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昨日13日はお盆のお墓参りでした。 今月2日に月例の墓参をしたばかりであるが、お盆と年末には重ねて墓参をするというのが、ヤカモチの習慣となっているのである。 シャンシャンとクマゼミの鳴く坂道を自転車のMTBで上って行きます。 と言っても途中にある寺の辺りまでで、アトは押して上がります。急な勾配の坂道なので、漕いで上がる元気はもうありません。 腰痛の所為でヤカモチにとって歩行はいささかの苦痛が伴う動作となるのであるが、自転車に乗っての移動は何の問題もなく、また自転車を押して歩くという動作も、只歩いているという動作よりも、やや前かがみになってという姿勢のゆえか苦痛がずっと軽減され楽に歩けるのである。 寺の門前の言葉も、先月5日の墓参の時に見たものがそのままで、更新されていなかったので、前回に続きスルーであります。 寺の前の道端にはアブラゼミの死骸が一つ転がっていました。 蝉と言えば、今月10日(土)に散髪に行った帰りに枚岡梅林に立ち寄った際、ミンミンゼミとツクツクボウシが同時に鳴いているのを耳にしました。前者は真夏の蝉の声、後者は過ぎ行く夏と言うか、夏の終わりの蝉の声というイメージである。 夏を押しとどめようと鳴くミンミンゼミと「秋よ来い」と鳴くツクツクボウシがせめぎあっている、そんな気がしたものであるが、どうやらミンミンゼミがせめぎあいに勝ったみたいで、昨日も今日も真夏のそれの猛暑である。 ということで、蝉の写真でも掲載して置きます。(クマゼミ) と言っても、その折のミンミンゼミとツクツクボウシの写真を撮った訳ではありませんので、先月22日に喫茶・ペリカンの家に立ち寄った際、店の前の喫煙ベンチのかたわらに植えられているシマトネリコの木にとまっていたクマゼミの写真であります。 墓地に到着、花を取り替え、線香を手向け、合掌礼拝。 墓参を済ませてから、墓地への坂道の一つ北側の坂道に移り、そこにある市杵島姫神社の木陰で一休み。水分補給とタバコ一服をしながら気がついたのは、今回の墓参に関連する写真を1枚も撮っていないということでした。 それで、撮ったのが次の写真2枚。(大阪一望) 右手の大型マンションの背後に写っているのが花園ラグビー場のスタジアム。その後方右端に見える茶色のビルが東大阪市庁舎。 写真で見ると距離感が違って見えるが、東大阪市庁舎は花園ラグビー場の西北西方向約2.5kmの位置にある。 カメラの角度を下げて、手前側を撮ったのがこの写真。(坂道) この坂道は一つ北側のそれであるが、墓地への坂道もこれと同じような坂道でありますので、これを自転車で漕いで上るのは、電動アシスト付きなら別であるが、普通の自転車ではとても上り切れないのであります。 それでも、上りは貯金のようなもの。帰途はこの貯金を取り崩して一気に走り下ることになる。要するにプラマイゼロということであります。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2024.08.14
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(承前) 前頁の続きです。7月30日の西ノ京四ヶ寺巡礼銀輪散歩は、西大寺、喜光寺、唐招提寺まででタイムアウトとなりましたので、翌31日に残る薬師寺を拝観すべく出かけてまいりました。 銀輪散歩を、とも考えましたが、猛暑の中でもあり、西ノ京駅前の薬師寺のみの拝観なので、トレンクルの持参は取り止め、電車で出かけることとしました。 近鉄奈良線・大和西大寺駅で橿原線に乗り換えて、二つ目の駅・西ノ京駅で下車します。 西ノ京駅は改札口が地下1階になっているので、ホームから地下改札口に行き、再び地上に戻るという面倒な導線になっている。 地上に出て正面を進むと、先ず目に入ったのがこの薬師寺伽藍図。(薬師寺伽藍図) はい、只今、駅前、遊歩道を少し東に入った場所「現在地」に居ます。 こういう写真は、現在地の説明が一目瞭然なので、説明不要ですな。 広い通り、参道に出て右折、南へ、與楽門へと向かいますが、時刻が既に正午近くになっていたので、喫茶店にでも入って軽く昼食を済ませることにします。 與楽門から少し西に入ったところに”PAS Á PAS”というベーカリーカフェがあったので、そこで昼食&珈琲としました。 ランチも済ませたので薬師寺に向かいます。(薬師寺縁起・パンフレットより) このパンフレットを開くとこんな風になります。(同上 ※画像をクリックして大きいサイズの写真でご覧ください。) 上の写真には青線――で巡回コースを書き加えていますが、それでお分かりの通り、この日の拝観は南側の白鳳伽藍エリアのみであります。 與楽門より入山し、北拝観受付で拝観受付を済ませます。 先ず目に入る正面の建物が食堂(じきどう)。 薬師寺の正門は南門であるから、その反対側である北側にある與楽門は言わば裏門である。裏口から入るのがヤカモチ流であるから、これでいいのである。 裏口から入ったのだからいきなり食堂の建物ということになるのも仕方がないが、昼食を済ませたばかりのヤカモチであるから、これには入らず建物に沿って北側の空間を東へと回り込んで、伽藍の中心部に行こうと歩いていると、目にとまったのがこの石標。(十字廊と周辺の遺構) かつては食堂の北側に接して十字形の間取りをした食殿(じきでん)という建物があったということのようである。食堂に付帯する何らかの機能を受け持つ建物であったのだろう。 まあ、食堂(じきどう)とは言っても、食事を提供する場所というのではなく、今は参拝者向けの土産物など諸グッズの売り場兼休憩所といった機能を果たしています。 さて、食堂とこれに続く東僧房の建物に沿って歩き、これを東に回り込んだところにあるのが鐘楼。 鐘楼越しに東塔を撮ってみる。(鐘楼と東塔) 鐘楼の前には、蓮鉢が沢山並べられている。(蓮と東塔) 今回の拝観は蓮の花がキーワードであるから、蓮の花越しに塔を撮ってみます。 ハスは万葉では「はちす」というが、これはその実となる部分の形状が蜂の巣の形状に似ているからである。 もともと日本に自生していたとする説と、大昔に中国から渡来したとする説があるらしいが、インドが原産とされているようだから、有史前のいつの頃からか日本にやって来たのだろう。インドでも地中海沿岸でもハスは永遠の花として尊ばれた。ハスと仏像とは深く結びついているが、仏教で尊重される花であることは今も万葉の昔も変わらない。 遅ればせであるが、蓮の万葉歌を紹介して置きます。み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 行くへなみ 我(あ)がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞(き)こせども 我(あ)が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我(あれ)は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに (万葉集巻13-3289)(<み佩かしを>剣の池の蓮の葉に溜まっている水のように、行く方もなく私が思い悩んでいる時に、是非逢おうと言って逢ってくれたあなたのことを、共寝してはいけないと母は仰るけれど、<我が心>清隅の池の、池の底のように深く私は忘れまい。じかにお逢いするまでは。)蓮葉(はちすば)は かくこそあるもの 意吉麻呂(おきまろ)が 家なるものは 芋(うも)の葉にあらし (長意吉麻呂 万葉集巻16-3826)(蓮の葉とはこのようにこそあるもの。意吉麻呂の家にある蓮の葉は芋の葉のようです。)勝間田(かつまた)の 池はわれ知る 蓮(はちす)無し 然(しか)言ふ君が 髭(ひげ)無き如し (婦人 万葉集巻16-3835)(勝間田の池は私は知って居ります。蓮などありません。そう言うあなたに髭が無いのと同じです。)※この歌についての解説はコチラの過去記事に記載しています。ひさかたの 雨も降らぬか 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 玉に似る見む (右兵衛 万葉集巻16-3837)(<ひさかたの>雨でも降らないかなあ。蓮の葉に溜まる水が、玉にそっくりなのを見よう。)(同上)(東塔と中門と金堂) 回廊の方に進み、東方向から、東塔、金堂、西塔を撮ってみよう。(東塔と西塔と金堂) はい、東側回廊から眺めた金堂と塔の景色です。 もう少し歩を進めて、東塔の左裏手から撮ったのが次の写真です。(東塔と西塔) 中門内側から撮った東塔です。(東塔)(東塔縁起) 東塔と西塔の間を行ったり来たり・・。(東塔・北側からの撮影) これは、ひとめぐりして、講堂脇で一休みしている時に撮った真北側からの東塔の写真ですから、この日、薬師寺境内で撮った最後の写真ということになります。 前後しましたが、西塔です。(西塔)(西塔縁起) 中門を出て、南門の近くまで行って撮った中門の写真です。(中門) 東西の塔を背景に中門を撮ってみようとしたのですが距離が不足で塔が入りませんでした。南門の中まで行けば入ったのかも知れませんが、塔の一部が入った距離で妥協であります。 中途半端でありますが、中門の写真の注文を受けた訳でもなければ、これでいいのだ。もっとも、これを「なかもん」と発音するのであれば上の駄洒落は不成立。「無かもん」としてつかわさい。 中門に戻り、金堂へ。 金堂内を拝観する前に、西塔の北側にある佐々木信綱の歌碑と会津八一の歌碑を撮って置きます。(歌碑) 左側が佐々木信綱歌碑。右が会津八一歌碑です。ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲 (佐々木信綱)すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな (会津八一) ヤカモチは「ゆく夏の大和の国の薬師寺の堂の壁なる一匹の蜘蛛」という戯れ歌を思いついたりもしましたが、イマイチなので偐万葉には不採用とします(笑)。 水煙の「あまつをとめのころもで」や如何にと、東塔の水煙を撮ってみましたが・・。(東塔の水煙) では、金堂に参ります。(金堂)(金堂縁起) 金堂から大講堂へ。(大講堂)(大講堂縁起) 食堂(じきどう)の、涼しい風が当たる一角で暫し休憩して、與楽門から退出であります。裏門の與楽門から入ったのなら表門の南門から退出するのがヤカモチ流なのでありますが、南門から出ると駅が遠くなるので、今回は裏から裏へということにして置きます。 最近は腰痛が酷くなっていて長歩きは身にこたえるのであります。 南門を出て薬師寺の八幡宮である休ヶ岡八幡宮を回り、前述の蓮の万葉歌に記載の勝間田の池とされる大池に足を延ばして、その畔から薬師寺の塔を眺めるというようなコース取りも考えられたのですが、今回は不採用であります。 大池や休ヶ岡八幡宮の写真掲載の過去記事がありますので、これを貼って置くこととします。ご希望のお方はその記事でご散歩ください。<参考>若草歌壇2011花園篇公開ほか 2011.4.30. 大池の写真だけ貼り付けて置きますかね。(大池から見る薬師寺) また、15年も昔のことになるが、薬師寺の回廊に沢山のオオヤマレンゲの鉢が並べられているのに、出くわしたことがある。そのことも懐かしく思い出したので、その折の記事も下記に貼り付けて置きます。<参考>奈良銀輪散歩(その3) 2009.5.23. 薬師寺をアトにしたヤカモチは、ランチ&コーヒーをした先ほどのベーカリーカフェ”PAS Á PAS"に再び入り、抹茶ソフトで暫し休憩。 そして、西ノ京駅へと向かう。(近鉄橿原線・西ノ京駅<ホーム待合室の中から撮影>) ホームで待っているのも暑く、冷房のきいた待合室へ。 待合室は満員です。 待つこと10分足らずで大和西大寺行き電車が来ました。 これにて、西ノ京四ヶ寺巡礼完結であります。(完)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)(追記注:2024.8.14.21:43)勝間田池の万葉歌についての解説を記載した過去記事のリンクを追記しました。
2024.08.12
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(承前) 前頁からの続きです。 喜光寺を出て、垂仁天皇陵の前を通過、唐招提寺へと向かいます。 垂仁天皇陵の写真は今回撮っていないので、下記過去記事をご参照ください。<参考>大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで(その2) 2010.3.6. 第2回ペリカンの家サイクリング下見 2019.8.25. 中学時代の恩師のお墓参り 2023.1.8. 唐招提寺の門前に着いたのは午後3時少し前。(唐招提寺・金堂)(同・境内案内図)(同・境内略図<パンフレットより>) 遅い出発となったため、最初の西大寺に着いたのが午後1時を過ぎていたので止むを得ないが、次の薬師寺の入山刻限が午後4時半であるから、どうやら今日は、ここ唐招提寺までで、薬師寺拝観は後日に回すしかなさそうです。(同・パンフレットから撮影)※画像をクリックして大きいサイズの画像でお読みください。 今日のテーマは蓮の花であるが、境内の萩の花も撮って置きましょう。(同・境内の萩の花)さ男鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 珠と見るまで 置ける白露 (大伴家持 万葉集巻8-1598)(さ男鹿が朝に立つ野辺の秋萩に、珠かと思われるほどに輝いて置いている白露よ。) まあ、萩は何と言っても万葉を代表する花であるから、目にしたからには撮らざるを得ません(笑)。 では、金堂の右手にある売店裏手の蓮池の方へと参りますが、その前に金堂脇に置かれた蓮鉢の花であります。(同・蓮の花<1>) 蓮池です。 蓮池という名かどうかは存じ上げぬが、弁天堂の前にある池で、蓮が池全体に繁茂しているから、蓮池でいいのだろう。(同・蓮池<1>)(同・蓮池<2>) 蓮はそこそこに冷房の効いた売店に入る。売店内に置かれた扇風機の風に当たって、暫くの間、火照った身体を冷やします。 その売店の奥隣に喫煙所がある。扇風機の風は名残惜しいが、タバコも喫いたい(笑)。売店を出て、喫煙所で一服です。 その喫煙所近くに並んでいた蓮鉢の蓮の花がこれ。(同・蓮の花<2>)(同・蓮の花<3>) 金堂を拝観し、講堂へと回る。 金堂の裏階段の最上段に上って講堂を撮影しましたが、距離がもう少し必要であったようで、屋根の両サイドが入り切りません。(同・講堂) 講堂から開山堂へ。(同・開山堂前の芭蕉句碑) 若葉して御目の雫ぬぐはばや (松尾芭蕉 「笈の小文」) この句碑の写真は下記<参考>の過去記事にも掲載済みであるが、今回も撮影したので掲載して置きます。 芭蕉句碑についての説明も同記事に記載済みなので割愛することとし、ヤカモチも一句仕り候。 蝉しぐれ額の汗をぬぐはばや (筆蕪蕉「老いの小文」)<参考>見まくの欲しき瓊花そして墓参 2016.5.2. 開山堂から鑑真和上御廟に向かいます。(同・鑑真和上御廟の門) 鑑真和上御廟は境内の北東隅の一番奥まった場所にある。 上掲写真の門が御廟への入口である。 門を潜ると、一面の苔。(同・鑑真和上御廟参道脇の苔)(同上) 一面の苔に覆われた木立の中の参道を進むと、正面に和上の御廟。(同・鑑真和上御廟)(同上) 御廟を出て、来た道を引き返すと、目に入ったのは北原白秋の歌碑。(同・北原白秋歌碑)水楢みづならの 柔やはき嫩葉わかばは み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ (北原白秋) 白秋は52歳の時に眼底出血を起こし徐々に視力が低下、失明してしまうのであるが、そのような事情もあってか、鑑真和上のことを思って詠んだ歌がいくつかあり、この歌はそんな中の1首である。 他の関連歌を列記すると以下の通りです。 目の盲(し)ひて 幽(かす)かに坐(ま)しし 仏像(みすがた)に 日なか風ありて 觸(さや)りつつありき 盲しひはてて なほし柔やはらと ます目見まみに 聖ひじりなにをか 宿したまひし 唐寺からでらの 日なかの照りに 物思ものもはず 勢きほひし夏は 眼も清すみにけり み眼は閉ぢて おはししかなや 面おももちの なにか湛たたへて 匂にほへる笑ゑみを この歌碑は御影堂の前にあるが、御影堂は非公開にて門前から望見するのみである。 御影堂の供華園には瓊花の木がある。春の終わり頃から初夏にかけて、この木はガクアジサイに似た白い花を咲かせる。その供華園は瓊花の咲く時期限定で毎年一般公開されるようだが、以前一度だけその瓊花を見に入山したことがある。 瓊花は鑑真和上の故郷、中国揚州の花である。 昭和38年(1963年)に、和上1200年忌を記念して中国仏教協会から唐招提寺に贈られたものであるという。 御影堂から少し西へ行ったところの僧房か何かの建物の庭に立ち入り、日陰になっている石に腰掛けて暫しの休憩、水分補給であります。立ち入ってもよいのか定かではなかったが、立ち入り禁止の結界もなく、蓮鉢が並べられていたから、多分大丈夫なんだろうと思った次第。(同・会津八一歌碑)おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ この歌碑は下記<参考>記事にも掲載していますので、再掲載ということになります。<参考>青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 唐招提寺を退出したのは午後4時頃。 南門の道路向かいの駐車場に駐輪して置いたトレンクルへと向かうが、その敷地内にあった土産物店兼喫茶店に入る。かき氷を注文する。店内でも食べることができるというので、閉店時刻の午後4時半まで余り時間もないのであるが、冷房のきいた店内の喫茶コーナーで食べさせていただく。 店の営業時間は、唐招提寺の入山受付時間である午前8時~午後4時半というのに合わせているようだ。 20分ほどで店を出て、トレンクルに乗車。駐車場出口の脇には栗の木があって、早くもイガグリの実が沢山なっているのが見られました。 トレンクルで秋篠川自転車道に向かう。 これを北に向かって走る。 自転車道に入ってスグのところにある大伴旅人の万葉歌碑を見て行く。(大伴旅人万葉歌碑)沫雪の ほどろほどろに 降りしけば 奈良の都し 思ほゆるかも (大伴旅人 万葉集巻8-1639)(泡のような雪がはらはらと降り続くと奈良の都のことが思い出される。) この歌碑は、秋篠川沿いの自転車道を走る際には何度となく目にして居り、この歌碑の前で歌を解説したという記憶も一度ならずあるのだが、そういう際の記事写真としての掲載は見当たらず、意外にも下記の<参考>記事の写真としての掲載があるのみでありました。<参考>若草読書会・万葉集から聞こえて来る音 2019.2.4. 秋篠川自転車道から平城宮趾公園を縦断。 大極殿の門である大極門の前を抜けて、朱雀門へと向かう。(大極門) 上の写真は今回撮影のものではなく、2022年3月に撮影したものであるが、この前を通り抜けたので、この写真を貼って置きます。 朱雀門へ向かうには、公園内を通っている近鉄奈良線の踏切を渡らなければならないのであるが、この踏切は午後5時を以って通行止めとなり、踏切手前の柵が閉じられてしまう。 やって来たのは丁度5時になる頃。係員の人が早く来いと手招きして下さり、ギリギリで通過。無事踏切を渡れました。 これが閉鎖されると、西側か東側の一般道路に出て、そこの踏切を利用しなければならないので、少し遠回りしなければならないことになる。 朱雀門から大宮通りに出て、これを左折、東へと走る。 新大宮駅の少し手前に奈良市役所庁舎があるのだが、道路を走りながら眺めると、庁舎の前に何やら歌碑らしきものが見える。近づいてみると、果たして万葉歌碑でありました。(遣新羅使人万葉歌碑)あをによし 奈良の都に たなびける 天の白雲 見れど飽かぬかも (万葉集巻15-3602)(<あをによし>奈良の都にたなびいている天の白雲は、見ても見飽きないものだなあ。) 万葉集巻15の冒頭145首は遣新羅使一行の人々が詠んだ歌である。 その中の1首がこの歌碑の歌という訳である。 天平8年(736年)6月に新羅へ派遣された遣新羅使であるが、暴風に遭って漂流したり、疫病のため使人が死去したり、と苦難の旅であったことが万葉集の歌からうかがい知れる。 この使節はその前年の735年に来朝した新羅使節団を追い返したことから、その外交的影響について相手方に探りを入れるというものであったようだが、今度は新羅の方が相手にしなかったもののようで、交渉には失敗、これといった外交的成果もなく、翌年(737年)1月に帰京している。 午後5時20分頃に近鉄奈良駅前に到着。 この日拝観できなかった薬師寺は翌日に訪ねることとし、この日の銀輪散歩はひとまず終了です。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.08.11
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西大寺、喜光寺、唐招提寺、薬師寺の西ノ京4ヶ寺共通拝観券を入手したので、久しぶりに西ノ京を巡る銀輪散歩をして来ました。 このコースはこれまでに何度となく歩いたり、サイクリングしたりしているお馴染みの道である。 今回の共通拝観券のキーワードは「奈良・西ノ京ロータスロード(Nara Lotus Road)」ということで、蓮の花である。 共通拝観券に記載の各寺のプロフィールは下記の通りです。●真言律宗総本山 西大寺 (奈良市西大寺芝町1-1-5 TEL.0742-45₋4700) 西大寺は称徳女帝の鎮護国家の勅願により天平神護元年(765)に創建された南都七大寺の一つです。鎌倉時代に稀代の名僧・興正菩薩叡尊上人によって真言律の根本道場として再興され、その法燈を現代に伝えます。●法相宗別格本山 喜光寺 (奈良市菅原町508 TEL.0742-45-4630) 喜光寺は行基菩薩が養老5年(721)に開創。平城京での布教や東大寺大仏造立の活動拠点とされました。天平21年(749)、行基菩薩は喜光寺で入滅。現在は、いろは歌を書写する「いろは写経」の体験が人気です。●律宗総本山 唐招提寺 (奈良市五条町13-46 TEL.0742-33-7900) 唐招提寺は唐の高僧・鑑真大和上が奈良時代に創建した寺院。和上が来朝された時に蓮根をもたらしたことから、開創以来、蓮を大切に栽培してきました。和上伝来の品種は「唐招提寺蓮」「唐招提寺青蓮」「奈良蓮」。●法相宗大本山 薬師寺 (奈良市西ノ京町457 TEL.0742-33-6001) 薬師寺は天武天皇により発願、持統天皇によって本尊開眼されました。その後は平城遷都に伴い、藤原京より平城京に移り今に至ります。 先ず西大寺へ。 なお、この記事は本日のそれではなく、7月30日のことなので、10日遅れのご報告ということになります。(西大寺境内図) 西大寺はこれまで何度となく立ち寄っているが、堂内に上がり仏像などを拝観するのは多分今回が初めて。 どことも堂内の撮影は禁止されているが、その影響もあってか、撮影が許されているお堂の外観写真なども撮影せぬまま境内を出てしまい、愛染堂裏の蓮苑でハスの花の写真を撮ったのみであることに、西大寺を後にしてから気が付きました。 そんなことで、拝観の際に頂戴した各お堂のパンフレットを撮影した写真でその穴埋めといたします。 先ず、本堂です。 本堂は本尊の釈迦如来立像、弥勒菩薩坐像、文殊菩薩騎獅像などが安置されている。(西大寺・本堂<1>)(同・本堂<2>) 次に愛染堂。 愛染堂には、愛染明王と興正菩薩(叡尊上人)が祀られている。(同・愛染堂<1>)(同・愛染堂<2>) 愛染堂内では叡尊像に初の対面。 西大寺中興の祖とされる叡尊の名は夙に承知していたものの、その像を拝するのは初めてで、何となくイメージしていたお姿とは異なっていたので、何やら妙な気分でありました。 愛染堂の裏に蓮苑があり、今回の拝観券のキーワードは「蓮の花」なので、これを撮影することに。 蓮苑の入口近くに鎮座ましますのは、平和観音像。(同・平和観音像) そして、ハスの花です。(同・蓮苑<1>)(同・蓮苑<2>)(同・蓮苑<3>と平和観音像)(同・蓮苑<4>)(同・蓮苑<5>)(同・蓮苑<6>) 愛染堂を出て、四王堂へと向かいます。 四王堂には、十一面観音菩薩像、四天王像、行基菩薩像、道鏡禅師像、百万塔陀羅尼などが安置されている。(同・四王堂<1>)(同・四王堂<2>) そして、今回は立ち寄らなかった奥の院・叡尊上人御廟ですが、西大寺境内から西へ600mほど行ったところにあるのがそれ。(同・奥の院叡尊上人御廟) ここは、2017年8月29日に訪ねているので、その折の記事を下記に貼って置きます。<参考>叡尊墓と北山十八間戸 2017.8.29. また、これまでに西大寺を訪問した折の過去記事も参考までに掲載して置きます。<参考>大和西大寺駅から矢田寺経由富雄駅まで 2010.3.5. 青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 第2回ペリカンの家サイクリング下見 2019.8.25. 西大寺を出て喜光寺へと向かいます。(喜光寺・本堂) 蓮鉢は250鉢あるそうな。(同・蓮の花<1>) 喜光寺の蓮の花はこんな感じです。(同・蓮の花<2>)(同・蓮の花<3>) 弁天堂へと向かう通路脇の溝に咲いていたのはミズアオイ。(同・ミズアオイ<1>)<参考>ミズアオイ・Wikipedia ミズアオイは万葉では「水葱(なぎ)」と呼ばれる。 ということで、ミズアオイも万葉植物である。醤ひしほ酢すに 蒜ひる搗つき合てて 鯛願ふ われにな見えそ 水葱なぎの羹あつもの (長意吉麻呂ながのおきまろ 万葉集巻16-3829) <醤と酢に蒜をまぜ合わせて鯛を食べたいと思っているのに、水葱の 羹なんぞ俺に見せるな。>(同・ミズアオイ<2>) 同じミズアオイ科の植物で、ミズアオイよりひと回り小さい花を咲かせるコナギというのもあり、両者は共に、ナギ(菜葱)、ミズナギ(水葱)という共通の別名で呼ばれることもあるので、万葉の「ナギ」や「コナギ」がミズアオイをさすのか、コナギをさすのかは定かではない。 まあ、万葉人は植物学者ではないのだから、両者を厳密に区別していなかったということは十分考えられるから、どちらかというのではなく、両方を含んだ総称と考えるのが相当かもしれない。<参考>コナギ・Wikipedia(同・ミズアオイ<3>) 万葉で歌われているように、古代の人は、ミズアオイやコナギの若葉を汁にしたり、塩茹でにしたり、漬物にしたりして食べたのであろう。 また、次の歌からは、その花を摺り染めの染料としていたこともうかがえる。苗代(なはしろ)の 小水葱(こなぎ)が花を 衣(きぬ)に摺(す)り 馴(な)るるまにまに あぜかかなしけ (万葉集巻14-3576)(苗代に咲いている小水葱の花を、衣に摺り付け、着なれるにつれて、どうしてこんなにも愛しいのだろう。)(同・弁天堂)(同・弁天堂 御神影 宇賀神像) 喜光寺にある万葉歌碑はこれ。(同・万葉歌碑)大き海の 水底みなそこ深く 思ひつつ 裳引き平ならしし 菅原の里 (巻20-4491 石川女郎)(大海の水底のように深く思いながら、裳を引いて地面を平にした菅原の里よ。) この歌碑については、過去記事でも紹介しているので、下記をご参照ください。<参考>青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5. 会津八一の歌碑も境内にあるが、今回は撮影し忘れたよう。 上掲の「同・蓮の花<1>」の写真の右隅奥に写っている石碑がその歌碑であります。 上記2011年6月の参考記事には、その歌碑の写真も掲載されていますので、ご参照ください。 本日はここまでとします。(つづく)<参考>銀輪万葉・奈良県篇の過去記事は下記をご覧ください。 銀輪万葉・奈良県篇 銀輪万葉・奈良県篇(その2)
2024.08.09
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今日は囲碁例会の日。 今日から立秋に入りましたので、暦の上では秋ということになりますが、大阪の最高気温は36度。まだまだ残暑と言うようなものとは程遠く、夏本番が当分続く気配であります。 熱中症警戒アラートが出る中でも、囲碁例会の日とあっては、銀輪散歩を兼ねて自転車で出かけるというのがヤカモチ・スタイルでありますので、今日も梅田までMTB(マウンテンバイク)でひとっ走りであります。 熱中症対策として、花園中央公園近くのコンビニで凍結したスポーツドリンクとそうでないスポーツドリンク各1本を購入していると、メンバーの一人である平〇氏より電話着信。「体調に自信がないので、欠席させていただく。」というのが電話の内容。前日には、青◎氏からも欠席する旨のメールを頂戴していたので、どうやら今日の出席者は、福麻呂氏と村〇氏、それにヤカモチの3名のみになりそうだと見込まれました。(大阪城公園) いつもの通り大阪城公園を通り抜け、天満橋を渡った先の滝川公園で水分補給とタバコ一服の小休止をして、梅田スカイビル到着は11時38分。 駐輪場係員に梅田スカイビル近くのコンビニで買い求めたアイスバーと凍結スポーツドリンク1本を差し入れ。猛暑の中を銀輪で走って来た汗だくヤカモチには炎天下での係員のご苦労もよく分かるので、この時期はこうした差し入れをして心ばかりの応援をさせていただくというのがヤカモチ流でもあります(笑)。 今回も駐輪場は満杯で入口には進入禁止を示すポールが立てられていましたが、丁度一台の自転車が退出するところであったので、運よくすぐに駐輪することが出来ました。 全席喫煙席というカフェ・レストラン「CAFFE PIAZZA POPOLO」で昼食&珈琲。 昼食後、5階の部屋に行くとヤカモチの一番乗り。 汗に濡れたTシャツを持参の新しいTシャツに着替えて、待つこと30分ほどで、福麻呂氏がご来場。少し遅れて村〇氏がご来場。 予想通り、今日の出席者はこの3名のみでありました。 到着順ということで、先ず福麻呂氏とヤカモチが対局することに。 少し優勢かと思われたが、終盤で受け間違いをしてしまい、黒五子をもぎ取られるミス。3目半の負けとなりました。 2局目の相手は村〇氏。こちらは不利な展開でしたが、終盤で村〇氏の不用意なハネ継ぎから左辺隅の大石が死んでしまうという村〇氏のミスがあって、ヤカモチの中押し勝ち。 ということで、今日のヤカモチの成績は1勝1敗。 最後は、福麻呂氏と村〇氏の対局。ヤカモチは観戦。 両者の対局が終了したところで、解散。午後3時少し前といういつにない早い解散でありましたが、大阪城公園、横枕南公園などの木陰で水分補給をしたり、アイスを食べて身体を冷やすなど休憩時間をたっぷり取った所為で、帰宅は午後5時20分頃と、帰途は2時間以上もの時間を要してしまいました。まあ、これも熱中症対策の上では必要不可欠なことであります。<参考>囲碁関連の過去記事は下記参照。 囲碁関係(その1) 2008年~2019年6月 囲碁関係(その2) 2019年7月~
2024.08.07
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今日は健人会の例会。 自宅最寄り駅の近鉄奈良線枚岡駅発9時46分の各駅停車に乗って、大和西大寺駅で乗り換え、近鉄京都線西大寺発10時27分の特急に乗車。京都駅着11時。JR琵琶湖線米原行き普通電車に乗車。石山駅11時21分着。 会場は例によって石山寺近くの料亭・新月というのがここ何年間のお決まりとなっていて、料亭からの送迎バス発車時刻が11時55分なので、30分以上も早い到着でありました。 2階改札口を出たところには何人かのメンバーが既に到着され集まって居られましたが、挨拶もそこそこにヤカモチは、先ずタバコを一服すべく、1階北口の駅前広場へ。(JR石山駅とサルスベリの花) 北口の駅前広場のサルスベリの木陰のベンチでタバコを一服。 そこで目の前にあるガス灯の存在に気が付きました。(駅前のガス灯) 電灯だと思っていたので、これまで気にも留めなかったのですが、その台座の銘板を見て、ガス灯であることに気付いたという次第。(ガス灯の台座銘板) やがて、料亭からの送迎バスも到着、乗車予定の皆さん全員が揃われたので、いざ出発であります。 今回の出席者は、杉〇氏、只麻呂氏、平〇氏、鯨麻呂氏、岡〇氏、森〇氏、徳〇氏、今〇氏、草麻呂氏、竹〇氏、正〇氏、生〇氏、〇庭氏、北〇氏とヤカモチの全15名。 いつもは、2階の部屋であったが今日は3階の部屋に案内される。 世話係の草麻呂氏の司会で開会。最年長の杉〇氏のご発声による乾杯で宴会が始まりました。 平〇氏から座席の順に時計回りで、各自近況報告のショートスピーチという草麻呂氏からの振りがあり、皆さんの愉快なスピーチが続きます。 スピーチの合間に色々と脱線おかまいなしの茶々が入るのもこの会の恒例で、それが爆笑を誘い、座が一層盛り上がるというのでもありました。 まあ、何にしても愉快な仲間たちであります。 5番目か6番目かに順番が回って来たので、ヤカモチも一応の近況報告をして置きましたが、通り一辺な感じに終わりそうなので、何か短歌で締めくくろうと作ったのが、下記の歌。石山の 瀬田のほとりに 我らみな つどひて今日も 楽しきを積め (偐家持) これを、犬養節で朗唱したのでしたが、この会で犬養節で歌を朗唱したのは、初めてのことであったようで、同じ職場で長らく一緒に仕事をした草麻呂氏などは別として、多くの人からヤカモチの歌の朗唱は初めて耳にしたと言われました。 会をお開きとするに当たって、皆で集合写真を撮ろうということになって、珍しく撮ったのが下の写真であります。(健人会参加者全15名) 別ルートでお帰りになる岡〇氏と鯨麻呂氏のお二人を残し、13名は、送迎バスでJR石山駅へと向かいます。(料亭・新月と送迎バス)(京阪・石山坂本線唐橋前駅) 京阪・石山坂本線の石山寺駅の少し南側に位置するのが料亭・新月。 従って、京阪電車だと石山寺駅→唐橋前駅→京阪石山駅(京阪石山駅とJR石山駅は隣接している。)ということになるが、我々は送迎バスなので、直行でJR石山駅到着であります。 大阪方面行きの面々は新快速姫路行きに乗車。徳〇氏、竹〇氏、ヤカモチの3人は京都で下車。何処やらに立ち寄って行くという竹〇氏と別れて、徳〇氏とヤカモチは近鉄電車で西大寺へ。そこで奈良線に乗り換え、学園前駅が最寄り駅の徳〇氏と別れてヤカモチは枚岡駅下車。帰宅は午後5時少し前でありました。<参考>健人会関係過去記事はコチラ。
2024.08.05
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記事が前後しますが、先月29日にあべのハルカス美術館開館10周年記念として開催されている「広重―摺の極―」に行って参りました。 こういう美術展は出品作品の撮影は禁止というのが普通であるが、その一部については、撮影が許されているというので、ブログ記事にもなるかと、出かけたついでに、涼みがてら立ち寄ってみた次第。(入館券)<参考>歌川広重・Wikipedia 前期と後期の2回に分けての開催。 前期 7月6日(土)~8月4日(日) 後期 8月6日(火)~9月1日(日) 前期のみの出品作品は169作品、後期のみの出品作品は166作品、前後期共通の出品作品は3作品、総出品作品は338作品である。 このうち、撮影が許されているのは、前・後期各11作品の全22作品。 撮影の許された前期分・全11作品を撮影しましたが、3作品についてはピンボケ写真となってしまっているので没とし、さほどでもない8作品についての写真を以下に掲載して置きます。(金澤八景 瀬戸秋月) 天保6~7年<1835~36>(金澤八景 称名晩鐘) 天保6~7年<1835~36>(木曽海道六拾九次之内 高崎) 天保7年<1836>(木曽海道六拾九次之内 あし田) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 洗馬) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 上ヶ松) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 中津川) 天保7~8年<1836~37>(木曽海道六拾九次之内 大久手) 天保7~8年<1836~37><参考>絵画展などの過去記事はコチラ。
2024.08.03
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今日は月例の墓参。熱中症警戒アラートが出る猛暑の中、山麓の高みにある墓地への坂道を上って行きます。 家を出てスグのところの民家の塀にとまって出迎えてくれたのはコシアキトンボのメスまたは未成熟のオス。(コシアキトンボ)<参考>コシアキトンボ・Wikipedia このトンボは、子どもの頃には「チョウチントンボ」と呼んでいたように思うが、腹部の付け根の白いのがオスで、メスと未成熟なオスはその部分が黄色である。 漢字では「腰空蜻蛉」と書くように、腰の部分が空いているように見えることからの命名である。腰部を電灯に見立てて「電気トンボ」と呼ぶ地方もあるらしいが、ヤカモチの子ども時代となると当然に「電気」などは存在しない未電化の時代であるから、「提灯トンボ」と呼んでいたのだろうと思う(笑)。 最近は腰痛に苦しむヤカモチであるが、コシイタヤカモチを出迎えてくれたのがコシアキトンボというのは、悪い冗談でありますな(笑)。 次に迎えてくれたのは、カンナ。(カンナ) 墓地への坂道の上り口近くに咲いてましたが、いかにも猛暑にお似合いの夏の花である。 坂道を上り始めるとサルスベリの花。(サルスベリ) これも夏の青空によく似合う花。 そして、いつもの寺の門前を通り過ぎるのだが、門前の言葉は更新されて居らず、先月のものと同じなので、スルーします。 坂道をほぼ上り切ったところに咲いていたのは、キバナコスモス。(キバナコスモス) キバナコスモスの花は開花して時日が経過すると黄色から赤みを帯びた色に変化して行くようです。 この花の色からそのことに初めて気がつきました。 墓地に到着。(墓地) 墓参を済ませて、中央奥右手の建屋で水分補給の休憩。 この建屋に水道蛇口があり、ポリバケツや柄杓が備置されていて、墓参の人はここで水を汲んで行くことになる。もう一ヶ所、坂を上り切ったところのクスノキの巨木(今はほぼ枯死して、その幹だけが残っている)の近くにも同じような建屋があるので、そちらで水を汲むこともできる。 ヤカモチの先祖代々墓は、上下建屋のほぼ中間付近にあるので、下の建屋の方で水を汲んで行くのが普通。 下の建屋から、クスノキの方向を見やったのが下の写真。(水汲み場の建屋から墓地を見る)(ほぼ枯死したクスノキ) まだ完全には枯死して居らず、右側の一部は生きているようで、そこから出た小枝には青い葉があるのが見てとれる。 出がけにコシアキトンボがとまっていた塀の近くの道端で目にとまったのがこの花。(トウバナ)トウバナ・Wikipedia 遠目にはマメグンバイナズナかと思ってカメラを向けましたが、トウバナでありました。 久々のブログ更新となる本日の記事は墓参と花のそれでありました。<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。 花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2021 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2024.08.02
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