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2023/07/21
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私とほとんど同期の、マガジンハウス元社長の
木滑良久くんが亡くなった。93歳だった。

私より1歳年上だったが、出版界に入った
のは、私のほうが2年早かった。

そのため何となく、
私のほうが先輩面していた。

だからいまでも「さん」と呼びにくい
ところがある。

それに私が知っているマガジンハウスは、
戦後つくられた平凡出版という旧社名の
出版社だった。

私を可愛がってくれたのは、その平凡出版を
立ち上げた出版界の天才、岩堀喜之助社長で、
美空ひばりの育ての親だった。

月刊「平凡」は戦後の芸能誌として、
集英社の「明星」と共に、暗い雰囲気の
日本を明るくした、すばらしい雑誌だった。

私は光文社の役員に連れられて、ご挨拶に
伺ったことから、何故か可愛がってくださり、
ときどき電話で呼ばれた。

そして料亭に連れて行かれて、お茶の頂き方、
お花の観賞の仕方など、女性誌編集長の心得を
20代のうちに教えてくださった。

ところが平凡出版内部では岩堀さんの方針は
古い、という声が上がったのだ。

内部から「マガジンハウス」という社名にして、
もっと若い男女向きの雑誌を出すべきだ! 

という声が上がり、
副社長の清水達夫さんが社長になり、

木滑くんなどが中心になって、
新しく出発することになったのだ。

私の「女性自身」副編集長時代だったが、
木滑くんなどからは、私は岩堀派と見られて
煙たがられていた。

この木滑くんの名が出版界にとどろいたのは
「POPEYE」編集長のときではなかったか。

毎朝出社するときに、テニススタイルで、
颯爽と現れたのだ。

「これからの若者は、こうあるべし」という
姿勢を、出版界から見せたのだ。

これに東京の若者が反応し、「POPEYE」は
一挙に売れ出したのだ。

私はこのとき、彼の天才性を知ったのだが、
その後「マガジンハウス」といえば木滑良久
の名が第1に挙がるようになっていった。

私にしても社長の木滑良久氏というより、
編集長同士としての木滑、櫻井の仲だった
といえるだろう。

合掌




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最終更新日  2023/07/21 12:00:11 PM


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