銀輪散歩も南北の移動が中心の最近であるが、本日は東へ。
我が家は生駒山系の山の西側斜面の山裾にあるので、東へ行くというのは、即ち山に登るということを意味する。急峻な坂道故、殆どの行程、自転車を押して歩くしかないのであるが、それでも傾斜が少し緩やかな処は頑張ってペダルを踏む。汗が目にしみる~。
大阪府と奈良県との境の峠が暗
(くらがり)
峠である。この峠を越えて、奈良県側に下った処に犬養孝先生揮毫の万葉歌碑があるのだが、今日はそれを写真に収めようと、ただそのためだけの銀輪散歩である。前回(
2009.1.29.
)の暗峠行きの際は犬養万葉歌碑のある処までは行かず、画竜点睛を欠く気分でもあったので、今回は、という次第。
(枚岡公園内の道ー1)
山越えの道は枚岡公園から始まる。この公園自体が既にかなりの高みにあり、ここまで登ってくるだけでも自転車では相当にハードである。上の写真の辺りはまだ何とかペダルを踏めるが、下の写真の辺りになると、もうお手上げ。
(枚岡公園の道ー2)
(暗峠への道)
(キツネノカミソリ)
(万葉の路入口)
府民の森「なるかわ園地」への道である「万葉の路」入口でしばし休憩。府民の森は自転車乗り入れ禁止であるし、この路は階段の道なので、自転車では入れない。ここまで来れば暗峠はもう直ぐである。
(万葉の路)
ミンミンゼミとツクツクボウシの合唱に混じって、ヒグラシの澄んだ声が響き渡る。ヒグラシは秋の使いかも知れませんな。涼やかで、もの寂しさを感じさせるその声は秋を思わせる。汗だくになっていてもである。さやかに風の吹きも来る。
(暗峠の棚田・大阪府側)
やっと峠の手前までやって来ました。棚田が美しい。写真右奥の森に府民の森への入口がある。
黄花コスモスやタデが咲き、ヒョウモンチョウ、アゲハチョウ、アオスジアゲハなどの蝶が舞う。
(黄花コスモス)
(タデ)
峠には何軒かの民家がある。石畳の道の処でおばあちゃんと出会う。「こんにちわ」と声をかけると、人なつっこい笑顔で「歩いても大変なのに、自転車ではさぞ・・。冷たい水あげよか。」と言って下さる。
(暗峠の棚田・奈良県側)
(暗峠・奈良県側)
眼下に見えるのは生駒市の市街。その向こうの丘陵は矢田丘陵。矢田丘陵を越えると奈良市です。
(峠のお地蔵さん・奈良県側)
お待たせしました。やっと、犬養万葉歌碑です。
歌碑までは随分とかかるでしょう(笑)。
(犬養万葉歌碑)
防人 下野國梁田郡 上丁 大田部三成
奈尓波刀乎
己岐泥弖美例婆
可美佐夫流
伊古麻多可祢尓
久毛曽多奈妣久
孝書
(注)「泥」は、原文は「泥」の下に「土」を書くのだが
文字が使えないので「泥」として置きました。
難波津を 漕ぎ出て見れば 神さぶる
生駒高嶺に 雲そたなびく
(巻20-4380 大田部三成)
(棚田に野焼きの煙、秋の風情が・・)
犬養万葉歌碑にお別れして、再び暗峠まで喘ぎつつ坂道を登る。峠からは大阪側へは一気に落ちて行くような下りである。登りの苦労が嘘のように瞬く間に下界へ。花園公園までひたすら下る。
(花園公園から生駒山を望む。)
左奥のテレビ塔のある山が生駒山である。右手前の山から生駒山の右肩へととりかかる道が暗峠越えの道である。
生駒山の裏側少し下った処に犬養万葉歌碑があったのだから、そこまでを往復したことになる。振り返って見ると結構な距離だ。
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