅に入っていきます。九頭竜様踏切 111K619M 幅員3.9M所在地:千葉県鴨川市東江見撮影日:14.03.06
2014.04.08
江見小学校の裏手にある小さな踏切。線路の向こう側にある集落に行くためだけの踏切で、先は行き止まりになっているので住民以外は利用しないと思われます。幅員が1.8Mしかないので普通車の通行は困難でしょうね。踏切名は所在地の小字が由来となっています。和田浦方を見ます。線路はのどかな風景の中を走ります。江見方を見ます。この先に江見駅があり、ポイントや跨線橋が見えます。松木踏切 111K173M 幅員1.8M所在地:千葉県鴨川市西江見撮影日:14.03.06
2014.04.08
江見駅から続く県道272号が交差する踏切です。県道ですが生活道路並みの狭さで、住宅も少なく周辺は畑が広がっているため交通量はあまりありません。踏切名は所在地の地名「江見内遠野」(えみうとの)が由来と思われますが、なぜか踏切名は「宇遠野」となっています。当踏切の銘板は老朽化でキロ程と幅員が読めなくなっていたため、水道管や電気ケーブルの埋設地点を示すキロポストが踏切のキロ程にあたるものと思われます。宇遠野踏切 110K879M or 110K880M(幅員不明)所在地:千葉県鴨川市江見内遠野撮影日:14.03.06
2014.04.04
安房鴨川駅に隣接する、内房線最後の踏切です。通称「長狭街道」と呼ばれる県道34号が交差しています。鴨川市の中心地にあるため、交通量が激しく撮影のタイミングに苦労しました。反対側から。踏切名の「太一号」ですが、「太」は「太海」の意味と思われます。おそらく太海~安房鴨川間にあるためにこの名称になったと思われますが、詳細は不明です。内房線にはこのほか、「南一号」(南三原~和田浦間)、「和一号」(和田浦~江見間)「江一号」(江見~太海間)といった名称の踏切がありますが、いずれも「一号」のみの存在で、なぜこのネーミングになったのかは良く分かっていません。太一号踏切 119K070M 幅員8.8M所在地:千葉県鴨川市横渚撮影日:14.03.06
2014.04.01
太海~安房鴨川間の2つしかない踏切のうちの一つです。住宅地の中にある静かな踏切で、周辺住民の利用が多い印象でした。反対側から。「長狭高」(ながさこう)という踏切名は興味深く、この近くにかつて存在した「県立長狭高校」が由来となっています。この高校は1965年に国道128号沿いに移転し、跡地には鴨川市立鴨川中学校ができました。しかし、中学校も校舎の老朽化や統合により2011年4月に別の場所(鴨川市広場)に移転しています。現在は中学校跡地(当踏切名の由来となった長狭高校跡地でもあります)には2012年4月に亀田医療大学が開校しています。したがって、敷地は高校⇒中学校⇒大学と変遷していますが、踏切名だけは変わることなく「長狭高」を名乗り続けています。ほとんど変化することのない踏切名は、その地域の歴史を紐解くことができる面白いツールであると考えています。(参考:千葉県立長狭高等学校HP、鴨川市立鴨川中学校HP、フリー百科事典ウィキペディア『鴨川市立鴨川中学校』、亀田医療大学HP)太海方を見ます。安房鴨川方を見ます。長狭高踏切 118K803M 幅員3.2M所在地:千葉県鴨川市横渚撮影日:14.03.06
2014.03.31
内房線最初の踏切です。この踏切は複線の内房線と、単線の京葉臨海鉄道が走っていて、渡る線路は3本あります。踏切の幅はこちらのほうが広くなっています。踏切名の「大網里道」は大網街道と同じ意味だと考えています。おそらく、外房線の踏切と紛らわしいためこの名前になっていると思われます。銘板は上の写真から切り取ったもので、ぼやけていて申し訳ありません。大網里道踏切 0K618M 幅員8.0M所在地:千葉県千葉市中央区今井・蘇我撮影日:10.08.17
2013.02.19
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