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東京貨物ターミナル駅のすぐ脇にある大汐線2か所目の踏切です。この踏切は大汐線と、付近に車両基地のあるりんかい線(東京臨海高速鉄道)の回送線が通っています。りんかい線の本線には踏切がないため、この踏切はりんかい線で唯一の踏切となっています。踏切付近は駐車場や倉庫などが並び、人通りはあまり多くありません。この踏切も羽田空港アクセス線開業に伴い廃止が予定されています。踏切名は所在地の地名が由来となっています。浜松町方を眺めます。左側が大汐線、右側がりんかい線回送線です。現役のりんかい線回送線には架線が張られています。羽田空港方を眺めます。写真左側にりんかい線の大井車両基地が見えています。回送線は現役なので線路も設備も綺麗ですが、大汐線は架線も取り外されており草木に覆われています。八潮踏切(キロ程、幅員不明)所在地:東京都品川区八潮(2023年最後の記事となります。今年も、「わさびくま日記」をご覧いただきありがとうございました)
2023.12.28
先述した「救援センター踏切」から東京貨物ターミナル寄りに進んだ、都営バス「3号バース前」バス停の脇にある踏切跡です。警報機等は残っていませんが、高さ制限を示すワイヤーが張られていた柱や照明器具が残っています。道路はすでに通行できなくなっていて、周辺は駐車場となっています。線路の脇にはアスファルト舗装された跡が残っており、かつて道路が通っていたことがうかがえます。この踏切の詳細は不明ですが、先述した「救援センター踏切」の設備等が新しいことから、この場所は救援センター踏切の旧踏切だったと思われます。(国土地理院地図等で確認すると、現在の救援センター踏切の場所には元々道路はなく、代わりにこの場所に踏切があったことがわかります)付近の架線柱には踏切番号を示す「1」の表記があり、ここが踏切だったことを伝えています。
2023.12.24
東海道貨物線のうち、(旧汐留~)浜松町~東京貨物ターミナル間の「大汐線」と呼ばれる区間にある踏切です。この区間は貨物駅だった汐留駅と東京貨物ターミナル駅を結ぶ貨物線として1973年に開業しましたが、汐留駅の廃止や都営大江戸線の工事などの影響で1998年から現在まで休止中となっており架線も取り外されてしまっています。この踏切はそんな大汐線区間の最初の踏切で、付近にある倉庫などに向かう大型車がひっきりなしに通行しています。設備は比較的新しいものの、列車の運行はないため遮断機などは取り外されています。しかし、今後は羽田空港アクセス線の一部として休止中の大汐線が活用されることとなり、大汐線は20年以上の時を経て列車の運行が復活します。アクセス線の計画では、大汐線区間にある踏切は立体交差化して廃止することとなっており、近いうちにこの踏切も見られなくなると思われます。踏切名の「救援センター」は、かつてこの付近に1983年~2006年まで存在したインドシナ難民等の支援施設「国際救援センター」に由来しています。センターは現在、閉所されているため、この踏切名のみに名残をとどめています。踏切付近の線路を眺めます。長年列車の運行のない線路は錆びつき、草が生えています。高圧線は残っていますが、架線は取り外されています。非常ボタンの銘板には「バラスト処理センター通路」と記載されていました。救援センター踏切 7K555M 幅員15.0M所在地:東京都品川区八潮
2023.12.15
先述の「横田7号踏切」からもう少し奥へ進んだ場所に、第4種踏切があるようです。この写真からは分かりにくいですが、「CAUTION 注意」「JOGGERS ジョギング地区」という標識の脇に「とまれみよ」が見えます。地図や航空写真で見ると、この場所で倉庫につながる道路が交差していて、車が通れる幅があるようです。銘板などは見えないのでおそらく名称はついていないものと思われます。踏切付近には勾配標や拝島駅起点1キロポストなどもあります。踏切(名称・キロ程・幅員不明)所在地:東京都福生市横田基地内撮影日:12.08.08
2018.02.06
敷地外から撮影した横田基地内の道路と交差する踏切です。警報機のみが設置されている第3種踏切で、警報機の形状などは日本仕様です。踏切の先には倉庫などがあるため、そこへ行くのに使用されているようです。警報機です。「CAUTION 踏切注意」という表示が目を引きます。踏切銘板もありますが、こちらも日本語表記です。横田7号踏切 0K955M 幅員8.6M所在地:東京都福生市横田基地内撮影日:12.08.08
2018.02.06
横田基地近くの教習所とボウリング場の敷地の間にある第4種踏切で、基地に通じるゲートのすぐ手前にあります。ここはボウリング場の裏手になるので、利用する人はほとんどいなそうです。横田6号踏切(キロ程・幅員不明)所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.02.03
通称「五日市街道」と呼ばれる都道7号と交差する踏切です。この道路は片側1車線で狭いながらも、交通量は非常に多いです。踏切名はこの道路が通じる立川市の地名「砂川」に由来しています。砂川街道踏切 0K765M 幅員9.0M所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.02.03
住宅地の生活道路と交差しています。先述の「3号踏切」よりもこちらのほうが交通量が多く、地元住民の自転車や車も良く通ります。横田4号踏切 0K640M 幅員4.0M所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.01.26
歩行者や自転車しか通れない、住宅と住宅の間にある小道が交差している踏切です。元々は第4種踏切だったようで、「とまれみよ」も残されています。閑静な住宅地の中をジェット燃料輸送の貨物列車が抜けていく様子はちょっと不思議な光景ですね。横田3号踏切(キロ程・幅員不明)所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.01.24
先述の「1号踏切」からすぐの場所にある踏切で、玉川上水を渡る橋の脇にあります。住宅地の入口にあり、周辺住民の利用が多くなっています。横田2号踏切 0K490M 幅員2.8M所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.01.21
2012年に探索した「横田基地線」(横田基地引き込み線)の踏切を掲載していきます。(路線レポートはその1、その2、その3をご覧ください。)横田基地線は拝島駅から住宅密集地を通り、横田基地に向かう貨物線で、その途中には生活道路と交差する踏切が数か所設置されています。この踏切は横田基地線最初の踏切で、拝島駅北口の目の前にあります。駅前の道路なので交通量が非常に多くなっていました。踏切の幅は、銘板では2.2Mとなっているものの、拡幅が行われているため現在は5~6Mほどあると思います。横田1号踏切 0K430M 幅員2.2M所在地:東京都福生市熊川撮影日:12.08.08
2018.01.21
越中島貨物線最後の踏切です。トラックやバスが頻繁に通行する広い道が交差し、「幹線3号踏切」ほどではないものの、交通量はかなり多いです。周辺は企業や倉庫などが集まっていて、付近には東京メトロ東西線の車両基地や、JRバスの車庫もあります。踏切名は周辺の地名からそのまま命名されています。小岩方を見ます。越中島貨物方を見ます。この先が越中島貨物駅で、貨物線の終点も近いです。新砂踏切 4K036M 幅員26.0M所在地:東京都江東区新砂撮影日:16.07.23
2016.08.11
永代通りから海寄りに進んだ場所にあります。周辺は倉庫や物流関連の企業が立ち並び、日中の交通量は比較的少ないです。踏切名は、かつて付近に工場を構えていた「松尾橋梁」(現・IHIインフラシステム)が由来となっています。松尾橋梁の工場は、Wikipediaによると1972年に閉鎖となっているようですが、踏切名は40年以上経ってもこの近くに工場があったことを伝えています。ちなみに、踏切付近には現在もIHIの研修施設などがあります。越中島貨物方を見ます。小岩方を見ます。松尾工場前踏切 3K487M 幅員9.7M所在地:東京都江東区新砂撮影日:16.07.23
2016.08.07
通称「永代通り」と呼ばれる、都道10号が交差しています。見ての通り道路の幅が非常に広く、幅は30mを超える超巨大な踏切です。あまりにも巨大で、一枚の写真には収まりきりません。目立つように門型の警報機がありますが、踏切信号があるため一時停止の必要はありません。車がひっきりなしに通行しています。上の写真と反対側にある門型の警報機です。本当に大きな踏切で、交通量もとても多いです。この踏切が閉まることは少ないものの、閉まると大渋滞になると思います。踏切名は「幹線27号踏切」同様、都市計画上の道路名から命名されていると思われます。小岩方を見ます。周辺はマンションなどが集まっています。越中島貨物方を見ます。踏切の幅の広さがよくわかります。幹線3号踏切 3K265M 幅員31.3M所在地:東京都江東区南砂撮影日:16.07.23
2016.08.03
先述の踏切から少し越中島貨物駅寄りに進んだ場所にあります。この踏切の周辺は古くからの住宅地が広がっています。抜け道としての利用が多く、狭いながら交通量は比較的多いです。踏切名の由来は不明です。「締川」という川があったのでしょうか?締川踏切 2K821M 幅員6.0M所在地:東京都江東区南砂撮影日:16.07.23
2016.08.03
以前、総武本線の貨物支線である新小岩~金町間の「新金貨物線」の踏切を掲載しましたが、今回からは同じく総武本線の貨物支線である「越中島貨物線」の踏切を掲載していきます。越中島貨物線は、小岩駅と越中島貨物駅を結ぶ貨物線で、都内では数少なくなった非電化の貨物線です。かつては多数の貨物列車が往来していましたが、現在はレール輸送列車が1日3往復運転されているのみとなっています。ここは本貨物線最初の踏切で、都道475号「葛西橋通り」が交差しています。都心と浦安方面を結ぶ主要道路で、交通量は非常に多くなっています。バスやトラックも多く通行し、踏切の幅も広いです。踏切名の由来は不明ですが、おそらく都市計画上の道路名をそのまま踏切名にしてしまったものと思われます。小岩方を見ます。周辺はマンションなどが立ち並んでいます。越中島貨物方を見ます。街中に非電化単線路線があって、ちょっと不思議な光景です。幹線27号踏切 2K695M 幅員22.1M所在地:東京都江東区南砂撮影日:16.07.23
2016.07.31
常磐貨物線最後(5ヶ所目)の踏切。三河島駅近くにあり、常磐線の本線が上野方面へ大きくカーブする直前にあります。ここでは、常磐線本線の高架に貨物線の上下線が挟まれています。高架をE657系の特急が通過しています。反対側から。周辺は古くからの住宅が多く集まっていて、歩行者や自転車の利用が多い踏切でした。踏切名の「三河島道」は、「日暮里道」と同じく三河島地区の主要な道という意味なのでしょうか?詳しい由来は不明です。上り線田端方を見ます。本線の高架の下を走り、しばらくすると下り線と同じ場所に合流します。上り線三河島方を見ます。本線から分岐した貨物線は三河島駅を過ぎたところで高度を下げてここにたどり着きます。下り線三河島方を見ます。貨物線の上下線の間には三河島駅のホームもあります。元々はロープを使って道路を遮断する踏切だったようです。三河島道踏切 1K205M 幅員6.0M所在地:東京都荒川区西日暮里撮影日:14.06.01
2014.09.25
常磐貨物線4ヶ所目の踏切。不忍通りと明治通りを結ぶ都道457号が交差し、交通量は非常に多いです。周辺には西日暮里駅もあり、店舗や住宅が多く集まっています。反対側から。道路に対して線路は斜めに交差しています。踏切名は「日暮里の中心的な道」という意味でしょうか?警報機にも踏切名が大きく書かれています。日暮里道踏切 0K956M 幅員14.6M所在地:東京都荒川区西日暮里撮影日:14.06.01
2014.09.25
常磐貨物線3ヶ所目の踏切。ビルやマンションなどが密集するエリアにある踏切で、交通量も比較的多いです。警報機は門型のものが設置されており、よく目立ちます。反対側から。左側に見える高架は京成線です。田端方を見ます。貨物線は京成線の高架下を抜けていきます。三河島方を見ます。このあたりは大小の道路が複雑に入り組んでいて、踏切が密集しています。日暮里八丁目3号踏切 0K835M 幅員11.3M所在地:東京都荒川区西日暮里撮影日:14.06.01
2014.09.24
常磐貨物線2ヶ所目の踏切。「片瀬道踏切」同様、こちらも歩行者専用の踏切です。周辺は西日暮里駅付近から広がる住宅や商店が密集するエリアですが、この踏切は人通りは少なく意外に静かでした。踏切名の「日暮里八丁目」は、現在の所在地ではなくこのあたりの戦前期~昭和40年代の住所が由来となっています。田端方を見ます。上り線と下り線を結ぶ渡り線が見えます。三河島方を見ます。奥に見える高架は京成線です。日暮里八丁目2号踏切 0K756M所在地:東京都荒川区西日暮里撮影日:14.06.01
2014.09.24
田端信号場駅と三河島駅を結ぶ、常磐貨物線1ヶ所目の踏切です。この踏切は歩行者専用の踏切となっています。この常磐貨物線はその名の通り常磐線の貨物列車のみが使用する路線で、首都圏から東北方面へ向かう列車が運行されています。現在日暮里駅を起点とする常磐線は、当初東北本線との接続を考慮して田端を起点としていました。(上野発着列車のスイッチバック解消のため、1905年に現ルートが完成しました)この常磐貨物線のルートは元々の常磐線のルートがそのまま流用されています。反対側から。周辺はマンションなどの住宅が多く、撮影中も多くの子どもたちが踏切を横断していました。踏切名は、周辺の小字「片瀬」が由来となっています。田端方を見ます。この先で東北本線と合流しています。踏切に付いていた注意喚起の看板です。電車がかなり怖く描かれていますね。片瀬道踏切 0K657M所在地:東京都荒川区西日暮里撮影日:14.06.01
2014.09.22
新金貨物線最後(15ヶ所目)の踏切になります。古くからの住宅や商店などが混在するエリアにあり、狭い道路ながら交通量は多いです。踏切名の由来は不明ですが、交差する道はかなり古くから存在する道のようです。金町方を見ます。この先が金町駅で、新金貨物線の終点が近くなってきました。金町駅の少し手前で常磐線と合流します。新宿道踏切 6K225M 幅員5.5M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.17
新金貨物線14ヶ所目の踏切。マンションや住宅などが並ぶ一角にある小さな踏切で、車などの通行はできません。反対側から。元々は第4種踏切だったようで、「とまれみよ」が残っています。ちなみに、この踏切と後述する「新宿道踏切」は東京支社の管轄で、踏切銘板も千葉支社仕様の白色のものではなく、東京支社の黄色のものとなっています。新小岩方を見ます。この手前に6キロポスト(新小岩信号場起点)があり、そこが千葉支社と東京支社の管轄の境界となっています。金町方を見ます。古くからの住宅が多い場所を走っています。第二新宿道踏切 6K078M 幅員1.8M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.17
新金貨物線13ヶ所目の踏切。近年整備された広い道路が交差し、交通量も比較的多くなっています。歩道も広く取られ、幅は24Mを超える大踏切です。警報機などの設備もまだ新しいです。踏切名の「三重田街道」ですが、この名前の旧街道や「三重田」という地名も周辺に見つからないため、由来は不明です。三重田街道踏切 5K895M 幅員24.5M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.14
新金貨物線12ヶ所目の踏切。先述の「柴又踏切」と、わずか73Mで隣接しています。付近にお店などもあるので、こちらのほうが交通量は多いです。踏切名の「浜街道」とは、現在の国道6号のルートになっている「陸前浜街道」が由来になっています。交差する道は正真正銘の「陸前浜街道」(現在の国道6号「水戸街道」の旧道)で、かつてのメインルートとなっていました。以前紹介した国道6号の踏切に「新道」という名称が使われているのは、より歴史の古いこの旧街道が存在しているためです。常磐線などの踏切では「地名+陸前浜街道踏切」というネーミングの踏切が多いですが、ここは単に「浜街道」という名称になっています。浜街道踏切 5K798M 幅員4.5M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.11
新金貨物線11ヶ所目の踏切。住宅地の中の生活道路が交差しますが、近隣にいくつも踏切があるため交通量はさほど多くありません。踏切名の「柴又」ですが、このあたりは柴又地区から離れているので「柴又帝釈天へ続く道」ということが由来のようです。交差するこの道は、付近を通る陸前浜街道(現在の「水戸街道」の旧道)から分岐し、途中国道6号などと交差しながら柴又帝釈天へ一直線に続いています。柴又踏切 5K752M 幅員4.3M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.11
新金貨物線10ヶ所目の踏切。「水戸街道」と呼ばれる国道6号と交差する線内最大の踏切です。交通量は非常に多く、一時停止すると渋滞を招くので踏切用の信号機が設置されています。しかし貨物列車が通過するときは大渋滞になっており、貨物線の旅客化もこの踏切の存在が大きなネックになっています。反対側から。やはり都内と千葉・茨城を結ぶ大幹線だけあって途切れることなく車が通ります。踏切名の「新宿」(にいじゅく)は所在地、「新道」は交差する国道が旧来の「水戸街道」(陸前浜街道)と並行する形で作られた新しい道だということが由来です。ここから金町寄りに進むと旧来の水戸街道と交差する踏切もあります。新小岩方を見ます。交通量の多い国道と対照的に、踏切周辺は静かです。金町方を見ます。新宿新道踏切 5K639M 幅員25.5M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.09
新金貨物線9ヶ所目の踏切。住宅地の中の生活道路と交差しますが、歩道もありかなり大きな踏切です。周辺には真新しい住宅が多く立ち並び、道路の拡幅は近年になって行われたものと思われます。踏切名の「新堀」は「にいぼり」と読みますが、由来は不明です。拡幅前は踏切脇に川(水路)が存在したようなので、その川と関係がありそうですね。新堀踏切 5K285M 幅員11.0M所在地:東京都葛飾区新宿撮影日:14.06.01
2014.09.05
新金貨物線8ヶ所目の踏切。マンションなどが立ち並ぶ新興住宅地から少し外れた場所にあり、古くからの住宅が多く集まるエリアにあります。狭い道ですが、生活道路でそこそこ交通量があります。踏切名は所在地の地名が由来です。新小岩方を見ます。線路周辺は低層の住宅が多いです。踏切の脇には鉄橋がありますが、下には水が流れていません。かつての川は現在、道路の拡張に利用されています。金町方を見ます。高砂踏切 4K883M 幅員4.7M所在地:東京都葛飾区高砂撮影日:14.06.01
2014.09.04
新金貨物線7ヶ所目の踏切。住宅地の中にある比較的広い道路が交差していますが、交通量は少なめです。この辺りからマンションなどが増えていきます。踏切名の「小松川街道」ですが、現在の江戸川区小松川方面へ交差するこの道がつながっていた、ということなのでしょうか?(この辺りを通る旧街道で、「小松川街道」と呼ばれるものは発見できませんでした。)新小岩方を見ます。線路はまっすぐに住宅地の中を進んでいきます。付近の鉄塔にこんな表示が。イラストの鉄塔の下を走るのは、なんと200系新幹線!この鉄塔は鉄道用の送電線を支えるもので、新金貨物線に沿ってこの送電線が通っています。小松川街道踏切 4K568M 幅員7.5M所在地:東京都葛飾区高砂撮影日:14.06.01
2014.09.04
新金貨物線6ヶ所目の踏切。先述の「耕道踏切」に続く第二踏切で、こちらも狭い脇道が交差し幅が1mしかありません。こちらも「耕道」という名称ですが、この名前は貨物線の開通した当初、このあたりが田畑が広がっていたことを示しているものだと思います。反対側から。新中川にかかる高砂橋の塔が見えます。踏み板は人一人通れるほどの幅しか確保されていません。新小岩方を見ます。周辺は新しい住宅も立ち並んできています。金町方を見ます。この先で高砂橋に通じる幹線道路、さらに京成線と立体交差していきます。耕道第二踏切 4K156M 幅員1.0M所在地:東京都葛飾区高砂撮影日:14.06.01
2014.08.29
新金貨物線5ヶ所目の踏切。新中川と並行する道路から住宅地へ入っていく小さな脇道が交差します。幅は1mしかないため自動車の通行はできず、自転車もすれ違えないほどの狭さです。踏切名の通り、元々は畑などの耕作用の道だったところに設けられた踏切と思われ、線路周辺には現在でもわずかながら畑があります。地方ならまだしも、23区内でこんな名前の踏切があるとは夢にも思いませんでした。反対側から。向こう側は新中川の堤防があります。狭い道を探索に使った自転車が塞いでしまっています。新小岩方を見ます。線路脇には小さな畑があります。線路は単線で、23区内とは思えないのどかな風景が広がります。金町方を見ます。耕道踏切 4K015M 幅員1.0M所在地:東京都葛飾区高砂撮影日:14.06.01
2014.08.29
新金貨物線4ヶ所目の踏切。新中川に近い場所にある踏切で、奥の突き当たりが新中川になります。交差する道は斜めに線路を横切っています。踏切名の「東京街道」の由来は不明ですが、かつて東京市の領域ではなく、「奥戸町」の一部だった細田地区(東京市への編入は1932年)から東京都心部へ通じる街道という意味でしょうか?新小岩方を見ます。まっすぐ線路が続いています。金町方を見ます。踏切のすぐ脇に鉄橋がありますが、下は水が流れていません。新中川の開削や周辺の開発で姿を消した川で、新金貨物線には他の場所でもこうした光景が見られます。東京街道踏切 3K725M 幅員4.0M所在地:東京都葛飾区細田・高砂撮影日:14.06.01
2014.08.27
新金貨物線3ヶ所目の踏切。住宅地の生活道路と交差し、すぐ先には貨物線沿いの比較的広い道路との交差点もあります。貨物線沿いの道路は交通量が多いですが、踏切のある道路は交通量が少ないです。踏切名は所在地の地名が由来となっています。細田踏切 3K502M 幅員5.0M所在地:東京都葛飾区細田撮影日:14.06.01
2014.08.26
新金貨物線2ヶ所目の踏切。交通量の多い幹線道路と交差し、周辺は飲食店などの店舗が密集しています。踏切名は葛飾区立石に通じる道ということが由来となっています。金町方を見ます。住宅地の中を抜けていきます。新金貨物線では、架線柱が鉄道用の送電線鉄塔と一体化しているところが多かったです。立石大通踏切 3K259M 幅員9.9M所在地:東京都葛飾区細田撮影日:14.06.01
2014.08.26
総武本線小岩駅(実質的には新小岩信号場駅)と常磐線金町駅を結ぶ貨物線である新金貨物線。大正時代、隅田川を渡る橋がまだ完成していなかった総武本線において貨物列車を都心部まで直通できるように計画されました。列車の本数は以前より少なくなりましたが、現在も総武本線と常磐線を結ぶルートとして役割を果たしています。「新金貨物線」は通称で、全線が総武本線の支線という扱いです。金町駅付近を除く路線の大半をJR東日本千葉支社が管轄しています。新金貨物線は東京23区の中でも昔ながらの風景がよく残る葛飾区を通っており、区内の生活道路に多数の踏切が存在します。この踏切は新金貨物線最初の踏切で、住宅地の生活道路と交差しています。反対側から。踏切名の「奥中」は背後に見える奥戸中学校が由来と思われます。中学校に通じる区道の踏切ということでこの名称になったものと考えています。新小岩方を見ます。このあたりの線路は、戦後新中川の開削に伴ってルートが変更されています。ここより新小岩方では線路と道路はすべて立体交差化されています。金町方を見ます。線路の左側が広く開いていますが、これは複線化用地です。しかし、現在に至るまで複線化されていません。踏切に記載されたキロ程は、総武本線との実質的な分岐点となる新小岩信号場駅を起点としています。奥中区道踏切 2K909M 幅員5.3M所在地:東京都葛飾区細田撮影日:14.06.01
2014.08.25
北王子駅に隣接する北王子線最後の踏切。踏切のすぐそばにはゲートがあり、駅構内に入っていきます。反対側から。周辺は住宅地が広がりますが、交通量は比較的少なく静かです。キロ程や幅員が記載された銘板はなく(撤去された可能性もありますが)、名称以外のデータは不明です。第二北王子踏切(キロ程、幅員不明)所在地:東京都北区王子撮影日:14.06.01
2014.08.15
北王子線3ヶ所目の踏切。先述の第二宮江町踏切とは69mで隣接しています。周辺は住宅地が広がり、交通量はそこそこありました。踏切名は付近にある「北王子駅」からそのままつけられています。撮影時はすでに銘板が撤去されていましたが、googleのストリートビューに銘板が写っていました。第一北王子踏切 1K047M 幅員8.0M所在地:東京都北区王子撮影日:14.06.01
2014.08.15
先述の第一踏切から90Mほど進んだ場所にあります。北王子線最大の踏切で、オーバーハング式警報機が設置され交通量もかなりあります。列車の運行はすでになくなっていて、踏切は休止中でしたが大半の車が一時停止していました。反対側から。周辺はマンションなどが密集しています。注意喚起の看板が残されていました。下のものは国鉄時代からありそうです。第二宮江町踏切 0K978M 幅員10.1M所在地:東京都北区王子撮影日:14.06.01
2014.08.08
「路線レポート」その1でも紹介した北王子線最初の踏切。東北新幹線の高架下を抜けてしばらく行くとあります。周辺は住宅地が広がり、交通量は少なく静かです。反対側から。この時点で列車の運行は終了しているため、遮断機は撤去され警告灯には黒いカバーがかけられています。踏切名の「宮江町」は、このあたりの小字の「宮田」と「江頭」の頭文字をとって命名された地区名に由来しています。踏切はJR貨物の管轄となっています。ここには「第一宮江踏切」と表記されています。赤羽線でも見かけた正方形の銘板がありました。キロ程はかつての起点だった王子駅からのものを使用しています。第一宮江町踏切 0K882M 幅員4.5M所在地:東京都北区王子撮影日:14.06.01
2014.08.07
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