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普段、生活している時にはあまり感じないのだが、 ふとした瞬間に、ああ、やはり中国はすごい、と思わせられることがある。 先日、1年生の学生がプレゼントを持って、部屋にやって来た。 見ると、靴の中敷。 その学生の故郷、河南省の新県というところでは、 花嫁修業の一環として、このような刺繍を施した中敷を作る習慣があるという。 祖母から母へ、母から娘へと幾星霜を経て受け継がれてきた伝統芸術で、 図案も各家庭によって、様々なものがあるそうだ。 中国の学生たちは、小麦粉と水さえあれば、いとも簡単に餃子を作ってしまうし、 それは男でも女でも、性別によって変わることはない。 誰でもができるというわけではないが、 さらりと太極拳をやったり、 伝統的な楽器を、これもやはりさらりと演奏したりする。 河南省はもともと中原の地にあって、歴史上の英雄が闊歩した地だが、 そういう歴史が、吹いていく風の中に流れているような気がする。 いただいた中敷は、大事に取っておこうと思っている。。。
2012年05月25日
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目の前には2年生たちが書いた作文がドンと積んであります。 原稿用紙の枚数にして210枚。 これを添削し、その後、個人別に単語や文法の間違いを例文つきで解説し、 内容に関する寸評を書き加え、もう一つ、私の模範作文をつけて学生たちに返します。 最近は、『日本語ドラマ発表会』の準備で、またまた慌しい時間を過ごしています。 ドラマの脚本はとうに完成しているのですが、 それ以外に司会者やドラマのナビゲーターの原稿や、 学生が書いたミニ・ドラマを直して脚色したり、 発音を一人ずつ聞いて、修正するなど、 やってもやっても、仕事が途切れることはありません。 1年生や2年生を中心に、学生たちも次々にやってきます。 毎週、部屋を掃除してくれる外事弁のおばさんは、 私の顔を見るたびに、 「今日はまた学生が来るのか?」「たまにはゆっくり休みなさい」などと 声を掛けてくれます。 悩みは、本を読む時間がまったくなくなったことです。 枕元には、次に読む本が何冊か積んであるのですが、 ベッドに横になると、頁を開く気にもなりません。 ああ、心行くまで本を読みたい!
2012年04月26日
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『日本語スピーチ・コンテスト』が終わったと思ったら、 今週は『日本語ドラマ発表会』の準備が始まります。 昨夜からドラマの出演者を部屋に呼んで、台詞の発音を直し始めていまあいへんですす。 全部で5つのドラマがあるので、出演者は延べ40人以上になり、 そこに司会者や進行役も加わりますから、 全員の発音を直すのも一苦労です。 発音を直した後は、学生たちが個人で台詞を暗記する作業に入り、 5月のゴールデン・ウィーク明けから全体練習に入ります。 今はまだ心配だけで、安心できる要素は何もありませんが、 練習を続けているうちに、学生たちは見る見る上達していきます。 1年生たちも、毎週、次から次へと会話の練習にやってきますから、 息つく暇もありませんが、おかげで異国で無聊をかこつということもありません。 そんなこんなで、時間は気がつかないうちに過ぎて行き、 日本に帰る日がやってきます。 その日までファイト!
2012年04月25日
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邯鄲での二日目は、昨日の寒風が嘘のような、眩しい日差しが降り注ぐ一日になりました。 学生たちに「先生、やっと晴れ男の本領発揮ですね」などと言われながら、 いざ、邯鄲の街へ。 昨日、列車の中で話しかけられた中国人の老夫婦によれば、 邯鄲の朝ごはんは他の街にはない名物があるということで、 まずはそれを食べようと繰り出したのでした。 老夫婦が推薦していたのは、これ。 「豆漿(豆乳)」ならぬ「豆沫」という料理で、 大豆やピーナッツなどの豆類を潰し、調味料を加えて煮込んだ料理です。 中に細く切った豆腐やねぎなどが入っています。 軽く塩味が効いていて、栄養が体に染み込みそうな感じがしました。 もう一つは、「油条(揚げパン)」に似ていますが、 もっとふんわりして、甘い揚げパンです。 この日はいい天気だったので、露店の椅子に座って食べました。 旅行先のホテルで食べる朝ごはんより、こういう朝ごはんがいいですね。 邯鄲は「邯鄲の夢(黄梁夢)」という故事の舞台ですが、 そこへ行くにはバスに30分ほど乗ります。 小さな寺で、観光客もそう多くなく、のんびりした雰囲気に包まれていました。 寺の中には「邯鄲の夢」が壁一面に描かれていて、 学生が一生懸命に日本語で説明をしてくれました。 人生でどんな楽しいことや悲しいことがあっても、それはただうたかたの夢にすぎない、 そんな意味です。 邯鄲の街に戻っての昼ごはんは、こちら。 鶏肉を細く切って、衣を付けて揚げ、甘いソースを絡めた料理です。 こちらはごくノーマルにほうれん草とタマゴの炒め物。 お馴染みの臭豆腐です。 この料理は、中国人の中にも嫌いな人がいるようですが、私は好きです。 中国に来てから、いろいろな料理を食べましたが、 これまで食べられなかった、口に合わないといった料理はありません。 食に対する適応力が高いのは、異国で生活する身にとって嬉しいことです。 というわけで、1泊2日の短い邯鄲旅行も終わり、 「帰りたくない」とすねる学生たちを宥めたりすかしたりしながら、 無事に大学へと帰って来ました。 陽気な学生たちのおかげで、いい気分転換ができました。。。
2012年04月04日
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昨日の朝、出発したかと思ったら、もう帰ってきました。 今年の清明節の旅行は、お隣、河北省の邯鄲で1泊2日のミニ旅行でした。 とはいえ、私にとっては初めての同行者付きの旅行だったので、 短い旅ではありましたが、笑いの絶えない賑やかな珍道中になりました。 これが旅行に行く前の記念撮影。 私の両脇に立っている2人の学生は、形容すれば「日本語が上手で陽気なバカ」です。 バスの中、列車の中、レストランでと、日本語を喋りっぱなしで、 周囲の人たちから「あいつらはどこの国の人間だ?」と注目を浴びましたが、 そのおかげで、ある老人夫婦からは、「日本人は素養の高い民族だ」などと、 お褒めの言葉をいただくなど、中国人との交流の機会も増えました。 こちらが邯鄲駅。 邯鄲と言っても故事にある「邯鄲の夢」ぐらいしか知らず、 行き当たりばったりの出たとこ勝負をするつもりだったのですが、 私の晴れ男の本領発揮が一日ずれて、 初日は真冬に逆戻りかと思わせられるほどの、寒風吹きすさぶ日となったので、 まず食事をして体を温めることにしました。 「食べたことがないものを食べよう」という基本ラインに沿って、 昼ごはんは中国の少数民族、苗(ミャオ)族の民即料理を食べることにしました。 中華料理は何を食べてもおいしいのですが、 どんな料理かわからないまま注文して、 その料理がテーブルに運ばれてきた時に、 「なに、これ?」と見る瞬間が面白いですよね。 こちらは兎の肉。邯鄲の街には兎肉の料理の店が多いように思いました。 初めて食べた兎の肉はコリコリと身がしまって、おいしゅうございました。 こちらは、言ってみれば野菜の肉餡かけといった料理。 上記の料理と、体を温めるための白酒を体に入れて、 いざ市内観光へ。 ここは市内最大の従台公園で、園内には梅林や牡丹園、動物園などがあるのですが、 なにしろ寒くて、凍えそうだったので、 早々に観光を切り上げて、ホテルに帰ることに。 邯鄲観光のメイン、「黄梁夢」(邯鄲の夢)は翌日に持ち越して、 大量のビールと肴を部屋に持ち込んで、 賑やかで愛すべき学生たちと、陽気にお喋りをしながら初日は暮れていくのでした。。。
2012年04月03日
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今週の授業は木曜日で終わり、 明日からは金曜、土曜、日曜と毎日、朝から夜まで切れ目のない、 怒涛の、学生との会話練習が続く。 そして、その勢いで来週へと流れ込み、その週が終われば、 再来週は「清明節」で学校は3連休になる。 例年、この時期は、のんびりとした時間を取り戻すために、 ぶらりと旅行をすることにしているのだが、 今年は旅行に行くことは変わらないが、学生と一緒に行くことに決めた。 2年生の学生2人で、切符やホテルの手配などは全部、彼女らに任せ、 私はただ、引率していくだけ。 行き先は河北省の邯鄲で、「邯鄲の夢」の故事で知られたところ。 ここからは特快で1時間半ほどだから、 中国の感覚でいえば、ごく近所。 学生と一緒に行くというのは、 最近、一人で旅行をすることに新鮮さがなくなって、飽きてしまっていたことと、 学生が私と旅行に行きたがったという二つの理由から決めたもの。 2人の学生はどちらも2年生だが、話をしていても、 楽しく、ストレスを感じることがなく、むしろ安らぎさえ感じさせてくれるので、 これなら、いい気分転換ができそうだと思っている。 他の日本人の先生がたは揃って、遼寧省に旅行をするとのことだが、 私は日本人の先生方との団体行動は勘弁願いたいたちで、 気の置けない学生たちと、せいぜい、安・近・短の旅行を楽しむつもりだ。
2012年03月22日
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この大学の日本語学部にはある伝統的な習慣があります。 それは授業が始まる10分前に、学生が日本人教師の部屋に迎えにきて、 授業が終わった後、また部屋まで送るという習慣です。 部屋から教室まで5、6分の道のりを、日本語で話をしながら連れ立って歩くのです。 昨日の午後、2年生の『作文』の授業が終わった時のことです。 いつものように学生と並んで外事弁に帰ってきた時、 外事弁から男性5人が出てきました。 その中の1人は外事弁のスタッフだったのですが、 他の4人は会ったことがない人ばかりでした。 私はその人たちを見て、隣にいた学生に、こう言いました。 「あの人たちは日本人ですよ」 彼らの話し声を聞いたわけではありませんが、 一目見て、日本人だとわかったのです。 私が「日本人ですよ」と言った声が聞こえたのでしょう。 4人の男性が、私たちの方を振り向いて見ました。 そして、私たちに近寄ってきて、名詞をくれました。 彼らは日本のある国立大学の教授たちで、 この大学との友好提携を進めるために、きていらっしゃったそうです。 その時は時間もなく、名前を名乗ることさえできなかったので、 夜、早速、名詞のメール・アドレスにメールを出しておきました。 こんな内容でした。 「この大学の学生は本当に勉強熱心で、 この大学の朝は、学生たちがキャンパスの中で教科書を朗読する声で明ける、 と言われるほどです。 日本語学部の学生は皆、素朴で純真、そして日本が大好きです。 これから本学と御大学の友好交流が進むことを、 私も学生たちも心から願っています」 昨日の夜、送ったメールに、 今日の朝、早速、返事が来ていました。 ああ、やっぱり日本人ですね。。。
2012年03月14日
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大雪の予報も何のそので、晴天の中、大阪に降り立ちました。 日本に帰る前に北京に寄ったのですが、そこに卒業生が迎えに来てくれました。 初めて1年生を担当した時に、そのクラスにいた学生で、 私は今でも、彼女たちのクラスこそ空前絶後だと思っていますし、 いまだにあの時のクラスを超えるクラスを作ることはできていません。 その彼女たちも去年、卒業して、ある者は日本に留学し、 ある者は大学院に進学し、まあ彼女のように仕事をしている者もいます。 彼女は会話が天才的で、今は北京の食品イベントの会社で仕事をしていて、 再会がてら、彼女の会社が企画運営をしている『ラーメン横丁』に行ってきました。 彼女が2年生の冬休み、彼女の家を訪ねたのですが、 その時、私の日本語を彼女が両親や祖父母に通訳をしていました。 その彼女を見る両親の誇らしそうで嬉しそうな顔を、今でも覚えています。 以前なら、私が自分で中国語を話して交流することに意義を見出していたのですが、 学生に通訳をさせることで、学生には自信をつけさせ、 家族には我が子の素晴らしさを実感してもらうというのも、いいものだとその時に思いました。 さて、日本に帰ってからは家族とカラオケに行き、 図書館で本を借りて、リラックスした時間を過ごしています。。。
2011年12月27日
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今夜はクリスマスの前夜の「クリスマス・パーティ」です。 この大学の17の学院がこの時期にパーティをするので、 我らが外国語学院(英語学部、日本語学部、商務貿易学部、翻訳学部など)は、 今夜になりました。 例年、各学部が趣向を凝らして出し物をするのですが、今年は外国人教師も出演しました。 今日は、今年、私たちと一緒に外国語を教えている外国人教師を紹介します。 まずはフランス人のオリバー(オリビエ)さんです。 今年24歳で、初級フランス語会話と中級英語会話を担当しています。 細かいところに気がつき、いつも笑顔を絶やさない人で、 先日の彼の誕生日には日本人全員、中国人教師、学生たちなどから プレゼントが殺到したという人気者です。 白い服を着た女性がアメリカ人のクリスティンです。 朗らかで誰に対しても分け隔てがない人で、 時間外に学生たちとたくさん交流して、忙しい日々を送っています。 今年、私にとって非常に居心地がいいのは、 話を聞いてもらえる日本人が多いことと、 日本人と他の外国人との関係が親密だという理由があげられます。 食事の時は英語で交流をしているので、 忘れていた英語もだんだん思い出してきました。 さて、明日は日本。 日記はしばらくお休みさせていただきます。。。
2011年12月23日
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今日は冬至で、冬至と言えば、中国では餃子を食べる日です。 朝から次々に「先生、餃子を食べてください」というメールが学生たちから届きました。 この大学では、冬至の日は1年生たちが餃子を作るという活動があって、 私も毎年、1年生たちと一緒に餃子を作ることにしています。 まず食堂に集まって、手を洗い、餃子作りの準備を整えます。 餡と小麦粉を練ったものは食堂が準備をしてくれるので、 学生たちは、小麦粉を麺棒で伸ばすところから始めます。 大半の学生が子供の頃から母親と一緒に餃子を作っているので、 男、女を問わず、誰もが上手に作ります。 私も彼女らほどではないにしろ、それなりに上手に作ることができるようになりました。 包み終わった餃子は、食堂の人に茹でてもらえば、できあがりです。 食べれば、この笑顔です。 中国で食べるなら、やはり本場の餃子、つまり水餃子が美味しいです。 日本に帰れば、王将の餃子を食べたくなるのですが。 書き忘れましたが、餃子作りの途中から、例によって粉の付け合いが始まりました。 今年の1年生たちは容赦がありません。 粉を頭の上から撒いたり、豆まきのように投げ合っていました。 おかげで私も真っ白になりました。 その分、きっちりとお返しはしてやりましたが。。。。
2011年12月22日
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今日は21日。 24日の朝にはこちらを出発して、その日の夜には日本に着く…… 予定なのですが、 天気予報を見ると、その前後は天気が大荒れなんですって。 去年もそんなことがあったけど、 家に着いた翌日が、渋滞の車が雪で埋まるほどのゲリラ豪雪で、 雪が私を避けてくれたような感じでした。 ここ数年、出先で雨や雪に遭ったことが一度もないので、 その運がまだ続くものと信じているのですが。 もし無事に日本に着けば、ホワイト・クリスマスなんですけどね。。。
2011年12月21日
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今学期は4年生の『作文』を担当していたこともあって、 日本文学史や諺、慣用句、作家論などを学生相手に話す機会があったが、 やはり、論を戦わせるというより、教える、説明するという形になってしまう。 普段は1年生と2年生を中心に相手しているので、 学生がわかる日本語で話をするようにしているが、 時々、「日本語で語り合いたい!」という欲求が胸を突き上げて来ることがある。 その点、今年赴任していらっしゃった二人の先生の存在は、 私にとって大いに助かっている。 男の先生は55歳で、先日は文法の教え方や、作文の指導法についてしばし意見交換をした。 話をしている時に、洒落た慣用句や比喩などが入ってくるので、 「日本語を話している!」という満足感を得ることができる。 もう一人は29歳の女性の先生だが、 私に劣らぬ読書家で、青島に旅行した時は、ずっと小説について話をしていた。 スポーツについても、芸能界についても、 私が話を振った時に、答が返って来るのが嬉しい。 それは学生たちにとっても同じことで、 学生から日本文化や文学作品などについて質問された時、日本人が答えられなければ、 学生はその日本人を即座に見限ってしまう。 日本語教師になる道を選んだ時、ずっと独学だったので、 共通の話題について話ができる人が周囲には一人もいなかった。 『日本語教育能力試験』の時、受験会場に行ったら、 たくさんの受験者がいて、私が学んだ専門用語が会場内を飛び交っていたことに、 緊張感ではなく、「おお同士よ!」と安らぎと嬉しさを感じたものだ。 この人なら、この話題を振っても、きっと返事が返って来ると安心して話せる。 何かの話題について共通の認識を共有できるという喜び。 これまではこういう安心感と喜びを得られる相手はいなかったが、 今年は、この安心感が心地いい。
2011年12月11日
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2年生の学生たちに誘われて、夜は火鍋でした。 中華料理といえば『火鍋』です。 いろいろなバリエーションがありますが、今夜はオーソドックスな火鍋でした。 今夜、一緒に食事をした学生は7人、全員が女、しかも全員が同じ寮のルームメートです。 寮で学生たちが、私の噂話をしているうちに、 皆で一緒に食事をしたいということになったそうです。 彼女らは、去年は他の日本人先生の学生でしたから、 私とは今学期が初顔合わせで、 日本人と一緒に食事をするのは今日が初めてだということでした。 最近は悩みの相談を持ちかけられることが多く、 それはそれで信頼されているなという実感もあるのですが、 日本人と初めて一緒に食事をするという学生たちと一緒に、 何の屈託もなく、わいわいお喋りをしながら美味しい料理に舌鼓を打つのも、 やはり嬉しいものです。 火鍋はやはり羊肉が美味しいですね。。。
2011年12月03日
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学期末が近づいてきて、今日、帰国のチケットを予約しました。 12月24日にこちらを発ち、その日の夜に日本に降り立ちます。 今学期もなんだか、あっという間でした(って、まだ1か月あるんだけど)。 日本に帰ったら寄席に行ったり、宝塚を観劇したり、競馬場にも行ったりしたいです。 家にいる時はずっと映画を見るのもいいですね。 図書館にも行って、本をたくさん借りては、次々に読破して、 トレーニングマシンで体力強化にも努めます。 あ~あ、やりたいことがいっぱいです。 こちらでは毎日、学生の会話練習の相手と、授業の準備に追われているので、 日本でやっていたことが何もできないので、 その分、日本ではやりたいことをやり尽くすぞ。 あと1か月! この1か月が長いんだよな。。。
2011年11月29日
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昨日、男の学生が私の部屋にやって来て、 今月の中旬に料理のコンテストがあるから、私に出場しないかと打診されました。 勿論、一も二もなく、断わりました(笑)。 日本に帰った時、毎日、食事を準備することは私の役目です。 だからいろいろなメニューを考えて、食材を揃え、時間をかけて準備をします。 それは、家族に対する私の感謝の気持ちがあってのことで、 どこの誰が食べるかわからないものを、わざわざ作ろうとは思いません。 もともと、人前で何かをすることも、 それで誉められることも、苦手な性分なのです。 誰かのためにと思うこと、これが、私のエネルギーです。 学生たちとの会話の練習を断わらないのも、学生のためにと思えばこそです。 だから、もし中国で料理を作るなら、 学生のために作ることはあっても、自分で食べるために作ろうとは思いませんし、 まして、コンテストのために作るという選択肢など、最初からありません。 料理は何を食べるかが重要ではなく、 誰と食べるか……これが私にとって一番重要なことなのです。。。
2011年11月07日
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今日は10月29日。 私の奥さんの誕生日です。 お互いに、誕生日が来て嬉しい歳ではなくなりましたが、 それでも、メールで「おめでとう」のメッセージを送っておきました。 1年の3分の2は日本と中国とに別れて暮らしているので、 この次、日本に帰った時は、 冬休み中にやって来る私の誕生日と合わせてお祝いをしようと思っています。 宝塚大歌劇を見て、寄席で腹を抱えて笑い、 競馬場を巡る。 ああ、あと2か月で日本に帰ることができる。 毎日、目が回るほど忙しいけれど、 家族の応援が支えになっています。。。。
2011年10月29日
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この夏から毎日、万歩計をつけて生活しています。 今、普通に生活をしていると1日の歩数は平均して15,000歩ぐらいで、 消費カロリーが500kcal.ぐらいです。 多い日は80,000歩ぐらい歩きますが、さすがに疲れます。 毎日、学生が部屋にやって来るので、 天気がいい日は、一緒に散歩をしながら会話の練習をします。 目にしたもの、聞こえてきたものなどを話題にするので、 会話に詰まることなく、ずっと話し続けています。 会話の練習は、私がたくさん話すのではなく、学生に話をさせて、 単語や文法の間違いを直すことが優先なので、 話しやすい雰囲気で練習することが重要です。 1回の会話練習は2時間と決めているので、 それだけでも、結構な歩数を稼ぐことができますが、 授業がない時は、学生が順番に次々やって来るので、 この2時間を朝から夜まで、相手を変えて繰り返すことになります。 そうすれば80,000歩は優に超えます。 中華料理を食べても太らないのは、 この散歩のおかげもあるのだろうと思っています。 学生さんたち、ありがとう。。。
2011年10月25日
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1年生から電話が掛かってきて、中国語で何やら話しているので、 聞いてみると、今夜、1年生たちのパーティがあるから見に来てほしいとのこと。 そして、それを新任の先生にも伝えてくれないかということだった。 この大学では1年生の行事は、 今夜の『新入生歓迎のど自慢大会』を初めとして、 冬至の日の『餃子パーティ』。 年末近くの『元旦パーティ』と続いて、 年度末には『学部対抗合唱コンクール』がある。 以前、特に1年目や2年目の頃はパーティを見に行くたびに、 異国文化の中に放り出されたような気になったものだ。 それは勿論、嫌な気持ちではなく、新鮮な気持ちだったのだが、 周りのすべてが中国語で、しかも少数民族の衣装や伝統楽器の演奏などが、 眼前に次から次へと出てくると、 自分が異邦人であることを感じていたものだった。 今は何の違和感もなく、年中行事のような気楽さで楽しむことができるようになった。 これが経験ということなのだろう。。。 琴の演奏に合わせて、中国の詩を朗読する学生たち。 中国の古典劇を現代風にアレンジして演じた寸劇。 英語学部の学生たちによる歌。 他にも出し物はたくさんあったのですが、 私のクラスの学生ではなかったので、写真はありません。。
2011年10月22日
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今日はネットの調子がいいので、今のうちに青島の写真をアップします。 青島はかつてドイツの租界だったので、市内には異国風情を感じる建物があります。 それらは4年前に訪れたので、今回のメインはビール博物館とロウ山でした。 ビール博物館は青島ビールの歴史や製造工程などを紹介していて、 平日の午前にもかかわらず団体観光客が大勢、観覧に訪れていました。 嬉しかったのは、青島ビールの原酒を飲むことができたことです。 原酒だけあって、普通のビールより苦くて濃厚でした。 ビール博物館を出た後、近くにある『ワイン博物館』に行こうとしたのですが、 道がよくわからず、通りすがりの老人に道を聞きました。 その時、その老人はこう言いました。 「ビール博物館はもう見たかい? つまらなかっただろう。それに比べるとワイン博物館は面白いよ」 老人の言うとおり、展示にも凝っていて、ワインらしい雰囲気もありました。 こちらの博物館もやはりワインの試飲ができました。 ただ指定された銘柄だけで、それも1杯限定だったので、 もっと飲みたかったなというのが実感でした。 ビール博物館もワイン博物館も、どちらもビール街にあるので、 博物館を出た後は、ビール街で海鮮料理にありつきました。 その様子はまた後日。 最後におまけの写真をご覧ください。 これが私の泊まった部屋で、228元(2600円ぐらい)にしては広くて快適だったのですが、 何故か部屋の中にダイエットマシーンが置いてありました。 こんなの初めてです(笑)。。。
2011年10月17日
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国慶節の1週間の休みが終わったと思ったら、 今日から運動会が3日間あり、その後の週末と合わせて5連休です。 休んでばかりで申し訳ないのですが、 普段は朝8時に授業が始まり、毎晩10時まで学生と会話の練習をしていますし、 週末も朝から夜までひっきりなしに学生がやって来るので、 一人でのんびりできる日は一日もありません。 ですから、せめてこの運動会の期間だけはゆっくりしたいと思っています。 中国にいるのですから、学校の中だけで過ごすのももったいないということで、 今回は青島まで足を伸ばすことにしました。 以前の教え子に会うというのが最大の目的ですが、 もう一つ、新しく赴任した先生を青島に案内することも目的です。 私が初めて赴任した時、旅行をしたくても、その方法もわからず、 中国語にも自信がなかったこともあって、 結局、一人で旅行をする勇気を振り絞るまで時間がかかったことがあります。 一度、一人旅をしてしまえば、後でそれは自信になるのですが、 新しい先生は中国語ができないので、 私が同行することにしました。 というわけで、午後の飛行機で青島に行ってきます。。
2011年10月12日
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国慶節の1週間の休みが終わった後は、 週末とはいえ、木曜日と金曜日の授業が行われている。 1週間の休みに続いて、どうして週末も休みにしないのか、と フランス人の教師が不思議そうに言っていたが、これが中国式なのかもしれない。 つまり土曜と日曜と授業をして、そのまま明日から月曜日の通常の授業が始まる。 そして、その後は水曜日から金曜日まで運動会のために授業は休みになり、 来週の土曜と日曜はカレンダー通りの休みになるので、5連休になる。 毎年、国慶節はどこでも人が多く、旅行も難儀するので、 旅行に行くならこの運動会の時が平日でもあり、 国慶節が一段落した後のエアポケット状態になるので、都合がいい。 今年は、この運動会の時期に荊州に行こうと思っていた。 荊州は武漢からバスで4時間ぐらいのところで、 三国志の関羽が城主をしていて、それが復元されているところ。 ところが、数日前に急遽、行き先を荊州から青島に変更した。 青島の大学で村上春樹の翻訳を学んでいる院生からメールが届いて、 彼女も院生を卒業する前に私に会いたいと書いてくれたからだ。 彼女は4年前、私の学生だった頃、 非常に懇意にしてくれて、私の中国語の発音を根本から直してくれた学生だ。 私の中国語はまったくの独学だが、 彼女が発音を直してくれたおかげで、中国人相手に通じるようになった。 その後、4年生になって担任が他の先生に変わっても、ずっと私の部屋に来てくれたし、 今でもメールで近況などを連絡してくれる。 青島は観光地も多いので、そこは勿論訪れるが、 「私は美人になりましたよ。他の人がどう思っているかわかりませんけど」 「彼氏と先生がそう思ってくれれば、それで充分ですよ」 こんな話ができる彼女との再会が何よりも楽しみだ。。。
2011年10月09日
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1週間の連休の4日目。 予定は何もなかったものの、意外に起伏に富んだ一日でした。 昨夜は夜3時まで本を読んでいたため、起床は8時半。 その前の日もやはり夜中の3時まで本を読んでいました。 次の日の仕事を気にせずに読書に没頭できるのは今だけですから、 せいぜい読もうと思っています。 起きてから、昨日までに作った1年生用の資料を校正して、 例文を入れ替えたり、単語の解説を書き換えたりなどしながら、 気分転換にメールをチェックすると、 1年前に日本に留学して、今はそのまま日本企業に就職した学生からのメールと、 2年前に卒業して、今、青島の大学で日本文学を研究している学生からのメールが ほぼ同時に届いていました。 どちらの学生も私にとって思い出深い学生で、語り始めればきりがありませんが、 二人とも、「先生に会いたいです」と書いてくれました。 午後は3年前に卒業して、今、上海の日本企業で企画の仕事をしている昔の教え子が、 私と話をするためだけに、わざわざ上海から私の部屋に来てくれました。 私が初めて学生の家に行ってミニ・ホームステイをしたのが、実は洛陽の彼の家でした。 たどたどしい中国語で彼の家族と交流して、 あの時、中国人の心の優しさを身をもって感じたのでした。 今まで10人以上の学生の家に招待されて、家族と交流しましたが、 そのスタートこそ、彼の家でした。 彼と3時間ばかり話をし、再会を約して別れ、 部屋でインターネットを見たところ、 「シンボリルドルフ死す」のニュースが! その瞬間、いろいろな映像が甦ってきました。 ルドルフに限らず、競馬について話をすれば、一晩あっても足りません。 嗚呼、合掌。。。
2011年10月04日
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今日は中国では『中秋節』。 一昨日の『教師節』に続いて、メールが鳴りっ放しです。 中国ではこの『中秋節』に月餅を食べるのですが、 これも、同じ大学に6年もいると、次から次へと月餅が届きます。 まあ、いわゆる義理月餅でしょうが。 昨日の日本と中国の女子サッカー・オリンピック予選でもそうでしたが、 こちらも、最近、ずっと雨が降り続いています。 こちらに来て10日ほど経ちますが、晴れた日はありません。 新しく赴任していらしゃった先生方は、雨の多い地域だなと思っていらっしゃるでしょう。 しかし、内陸気候の河南省では、空気は乾燥しているのが普通の状態です。 私が初めて赴任してきた時は、 9月から11月末まで一滴の雨も降らず、 毎朝、校内を散水車が水を撒きながら走っていたものです。 今年の秋の長雨も、やはり異常気象の一つの証左でしょうか? 今夜もやはり雨の予報なので、名月を眺めることはできません。 部屋で月餅を食べながら、学生とお喋りということになりそうです。。
2011年09月12日
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今日はなんだか、慌しい日だった。 午前は2年生の『作文』の二つこなして、 午後は就業許可証をもらうために3時に公安へ。 『作文』の授業は2年生にとって初めてなので、 興味を持たせるように、テンションをあげて臨んだので、終わった後は脱力感があった。 4時からは、間もなく日本に留学する学生が、感謝の気持ちだと言って、 プレゼントを持ってきた。 そのプレゼントが、これ。 河南省洛陽の名産、『唐三彩』。 感謝されるほどのことをしたとは思っていないのだが、 学生たちの心の中に、私との思い出が残っていることは、素直に嬉しい。 期待よりも不安が大きいという学生としばらくお喋りをした後は、 外事弁の主催による『日本人教師歓迎会』が6時半から開かれた。 外事弁は今、外国人教師の様々な手続きや、 ドイツからの短期留学生たちの世話、日本に行く学生たちとの会議などでとても忙しい。 明後日はアメリカ人、フランス人教師たちの歓迎会をするという。 外事弁のスタッフからは、 「パスポートの期限が切れるまで、ずっとこの大学にいてください」と言われ、 楽しく歓談しながら白酒を飲み、火鍋に舌鼓を打った。 夜、自分の部屋に帰ってから、 午前中の作文の添削をして、やっと一日が終わろうとしている。 学生の相手をしたり、イベントがあったり、授業の準備に追われたりしながら、 毎日が過ぎ去っていく。。
2011年09月07日
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日本は今、大型台風の到来で被害が出ているそうですが、 こちらは台風など来たことも、地震が起きたこともなく、 自然の猛威にさらされることのない地域で、 空気は乾燥していますが、最近は涼しい日が続いていて、 気温は23度ぐらいと、そろそろ秋かなという気配が漂っています。 サッカーは日本代表が男子も女子も緒戦を勝ったようですね。 こちらでは中国チームの試合でもなければ、 日本チームの試合などテレビ中継をしないので、 ネットで確認するだけですが、これがなかなかうまくいきません。 大学のサーバーを使っているのですが、 学生たちのコンピューター保有台数が4年前の約5倍近くになっているため、 始終混んでいて、動きが日本にいた時とは全然違います。 コンピューターが快適に動くのは、学生が寝静まった夜12以降か、 朝早い時間、そして昼寝タイムの午後1時頃ぐらいです。 授業中、電子辞書を持っている学生も格段に多くなっていますし、 髪を染めたり、パーマをかけたりする女子学生もおこ数年で目立つようになりました。 それでも、日本との連絡手段が、郵便か国際電話しかなかった時代と比べれば、 随分と便利になったもので、 焦らず、のんびりとしたスローライフを楽しめれば、 それもまた良いことでしょう。。 こんぴゅ
2011年09月03日
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朝5時起きです。 これから鄭州空港に向かい、北京行きの飛行機に乗ります。 そして北京から関空へ。 冬休みが終わって、この部屋に帰ってきたのが、つい昨日のことのようです。 学生たちとの会話の練習、 スピーチ・コンテストの原稿の添削と発音の指導、 作文コンクールに応募する原稿の添削、 日本語ドラマ発表会の脚本作り、発音指導と演技指導、 1年生たちのスピーチ・コンテストの原稿の添削と発音指導……。 毎日が音を立てて通り過ぎていくようでした。 別れの場面が嫌なので、 学生たちには、ここを発つ時間は教えてません。 1人でこっそりと、いつの間にかなくなるという感じで、姿を消します。 いつもそうしています。 来年か或いは次の年かわかりませんが、 この大学での勤めを辞めて、日本に帰る時も、 誰にも知られないように、姿を消すでしょう。 いつも学生たちには、「どうして教えてくれないの?」と叱られますが、 これも性分ですから、仕方ありません。。
2011年06月22日
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昨夜は外事弁の主催による慰労会が開かれました。 日本人教師のために、毎年9月は歓迎会、6月に慰労会を開いてくれるのですが、 今回は今年度で中国を去るT先生の送別会を兼ねた会になりました。 T先生は日本で38年間の教師生活を経験され、校長先生としての経験も長い方です。 20年前の天安門事件の時も北京で日本語を教えていらしゃったこともあり、 また大学生の時は第二外国語で中国語を学んでおられたということで、 中国に関する知識はとても豊かな方です。 学生たちに慕われていて、 中にはT先生マニアとも言えるほどの学生がいます。 この3年間、ずっと3年生と4年生の担当をしてらっしゃったので、 T先生の話を聞きながら、 私が教えた2年生たちの成長した姿を知ることができました。 一度、T先生と言い争いをしたことがあります。 2年前の日本語スピーチ・コンテストの時のことでした。 そのコンテストに2年生を参加させるかどうかで口論したのです。 私は2年生の担当で、当時の2年生の日本語能力には自信を持っていたのですが、 T先生は、それまで2年生と交流がなく、 「2年生に上手なスピーチができるはずがない。時間の無駄だ」 とはっきりとおっしゃいました。 2年生を担当してる日本人教師は私一人なので、 私が守らなければ、誰が2年生を守るのかという義務感に駆られ、 「その言い方は2年生に対して失礼ですよ!」 と声を荒げてしまったものです。 その後、お互いに腹を割って、自分の意見を話し、 今では、T先生は2年生と交流してくださるようになり、 2年生の「日本語ドラマ発表会」にも来てくださるようになりました。 「2年生もなかなかいい人材がたくさんいますね」 T先生の言葉を聞いて、嬉しくなったものです。 この大学の日本人教師のまとめ役、或いはご意見番のような存在でしたが、 日本に帰ってからも、いつまでもご健康で、 ますますのご活躍をお祈りいたします。。
2011年06月19日
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旧暦5月5日は中国の端午節。 粽を食べるのが習慣になっていて、学生たちからは、 「ちまきを食べるのを忘れないでね」 というメールが次々に入ってきた。 そんな今日、学生が手作りのちまきを持ってきてくれた。 赤い糸で縛ってあるのが学生の手作りのちまきで、 白い糸のほうは、彼女のお母さんがつくってくれたもの。 中国のちまきは日本のちまきのようにちまき粉で作るのではなく、 米の形がよくわかり、(地方によって違うかもしれないが)中に、 餡やピーナッツ、クルミ、或いは小さなサンザシなどが入っていて、甘い。 最近、卒業していく4年生たちなどからの差し入れが多く、 西瓜やメロン、杏(これが美味しい!)、バナナなどが食べきれないほど 部屋の中に溜まってしまった。 というわけで、今夜の晩ご飯はちまきと、それらの果物でした。。。
2011年06月07日
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今朝、健康診断をしました。 毎年、この時期に行なっているのですが、なんと、 去年に比べて体重が2キロ以上減っていました。 日本でサラリーマンをしていた時は不規則な生活で73キロもあって、 メタボ寸前、ズボンのベルトの上に腹が乗っかっていたのですが、 その後、中国に来る前に1か月で10キロ減らして、 この5年間は64キロぐらいを維持していました。 それが、今日の健康診断では62キロ! これって、毎日、サッカーをしていた高校生の頃と同じ体重です。 ついでに言えば、身長も4年前より1センチ伸びていました。。。
2011年05月24日
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やっと元に戻りました。 2日前からお腹の調子が悪く、吐いたり下痢をしたりで、 何も口に入らず、僅かにジュースだけを飲んで、それが唯一の栄養源だったのですが、 今日になってやっと少しだけでも食べることができるようになりました。 思い当たることと言えば、月曜日に食べた串の焼肉ぐらいで、 その店が食堂ではなく、露店だったので、衛生管理に不安を持っていたのですが、 味は美味しかったので、思いっ切り食べてしまったのです。 その後、腹部の張りに悩まされ、引き続いて吐き気と強度の下痢に苛まれました。 2日間、食欲がまったくなくなって、何も食べなかった(食べられなかった)せいで、 鏡に映った顔は、どことなく頬がこけたようになりました。 今日になってようやく少しではありますが、食欲が戻ってきたので、 これから体調を戻していこうと思っています。。
2011年05月05日
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3年生たちが、「美味しい店を見つけたから」と言って、 私と一緒に食事をしたいと誘ってくれました。 毎度のことながら、こちらとしては学生にご馳走してもらうのは、気が引けるのですが、 学生にとっては、教師にお金を払わせることは失礼にあたるとのことで、 安い料理に限ってという条件で、ご馳走してもらっています。 学生食堂なら文句なしで安く、しかも量も多いのですが、 学校の近くの破街にも安くて美味しい店がたくさんあるので、 ちょくちょく学生と一緒に食事に出掛けています。 「破街」とは大学傍の市場通りのことで、 食堂や化粧品店、雑貨店、衣料品店など種々の店がずらりと並んでいるところです。 日本語学部の学生たちは、この「破店」を「おんぼろ街」と呼んでいます。 こんな通りですが、それでも味が良くなかったり、値段が高かったりすると、 学生たちは寄り付かなくなるので、生存競争が激しくて、 長く続いている店は味も値段も折り紙つきということになります。 昨日、3年生たちと一緒に食べた料理は次のようなものです。 「青菜豆腐」。 青菜と豆腐を油でさっと炒めて、塩で味付けしただけの至ってシンプルな料理。 あっさりしていて、和食好みの日本人の口にもよく合う料理です。 次は日本でもお馴染みの「ピータン」。 ご飯のおかずというより、ビールのつまみにもってこいの料理です。 「辣子肺」。 鶏の肺とピーマンを唐辛子で炒めた料理です。 日本では鶏の肺を食べることはあまりないのですが、 柔らかくて食べやすく、四川風の辛い味付けの私のお気に入りの一品です。 学生たちが私に食べさせたがったのが、この「紅焼魚」。 写真では小さく見えますが、なかなか大きな魚で、 それがこってりとした甘辛い味付けで調理してあります。 魚にかかってるたれの味が絶妙で、ご飯が何杯もお代わりできそうです。 この4品とビール、ライスで、4人分の合計が50元(620円)。 日本に比べると(中国の他の都市に比べても)ずいぶん安いのですが、 それでも高いと思えてしまうのは、 この地の金銭感覚に慣れてしまったということでしょう。 今回、一緒に食事をしたのは3年生たちで、 私は今年は授業を担当していない学生たちですから、 賄賂には当たりません。 念のため。。。
2011年05月02日
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東京で暮らしていた時、盆と正月は帰省をしていたので、 人が少なくなった時の東京は知らないのですが、 多分、今日からの3日間は盆の時の東京のようだと思います。 それほど学生の数が目に見えて少なくなりました。 私は今年が5年目で、 1年目には山西省の大原、平陽に旅行に行きました。 それが、初めての一人旅で、何もかも一人でやったものです。 2年目に行ったのは湖北省の武漢と襄樊で、ここでは諸葛孔明の故郷を訪ねました。 しかし、3年目からは5月のゴールデンウィークは学校で のんびりと過ごすことにしています。 普段、朝から夜までずっと学生たちと一緒にいて、 それでも時間がなくて、会話の練習をしたいと言ってくる学生を断わらなければならず、 時々、すっかり疲れてしまうことがあるからです。 というわけで、この連休は、 会話の練習や、一緒に食事をしたいという学生との約束はありますが、 それは1日に3組までに抑えて、 それ以外の時間は、授業の準備(1、2、4年生)や作文の添削、 日本語パーティの司会者用原稿を作ることに当てています。 今はビートルズの曲を流しながら、この日記を書いています。 これが終われば、授業の資料作りです。 焦ることもなく、いい資料を作って、 学生たちの日本語力を伸ばしてあげたいものです。。。
2011年04月30日
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春らしい日が続くようになって、校内でもたくさんの花が咲いています。 そうなると目だってくるのが、夜、運動場を走る学生たちの姿。 夜の9時半まで授業を受けていながら、 その後、10時半頃までせっせと運動場を走っています。 これが若さというものでしょう。 学生たちが運動場を走るのは、 来るべき薄着のシーズンに備えてのことです。 洋の東西を問わず、きれいに見られたいという女心は同じようで、 必死のダイエットに励んでいます。 私はといえば、普段からの節制のおかげか(笑)、 体重が増えることもなく、 むしろ先日は、学生にこう言われました。 「先生、痩せましたね」 やはり毎日、学生と一緒に散歩をしながら会話の練習をしているおかげでしょうか。 少なくとも2時間、多い日は7時間ぐらい、 学生の会話練習の相手をしながら歩いているので、 平均して1日2万歩は歩いている計算になります。 今日もこれから学生が来ます。 朝2組、午後1組、夜1組の合計4組ですから、 今日は3万歩近く歩くことになりそうです。。。
2011年04月09日
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日曜と月曜の二日間、河北省の省都、石家庄に行ってきました。 久し振りの旅行先に石家庄を選んだのは、 ここ新郷から乗換えをせずに、動車(新幹線のようなもの)で2時間半という 近距離にあるという理由からです。 旅行の目的が、日常を離れて、一人でのんびりするということだったので、 行き先は実はどこでも良かったのですが、 三国志のファンとしては、石家庄が趙雲の故郷というのも頭の中にありました。 石家庄は快晴で、歩くと汗ばむほどの陽気でした。 この街では誰一人知らない人がいないという、地元の偉人「趙雲」像。 石家庄そのものは河北省の政治と経済の中心地で、 市内には見るべきものはほとんどありません。 観光をするなら、石家庄からバスで1時間ほどの正定県に古寺群があります。 正定県の小寺群のモニュメントとも言えるのが、この天寧寺の塔。 街の中には、こんなところも。 この西遊記宮はガイドブックにも載っていないのですが、 壁には西遊記の絵が描かれ、いかにも中国らしい風情が感じられました。 ただ、閉館されて長い時間が経っているようで、中に入ることはできませんでしたが。 小寺群のメインは隆興寺で、この寺が建立されたのは586年、隋の時代です。 中には高さが21メートルという千手観音があり、 大勢の人がその前で拝んでいました。 寺の中にはこういう一角も。 売り物ではなく、いろいろな人が置いていったようです。 清明節の休みとあって、市内の公園では憩いを楽しむ親子連れや 幸せそうな恋人の姿、或いは音楽を楽しむ人たちなどで賑わっていました。 正味1日半で、歩いた時間は8時間ぐらい。 見慣れない景色を眺めてるうちに、時間が経っていったのですが、 最後はさすがに足が疲れてしまいました。 というわけで、晩ご飯はビールを1本つけて、 久し振りの一人旅に一人で乾杯をしました。 手前がトマトとタマゴの刀削麺で、向こう側はピーマンと豚肉炒め、 ビールは地元の地ビールです。 別に何がどうだという旅ではありませんでしたが、 しなければならないことが何もないというのは、 それはまたそれで、私にとっては大いに意義のあることでした。。
2011年04月05日
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河南省新郷市の気候を表す言葉がある。 「新郷では1年に2回、強風が吹く」というもの。 この言葉は次のように続く。 「1回目の風は春から秋まで吹き、2回目の風は秋から春まで吹く」 中原平野の中心部にある河南省の新郷市の周りには山がなく、 だだった広い平野を風が吹きぬけていく。 雨はほとんど降らないから空気は乾燥し、 空は濁ったように、いつも曇っている。 昨日までは風がなく、ぽかぽか陽気だったのが、 今日は一転、冷え込んで冷たい強風が吹いている。 そして明日は雨の予報が出ている。 明後日からは旅行にいく予定だが、 さて、天気はどうなることやら。 以前の「雨男」を卒業して、 ここ数年は、どこかに行く度に好天に恵まれ、 「晴れ男」を自称しているが、 それを証明する機会になるかどうか。。。
2011年04月01日
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うちの大学では次の日曜日から火曜日まで、『清明節』で3日間の休みになります。 もともとは先祖の墓参りをする日だそうですが、 学生たちは旅行に行ったり、故郷に帰ったりしてのんびり過ごします。 私もこの休みを利用して、一人でぶらっと旅行に出掛けることにしました。 目的は、普段の慌しい日常を離れて、一人で異国の風に吹かれるということです。 ですから行き先はどこでもいいのですが、 「安・近・短」の原則から、 河北省の省都、石家庄に行くことにしました。 石家庄に何があるというわけではありませんが、 それでも調べてみると、 『背水の陣』の舞台になったところや、三国志の趙雲の墓があるそうです。 先学期はどこにも旅行に行かず、 その前の年も、唯一、徐州に行っただけでしたから、 久し振りのぶらり旅になります。 切符も手に入れ、ホテルもネットで予約しました。 知り合いが誰もいない街を、気が向くままに、異国の風に吹かれながら歩く。 いい気分転換になりそうです。。
2011年03月30日
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中国でも日本の地震被害については連日、放送されています。 そんな中、昨日は地元のテレビ局が取材にやってきました。 この大学に赴任している日本人教師にインタビューするためです。 インタビューの対象として指名されたのはT先生でした。 「日本の地震のニュースを見てどう思ったか?」 「家族とはどうやって連絡を取っているか?」 などの質問に答えておられた様子が、今日のテレビで放送されていましたが、 T先生は中国語堪能ですから、すべて通訳を使わずに、自分で答えていらっしゃいました。 私はその時、(幸いにも)授業があったので、 インタビューされることはありませんでした。 私はこれまで2回、テレビの取材に答えたことがあります。 四川省で地震があった時と、9月の教師節の時の2回です。 日常会話ならなんとかこなせますが、 地震や教育問題について答えるだけの中国語力がないので、 いずれも学生に通訳を頼みました。 あれから3年。 中国がまったく進歩していません! 次にインタビューを受ける時は、 通訳を介さずに自分で中国語を話したいものです。 勿論、その時は災害の感想などではなく、 もっと楽しい話題でお願いしたいものです。。
2011年03月16日
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先週の週末は、朝から夜までずっと、学生たちと賑やかにお喋りをした。 特筆すべきは、そのほとんどが1年生だったということ。 私も楽しかったが、彼女らも楽しかったようで、 会話が終わって寮に帰る前に、 彼女らは、来週も来たいと言って、私の空き時間を確認していた。 ……本当は、そんなことを書きたかったのだが、 今の日本で地震の被害に遭われた方のことを考えると、 自分が楽しかったということを書いていのだろうか、と思ってしまう。 「こんな時に何を書いてるんだ!」 というお叱りを受けそうな気もするし、 というわけで、ここでやめます。。。
2011年03月15日
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日本の東北地方で発生した地震は未曾有の規模で、甚大な被害が出たそうです。 このニュースは中国でも広く報道されて、 そのため、昨日からたくさんの学生たちが私の家族の安否を心配してくれました。 中には卒業して2年になる学生もいて、 そんなふうに会う機会がなくなっても、 私のことを気にかけてくれるということは嬉しいことです。 幸いなことに、私の故郷は震源地から遠く離れているので、 今回の地震は何の影響もなかったのですが、 被害に遭われた方が一刻も早く、元の生活に戻られることをお祈りし、 不幸にして亡くなられた方に対してご冥福をお祈りいたします。。
2011年03月12日
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今日は雨で、最高気温が2度と冷え込んでいます。 それでも部屋の中は温水が通っているので、暖かく、そのせいもあって、 今日は一日、コーヒーを飲みながら、本を読んでいました。 昨日から読み始めて、深夜の2時に読み終わったのが、これ。 カトリーヌ・アルレーの『わらの女』。 古典的な名作ですが、今まで読む機会がなく、 日本に帰った時にBOOK OFFで105円で買った本です。 読んでいるうちに時間を忘れるほど、ハラハラさせてくれました。 ふと目にした新聞広告に誘われた女が、 自分の虚栄心を満たすのと引き換えに絶望の淵に追いやられる壮絶なサスペンスです。 実は私、大学での専門は英文学で、 授業でいろいろな名作を読まされましたが、 本当に好きなのは推理小説で、学生時代はハヤカワ文庫や創元推理文庫で、 海外の名作を読み漁っていました。 『わらの女』を読みながら、当時の自分を思い出していました。 今朝から読み始めたのは、今の仕事にも関係があるのですが、この本です。 漢字の成り立ちとその意味について書かれている本で、 「人」という字から「大」が生まれ、それが「夫」になったり、「立」「並」になるなど、 表意文字としての漢字の偉大さを再確認できました。 戦前の日本では3000字もの漢字を学んでいて、 その漢字を通じて論理的な思考とそれを言葉で表すことができたのですが、 戦後、漢字制限の影響で、日本人が学ぶ漢字が激減しました。 昨今の若者言葉が(論理的ではなく)感覚的で、 しかも短くて、幼児的だというのは、学んだ漢字が少ないからでしょう。 漢字を知らず、言葉を知らない者が、 自分の考えを論理的に、相手にわかるように説明することは不可能ですから。 私が相手をしているのは「漢字」の国に生まれて育った学生たちです。 そのことをもう一度、肝に銘じつつ、 明後日からの授業に臨もうと思っています。 学生たちが、毎週、私の授業を楽しみにしてくれるように、 こちらも学生たちの想像を超える授業をしなければ。 さあ、もうすぐ戦いの始まりです。。。
2011年02月26日
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中国に帰ってきました。 朝9時半の関空発の飛行機に乗るために、 前日一泊した大阪のホテルを出発したのが朝の6時半。 北京空港に着いたのが正午前で、 そこからタクシーで北京西駅まで1時間。 2時半の動車(新幹線のようなもの)の切符が売り切れていたので、 5時半の列車の切符を買い、 それまで駅前のケンタッキーに入って、 コーヒーとポテトを口にしながら本を読んでいました。 今回は大阪のホテル、飛行機の中、列車の待ち時間、 そして北京から新郷までの4時間の車中でも、 ずっと本を読んでいたので、2日間で3冊の本を読み終わることができました。 朝6時半に出発して、大学の宿舎に着いたのが夜の10時半ですから、 まる一日を費やしての移動でしたが、 3冊の本を読むことができたのですから、 それもやはり得がたい貴重な時間でした。 学校の中には学生の姿もまだまばらです。 今日の午後、明日になれば、故郷から帰ってくる学生の姿が目立つようになるでしょう。 長い休みが終わって、学生たちはどういう気持ちでしょうか。 意欲に燃えている学生、もっと休みたいと思っている学生……。 そんな学生たちに満足してもらえる授業をしようと思っています。。。
2011年02月25日
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今日は冬至。 中国では餃子を食べる日です。 この大学では毎年、1年生たちの活動として餃子を作って食べます。 今年は授業の都合で、冬至の前日、昨日、餃子を作りました。 私も1年生の担当なので、学生たちと一緒にわいわいやりながら餃子を作りました。 これが餃子を包む前の状態です。 今年の餡は牛肉ですが、去年は学生の中に回族がいたので、野菜の餡でした。 回族の学生は豚肉を食べることができないからです。 学生たちはさすがに中国人で、誰もがうまく餃子を包んでいました。 私も今年が5年目なので、きれいに包めるようになりました。 普段は教室で静かな学生たちも、こういう場では賑やかになるので、 知らなかった一面を見ることができます。 餡を包み終わった後は、食堂で茹でてもらって完成です。 去年はスープに入った餃子でしたが、今年は茹で餃子です。 後は賑やかに笑いながら、熱々の餃子を食べるだけです。 去年は3年生と4年生の先生も餃子作りに参加されて、 それまで面識がない先生と一緒だったせいか、真面目に作っていた学生たちですが、 今年は他の先生たちがいらっしゃらなかったせいか、 学生たちは遠慮なくはしゃぎまわっていました。 粉を顔に付けあったり、 節分の豆まきのように、粉を撒き散らしたりしたので、 私も顔や髪、服まで真っ白になりました。 そんな状態で写真を撮られまくったのですが、 これも学生たちにとっていい思い出になったことでしょう。 餃子の味は? 勿論、美味しかったですよ。 毎日、こんな調子でたくさん食べているので、体が重くなったような気がします。 日本に帰ったらダイエットだな。。。
2010年12月22日
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今学期の授業が全部、終わったことで、授業の準備に追われることはなくなったが、 それでも暇というわけではなく、学生との約束は朝から夜までぎっしり。 なんせ1年生と2年生の担当をしていると、 3年生も4年生も、全員、過去2年間にわたって一緒に頑張ってきた仲間になるからだ。 今では授業で顔を会わせなくなったそういう上級生から連絡があることは、 正直言って、嬉しい。 それでもやはり基本は1、2年生とたくさん交流をすること。 そして会話の練習をしながら、基本と応用をしっかり教えて、 日本語に対する興味を深め、会話の楽しさを実感させることが仕事だと肝に銘じている。 だから何事でも1、2年生との約束が優先になる。 実は、そういう1年生たちの活動が多い。 もう昨日になったが、夜、1年生たちの『元旦晩会』があった。 これまで毎年、招待されて見に行っているが、 今年はいつものイベント・ホールではなく、 外国語学院楼の小ホールで行なわれた。 小さいホールだから、音響設備や客席はなく、床に新聞を敷いて見るという、 あっさりしたものになったが、 それでもその分、ステージと客席が身近に感じられたアットホームな雰囲気になった。 司会者たちも化粧をしたり着飾ったりせずに、普段着のままで登場。 手話を交えた歌の披露。 これは寮のルームメートたちが毎日、授業の合間を縫って練習したもの。 寸劇の場面。 場内を爆笑させていたが、残念ながら私の中国語力では内容は聞き取れなかった。 これも寸劇の一場面。 歌を交えての劇で、これも学生たちの評判は良かった。 彼女らは日本のアイドル・グループ嵐の歌を日本語で歌っていた。 中国では日本の歌に人気がある。 男の学生たちの熱唱。 毎年、男は少ないが、今年は日本語学部の1年生70人の中で男はこの5人だけ。 こういう舞台では、普段、教室の中で見せる顔とは別の素顔が見えて、 我々、日本人教師にとっても今後の交流の参考になる。 さて、明日(もう「今日」だが)の昼は1年生たちと一緒に餃子作りの予定が入っている。 餃子の形が耳に似ていることから、冬至に熱い餃子を食べて、 寒さで耳が落ちないようにするという意味で、 冬至に餃子を作るのだそうだ。 毎年、この時期、学生と一緒に餃子を作っているので、 私も餃子を作ることができるようになりました。。。
2010年12月20日
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12月25日に予定されている、我が校の外国語学院の忘年会で、 ミニ・ドラマをすることが不可能になったので、 急遽、別の出し物を考えなければならなくなりました。 中国人の教師たちが日本語の歌を歌うというので、 私たち4人の日本人教師たちは、中国語の歌を歌うことにしました。 そして選んだのはテレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』です。 これを中国語で歌うのですが、 前半部は4人ごぞれぞれソロを受け持ち、 最後に全員で合唱するということに決まりました。 来週の土曜日は、その練習をします。 その時はケーキとワインを用意して、 ミニ・クリスマス会も兼ねてやろうと思っています。 こんなこと去年と一昨年は考えれないことでした。 今年の4人の日本人教師のチームワークはいい感じです。。
2010年12月13日
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今日は土曜日。 毎週、土曜日の夜は、1年生たちとの会話の練習をしています。 去年までは、私が担当していた1年生たちが100~80人いたので、 全員を部屋に呼んでの会話の練習は10人×10回にもなって、 2週間やったあたりで、私の方が音を挙げてしまったのですが、 今年は担当している学生が24人なので、 今まで4週間、続けてきました。 発音を直したり、新しい単語を文法を教えて、 それを使いながら交流したりしていますが、 学生たちも喜んでくれているようです。 日本人に対する緊張感も、今ではすっかりなくなって、 賑やかにお喋りしています。 今夜の会話の練習を控えて、 今日の昼ご飯は、日本人教師4人で、ミニ忘年会をしました。 外に出て食べるのではなく、自分たちで作ったり、持ち寄ったりした 寿司、マーボー茄子、豚汁、焼酎、ビールなどを囲んで、 わいわいと賑やかに年末の昼の午後を過ごしました。 こういうものを食べると、やはり里心がつきそうになります。 あと2週間で、日本へ。 短いような、長いような……。。。
2010年12月11日
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海外でクラスに当たって、いろいろな不安があったが、 食べ物もその一つ。 それでも、中国に来てからは、食べ物が口に合わないということもなく、 何を食べても美味しいと思うし、日本料理を恋しいと思ったこともない。 その意味では、海外生活に対する適応性があるのだと思う。 この大学の中で暮らしている外国人は、大抵の場合、 外事弁の食堂で食事をする。 外事弁の食堂は、我々の部屋の向かいにあって、歩いて30秒ほど。 そして食事は油が少なく、味も濃くない。 外国人向けの食事が毎日、朝、昼、夜と準備される。 こんな感じ。 この日はたまたま、ここで食事をしたのは私ともう一人の先生という二人だけだったので、 料理の数も量も多くないが、普段はもう少し多い。 外事弁で食べた回数に応じて、月末にお金を払う。 私は外事弁で食べることはあまり多くなく、 外の破街に行ったり、学生食堂で食べたりしている。 そちらはまさに中華料理で、油も味も濃いのだが、 私の口にはそういう本場の料理のほうが口に合う。 これは先週、学生と一緒に破街の食堂で食べたもの。 上が水餃子で、下の写真は涼菜。 こんなことを書いているうちに、またお腹が空いてきた。。
2010年11月10日
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びっくりしながらも嬉しかったこと。 昨日の昼ごはんは、学生と一緒に破街に行って餃子を食べることに。 その時、料理の写真を撮ろうとしてデジカメを持っていったのですが、 食べ終わって、店を出る時に置き忘れてしまいました。 そのことに気がついたのは1時間後のこと。 日本ならかなりの確率で、店が預かってくれていると思うのですが、 その時の私は、99%、誰かが持ち去っているだろうと、 諦めの気持ちになっていました。 重く沈んだ気分のまま店に戻って、主人に聞いてみたところ、 主人は素っ気ない態度ながらも、カウンターの脇から、 袋を取り出し、その中に入っていたカメラを私に手渡してくれました。 その時の気持ちたるや、 死刑判決を覚悟していたところに、無罪の判決を得たような感じでした!
2010年10月30日
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今夜の晩ご飯は、同僚の女の先生が学生たちと一緒に作ったおにぎりでした。 具は中国らしくザーサイと肉団子でした。 私も毎年、学生たちとカレーを作って、一緒に食べていますが、 それは学生たちに日本の味(?)を教えたいという理由からで、 普段は日本料理が恋しくなるということはありません。 とはいえ、しばらくぶりに食べたおにぎりは、 やはり懐かしい日本の味でした。 ところで、今日の昼まではいい天気だったのですが、 夜になって風が強くなってきました。 天気予報では明日の最低気温は5度、 明後日は更に下がって0度になるそうです。 早くも冬到来といった感じです。。
2010年10月24日
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昨日の朝、出掛けて、学生の家で泊まり、今日はもう帰ってきました。 本当にミニ・ホームステイでした。 短かったですが、有意義で楽しい一日半でした。 つくづく思ったのは、中国の人たちは、本当にお客を大切にもてなすということです。 食事は、たくさんの料理がテーブルに並びますし、 そのどれもがお母さんの手作りで、とても美味しいものばかりです。 そして「もっと、どうぞ」「遠慮しないで」と言われ、 気がついた時には、動くのも苦しいほど、お腹一杯になっています。 私には一切のお金を使わせようとせず、 これまではホテル代まで負担してもらったこともあります。 今回は、学生の家に床を作ってもらって、同じ屋根の下で寝たのですが、 朝、起きて顔を合わせた時には、以前からずっと知り合いだったような、 親しさを感じることができました。 残念だったことは、学生のご両親の言葉がほとんど聞き取れなかったことです。 方言や訛りが強く、話すほうはできても、聞き取ることができず、 ほとんどは学生に通訳をしてもらっていました。 とはいえ、今回、学生の家に行ったのは、 彼女に通訳のチャンスをたくさんあげたかったというのも、目的の一つでした。 彼女は一生懸命に通訳をしていましたが、 まだ1年間しか日本語を勉強していないとあって、かなり苦労をしていました。 それでも自分に足らないものがわかって、更に勉強する意欲が高まったようです。 それだけでも、彼女の家に行った意味があるというものです。 しかし、毎回、たくさんご馳走になりすぎて、 お腹がぽっこり出て、見るからに体重は確実に増えました。。。
2010年10月02日
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明日からの国慶節の連休は、2年生の学生の家に行くことにした。 学生に誘われたことと、ここからバスで2時間ぐらいという近場というのが、 行くことを決めた理由。 学生の家族と、手料理に舌鼓を打ちながら、たくさん交流しようと思っている。 私も中国語をたくさん話すつもりだが、 私の日本語を学生に通訳させてあげたい。 自分の娘が日本語を勉強して、日本人の先生を連れて家に帰り、 日本人の日本語を中国語に通訳している姿を見れば、ご両親もきっと喜んでくれるだろう。 実は2年前の春節も、ある学生の家で年越しをした。 当時、その学生もやはり2年生だったが、 自分が通訳している姿を両親が誇らしそうに見ていることが嬉しくなり、 それがきっかけで、彼女は同時通訳の道を目指すことにした。 当時2年生だった彼女は、同時通訳になるために、 今、院生試験を目指して一生懸命に勉強している。 私との出会いによって、学生が将来の進路を決めたり、 その家族が喜んでくれるということは、 私にとってもやはり嬉しいことだ。 自分が日本を代表して、などと驕った考えはもうとうないが、 私を見て、日本人に対するイメージを新たにするということにもなるかもしれない。 日中間の政治の問題を、私と学生、そしてその家族の交流の障害にしてはならない。 というわけで、明日の朝、彼女と一緒にミニ・ホームステイに行ってきます。
2010年09月30日
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