偐万葉田舎家持歌集

偐万葉田舎家持歌集

2016.05.02
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カテゴリ: 銀輪万葉

 昨日(1日)は、中学の同級生でブロ友でもあるひろみちゃん8021さんの誘いで唐招提寺へ瓊花を見に行きました。
 彼女がブログで唐招提寺の瓊花の写真を紹介して居られ、小生もそのうちに見に行きたいとコメントに書いた処、「1日か2日に唐招提寺山門の孝謙天皇揮毫の扁額の写真を撮るため、再度訪問したいと思っているので、よければ私の車で一緒にどうでしょうか」というご連絡があり、それに乗ることとしたのでありました。
 <参考>「 4/25唐招提寺拝観(その1)瓊花を観に行きました 」 
 若草読書会での小生の友人・小万知さんもこの瓊花のブログ記事に「見てみたい」とコメントされていたことから、「小万知さんもご一緒にどうかしら。」という彼女の話。そこで、その旨を小万知さんに電話したのですが、両日とも他用があって無理とのことで、残念ながら、ご一緒は叶いませんでした。かくて、二人だけで出掛けることになった次第。
 で、先ずは、その唐招提寺の扁額ですが、これです。
 門前の警備員の方が、普通のデジカメでは文字などがうまく写りませんよ、と仰っていましたが、PCで加工・編集すると何とか判読できる程度には鮮明になりました。

唐招提寺 (1) (唐招提寺山門の扁額)

 この扁額は本物ではなく、実物を模したレプリカとのこと。本物は別の場所に大切に保管されているそうな。孝謙天皇の自筆の書とあれば、そういうことになるのでしょうね。ひろみちゃんは書の先生をやって居られたから、こういうものに興味津々なのでしょうが、小生は「さほどにも非ず」ですな。
 因みに、孝謙天皇(安倍皇女)は養老2年(718年)の生まれで、大伴家持と同じ年の生まれですから、言わば両人は同級生のようなものでしょうか。偐家持もその程度の関心は持って孝謙天皇を見ているということでありますかな(笑)。
 孝謙天皇(重祚して称徳天皇)は770年、52歳で亡くなっているから、785年まで生きた大伴家持より15年も早くに死んでいる。孝謙天皇の歌と言えば西大寺境内にある彼女の歌碑の歌が思い出される。

この里は 継ぎて霜や置く 夏の野に
                   わが見し草は もみちたりけり (孝謙天皇 巻19-4268)

 この歌碑の写真は次の参考記事に掲載されています。
 <参考> 青雲塾第2回万葉ウオーク 2011.6.5.

山門に 継ぎて額置く この寺の
        わが書きし字は 色あせにけり (孝偐天皇)

唐招提寺 (2) 唐招提寺 (3)
(唐招提寺)

 さて、わが「見まくの欲しき」瓊花がこれです。
 ちょっと変わった花です。ガクアジサイに似ていなくもない花である。
 鑑真和上のご縁で、中国から唐招提寺に贈られた花だそうな。

瓊花 (3) (瓊花)

 確かに美しい花なのだが、花の近くに寄ると何やら不快な匂い。
 ひょっとして・・と花に鼻を近づけてみた。
 その不快な匂いはこの花が発していたのであった。
 ひろみちゃんは「いい匂いがしていた」と仰る。
 小生の嗅覚が変なんだろうか。匂いの感じ方も人それぞれのようです。
 それ程強い匂いを発してはいないので、悪臭とまでは行かないが、小生には不快な匂いである。
 よって、小生には、この花は「臭い花」という位置づけとなりました(笑)。尤も、アオスジアゲハがたかる花なのだから「臭い」花に違いない、などと何ら科学的でない「胡散臭い」理屈をその論拠として自身の嗅覚を正当化しているに過ぎないから、こっちもかなり胡散臭いのではあります。

瓊花 (1) (同上)

瓊花 (2) (同上)

 これは、ひろみちゃん氏もブログで紹介なさっていた奈良八重桜です。
 「けふ九重ににほひぬるかな」の奈良八重桜も、少し盛りが過ぎたようにて「けふこのごろはしをれぬるかな」と言った風情でありました。
 桜は「しだれ」てもよいが、「しをれ」てはよくない。一重の桜は萎れる前に花びらが散ってしまう。これに対して八重は咲きながらに萎れる感じがある。花弁が多いとこういうことは不可避ですな。八重なす花弁がみんな元気なうちに散れ、というのは土台無理。一重よし、とした兼好さんもその辺の処に着目してのことだろうか。しかし、花の好みに限らず、自身の好みや価値観を他に押し付けるのは野暮というものである。

奈良八重桜 (奈良八重桜)

 次の芭蕉句碑もひろみちゃん氏のブログで紹介済みのもの。
 二番煎じの記事とはこういうもの。致し方なきことにて御座候。

芭蕉句碑(唐招提寺) (1) (芭蕉句碑)

  若葉して御目の雫ぬぐはばや (松尾芭蕉 「笈の小文」)

 この句は、貞享5年(1688年)の作。芭蕉が、おくのほそ道の旅に出るのは元禄2年(1689年)の3月であるから、その前年の句である。「若葉にて御目もとの雫を拭って差し上げたい」と、鑑真が潮風によって盲目になったことを踏まえ、鑑真像に涙を幻視した句である。
 芭蕉の句で「若葉」が登場する句はもう1句ある。
 「おくのほそ道」に出て来る有名な句である。

  あらたうと青葉若葉の日の光 (同上 「おくのほそ道」)

 青葉若葉の句などを思い浮かべながらもヤカモチさんの目はノキシノブに行くのだから、その感性は、未完成・支離滅裂か(笑)。しかし、目に入ってしまったのだから仕方がない。

ノキシノブ (唐招提寺境内・ノキシノブ)

 そして、松葉海蘭(マツバウンラン)もありました。
 これは、この花の名が分からぬものだから、「夢の雫」などと小生が適当な名を付けて呼んでいたら、小万知さんが「松葉海蘭」だと正しい名を教えて下さったものである。もう数年前のことである。

マツバウンラン (2) (同上・マツバウンラン)

 唐招提寺を出て、大池に回る。この池畔は薬師寺の遠景の撮影スポットであるが、今は、東塔が修理中で、野暮な工事用仮囲い覆屋に覆われて見苦しき様、と言うか、興醒めな眺めにて、撮影スポットも形無しなのである。

大池から見る薬師寺西塔 (1) (大池から見る薬師寺西塔)

 で、東塔が写らぬように撮影したのが上の写真である。
 手前の水面が大池のそれ。
 この大池は、万葉集に登場する「勝間田池」だろうと言われている。
 唐招提寺は元々は、天武天皇の皇子の新田部皇子の邸宅(別荘)であった場所で、その跡地が与えられて鑑真和上の唐招提寺となったもの。
 新田部皇子の歌は万葉集には登場しないが、新田部皇子に贈られたという婦人の歌が1首ある。

勝間田の 池は我知る 蓮 (はちす) なし しか言ふ君が 鬚なきごとし
                              (万葉集巻16-3835)
(勝間田の池のことはよく存じ上げていますわ。蓮はございません。そう仰るあなた様にお鬚がないのと同じで明らかなことです。)

 万葉集左注には、新田部皇子が勝間田池を見て感動し、池から帰って来て或る婦人に、勝間田池は、水が満々とあって蓮の花が盛りと咲いて見事なものだった、と言ったところ、その婦人が上の戯れ歌を詠んで返した、とある。
 この歌の解釈は色々にあって、
 新田部皇子が「蓮」と言っているのは、勝間田池付近に住んでいる女性のことで、それを隠そうとして「蓮」を持ち出したのに対して、それを察知した婦人が、そんな嘘を言ってもバレバレよ、と返した。とか、
 新田部皇子がこの婦人に愛情を抱いていて、蓮に(蓮<れん>は恋<れん>に通じる)「恋」を匂わせて、それをほのめかしたのに対して、婦人がさらりとそれをかわした。とか、がその代表的な解釈である。
 どちらの解釈でもお好きな方をご採用下さい。
 新田部皇子の父は天武天皇というのは既に述べたが、母は藤原鎌足の娘の五百重娘である。天武天皇が「こちらは大雪が降ったぞ、お前が居る大原の里に降るのは未だ先のことだろうな。」という歌を贈ったのに対して、「わたしが丘の神様にお願いして降らせた雪のかけらが砕けてそちらに散ったみたいね。」と返してやり込めた夫人がこの五百重娘なのである。それを彷彿とさせるようなやりとりという気がする。

 さて、この後、どうするか、ということになり、折角だから、中学の恩師の井〇先生のお墓参りをしようということになる。5月は先生の命日の月でもあるのだから。そこで、井〇先生の奥様に電話を入れ、ご自宅まで迎えに上がるので、ご都合宜しければご一緒にどうですか、と尋ねてみた。午後1時頃にお迎えに行くこととなる。
 それまでの時間つぶしということで、登彌神社、竜田大社を回って行くこととする。

登彌神社 (1) (登彌神社)

 登彌は登美で登美ヶ丘という地名になり、登美の小川で富雄川となり、であるが、元々はこの大和に先住した長髄彦 (ながすねひこ) 一族の名であったのかも知れない。
 天孫ニニギとは別に降臨したニギハヤヒは長髄彦の妹を妻としてこの地に定住したが、神武が日向からやって来るに及び、これと抗戦するか帰順するかで長髄彦とニギハヤヒとで立場が分かれることとなる。
 神武と長髄彦の戦いの最後は、神武の弓に金色のトンビがとまり、矢を放つと、長髄彦の軍は戦えなくなってしまうという形になる。「鳥見」というのはこのトンビの逸話と関連しての表記だろう。戦況が悪くなっても徹底して戦おうとする長髄彦をニギハヤヒ又はその息子のウマシマデが謀殺し、神武を大和に迎え入れる。ニギハヤヒ、ウマシマデは物部氏の祖である。
 登彌神社の由緒碑は、大和を平定した神武がこの地に皇祖神を祀り、後に登美連がその祖先であるニギハヤヒ(饒速日)を合祀したのが当神社の創建であるとしている。

登彌神社 (2) 登彌神社 (6)
(同上)

登彌神社 (5) 登彌神社 (4)
(同上)

登彌神社 (3) (同上・本殿)

 富雄川を下流に走り、大和川に出て、龍田大社に向かう。
 龍田大社には行ったことがないというひろみちゃんの話であったので、ご案内申し上げることとしたもの。途中、沈下橋を見たりもしたが、沈下橋と龍田大社は彼女がブログ記事にすると仰るので、小生はパスです。
 <参考>平群ー竜田川ー大和川ー龍田大社ー竜田越え( その2
     平群ー竜田川ー大和川ー龍田大社ー竜田越え( その3

 龍田大社の前の小さな摂社の祠の前でお弁当タイム。祠の脇にどなたかのペンケースが置き忘れになっていました。そのままにしてありますが、奇跡的にこの記事を持ち主がご覧になるというようなことがありましたら、昨日の昼前までは現地に置かれたままでありましたから、取りに行ってみて下さいませ(笑)。
 井〇先生宅に12時半頃に到着。奥様を車にお乗せして、恩師のお墓のある霊山寺に向かう。恩師・井〇先生のお墓に参るのは昨年5月のミニクラス会以来のことだからほぼ1年振りということになる。奥様とも1年ぶりの再会である。
 <参考> 中学恩師の墓参・ミニクラス会 2015.5.30.

霊山寺霊園 (2) (霊山寺霊園)

 さやさやと風が吹き、ここでもマツバウンランが咲いて風に靡いていました。知ったかぶりをしなければいいものを、松葉 蘭と説明し、帰宅して調べたら松葉 蘭であったことを知る(笑)。
 まあ、雲をつかむような話、海のものとも山のものともつかぬヤカモチ。雲も海も弱い視力では区別が付かないのだから、「そら(空)仕方ないわ」と自嘲(笑)。

霊山寺霊園 (1) (同上・マツバウンランが咲き群れ、さやさやと風に・・。)

 墓参の後、途中の喫茶店で暫し、三人であれこれの思い出話や亡き先生のことやその他の雑談。
 奥様をご自宅までお送りして帰途につきました。
 <参考> 銀輪万葉・奈良県篇






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最終更新日  2016.05.03 11:08:05
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