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尻手短絡線最後の踏切です。歩行者専用の小さな踏切で、静かな場所にあります。踏切の利用も周辺住民に限られると思われます。踏切名はここから少し離れた場所にある寺院「最願寺」が由来です。踏切名はなぜか「最厳寺」という表記になっています。新鶴見方を見ます。単線で住宅地を抜けて行きます。こんなローカルな風景の中を走る貨物列車を見てみたいです。尻手方を見ます。線路はこの先で南武線と合流します。最厳寺踏切 0K917M 幅員3.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.16
先述の第4踏切同様、住宅地の中にある踏切です。第3、第4踏切より狭い道が交差しますが、交通量は意外に多いです。ちなみに、「矢向」という名称の踏切はここが最後になります。矢向第5踏切 0K835M 幅員6.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.16
先述の第3踏切と同様、住宅地の中にある踏切です。この周辺は多数の住宅があるので、どの踏切も住民を中心とした利用が一定数見られます。矢向第4踏切 0K710M 幅員6.5M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.10
尻手短絡線3か所目の踏切です。住宅地の生活道路が交差していて、歩行者や自転車の通行が多かったです。短絡線はこの付近では住宅地の中を縫うように走っています。踏切名は所在地の地名が由来で、南武線本線の踏切(矢向第一、矢向第二)の連番となっています。銘板の数字表記が漢数字ではなく算用数字なので、それに合わせて算用数字で「第3」と表記することにします。矢向第3踏切 0K595M 幅員7.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.09
尻手短絡線2か所目の踏切です。住宅地の中の広い道路が交差し、交通量が比較的多い踏切でした。踏切名の由来は多摩川を水源とし、江戸時代に完成した神奈川県最古の農業用水路「二ケ領用水」です。川崎市内では現在でも水路が残っていますが、横浜市内の水路は住宅地などの開発で昭和期に埋め立てられています。この踏切の近くに水路があったようですが、現在ではその痕跡は残っていないため用水があったことを踏切名のみが伝えています。二ケ領踏切 0K435M 幅員11.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.09
尻手短絡線は、品鶴線(横須賀線)新鶴見信号場と南武線尻手駅を結ぶ貨物線です。この短絡線を介して貨物列車の運行や機関車の回送などが行われています。この路線は全線が単線で、住宅地の中を縫うように走っているのが大きな特徴です。距離は1キロほどですが、踏切は意外に多いです。※この短絡線は「南武線の支線」という扱いのため、当ブログでは「南武線の踏切」として扱います。この踏切は最初の踏切で、ちょうど短絡線が品鶴線と分かれていくところにあります。上を走る高架は横須賀線の線路です。踏切名は付近の地名「江ケ崎町」が由来となっています。ちなみに、踏切の所在地は鶴見区矢向となります。新鶴見方を見ます。この先で線路は品鶴線に合流します。尻手方を見ます。江ケ崎踏切 0K283M 幅員8.5M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.11.05
矢向駅の尻手寄りに隣接している踏切です。駅のすぐ脇にあり、商店街となっている通りが交差しているため人通り、車通りともに非常に多いです。踏切のそばに歩道橋もありますが、そちらを利用する人は少ないです。オーバーハング型の警報機が設置されていますが、かなり大型で初めて見るタイプのものです。矢向第二踏切 2K606M 幅員7.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.10.19
矢向駅周辺に広がる住宅地の中にあります。交通量が多く、踏切が鳴ると車が並びます。踏切に隣接して矢向駅の電車留置線があります。踏切名は所在地の地名が由来です。矢向第一踏切 2K346M 幅員9.0M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.10.19
先述の尻手第三踏切から100Mほど進んだ場所にあります。こちらも住宅地の中にあり、歩行者などの通行が多かったです。この踏切では本線と尻手短絡線との間が若干離れていて、踏切の長さが長めになっています。踏切名は付近にある「日枝神社」が由来となっています。本線です。上が尻手方、下が矢向方です。尻手短絡線です。上が尻手方、下が新鶴見方です。単線なのでローカルな雰囲気が出ています。日枝踏切 2K191M 幅員6.2M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.10.18
尻手駅周辺に広がる住宅地の中にある踏切です。周辺住民の利用が多く、歩行者や自転車がかなりの頻度で通行していきます。踏切名は隣接する駅名と周辺の地名が由来です。ちなみに尻手駅は川崎市幸区南幸町にあり、この踏切は横浜市鶴見区矢向にあります。また、第一と第二は欠番です。尻手方を見ます。左側と真ん中が南武線の本線、一番右側が尻手駅と新鶴見信号場を結ぶ貨物線の尻手短絡線です。矢向方を見ます。尻手短絡線はこの先で大きくカーブを描いています。尻手第三踏切 2K093M 幅員5.7M所在地:神奈川県横浜市鶴見区矢向撮影日:15.09.05
2015.10.16
久地駅の宿河原寄りに隣接している踏切です。駅前を通過する「府中街道」と交差しており、交通量はかなり多いです。周辺はマンションや店舗などが密集しています。踏切名は所在地の地名、隣接する駅名からそのまま取られています。久地踏切 14K952M 幅員14.4M所在地:神奈川県川崎市高津区久地撮影日:14.06.01
2015.08.15
南武支線浜川崎駅に隣接している踏切です。東海道貨物線の一部となっている南武支線と鶴見線扇町方面を結ぶ連絡線の踏切で、旅客列車は通らず貨物列車のみが通過するようです。この連絡線は正式な名称が不明なため、路線名は銘板にならって「尻手支線」とし、ブログでのカテゴリは「南武線の踏切」とします。踏切名はこのあたりのかつての地名である「田島町」が由来となっています。田島町は1927年に川崎市に編入される前の自治体名です。浜川崎方を見ます。奥に見えるのが南武支線浜川崎駅のホームで、上の高架は川崎貨物駅と安善駅を直接結ぶ貨物線です。この貨物線は現在は使用されていないようです。扇町方を見ます。この先にJR貨物の駅があり、線路は鶴見線に合流していきます。写真奥に鶴見線の205系が見えています。田島踏切 3K666M 幅員7.1M所在地:神奈川県川崎市川崎区鋼管通撮影日:15.02.11
2015.07.19
南武線最後の踏切で、立川駅周辺から続く住宅地の中にあります。狭い踏切ながら交通量は比較的多いです。反対側から。踏切名は所在地の地名「錦町」が由来となっています。この辺りは線路を境に錦町と羽衣町が分かれています。錦町踏切 34K724M 幅員3.5M所在地:東京都立川市錦町・羽衣町撮影日:14.07.13
2014.10.28
立川市の中心地にある踏切。国立と立川中心部を結ぶ都道145号が交差し、交通量は非常に多く地元でも交通のネックになっているようです。周辺はビルやマンションなどが密集しています。反対側から。踏切名は所在地の地名「羽衣町」が由来となっています。踏切を通過する209系ナハ52編成。南武線での209系の活躍も、残りわずかとなりました。羽衣踏切 34K578M 幅員11.2M所在地:東京都立川市羽衣町・錦町撮影日:14.07.13
2014.10.28
しばらく休止していたブログの更新を再開しました。住宅地の中にある小さな踏切。交差する道路は狭いですが、比較的交通量があるうえ歩行者の利用も多く、危険な踏切です。西国立駅近くにある第一と同様、踏切名はこのあたりの旧大字が由来となっています。上野原第二踏切 34K459M 幅員3.7M所在地:東京都立川市羽衣町撮影日:14.07.13
2014.10.26
西国立駅の矢川方に隣接している踏切。歩行者や自転車のみが通行でき、車は通行できません。駅の近くにあるのでここを利用する人は多いです。踏切名は周辺の旧大字「上ノ原」が由来となっています。上野原第一踏切 34K189M 幅員3.5M所在地:東京都立川市羽衣町撮影日:14.07.13
2014.10.03
立川市と国立市の中心部を結ぶ幹線道路が交差する踏切で、交通量は非常に多いです。鳴ると渋滞するので地元では交通のネックになっているようです。反対側から。踏切名の「向郷」は「むかいごう」と読み、周辺の旧大字が由来となっています。警報機に大きく表示されている「踏切」の文字が消えてしまっていますね…向郷踏切 34K042M 幅員12.5M所在地:東京都立川市羽衣町撮影日:14.07.13
2014.10.03
西国立駅周辺を散策したときに撮影しました。住宅地の中の生活道路が交差する踏切で、道路の幅のわりに交通量が多いです。踏切名は付近にある市立第三中学校が由来となっています。中学校前踏切 33K904M 幅員6.0M所在地:東京都立川市羽衣町撮影日:14.07.13
2014.09.30
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