全20件 (20件中 1-20件目)
1
牛久駅のひたち野うしく寄りに隣接した場所にある踏切です。牛久市の中心部にある踏切で、交通量が多くなっています。踏切名の「ぶどう園」は、この先にある日本初のワイン醸造場といわれる「牛久シャトー」が由来で、踏切が通る道路も「ぶどう園通り」と呼ばれています。ぶどう園踏切 50K883M所在地:茨城県牛久市田宮
2024.03.10
牛久駅の龍ケ崎市駅よりにある踏切です。駅の裏側に広がる住宅地の中にあり、狭い踏切ですが比較的交通量があります。踏切名は付近にある地名「柏田町」が由来です。柏田踏切 50K357M所在地:茨城県牛久市牛久町
2024.03.01
常磐線と並行する国道6号から分岐する小道と交差しています。道幅が狭いため人の通行のみ可能となっています。踏切名は付近の小字が由来となっています。籠田踏切 49K943M所在地:茨城県牛久市牛久町
2024.01.28
【2021年最後の記事となります。本年も「わさびくま日記」をご覧いただき、本当にありがとうございました。】先述の「開場踏切」から少し牛久寄りに進んだ場所にあります。住宅地のはずれにあり、この先から水田が広がる景色に変化していきます。踏切のすぐわきには牛久沼に端を発する「江川」が流れ、踏切名の由来になっています。第二江川踏切 46K513M所在地:茨城県龍ケ崎市若柴町
2021.12.28
龍ケ崎市駅周辺に広がる住宅地の中にある小さな踏切で、歩行者・自転車のみが通行可能です。踏切名は「あけば」と読みますが、由来は不明です。小字でしょうか?この踏切は元々は第4種踏切だったようで、「とまれみよ」が残っています。開場踏切 46K251M所在地:茨城県龍ケ崎市佐貫・佐貫町
2021.12.23
龍ケ崎市駅の牛久寄りに隣接している踏切です。駅周辺に広がる住宅地の中にあり、交通量が非常に多くなっています。踏切名は龍ケ崎市の古くからの市街地に通じていることが由来と思われます。この手前にも「竜ケ崎街道踏切」があるため「第二」となっています。第二竜ケ崎街道踏切 45K766M所在地:茨城県龍ケ崎市佐貫町
2021.12.18
つくば市に端を発し、牛久沼を経て小貝川に合流する谷田川のすぐわきにある小さな踏切です。交差する道は狭く、車両の通行はできません。踏切名は、谷田川のうち牛久沼~小貝川合流点の部分の別称である「八間堀」(はっかんぼり)に由来しています。八間堀踏切 44K902M所在地:茨城県龍ケ崎市小通幸谷町
2021.12.13
龍ケ崎市最初の踏切で、小貝川と谷田川に囲まれた場所にあります。踏切名の通り、交差する道は龍ケ崎市の旧市街に続いていて、交通量は比較的多いです。竜ヶ崎街道踏切 44K772M所在地:茨城県龍ケ崎市小通幸谷町
2021.12.01
藤代駅の龍ケ崎市寄りに隣接している踏切です。藤代地区の中心地にあり、住宅や商店などが集まっているため交通量は多いです。踏切名の由来となった農協は現在この付近にはないですが、かつては付近にあったものと思われます。農協前踏切 43K639M所在地:茨城県取手市宮和田
2021.11.25
国道6号の旧道となっている県道208号から分岐する道路が交差しています。現在は周辺住民の生活道路ですが、この道は国道6号の旧道よりもさらに古い街道となっていて、道路沿いにも「旧水戸街道」の看板などがありました。踏切名も「旧陸前浜街道」で、この道の歴史を語っています。常磐線の直流・交流の電源切り替え地点となるデッドセクションは、この踏切の手前(取手駅方)に存在しています。踏切から取手方を見ます。この先にデッドセクションがあり、写真奥の線路わきには「交直切替」の電光表示があります。旧陸前浜街道踏切 42K454M所在地:茨城県取手市谷中
2021.11.14
取手駅の少し先から常磐線と並行していた県道229号と交差している踏切です。この県道は、現在の国道6号(取手バイパス)開通前は国道6号の本線でした。そのため、踏切名も「陸前浜街道」という名称がつけられています。旧道を含む国道6号のルートは一般的に「水戸街道」と呼ばれることが多いですが、常磐線と同じく宮城県の岩沼市まで続いていることから明治時代に「陸前浜街道」の呼び方が一般化し、現在もその名残として常磐線・成田線・新金貨物線などの踏切名に残っています。陸前浜街道踏切 41K711M所在地:茨城県取手市谷中
2021.11.08
自動車が通行できない細い小道と交差しています。周辺は人気が少なく、利用者はあまりいないと思われます。踏切名は所在地の地名が由来です。清水踏切 41K016M所在地:茨城県取手市清水
2021.10.30
水田と住宅地が一体となった場所にある踏切です。先述の「手前土堤踏切」よりも広い道と交差し、交通量も多いです。「落し」というユニークな踏切名が目を引きますが、由来はまったくわかりません。また、この踏切の銘板は「踏切道」という表記になっています。落し踏切 40K824M所在地:茨城県取手市清水
2021.10.24
住宅や工場などが点在する場所にある踏切です。抜け道的な利用が多く、狭い踏切のわりに交通量が多いです。この踏切から水戸支社の管轄となり、銘板が「黄色地に名称とキロ程のみの表記」というシンプルなものとなります。踏切名は「てまえどて」と読むようですが、その由来は不明です。踏切のすぐわきに川が流れているので、その堤防を指しているのでしょうか?手前土堤踏切 40K579M所在地:茨城県取手市清水
2021.10.13
水田が広がる場所にぽつんとある小さな踏切です。前後の道は狭いため自動車の通行はできません。この踏切は常磐線の東京支社管轄の踏切としては最後となり、この先に水戸支社との支社境界があります。踏切名の由来は不明です。小字でしょうか?踏切から藤代方を見ます。線路は一直線に進んでいて見通しがよく、付近は常磐線の撮影スポットにもなっています。付近の架線柱には、踏切番号を示す「6」の表記があります。踏切番号表記が架線柱に取り付けられているのもここが最後です。(水戸支社管内では、線路わきに細長い立札を立てて番号・踏切名・キロ程を表記しています。)第二八反田踏切 39K768M 幅員1.8M所在地:茨城県取手市井野
2021.10.09
住宅地の中にある踏切で、近隣住民の利用があるため交通量も比較的多いです。踏切名は付近の小字が由来となっています。桑原踏切 39K118M 幅員4.5M所在地:茨城県取手市井野
2020.11.29
井野団地から国道6号方面に抜ける道路が交差しており、交通量は比較的多くなっています。踏切の存在感を際立たせるため、大型のオーバーハング式警報機が設置されています。踏切名は付近の小字が由来となっています。井野下踏切 38K583M 幅員6.0M所在地:茨城県取手市井野
2020.11.25
北千住駅に隣接したところにある「北千住一丁目踏切」から30キロ以上離れた場所にある、常磐線3か所目の踏切です。歩行者専用となっており、自動車は通行できません。周辺は取手駅周辺に広がる住宅地で、多数のマンションやアパートなどが立ち並びます。複々線化前の常磐線には北千住~取手間にも多数の踏切がありましたが、複々線化に伴ってすべて廃止されています。踏切名は付近の丘の上に「阿弥陀堂」があることが由来と思われますが、正式な由来は不明です。寺下踏切 38K360M 幅員2.0M所在地:茨城県取手市井野
2020.11.23
北千住駅に隣接した場所にある踏切です。駅の近くにあるため時間を問わず人通り、車通りが多いうえに列車本数も多く、さらにこの先に東武伊勢崎線の踏切もあるため「開かずの踏切」として問題視されています。ただ、この直下を地下鉄千代田線が走っていることや踏切の上につくばエクスプレス線と地下鉄日比谷線の高架があることから踏切の地下化や陸橋の設置は難しく、今後も残ると予想されます。踏切名は付近の住所「千住一丁目」に由来するものと思われます。ただ、駅名になっている「北千住」は地名としては存在しません。ちなみに、ここから取手駅の先(取手~藤代間)まで常磐線には踏切がありません。南千住方を見ます。歩行者用の陸橋が設置されています。北千住方を見ます。奥に北千住駅が見えます。北千住一丁目踏切 4K833M 幅員15.4M所在地:東京都足立区千住旭町
2015.11.30
常磐線最初の踏切です。日暮里駅のすぐ近くにあり、人・車ともにかなり交通量の多い踏切となっています。常磐線の都内の区間は大半が高架や盛り土のため踏切はほとんどありませんが、ここと北千住駅近くに2か所だけ踏切があります。踏切名はこのあたりのかつての村名「金杉村」に由来しています。「金杉」という地名は住所が荒川区となった後も存続しましたが、1960年代の住居表示導入で消滅してしまいました。現在では踏切名がかつての地名を伝えています。日暮里方を見ます。上を走る高架は京成線です。三河島方を見ます。住宅やマンションなどが密集しています。金杉踏切 0K276M 幅員10.1M所在地:東京都荒川区西日暮里
2015.11.27
全20件 (20件中 1-20件目)
1