第154回智麻呂絵画展
今年2回目の智麻呂絵画展です。
皆さま多数のご来場お待ち申し上げます。
<参考>他の智麻呂絵画展は下記からご覧になれます。
第1回展~第100回展
第101回展~第200回展
第201回展~
今回は全9点の出展でありますが、先ずジャガイモです。
このジャガイモは「さやあかね」という品種で、北海道富良野市の麓郷で栽培されているものです。富良野のブロ友のfurano-craftさんが偐家持館長宛てに送って来て下さったジャガイモ。元旦に届きました。この辺のことは1月2日の日記に記載致して居りますので、詳しいことは省略します。
お裾分けにとその一部を智麻呂邸にお持ちしましたら、下のような絵になって戻って参りました。原画は先日furano-craftさんにお送り申し上げましたので、或は今頃は同氏の工房の一画に飾られているやも知れません。
<参考>
降る雪と共に来たれる北の芋
2015.1.2.
土の香も 北の大地の それなりて
ごろごろ馬鈴薯 出で来も楽し (芋家持)
<追記>furano-craftさんのブログでも紹介されました。 (2015.1.26.追記)
ブロ友さんの「けん家持さん」から頂いた「智麻呂画伯の絵画」
次は蝋梅と椿の絵。ブロ友であると共に偐家持館長の中学時代の同級生でもあったひろみちゃん氏が、智麻呂さんが蝋梅の花がお好きであると知って画材にと下さったもの。その時一緒について来たのが椿。何れもひろみちゃん氏のお家の庭に咲いていたものであります。
蝋梅は、先日の大宰府銀輪散歩でも水城跡に馥郁と咲き匂っていました。
蝋梅の かほりほのかに 朝鳥の 来鳴きとよもす 春待つならし (偐家持)
こちらの椿は「太神楽」という品種とのこと。太神楽と言うと獅子舞(神楽舞)と傘回しなどの曲芸(放下)とを組み合わせた伝統芸能のことであるが、伊勢神宮に繋がる伊勢派と熱田神宮に繋がる熱田派との二派があると言われる。こちらの椿は伊勢派、熱田派どちらなんでしょう(笑)。
獅子と来れば牡丹。「背中で泣いてる唐獅子牡丹」は高倉健。されど獅子舞になると牡丹ではなく椿となりますか。「背中で笑ってる獅子舞椿」は「なまくら健」とでもして置くか。
上の二つの絵も原画はひろみちゃん氏の手許に届いています。この絵画展に先だってひろみちゃん氏のブログにてご紹介されています。
<参考> 「智麻呂さんの画を頂きました♪」
2015.1.24.
この白菜は若草読書会の凡鬼さんが家庭菜園で栽培されたもの。冬瓜、カボチャ、里芋その他色々の野菜をお持ち下さいますが、その都度楽しい智麻呂絵画になっています。
これは、偐家持が太宰府銀輪散歩に出掛けた際に、恒郎女さんのご要望で買い求めたお土産です。出掛ける前には「梅ひじき」とお聞きしていたのだが、現地に行ってみると、てんじんさま通りなど至る処に立っている旗は皆「梅の実ひじき」。まあ、これのことだろうと買い求めたら、果たしてその通りでありました(笑)。
実の抜けて ききしも花は まだなれば
梅の実ひじき ばかりありける (菅原実知真)
以下の三獣は、智麻呂邸にあるクリスマスの飾り物で、イエスが厩で誕生する風景を表現したセットの置き物。イエスの誕生を見守るようにして、その周囲に跪いている動物たちの一部です。
恒郎女さんは「もう
(これは牛の鳴き声ではありません。) 、何を描くやら」と仰っていました。こういう作品も、絵画展の雰囲気に「変化」を付けるものと言うべく、偐家持館長としては歓迎なのであるが、恒郎女さんは懐疑的にて「変か?」と危惧された次第(笑)。
牛「憂しと見し世も今は恋しき」
ロバ「老婆心ながらロバです。老婆ではありません。」
当日記の何処かにも記したかと思うが、ガスター著「ルーマニア鳥獣譚」にはこのような記述があるらしい。
この地上世界を造り賜うた神が地上の動物たちの寿命を決めるに当って、ロバを呼びつけ「汝は労苦せにゃならぬ。すなわち、常に重荷を負い運び、不断に笞うたれ叱られ、休息はちょっとの間で薊や荊の粗食に安んずべく、寿命は50歳」と宣した。これに対してロバは「そんな辛い目をして50年も長らえるのはいかにも情けない。どうか特別のお情けで20年差し引いていただきたい。」と申し出た。で、この20年を人間が貰い受けた。30歳から50歳までの命はロバから貰ったものだから、人間はこの時期はロバのように働き将来のための備えに苦労する、のだそうです。(以上、南方熊楠「十二支考3」より)
ラクダ「楽だから座ってます。」
落語するラクダ。「駱駝伊勢に行った(落第生に言った)。」
さて、最後を飾るのは春の花チューリップです。
本来はここに飾られるは水仙の花であったかも知れません。
智麻呂さんは水仙が描きたくなったらしく、恒郎女さんに花屋さんで水仙を買って来るよう頼まれましたが、花屋さんには水仙が無くて「入荷まで暫しお待ちを」と言われてしまう始末。仕方なくチューリップを買って帰られました。それがこのチューリップ。
水仙の代役とは露知らずのチューリップ、随分気取ってご機嫌な様子。「お前こそ主役」とでも智麻呂さんは仰ったのでしょうか。こういうのを「リップ・サービス」と言うのですがね。
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