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先述の「誓願寺踏切」と同じく、中央本線側と身延線側で管轄の異なっている踏切です。写真は身延線側で、JR東海が管理しています。身延線金手駅に隣接した場所にあり、踏切名も駅名からそのまま取られています。この踏切は中央本線側、身延線側でキロ程が異なっています。反対側から。こちらは中央本線側で、JR東日本が管理しています。この踏切も比較的交通量が多いです。酒折(善光寺)方を見ます。左端と真ん中の線路が中央本線で、右端の線路が身延線です。甲府(金手)方を見ます。金手駅は並走区間にありながら中央本線には駅がなく、身延線のみの駅となっています。街中にありますが無人駅で利用者は少ないです。踏切にはこのような表示機が設置され、どちらの列車が通るのかが分かります。身延線側のみに設置されているJR東海の管理プレートです。金手踏切 131K423M 幅員4.8M(中央本線)/86K868M(身延線)所在地:山梨県甲府市城東撮影日:15.09.29
2015.12.18
酒折駅を過ぎた後の身延線との並走区間にある踏切です。この付近の線路は中央本線がJR東日本、身延線がJR東海の管轄となっており、並走はしているものの管理は別になっています。したがって中央本線側と身延線側では設備の違いも見られ、警報音が若干異なります。写真は身延線側で、JR東海が管理しています。このような踏切はJRと私鉄が並走している場所(総武本線「花立踏切」、赤羽線「第一雲雀ヶ谷踏切」など)ではよく見られますが、JR東日本とJR東海のように異なるJRが同じ場所の踏切をそれぞれ管理するという例は極めて珍しいと思います。ここから一つ甲府寄りにある踏切も同様となっています。身延線善光寺~金手間の線路は国鉄時代は東京西局(現在のJR東日本八王子支社)の管轄でしたが、民営化を前に静岡局(現在のJR東海静岡支社)の管轄に変更されました。それ以来同じ踏切で管轄が異なっています。反対側から。こちらは中央本線側で、JR東日本が管理しています。踏切名は付近にある寺院「誓願寺」が由来です。周辺は住宅地で、狭い踏切ながら交通量は比較的多いです。JR東海の管理プレートで、身延線側のみに設置されています。独自のキロ程もあるようですが(隣の踏切では中央本線と身延線でキロ程が分かれています)、この踏切は不明です。誓願寺踏切 131K255M 幅員4.8M所在地:山梨県甲府市城東撮影日:15.09.29
2015.12.18
塩山駅の東山梨寄りに隣接している踏切です。駅周辺の住宅や商店が密集している場所にあります。交差する道は狭く、抜け道的な利用が多そうです。踏切名は交差する道路が青梅街道(国道411号)の旧道だったことに由来しています。現在の国道411号は駅の勝沼寄りにありますが、旧来の青梅街道は東山梨寄りにある現在の「中央通り」で、踏切のある道はそれよりも古い道と思われます。ちなみに、「中央通り」にある中央本線のガードの名称は「青梅街道ガード」です。旧第一青梅街道踏切 115K596M 幅員4.5M所在地:山梨県甲州市塩山上於曽撮影日:15.03.04
2015.09.12
塩山駅の勝沼ぶどう郷寄りに隣接している踏切です。駅周辺に広がる住宅地の生活道路と交差していて、近隣住民の利用は比較的多いです。踏切名は所在地の地名「塩山赤尾」が由来です。赤尾踏切 115K107M 幅員5.0M所在地:山梨県甲州市塩山赤尾撮影日:15.03.04
2015.09.12
上野原駅の四方津寄りに隣接している踏切。自動車の通行ができない細い小道と交差しています。付近は山に囲まれていますが比較的住宅が多く、この道は駅に向かう裏道になっていることから住民の利用は意外とありそうです。反対側から。踏切名は周辺の地区名が由来で、読みは「かみあらた」です。上野原方を見ます。奥が駅のホームです。四方津方を見ます。側線があるので線路は3本通っています。上新田踏切 70K034M 幅員1.5M所在地:山梨県上野原市新田撮影日:不明
2015.09.09
住宅密集地の中にある小さな踏切です。歩行者専用の踏切で、幅は非常に狭くなっています。この付近は人通りも少なく、踏切の利用も比較的少ないと思われます。踏切名はこのあたりの旧町名に由来しています。周辺には「横山中学校」などもあります。横山第二踏切 51K242M 幅員2.0M所在地:東京都八王子市並木町撮影日:15.05.16
2015.08.28
住宅密集地にある小さな踏切です。先述の東踏切と異なり、こちらは自動車も通行できます。狭い道路ですが比較的交通量が多く、歩行者にとっては危険な踏切です。踏切名は所在地の地名「並木町」の西側にあることが由来です。並木西踏切 50K713M 幅員2.7M所在地:東京都八王子市並木町撮影日:15.05.16
2015.08.28
住宅地の中にある歩行者専用の小さな踏切です。人通りは意外に多く、近隣の住民が利用していることがうかがえます。踏切名は所在地の地名「並木町」の東側にあることが由来です。並木東踏切 50K505M 幅員2.2M所在地:東京都八王子市並木町撮影日:15.05.16
2015.08.25
西八王子駅の高尾寄りに隣接している踏切。住宅密集地にあり、狭い道路ながら交通量が多く危険な踏切です。踏切名は線路の向こう側に広がる地名「散田町」が由来になっています。散田踏切 50K159M 幅員6.0M所在地:東京都八王子市千人町撮影日:15.05.16
2015.08.21
西八王子駅の八王子寄りに隣接しています。周辺は駅前の市街地で、多数の店舗などが密集しており特に歩行者の利用が多いです。第一踏切から100Mほどしか離れていませんが、利用者はかなり多いです。反対側から。背後には撮影当時改装中のグルメシティ西八王子店が見えます。こちらも第一踏切同様、踏切名に「水道」の名を冠しています。第二水道踏切 49K744M 幅員8.0M所在地:東京都八王子市千人町撮影日:15.02.01
2015.04.11
西八王子駅周辺から広がる市街地にある踏切です。交差する道路は市道ですが交通量が多く、踏切が鳴ると長い列ができてしまいます。車だけでなく歩行者や自転車の通行も多いです。踏切名の「水道」は交差する道路の通称名「御所水通り」に由来すると思われます。現在道路となっているところには、「御所水弁財天」を源流としている水路が流れているようです。都市化の影響で弁財天にある水路は水量が少なくなっているようですが、かつては豊富な湧水があったようです。第一水道踏切 49K633M 幅員11.0M所在地:東京都八王子市千人町撮影日:15.02.01
2015.04.11
住宅地の中にある、歩行者専用の小さな踏切です。この辺りでは線路を横断できる場所が少ないため、この踏切は地元住民に重宝されていると思われます。踏切名は所在地の地名が由来となっています。八王子方を見ます。西八王子方を見ます。2月に撮影したので雪が残っています。台町踏切 49K147M 幅員3.0M所在地:東京都八王子市台町撮影日:15.02.01
2015.04.08
住宅地の中の比較的静かな場所にある踏切です。生活道路と交差しているため交通量は思ったより多く、歩行者や自転車の利用もあります。見通しが悪いためかオーバーハング式の警報機が設置されています。反対側から。踏切の先は坂道になっています。踏切名は、かつてこの付近に裁判所があったことに由来しています。詳しくはわかりませんが、この踏切の先にある現在八王子特別支援学校となっている場所に裁判所があったようです。裁判所踏切 48K637M 幅員7.5M所在地:東京都八王子市小門町撮影日:14.02.01
2015.04.03
都道506号が交差する大きな踏切です。この都道は国道16号(東京環状)や国道20号に接続しているので交通量は非常に多いです。周辺は「金剛院」という寺院があるほか、マンションや店舗などが密集しています。反対側から。この道路は両側に歩道があるので、その部分にも遮断機が設置されています。踏切名は、この付近に居宅を構えていた江戸時代の富豪、梅原勘兵衛にちなんで交差する道路が「梅原横丁(横町)」と呼ばれていたことに由来しています。踏切のあるあたりは1987年に拡幅が行われ、現在のような広い道路に変貌を遂げたようです。(参考:Web八王子事典)梅原横町踏切 48K340M 幅員22M所在地:東京都八王子市天神町・小門町撮影日:15.02.01
2015.04.01
本立寺踏切からわずか70Mちょっとの場所にあります。歩行者専用の小さな踏切で、自動車などは通行できません。周辺に住む住民の利用が多いと思われます。踏切名は所在地の地名が由来となっています。天神町踏切 48K161M 幅員2.2M所在地:東京都八王子市天神町撮影日:15.02.01
2015.04.01
先述の相模街道踏切から200Mほど進んだところにあります。自動車は通行可能ですが、幅は少し狭く周辺住民の利用が多い踏切です。この辺りは住宅密集地で、日中は比較的静かです。踏切名はこの先にある寺院「本立寺」が由来となっています。本立寺踏切 48K087M 幅員3.7M所在地:東京都八王子市天神町撮影日:15.02.01
2015.03.30
通称「東京環状」と呼ばれる国道16号が交差する踏切です。交通量は非常に多く、しかも列車本数の多い中央線のため地元では「開かずの踏切」として問題視されているようです。撮影中もひっきりなしに車が通過していました。主要な国道が交差している踏切は現在はかなり減っているので貴重ですが、同時に事故や輸送障害が起きる可能性が高いため改善が求められます。反対側から。周辺は八王子駅に近く、マンションや店舗などが密集している市街地です。踏切名はかつてこの国道が「相模街道」と呼ばれていたことに由来しています。生糸の産地だった八王子と港のある横浜を結ぶ街道であり、「神奈川街道」「横浜街道」という別名があったほか、横浜側からは「八王子街道」とも呼ばれていたようです。踏切が鳴ると、このように多くの車が並んでしまいます。相模街道踏切 47K883M 幅員16.7M所在地:東京都八王子市寺町撮影日:15.02.01
2015.03.30
塩崎駅の韮崎寄りに隣接する踏切。周辺は住宅地となっており、塩崎駅近くにあるガードが狭いこともあって車の通行がかなり多くなっています。大型車も通行するので歩行者にとっては危険な踏切です。踏切名は所在地の小字が由来です。塩崎方を見ます。この先が駅になります。韮崎方を見ます。山本踏切 141K437M 幅員7.0M所在地:山梨県甲斐市志田撮影日:14.04.12
2014.05.27
酒折駅の甲府方に隣接している踏切。踏切の先に「酒折宮」があり、踏切名もこれが由来となっています。連歌の発祥の地とされる酒折宮へ行く利用のほか、周辺住民の利用も多いです。酒折方を見ます。このすぐ先に駅があり、線路が複雑に分岐しています。宮前踏切 129K893M 幅員5.8M所在地:山梨県甲府市酒折撮影日:14.01.26
2014.03.18
国道411号から脇道に入る場所にある踏切。周辺には山梨学院大などがあり、住宅が密集しているため狭い踏切ながら交通量は意外と多いです。反対側から。石山踏切 129K192M 幅員2.8M所在地:山梨県甲府市酒折撮影日:14.01.26
2014.03.12
県道6号と交差する踏切。この県道は接続する国道140号、国道411号などとともに「青梅街道」と呼ばれており、踏切名もここから取られています。新宿から始まる青梅街道の終点近くにあり、中央本線ではここ以外にも「青梅街道」の名を持つ踏切がいくつか存在します。反対側から。交差する道路は歩道がなく狭いうえに交通量が多く、かなり危険な踏切です。第四青梅街道踏切 128K978M 幅員5.4M所在地:山梨県甲府市横根町撮影日:14.01.26
2014.03.10
中央本線と並行している国道411号から分岐する、小さな脇道にある踏切。車の通行はできず、歩行者、自転車しか通行できません。この先に県道の踏切があるので利用はあまりありません。踏切名は所在地の地名「横根町」が由来です。石和温泉方を見ます。線路は緩やかなカーブを描いています。酒折方を見ます。この先すぐに踏切があるのがわかります。横根踏切 128K924M 幅員1.8M所在地:山梨県甲府市横根町撮影日:14.01.26
2014.03.10
甲府駅に隣接している踏切。甲府城跡(舞鶴城公園)の近くにあります。中心地にある踏切ですが利用者は少なめです。86m手前の愛宕町道踏切を利用する人が多い模様です。こちらも身延線と共用しています。後方に見える石垣が舞鶴城公園です。周辺は住宅や店舗が密集し、甲府の街の中心となっています。踏切名は、南に直進したところにある「桜町」に至る道ということが由来となっています。甲府方を見ます。この先が甲府駅です。下のほうにこんな看板がありました。以前は手動式踏切だったようですね。桜町道踏切 132K186M 幅員5.8M所在地:山梨県甲府市中央・北口撮影日:13.09.10
2013.11.06
甲府市の中心部にある踏切です。「境町通り」という名称の道路と交差しています。中央本線の踏切ですが、身延線も踏切を共用しています。(身延線の場合、金手~甲府間)背後にそびえる高層建築は、山梨県で最も高い「セインツ25」という高層マンションです。踏切名は、この先の地名「愛宕町」に続く道ということが由来となっています。甲府市中央と愛宕町が線路を挟んで向かい合っています。反対側から。周辺は住宅地が広がっていて、特に車の通行が多いです。なぜか「とまれみよ」が立っています。元第4種踏切ということではないですよね?酒折方を見ます。中央本線は左側の2本で、右端は身延線です。甲府方を見ます。このすぐ先にも踏切があり、甲府駅へ入っていきます。愛宕町道踏切 132K100M 幅員9.5M所在地:山梨県甲府市中央・愛宕町撮影日:13.09.10
2013.11.05
中央本線の中で、「中央西線」と呼ばれる区間にある最初の踏切です。本来「西線」の管轄はJR東海ですが、この踏切は塩尻駅構内にあるためJR東日本の管轄となっています。東線を含めた中央本線の中では最後、西線区間では唯一のJR東日本管轄の踏切です。踏切名は一帯に広がる昭和電工塩尻事業所が由来になっています。写真奥に見える森は昭和電工の敷地で、この場所がちょうど裏手になります。昭和電工へはかつて中央東線から専用線が接続していましたが、現在は廃止されています。この踏切は歩行者専用で、車の通行はできません。周辺は住宅地ですが利用はほとんどありませんでした。踏切から塩尻方を見ます。この先で松本方面と岡谷方面に分岐しています。洗馬方を見ます。この先にJR東海との境界があり、以降はJR東海の管轄となります。踏切を383系特急「しなの」が通過していきます。キロ程はおそらく辰野経由のものが使用されています。電工裏踏切 235K245M所在地:長野県塩尻市宗賀撮影日:13.08.17
2013.11.04
辰野駅の川岸駅寄りに隣接する踏切です。周辺は住宅地ですが、日中はとても静かで人や車の通行もほとんどありませんでした。反対側から。単線が駅構内に向けて2本に分岐し、側線もあるので踏切は3本の線路を渡っています。踏切名は所在地の地区名に由来します。川岸方です。写真奥で単線が分岐しています。左の側線は使用されていないようです。辰野方です。真ん中に架線柱がありますが広い構内を見渡すことができます。分岐も多く、見ていて飽きません。踏切付近から辰野方を見ます。上辰野踏切 216K136M所在地:長野県上伊那郡辰野町辰野撮影日:13.08.17
2013.10.27
先述の第3踏切と80mで隣接する踏切です。こちらも狭い生活道路が交差していて、付近の住民以外の利用はほとんどなさそうです。反対側から。周辺は丘陵地に住宅が集中しています。踏切の脇にある東京起点210キロポストです。第4鮎沢踏切 209K998M所在地:長野県岡谷市川岸東撮影日:13.08.17
2013.10.22
狭い生活道路と交差している踏切です。周辺は古くからの住宅が集まっていて、よい雰囲気の踏切でした。車も通行可能ですが、交通量は少ないです。線路脇の道から踏切を眺めます。第3鮎沢踏切 209K918M所在地:長野県岡谷市川岸東撮影日:13.08.17
2013.10.20
警報機はありますが、遮断機のない第3種踏切です。中央本線と並行する道路から分岐している小道と交差します。車両は通行できないため、利用はほとんどないと思われます。反対側から。周辺は民家が点在する集落です。岡谷方を見ます。山河に囲まれ、のどかな風景が広がります。川岸方を見ます。単線ですが、ここはかつて特急も走った中央本線の一部です。第2鮎沢踏切 209K758M所在地:長野県岡谷市川岸東撮影日:13.08.17
2013.10.18
「長野・中央本線旧線の旅」で撮影した、川岸駅周辺の踏切です。車両の通行ができない踏切となっており、警報機などの設備が新しいことを考えるともとは第4種踏切だったのではないかと思います。反対側から。線路と並行する道路から下ったところにあります。周りは草が繁茂していて、あまり使われていない雰囲気です。踏切名は所在地の小字に由来しています。長野支社では、黄色い小さな銘板に踏切名とキロ程を記載しています。幅員は記載されていません。ちなみに、キロ程は東京駅からの通算表示となっており、この路線が「本線」であることを伝えています。第1鮎沢踏切 209K403M所在地:長野県岡谷市川岸東撮影日:13.08.17
2013.10.17
中央本線の梁川~鳥沢間に1か所だけ存在する踏切です。踏切名にある通り、「甲州街道」のかつてのルートが通っています。山に囲まれ、空気がとても良い場所です。反対側(国道20号側)から。この踏切は幅が狭く、普通自動車の通行は禁止されています。踏切から梁川方を見ます。向こうに見える橋は国道20号です。鳥沢方を見ます。この先が鳥沢駅になります。第三甲州街道踏切 80K528M 幅員2.5M所在地:山梨県大月市富浜町鳥沢撮影日:13.07.14
2013.08.16
高尾駅の相模湖方に隣接する踏切。国道20号から分岐する広い市道が交差し、この先に学校などもあるため人通りや車通りが多くなっています。近年拡幅されたのか設備がまだ新しく、極太の赤白遮断機も設置されています。踏切名は付近の地名「初沢町」が由来となっています。後ろを走る高架は京王高尾線です。初沢踏切 53K232M 幅員9.5M所在地:東京都八王子市高尾町撮影日:13.03.19
2013.08.14
中央本線、大月~初狩間に1か所だけ存在する踏切。並行する国道20号から分岐する狭い道路と交差する踏切です。名前が示す通り、この道はかつての甲州街道だったようです。現在は周辺の住民、この先にある甲州砕石の関係者しか利用しないと思われます。反対側(初狩駅方面)です。踏切から大月方を見ます。冬晴れでいい青空。踏切手前にある注意喚起の看板。甲州砕石が設置したようです。いつから設置されているかわかりませんが、かなり古そうです。錆びついたSLマークの「踏切あり」の標識も見えます。踏切までの道は、こんな感じです。古い家が多く、旧街道の面影をよく残しています。第七甲州街道踏切 93K307M 幅員4.5M所在地:山梨県大月市初狩町下初狩撮影日:12.12.24
2012.12.26
豊田駅に隣接する踏切で、電車の本数が多いため良く閉まっています。この道は狭いながらも八王子方面に続いているのでこの名称なのでしょう。八王子街道踏切 43K262M 幅員8.0M所在地:東京都日野市豊田撮影日:12.07.14
2012.12.23
「甲州街道」と呼ばれる国道20号から脇道に入ったところにあるとても小さな踏切です。前後の道も人一人通れるくらいの小道なので、車両は通行できません。反対側から。この細い道がかつての甲州街道のルートであり、踏切名の由来になっています。第五甲州街道踏切 86K260M 幅員1.2M所在地:山梨県大月市駒橋撮影日:12.10.28
2012.10.31
猿橋駅から大月方に行くと、中央本線に2ヵ所小さな踏切があります。桂川沿いの狭い道から、土手の上を走る線路に向かって坂道を上がった所にあります。道幅が狭く、車は通行不可です。踏切名の「横尾」は所在地の字が由来となっています。渡った先は国道20号です。国道側から撮影。この踏切は人の通行しかできないため利用者はほとんどいなそうです。横尾踏切 85K875M 幅員1.8M所在地:山梨県大月市駒橋撮影日:12.10.28
2012.10.29
大月駅の手前にある踏切です。駅の直前のため、渡る線路が多く長い踏切でした。道が狭いので歩行者や自転車の利用が多い感じでした。高月踏切 87K510M 幅員2.7M所在地:山梨県大月市御太刀撮影日:12.04.27
2012.07.22
宮川第一踏切を渡り、中央本線旅客線のガードをくぐってすぐの場所にある踏切です。こちらの踏切はスイッチバック施設内ではなく、採石場に続く専用線の引き上げ線のような場所にあります。反対側から。周辺は静かで、車も人もほとんど通行しません。一応、電化はされていますが単線です。この線路が利用されることはほとんどないと思われ、線路脇の草が迫りいずれ草だらけになってしまいそうです。こちらも名目上は中央線の踏切で、キロ程は初狩駅が起点となっているようです。宮川第二踏切 0K105M 幅員4.0M所在地:山梨県大月市初狩町中初狩(おまけ)踏切の脇にあった注意喚起の看板。かなり古いもので、なんと「東京西鉄道管理局」と書かれていました。この看板は2ヶ所に設置されていました。撮影日:12.06.10(14.05.26 当踏切は廃止されました。)
2012.07.18
中央本線の初狩駅には現在旅客列車が発着する線路とは別に、かつて旅客列車の発着があったスイッチバックの設備があります。駅構内からは採石場への引込線が伸びていて、ここからJR東日本の線路に敷くバラスト用の石が切り出され、工事列車を使って各地へ運び出されています。その工事列車の入換や発着のためにスイッチバック施設が現在まで残されています。列車はいつも来る訳ではないため、周辺の敷地は草が繁茂しすでに使われなくなった線路や設備もあります。この踏切はスイッチバック施設の構内にあります。かつての施設がそのまま残され、跨ぐ線路は4つほどあります。反対側から。駅の近くですが利用者は少なく、閑散としています。踏切からスイッチバックの終端を見ます。線路は雑草が生えたりしていて、利用の少なさを物語っています。線路はここから数百メートル先で終わっています。名目上は中央線の踏切となっていますが、キロ程は初狩駅が起点となっているようです。踏切名は付近を流れる「宮川」という河川名が由来です。宮川第一踏切 0K371M 幅員2.1M所在地:山梨県大月市初狩町下初狩撮影日:12.06.10
2012.07.17
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