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先週、ファイル共有ソフト「Winnyの開発者である、元東京大学助手、金子勇氏の控訴審で、逆転無罪の判決が下されました。同氏は、平成16年に、Winnyを開発・公開したことが、著作権法侵害の幇助にあたるとして逮捕・起訴され、以後、約5年に及ぶ裁判を闘ってきた上での逆転無罪判決だった訳です。リュウちゃん、パソコンについては全く疎く、いまだにファイル共有ソフトが具体的には、どのような過程で著作権侵害になるのか、詳細は全く解らない人間なのですが、常識的に考えますと、ある画期的な発明・発見が、発明者本人の意図しないところで悪用された場合に、発明者本人が罪に問われるということは、なんだか納得できないように思います。そんな事になれば、核分裂を発見したドイツの科学者、オットー・ハーンとリゼ・マイトナーは、核分裂反応が原子爆弾の製造に悪用さてたという事で、完全に有罪になりますよね、また、アメリカの「マンハッタン計画」で、原子爆弾の開発を主導した「原爆の父」オッペンハイマー博士は、それこそ、「意図して」、非人道的な原爆を開発したという事で、厳罰に処せられなくてはいけなくなりますね、オバマ大統領が今年のノーベル平和賞に決まりましたが、ノーベル賞の提唱者、アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトの発明で得た莫大な資金がノーベル賞の資金になったように思われますが、ダイナマイトは、現在の中東などのテロの主な武器になっている筈ですよね、そうであれば、ノーベルさんも、発明したダイナマイトが、本人の意図しないところでテロの武器として悪用されたという事で厳罰に処せられなければならないということになります。その、テロの武器に悪用されたダイナマイトの発明で得た資金を元に設立されたノーベル賞を、テロ撲滅・原爆廃絶を主唱するオバマ大統領が受賞する。何か、歴史の皮肉を感じます。同じく先週、偉大な喜劇俳優、チャーリー・チャップリンの格安SDVDが著作権の期限が、まだ続いているという事で、販売差し止めと、約1000万円の損害賠償がDVD製造会社に命じられましたが、これもリュウちゃん、その判断基準がよく理解出来ません。新聞記事によりますと、1071年改正の旧著作権法では、著作者が個人の場合は死後38年、団体の場合は作品公表後33年だそうですが、今回の判決は、チャップリンの作品が、監督・脚本・主演・音楽などを全てチャップリンが一人でこなしているという事で、個人の著作物であると、最高裁が判断した結果の判決だったようです。しかし、例えば、リュウちゃんの大好きな「チャップリンの独裁者」を取上げて見ますと、監督・製作・脚本・音楽・主演はチャップリンですが、共演のポーレット・ゴタート、ジャック・オーキーなどがいないと、この作品は成り立たない、また、撮影のカール・ストラス、とりわけ編集のウィラード・ニコがいないと映画の最終形が決まらない、当然、映画制作会社ユナイテッド・アーティスツが制作費を出さないと、映画制作そのものが成り立たない。映画制作会社ユナイテッド・アーティスツは、1919年、アメリカ映画の創成期に、大手映画会社の製作方針に行き詰まりを感じていた3人の大スター(チャップリン、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード)と、「国民の創生」、「イントレランス」のアメリカ映画最初の大監督、D・W・グリフィスの計4人の「アーティスト」が結合して設立された映画会社です。ですから、ユナイテッド・アーティスツ社は、チャップリンは設立者の一人ではありますが、チャップリンの私物ではまいのです。その会社の資金で製作された映画「チャップリンの独裁者」は、当然、チャップリン個人の著作物であるとは、到底いえないような気がするのですが、最高裁は、このあたりについて、どのような判断をしたのでしょう?リュウちゃんのような懐メロファンにとっては、すでに発売されてから60年以上も経っている歌謡曲の復刻CDが、未だに2000円を超える高価な価格で発売されていることが大変気になります。こりゃ、レコード会社は、このジャンルに関しては、儲け過ぎなのではないかと思います。また、レコード会社から原盤を提供されて、制作される通販会社の懐メロ・セット復刻CDも、概して非常に高価、大体、1枚2000円を越える価格のようですが、これも、著作権の期限が切れているのであれば、1枚500円くらいの価格設定が充分可能な気がするのですが、レコード会社さん、通販会社の皆様はどうお考えでしょうか?リュウちゃんのような懐メロファンにとっては、昔懐かしい音楽が、格安DVDと同じように、安価で簡単に入所出来るようになることが、夢なのであります。
2009年10月12日
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リュウちゃん、10年ほど前に、コロムビアから発売された「日本映画主題歌集」というCDを10枚程、購入しました。このシリーズの(3)は、昭和12年~14年の映画主題歌が収録されていまして、メインは映画「愛染かつら」の主題歌です。映画「愛染かつら」は昭和13年公開、全4部作として製作され、戦時体制突入直前の日本人の心を席巻したようです。主演は上原謙と田中絹代、音楽は松竹の音楽監督でもあり、コロムビア専属作曲家であった万城目正、この、(3)に入っている「愛染かつら」の主題歌を以下に挙げます。「愛染かつら」より→「旅の夜風」(歌:霧島昇、ミス・コロムビア)、「悲しき子守唄」(ミス・コロムビア)、「続・愛染かつら」より→「愛染夜曲」(霧島・ミス・コロムビア)、「朝月夕月」(ミス・コロムビア)、「愛染かつら・完結編」より→「愛染草紙」(霧島、ミス・コロムビア)、「荒野の夜風」(ミス・コロムビア)この映画は、リュウちゃんの母親が少女時代に熱中したようで、上記の一連の主題歌も、幼い頃、母親からよく聴かされたものです。いわば、リュウちゃんの懐メロ人生の原点なのです。この映画で田中絹代の演じた「高石かつ枝」という役名は、昭和37年に松竹で再映画化にあたって、主題歌「旅の夜風を歌ってデビューした、「高石かつ枝」さんがいましたね、リュウちゃんの世代は、こちらの「高石かつ枝」さんのほうが馴染み深いのかも知れません。前回のブログで書いた二葉あき子さんの「純情の丘」も、こちらの「高石かつ枝」さんで聴いた人が多かったのだと思います。ヒロインが看護婦さんという「愛染かつら」の設定は、戦後の「月よりの使者」に受け継がれたようですね、こちらもリュウちゃんは歌でしか知らないのですが、リュウちゃん、こちらの歌も大好きでよく歌います。この歌は、昭和24年に竹山逸郎・藤原亮子のデュエット(=共唱)でビクターより発売されたのですが、霧島・松原夫妻の最後のデュエット曲となった、古賀政男の「三百六十五夜」に出だしがほぼ同じ、現代だったら盗作ということになるのでしょうが、作曲した佐々木俊一が、事前に古賀政男に了解を取っていたという有名なエピソードが残されています。昔は現代と違い、こういうおおらかな時代だったようですね。霧島昇の歌は音大卒業歌手の多くがそうであるように楷書体、書かれた音符を正確に歌う、その上で、少し低音部にうなりを含んだような安定感のある声が魅力です。「誰か故郷を思わざる」の冒頭の部分(詞:西条八十)花摘む野辺に 日は落ちてこの出だしのメロディは、ミーファミードミドシラーシドミー ファラーシドラーファーミーなのですが、最初の「花摘む」の「む」の音にメロディは4音、すなわち、「ドミドシ」をあてています。「はーなつーむううう」、これは、楽譜の装飾記号の「ターン」(回音)に近いものですね、まあ、節回しの一種です。この頃の懐メロには、よく、回音が出てきますが、霧島さんは、この回音をきちんと正確に、情感深く歌うのです。霧島さんは、この頃の歌手の中では、「ターンの名人」なのです。不肖リュウちゃんも、この頃の懐メロを歌う時には、この「ターン」をキチンと歌うことを、心掛けています。「愛染かつら」が典型ですが、この頃は共唱の歌が大変多いように思います。いわゆるデュエット曲、霧島さんのデュエット曲を以下に挙げてみます。「旅の夜風」、「愛染夜曲」、「愛染草紙」、「一杯のコーヒーから」、「目ん無い千鳥」、「三百六十五夜」→ミス・コロムビアとデュエット「純情二重奏」→高峰三枝子、「なつかしの蕃社」、「相呼ぶ歌」→菊池章子、「蘇洲夜曲」→渡辺はま子、「リンゴの唄」→並木路子、「新妻鏡」、「あの夢この歌」→二葉あき子、「月が出た出た」→久保幸江、「サム・サンデー・モーニング」→小川静江、霧島さんの他の歌で、最近、リュウちゃんのお気に入りになったのが、「なつかしの蕃社」です。これ、昭和13年発売、歌詞(詞:西条八十)は以下です。春は優しい緋桜が 赤く七つの峯染めて谷はペタコの歌ばかり想い出の想い出の 蕃社の村はなつかしや戦後生まれのリュウちゃん、歌詞の意味が判らない。どうやら「蕃社」とは、戦前、日本が支配していた台湾の「村」の総称のようで、数々の抗日運動の拠点となったようです。「ペタコ」は、台湾に生息している小鳥、学名「シロガシラ」、ちなみに「ペタコ」は台湾語で「白い頭」という意味だそうです。「ペタコ」という童謡がありますが、これは、野口雨情作詞、中山晋平の作曲です。この「なつかしの蕃社」、デュエット」相手の菊池章子がいいのです。後年の「春の舞妓」と双璧の歌唱です。あと、「あの夢この歌」、この歌は実はリュウちゃん、後年の北原謙二の歌唱で知った歌なのですが。この北原謙二が実にいいのです。それで、この歌もカラオケのレパートリーにしたのですが、まだ、この歌のカラオケにお目にかかった事が啼く、その為に☆印なのです。桐島昇は、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)、卒、昭和12年、「赤城しぐれ」でデビュー、★旅の夜風、★一杯のコーヒーから、★愛染夜曲、★純情二重奏、★誰か故郷を想わざる、☆愛染草紙、☆なつかしの蕃社、★蘇洲夜曲、★新妻鏡、★目ン無い千鳥、★若鷲の歌、★リンゴの唄、★麗人の歌、☆旅役者の唄、★胸の振子、★二百六十五夜、☆あの夢この歌、☆緑の並木路、☆サム・サンデー・モーニング、★白虎隊、☆夢去りぬ、☆ギター月夜、霧島昇と多くのデュエット曲を残した松原操は、当初、ミス・コロムビアという覆面歌手としてデビューしました。これは、その前年、ビクターから「金色仮面(ゴールデン・マスク)」という芸名で覆面歌手としてデビューした小林千代子に習ったものだそうです。リュウちゃんの世代では、「覆面・・・」というと、覆面レスラーのザ・デストロイヤーなどしか思い浮かばないのですが、歌謡曲創生の時代に、既にこのようなプロモーションが行われていたことは、全く驚きですね、当時は当然テレビはありませんので、二人とも宣伝ポスターで仮面をかぶって登場したようです。霧島昇と松原操は歌謡界きってのおしどり夫婦として知られています。昭和59年、霧島が69歳で逝去すると、すぐ後を追うように、松原操も亡くなったのです。ミス・コロムビア(松原操)は、東京音楽学校(現・東京芸術大学)卒業、昭和8年、覆面歌手、ミス・コロムビアとして、「浮草の唄」でデビュー、昭和14年、3歳年下の霧島昇と結婚、★並木の雨、★悲しき子守唄、★兵隊さんよありがとう、☆荒野の夜風、小林千代子は東洋音楽学校(現・東京音楽大学)卒、ビクターより、[黄金仮面]という芸名の覆面歌手としてデビュー★涙の渡り鳥、☆人の気も知らないで、高峰三枝子は、昭和13年、「蛍の光」でレコード・デビュー★湖畔の宿、★南の花嫁さん、★牧場の花嫁さん、★懐かしのブルース、☆情熱のルンバ、☆想い出のボレロ、☆別れのタンゴ今回の★☆追加★ 22曲、☆12曲(累計)★452曲、☆410曲、合計862曲です。
2009年10月10日
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こんにちは、リュウちゃんです。一体、日本の流行歌は何時から始まったのでしょうか?平成6年に社会思想社から発行された「新版・日本流行歌史」(上・中・下・全3巻)という本がありまして、この本の巻末には、明治初期からの流行歌が一覧表で作成されています。この一覧表の大正2年までは、歌手の欄がブランクになっていますが、大正3年になって、初めて歌手欄に名前が出て来ます。その人の名は松井須磨子、歌の題名は「カチューシャの唄」(詞:嶋村抱月・相馬御風、曲:中山晋平)その後、安藤文子、中山歌子の名前があり、大正12年に、佐藤千夜子の名前が出てきます。曲は「須坂小唄」(詞:野口雨情、曲:中山晋平)流行歌というものは、レコード録音が必須の条件、日本でレコード会社が誕生したのは、明治43年(1910年)にコロムビア・レコード、昭和2年(1927年)にビクター・レコードが設立され、レコード時代の幕が切って落とされました。ビクター・レコード創立の翌、昭和3年に、日本の流行歌手第1号とされる佐藤千夜子が「波浮の港」でビクターからデビュー、流行歌・歌謡曲の時代の幕も切って落とされたのです。その佐藤千夜子さんの歌、リュウちゃんは、少年時代に「愛して頂戴ね」を母親が歌っているのを聴いて、自然と覚えたような記憶があります。「愛して頂戴」は昭和4年の発売、この年、リュウちゃんの母親は、僅か6歳ではないか!母親の母親から教えてもらったのかな?いや、そんな訳ないな、いや、不思議です。また謎が一つ増えました。「愛して頂戴ね」の歌詞(詞:西条八十)は以下の通りです。ひと目見たとき 好きになったのよ何が何だか わからないのよ日暮れになると 涙が出るのよ知らず知らずに 泣けてくるのよねえねえ 愛して頂戴ね ねえねえ 愛して頂戴ねまあ、何とストレートな恋の歌なんでしょうか!こんな歌詞の歌は、10年後の戦時体制の時代には、当然発禁ですね、まだこの頃は時代が良かったのでしょうね、西条八十さん、本当に歌謡曲創生の初めから、作詞に拘わっていたようですね、何だかリュウちゃんの生来軟派な性格も、この歌の影響であるかのように思えてきました。佐藤千夜子、大正9年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)入学、昭和3年、「波浮の港」を日本ビクターより発売、これが日本最初の商業レコードとされている。★ 波浮の港、★東京行進曲、★紅屋の娘、★雨降りお月、★愛して頂戴ね、二村定一は薬大から浅草オペラに転進した変り種、佐藤千夜子と共に、ビクター・レコードの創成期の二大歌手です。浅草オペラそのままに、明るく、陽気な歌が多い、「洒落男」は後年の植木等のヒット曲「無責任一代男」に焼き直されたようです。「笑い薬」のメロディは、アメリカ民謡の「藁の中の七面鳥」、リュウちゃんの世代では、フォークダンスの「オクラホマミキサーとして知られている曲です。舟木一夫さんの「高校三年生」の歌詞が思い出されます、「僕ら、フォークダンスの手を取れば、甘く匂うよ黒髪が」二村定一、佐藤千夜子と共に、レコード歌手第1号★ 私の青空、★アラビアの唄、★洒落男、☆笑い薬、(★君恋し)☆バレンシア、★浪花小唄、藤山一郎のレコードが初めて発売されたのは、昭和6年の「キャンプ小唄」のようです。この時、藤山さんは、東京音楽学校(現・東京藝術大学)声楽科の学生、昭和8年には、何と首席で卒業したそうですよ、これは凄い!リュウちゃん、以前は何となく、クラシックの歌手としては、あまりパっとしない音大の学生が、歌謡曲歌手になったのかな?という偏見を持っていましたが、歌謡曲の国民的大歌手であった藤山さんが、クラシックの歌手としても一流であったことを知り、何か嬉しい気持ちになりました。「歌謡曲も偉いものだ、たいしたものだ!」藤山さんの声は柔らかく、やや女性的で頼りない感じがします。ですが、クラシックのオペラなどを歌う場合は声量もタップリあったそうです。歌謡曲はマイクに向かって吹き込みをしますので、藤山さんは、クラシックの曲をマイクなしで歌う場合とは全く別の、ささやくような歌い方を考え出したようです。これをクルーン唱法というそうです。藤山さん本人の歌唱で、リュウちゃん年代の人が聴いたのは、「長崎の鐘」を筆頭として、「青い山脈」、「山のかなたに」、「丘は花ざかり」、それと。初期の「影を慕いて」、「酒は涙かため息か」などですが、テレビの懐メロ番組では、ほとんど歌われなかった歌の中にも、いい歌が沢山ありそうだということが判ってきまして、それからいろいろと聴きました。まずは「懐かしのボレロ」、この歌、近江俊郎の「南の薔薇」とよく似ています。リュウちゃん、「南の薔薇」は、カラオケ初期からよく歌っていましたが、「懐かしのボレロ」を知ったのは比較的最近、あれ?何てよく似た歌だ!「南の薔薇」のマネをしたのかな?なんて思っていましたが、実は「懐かしのボレロ」は戦前の曲、作曲は服部良一、「南の薔薇」は戦後の曲、作曲は米山正夫でした。でも、本当によく似たスペイン風のエキゾティックな曲です。エキゾティックな曲といえば、「三日月娘」、これはアラビア風ですね、歌詞(作詞:薮田義雄)は以下の通りです。幾夜重ねて 砂漠を越えて明日はあの娘のいる町へ鈴が鳴る鳴る 駱駝の鈴が思い出させて 風に鳴るこのアラビア風エキゾティシズムは、後年の久保田早紀の「異邦人」、庄野真代の「飛んでイスタンブール」、工藤静香の「黄砂に吹かれて」(詞・曲:中島みゆき)などがあります。秋元順子さんの「愛の歌売り」も、伴奏がアラビア風ですね、「崑崙越えて」の詞は完全に戦時歌謡、藤山さんは戦時歌謡もいっぱい歌っていますが、戦後生まれのリュウちゃんの場合は「崑崙」といえば、エベレスト山より高いアムネマチンという山が崑崙山脈にあるらしいという話を読んだのが小学生の頃、戦前から、この話が伝えられていたとすれば、この歌は、エベレストを凌ぐアムネマチンを越える=世界制覇、という暗喩が隠されているのですかね?いや、これは考えすぎですか?藤山一郎、本名増永丈夫(たけお)、東京音楽学校(現・東京芸術大学)の学生であった昭和6年から7年にかけて、約40曲の歌謡曲を学校には内緒で吹き込む。☆ キャンプ小唄、★酒は涙かため息か、★丘を越えて、★影を慕いて、★懐かしのボレロ、★青い背広で、★東京ラプソディ、★青春日記、★男の純情、☆銀座セレナーデ、☆回想譜、★なつかしの歌声、★春よいずこ、★ビア樽ポルカ、☆崑崙越えて、★三日月娘、☆浅草の歌、★夢淡き東京、★白鳥の歌、☆バラ咲く小径、(★青い山脈)、★長崎の鐘、★花の素顔、★山のかなたに、☆長崎の雨、☆ニコライの鐘、☆東京ノスタルジア、★丘は花ざかり、☆みどりの雨、☆天草の雨は、昭和40年頃、街中に、何か宝塚風のレトロな歌が流れていまして、リュウちゃん、いつの間にかお気に入りの歌になっていました。こんな歌詞です(詞:西条八十)黒髪風に なびかせて夕日に歌う アヴェ・マリア乙女の夢は アマリリス花のこころを 知るや君この歌、かなり後でタイトルを知りました。「純情の丘」です。リュウちゃんが学生時代に聴いたのは多分、高石かつ枝の歌唱だったのだと思いますが、オリジナルは、二葉あき子さんの昭和14年発売の歌です。二葉さんの歌は、「恋の曼珠沙華」、「さよならルンバ」、「水色のワルツ」がリュウちゃんの三大カラオケ歌唱曲ですが、前回のブログで書いたように、「巴里の夜」を歌ってみたいなと熱望している今日この頃です。「恋の曼珠沙華」は最近のカラオケ店では、美空ひばりの歌として曲目リストに載っていますが、オリジナルは二葉さんなのです。二葉あき子は昭和10年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)師範科卒業、在校中に増永丈夫(藤山一郎)の歌を聴き、感銘を受ける。昭和14年、「愛の揺り藍」で歌謡曲デビュー、★古き花園、☆純情の丘、☆別れても、★夜のプラットホーム、★フランチェスカの鐘、★恋の曼珠沙華、★さよならルンバ、☆夢よもういちど、★水色のワルツ、☆巴里の夜、今回は、最初の流行歌手二人と、佐藤千夜子、藤山一郎の東京音楽学校の後輩で、リュウちゃんが大好きな二葉あき子さんを取上げました。次回は、「歌謡曲の創成期(2)といたしまして、リュウちゃんの声に一番近いと評判(笑)の霧島昇、それとミス・コロムビアを中心に書いてみます。今回の★☆追加★ 33曲、☆17曲累計★430曲、☆398曲、★☆合計→828曲です。
2009年10月03日
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こんにちは、リュウちゃんです。リュウちゃんの手許に1冊の本があります。タイトルにも書いた立川談志師匠の「談志絶唱・昭和の歌謡曲」という本で、2006年3月に大和書房から出版されています。談志師匠は昭和11年生まれ、リュウちゃんより10歳年上です。昭和11年というと、歌手では北島三郎が生まれた年、翌、昭和12年には、元祖3人娘、美空ひばり、雪村いづみ、江利チエミ、それと。小林旭が生まれています。昭和11年にヒットした歌を挙げて見ますと、藤山一郎「東京ラプソディー」、「東京娘」、「男の純情」、「回想譜」、楠木繁夫「女の階級」、渡辺はま子「月が鏡であったなら」、「とんがらがっちゃ駄目よ」、松平晃「花言葉の唄」、「人妻椿」、東海林太郎「上海夜曲」、「椰子の実」、美ち奴「ああそれなのに」、[うちの女房にゃ髭がある](杉狂児とデュエット)、などがあります。この本の初めの部分で、談志師匠が、昭和11年生まれにも拘わらず、それ以前の古い歌をよく知っている、何故そんな古い歌を知っているのかというと、一つは師匠のお母さんが日常口づさんでいた歌を自然に覚えたと書いています。しかし、母親が口づさんだ歌はそんなに多くない筈、しかも、師匠の場合は、当時あまりヒットしなかった歌まで、1番の歌詞だけではなく、3番まで完璧に覚えている、何故こんなに覚えているのか、師匠自身もよく判らないが、そういう特別な才能があったのであろう、というような趣旨の事を書いています。リュウちゃんの場合も、多少、師匠と似た所があるのかも知れません。以前にも書きましたが、リュウちゃんの懐メロ好きは、やはり母親譲り、母が少女時代に、好きな歌手の新曲が出ると、一日中レコード店の店頭に行き、新曲を覚えたという話を、よく母親から聞いていました。また、リュウちゃんの父親も、よく東海林太郎の「赤城の子守唄」などを口ずさんでいました。ここからは、談志師匠(家元)と、リュウちゃんの仮想対話です。(家元)上原敏の「便り」シリーズは上海の他に、「広東」、「南京」北満」、「サイゴン」「蒙疆」など、家元これらを全部、全歌詞唄えるのです。どうだ、偉いだろう。(リュウちゃん)いや、さすが家元、恐れ入りました。リュウちゃんはメロ先人間で、メロディはすぐ覚えるのですが、歌詞が全然覚えられない、だから映像カラオケの字幕が頼りなのです。上原敏さんの歌は「妻恋道中」、「流転」、「浦町人生」、「鴛鴦道中」、「上海だより」しか知りません。これは年代の差もありますけど、やはり才能の差ですね、いや。恐れ入りました。(家元)歌謡曲というのを私はこう受け止めている。「歌謡曲は恋愛に対する応援歌であると、(リュウちゃん)その通り!山田耕筰などの日本の歌曲や、唱歌・抒情歌などは、花鳥風月は歌うが、恋は歌わない、歌謡曲は万葉集でいえば相聞歌ですよね、恋の歌がない芸術歌曲なんて、アンコの入っていない大福餅みたいなもので、味気ないですよね、卓見です!(家元)やがて時代が変わって、「男女の思慕」から、「引っかける」とか、「ナンパする」ということに変わってくると、恋の応援歌の出どころがなくて、「怨み節」になった。いろんな意味での「演歌」になってしまったのではないかと、(リュウちゃん)これも卓見です。実はリュウちゃんも、流行歌が歌謡曲から演歌に変わってしまった時から、流行歌に興味をなくしていきました。リュウちゃん、歌謡曲は好きですが、演歌にはあまり興味はない。ひばりちゃんは好きですが、「演歌の女王」美空ひばりは駄目、春日八ちゃん、三橋さんは好きですが。北島サブちゃん、五木ひろしには、さして興味ナシなのです。(家元)家元の一番新しく知っている歌というと、「津軽海峡冬景色」となる、(リュウちゃん)この辺は家元とリュウちゃんの年の差かな?リュウちゃんの場合は、今年発売された秋元順子さんの「黄昏Love again」、そのB面の「愛の歌売り」も覚えたのだ!サザンも中島みゆきも好きだし、まあ、年の差ですね。(家元)藤山一郎は、「崑崙越えて」と、「みどりの雨」が贔屓である。(リュウちゃん)藤山一郎は、リュウちゃんの世代ではNHKなどの懐メロ番組で聴いたのが最初かな?その前にラジオで「青い山脈」や「長崎の鐘」などは、よく聴きました。高校の修学旅行で長崎に行った時にバスの中で「長崎の鐘」を歌った記憶があります。「影を慕いて」や「酒は涙かため息か」などは、藤山さん本人の歌よりも、石原裕次郎や森進一の歌声のほうが馴染みがあります。でも、その後いろいろと聴き、今ではよくカラオケで歌っています。「崑崙越えて」は最近、インターネットのYouTubeで聞きましたが、いい歌ですね、でも、この歌、カラオケには入ってないなー、「みどりの雨」も入っていない、藤山さんの歌では現在のところ、「三日月娘」がリュウちゃんの最多カラオケ歌唱曲です。(藤山一郎につきましては、次回のブログで取り上げます)(家元)小野巡は後年、常陸大宮に住み、(リュウちゃん)小野巡、この本を読むまで全く知りませんでした。お手上げです。やはり年の差ですかね、YouTubeを検索してみます。(家元)敗戦直後のナンバーワンは岡晴夫と笠置シズ子(リュウちゃん)リュウちゃんが生まれたのが、終戦直後の少し後ですので、このあたりの熱気は全く解りません。岡さんの「啼くな小鳩よ」と「憧れのハワイ航路」はよく聴きました。映像カラオケの時代になってから「青春のパラダイス」が好きになり、よく歌っています。しかし、この歌、息つぎが難しく、いつも息切れしてしまうのです。笠置さんの「買物ブギ」、これ、現在でいえばラップですね、元祖ラップ・ミュージック、リュウちゃん、カラオケで歌えそうなのは、「セコハン娘」くらいかな?「アイレ可愛や」も歌えそう、でも、ひばりちゃんの「お祭りマンボ」は歌えるから、一度機会があれば「買物ブギ」に挑戦して見ます。(家元)歌謡曲を聞かせて歌手を当てるクイズをやっていた。「十三夜」が流れたが、誰も答えられない、「榎本美佐江」などと間違ったことをいっている、、(リュウちゃん)リュウちゃんも、つい最近まで、「十三夜」は榎本美佐江の曲とばっかり思っていました。「十三夜」のレコード(SP盤)、少年時代に従兄の家でよく聴きました。最近でもよく歌っています。(家元)二葉(あき子)さんのヒット曲のなかには、「巴里の夜」という大アーイ好きな歌がある、(リュウちゃん)この本を読んで、「巴里の夜」、聴きました。ミドレミラソファー ミシドレドラシーという出だしのメロディーから絶品です。ずっと以前、新宿のキャバレー(のようなところ)に飛び込みで入りましたところ、たまたまカラオケ(じゃない、ピアノ伴奏で歌う)大会をやっていまして、そこで二葉さんの「水色のワルツ」を歌って一等賞をもらったことがあります。「水色のワルツ」もいい歌ですけど、作曲の高木東六がクラシック畑の人のせいか、やや固め(四角四面)、の感じ、原六朗さんの柔らかいメロディのほうが心に沁みますね。(家元)春日さんの通夜で唄った「青い月夜だ」、(リュウちゃん)この歌も、この本で知りました。いやー、この本はリュウちゃんにとって、バイブルになりつつあります。(家元)あまり好きでない歌手、のめりこめない歌手→畠山みどり、都はるみ、鈴木三重子、三条町子、三波晴夫、北島三郎、三浦 洸一、(リュウちゃん)これもリュウちゃんの好みとよく似てるなあ、リュウちゃんは他に村田秀雄、これはリュウちゃんの声が浪曲風ではなく、藤山一郎や桐島昇風だからなんですがね、但し、一節太郎の「浪曲子守唄」だけは別、これはいいのです。これも家元の意見と一致していますね、あと、五木ひろしが全然駄目です。まあ、リュウちゃんの苦手な「演歌」の時代の申し子だからですかね、(家元)「ひばり」のポピュラーソングというか、「英語の歌」とでもいうのか、上手い!「上海」を聴いたとき驚いた。上手いなあ!(家元)下品な大人のひばりより、ガキ時代のひばり(リュウちゃん)ひばりちゃんの「上海」も、この本で知りました。ひばりちゃんのポピュラー・ソングもステレオで吹き込んだものは、どうも駄目ですね、持ち歌もポピュラー・ソングも、ひばりの歌は二十歳(はたち)前に限るというのがリュウちゃんの持論です。(家元)カラオケ大嫌い、許せない、(リュウちゃん)まあ、そう云わずに、リュウちゃんのような庶民が歌いたくなった場合には、カラオケしか手段が無いのですよ、落語家は庶民の味方の筈、奈良には「艶歌」のような店はありませんしね、許して下さい。と、まあ、他にも色々ありますが、この辺で仮想対話はお開きにいたします。次回は、「歌謡曲の創成期(1)」として、藤山一郎さんなどを取り上げる予定、乞う、ご期待!です。
2009年09月30日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回は、歌謡曲以外のリュウちゃんの好きな歌の話をしたいと思います。リュウちゃんは高校に入学して、合唱部に入ったのですが、入部して最初に歌ったのが、ロシア民謡の「ヴォルガ下り」と「泉のほとり」、それと、(これはロシア民謡ではありませんが)「山の人気者」でした。ロシア民謡は、この頃、ダークダックスの歌声が、よくラジオやテレビで流れていまして、いつの間にかリュウちゃんの耳にも親しいものになっていました。後で知りましたが、東京では、昭和30年代の初めに、歌声喫茶なるものが産声をあげ、ここを拠点にロシア民謡や、さまざまな愛唱歌が全国に広まっていったようです。そこで歌われる歌は、ロシア民謡の他に、「夢見る人」のようなアメリカ民謡や黒人霊歌(今でいうゴスペル)「山男の歌」に代表される山の歌、また、当時の学生運動の台頭を反映する労働歌などが歌われたようです。まだカラオケが無かった時代、普通の人が人前で歌を歌う機会を提供したのが、この歌声喫茶だったようですが、田舎に住んでいたリュウちゃんにとっては、人前で歌を歌うのは、合唱団で歌うという事だったのです。昭和40年前後でしたか、テレビの歌番組で、この歌声喫茶を再現した番組がありました(番組名、放送局は失念しましたが、NHKではなかったような気がします)この番組で、数々のロシア民謡や山の歌、愛唱歌などを聴きました。特に今でも印象に残っている歌が2曲あります。ひとつは「もずが枯木で」という歌、以下のような歌詞です(作詞:サトウハチロー)もずが枯木で鳴いているおいらは藁(わら)をたたいてる綿びき車は おばあさんコットン水車も 廻ってるこの後の歌詞で、満州に出兵していった兄を思い募るという、控え目な反戦歌なのですが、素朴なメロディーが心に沁みる歌なのです。もうひとつは、「山の友よ」という歌です。この歌の歌詞は以下のようです。薪割り めし炊き 小屋掃除みんなで みんなで やったっけ雪解け水が冷たくて 苦労したことあったっけ今では遠く みんな去り友をしのんで 仰ぐ空リュウちゃん、後で知ったのですが、この歌は、成蹊大学山岳部・虹芝寮寮歌です。この歌も、「もずが枯木で」と同じように、素朴ですが、心を打つ曲です。山の歌で、もう一つ印象に残っているのが、★「いつかある日」という曲です。一番の歌詞(詞:ロジェ・デュプラ=深田久弥訳)いつかある日 山で死んだら古い山の友よ 伝えてくれ作曲者の西前四郎は大阪外国大学山岳部の創設者、ロジェ・デュプラはフランスの登山家、彼がヒマラヤの高峰ナンダ・デヴィで遭難した際の遺品の手帖に書かれていた詩を、山岳紀行家の深田久弥が訳した詞に、西前氏が曲を付けるという、正に岳人による、岳人のためのレクイエムのような歌です。大阪外大といえば、同大グリークラブOBで、合唱界の巨匠・清水脩が、ダークダックスの委嘱で作詞作曲した合唱組曲「山に祈る」という曲がありまして、この組曲の4曲目の★「山を憶(おも)う」という曲に、高校時代にハマった記憶があります。歌詞の最後の部分は以下のようになっています。少し感傷的過ぎるきらいのある曲ですが、高校時代のリュウちゃんの心を捉えた曲のひとつです。なぜなぜ 山に登るのかなぜなぜ山がそこにあるから 山がそこにあるからええい!止まらない!合唱曲からもう1曲、高田三郎作曲・合唱組曲「心の四季」の第4曲、★「山が」(詞:吉野弘)以下のような短い詞、サラリとしていますが、いい歌です。山が遠くから人の心をとりこにする人がその心をさがしにゆくそれで身体ごと とりこになるええい!もう1曲、サザンオールスターズの現在のところ、最後のオリジナル・アルバムになると目されている「キラー・ストリート」に収録されている恒例の原由子のソロ曲「山はありし日のまま」、歌詞(作詞:桑田佳祐)は以下です。振り仰ぐ大空に 雲は流れゆく悔やめども山はただ ありし日のまま (中略)君は亡きこの世は 憂う間もなくつれ沢清水の美味さを 誰と語ろうか山を慕い恐れつつ 山に挑み帰らぬ我が友よ この胸に別れの言葉を 告げて振り返れば可憐に佇む 尾根の白百合リュウちゃん、何を隠そう、サザンオールスターズのファンなのですよ。この歌もカラオケでよく歌っています。さりげないなだらかなメロディの曲ですが、ジワリジワリと感動がこみ上げて来る、いい歌なのです(しかし、桑田君は本当に天才ですね)サザンにつきましては、何時かこのブログで、改めて取り上げますので、ここでは、★のカウントはしないでおきます。ダークダックスのロシア民謡のレコードは学生時代に愛聴しました。今回のブログでは、ロシア民謡について語る予定でしたが、「山の歌」にノリが行ってしまいまい、ロシア民謡にはあまり触れませんでしたが、ロシア民謡も本当にいい歌が多いのです。現在、歌声喫茶がまた復活しつつあるように感じています。機会があれば、カラオケとは別に、歌声喫茶でロシア民謡などを歌いたいと考えているリュウちゃんなのです。ダーク・ダックスは昭和32年にロシア民謡「灯(ともしび)をヒットさせ、一躍スターダムにのし上がった。(ロシア民謡)★灯(ともしび)、★カチューシャ、★すずらん、★カリンカ、★紅いサラファン、★ウラルのぐみの木、★仕事の歌、★私が郵便馬車の御者だった頃、★コサックの子守歌、★黒い瞳の、★ヴォルガの舟歌、★バイカル湖のほとり、★行商人、★一週間、★モスクワ郊外の夕べ、★つる(鶴)、★泉のほとり、★二つのギター、(日本の歌)★山男の歌、★雪山讃歌、★銀色の道、★山のロザリア、★山の友よ、★遥かな友に、★琵琶湖周航の歌、★もずが枯木で、★小さい秋みつけた、★さくら貝の歌、★知床旅情、(世界の歌)★オールド・ブラック・ジョー、★故郷の人々、★夢見る人、★コロラドの月、★誰も知らない私の悩み、★おお牧場は緑、★ローレライ、デューク・エイセスは、昭和30年結成、「日本の歌」シリーズが有名。★ いい湯だな、★女ひとりペギー葉山追加★ 学生時代今回の★追加→42曲、累計★397曲、☆381曲、合計778曲です。
2009年09月27日
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昨日、久々に奈良・明日香村の石舞台古墳に遊びに行って来ました。リュウちゃんが、奈良に住んでから25年余り、子供が小さい頃から、よく休日には足を運んでいました。高松塚古墳にも、かなり以前に一度だけ足を運び、石室に入って、華麗な壁画を見た記憶があります。先月の赤目四十八滝の時と同じように、リュウちゃんの奥方手製のおにぎりと、保冷袋に入れた缶ビール2缶を車に積んで出発(リュウちゃん、恥ずかしながら、運転免許を持っていませんので、出掛ける際には、いつも奥方の運転、リュウちゃんの指定席は、助手席なのです)リュウちゃんの家から約1時間余りで石舞台下の有料駐車場に到着(駐車料金1日500円也)数年ぶりに石舞台に来て見て、驚きました。以前は、石舞台の周辺は、かなり自然のままで、あまり、これといった観光施設が無かったように記憶していましたが、現在では、駐車場の近くに、これまで無かった二階立てのログハウス風のレストラン+物産店が営業しており、石舞台の少し上にある畑も、観光客が休息出来るようにベンチを整備した小展望台が造られていました。石舞台には、以前よく入場した事がありましたので、今回は、この新設された小展望台で昼食しようという事になり、そこに至る階段を登っていきましたが、眼下の石舞台を観て、またビックリ、何と、白い彼岸花が、石舞台の整地された斜面に咲き誇っているではありませんか!リュウちゃん、この歳になるまで、彼岸花(曼珠沙華)は赤いものに決まっていると思っていました。ほら、歌にもあるではありませんか、「赤い花なら曼珠沙華、オランダ屋敷に雨が降る、、」(由利あけみ「長崎物語」)、彼岸花は、毒の花であり、赤い色もかなりけばけばしい感じで、リュウちゃんもあまり好きな花ではありませんでしたが、この白い日い彼岸花は、ピュアな清潔感があり、大変新鮮な感じがしました。これ、リュウちゃんが数年前に石舞台を訪れた時には全く見掛けなかったので、ここ数年で、移植したのでしょうね、キトラ古墳のように、新しい古墳が話題になり、観光客が増加しているようですが、この白い彼岸花も、観光客増加におおいに貢献しているようでした。石舞台を見下ろす展望台で、ビール2缶とおにぎりの昼食を終え、多少気分が良くなった所で、徒歩で、石舞台横の道を下り、聖徳太子生誕の地とされる橘寺に行きました。目的は二面石との再会、歴史に疎いリュウちゃん、二面石は手塚治虫の漫画「三つ目がよおる」で、主人公の写楽君が、超古代への扉としていたのが、昔から強く印象に残っており、この石像を見ながら妄想の世界に遊ぶ事が楽しみでした。久し振りに再会した二面石は、前回見た時より、色がくすんでしまっており、古代の妄想も少し色褪せたように感じました。この橘寺には、一面に酔芙蓉が植えられていて、白い花が、今が盛りです。白い彼岸花は、少し鋭い感じですが、酔芙蓉の白は、柔らかく、ややはかない感じがしました。もっとも、正午近くの時間帯だったので、一部の花はピンク色に変化して来ていました。酔芙蓉といえば、石川さゆりの「風の盆恋歌」ですね、リュウちゃん、この歌も大好きです。冒頭の歌詞(作詞:なかにし礼)以下の通りです。蚊帳の中から花を見る咲いてはかない酔芙蓉、やはり、儚い(はかない)花なのですね、橘寺を後にして、亀石、鬼の俎板、鬼の雪隠まで、歩いて散策、明日香村散策は、レンタサイクルで廻るのが一般的なのですが、起点となる近鉄飛鳥駅から石舞台までは、ずっと上り坂、それもかなりきつい上り坂なのです。リュウちゃん、かなり以前、飛鳥駅前でレンタサイクルを借り、石舞台まで上がった事がありましたが、あまりの坂のきつさにコリゴリした記憶がありまして、以後、明日香村巡りは、徒歩という事にしているのです。今回、初めて亀石のうしろを見ましたが、ちゃんと亀の甲羅の形に石が削られていました。但し、亀の足は確認出来ませんでした。鬼の雪隠から、また上り坂を石舞台まで引き返し、石舞台のすぐ下に新しくできた夢市茶屋というログハウス風の喫茶店兼レストランで、アイスコーヒーでティー・タイム、ティー・タイムの後、階下の明日香物産店を探訪、古代米が、赤米、黒米、緑米と、3種類もあるのですね、少し驚きました。午後3時頃、明日香村を出発、当麻寺近くの銘菓店、中将堂本舗に立ち寄り、名物の中将餅8個入りを買いました。この中将餅、伊勢名物の赤福に似ていますが、よもぎ餅で、上にまぶされた餡も上品、飲ん兵衛のリュウちゃんではありますが、お餅も大好きなのです。リュウちゃんの家から明日香村への往復の車の中で、また秋元順子さんのCDを聴きました。今度カラオケ店に行ったら、「愛の歌売り」に挑戦なのだ!
2009年09月25日
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こんにちは、リュウちゃんです。織井茂子さん、リュウちゃんにとっても、懐かしい名前です。織井さんの姿をTVで見たのは、NHKなどの懐メロ番組だけで、リアルタイムで聴いた訳ではありませんが、あの圧倒的な歌唱力は、多くの懐メロ歌手(という言い方も何か変な気がしますが)の中でも、群を抜いた存在でした。織井さんといえば「君の名は」ですね、昭和28~29年に3部作で公開された佐田啓二=岸恵子主演の映画は、ラジオ・ドラマに続き、一世を風靡したようですが、リュウちゃんは、当然の事ながら、それについてはよく判りません、ただ、数々の映画主題歌、挿入歌によって、往時の熱狂ぶりを偲ぶのみです。映画「君の名は」の主題歌、挿入歌で、織井茂子さんが歌ったのは、全体の主題歌である「君の名は」、それと、「黒百合の歌」、それと、佐田啓二とデュエットした「君は遥かな」の3曲です。この内、「君は遥かな」は佐田啓二さんの歌唱力が弱く、織井さんの歌唱も、佐田さんとバランスを取る為か、少々抑え気味で、やや影が薄い、やはり、「黒百合の歌」の圧倒的な歌唱が印象に残ります。(「君の名は」の歌では、他に伊藤久男の「忘れ得ぬ人」、「数寄屋橋エレジー」、「君いとしき人よ」、淡島千景の「緑の歌」、岡本敦郎=岸恵子の「花のいのちは」などがあります。上記の「君は遥かな」も、歌唱力のバランスから考えれば、伊藤久男さんとデュエッとするのがベストだったような気がします)折井さんの「カルメン純情す」、この歌、本当にビックリするような前衛的歌謡曲です。作曲は、当時のクラシック畑の前衛的作曲家、黛(まゆずみ)敏郎、黛さんの歌謡曲は、他に美空ひばりちゃんの「お針子ミミーの日曜日」があり、こちらはシャンソン風のいい歌で、リュウちゃんもカラオケでよく歌いますが、「カルメン純情す」はあまりにもメロディが過激なので、未だにカラオケで歌った事がありません。最近、関西のテレビのバラエティ番組で、カラオケ談義のトークショウがありましたが、その中でリュウちゃんより少し年上の、元TVデイレクターのオジさんが、「歌謡曲通の前で、ありきたりの歌を歌っても面白くないので、そういう時には、「カルメン純情す」を歌って歌謡曲通の諸氏を煙に巻くのです」なんて発言をしていましたが、リュウちゃんもカラオケをやる時には、誰も知らない歌を歌って、周りの人を煙に巻くような悪癖が多少ありますが、さすがに「カルメン純情す」までは行きませんでした。この曲、相当歌唱力がないと歌にならないのです。リュウちゃんも今後、歌唱力をアップさせて、異色作「カルメン純情す」に挑戦してみようと思っています。異色作といえば、「夜が笑っている」も異色作ですね、この曲、歌謡界のゴールデン・コンビであります星野哲郎=船村徹の最初期の作品です、歌詞のサビの部分、「夜がクスクスわらうから」(一番)、「夜がジロジロ見てるから」(二番)、「夜がゲラゲラわらうから」(三番)、は衝撃的なフレーズでした。織井茂子は、昭和24年、「安南夜船」で再デビュー☆カルメン純情す、★君の名は、★黒百合の歌、☆君は遥かな、★夜が笑っている。奈良光枝は、大正12年生まれ、亡くなったリュウちゃんの母親と同い年です。リュウちゃんが、戦後生まれにも拘わらず、戦前戦後の古い歌をよく知っているのは、この母親の影響です。奈良光枝さんの代表曲が、ほとんどリュウちゃんが生まれた直後か幼年時代の作品であるにも拘わらず、社会人になってからも明確に記憶があったのは、多分母が、日常的に口ずさんでいたからだと思います。「青い山脈」は云うに及ばず、「悲しき竹笛」、「赤い靴のタンゴ」、「雨の夜汽車」、「愛の灯かげ」などは、リュウちゃんのカラオケ人生が始まった20歳代の頃からの定番曲目だったのです。奈良さんの曲で、現在リュウちゃんが一番よく歌っている「白いランプの灯る道」は、以前のブログで、渋谷のカラオケ酒場「季味」のママ、キミちゃんから教えてもらったと書きましたが、実は曲自体は、幼児期に聴いた記憶が明確にあります。ただ、曲のタイトルと歌手名が不明でした。前回の古関裕而さん特集のブログで、NHKラジオで録音した際にも、実はタイトル・歌手名を確認しないまま聴いていたのです(我ながら、何たる迂闊!)、キミちゃんには、タイトルと歌手名を教えてもらったという訳です。「白いランプの灯る道」の1番の歌詞は、以下のようです(作詞:丘灯至夫)通いなれた 歩きなれた 敷石道よ今宵別れの霧が降るさよなら、さよなら涙見せずに別れましょうよ銀杏並木に霧が降る格調高く、品のある詞、最近の演歌では、こういう格調の高い詞は見られないですね。これを奈良さんは、しっとりと情感タップリに歌っています。歌手も奈良さんのような品のある人は、最近はいないような気がしています。作詞の丘さんは、西条八十の弟子で、コロムビアの長老作詞家の一人、古関さんと組んだ作品が多く、「高原列車は行く」、「あこがれの郵便馬車」などがあります。後年は、遠藤実さんと組んだ舟木一夫さんの「高校三年生」、「修学旅行」などの歌詞を手掛けました。「愛の灯かげ」は、昭和24年公開の新東宝映画「夢よもういちど」の主題歌です(作詞:西条八十)、この歌が発売された時に、リュウちゃんは、僅か二歳と六ヵ月、どうしてこんな古い歌を知っているかといいますと、やはり最初に述べました母親の歌を聴いていたからなのです。母の力は偉大なのです。歌詞の冒頭は以下のようなものです。終戦直後の様子が反映されていますね、住むに家無き小鳩の私雨に泣いてた焼け野原最近、行きつけの近所のカラオケ店で、この歌を歌いましたところ、リュウちゃんより10歳以上の年上の叔母様が懐かしがられて、リュウちゃんのファンになって頂きました。叔母様とこの店でお会いした際には、必ず、この「愛の灯かげ」をデュエットさせて頂きます。奈良光枝は、昭和15年、18歳で「南京花嬌子」でデビュー★悲しき竹笛、★雨の夜汽車、★赤い靴のタンゴ、★青い山脈、★愛の灯かげ、★白いランプの灯る道、☆恋の山彦、☆秋草の歌、☆嘆きの夜曲、☆シクラメンの花咲けど、☆母待草、☆りんどうの丘」、☆白樺の宿、☆女ごころの赤い鳥、☆由起子はいつも、☆なぎさの唄、織井さんも、奈良さんも、東洋音楽学校卒業という音大出、昔の歌手は、大抵、音大出だったのですね、その常識を180度変えたのが美空ひばりちゃん、しかも、デビュー時が小学生、これは、当時、大変な衝撃だったようで、詩人であり、コロムビア専属作詞家でもあったサトウ・ハチローは、ひばりちゃんのデビューの翌年(昭和25年)、東京タイムスに連載していたエッセイ「見たり聞いたりためしたり」の中で、ひばりちゃんをゲテ物扱いした事は有名な話ですが、それ程、ひばりちゃんのデビューは、当時、革命的で衝撃的だったのですね。リュウちゃんが歌謡曲を聴き始めたのは、そんなエッセイが書かれたずっと後ですので、ひばりちゃんも、奈良さんも同じように、いい歌だなと感じたのかも知れません。いい歌は、すぐ古典になってしまうのですね。今回は、歌謡曲の黄金時代というタイトルで、昭和30年代の女性歌手の歌の続きを書く筈でしたが、奈良光枝さんという大好きな歌手がリュウちゃんの頭にあった為、一部戦前の世界に足を踏み入れてしまいました。こうなったら、行掛かり上、歌謡曲の創成期まで一気に踏み込みたいと思います。高校入学で尻切れトンボになっている「リュウちゃんのプロフィール」はしばらく中断して、次回からは、昭和初期からのリュウちゃんの好きな歌について書いていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。★黄金時代の他の女性歌手鈴木三重子★愛ちゃんはお嫁に、★むすめ巡礼ペギー歯山★南国土佐を後にして(この曲を最初に歌ったのは、鈴木三重子さんだそうです)久保幸江★トンコ節、★ヤットン節(リュウちゃん、生来軟派者ですので、この手の歌は大好きなのです)二宮ゆき子→お座敷物といえば、この人、可愛い!リュウちゃん好みの歌手です。「三味でダンスを」、是非歌ってみたい曲です。★まつのき小唄、☆三味でダンスを、菊池章子→戦前から活躍している歌手ですが、戦後発表した曲を挙げておきます。最近、「春の舞妓」をよく歌っています(隠れたブームのような感じがします)★星の流れに、★岸壁の母、★春の舞妓、宮城まり子★ガード下の靴みがき、★毒消しゃいらんかね、暁テル子★ミネソタの卵売り、★東京シューシャンボーイ、高峰秀子★銀座カンカン娘、菅原都々子★月がとっても青いから、☆憧れは馬車に乗って、☆江の島悲歌、☆連絡船の唄、フー!少し疲れました。また思い出したら、追加します。★追加→24曲、☆追加→16曲累計★355曲、☆381曲、合計736曲です。
2009年09月22日
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本日の朝刊に、「古関裕而全集」(CD6枚、DVD1枚組)の広告が出ていました。以前、リュウちゃんのブログの島倉お千代ちゃんの話の中で、古関さんの事を「リュウちゃん最愛作曲家の一人、いつか、古関さんの特集を書いてみたいと思っています」と書きましたが、それから僅か1週間でこの広告が掲載されましたので、早速、リュウちゃんの思いつく儘に、古関さんの事を書いてみます。リュウちゃんが生まれたのが昭和21年、幼児から少年時代にかけて、古関さんの歌はラジオでよく流れていた筈です(勿論、その頃のリュウちゃんには、作曲家・古関裕而という意識はありませんでした)(1)幼児期の思い出、その(1)藤山一郎の「長崎の鐘」と、「鐘の鳴る丘」は、よくラジオで流れていたせいか、自然と歌を覚えました。その(2)叔父さんが、渡辺はま子の「雨のオランダ坂」が好きだったようで、叔父さんの家で、よく聞かされた記憶があります。その(3)リュウちゃんの弟が「次郎」という名前なので、リュウちゃんの母が弟の事を「ジロリンタン」と呼んでいました。但し、「何でも知ってるジロリンタン」ではなくて、「何にも知らないジロリンタン」と替え歌にしていました(幼児だから、何にも知らないのは、当たり前ですよね、別に弟を差別していた訳ではありませんので、念の為に申し添えておきます)(2)学生時代の思い出その(1)高校生の頃、リュウちゃん、有名な詩にメロディを付ける事に熱中していた時期がありましたが、その一つに若山牧水の「白鳥(しらとり)は、悲しからずや、、」という短歌につけたメロディは、「我ながら、こりゃ傑作だわい」なんて、一人悦に入っていましたが、社会人になってから、初めて古関さんの「白鳥の歌」を聞いた時には「ウム、悔しいけれど、これはリュウちゃんの作曲したものより、少しだけいいかな?」なんて感想を持ちました。その(2)高校時代に東京オリンピックがありましたが、その開会式に使われた「オリンピック・マーチ」には、かなり感心しました。その(3)学生寮に入っていた時分、隣の部屋に住んでいた同級性が、リュウちゃんの知らない、いい歌を歌っているのを聞き、彼に、「その歌、何ていう歌?」と聞いたところ、メロ譜を貰いました。その曲のタイトルは「天草の雨は」、後年、この歌は藤山一郎が歌った歌だと知りましたが、藤山さんのレコードは今以て聴いた事がありません。この歌は楽譜のみで覚えた歌なのです。カラオケに入っていれば、すぐ歌える自信があります。(3)社会人になってからその(1)島倉お千代ちゃんの「夕月」を大全集で聴いた事、「いい歌だな」と思ってはいましたが、カラオケで歌うようになったのは、ここ10年位前からです。多分、以前は映像カラオケに入っていなかった為だと思います。その(2)NHKラジオ番組で、45分間の古関裕而特集があり、これをカセットテープに録音しました。このテープは、かなり長い間、愛聴しました。思い出すままに収録曲を挙げて見ます→「夢淡き東京」、「三日月娘」、「イヨマンテの夜」、「君の名は」、「黒百合の歌」、「君いとしき人よ」、「花のいのちは」、「高原列車は行く」、「長崎の雨」、「みどりの雨」、「白いランプの灯る道」、「長崎の鐘」、「とんがり帽子」、「さくらんぼ大将」、「ジロリンタンの歌」、「紺碧の空」、「栄冠は君に輝く」、、まだあったような気がします。何しろ、曲の間にナレーションを入れないので、目いっぱい曲が入った番組でした(それとも、1時間番組だったのかな?)このテープにより、古関さんの主だった歌が聴けたのだと思います。藤山一郎の「三日月娘」や奈良光枝の「白いランプの灯る道」などは、それ以降、リュウちゃんの重要なカラオケ・レパートリー曲になりました。また、「さくらんぼ大将」は、このテープで初めて聴いたのですが、リュウちゃん、かなり感激しました。こういう曲もカラオケに入れて欲しいと思っています。その(3)1996年にコロムビアから発売された「古関裕而歌曲集\」(藍川由美)に感激。藍川由美さんは、東京芸大卒業、学術博士号を取ったソプラノ歌手、純然たるクラシック畑の人ですが、歌謡曲にも並々ならぬ関心を寄せる、まあ、少し変わったクラシック人でしょうね、リュウちゃん、このCDに注目したのは、1曲目が、リュウちゃんお気に入りの「三日月娘」だったからです。それと、リュウちゃんが高校時代のメロディを付けた「白鳥の歌」、この歌は元々、クラシックの歌曲に近い作りになっているので、藍川さんの歌唱にはピッタリの曲なんですね、それと、今回の「古関裕而全集」には収録されなかった「福島セレナーデ」が良かった!この曲は、多分コロムビアの専属作曲家となる以前の作品で、竹久夢二の連歌風の詩に付曲されています。リュウちゃん、古関さんの雌伏の時代の感情が吐露されている曲のように感じました。という事で、古関さんの歌の数々は、リュウちゃんの生涯に渡る懐メロ人生で、最も重要な歌の数々なのです。この「全集」の中で、ひばりちゃんの歌が「わが家の灯」だけとは、少し残念な気がします。古関さんが作曲したひばりちゃんの歌は全部で4曲(「スッチョン節」、「むすめ島唄」、「わが家の灯」、「花売馬車」)しか無いのですが、リュウちゃんがこの中で1曲だけチョイスするとすれば、やはり、「花売馬車」ですね、この歌は岡本敦郎の「あこがれの郵便馬車」に似た、少し現実離れした明るい曲調の歌です。それと、先程挙げた「福島セレナーデ」、この2曲が入っていないのは、リュウちゃんとしては、少し残念な気がします。その代わりに、藍川由美さんの2枚目の古関さんの歌曲集から、「垣の壊れ」、「旅役者」、「山桜」、「木賊刈り」といったリュウちゃんの全く知らない歌が入っているのは、面白いと思います。このCDは古関裕而生誕100年記念盤ですが、カラオケファンと致しましては、古関さんのカラオケ未収録の歌が、どんどん収録される事を祈っています。カラオケメーカーさん、宜しくお願い致します
2009年09月13日
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こんにちは、リュウちゃんです。前回は島倉お千代ちゃん一人の話しで終わってしまいましたが、今回は歌謡曲の黄金時代(4)と致しまして、お千代ちゃん以外の昭和30年代前後に活躍しました女性歌手について、お話したいと思います。まずは、コロムビア・ローズです。彼女の曲で、最初のお気に入りとなったのは、「東京のバスガール」です。これが、多分、中学1年生の頃、その後、「娘十九はまだ純情よ」、「哀愁日記」、「しあわせはどこに」、「リンゴの花は咲いたけど」などがリュウちゃんのお気に入り、デビュー作の「娘十九はまだ純情よ」は作詞:西条八十、作曲:上原げんと、「哀愁日記」は、作詞:西条八十、作曲:万城目正、「しあわせはどこに」は、作詞:西条八十、作曲:万城目正、「リンゴの花は咲いたけど」は、作詞:石本美由起、作曲:上原げんとです。コロムビア・ローズの歌は、単なる純情可憐ではなく、純情な中にも、一本ピンと筋の通った歌といいますか、男に従属するだけの女ではなく、芯の強い女の生き様を、かなり文学的に表現していると思います。リュウちゃんが最も文学的な歌だと感じますのは、「哀愁日記」と「しあわせはどこに」の2曲ですが、2曲とも、作詞:西条八十、作曲:万城目正、作詞の西条八十は象徴詩人にして、童謡・歌謡曲の作詞でも日本を代表する大家の一人、象徴詩人としての八十については、リュウちゃんは殆ど知らないのですが、一編だけ、忘れられない詩があります。それは、処女詩集「砂金」の中の「トミノの地獄」です。この詩の冒頭の部分を以下に紹介します。姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く可愛いトミノは宝玉(たま)を吐くひとり地獄に落ち行くトミノ、、、、少し寺山修司を思わせる何か残酷で、おどろおどろとした詩で、江戸川乱歩や夢野久作の怪奇小説を連想させます。あの「東京行進曲」や「青い山脈」や「ゲイシャ・ワルツ」の詞と同じ作者とは到底思えませんが、このように、詩人としても一流である事が、西条八十の歌詞に、深い陰影を与えているような気がしてなりません。二代目コロムビア・ローズは、初代の文学的歌謡曲の線を受け継いだのか、高村光太郎の詩集「智恵子抄」の「あどけない話」を歌謡曲の歌詞に仕立てています(作詞:丘灯至夫)、彼女の文学的歌謡曲は、他に「二十四の瞳」、「たけくらべ」などがあるそうですが、リュウちゃんは全く知りません。尚、現在三代目が活躍しているそうですが、これもリュウちゃんは全く知らないのです。コロムビア・ローズは、昭和27年、「娘十九はまだ純情よ」でデビュー★娘十九はまだ純情よ」、☆リンゴの花は咲いたけど、★哀愁日記、★渡り鳥いつ帰る、★しあわせはどこに、★どうせ拾った恋だもの、★東京のバスガール、☆かりそめの唇、☆ロマンスガイド、☆津軽のリンゴ売り、二代目コロムビア・ローズは、昭和37年、「白ばら紅ばら」でデビュー★智恵子抄、尚、三代目コロムビア・ローズは平成16年、「出航五分前」でデビューさて、リュウちゃんが少年時代に「ロッテ歌のアルバム」などで聴いて、「何て清楚で可憐な人なんだろう!」と、密かに心燃やした歌手が藤本二三代さんです。当時の「ロッテ歌のアルバム」では、橋さんの初期の股旅物や、吉永小百合ちゃんの「寒い朝」、「愛と死のテーマ」、「天満橋から」、「哀愁のアムステルダム」などと共に、藤本さんの「夢見る乙女」、「花の大理石(マーブル)通り」の2曲が特に印象に残っています。しかし、それぞれの曲は、部分的にしか記憶に残っていなかった為か、あるいは、リュウちゃんがカラオケで歌い始めた昭和40年代の中頃には、既にカラオケに入らない程、廃れてしまっていた為か、リュウちゃん、彼女の歌を現在までカラオケで歌った経験がありません。また、彼女のレコードも、後年、「ビクター歌謡曲大全集・戦後編」(10枚組だったか?)に収録されたデビュー曲、「花の十九よさようなら」1曲のみしか持っていない有様、しかも、映像カラオケになってから、彼女の曲が入っているのを見た事が無い、という事で、藤本二三代さんは、リュウちゃんの中で、なかば「幻の歌手」化しつつありました。このブログを始めるにあたり、今も慣れないインターネットで藤本二三代さんの情報について、いろいろ検索しましたところ、ありました!ありました!You Tubeという動画共有サイトで、下記に挙げた藤本さんの12曲もの歌が、カットやフェイドアウト無しに全曲聴けるではありませんか!!リュウちゃん、大感激です。早速、全ての曲を何回も聴き、特に高校時代から気になっていた「夢見る乙女」と「花の大理石(マーブル)通り」の2曲は、曲を耳で聞き取り、歌えるようにドレミファの音符にしてみました。「花の大理石(マーブル)通り」の最初の部分を例にとりますと、以下のようです。(作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)ミードシーラー ドシラドミー ファミドシラーシラ♯ソラシーむーちゅうーよーむちゅううよーこんなにむうーちゅううーリュウちゃん、手元に楽譜のない歌を覚える時には、この手をよく使うのです。実は、秋元順子さんの歌も、この方法で覚えたのですよ。それで現在では、上記2曲の他に、デビュー曲、「花の十九よさようなら」、「好きな人」の4曲をレパートリーにしたつもりなのですが、いかんせん、行きつけのカラオケ店のリストには、藤本さんの歌は1曲も入っていないのです。リュウちゃん、大変残念なのです(実は、このカラオケ店の曲目リストには、初代コロムビア・ローズの曲も1曲も入っていません。二代目の「智恵子抄」は入っているのに、どうした事でしょう!)またカラオケメーカーさんにお願致します。藤本二三代さんの歌をどうか、カラオケに入れて下さい。宜しくお願い致します。藤本二三代は、昭和31年、「花の十九よさようなら」でデビュー☆花の十九よさようなら、☆夢見る乙女、☆好きな人、☆花の大理石(マーブル)通り、☆古い手帖、☆哀愁の園、☆ああ美しき人ゆえに、☆花摘み日記、☆白樺郵便、☆東京がなにさ、☆別れの海峡椿、☆たそがれの別れ唄、藤本二三代さんは昭和12年生まれ、美空ひばりちゃんと同い年なのですね、今から約10年程前、リュウちゃんが大阪で勤務していた頃、風の便りに、藤本さんが神戸でスナックをやっていると聞き、一度行って見たいなと考えていましたが、平成13年、大動脈乖離で急逝、スナック行きは永遠に出来なくなってしまいました。享年64歳、合掌!です。コロムビア・ローズ=「娘十九はまだ純情よ」藤本二三代=「花の十九よさようなら」、と来れば、そうです、神楽坂浮子=「十九の春」、松山恵子=「十九の浮草」です。神楽坂浮子の歌はリュウちゃん、この「十九の春」(バタやんの曲とは全く別物)1曲しか知りませんが、これも清純さを感じさせるいい歌で、リュウちゃんもよく歌っています。この歌を歌うと、決まって藤本二三代さんを思い出すのです。→★十九の春、歌謡曲創成期の歌手で、「祇園小唄」で有名な藤本二三吉は、二三代の義母、「ゲイシャワルツ」で有名な神楽坂はん子は芸者歌手として、浮子の先輩、この2組共、血の繋がりはないのですが、お互いに先輩を尊敬し、後輩を可愛がるという、よき関係にあったようです。松山恵子さんの歌は、「十九の浮草」でも、いわゆる清純派というタイプではなく、ド根性歌謡曲の範疇に入ると思います。以前、出張で四国松山に行った時、お恵ちゃんの下記の歌を歌いました。★ だから云ったじゃないの、★お別れ公衆電話、★未練の波止場、★十九の浮草、お恵ちゃんといえば、同傾向の野村雪子さんを思い出します。彼女もひばりちゃんと同年(昭和12年)生まれ、昭和30年の★おばこマドロス、昭和31年の★おばこ船頭さん、の2曲をリュウちゃん、時々歌います。西田佐知子さんと同じように、結婚で早期に引退されたのが残念な歌手の一人です。あっ、「十九」シリーズで新しい人をもう一人挙げておきます。そう、「十九の港」の永井みゆきさんです。背が高く、抜けるような色白に美人で、ファンでした。リュウちゃん、彼女のサインを持っているんですよ!以下の2曲はリュウちゃん、しょっちゅう歌っています。★大阪すずめ、★十九の港、今回もかなり長くなってしまいましたので、これ位にします。この頃の女性歌手はまだお話したい人が何人かいますので、次回は「歌謡曲の黄金時代(5)」といたしまして、今回の続きを書く予定です。今回の★☆追加★14曲、☆16曲、それと、前回の秋元順子さんの「黄昏Love again」が☆→★に変わり、ここで★1曲追加、☆1曲減少、また秋元さんのアルバムで☆6曲追加、以上、★15曲、☆21曲追加、以上累計★→331曲、☆→365曲、★☆合計696曲です。
2009年09月12日
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先日、行きつけの近所のカラオケ店で、秋元順子さんのシングル曲に2回目のチャレンジ、1回目のチャレンジから20日余り、その間、尾瀬、赤目四十八滝で、彼女の2枚のアルバム+最新シングル盤、「黄昏Love again」「愛の歌売り」をズッと聴いていました。その結果、シングルA面曲(CDの時代には、A面・B面ではないですね、何と呼ぶのでしょうか?)、つまり、「マディソン郡の恋」、「雨の旅人」、「愛のままで、、」それと「黄昏Love again」の4曲を全て覚えられたように感じましたので、今回のチャレンジには、かなり〈?〉自信を持って挑戦したのです。チャレンジの結果は?リュウちゃん、自分で云うのもなんですが、かなりいい線いったようです。初挑戦時のように、曲の入りの部分を間違えたり、音を延ばし過ぎて、次ぎのフレーズに入るのが遅れてしまったり、メロディがあやふやだったりという事は無くなりました。歌詞の字幕も、あるフレーズを歌っている時に、次ぎのフレーズのメロディがちゃんと頭に浮かぶようになりました。素人のリュウちゃんとしては、これで一応、秋元さんのシングル4曲は完成なのです。次ぎのステップは、シングルのB面曲(カップリング曲)すなわち、「月の浜辺」、「ロンリーナイト・東京」、「忘れもの」、「愛の歌売り」の4曲をマスターする事、これで、現在のところ、カラオケでの秋元さんの歌は完璧なのです.リュウちゃん、やったね!ところで、秋元さんのアルバムも凄くいいですね、以下にリュウちゃんのお気に入りのアルバム楽曲を挙げてみます。ファースト・アルバム「マディソン郡の恋」→全体に演歌系ヴォーカル・アルバムになっています。★ ● 酔いしれて→品のいいムード歌謡曲、これは歌い易そう、是非カラオケに入れて頂きたい歌です。● 愛の終わりに→高田みづえヴァージョンとは編曲もかなり違っています。これは、アダルト・ヴァージョンですね、若々しいみづえちゃん、人生の年輪を感じさせる秋元さん、両方いい。これは、曲がいいからでしょうね。● 別れの理由→スロー・ナンバー、少し演歌っぽい曲● 幻~まぼろし~→これも、演歌に近い曲● 遠い想い出→「貴方の言ったあの一言、なぜに忘れる事が出来ましょう」、しみじみとしたスロー・ナンバー● 愛遥かに→別れた男が居なくなり、空になった部屋の家具から、かっての生活を追想するシャンソン風の曲、秋元さんの語りの上手さが耳に残ります。セカンド・アルバム「Second Story」→ファースト・アルバムと違って、全体にジャズ・フュージョン系のアルバムです。● NOROKE~惚け~→ピアノとヴァイオリン、秋元さんのヴォーカルのトリオ編成。ややクラシックに近い、しみじみとした曲です。こういう曲をカラオケで歌えれば、楽しいだろうなーと思います。● 夕なぎ~私の時間~→ラテン系ミディアム・テンポの曲、秋元さんのアンニュイな声の魅力が光っています。これもカラオケで歌ってみたい曲● JAZZYな夜に→ジャズ系スロー・ナンバー、● ひだまり→「サウンド・オブ・ミュージック」の中の有名なナンバーで、ジャズのすタンダード・ナンバーでもある、「私のお気に入り(My Favorite Things)」を少し連想させる曲です。● フレース→山口百恵ちゃんの「秋桜(コスモス)」を思わせる最初のメロディー、少し歌謡曲寄りの歌です。● Mrs シンデレラ→これも歌謡曲寄りのミディアム・テンポの歌。● 希望の枯葉→ショパンのノクターンを思わせるピアノが美しい、秋の季節に沁みる曲です。● エデンの園で逢いましょう→ラテン系アップテンポの軽快な曲● いいじゃない、人生→秋元順子さんの人生、歌を象徴するようなシャンソン系バラード曲、以上、長々とアルバム楽曲について感想を書きましたが、この2枚のアルバムは、いずれの曲も聴き応え充分で、いいアルバムだと思います。この中でリュウちゃんがカラオケで歌ってみたいなと思う曲を最後に書いておきます。☆酔いしれて、☆NOROKE~惚け~、☆夕なぎ~私の時間~、☆希望の枯葉、☆エデンの園で逢いましょう、☆いいじゃない、人生、
2009年09月09日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回から、歌謡曲の黄金時代と致しまして、昭和20~30年代に活躍した女性歌手を辿ってみます。先ずはリュウちゃん最愛の歌手の一人、島倉お千代ちゃんです。島倉千代子は昭和30年、16歳の時、「この世の花」でデビュー、リュウちゃんの手元に、日本コロムビア創立60周年記念「島倉千代子大全集」という5枚組、60曲入りのLPレコード・アルバムがあります。日本コロムビアの創立は明治43年(1910年)10月1日だそうですから、このアルバムが発売されたのは、1970年(昭和45年)という事になります。昭和45年といえば、リュウちゃんが社会人になって2年目、島倉お千代ちゃんデビュー15年の年に当ります。先ず、このアルバムに収録されている曲をズーと挙げてみます。★この世の花、☆恋の蛇の目傘、☆しゃんこ花唄、★りんどう峠、☆山のけむりよ、いつまでも、☆おもいでの花、★東京の人よさようなら、☆乙女心の十三夜、☆乙女流しは寂しいね、★逢いたいなアあの人に、☆青い潮(青い潮に夢のせる)、☆青い潮〈牧場の姫百合〉、☆お千代の子守唄、☆永遠に答えず、☆里子月夜、☆雨の花笠、☆娘仲乗りさん、★東京だヨおっ母さん、☆お姉さんと呼んだ人、☆木曾の花駕篭、☆初恋の人さようなら、☆東山心中、☆忘れ得ぬ人★想い出さん今日は、★からたち日記、☆明日になれば、☆待ち呆けさん、☆なに見て泣いたエ、☆さよなら地蔵さん、☆おもいで日記、★哀愁のからまつ林、☆海鳴りの聞こえる町、☆白い小ゆびの歌、☆炭鉱(やま)の子守唄、☆遠い人、☆他国の雨、☆花散る下田、☆かるかやの丘、★襟裳岬、☆別れの唄、☆はるかなる道、☆十国峠の白い花、★恋しているんだもん、★夕月、☆裏町の唄、☆さよならとさよなら、☆おぼこ水車、☆あの橋の畔(たもと)で、★星空に両手を、☆ふたりだけの太陽、☆武蔵野エレジー、☆恋人さん、★新妻鏡、★ほんきかしら、☆涙の谷間に太陽を、☆そっとおしえて、★ほれているのに、★愛のさざなみ、☆わかれ、★すみだ川、この内、「新妻鏡」は、霧島昇・二葉あき子のデュエットがオリジナル、また、「すみだ川」は東海林太郎(台詞:田中絹代)がオリジナルです。霧島昇、二葉あき子、東海林太郎は、近い将来、改めて紹介させて頂く予定ですが,ここでは、お千代ちゃんの歌としてカウントしておきます。リュウちゃんがこのLP盤を購入したのが、昭和50年頃、確か、東京の有名な中古レコードショップで買い求めた記憶があります。前後して買い求めたひばりちゃんの「大全集」4卷と共に、結婚前のリュウちゃんの大の愛聴盤となりました。この、お千代ちゃんの「大全集」には、池田憲一氏の詳細なライナー・ノートと、お千代ちゃんの写真が50枚以上も掲載されてます。まさにLPならではの豪華盤、サイズの小さいCDでは考えられない事ですね、お千代ちゃんのデビュー曲「この世の花」は、作詞:西条八十、作曲:万城目正、戦前の「愛染かつら」、「純情二重奏」あたりからのコロムビアのゴールデン・コンビです。万城目さんは、ひばりちゃんの2作目にして最初の大ヒット曲、「悲しき口笛」の作曲者でもあるんですよ、特にひばりちゃんの初期の曲は、万城目さんの作品が多く、以前にリュウちゃんが数えたところでは、90曲以上の万城目作品がありました。お千代さんの万城目作品は、「この世の花」以外には、あまり有名な歌はありませんが、古賀政男、船村徹、米山正夫、上原げんと、古関裕而、遠藤実、市川昭介、浜口庫之助といった重鎮、新鋭作曲家が多数の曲を書いています。お千代ちゃんの歌は、三橋美智也、春日八郎、青木光一の歌と同じく、リュウちゃんがカラオケで歌い始めた昭和40年代の後半から、ズっと歌っています。初期のお気に入りの曲は、「この世の花」、「東京の人よさようなら」、「逢いたいなアあの人に」、「東京だヨおっ母さん」、それと、「哀愁のからまつ林」、この曲は、「東京だヨおっ母さん」と並ぶ船村徹=島倉千代子のヒット曲です。一番の歌詞〈作詞:西沢爽〉は以下のようです。涙あふれて はり裂けそうな胸を両手で 抱きしめるみえないの みえまいの背のびをしてもああ あの人は 行ってしまったからまつ林この歌の冒頭のメロディは、後年、大川栄作の大ヒット曲、「さざんかの宿」(作曲:市川昭介)の入りの伴奏とよく似ています。市川さんは、「さざんかの宿」の作曲に当り、陰影の濃い叙情性を出す為に、この「哀愁のからまつ林」のメロディが頭をよぎったのかも知れませんね。リュウちゃん、この歌を歌う時には、最初の一行の「涙あふれて」を一挙にクレシェンド、次ぎの「はり裂けそうな」では、すぐにメゾピアノ位に音量を下げ、最初の「はの言葉を2音(ドシ)で歌います。また、最後の「からまつ林」の部分の「からま」の最低音を充分に響かせ、「つ」は、その前の「ま」の音を受け継ぎ、「ミドー」と歌い、「最後の最後、「ばーやあアーあーやあしー」の部分は、伴奏より遅めのるバートを適度に掛けて、印象深く曲を終えるように心掛けています。最近10年くらいのお気に入りは「夕月」です。この歌は、かの「君の名は」の大ヒットのゴールデン・コンビ、菊田一夫=古関裕而の作品、これも大ヒットしたTVドラマ「あの端の畔で」の主題歌です。ここでは、2番の詞を挙げます。東京恋しや あの空にほのかに浮かんだ 夕月に山脈(やまなみ)越えて 都へゆこかゆけば会えるか しあわせに月にきいても おぼろ夜の雲にきけよと 答えるばかりこの2番の詞は、ドイツの詩人カール・ブッセの名詩「山のあなた」を連想させます。作曲者の古関裕而は、昭和10年に音丸の歌唱で発売した「船頭可愛いや」の大ヒット以来、コロムビアの重鎮作曲家、数々の歌謡曲の他に、早稲田大学応援歌「紺碧の空」、高校野球の歌「栄冠は君に輝く」、昭和39年の東京オリンピックの為の「オリンピック・マーチ」などを作曲しています。歌謡曲の作曲家としても、リュウちゃん最愛の一人、いつか、古関さんの特集を書いてみたいと思っています。「夕月」は、詞・曲・歌唱の格調の高さ、せつなさ、優しさ、まさに三位一体の名曲だとリュウちゃんは考えています。この5枚組LP以降のお千代さんの歌を以下に挙げます。このあたりの歌はリュウちゃん、これまで、あまり聴いてはいなかったのですが、最近、「人生はショータイム」や、「ゆずり葉の宿」、「柿の実ひとつ」などを聴き、新たにカラオケのレパートリーに加えたいという意欲が湧いてきました。☆美しきは女の旅路、☆竜飛岬、☆津軽の宿、☆流し唄、☆悲しみの宿(昭和50年、1000曲録音記念盤)、☆ひろしまの母、☆京都 北嵯峨 別れ寺、☆女がひとり、★鳳仙花、☆積木くずし(五輪真弓作曲)、☆夢飾り、☆母子星、☆くちべに挽歌、☆浅草メロドラマ、★人生いろいろ、☆ゆずり葉の宿、☆あの頃にとどけ、☆片瀬月、☆火の酒、☆ときめきをさがしに、☆花なら花らしく、☆人生はショータイム、☆柿の実ひとつ、☆北どまり、☆君、☆海かがみ、☆ちよこまち、☆風のみち、お千代ちゃんの歌唱は、部分的に少し音程がフラット気味で、ヴィブラートも、均一ではない、いわゆる「チリメン」ヴィブラート、しかし、あの独特の可憐な声の歌唱は、通常の歌手であれば欠点になる筈のところを、余人の追随を許さない「お千代節」として、類の無い魅力的なものになっているのです。いわば、「永遠の乙女」の歌唱ですね、お千代さんより1歳年上のひばりちゃんの歌唱は、20歳前後で、娘らしい「ひばりちゃん」の歌唱から、演歌の女王たる美空ひばり様の歌唱に大きく変貌しましたが、お千代ちゃんの歌唱は、16歳のデビュー当時から、70歳を過ぎた現在まで、ちっとも変わらない、「永遠の乙女」の歌唱なのです。テレビ等で拝見するお千代ちゃんのキャラも、全く偉ぶることの無い、自然体の(少し天然ボケの)感じがして、素敵なのです。「永遠の乙女」、お千代ちゃんに乾杯!です。今回はお千代ちゃん一人になってしまいましたが、次回は「歌謡曲の黄金時代(4)」と致しまして、この頃の女性歌手特集を予定しています。★ ☆追加★ →19曲、☆→69曲、計88曲。累計★→316曲、☆→344曲、合計660曲です。
2009年09月06日
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総選挙が終わりました。結果は、事前のマスコミの予測通り、民主党圧勝、リュウちゃんも、一応、選挙に行き、「清き1票」を投じましたが、あれだけ事前予測がはっきりとしている中で、いまさらリュウちゃんが選挙に参加しようがしまいが、全く大勢には無関係、今回も1票の軽さに空しさを感じながらの投票になりました。いずれにせよ、民主党安定政権の出現で、日本の官僚支配の構図にドラスティックな風穴が開く事を期待!です。それにしても、総選挙と同時に行われた最高裁判所裁判官の国民審査は、全くニュースになっていません。日本は民主主義の国で、司法、立法、行政の三権分立の国の筈です。この三権の内、立法府は今回の選挙結果のように、私達の総選挙の投票行動を通じて、かなり間接的ではありますが、国民がチェックする事が可能です。行政府も、立法府の国民チェックを通じて、またまた間接的ではありますが、チェック可能です。それに対し、司法府のチェックの場は事実上、全く無いに等しいとリュウちゃんは思います。唯一のチェックのチャンスである最高裁判所裁判官の国民審査も全く形骸化しています。過去、最も不信任率が高かった最高裁判事で不信任率が15%ちょっと、これでは、この制度は全く無意味ですね、これでは裁判官は、どのような不当判決を出したとしても、国民のチェックの埒外で、のうのうと生きていけるわけです。最近の足利事件のような冤罪事件でも、裁判官の怠慢による冤罪である側面が相当あるのではないかと、リュウちゃんは考えています。このような裁判官の怠慢による不当判決を、国民としてチェックする方法はないのか?それは、裁判官弾劾制度です。最高裁判事国民審判制度が全く機能していない現在、日本国民が不良裁判官を司法の場から排除する唯一の方法であり、日本の民主主義の根幹の一つである司法を国民がチェックする唯一の方法のようです。実は、リュウちゃん、以前のブログで本人訴訟を提起していると書きましたが、その中で、一審の判決を下した判事に対し、弾劾申請を考えています。あまりに無責任な判決に対しては、この方法の他に裁判官の責任を問う方法が無いからです。リュウちゃんの申請、司法の場に一石を投じられるか否か?乞う!ご期待です。
2009年08月31日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回は歌謡曲の黄金時代(2)といたしまして、三橋美智也、春日八郎と同時代の男性歌手についてお話したいと思います。これらは、いずれもリュウちゃんが幼・小学校時代に、ラジオや近所の兄ちゃんの家のレコード(もちろん、SP盤)で聴いた歌です。カラオケ時代が幕を開けて、まず最初にリュウちゃんが歌おうと思った歌が、このような昭和20年代後半から30年代前半の歌の数々だったのです。青木光一の歌は、三橋美智也、春日八郎の歌と並んで、カラオケ幕開け当初から現在に至るまで、ずっと歌っている歌なのです。特に「柿の木坂の家」は、リュウちゃんにとって、三橋美智也の「お下げと花と地蔵さんと」と並ぶ、ふるさと歌謡曲の二大名曲なのです。歌詞(石本美由起)は以下のようなものです。春には柿の花が咲き秋には柿の実が熟れる柿の木坂のあの娘の家よ思い出すなアふるさとのヨ乗り合いバスの悲しい別れリュウちゃん、この歌を歌う時には、中間部の「思い出すなア」で、ため息をつくように声を落とし、しみじみと歌う、最後の「悲しい別れ」の部分では、各言葉を充分に伸ばし、伴奏のリズムにとらわれず、決然と歌うように心がけています。「男の友情」は、かなり後から覚えた歌です、一番の歌詞(高野公男)は以下のようなものです。昨夜(ゆんべ)も君の夢見たよなんの変わりもないだろね東京恋しやいけぬ身は背伸びして見る遠い空段々畑のぐみの実もあの日のままにうるんだぜ作詞の高野公男は、大作曲家、船村徹の、春日八ちゃんの「別れの一本杉」以来の盟友、この詞は、26歳で肺結核で国立水戸病院で亡くなった高野の遺品のメモの中にあったそうです。船村は、この詞にメロディを付け、青木光一がレコーディングしましたが、その後、この歌は、船村の高野公男に対するレクイエムとして、船村のスペシャル番組の最後に必ず自らのギター伴奏で歌うようになりました。歌謡曲史上、最も美しい友情の絆が結晶した歌として、まさに不滅の名歌となったと、リュウちゃんは考えています。それにしても青木光一さん、現在83歳になりますが、本当にお元気ですね、先般のテレビ東京系の石本美由起追悼番組の最後に「柿の木坂の家」を歌ったのですが、声の張りと艶は往年のままでした。青木光一は、昭和20年~24年までシベリア抑留、昭和25年、「若い嵐」でコロムビアからデビュー、★小島通いの郵便船、★早く帰ってコ」(船村徹のコロムビア・デビュー曲)、★男の友情、★僕は流しの運転手、★柿の木坂の家、★月のおけさ船、☆ぐみの木峠、☆ふるさと列車、☆港の乾杯、☆青春パソドブルコロムビアの「光一さん」と比べると、ビクターの「洸一さん」は会社のカラーに合わせてか、都会的ですね、田舎者のリュウちゃんとしては、「光一さん」のほうが体質に合ってはいますが、「洸一さん」の「踊子」は好きな歌で、今でもよく歌います、この歌は、川端康成の短編小説「伊豆の踊子」からイメージされた曲だと思われます。「伊豆の踊子」は、戦後5回映画化されました。ヒロインの踊子には、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、山口百恵、ですが、この内、主題歌があるのは、美空ひばり、吉永小百合、それと百恵ちゃんです。歌の格調の高さでは、ひばりちゃんが群を抜いていると思っています。三浦 洸一は、昭和28年、「さすらいの恋唄」でビクターからデビュー。★落葉しぐれ、★弁天小僧、★東京の人、★踊子、☆郵便船が来たとヨー、☆街燈、☆ああダムの町、藤島桓夫さんの歌は、「お月さん今晩は」と「月の法善寺横町」がリュウちゃんの二大オハコ曲、最近、アルバムを聴いてみましたが、ほとんどの曲が聴いた記憶があるのには我ながら驚きました。リュウちゃんの少年時代の記憶は、まだまだ埋もれている部分が多いのだなと思います。藤島 桓夫は、昭和25年、「ああ東京へ汽車は行く」でデビュー☆初めて来た港、★帰りの港、★お月さん今晩は、★アンコなぜ泣く、☆村の駐在所、☆さよなら港、☆流し舟唄、☆凧々あがれ、★月の法善寺横町、☆若い元気なお相撲さん、鶴田浩二さんの歌で、リュウちゃんが最初にカラオケで歌ったのは、確か「街のサンドイッチマン」だったと思います。股旅物の「弥太郎笠」は、橋幸夫さんの企画アルバムで感激してから、よく歌うようになり、最近のリュウちゃんは、鶴田さんの歌といえば、先ず「弥太郎笠」なのです。「花の小次郎」もいい歌で、常々、歌いたいなと思っているのですが、まだ映像カラオケでお目にかかった事がありません、残念です。コロムビアで美空ひばりちゃんと2曲のデュエット曲があります。「頬よせて」は、ひばりちゃんの項で挙げましたので、以下の鶴田さんのリストでは、もう一曲を挙げておきます、「夢の花かげ」です。鶴田浩二は、昭和27年、「男の夜曲」で歌手デビュー、☆夢の花かげ、☆ハワイの夜、★赤と黒のブルース、★街のサンドイッチマン、★好きだった、★弥太郎笠、☆花の小次郎、★傷だらけの人生、曽根さんの「若いお巡りさん」を作詞した井田誠一氏は八王子市出身、リュウちゃんが東京勤務時代によく足を運んだ高尾山山頂のお寺の中に歌碑が建てられています。真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺という、長く厳めしい名前の寺院の境内に建てられている歌碑は、何だか場違いな感じもしますが、当時、それほどこの歌が大ヒットした証(あかし)なのでしょうね。曽根史朗は昭和29年、「雪之丞変化の唄」で、ポリドールからデビュー★若いお巡りさん、白根一男もリュウちゃんにとっては、少年時代の、おぼろげな記憶の中にある歌手です。「次男坊鴉」は、かなり早い段階から、よく歌っていました。その時にも、代表作「はたちの詩集」を歌いたいなと常々考えていまして、何度か挑戦しましたが、未だに満足に歌えた記憶がありません。中間部の台詞(白根さんも、この台詞は早口過ぎて、あまり上手くはありませんが)はさておき、リュウちゃんにとっては、岡晴夫の「逢いたかったぜ」と並ぶ二大難曲なのです何故なのかな?「母恋椿」は、つい最近、初めて歌いました。この歌、白根一男さん本人の作曲なのです。森進一の「おふくろさん」と違って、母に対する追慕の情がストレートに伝わってくる、いい曲です。森昌子の「おかあさん」に近い歌だと思っています。白根一男は、昭和28年、「夜霧の酒場」でデビュー、★はたちの詩集、★次男坊鴉、☆君恋いギター、★母恋椿、☆青春は雲の彼方に、☆浜松ブルース、少し天邪鬼な気(け)のあるリュウちゃん、津村謙も、誰もが歌う「上海帰りのリル」よりも、「流れの旅路」が一番のお気に入りの曲です。この曲も幼児期に聴いて、メロディは知っていましたが、鶴田さんの「弥太郎笠」と同じく、橋幸夫さんの企画アルバムを聴いてから、すっかりハマったのです(橋さんは、この意味でも、凄い歌手だったのです)また、「東京の椿姫」は、このブログによく出て来ます渋谷警察裏のカラオケ酒場「季味」のママ、キミちゃんから教えてもらいました。このキミちゃん、以前は某・大手証券会社のシニア・アナリストをやっていたという女性で、歌の勉強も相当なもので、リュウちゃんも教えられる事が多いのです。これまでキミちゃんに教えてもらった歌を挙げますと、菅原都々子「憧れは馬車に乗って」、奈良光枝「白いランプの灯る道」、岡本敦郎「自転車旅行」、藤島 桓夫「さよなら港」、若原一郎「山陰の道」などがすぐ浮かびます。その代わりにリュウちゃんからは、ひばりちゃんの「唄祭り八百八丁」や「急行青森行き」や「江戸の闇太郎」などを教えてあげたのです。最近、津村さんの「全曲集」のCDを入手して聴きましたが、彼の声は生前、「ビロードの声」と云われていたそうで、美しく、柔らかい声ですね、この「全曲集」で、「月夜の笛」を聴いた時は、少し感動しました。リュウちゃんの幼・少年時代の埋もれていた懐かしい記憶が、また一つ明らかになったのです。歌のタイトルも忘れていましたが、歌を聴いた途端、幼年時代にタイムスリップしたのです。いやー、歌って凄い!ですね。津村謙は、昭和26年に発表した「上海帰りのリルが大ヒット、★流れの旅路、★上海帰りのリル、★東京の椿姫、☆緑の牧場、☆夜汽車の女、☆流れの踊子、☆リルを探してくれないか、★待ちましょう、☆紅椿の歌、★あなたと共に、☆月夜の笛、岡本敦郎さんの歌は、リュウちゃんが20代の頃には、「白い花の咲く頃」一辺倒でした。40代のある日、NHKラジオで、古関裕而の作曲した歌の特集番組があり、そこで放送された「花のいのいは」という歌にシビれてしまったのです。この歌は、岸恵子=佐田啓二主演の映画「君の名は」の第3部の挿入歌のようで、岸恵子さんの歌声が聞ける唯一のものです。この歌も映像カラオケに入ることは、当分期待薄ですね。岡本敦郎は昭和21年、ラジオ歌謡の「朝はどこから」でデビュー★自転車旅行、★白い花の咲く頃、★あこがれの郵便馬車、★高原列車は行く、★ピレネエの山の男、☆花のいのちは(岸恵子とデュエット)今回は、前回の三橋美智也。春日八郎に続き、「歌謡曲の黄金時代」の男性歌手を取り上げましたが、次回は、「歌謡曲の黄金時代(3)」といたしまして、島倉千代子さんをはじめとする女性歌手を取り上げたいと思っていますので、乞う、ご期待です。今回の★☆今回追加分★33曲、☆26曲これまでの累計★297曲、☆275曲、計573曲です。
2009年08月30日
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昨日、三重県名張市にある赤目四十八滝に、奥さんと二人でハイキングに行って来ました。赤目四十八滝は、奈良県と三重県の県境の三重県側にあり、リュウちゃんの家から車で1時間余りで行けます。この前の尾瀬行きの時と同じように、奥さん手作りのおにぎりと、缶ビール2缶を保冷剤を入れたジャーに入れ、奥さん運転の車で、午前9時過ぎに赤目へ向けて出発しました(あっ、リュウちゃん、恥ずかしながら運転免許を持っていません、理由は、飲べえの為、飲酒運転をする恐れがある事と、少し眼が悪い為、免許を取っていないからです)赤目四十八滝は、名張川の支流である滝川の上流の渓谷に約4キロメートルに及ぶハイキング・スポットです。その名の通り、多数の滝があります。比較的大きい赤目5滝を入り口のオオサンショウウオセンターに近い順に紹介しますと★ 不動滝→高さ15メートル、幅7メートル、★ 千手滝→高さ15メートル、幅4メートル★ 布曳滝→高さ15メートル、細い一筋の水が、白布を垂らしたように、優美 に斜めに流れ落ちる。周囲三方は50メートルを超える垂直な断崖、周囲50メートル程の滝つぼは、何と30メートルもの水深があるらしいのですよ!リュウちゃん、赤目の滝の中では、この滝が一番のお気に入りなのです。★ 荷担滝→高さ8メートル、中央の巨岩が水流を2つに分けている滝、★ 琵琶滝→高さ15メートル、昨日は、午前11時に入り口のオオサンショウウオセンターを出発、正午少し前に、リュウちゃん定番の昼食スポットである縋藤(スガリフジ)滝近くの茶店に着き、ここで持参したおにぎりと缶ビール(レギュラー缶)2缶で昼食、やはり、ビールを持参してきて良かった!本日は茶店が休業(廃業したのかな?納涼床の床板が剥がされていました)、いつも。ここで缶ビールを購入していたのですが、去年来た時には、レギュラー缶が一本400円、これ、尾瀬の入り口の鳩待峠での代金と同じ、保冷剤をタップリいれたジャーのお陰で、ビールが氷点下くらいまで、よく冷えている!ヒャー、冷たい!うまい!で、ビール2缶飲んだ勢いで、そこから500メートル程上流にある荷担滝まで上り、そこが本日のハイキングの終着点(大体ここがリュウちゃんの終着点なのです)、ここから、かなり早足で、入り口のオオサンショウウオセンターに戻りついたのが午後2時過ぎ、往復6キロ弱の行程を約3時間での渓谷ハイキングでした。関西方面に在住の方には御馴染みの赤目四十八滝ですが、街中から僅か1時間くらいの所に、こんな別天地があるなんて、リュウちゃん、何度行っても信じられない思いです。滝の美しさは勿論の事、ハイキング道の周囲を囲む50メートルを超える断崖、周辺の太古の息吹きを感じさせる鬱蒼とした樹木、滝川の中の苔むした奇岩・巨岩の荘厳さ、街中とは約10度低く、真夏でも涼やかな大気の爽快さ、リュウちゃんにとっては、赤目四十八滝こそは、まさに心と身体のオアシスなのです。また、秋の紅葉の季節にハイキング予定、ここは屈指の紅葉の名所なのです。今回のブログに、デジカメで撮った滝の写真を入れようと思ったのですが、何しろパソコン音痴のリュウちゃん、写真をブログに入れる方法が判りません。どなたか詳しい方、ブログ初心者のリュウちゃんにコメントで御教示頂けないでしょうか?お待ちしています。このハイキング中、ウォークマンで秋元順子さんの新曲「黄昏Love again」を何度も聴きました。これもいい歌ですね、近々カラオケで歌ってみます。
2009年08月27日
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こんにちは、リュウちゃんです。小学校3年生の頃でしたか、リュウちゃんの住んでいた二見が浦の僻地の村に、何と!「三つの歌」がやって来たのですよ!「三つの歌」といえば、当時、「のど自慢」と並んで、人気絶頂の聴取者参加型ラジオ音楽番組、司会は、後に参議院議員になった宮田輝(宮田輝は、この頃、「のど自慢」の司会も兼ねていました)こりゃ、凄いや、リュウちゃんが住んでいる小さな村に、あの「三つの歌」が来るなんて!しかし、待てよ、司会者の名前が宮田輝ではなく、宮田朗となっているな、はてな?ピアノの天池真佐雄の名前も出ていないし、おかしいなー、でも、せっかくラジオで全国放送されるかも知れない、めったに無い機会、出場してみるか、という軽いノリで、リュウちゃん、この「三つの歌」に出場したのです。当日は、入場料50円を払って入場、先ず、映画を一本観てから、待ちに待った「三つの歌」、出場者コーナーを見ると、小学生はリュウちゃんただ一人、他は皆、村の青年団のお兄さん、お姉さん、リュウちゃんの順番が来て、名前を呼ばれて勢いよくステージに上がると、司会の宮田朗さん、「お元気そうなお坊ちゃんですね」と、東京弁でコメントしてくれました。小学生とあって、出題される曲は童謡や唱歌ばかり、リュウちゃん得意の(?)歌謡曲は一曲も出題されませんでした。結果、一曲のみ歌えて、不二家のミルキー一個を賞品として貰い、喜んだリュウちゃんなのでした。後で考えてみますと、もちろんNHKの超人気番組に便乗した偽「三つの歌」でしたが、同時に出場した青年団のお兄さん方に、宮田朗アナウンサーが、「あなたのお好きな歌手は誰ですか?」と質問したところ、ほぼ異口同音に、「三橋美智也」、「春日八郎」という答えが返った事を、まるで昨日の事のように鮮明に記憶しているリュウちゃんなのです。リュウちゃんの小学生時代には、それ程この二人の歌が日本中を席巻していたのです。リュウちゃんが三橋美智也、春日八郎の曲をカラオケで歌い始めたのは、それこそ、業務用カラオケが始まってまもなくの時期でした。かれこれ40年前の事、考えて見れば、三橋美智也、春日八郎の歌こそは、リュウちゃんの「懐メロ・カラオケ人生」の原点だったのです。最初は、圧倒的に三橋美智也の歌が多かったのです。中でも、「お下げと花と地蔵さんと」は、田舎から上京したリュウちゃんの当時の心情にピッタリの曲で、三橋さんの歌の中でも、一番歌った回数が多い曲なのです。「指をまるめて覘いたらー黙って皆泣いていたー」、東条寿三郎に詞が心に沁みます。後半の「呼べば遠くでさようならー」の部分は、木霊(こだま=エコー)になるように、マイクを少し離して歌っています。続いて「母恋吹雪」、「酔ってくだまく父さの声を、逃げて飛び出しゃ、吹雪の夜道、、、」、リュウちゃんの年代から考えても、遥か昔の心象風景なのですが、心のDNAに、遥か昔の風景が受け継がれているのでしょうか、何かピッタリとハマる歌詞なのです。あとは、以前のブログでも書いた「ギター鴎」、最初の2節で、2オクターブ近く上がる難曲ですが、あの悲壮感が堪らない名曲です。あと「リンゴ村から」、「古城」この辺の歌は、リュウちゃんが三橋美智也をまとめて歌う日に、いちばん最初に歌う歌なのです。そして、最後の締めはデュエット曲の「お花ちゃん」、しかし、最近のカラオケ店では、この歌を知っている女性客がなかなかいないので、残念なのです。どなたか「お花ちゃん」をデュエットして下さる方、居ませんかね?あと、「男涙の子守唄」、リュウちゃんの心に残る一番懐かしい三橋さんの曲です。中間部に雲井竜雄(でしたか?)の「子捨て」の詩吟が入るのですが、ここは、詩吟の素養の全く無いリュウちゃんにとっては難物で、少しごまかして歌っていた記憶があります。最近の映像カラオケでは、この曲を見かけないのが非常に残念です。最近、三橋さんのベストCDで、「東京の鳩」という歌を知り、お気に入りの曲になったのですが、この歌も映像カラオケでは見かけません。どこかのカラオケに入っているのですかね?三橋美智也は昭和29年、「酒の苦さよ~新相馬節」でデビュー、翌、昭和30年、「おんな船頭唄」が大ヒット★ おんな船頭唄、★ご機嫌さんよ、達者かね、★ああ新撰組、★あの娘が泣いてる波止場、★リンゴ村から、★哀愁列車、★男涙の子守唄、☆玄界船乗り、★お花ちゃん、☆君は海鳥渡り鳥、★母恋吹雪、★俺ら炭鉱夫、★東京見物、★一本刀土俵入り、★お下げと花と地蔵さんと、★おさらば東京、★夕焼けとんび、★赤い夕陽の故郷、★ギター鴎、★古城、★達者でナ、☆石狩川悲歌、☆センチメンタル・トーキョー、★星屑の町、☆東京の鳩★ 20曲、☆5曲、計25曲春日八郎は、リュウちゃんがカラオケを始めた頃には、デビュー曲の「赤いランプの終列車」、「雨降る街角」、それと、高野公男=船村徹の出世作、「別れの一本杉」くらいしか歌っていませんでしたが、数年前、以前通っていた渋谷警察裏のカラオケ酒場「季味」で、リュウちゃんより10歳位年上の紳士のお客さんが「あれから10年たったかなァ」という歌を味わい深く歌うのを聴いて、「おっ、八ちゃんも、まだまだリュウちゃんが知らないいい歌があるのだ」と思いました。それから、春日八郎に少しハマりまして、いろいろCDを聴き、下記に挙げたような歌を歌うようになったのです。20代の頃のカラオケ事始めの時期には、圧倒的に三橋さんの曲が多かったのですが、現在では、八っちゃんの曲が三橋さんの曲を圧倒しているのです。「あれから十年たったかなァ」の一番の歌詞(作詞:矢野亮)は、こんな具合です。暗い下宿の4畳半友と二人で手を取り合ってきっといつかは陽が照ると泣いて誓ったあの夜からああ、もう十年たったかなァリュウちゃんが就職した昭和40年代に地方から東京に出てきた若者は、現在のようなマンションなんて物はありませんでしたので、大体4畳半か6畳の下宿かアパートに入居するのが一般的でした。その狭く、決して清潔とはいえない住居で、「よし、俺も今に出世して、大きな一戸建ての家に住むのだ」なんて考えていたものでしたが、この歌は、そんな当時の若者の心情をよく表していると思います。尚、作曲の渡部実は、確か、春日八郎のペン・ネーム、この歌は八ちゃん本人の作曲によるものです。あと、最近ハマっているのは、「月の嫁入り舟」、これ、本当にしみじみとしたいい歌なのです。最近、リュウちゃんが聴いて大感激した歌で、昔はこのような名曲がいっぱい作られたのですね、この曲はリュウちゃんのような素人が歌うのは、かなり難しいのですが、頑張って定番レパートリーにしたいと思っています。春日八郎は、昭和27年、「赤いランプの終列車」でデビュー若原一浪と共に「キング三羽烏」と呼ばれ、キングレコード黄金時代を創った。★ 赤いランプの終列車、★雨降る街角、★街の灯台、☆ギター流し、★お富さん、★裏町夜曲、★瓢箪ブギ、☆青い月夜だ、☆島の灯台、☆博多流し、☆ふるさと郵便、☆別れの駅にベルが鳴る、☆嘆きの城ヶ島、☆旅の灯台、★別れの一本杉、★月の嫁入り舟、★浮草の宿、☆トチチリ流し、☆雪之丞変化、☆俺と影法師、★別れの波止場、★あん時やどしゃ降り、★ごめんよかんべんな、★別れの灯台、★居酒屋、★山の吊端、★あれから十年たったかなァ、★足摺岬、☆長良川旅情、☆長崎の女(ひと)、★ロザリオの島、★ 22曲、☆13曲、計35曲あと「キング三羽烏」の若原一郎、代表曲は「おーい中村君」ですが、前述の渋谷のカラオケ酒場「季味」にリュウちゃんが行きますと、ママが必ず「山陰の道」をリュウちゃんの為に入れてくれるのです。これは、いわゆる抒情歌ですが、リュウちゃんの声には、この歌がピッタリ合うとママは考えているようです。若原一郎は昭和24年、「舟に灯がつきゃ」でデビュー★おーい中村君、☆吹けば飛ぶよな、★山陰の道、☆アイヨ何だい三郎君(「おーい中村君」のアンサー・ソング)今回★☆追加三橋美智也→★20曲、☆5曲春日八郎→★22曲、☆13曲若原一郎→★2曲、☆2曲これまでの★☆累計★264曲、☆249曲、合計513曲(やっと500曲を超えました)次回は、「歌謡曲の黄金時代(2)として、青木光一などの歌についてお話したいと思います。
2009年08月22日
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今週月曜日、尾瀬に女房と二人で行ってきました。尾瀬湿原は、何と。群馬、福島、新潟、栃木の4県にまたがっている湿地帯である事を初めて知りました。(何か、凄いですねー)当日は、以前紹介した沼田市の「明るい未来」宅を午前8時に出発、乗り合いバスで1時間半かけて、戸倉に行き、そこからシャトル・バスで、約45分で鳩待峠着(午前11時ジャスト着)ここから尾瀬湿原の入り口まで3,3キロの下り、エネルギー源としてアサヒ・スーパードライ(ロング缶、500円!)を飲み干し、勇躍、尾瀬に向かいました。 約45分で湿原入り口に至る、ここで、持参した愛妻特製のおにぎり+アサヒ・スーパードライ・ロング缶(ここでは、何と580円!)で昼食、正午ジャストに尾瀬湿原に入る、前には標高2356メートルの焼ヶ岳、背後には標高2228メートルの至仏山、尾瀬湿原の標高は、大体1500メートル、 木道を歩く事約1時間、2,5キロの地点で帰りの時間を考慮し、引き返す、鳩街峠から往復10、6キロの行程、涼風が肌に心地良い、この行程距離、上高地一周とほぼ同じなのです。一日ハイキングとしては適度な距離(少し短いかな?)でした。 でも、でも、、「夏の想い出」(江間章子の詞)にあったミズバショウの花が咲いていない!「夏が来れば思い出す、、」なのに!思い出せないではないですか! 後で調べたら、ミズバショウは初夏(6月)までだそうです。リュウちゃん、尾瀬散策中には、最近お気に入りの秋元順子さんのCD2枚分を、フラッシュメモリー型ウォークマンに入れ、ズーと聴いていました(リュウちゃんの歌の覚え方は、このウォークマンで繰り返し聴いて、心に落とすことなのです。前回、奈良の行きつけのカラオケ店でメロメロだった秋元さんの曲も、これで次回は完璧に歌えるぞ!)でも。やっぱり尾瀬には、秋元さんの歌より、中田喜直さんの「夏の想い出」のほうが似合うなー、というのが、リュウちゃんの感想でした。いよいよ秋近し、天高く馬肥える秋、柿食えば、鐘が鳴るなり法隆寺の秋、歌謡曲の秋(あまり関係ないか?)です。
2009年08月19日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回は、高校時代から急に幼・少年時代にさかのぼって、山川惣治さんの時に書ききれなかった漫画の話をしたいなと思います。小学校3年生頃から、月刊少年漫画誌、「おもしろブック」を父親に毎月買って貰えるようになりました。当時は現在と違って、少年誌は全て月刊、「おもしろブック」(集英社)の他に、「少年画報」(少年画報社)、「少年」(光文社)、「冒険王」(秋田書店)、「少年クラブ」(講談社)などが、お互いに部数を競っていました。リュウちゃんが、数ある少年誌の中で、「おもしろブック」を選んだのは、山川惣治さんの「少年王者」が連載されていたのが一番の理由なのですが、「少年王者」と並んで、杉浦茂の「猿飛佐助」がお気に入りだった事も大きな理由だったと思います。当時、「おもしろブック」に連載されていた漫画で、いまだに記憶に残っているものを、例によってズーと挙げています。夢野凡天「平助伝六捕物帖」、高野よしてる「黒帯くん」、益子かつみ「白星くん」。山根一二三「ごろっぺ」、吉田竜夫「プロレス五郎」、馬場のぼる「ポストくん」、岡友彦「飛竜夜叉」、小松崎茂「大平原児」、貝塚ひろし「くりくり投手」、それと、杉浦茂の「猿飛佐助」、「少年西遊記」。リュウちゃん、「猿飛佐助」連載時は、かなり幼児期で、全部は読んでいないのですが、真田十勇士は別にして、徳川方の忍者のキャラクターが非常に面白かったです。記憶している限り、キャラクター名を挙げてみます。「コロッケ五円の助」、「がんも十円の丞」、「ふうせんガム助」、「大手むちゃの助」、「おもしろかおざえもん」、「玉乗り小僧」、「うどん粉プップの助」、まだいた筈、どなたか詳しい方、教えて頂けないでしょうか?「少年西遊記」は、山川惣治の「少年タイガー」と同じように、始めから終わりまでリアルタイムで読んだ唯一の杉浦マンガです。リュウちゃんとしては、このマンガの三蔵法師、猪八戒、沙悟浄と唐天竺に旅に出る以前の話が大変面白かったのです。暴れん坊の孫悟空を大人しくさせる為に、お釈迦様は孫悟空に「ヒツバオン」という天上の官職を与えるのです、最初は、もっともらしい官職名に喜んでいた孫悟空でしたが、仕事の内容が3日に一度、天馬に一粒の餌を与えるだけの閑職と知って、またまた怒り狂い大暴れ、天の宮殿に植えてある人の赤ちゃんの形をした人参果という、一個食べれば千年は長生きするという貴重な果物を食べ尽くしてしまうというようなエピソードが、杉浦さんの絵とマッチして、大変印象に残っています。杉浦茂の漫画は、「おもしろブック」連載の上記2作品の他に、「ドロンちび丸」、「少年児雷也」、「モヒカン族の最後」などを熱中して読みました。最近、少し気に掛かっている事があります。それは、戦前に発表された坂本牙城という作家の「タンク・タンクロー」という漫画のキャラクターが、杉浦さんのキャラクターとそっくりであるという事です。「タンク・タンクロー」が「幼年倶楽部」に連載されたのが、昭和8年から昭和13年との事、杉浦さんの「猿飛佐助」が「おもしろブック」に連載されたのが昭和29年からですから、連載開始の時期に約20年の隔たりがある訳ですが、それにしても、よく似たキャラクターです。「タンク・タンクロー」と「猿飛佐助」の関連について、どなたか詳しい方、御教示頂けないでしょうか?(「タンク・タンクロー」の胴体は、益子かつみの「さいころコロ助」ですね、これも影響があるのでしょうね?)「タンク・タンクロー」は東京都あきる野市の市広報誌のキャラクターになっているそうです。あきる野市といえば、従妹の平沢(旧姓)真知子ちゃん、お元気ですか?「おもしろブック」の別冊付録として「ライオンブックス」というシリーズがありまして、これが非常に面白かったという記憶があります。中心となる作家は手塚治虫、記憶に残っているタイトルを挙げてみますと、「緑の猫」、「白骨船長」、「複眼魔人」、「恐怖山脈」、「オリオン137星」、「来るべき人類」、、既に月刊誌「少年」で「鉄腕アトム」の連載が始まっていましたが、この「ライオンブックス」での一連の手塚作品は、後年の大人向けのSF漫画の嚆矢となったと思われるもので、リュウちゃん、本当に興奮して読んだ記憶があります。「ライオンブックス」では手塚さんの他に、うしおそうじの作品などもあったようです。うしおそうじは、リュウちゃん、他誌連載ではありましたが、「朱房の小天狗」という捕物漫画の大ファンでした。未完に終わった「チョウチョウ交響曲」なども読んでみたい作品です。「おもしろブック」以外の月刊誌連載の漫画では、横山光輝の「鉄人28号」、手塚治虫の「鉄腕アトム」、堀江卓の「天馬天兵」、「矢車剣之助」、武内つなよしの「赤堂胴鈴之助」などを愛読していました。これは、同年代の友達との漫画誌の回し読みをして読んだのです。リュウちゃんは「おもしろブック」、A君は「少年」、B君は「少年画報」、C君は「冒険王」といった具合です。手塚治虫の作品に、杉浦茂の「少年西遊記」と同じ題材の「ぼくの孫悟空」という漫画がありますが、この頃のリュウちゃんは、断然、杉浦派だったのです。山川惣治と杉浦茂は正に正反対の作風ですね。山川さんは、細い線による細密画、内容的には、シリアス・ドラマ、杉浦さんは太く単純は線によるナンセンス・コメディ、(「細い線」といえば、エドワード・S・アタイアのサスペンス・ミステリー、杉浦さんの漫画のどこかで、この作品が挿入されていた記憶があります。これ、どの漫画だったのかな?知った方がいらっしゃれば、ご教示お願いいたします)しかし、リュウちゃんは、この両極端な作風の二人の作家に、同時に入れ込んでいたのですよ、リュウちゃん、幼時から、趣味の幅が広かったのだ!今回は歌謡曲の話は出てきませんでしたが、次回は、この幼年時代の話を前フリとしまして、いよいよ懐メロ歌謡曲の黄金時代、三橋美智也、春日八郎、青木光一、島倉千代子等、昭和20~30年代の歌に迫る予定、乞う!ご期待です。
2009年08月15日
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リュウちゃんのプロフィール5~高校編(1)では、舟木一夫さんと吉永小百合ちゃんの歌を紹介しましたが、同じ時期に聴いていた他の歌手にも、ここで触れておきます。三田明は、橋さんに続くビクター青春歌謡のトップ・アイドルでしたが、橋さんと比べると、やや線が細い、2番手歌手だったように思います。ただ、小百合ちゃんとのデュエット曲「若い二人の心斎橋」(小百合ちゃんの項で出したので、ここでは挙げていませんが)は、いい曲です。リュウちゃんとしては、橋さんとのデュエット曲「いつでも夢を」と並ぶ大好きな曲なのです。★ 美しい十代、★ごめんねチコちゃん、☆スキー仲間、☆恋人ジュリー、☆カリブの花、☆安寿と厨子王この頃の青春歌謡の中で、いまでもリュウちゃんがよく歌っている歌を、下記に挙げます。松島アキラ★ 湖愁梶光夫★ 青春の城下町、★可愛いあの娘、★わが愛を星に祈りて(高田美和とのデュエット)久保浩★ 霧の中の少女、山田真二★ 哀愁の街に霧が降る安達明★ 女学生平尾昌晃★ ミヨちゃん、和泉雅子、山内賢★二人の銀座(ベンチャーズ)以下は、当時のテレビ番組、「シャボン玉ホリディ」で聴いた歌手と歌で印象に残っているものです。ザ・ピーナッツ★ 可愛い花、★情熱の花、☆ふりむかないで、☆若い季節、☆恋のバカンス、☆かえしておくれ今すぐに、☆恋のフーガ、★心の窓にともしびを森山加代子☆月影のナポリ、☆メロンの気持ち、★じんじろげ、☆ズビズビズー、☆ポケット・トランジスタ、☆五匹の仔ブタとチャールストン、☆白い蝶のサンバ、植木等は、リュウちゃんと同じ、三重県伊勢市出身、これらの曲も、カラオケで歌ったというより、当時口ずさんでいた曲なのです。★スーダラ節、★はい、それまでよ、☆ドント節、★だまって俺についてこい、☆無責任一代男、★シビレ節、★五万節田辺靖男☆ ヘイ・ポーラ、☆けんかでデート、★いつもの小道で、以下はナベプロ三人娘、以前のブログで書きましたが、リュウちゃんは、「園まり」様が大大大ファンなのです。中尾ミエ★可愛いベイビー、伊東ゆかり☆ロコ・モーション、☆ボーイ・ハント、★砂に消えた涙、★小指の想い出、★恋のしずく、★朝のくちづけ、園まり★ 何も云わないで、★逢いたくて逢いたくて、☆あなたとなら、☆何でもないわ、☆やさしい雨、★夢は夜ひらく、☆帰りたくないの、☆つれてって、☆ひとりにしないで、☆泣きぬれて、西田佐知子は、ノンフィクション作家の上前淳一郎の書いた美空ひばりの評伝「イカロスの翼」によれば、ひばりちゃん育ての親の福島通人が、ひばり2世として、「浪花けい子」の芸名で、演歌でデビューさせたらしいのですが、後から考えると、「浪花けい子」が売れなくて良かったですね。★ アカシアの雨がやむ時、☆コーヒールンバ、☆エリカの花散るとき、★東京ブルース、★赤坂の夜は更けて、★ウナ・セラ・ディ東京、★女の意地、☆くれないホテル、ここで★が33曲追加、計220曲、☆が31曲追加、計229曲以上合計449曲になりました。秋元順子さん、セカンド・アルバムが凄くいい!リュウちゃん、今ハマっています。
2009年08月13日
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リュウちゃん、昨日、近所の行きつけのカラオケ店で、秋元順子さんの歌に初挑戦しました。歌った曲は、「マディソン郡の恋」、「愛のままで」、「雨の旅人」の3曲、まだ秋元さんのCDを聴き始めてから1週間しか経たないというのに、よくやるよ、という思いもあったのですが、とりあえず、思い立ったら100年目、別に失敗してもどうって事ないし、という気持ちで挑戦したのです。案の定、3曲共、まだ人前で歌うような段階ではなく、メロディもリズムもメロメロ、「雨の旅人」の中間部のグーンと声を伸ばすところも、伸ばし方が中途半端、リュウちゃん、秋元順子初挑戦は苦い結果に終わったのですが、優しい店のマスター(リュウちゃんより10歳くらい年上)は、「さすがリュウちゃん、ちゃんとツボは抑えていますよ」との、お褒めの言葉があり、なにか勇気付けられたリュウちゃんなのでした。「よし、再度挑戦するぞ!」このマスター、会社定年後にこのカラオケ店を始めたのですが、中々勉強家で、新しく発売される新曲はほとんど覚えるとの事、それで、秋元順子さんの新曲、「黄昏 love again」と、まだ発売されていない次ぎの新曲も教えてくれたのですよ、マスター、あんたは偉い!尚、秋元さんの歌のカラオケは、上記3曲の他に、各曲のカップリング曲、「月の浜辺」、「ロンリー・ナイト東京」、「忘れもの」と、計5曲が入っていました。尚、秋元さんの師匠、花岡優平さんの名曲、「愛の終わりに」は、リュウちゃんの愛唱曲、今日も当然歌ったのです。本日のフジTV系「めざましテレビ」で、氷川きよし君の新曲「ときめきのルンバ」が紹介されました。この曲、「懐メロ」リュウちゃんの感想は、「大津美子の東京アンナに似ているなー」「懐メロ人生」のリュウちゃん、氷川君を始めとする最近の演歌にはサッパリ興味がないのですが、この歌は歌えそうな気がしました(大津美子がらみではありますが)ここで★☆表追加です。秋元順子★「マディソン郡の恋、★愛のままで、★雨の旅人、☆黄昏 love again、☆月の浜辺、☆ロンリー・ナイト東京、☆忘れもの、高田みづえ☆私はピアノ、☆そんなヒロシに騙されて、☆硝子坂、★愛の終わりに、大津美子★ここに幸あり、★東京アンナ、★いのちの限り、☆東京は恋人、☆銀座の蝶、氷川きよし☆ときめきのルンバ以上、★がプラス7、☆がプラス9、累計で★が187曲、☆が198曲、☆★合計が385曲です。
2009年08月12日
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本日、朝5時ちょうど、TVスイッチ・オン(NHK)、台風情報を見ていたところ、画面下に「緊急地震速報」のテロップと、アナウンサーの「強い地震が来ます!注意して下さい」、とのアナウンス、一瞬、身構えるも、どうしていいかわからない、「場所はどこだ!?」、次の瞬間、場所表示のテロップ、神奈川県、静岡県、愛知県(だったかな?) (奈良在住者としては)やれ、安心、と一瞬思ったところ、TVの画面(渋谷のNHK放送センターの映像)が揺れる。奈良は揺れナシ、 場所のテロップが出てから揺れが始まるまで、わずか3~5秒くらい、何も出来ない! 震度6,5、余震の心配もあり、伊豆周辺の人々にとっては、地震と雨台風のダブル直撃、大変です、リュウちゃん、今日は午後からカラオケ店にでかけ、先週から聴きはじめている秋元順子さんの。「愛のままで、、」、「マディソン郡の恋」、「雨の旅人」に挑戦予定です。
2009年08月11日
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酒井法子 まさに仰天動地、刑事コロンボも、古畑任三郎も、東野圭吾も、貫井徳郎も、歌野晶王午もタジタジの大ドンデン返し! リュウちゃんの推理によれば、警察は初めからノリピーの覚醒剤汚染を掴んでいて、世間に大きくアピールする為に、あのような演出をしたのだと思います。道玄坂での職務質問の現場から逃走の際にも、当然、警察は追跡をして、居場所を掴んでいたのでしょう、これがビッグ・ニュースになる事により、芸能界は云うに及ばず、広く社会全般蔓延しているであろう覚醒剤汚染を、ノリピーをスケープゴートにする事によって、撲滅キャンペーンのシンボルタワーにしようとする警察側の意図が透けて見えるような気がします。それにしても、無惨としか云いようの無い事件でした。夫婦共逮捕された事によって、残された10歳の子供はどうなるんだ、彼女も38歳という、本来なら分別盛りの年だというのに、 リュウちゃん、以前から、彼女の「碧いうさぎ」が気に掛かっていて、近々カラオケのレパートリーにしようと画策していたのに、「碧いうさぎ」ならぬ、「蒼ざめたうさぎ」になってしまったのですね、返す返すも無惨な事件でした。
2009年08月10日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回は、「リュウちゃんのプロフィール5~高校編(1)」です。昭和37年3月、無事、地元の進学校、伊勢高等学校に入学出来ました。リュウちゃんの年代の三重県の方は御存知でしょうが、当時の三重県には、いわゆる有名進学校は3校しかありませんでした。北部の四日市高校、中部の津高校、南部の伊勢高校で、その内、リュウちゃんの入学した伊勢高校は、かの松阪牛で有名な松阪市以南の大学進学希望者が集まってくる学校でした。リュウちゃんと同じ二見ヶ浦の僻地の集落に住んでいました山口さんという、3年先輩の方が、この年、伊勢高校から京都大学理学部に合格した事もありまして、オッチョコチョイのリュウちゃん、「よし、俺も山口さんに続くのだ!」なんて気持ちになってしまい、合格から入学の日までに、以下のような「誓い」を立てたのです(今考えると、穴があったら入りたい、超恥ずかしいー!誓いでしたが)(1) 高校生活の3年間は、すべてが有名大学への進学の為にある。(2) その為には、一にも二にも受験勉強、三、四がなくて五に受験勉強、クラブ活動はやらない、小林旭の「渡り鳥」シリーズや、東映チャンバラ映画は観ない、受験勉強一筋の生活を送るのだ!(3) 高校で10番以内に入る(これ位の席次だと、京都大学合格有望なのです)リュウちゃんの実家は、山口さんの実家と違って裕福ではありませんでしたから、父親から、「国立大学に日本育英会の特別奨学金を取って行くのであれば、大学進学可、それ以外であれば就職」という厳しい条件が出されていましたので、それを実現する為にも、上記のような「誓い」を立てる必要があったのですが、それにしても今考えると、子供らしい、青臭い「誓い」でしたね。本当に目から火がでる程、恥ずかしい「誓い」でした・さて、そのような「誓い」と希望を胸に秘め、意気揚々と入学式の前に開催された合格者の顔合わせの席に臨んだリュウちゃんでありましたが、入学式で隣の列に並んだ美少女に目が釘づけになりました。「ああ、何て爽やかな女の子なんだろう!、何と言う名前なのかな?同じクラスにならないかな?」入学式の前に早くも「誓い」の雲行きは、怪しくなってしまったのです。さて、入学式の直前にクラス分け発表、リュウちゃん、残念ながら、男子クラスでした。入学者360人の内、女子は僅か50人、全7クラスの内、ミックスクラスは僅か2クラスのみ、5クラスが男子のみなので、男子クラスになるのが普通なのですが、生来軟派なリュウちゃんとしては、最初に味わった挫折だったのです。入学早々、驚いたのは、クラブ活動の勧誘でした。リュウちゃんの卒業した中学校は、運動部はともかく、文化部系は皆無に近い学校だったので、「さすが高等学校、こんなに文化系のクラブがあるんだ!」なんて感心していましたが、入学前の「誓い」はどこへやら、「やっぱり高校生活はクラブ活動をやらなきゃ、女の子とも話しをする機会が無いじゃないか」なんて気持ちになってしまい、合唱部(勿論、混声合唱)、演劇部、映画部、レコード鑑賞部(これは2年生になってから)、と立て続けに4っつの文化系クラブに入ったのでした。(リュウちゃん、運動神経ゼロなので。体育系クラブへの入部は、ハナっから考えなかったのです)やっぱり歌が好きだったリュウちゃん、合唱部に入ったのは、女の子と話をする機会があるという期待も大きかったのですが、やはり歌がうまく歌えるようになりたい、というのが、入部の一番の動機だったのですね、合唱部に入って最初に歌った歌が、ロシア民謡の「ヴォルガ下り」、「泉のほとり」それと、ヨーデル曲で、戦前から活躍していた中野忠晴の歌唱でヒットした「山の人気者」などでしたが、こういったポピュラーな曲は、どちらかというと息抜き程度にやっただけで、合唱部の方向はNHK学校音楽コンクールに参加し、上位を目指す事に向けられていました。それで、普段歌っていた曲は、クラシック寄りの日本の合唱曲が中心で、学校内の活動としては、歌謡曲には、ほぼ無縁だったのです。でも、学校の外に出れば、相変わらず橋幸夫や小林旭、この頃、「いつでも夢を」で橋さんとデュエットした吉永小百合ちゃんなどを聴いていました。高校1年の元旦に、伊勢路の交通量調査のアルバイトを、中学時代の友人のミーやんと一緒にやりましたが、ミーやん、呟くように「コーコーカンネンセー、、」と歌っていました。リュウちゃん、ミーやんに、「それ、何や?」と聞いたところ、「舟木一夫」という新人のデビュー曲や」との答え、その後、「ロッテ歌のアルバムなどで、あの詰襟学ラン姿の舟木さんをよく見るようになりました。高校2年生の就学旅行は、九州へ行ったのですが、九州での観光バスの中で、舟木さんの「修学旅行」を歌ったのでした。修学旅行で「修学旅行」を歌ったのは、リュウちゃんの年代が初めてだったのだ!凄いでしょう(別に凄くないか、)尚、高校時代のリュウちゃん、舟木さんと同じように頬がこけていたので、「二見の舟木一夫」なんて呼ばれていたのですよ、凄いでしょう!(別に凄くないか)という事で、舟木一夫さんもファンなのです。但し、橋さん程のファンではなく、また橋さんと違ってカラオケ曲もかなり多いので、☆印(好きな曲だが歌った事の無い曲)はほとんどありません。例によって、舟木さんの曲を挙げてみます。★ 高校三年生、★修学旅行、★学園広場、☆只今授業中、★仲間たち、★ああ青春の胸の血は、★君たちがいて僕がいた、★花咲く乙女たち、★絶唱、★北国の街、★高原のお嬢さん、☆東京は恋する、☆あありんどうの花咲けど、★哀愁の夜、☆銭形平次、★夕笛、★ブルートランペット、★夏子の季節、☆初恋、舟木さんの曲で、特にリュウちゃんのカラオケのお気に入りは、学園物では、「修学旅行」と「花咲く乙女たち」、また文芸物では、「絶唱」と「夕笛」、特に「夕笛」は、いつも歌っている途中で感極まって涙声でウルウルになってしまうのです。あと、「高原のお嬢さん」、「北国の街」、「哀愁の夜」もいい!元祖御三家の中では、リュウちゃんは橋さんの大ファンではありますが、カラオケで歌う分には舟木さんの歌のほうがリュウちゃんには合っているのです。吉永小百合ちゃんの歌も「ロッテ歌のアルバム」などでよく聴いていました。当時、特に印象に残ったのは、デビュー曲の「寒い朝」と、「いつでも夢を」をはじめとする橋さんとのデュエット曲(下記の一覧表では、橋さんとのデュエット曲は省いています)、それと「愛と死のテーマ」、この曲は、昭和38年に軟骨肉腫でわずか20歳で亡くなった大島みち子さんの手記(文通の往復書簡)を、浜田光夫、吉永小百合主演で映画化した時の主題歌、同時期に青山和子の★「愛と死を見つめて」が大ヒットしましたが、リュウちゃんは小百合ちゃんの曲のほうが断然お気に入りなのです。他には三田明とのデュエット曲「若い二人の心斎橋」、大阪物の「天満橋から」、それとリュウちゃんの秘曲「哀愁のアムステルダム」これらの曲をカラオケで歌いたいのですが、行きつけのカラオケ店では、小百合ちゃんの歌はほとんど入っていないのです(トホホ!)例によってカラオケメーカーさん、よろしくお願いいたします。★寒い朝、☆泥だらけの純情、☆伊豆の踊り子、☆嫁ぐ日まで、☆光る海、☆愛と死のテーマ、☆若い二人の心斎橋、☆明日は咲こう花咲こう、☆キューポラのある街、☆天満橋から、☆奈良の春日野、☆哀愁のアムステルダム、★勇気あるもの★ ☆累計★ プラス17で累計180曲☆ プラス17で累計189曲★ ☆合計369曲です。今回も思わず長くなってしまいました。あっ、高校に入った時の「誓い」はどうしたかって?それは、また別の機会にお話したいと思っています。次回は、また幼年時代にプレイバックして、三橋美智也、春日八郎などをお話したいと思っています。(追伸)酒井法子、ビックリしました。リュウちゃん、彼女のデビュー当時、関係スタッフの一人として何度か会ったことがあり、「いい娘だな」と思っていました。若干ですが、ファンでした。「碧いうさぎ」を覚えて、近々、★にしたいと思っていたのに、残念!というほかありません。それと、大原麗子さんの孤独死、ショックでした。彼女、リュウちゃんと同い歳、映画「男はつらいよ」の2度のマドンナ、特に「寅次郎真実一路」の富永ふじ子役は、本当に美しかったのに!あっ、リュウちゃん、大の「寅さん」ファンなんですよ。
2009年08月09日
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本日のブログを更新した後、念の為、リュウちゃんの書棚を探しましたところ、ありました、昭和59年に角川書店より刊行された大版の「バーバリアン」、これ、設定が「少年ケニヤ」とよく似ています。村上ワタル=風間伸白人美少女ケート=白人美少女ポーリンゼガ=豹の怪人風間伸の上半身のシャツの破れ具合も、ワタルとそっくり、首にかけたメダルは、「少年タイガー」ですが、物語の始まりの年代は昭和20年11月、この時主人公の風間伸は12歳、ということは、昭和8年生まれ、山川惣治さんの関心は、終戦を海外で迎えた大和魂を持った日本人の生き様ですね、戦後の困難な生活の中で、未来への希望を、これから成人してゆく主人公に託した、また、白人(ケート、ポーリン)黒人(ゼガ、豹の怪人)、黄色人種(主人公)が一致団結して困難を切り拓いてゆく、というグローバルで格調高いメッセージが込められているんですね、「バーバリアン」の絵は、「少年王者」以来の大迫力、やはり、山川惣治の絵物語は、大版で読むのがベストですね。次回は本編に戻り、リュウちゃんの高校時代のプロフィールと、そこで出会った歌について書きます。乞う、ご期待です。
2009年07月31日
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こんにちは、リュウちゃんです。群馬・沼田市に在住の娘に二人目の孫が誕生しましたので、先週、孫に初対面と避暑を兼ねて沼田市に行って来ました。初孫のあかりちゃんは、現在2歳と9ヶ月、リュウちゃんのことを、「ジイちゃん、奈良のジイちゃん」といって、懐いてくれています。娘がマリンバという木琴の親玉のような楽器の先生をやっていまして、マリンバやピアノでいろいろな童謡などを弾いて歌って聞かせているものですから、あかりちゃんは、リュウちゃんにもいろいろな歌を歌ってくれるのです。今年のはじめからは「崖の上の歩ニョ」の歌が一番のお気に入り、「ポニョポニョポニョさかなの子、、」と、全曲歌えるんです。今回沼田に行ったら、「ポニョ」のDVDが買ってあって、あかりちゃんと一緒にリュウちゃんも全部観ましたが、あかりちゃん、何と、ポニョの歌だけではなく、台詞もほとんど全部覚えているのです。こりゃ、天才かな?リュウちゃん、親バカならぬジジバカですね。二人目の孫も女の子ですが、まだ生まれて一週間、体重3キロの赤ちゃんです。お母さんのおっぱいをいっぱい飲んでいるせいか、あまり泣かない、おとなしい赤ちゃんでした。沼田からの帰途、以前行きつけだった渋谷のカラオケ酒場「季味」でビール片手にカラオケ三昧をやりましたが、カラオケのマドンナ、恵子さんには残念ながらお逢い出来ませんでした(残念!です)奈良に帰ったところ、沼田の娘から、下記のメールが入っていました。遠路はるばるお疲れ様でした。そちらは暑いでしょう。沼田も今日は蒸し暑かったです。 赤ちゃんの名前が決まりました。“みらい”です。よろしく。 あかりと合わせて「明るい未来」・ ・・・なんつって。ということで、沼田の娘宅は「明るい未来」に包まれているのです。さて、以前のブログで、「少年ケニヤ」のお話をしましたが、先日、以下のようなホームページを見つけました。タイトルは、「山川惣治と絵物語の世界」これ、山川惣治ファンのリュウちゃんとしては、凄く面白かったです。http://www5f.biglobe.ne.jp/~shingo21/p1001.htmlこのホームページは、約10年程以前に作成されたようですが、「少年ケニヤ」に出て来る恐竜ティラノザウルスが山川さんの弟子である阿部和助画伯を通じて、映画「ゴジラ」のゴジラのキャラクターの原型になったという説は大変説得力があります。リュウちゃんの、スティーブン・スピルバーグに影響を与えたという説と双璧なのです(公平にみると、リュウちゃんの説よりは、遥かに説得力がありますね)また、新聞連載の際の絵と、単行本の絵とが、一部違っていることも、このホームページで初めて知りました。このホームページを作成された方、多分現在70歳くらいの男性のように思われますが、まだまだ山川惣治について書いて欲しいことがいっぱいあります。「少年タイガー」は、戦前に紙芝居として原型が作られたのかな?リュウちゃんが小学校低学年の時に父親に単行本を買ってもらっていた時、父が第2巻の最後のトラの顔が初めて出て来る場面で、「トラの顔は、実は進治のお父さんだよ、」、もう一つ、「ホワイトスカールは、セラム王だよ」と、教えてくれたことが、いまだに忘れられません。どうしてオヤジは、そんな事知っているのだろう?やはり大人だから、ちょっと読めば、最後まで見透せるのかな?なんて考えていましたが、ずっと後から考えると、リュウちゃんが生まれる前(戦前)に、紙芝居で見たというのが、一番合理的な真相のようです。悪役アーレンが英国人なのも、いかにも鬼畜米英の戦前に作られた物語らしい設定ですからね。「少年ケニヤ」のゲルヒンはドイツ人、この設定にも、戦前と戦後の設定の変遷が窺われますね。「少年タイガー」の話を始めると、リュウちゃん、本当に切が無いのです。かの妖女ペネペネ(後のモエラ姫)は、誰か有名女優をモデルにしているのだろうか?ジーナ・ロロブリジーダかな?時代が違うな、誰なのかな?とか進治の母親、森山秋子は、日本の女優でいえば、誰なのだろう?お転婆なアンゼラ姫は?医師ジーナンの娘キララは?とか、リュウちゃんにかかると、皆女性の話になってしまうとお思いでしょうが、本当はそうでもないのですよ、ただ、このブログでは、女性の話に絞っただけなのです。このホームページを作成した方には、まだまだお聞きしたいことがいっぱいあります。「ジャングル巨人」、「少年ウルフ」はどんな話だったのか?とか、未完に終わった「バーバリアン」にも、是非、熱く語って頂きたいなと思っています。実はリュウちゃん、昨年から不当解雇で、民事訴訟を争っています。しかも、弁護士を付けない本人訴訟で頑張っているのです。その民事訴訟から派生した刑事訴訟も提起、今月初めには、相手方の弁護士に対して、弁護士懲戒申請を奈良弁護士会に出したのですよ、生来軟派なリュウちゃんではありますが、こんな硬派な面もあるのです。この事に関しては、また別の機会に、別のブログで書きたいと思っています。一昨日、弁護士懲戒申請の件で、奈良弁護士会館に行った後、行きつけのカラオケ店で、裕ちゃんの「男の友情背番号・3」を初めて歌いました。その結果、この曲は☆から★に変わりました。トータルの星数は以下の通りです。★ 一つ増えて163曲☆ 一つ減って172曲合計は変わらず235曲です。
2009年07月31日
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前回の番外編で、石原裕次郎の「男の友情背番号・3」を、よく聴いていますと書きましたが、他にも、「涙は俺がふく」、「遥かなる愛」、「思い出さがし」、「嘆きのメロディ」などを新たに聴いています。「男の友情背番号・3」は読売ジャイアンツの終身名誉監督である長嶋茂雄個人の応援歌で、長嶋より2歳年上で大の親友であった裕ちゃんにとって、まさにピッタリの曲、一番の歌詞は以下のようなものです(作詞:大高ひさを)背番号・3言わずと知れた男長嶋イカすじゃないか打って走ってつかんで投げて茂よ、頑張れかっとばせ晴れのペナント飾るまで曲は、生きのいいマーチで、聴いていると、良き時代が彷彿され、リュウちゃんのようなアラカン年代の人間にとっては、元気がもらえる事必至の、正にイカす歌なのです。また、裕ちゃんは、古賀メロディなど、大古典懐メロもいいのです。古賀メロディでは、藤山一郎の歌った「影を慕いて」、「酒は涙かため息か」、「青春日記」、「青い背広で」、「東京ラプソディ」、などもいいのですが、特に「回想譜」、「なつかしの歌声」が絶品です。また、松島詩子の「夕べ仄かに」、二葉あき子の「恋の曼珠沙華」など、女性歌手の歌も絶品なのです。また、テイチクレコードの大先輩、ディック・ミネの「上海ブルース」や、「旅姿三人男」もいい、まさにオールマイティなのです。裕ちゃんとリュウちゃんの歌い方の似ているところ、(1)二人とも、歌う時には、ビールを飲んでから 裕ちゃんは、レコーディングの際には、必ずビールを飲んで臨んだそうで す。やっぱり、歌を歌うなんて行為はテレくさい、それで、出来上がった 歌は非常にリラックスしたものに仕上がる、いい意味で、「偉大なる素人」なんですね、 リュウちゃんもカラオケをやる場合は、必ずビールを2本くらい飲みます。 飲まないと、恥ずかしくて歌えない、シラフだと、自分の声の貧しさに愕然としてしまう のです。リュウちゃんの場合は、テレ隠しではなく、単ななる勢い付けなのです。(2)二人とも、低音。それで、女性歌手の歌も、同じように歌える。 この前のブログにも書きましたが、女性歌手の歌を男性が歌う場合、1オクターブ下げて 歌う事になるので、かなりキーの高い女性歌手の歌でも、比較的簡単に歌えるのです。で も、リュウちゃんの場合は低音でも、声が細い、それで、多分裕ちゃんが歌わない島倉千 代子(お千代ちゃん)の歌なども、リュウちゃんは得意なのです。お千代ちゃんの「夕 月」、最高なのです。お千代ちゃんについては、近々、ラブレター・ブログを書きます。それでは、群馬の二人目の孫の顔を見に行ってきます。
2009年07月22日
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こんにちは、リュウちゃんです。今日は、番外編として、小林旭、フランク永井、松尾和子、和田弘とマヒナスターズの歌で、リュウちゃんが歌った事のある歌(★)、歌いたい歌(☆)を例によってズーと羅列してみます。小林旭☆女を忘れろ、★ダイナマイトが百五十屯、☆銀座旋風児、★ギターを持った渡り鳥、★口笛が流れる港町、★ダンチョネ節、★鹿児島おはら節、★ノーチヨサン節、★さすらい、★アキラのツーレロ節、★ズンドコ節、★アキラのブンガワンソロ、★黒い傷痕のブルース、★思い出した思いだした、★北帰行、★ 恋の山手線、★自動車ショー歌、★ついてくるかい、★純子、★昔の名前で出ています、☆北へ、☆もう一度一から出直します、☆熱き心に、リュウちゃんにとって、小林旭の歌は中・高校時代に口ずさんだ「アキラ節」が中心なので、カラオケで歌ったというよりは、カラオケ時代の前に口ずさんだ、という言い方が正確です。やっぱりキーが高い、リュウちゃん向きではないのです。最近、「トッちゃん」という小林旭のスペシャリストの旧友が現れた為、今後、旭の歌は、トッちゃんにおまかせなのです。それでも、「ギターを持った渡り鳥」と「北帰行」はリュウちゃんの二大定番なのです。フランク永井☆13800円、★東京午前三時、★夜霧の第二国道、★有楽町で逢いましょう、★羽田発7時50分、★西銀座駅前、★こいさんのラブ・コール、★ラブレター、★俺は淋しいんだ、★夜霧に消えたチャコ、★東京ナイト・クラブ、★好きすきすき、★大阪野郎、★東京カチート、★君恋し、★霧子のタンゴ、★加茂川ブルース、★おまえに、☆公園の手品師、最近、「ラブレター」をよく歌っています。今度、「公園の手品師」に挑戦したいと思っています。松尾和子★ グッド・ナイト、★誰よりも君を愛す、☆夜が悪い、★嫌い嫌い嫌い、★再会、★銀座ブルース、★お座敷小唄、★再会の朝、松尾さんの歌、以外とシングル曲が少ないのかな?リュウちゃん、松尾さんが「再会の朝」をリリースした時、縁あって池袋のキャバレーで松尾さんとお酒を飲んだ事があるんですよ(凄いでしょう!)その時に松尾さんは、リュウちゃんの右側に座っていたのですが、大きく開いたドレスから、零れ落ちるような胸が、まだ20代のリュウちゃんには、眩しい限りでした。和田弘とマヒナスターズ★泣かないで、★お百度こいさん、★惚れたって駄目よ、☆男ならやってみな、☆ ここがいいもよ、★北上夜曲、★好きだった、★愛して愛して愛しちゃったのよ、★夜霧のエアー・ターミナル、☆泣けるうちゃいいさ、★寒い朝、マヒナスターズは、「お百度こいさん」をラジオで聴いて、「いいな」と思ったのが最初、リードヴォーカルの松平直樹さんの声が、リュウちゃんの声とよく似ていると、リュウちゃんは勝手に思っているのです。このブログを始めたのは、「これまでリュウちゃん、カラオケで何曲くらい歌った事があるのだろう?」という疑問からです。それで、これまで取り上げた歌手の歌で、リュウちゃんが歌った事のある歌を★、歌いたい歌を☆、としましたが、このブログから、★と☆の累計を、毎回ブログの最後に書いていきます。★ 美空ひばり58曲、橋幸夫19曲、石原裕次郎35曲、小林旭18曲、フランク永井17曲、松尾和子7曲、和田弘とマヒナスターズ8曲、計162曲☆美空ひばり92曲、橋幸夫71曲、小林旭4曲、フランク永井2曲、松尾和子1曲、マヒナ スターズ3曲、計173曲、★・☆累計235曲最近、石原裕次郎の「男の友情・背番号3」をよく聴いています。この歌も近々、カラオケで歌う予定、とすると、裕ちゃんの★は一つ増えて、計36曲になります。実はリュウちゃん、先週、群馬県に住んでいる長女に、第2子が誕生しました。それで、リュウちゃんも、今週水曜日(皆既日食の日)に群馬に行きます。このブログの続きは、今週末よりも、少し遅れるかも知れませんが、なるべく早く更新する予定です。
2009年07月20日
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こんにちは、リュウちゃんです。今回は「リュウちゃんのプロフィール(4)です。さて、中学校3年の2学期になり、志望校も地元随一の進学校、伊勢高校に決めたリュウちゃんですが、相変わらず受験勉強らしきものはしていませんでしたが、いろいろな本を読むことで、「これがリュウちゃん流の受験勉強だ!」なんて、一人悦に入っていたのです。たとえば、数学では、岩波新書の「零の発見」だとか、「数学入門」、あるいは、数学パズル中心の「パズル・クイズル」など、特に面白かったのは、佐野昌一という人の書いた「虫食い算大会」でした。虫食い算とは、足し算、引き算、掛け算、割り算の数式の「数」が一部または全部隠されている数式で、それを推理によって完全に復元するというパズル、この、「虫食い算大会」は、やさしい問題から難しい問題までを30段階に亘って楽しみながら解いていくという趣向、各段階には、本来の「虫食い算」の他に、かなり面白い数学パズル的な問題が掲載されており、これも面白かったのですが、本来の「虫食い算」の第28段階の問題にハマってしまいました。割られる数が(確か)8桁、割る数が7桁、しかも、解が循環小数、しかも数字が全部隠れている、正に究極の「虫食い算」なのです。この問題は、著者の佐野さんも、「実は私も、まだ解けていないのです」なんてコメントがあったものですから、さあ、大変!リュウちゃん、「よし、俺が解いてやる」と、鼻息も荒く、問題に取り組みはじめたのですが、結果、あえなく撤退、解けたのは社会人になってからの事でした。今、考えると、循環小数を分数に直す方法の簡単な応用で解けるのですが、この問題の見かけが、あまりに破天荒であった事で、迷宮に入ってしまったのです。現在であれば、灘中や開成中学を受験しようとするような秀才の小学生であれば、比較的簡単に解けるのではないでしょうか。尚、この問題は、別の本で、「シューの虫食い算」という有名な問題である事を後で知りました。著者の佐野昌一氏は、戦前からのSF・ミステリー作家としての、ペンネームの「海野十三」のほうが有名です。英語は、当時ベストセラーになった岩田一男氏の「英語に強くなる本」(カッパブックス)、周りの同級生が真面目に英語の学習をしている時に、「FREE CARE CAWARDS TO BECAME MISS NOTE」って、どう訳す?なんて質問を隣の女生徒にしたりしていました。これじゃ、英語に強くなる訳はないですよね、国語は従来からのミステリーや、上記のような雑学本を読む事で、漢字や、文章の形を自然に身に付けていったのだと思います。ある国語の時間で、先生から、「莫大小」、これ、どう読むの?なんて問題がでましたが、他の誰も答えられない事を確認したリュウちゃん、やおら、「メリヤス」と答えたのでした(この辺、嫌なガキだったのです)学校で学習していた音楽ですが、2学期の定期テスト(ペーパーテスト)で、3年生で唯一人、リュウちゃん、満点を取ったのです!「おっ、俺は音楽の才能もあるのだ!」と、すっかり過信してしまったリュウちゃん、俄かにクラシック音楽なるものに目覚め、シューベルトの「未完成」や、ドビュッシーの「子供の領分」やラヴェルのピアノ曲集などのLP盤を購入し、毎日聴いていましたが、リュウちゃんの場合は、相変わらず歌謡曲やポップスも同じように聴いていたのです(このスタンスは、63歳になった今も全く変わらないのです。リュウちゃん、変な奴なんです)中3の時に聴いた曲では、阪本九の「上を向いて歩こう」と。和田宏とマヒナスターズ+多摩幸子の「北上夜曲」が強く印象に残っています。坂本九は、この年にスタートしたNHKの歌謡バラエティ番組「夢であいましょう」で見たのが最初です。司会の中嶋弘子お姉さま、都会的でエレガントな人だなー、なんて思っていましたが、何しろ、まだほんのガキだったリュウちゃん、「やっぱりオバさんだ」なんて感じで見ていました。これと、民放の「シャボン玉ホリディ」、これは、ザ・ピーナツや植木等(ハナ肇とクレイジー・キャッツ)中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりのナベプロ三人娘などが出演していましたが、この2つの番組で、リュウちゃん、少しポップスにも魅かれ始めました。でもリュウちゃん、この中では、一番歌謡曲に近い、「園まり」様が当時からお気に入り(顔も一番可愛かったしね)だったのです。「夢であいましょう」と「シャボン玉ホリディ」がポップス系の二大人気番組であるとすれば、歌謡曲系の人気番組が「ロッテ歌のアルバム」です。名司会者、玉置宏の「一週間のご無沙汰でした」の前フリで始まるこの番組で、リュウちゃん、橋・舟木・西郷の元祖御三家を始めとする、当時台頭してきた若手歌手の歌謡曲にドップリ親しみました。西田佐知子もこの番組で聴いたのが初めではなかったかな?「北上夜曲」も多分この番組で聴いたのが初めてだったような気がします。この曲は、昭和16年に作られた曲なんですが、約20年を経てレコード化された訳です。当時、ダーク・ダックスと、和田弘とマヒナスターズ+多摩幸子の2者競作となったのですが、生来軟派のリュウちゃん、やっぱりマヒナ盤が断然お気に入り、何と言っても。多摩幸子さんのメロウな声が最高!マヒナスターズもリュウちゃん、大好きなのです、デュエットで共演する女性歌手も皆いいのです、多摩幸子さん、「誰よりも君を愛す」、「グッド・ナイト」、お座敷小唄」の松尾和子さん、「愛して愛して愛しちゃったのよ」、「ここがいいのよ」の田代美代子さん、そして「寒い朝」の吉永小百合ちゃん、皆、素敵なのです。「北上夜曲」は、確か中3の時に、クラスで合唱(斉唱でしたが)したような記憶があります。リュウちゃんにとっては、「匂い優しい白百合の、、」という歌詞にピッタリ合った同級生がいた事もあり、甘くほろ苦い青春の思い出の1ページを飾る歌なのです。その同級生、リュウちゃんが心密かに、「紫の君」と呼んでいた美少女が、或る日、「リュウちゃん、この娘、可愛いわね」と言って、一枚のグラビア写真を見せてくれた事がありました。そのグラビア写真の人こそ、誰あろう、デビュー直後の吉永小百合ちゃんだったのです。でもリュウちゃん、心の中で、「君のほうが可愛いよ」なんて呟いているのでした。渋谷警察の裏にあるカラオケ酒場「季味」のお客様の恵子様、最近お会いする機会がありませんが、また一度、「北上夜曲」をデュエットしたいリュウちゃんなのです。貴女の歌う「夢は夜ひらく」、「誰もいない海」、「何もいわないで」、それと、森山直太郎の「さくら」は本当に最高!です。あっ、この恵子姫、リュウちゃんが中学時代に密かに想いを寄せた「紫の君」に似た、今も美少女なのです。ガンさん、コハマさん、サダちゃん、ハトリさん、お元気ですか?リュウちゃん、今、奈良の地でガンガンと歌っているのです。えー、次回は、番外編として、この前、裕ちゃんと一緒に取り上げるつもりだったマイトガイ・小林旭と、今回取り上げた和田弘とマヒナスターズ、松尾和子、ついでといっては何ですが、フランク永井の曲を、例によってズーと挙げてみます。
2009年07月17日
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りゅ今日は、このブログのタイトルであります「懐メロ」について考えてみましょう。「懐メロ」って何?一口に「懐メロ」といっても、具体的にどんな曲が「懐メロ」なのか、人によって、千差万別です。10代の若い人であれば、浜崎あゆみのデビュー曲。「pokar face」も立派な「懐メロ」なんですよね、(浜崎あゆみさんは、デビューが平成10年、すでにデビューから11年が経っているのです)10年ほど以前の事ですが、テレビの懐メロ歌番組で、ピンク・レディが出演しているのを見てビックリした事がありましたが、現在のアラフォー世代にとっては、ピンク・レディも立派な「懐メロ」ですよね、リュウちゃんの長女は、現在31歳ですが、小学校の時に聴いた光GENJIが彼女の流行歌体験第1号で、当時は「諸星クン命」なーんて云っていました。(その長女も今月、第2子を出産予定、リュウちゃん、二人の孫を持つジジイになるのです)このように、人によって、年代によって、「懐メロ」の意味は、千差万別なのですが、それでは、これから「リュウちゃんの懐メロ」について、お話したいと思います。以前のブログで書いたように、幼・少年時代に聴いた美空ひばりや橋幸夫、石原裕次郎などがリュウちゃんの「懐メロ」の原点なのですが、社会人になって、程なく普及し始めたカラオケに親しむ事により、リュウちゃんの「懐メロ」の幅は、どんどん広がっていったのです。(業務用カラオケ・システムが井上大祐氏によって発明されたのが昭和46年、リュウちゃんが社会人になったのが昭和44年、リュウちゃんの社会人としての生活は、カラオケと共にあったのです。リュウちゃんは、カラオケの申し子なのです)リュウちゃんの「懐メロ」の幅は、どちらかといえば、新しい歌をどんどん取り込んでいくという方向よりも、昔聴いて、かすかに記憶のある古い歌に、どんどんのめり込んでいったのです。歌手名で挙げて見ると、以下のような感じなのです。(いささかデビュー年代に前後がありますが、だいたいの感じは掴んで頂けるかと思います)舟木一夫、橋幸夫→石原裕次郎、小林旭→美空ひばり→春日八郎、三橋美智也→青木光一、島倉千代子→白根一男、津村謙、岡本敦郎→岡晴夫、近江俊郎、奈良光枝、→霧島昇、伊藤久男、→藤山一郎、二葉あき子、東海林太郎、また、リュウちゃんが社会人になってからは、従来の演歌的な歌から、フォーク、ポップス、ロックがレコード業界の主流になった事もあり、リュウちゃんの歌の指向も、演歌からフォーク。ポップスの方に向かっていきました。それやこれやを含め、ここでリュウちゃんの好きな歌手を、一挙に大公開致します。(リュウちゃんの好きな歌手)佐藤千夜子、小林千代子、音丸、藤本二三吉、二村定一、楠木繁夫、上原 敏、霧島 昇、ミス・コロムビア(松原 操)東海林太郎、藤山一郎、二葉あき子、松島詩子、勝太郎、市丸、松平 晃、淡谷のり子、伊藤久男、灰田勝彦、美ち奴、高田浩吉、高峰三枝子、渡辺はま子、岡 晴夫、林伊佐緒、ディック・ミネ、由利あけみ、田端義夫、李 香蘭、菅原都々子、小笠原美都子、小畑 実、菊池章子、奈良光枝、近江俊郎、笠置シズ子、美空ひばり、平野愛子、竹山逸郎、津村 謙、久保幸江、三条町子、池真理子、宇都美清、岡本敦郎、暁テル子、安藤まり子、神楽坂はん子、神楽坂浮子、鶴田浩二、ペギー葉山、春日八郎、三橋美智也、青木光一、三浦 洸一、織井茂子、雪村いづみ、野村雪子、白根一男、若原一郎、藤島 桓夫、宮城まり子、島倉千代子、鈴木三重子、大津美子、曽根史郎、山田真二、西田佐知子、園まり、藤 圭子、梶芽衣子、コロムビア・ローズ、小坂一也、松山恵子、石原裕次郎、フランク永井、和田弘とマヒナ・スターズ、橋 幸夫、舟木一夫、三田 明、松尾和子、小林 旭、北原謙二、加山雄三、森 進一、森 昌子、夏木マリ、倍賞千恵子、ちあきなおみ、石川さゆり、菅原洋一、テレサ・テン、永井みゆき、夏川りみ、森山良子、カルメン・マキ、加藤登紀子、南こうせつ(かぐや姫)、南 沙織、中島みゆき、サザン・オールスターズ、五輪真弓、井上陽水、小椋 佳、フー!これがリュウちゃんの「懐メロ」の、ほぼ全貌です。もちろん、ここに挙げきれなかった歌手もまだまだあります。それについては、このブログが進行するにつれて、ボチボチと書いていきます。ここに挙げた歌手についても、具体的な曲名は、時期をみて、書いていくつもりです。それからリュウちゃん、上記のような歌謡曲・ポップスなどと共に、童謡・唱歌の類いも大好きで、よくカラオケでも歌うのですが、これらの童謡・唱歌が作られたのは、だいたい明治・大正時代は主で、リュウちゃんにとっては、立派な懐メロなのです。あっ、それから、昭和30年代あたりまで、歌声喫茶で歌われたロシア民謡なども好きなんですよ。リュウちゃん、かなり好みの幅が広いのです。リュウちゃんの声は、どちらかというと低音で、あまり喉に力を入れないソフトヴォイスなのです。よくカラオケ・スナックのママから、「桐島昇によく似た声ね」なんていわれています。その為、女性の歌もよく歌うのです。女性の歌を男性が歌う場合、1オクターブ、キーを下げて歌う事になるので、ひばりちゃんや島倉千代子さんの歌も違和感なく歌えるのです(リュウちゃんの歌を聞かされる方は、違和感があるんだろうな?)ですから、男性の歌は、本当はフランク永井や裕ちゃんの歌が、リュウちゃんの音域にはピッタリなのです。橋さんの歌は、リュウちゃんにとっては、かなりキーが高いのです。三橋美智也さんの「ギター鴎」という曲、リュウちゃんの大好きな曲なのですが、なにしろキーが高い、普段はめったにキーを下げて歌った事のないリュウちゃんですが、この歌だけは、キーを2つ下げて歌うのです。カラオケ道に邁進するリュウちゃんにとって、唯一の汚点なのです。昨日、近所の書店に行きましたら、齋藤愼爾著「ひばり伝 蒼穹流謫」という本が平積みされていましたので、早速、購入いたしました。齋藤さん、約30年程前、西村時光君の前任者としてお世話になったリュウちゃんの事を覚えておられるでしょうか?当時の新宿コールデン街でよく飲みましたね、あの時は、鈴木清順の奥様の店とか、マッハ文朱のお姉ちゃんの店とかによく行きました。その頃は、愼さんが美空ひばりのファンだなんて知りませんでしたので、ひばりちゃんについて、お話した事が無かったのですが、後で「偏愛的名曲事典 文学と音楽の婚姻」で、初期のひばりちゃんの歌は全部歌えるという言に出会い、びっくりしました。この本の中で、中島みゆきの「エレーン」にも触れられていましたが、リュウちゃんも、ひばりちゃんと並んで、みゆきさんの歌をよく謡っています。最近のお気に入りは、「ララバイSinger」です。最近、あの「夜会」を始めるきっかけとなった「二隻の舟」や、みゆきさんの歌のなかで2番目に長い曲、「生きていくおまえ」などをカラオケで歌っています・一度、機会があれば、ひばりちゃんの初期の歌を一緒に歌いたいと思っていますので、よろしく。さて、次回はリュウちゃんのプロフィール(4)です。地方の進学校に入ったリュウちゃん、どんな歌に出会うのやら?乞う!ご期待なのです。
2009年07月11日
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石原裕次郎ファンの皆様にお願いがあります。リュウちゃんは、裕ちゃんの曲を、ひばりちゃんや橋さんの曲のようには、よく知りません。そこで、リュウちゃんが歌った事のある歌の他に、こんないい歌があるよ、というような歌がありましたら、このブログに書き込みいただければ幸いです。宜しくお願い致します。
2009年07月06日
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昨日、東京の国立競技場で、石原裕次郎の23回忌の法要が東京の国立競技場で、ファン12万人を集めて行われました。裕ちゃんが亡くなったのは、昭和62年(1987年)7月17日(享年52歳)、でしたが、リュウちゃん、裕ちゃんの訃報は、仕事で行っていた和歌山県の新宮市のホテルで知りました。それで、その日は、新宮市のスナックで、裕ちゃんの歌のカラオケ三昧をやりました。以前のブログで書いたように、リュウちゃんは中学時代に、裕ちゃんの映画をよく観ていたのですが、同時に映画で使用された歌もよく口ずさんでいました。社会人になってからも、カラオケでは、ひばりちゃん、橋さんの歌などと共に、一番歌った歌手ではないかと思います。これまでリュウちゃんがカラオケで歌ったことのある歌を、例によってズラーと羅列してみます。★狂った果実、★嵐を呼ぶ男、★俺は待ってるぜ、★口笛が聞こえる港町、★俺は東京のタフ・ガイさ、★風速四十米★錆びたナイフ、★世界を賭ける恋、★紅の翼、★街から街へつむじ風、★王将・夫婦駒、★逢えるじゃないかまた明日、★こぼれ花、★サヨナラ横浜、★赤いハンカチ、★夕陽の丘、★俺はお前に弱いんだ、★黒い海峡、★二人の世界、★露子に逢いたい、★銀の指輪、★夜霧よ今夜も有難う、★夜霧の慕情、★粋な別れ、★港町 涙町 別れ町、★別れの夜明け、★恋の町札幌、★ブランデーグラス、★北の旅人、★紫の雨、★別離、★黄色い月、★白夜の都、★銀座の恋の物語、★わが人生に悔いなし、フー、35曲でした、本日の朝刊に「石原裕次郎大全集」の広告が出ていますが、それによれば、裕ちゃんのオリジナル曲は、全部で344曲だそうです。リュウちゃんがカラオケで歌ったのは、全体の10分の1にしか過ぎないのです。人生は短いから、あと何曲、裕ちゃんの歌をリュウちゃんの歌唱リストに追加出来るかな?
2009年07月06日
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7月4日(土)に、NHK・BS2で、「作曲家 船村徹~魂のうた 60年」という番組が放映されました。リュウちゃん、実は、船村徹さんの大ファン、早速、録画して楽しんでいます。この番組で紹介された歌をズーと羅列してみます。★東京だよ おっ母さん、★早く帰ってこ、☆なみだ船、★ごきげんさんよ 達者かね、★あの娘が泣いてる波止場、★別れの一本杉、☆友よ(高野公男追悼曲。船村歌唱)、★どうせ拾った恋だもの、★柿の木坂の家、★ダイナマイトが150トン、★王将、★宗谷岬、★矢切の渡し、☆おんなの出船、★赤とんぼ、☆ 流氷の風(新人、走(はしり)裕介のデビュー曲)、★波止場だよ お父っつあん、★哀愁波止場、★みだれ髪、☆浜っ子マドロス、★おんなの宿、★女の港、★兄弟船、★風雪なだれ旅、★男の友情船村さんの曲については、ブログ本編で順次お話したいと思っていますが、二つだけ書いておきます。(1)リュウちゃん、最近。「都の雨に」という曲に凝っていて、よくカラオケで歌います(吉田旺作詞、船村徹作曲、歌唱:ちあきなおみ、鳥羽一郎)これ、本当にいい歌なんです!シビレます!(2)番組の最後で歌った「男の友情」、若くして亡くなった盟友、高野公男の絶筆に付けた曲、青木光一の持ち歌ですが、ちあきなおみもカヴァーしています。これもリュウちゃん、よくカラオケで歌いますが、高野公男26歳の慟哭の深みには、63歳のリュウちゃん、到底達しないのです。残念至極なのです。しかし、ちあきなおみは凄い歌手ですね。
2009年07月05日
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八千草薫様の映画、「プーさん」をデビュー作かな?と書いてしまいましたが、それ以前に、「目下恋愛中」、「宝塚夫人」、「昔話ホルモン物語」、「一等社員」、「かっぱ六銃士」、「千姫」、「旅はそよ風」、「喧嘩駕篭」、「金さん捕物帖 謎の人形師」と9本もあるんだ!薫道は、まだまだ奥が深く、薫様を極めるのは大変な事なんですね、リュウちゃん、反省!です。ひとつ云い忘れていました。今から6年くらい前、ある機会がありまして、リュウちゃんが持っていた薫様の自伝エッセイ本「優しい時間」の表紙裏に、リュウちゃんの名前が入った直筆のサインをもらった事があるんですよ!凄いでしょう、この本は、リュウちゃん生涯のお宝なのです。最新の映画、「ディア・ドクター」観に行こうかな?
2009年07月04日
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今日は、リュウちゃんです。伊勢湾台風で中学校の校舎が全壊したのが、中学1年生の9月、その後、中学2年生までは、体育館を仕切った教室で、かなり不自由な学校生活を送った筈なのですが、なにしろ、学校での授業をあまり真面目に受けるタイプの生徒ではなかったリュウちゃん、同級生と海岸で相撲を取ったり、ビー玉遊びをしたりと、学業とは無縁な楽しい遊びに終始していた記憶しか残っていないのです。学業に関して、一つだけ記憶に残っていますのは、週に一度位、伊勢市の英語塾に通っていたこと位、けれども、真剣に勉強しようという動機からではなく、同級生の従兄が、伊勢市の塾に通うというので、じゃあ、一緒に行こうかという位の軽いノリだったのです。その英語塾は、キリスト教系の幼稚園の園長さんが、幼稚園の園児が帰った後の教室を使って、やっていたような記憶があります。塾での学習は、英語の教科書を授業に先行して読んでゆくというもので、ネイティブな発音などとは無縁なものでした。まだ、ほんの子供だったリュウちゃん、塾の学習よりも、行き帰りに電車に乗れる事、お菓子を買って食べるのが楽しかったというような思い出しか残っていないのです。中学3年生になり、いよいよ卒業後の進路を決めなければならない時期になりました。リュウちゃんが中3になった昭和36年の頃は、やっと高校進学率が50%を超えようかという時代、リュウちゃんも何となく、「これからの時代は高校位は卒業しておかにゃー」と考えていましたので、一応、進学組にエントリーすろ事にしました。(進学組は、通常の授業の他に、高校進学の為の模擬テスト対策の課外授業などがありました。就職組はソロバンなどの課外授業などがあったのです)中3になり、最初の三重大学高校進学模擬テスト(通称:三重大アチコン)を受験しましたが、結果を確認してビックリ!約100人程いた二見中学校の進学組の中で、4番目という好成績、リュウちゃん、勉強もかなり出来るのだ、捨てたものでもないな、と、その時初めて気が付きました。で、志望校の選定をしなくてはならないのですが、どこにしようか?その当時は、大学というものは、余程お金持ちの子弟か、余程頭のいい子弟が行くもので、リュウちゃんには余り縁がないな、などと考えていましたので、一応学区内で一番就職に有利とされていた松阪工業高校を志望校としてエントリーしたのですが、何しろリュウちゃん、手先が不器用、図画工作が大の苦手、という事と、生来の軟派者で、女生徒のいない工業高校への進学は、イマイチ乗気では無かったのです。3年生の夏休み、以前のブログで書きましたように、夏季課外授業を放っぽり出して、大阪の南街劇場に「ベン・ハー」を観に行きましたが、約10日ぶりに課外授業に復帰しましたところ、2週間前に受験した第2回三重大アチコンの結果がでていまして、リュウちゃん、何と全校で一番の成績だったのです!そんな事もありましたので、「こりゃ、大学進学も有りかな?」という気になりまして、志望校を松阪工業から、地元随一の進学高、伊勢高校に急遽変更したのです(この高校には、かなり女生徒もいますしね)でも、相変わらず、学校の授業は真面目に受けた記憶がありません、特に数学の時間は、読書の時間と考え、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」や、パールバックの「大地」や、アガサ・クリスティ、エラリー・クイーンのミステリーなどを読んでいました。この頃観ていた映画はと申しますと、相変わらずの東映チャンバラ映画の外に、「十戒」、「ベン・ハ-」、「騎兵隊」などの洋画、それと、石原裕次郎。小林旭などの日活アクション映画をよく観ていました。石原裕次郎は、最初の大ヒット作「嵐を呼ぶ男」の公開が、リュウちゃん小学生の時、劇場で裕ちゃんを初めて観たのは、「風速40米」、その後、「紅の翼」、「世界を賭ける恋」、「闘牛に賭ける男」などを観ました。小林旭は、確か中1の時、「南国土佐を後にして」を観たのが最初です。この映画、その後の「渡り鳥シリーズ」のはしりとなる映画でした。印象に残っているシーンが一つあります。サイコロ賭博で、彼が盆の仲にサイコロを五個入れ、シェイクして盆をテーブルにポンと載せる。やおら盆を開けると、サイコロが縦一直線に積み上がり、しかも、そのサイコロの目が全てピン(1)、凄げーや!リュウちゃん、一時、このダイス遊びに凝った事がありました。生来軟派者のリュウちゃん、日活アクション映画でも、スクリーンを彩る女優陣についつい目がゆくのでした。北原三枝、南田洋子には目がいかなかったのですが、浅丘ルリ子、笹森礼子、芦川いづみ、松原智恵子、中でも、松原智恵子は、一時、リュウちゃんの女神の一人でした。ずっと後年、後楽園球場に巨人対中日戦を観戦にいった事がありまして、3塁側内野席で観戦したのですが、ひょいと後を振り返ると、何と、松原智恵子女神様がいらっしゃるではありませんか!しかし、プライベートでの来場だったので、声をかける事が出来ませんでした。残念!リュウちゃんの生涯に悔いを残したのです。智恵子女神様は大のドラゴンズ・ファンなのです。リュウちゃんが中学3年生の時、生涯最大の女神様に出会いました。その人の名は、八千草薫様です。忘れもしません、NHKテレビで放映された文芸ドラマ、「夏目漱石の三四郎」、薫様は、このドラマで、主人公の小川三四郎を翻弄する里見美禰子を演じていたのですが、何と可憐な、何と美しい美禰子さんだったのでしょう!このドラマで、八千草薫という名前は、永遠にリュウちゃんの胸の奥深くに刻まれ、永遠の女神様になったのです。このドラマ放映時、薫様は何と29歳!リュウちゃん14歳、ともかく、薫様はリュウちゃんより、15歳も年上なのです。にも拘わらず、薫様は永遠なのです!その後、中々薫様の素敵な映像にお目にかかる事は有りませんでした。社会人になってから、最初に薫様を観たのが、篠田正浩監督の「美しさと哀しみと」、これが昭和40年、次いで昭和47年の「男はつらいよ・寅次郎夢枕」のお千代さん役、この時、薫様41歳、今で云うアラフォー、その2年後に、寺山修司の「田園に死す」、この映画、少しキワどいシーンがありましたが、これは吹き替えでしょうね?この時が薫様43歳、信じられない若さ!その後は、ビデオ時代になったので、旧作をビデオで収集という事になりました。稲垣浩監督、三船敏郎主演の「宮本武蔵」三部作での、お通さん役、本当に美しい、ひたむきな薫様!これは最高!なのです。あと、プッチーニのオペラを映画化した「蝶々夫人」、これも最高!ただ、歌が吹き替えで残念、薫様の可憐さとは、程遠い歌唱、残念です。これは、音声を消すか、音量を小さくして、薫様の美しさのみに集中しましょう。あと、岸恵子主演の「雪国」とか、デビュー作(?)の「プーさん」とか、「白夫人の妖恋」とか、色々ありましたが、少しイマイチ、と、そこに、奈良のケーブル・テレビの有料放送、「衛星劇場」で、何と!薫様の初期作品が一挙放映との情報、作品は「三四郎」、「殉愛」、「若い瞳」、「濡れ髪剣法」、それと、「美しさと悲しみと」ああ!中3の時にテレビドラマで観て、憧れた薫様の、ドラマの5年前に撮った幻の「三四郎」の映画が観られる!生きていて良かった!でも、他の作品も皆良かったのです。この上は、憎っくき谷口千吉の「乱菊物語」、どこかで完全放映期待なのです。薫様が唯一吹き込んだ歌のCDを持っています。「旅はそよ風」、高田浩吉風の大谷友衛門とのデュエット曲。薫様、歌も初々しいのです。尚、リュウちゃんは3人の子供がいるのですが、長女には、薫様の本名(松田瞳)に因み、「ひとみ」と命名、長男は、「寅次郎夢枕」のお千代坊の子供の名前と同じ、「聡」(さとし)と命名したのです。つい先日、リュウちゃんの中学、高校時代の友人だったトッちゃんと、45年ぶりに再会、ワタミで痛飲後、近所のカラオケ店で懐メロ熱唱、トッちゃん、北新地で鳴らしているようで、あのハイ・トーンの小林旭の懐かしい歌の数々を大熱唱、浜千代宏子様、トッちゃんはいまだにナイス・マイトガイなのです。えー、次回は、リュウちゃんにとっての懐メロとは何か、懐メロ観を真面目に書いてみたいと思います。それと、裕次郎、旭の好きな歌も一挙大公開予定、乞う、ご期待です。
2009年07月04日
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橋幸夫さんのデビューが1960年(昭和35年)、来年が、デビュー50周年なのだ!リュウちゃんの持っている「橋幸夫大全集」(CD6枚組、120曲収録)を調べてみますと、1993年までにビクターから発売された橋さんのオリジナル曲は、273曲、また、ビクター・ヒット賞を受賞したシングル盤は、85枚、これ、凄い数字だと思います。そこで、地方在住の橋さんのオールド・ファンとして、偉大なる歌手、橋幸夫さんをもう一度大ブレイクさせるために、ビクター・レコードさんにお願いがあります。(お願い)(1)上記273曲+往年の姪歌手のカヴァー曲すべてを収録した「橋幸夫コンプリート大全集」(全320曲位、CD16枚組)をデビュー50周年企画として発売して欲しい。価格は出来たら2万円位が望ましいのですが、これはビクターさんにお任せいたします。(2)現在、業務用カラオケには、橋さんの曲は非常に少ないので、来年に向かって、50曲位、追加して欲しい。股旅物の映像は、大映に相当出演映画があるので、これを使用するのがベスト、「舞妓はん」は、松竹の倍賞千恵子さん出演の映像があります。(これはビクターさんではなく、第一興商さんなどの業務用カラオケ・メーカーさんに頼んだほうがいいのですかね?)(3)リュウちゃんの秘曲、「芸魂」をデビュー50周年シングル曲として新しく吹き込んで、現在のカラオケ・ファンの間で、ヒット曲にして欲しい。(カップリング曲は、「風の三度笠」がいいのですが、、)かって橋さんファンであった団塊の世代が、大量に退職する時代です。デビュー50周年を機に、もう一度、橋さんにスポットライトが当って欲しいと願うリュウちゃんなのです。
2009年06月29日
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一つ忘れていました。戦前戦後の懐メロの内、「旅笠道中」や、東海林太郎の「野崎小唄」、「むらさき小唄」、「お駒恋姿」、鶴田浩二の「弥太郎笠」などは、橋さんの歌唱で、リュウちゃんの頭に入ったのです。この辺の歌は、橋さんの歌唱がピカ一なのです。
2009年06月27日
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今日は、リュウちゃんです。今回は、3回目のブログでお約束した橋 幸夫の特集です。ひばりちゃんの時と同じように、先ずリュウちゃんがカラオケで歌ったことのある歌(☆印)、カラオケで歌った事はないけれど、好きな歌(☆印)をズーっと挙げてみます。★潮来笠、★伊太郎旅唄、☆あれが岬の灯だ、☆君恋い波止場、★おけさ唄えば、☆逢いたいぜ、☆喧嘩富士、★木曾ぶし三度笠、☆新三ひとり旅、★磯ぶし源太、☆若い素顔、★南海の美少年、★花の白虎隊、☆わが生涯は火の如く、☆故郷の花はいつでも紅い、★沓掛時次郎、☆すっとび仁義、☆明日を呼ぶ港、☆東京の美少年、☆俺ら次郎長、☆北海の暴れん坊、☆花の兄弟、☆風の三度笠、★江梨子、☆悲恋の若武者、☆悲しき天使、☆慕情のワルツ、★中山七里、★若いやつ、☆美少年忠臣蔵、☆おぼろ月夜の三度笠、☆成田の花太郎、★いつでも夢を、☆あした逢う人、☆すずらん娘、☆花の折鶴笠、★舞妓はん、☆北海の流氷、☆新博多どんたく、☆若い東京の屋根の下、☆夜のブルース、☆お祭り小僧、☆瞼の母、☆箱根山、☆東京ギター、☆薩南健児の歌、★白い制服、☆芸魂、☆通天閣の灯、★お譲吉三、☆関の弥太っぺ、☆若い歌声、☆ 月夜の渡り鳥、☆赤いブラウス、☆白井権八、☆ああ特別攻撃隊、☆花の舞妓はん、☆そこは青い空だった、☆わすられぬ人、☆青いセーター、☆孤剣、★恋をするなら、☆孤独のブルース、☆ゼッケンNo,1スタートだ、☆君のひたいに光る汗、☆CHE CHE CHE、☆愛をこめて、☆さすらい者、☆恋のインターチェンジ、☆花の仁義、☆愛のしあわせ、☆すっ飛び野郎、☆さわらびの丘、☆あの娘と僕、☆涙の小窓。☆月の舞妓はん、☆ぜったい好きだぜ、☆あなたをつれて、☆残侠小唄、☆あんこはお嫁に、★雨の中の二人、☆夢みる港、☆あの娘は街へ、☆今日子、★霧氷、☆シンガポールの夜は更けて、☆佐久の鯉太郎、☆乙女川、☆京都・神戸・銀座、★子連れ狼、フー!★印が19曲、☆印が71曲、全部で90曲。以前のブログで書いたように、「潮来笠」「故郷の花はいつでも紅い」(以前のブログでは。「故郷の花はいつでも赤い」と書きましたが、これは間違いです。すいませんでした)をラジオで聴いて衝撃を受けたのが中学二年の時、橋さんのデビューは17歳、この時、リュウちゃんは14歳ですから、橋さんは3歳年上ということになります。この頃リュウちゃんの耳に入ってきた歌は、若原一郎とか、曽根史郎とか、三浦 洸一とか、フランク永井とか、松尾和子とか、松山恵子とか、鈴三重子とか、、とにかく、リュウちゃんにとっては、皆、おじさん、おばさん歌手ばかり、橋さんの登場によって、やっと同年代の、同じ青春の悩みを歌える歌手が出てきたなーという感慨を持ちました。でも、田舎の貧乏少年だったリュウちゃん、レコードを買う金はあろう筈がありません。もっぱら、テレビで、名司会者、玉置宏さん司会の「ロッテ歌のアルバム」などで橋さんの歌を聴いていました。大学に入り、やっと少し小遣いに余裕が出来たので、その頃発売されていたソノシート盤を買って、橋さんの歌を楽しんでいたのです。橋さんの歌の何処にそんなに惹かれたのか?と考えますと、やはり先ほどもお話したように、同年代の悩める青春を歌った歌に強く共感したことだと思いますが、何と言っても、橋さんの節回しの絶妙さにイカれてしまったのです。「舞妓はん」を例に挙げて、節回しの絶妙さを、少し話してみます。この曲の最初の歌詞は「花のかんざし重たげに」です。音符だと、「ミーミーレーミファミファーミードミドシーラーシー」となりますが、橋さんの歌唱では「ミーミファミレーミミファミミファーミードードミドシドシラーシー」と聴こえます。本当はもっと細かく、絶えず音が変化します。また、随所にある音から別の音に移行する際に、一気に移行するのではなく、連続的に移行する(ポルタメント)とか、同じリズムの中で、歌唱の部分のみ、ある音を延ばしたり縮めたりする(ルバート)とか、この辺は全て節回しの範疇に入るのですが、これが、橋さんの場合、まさに天才としかいいようのないほど、絶妙なのです。節回しが絶妙だと思った歌手は、橋さんの他には、ひばりちゃんだけなのです。クラシックの歌と違い、歌謡曲は節回しが命であると考えているリュウちゃんは、やはり橋さんとひばりちゃんが、歌謡曲史上、最高の歌手であると考える所以なのです。何と上手いのだろう!何と悲しいのだろう!橋さんの歌で、最初に強く惹かれたのが、マイナーコードの時代物です。「潮来笠」のB面の「伊太郎旅唄」、「木曾ぶし三度笠」のB面の「新三ひとり旅」、「風の三度笠(!!!)、「月夜の渡り鳥」、それと、往年の挿絵画家、伊藤彦造の絵を思わせるような悲壮感に満ちた美少年物、「南海の美少年」、「花の白虎隊」、「悲恋の若武者」、「美少年忠臣蔵」、「孤剣」、「美少年物」は、橋さんの所属していたビクター・レコードの十八番(おはこ)、美少年(青年)歌手としては、「哀愁の町に霧が降る」の山田真二、「湖愁」の松島アキラ(美少年じゃないか?)、「美しい十代」の三田明、「霧の中の少女」の久保浩などがいます(リュウちゃん、これらの唄はすべてカラオケのレパートリーなんです)これ、ビクター専属の大作詞家、佐伯孝夫さんの趣味なのかな?戦前から昭和30年代くらいにかけて、芝居や映画で評判になった時代劇を、一番多く歌にしたのも、橋さんとひばりちゃんです。橋さんのそのような曲を挙げてみます。「木曾ぶし三度笠」、「「南海の美少年」、「花の白虎隊」、「沓掛時次郎」、「俺ら次郎長」、「中山ヒ里」、「悲恋の若武者」、「美少年忠臣蔵」、「瞼の母」、「お嬢吉三」、「関の弥太っぺ」、「白井権八」、ついでに、ひばりちゃんの、そのような曲を挙げておきます。「牛若丸」、「月形半平太の唄」、「八百屋お七」、「お夏清十郎」、「娘道成寺」、「恋の曽根崎」、「お染久松」、「雪之丞変化」、「江戸の闇太郎」、「菊五郎格子」、「おかる道ゆき」、「御存じ弁天小僧」、「お島千太郎」、「蛇姫様」現代物でも、当初デビュー曲に予定されていたといわれる「君恋い波止場」を始め、山中みゆきとのデュエット曲、「若い素顔」(この曲、若いボクサーと、その妹がテーマ、橋さんも元ボクサー志望、思い入れの強い歌唱なのです)、それと、「江梨子」などの純愛物、なかでも、トリコロール三部作、「白い制服」、「赤いブラウス」、「青いセーター」がいい!、「白い制服」は、特にリュウちゃんお気に入りの曲、今でもカラオケでよく歌っています。この曲は、戦前、コロムビアから発売された「愛染かつら」だとか、戦後ビクターから発売された「月よりの使者」の流れをくむ作品です。また、「舞妓はん」三部作、「舞妓はん」、「花の舞妓はん」、「月の舞妓はん」、これ、「祇園小唄」の流れをくむ京都の情緒を色濃く音楽にした純愛物です。映画では、かの「男はつらいよ」の寅さんの妹、さくらさん役で有名な倍賞千恵子さんが舞妓役を演じていましたね。リュウちゃん、最近、特に「花の舞妓はん」を歌いたくてしょうがないのです、もう一つだけ挙げますと、橋さんと吉永小百合ちゃんのデュエット曲です。大ヒット曲「いつでも夢を」を皮切りに、「若い東京の屋根の下」、「若い歌声」、「そこは青い空だった」、「愛のしあわせ」、「夢みる港」、「あの娘は街へ」の7曲があります。いずれも、いい曲なのです。まだ書きたい事がいっぱいあるのですが、この辺で止めます。元、大阪市内のレコード店の店長で、リュウちゃんより少し年上の友人にミカモさんという人がいます。この方は大のエルヴィス・プレスリーファンなのですが、橋さんの大ファンでもあります。橋さんの数ある曲の中で、秘蔵の曲は何か?という点に関して、期せずしてミカモさんとリュウちゃんの意見が一致したのです。その曲は、「風の三度笠」と「芸魂」なのです。橋さんの曲は、ひばりちゃんに比べて、カラオケ化されている曲が非常に少ないのが残念でなりません。御三家の一人、舟木一夫さんに比べても、非常に少ないのです。カラオケメーカーさん、橋さんの曲のカラオケ化を宜しくお願い致します。終わりに、菅家利和様、若しよろしければ、リュウちゃんの持っている「橋幸夫大全集」(CD6枚組、120曲入り)を差し上げたいのですが、どうやって連絡すればいいのやら?
2009年06月27日
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今日は、リュウちゃんです。今回は、「少年ケニヤ」に関して、最初のブログで書いたものの、少し気に掛かっていた疑問点を「番外編」として書きます。その疑問点とは、果たしてリュウちゃんは、本当に就学前に「少年ケニヤ」を読んでいたのか?という点です。そうだとすれば、リュウちゃんは、小学校に上がる前に、少なくとも、ひらがな、片仮名は読めていた事になります。現在と違って、当時の田舎では、よほどお金持ちか教育熱心な家の子弟しか就学前に文字を学ぶなんて事はありませんでした。現にリュウちゃんも、就学前は面子、ビー玉、鬼ごっこなどの遊びに忙しく、学習塾へ行くなんて事は、夢にも考えられない生活を送っていました。小学校一年生の国語に教科書の最初のページは、「ひろしさん、しろ、ゆたかさん、てるこさん」であった事をまるで昨日の出来事のように鮮明に記憶している事から考えますと、これが文字を習う初めての事だったのかも知れません。しかし、この頃には「少年ケニヤ」に熱中していた、本当に小学一年生だったのかな?もう少し後だったのでは?リュウちゃんが「少年ケニヤ」を初めて読んだのは、忘れもしない、近所の少し年上の従兄が持っていたサンケイ児童文庫の第3巻です。表紙絵が、カバが大口を開けてワタルに迫る、ワタルは、マサイの長槍で応戦するという図。「少年ケニヤ」が産業経済新聞で連載が始まったのが、昭和26年10月、リュウちゃん5歳と4ケ月、連載は、多分、丸三年、1200回近くに及んだ筈です。連載に少し遅れて、サンケイ児童文庫の刊行が始まった筈です。という事は、第3巻が刊行されたのは、多分昭和27年、リュウちゃん、幼稚園に通っていた頃(就学は、翌昭和28年の4月なのです)段々判ってきました。リュウちゃんが従兄の家で初めて「少年ケニヤ」第3巻を手にしたのは、幼稚園に通っていた頃の事だったのです。多分、この本を手にするまでは、リュウちゃんは文章をまともには読めなかった筈です。この本の挿絵が余りに素晴らしかったので、何とか工夫して、スラスラと読めるようになったのだと思います。平仮名はもとより、片仮名(ワタル、ケート、ゼガ、センゲ、ワカギなど、登場人物は全て片仮名表記、漢字も全てルビは振られていましたが、かなり量が多く、小学校六年間で学ぶ量は優にあったと思います。あっ、判ったぞ!、リュウちゃんが学校での勉強が嫌いだったにもかかわらず、国語の成績が良かったのは、「少年ケニヤ」のお陰だったのだ!「少年ケニヤ」が国語の教科書代わりだったのだ!「少年ケニヤ」第3巻を従兄の家で読んだあと、暫く途絶えていましたが、次に従兄の家で読んだのが第7巻だったのです。第3巻の物語から、えらく物語りが進んでいるな、第4巻の怪獣が出てくるところを読みたいな、などと考えていましたが、従兄の家で読んだのは、この2冊のみ、矢も立ても堪らず、父に「ケニヤ買ってよー、買ってよー!」と強引におねだりしましたところ、第11巻から新刊が発売される度に、しぶしぶ買ってくれるようになりました。「ケニヤ」の後に発売された「少年タイガー」は、全巻(11巻)買ってもらったのです。「少年ケニヤ」の物語自体の疑問、当時のケニヤ地方では、いろいろな部族が互いと交わることが無く、孤立した原始生活を送っているという設定にもかかわらず、言葉が共通なのは何故なのかな?→まあ、この問題を持ち出すと、物語自体が成り立たなくなりますので、リュウちゃんのような賢明な読者は、この点には目をつむるのです。ワタルやケートの服装は、数年間に渡り、全く同じ、ワタルの上半身は、シャツの切れっぱしが僅かに残っているだけ、幼児期から少年期で、相当成長している筈なのに、また、ワラルの髪の毛は、いつも同じ長さ、床屋には行かない、髪を切るハサミもありそうもない、にもかかわらず、いつも同じ長さなのです。、また、マサイの大酋長ゼガは、老人ながら、いつも無精髭の無い、スッキリとした顔立ち、まるで、最近の映画「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッドのよう、クリント・イーストウッドと違って、未開のアフリカでの放浪生活で、どうやって髭の処理をしていたのか?また、同じく放浪生活をしているワタルの父、村上大介は、愛用のライフル銃の弾をどこで調達していたのか?→これも、上記の言葉の問題と同じく、賢明な読者は深く追求しないのです。以上のように、リュウちゃんが幼児期に読んだ「少年ケニヤ」は、第3巻、第7巻、第11~13卷(13卷で完結)、それと、もう少し後で手に入れた第1巻及び第5巻の計7冊だったのですが、30代の頃、サンケイ児童文庫の復刻版(全11巻)が発売されましたので、これを全巻購入、ここに至り、やっと憧れていた「少年ケニヤ」のミッシング・リングが繋がり、晴れて名実共に「ケニヤ」ファンの一員に名を連ねる事が出来たという訳です。改めて全巻を読んで、気付いた事、ほぼ同時代の作家、小松崎茂や手塚治虫などが、未来志向のロボットや戦艦など、メカを描き、当時の少年達に夢を与えたのとは反対に、山川 惣治は、この頃から急速に失われ始めた大自然の美しさ、動物達の肉体的躍動感など、過去指向の手法で少年達に夢を与えたのです。田舎育ちのリュウちゃんも、この「過去指向」によりハマったという訳です。リュウちゃんの場合、この「過去指向」が、音楽的にも波及し、「懐メロ」指向に向かったのです。また、多分この頃、研究が進み始めたジュラ期・白亜紀の恐竜が描きたかった。リュウちゃんの知る限り、彼の絵物語で恐竜を見たのは、「少年王者」のプロントザウルスが最初ですが、このプロントザウルス、なんと肉食で凶暴なのです。「少年ケニヤ」では、恐竜指向全開、肉食恐竜の王。ティラノザウルス大活躍、「少年タイガー」でも、最終の第11巻で、ティラノザウルスを始め、陸・海・空の恐竜オン・パレード、この指向が昂じたのか、その後の「少年恐竜」では、全編恐竜だらけという作品になっていました。スティーブン・スピルバークの映画「ジュラシック・パーク」を観ましたが、リュウちゃんのような山川 惣治の大ファンから見れば、「やっぱり山川さんの恐竜のほうが迫力があるな!」、でした。スピルバーグさんは、「少年ケニヤ」を読んでいたのではないか?という点を2つ挙げます。一つは、「少年ケニヤ」、旧サンケイ児童文庫第8巻冒頭、ワタルたちがマサヤ絶壁から逃れるべく、吊橋を渡る、吊橋が焼け落ち、その焼け落ちた吊橋のロープの端に掴まり、かろうじて脱出に成功する場面、この場面、「インディー・ジョーンズ」の2作目、「魔宮の伝説」のラストのクライマックス・シーンと同じ、もう一つは、「少年ケニヤ」第11巻後半、草原が火事になり、大量の動物が逃げまどう。それに巻き込まれない為に、草原にある大きな倒木の影に身を隠し、難を逃れる、この場面、「ジュラシック・パーク1」に同じようなシーンがありました。スピルバーグと山川 惣治の関連を指摘したのは、これが初めての筈、リュウちゃん、少しこの発見にワクワクなのです。そんな事有り得ない?という声も聞こえて来そうですが、ハリウッドの巨匠達は、我々が想像している以上に、徹底的に考証するのです。少し以前、ビックリしたのは、クエンティン・タランティーノの「キル・ビル1」、クライマックスのユマ・サーマン大立ち回りの後に、何と、梶芽衣子の「修羅の花」が流れる!この歌、懐メロ大好きなリュウちゃんの秘曲!それまで、ほとんど忘れられていた歌をアメリカ映画の監督が使う、ハリウッドの考証はここまで徹底しているのです。スピルバーグが「少年ケニヤ」を読んでいても、ちっとも不思議ではないのです。あっ、このブログのテーマは「懐メロ」でしたね、「少年ケニヤ」ではワタルはたて笛を持っていて、食事の後などに、スコットランド民謡(だったか?)の「故郷の空」を吹くのです。大蛇ダーナのかま首にまたがり、たて笛で「故郷の空」を吹きながら、ケニヤの鬱蒼としたジャングルの上を悠然と滑って行くワタルの姿が、今も瞼の奥に焼きついているリュウちゃんなのです。
2009年06月22日
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今日は、リュウちゃんです。今回から、ブログのタイトルを、ズバリ、「リュウちゃんの懐メロ人生」に変更しました。今後は、毎週土曜日か日曜日に更新していく予定です。★リュウちゃんのプロフィール(2)リュウちゃんが地元二見が浦の中学校に入学したのが、昭和34年、中学校は二見海岸のすぐ傍にあり、夏の海水浴実習の時には、校内で水着に着替えて、徒歩1分で海に着くという至近距離にありました。この年の4月に、皇太子(現・天皇陛下)の御成婚、中学校に入学して、幾日も経たない時期に、伊勢市での御成婚パレードを学校挙げて見に行きました。その時の美智子妃殿下の何と気品高く、美しかった事!、リュウちゃん、まだ12歳のガキの身でありながら、妃殿下に恐れ多くも恋心を抱いてしまったのでした。この年の9月15日、三重県の人間にとって忘れもしない伊勢湾台風直撃、事前の台風情報で、未曾有の超大型台風である事が判っていましたので、リュウちゃんの実家でも両親が雨戸を補強したり、玄関に太い筋交いをかませたり、停電に備えて、太いロウソクを用意したりと、いろいろと準備をして台風襲来に備えたのですが、いざ台風が襲来すると、そんな準備は何の役にも立ちません。15日の夜から吹き始めた烈風は、物凄い勢いで荒れ狂い、雨戸は吹き飛びそうになるは、縁の下から吹き込んだ風で畳は舞い上がるは、家全体が烈風でミシミシと大揺れするわと、正に生きた心地のしない数時間でした。リュウちゃん、中学一年生にして、初めて迫り来る死の恐怖を数時間もの間、味わったのです、足元からガクガクと震えが来て止まりませんでした。幸いなことに、リュウちゃんの実家は屋根瓦が10数枚飛んだだけで、倒壊は免れたのですが、通っていた中学校は外形は残っていたものの、ほぼ使用不能の状態、しばらく休校状態が続いたのですが、暫くして校舎の近くに在った体育館を仕切り、教室として1年あまり使用していました。新校舎が完成したのは、中学3年生になってからでした。伊勢湾台風が去った後、約2週間位、停電状態が続きました。その当時は、まだ電化製品は少なく、せいぜい電灯が点かない、テレビが見れない、ラジオが聞けないという程度だったので、決定的にライフラインが麻痺してしまうという状況では無かったのですが、これが50年後の現代だったらどうでしょう?完全に生活は麻痺してしまいますね、改めて私達の生活が、危うい基盤の上に成り立っている事を痛感するリュウちゃんなのでした。今年の9月15日で、あの恐ろしかった伊勢湾台風から早や50年になります。リュウちゃんも長生きしたものです。小学校時代に読んだ本は、全て漢字にルビを振ってあるものばかりでしたが、中学校に入ってからは、ルビの振ってない本を読めるようになりました。何を読んでいたのかと申しますと、先ずは新潮文庫の「シャーロック・ホームズ」シリーズ、4つの長編(「緋色の研究」、「バスカヴィル家の犬」、「四つの署名」、「恐怖の谷」)と5つの短編集は、すべて中学時代に読みました。ホームズ物から海外の本格ミステリー物に入って行き、中学3年生の頃には、アガサ・クリスティ。エラリー・クイーン、エドガー・アラン・ポー、G,K,チェスタトンなどを読むようになりました。相変わらず東映チャンバラ映画はよく観ていましたが、これと併行して、洋画もしばしば観るようになりました。セシル・B・デミルの「十戒」を観たのが、多分中学一年の頃、少し洋画ファンだった父に連れられて、伊勢市駅前の「白鳥座」という映画館で観たのですが、その豪華さ、スケールの大きさにビックリしました、あの紅海が真っ二つに割れるシーン、当時、日本の特撮映画では、円谷英二の「ゴジラ」「ラドン」「地球防衛軍」などをワクワクしながら観たものでしたが、「十戒」の「紅海真っ二つ」の特撮は、全くスケールが違う、こりゃ、凄いや!と、大感激しました。この頃、70ミリ映画という従来のシネマスコープを遥かに上回る大型映画が出現、「八十日間世界一周」、「スパルタカス」、「栄光への脱出」、「ベン・ハー」、「アラモ」、「ウェストサイド物語」などが出てきましたが、伊勢市では上映設備のある映画館が在りませんでした。「ベン・ハー」は、当時、全国で僅か2館(テアトル東京。南街劇場)のみのロードショウ、「ベン・ハー」が観たくて堪らなかった中学3年生のリュウちゃんは、高校受験の夏の補習授業をホッポリ出して、大阪のオバさんの家に長逗留、そこを起点にして、難波駅前にある憧れの南街劇場に足を運んだものでした。あのクライマックスの戦車競争のシーンには全く興奮させられました(凄い!!!)尚、生来軟派者のリュウちゃんといたしましては、ベン・ハーの妹のティルザを演じたキャシー・オドネルに少し魅せられましたが、ハイヤ・ハラリートはイマイチなのでした。あっ、「栄光への脱出」のジル・ハワースのパンツ・ルックにはクラクラしてしまうリュウちゃんなのでした。「ベン・ハー」に続いて公開されたMGMの超大作、「キング・オブ・キングス」も、確か南街劇場で観た筈です。サロメを演じたブリジッド・バズレンにクラクラなのでした。この頃見た洋画の中では、「チャップリンの独裁者」が良かった。ポーレット・ゴタートの何と溌剌としていた事!そろそろ思春期にかかっていたリュウちゃん、この頃公開されたイングマル・ベルイマンの「処女の泉」という映画を観たかったのですが、残念ながら成人指定、外見的には品行方正だったものですから、成人に化けて劇場に潜り込むなんて芸当は思いも寄らなかったのでした。中学2年生の頃、ラジオから「いたこーのいーたろーおお」という歌声が流れて来まして、「あー!いい歌だなあ」と、一発で虜(とりこ)になってしまいました。これが、ビクター・レコードの新人歌手、橋 幸夫のデビュー作、「潮来笠」との出会い、続いて、名古屋のローカル・ラジオ歌番組「田園ソング」で、「故郷の花はいつでも赤い」という歌が放送され、リュウちゃん、この2曲で、橋 幸夫という名前が刷り込まれ、すっかり大ファンになってしまったのでした。これまでの歌手に無かった幼いといえる若さ、当時14歳の少年であったリュウちゃんと同じ思春期の悩みが見事に歌になっているではありませんか!後から考えれば、橋 幸夫の登場は、いわゆるアイドル歌手のはしりであり、ひばりちゃんと共に、歌謡曲を20代以上の年代の音楽から、一挙に10代の年代の音楽に引き下ろし、爆発的な若者文化を創り出した原点というべき事柄だったように思われます。足利事件の冤罪から解放されたリュウちゃんと同じ歳の菅家利和さんも、多分、橋 幸夫の歌にある多感な青春の想いに心を動かされたのかも知れません。という事で、次回は、リュウちゃんの好きな橋 幸夫の歌を、前回のひばりちゃんの時と同じように、ズラーと挙げてみます。乞う、ご期待なのです。
2009年06月20日
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今日は、リュウちゃんです。初めてのブログ、早速、多くのアクセスを頂き、リュウちゃん、嬉しさで舞い上がっています。清教寺嵐様、心温まるコメント、有難う御座います。あなたのお好きな三橋美智也、春日八郎、私も大好きですので、また日を改めてお話したいと思っています。最初のブログで予告したように、今回は美空ひばりちゃんの歌特集です。私が30歳になる少し前、昭和50年頃に、コロムビア・レコードから、ひばりちゃんのデビュー作、「河童ブギウギ」らの全オリジナル・シングル曲をA、B面共、全て収録したLP盤(各2枚組)が発売されているのを知り、幼い時に感激した「長崎の蝶々さん」が収録されている第7卷(8卷だったかな?)を中心に、第6巻から第9巻の4セットを購入しまして、再び、ひばりちゃん熱が再燃しました。平成元年6月24日、ひばりちゃんが逝去された日の夜は、たまたま大阪の曽根崎新地にあるカラオケ・スナックで、「リンゴ追分」などを歌っていましたが、虫の知らせとでも云いましょうか、色々なひばりちゃんの歌が歌いたくなり、スナックのマスターに、「白いランチで十四ノット」は無いのか?「アンデスの山高帽子」は無いのか?と、無理な要求を出して、マスターを困らせました。この日は家に早朝帰宅(いわゆる朝帰り)、帰宅した家のテレビのニュースで、ひばりちゃんの死を知りました。何か熱いものが込み上げてきて、以前購入したLPを取り出し、その頃最も好きだった「月夜笛」を涙ながらに聴いた記憶があります。それからしばらくして、ひばりちゃんの全オリジナル・シングル曲(全517曲)を収めた35枚組のCDを購入し、通勤の行き帰りなどにCDウォークマンで、よく聴いていましたが、私の嗜好は、どうもひばりちゃんの二十歳までの楽曲に偏っていたようです。カラオケに収録される曲目も、生前とは比較にならない位増え、私のひばりちゃんカラオケ・レパートリーもかなり増えましたが、どうしても若い頃の楽曲に魅かれるのです。下記に、私がカラオケで歌った歌(★印)、業務用カラオケ未収録で、歌いたいのですが、まだ歌ったことの無い大好きな歌(☆印)を、発売順に挙げてみました。(大好きなひばりちゃんの歌)★ 河童ブギウギ、★悲しき口笛、☆青空天使、☆白百合の歌、★東京キッド、★ 越後獅子の唄、★私は街の子、★ひばりの花売り娘、★泥んこブギ、★角兵衛獅子の唄、☆陽気なボンボン売り、☆父恋し母恋し、☆頬寄せて、★あの丘越えて、★陽気な渡り鳥、☆ピアノとヴァイオリン、☆いで湯の灯、☆旅の角兵衛獅子、☆みなし子の夢、★牛若丸、☆涙の白桔梗、★リンゴ追分、☆リンゴ園の少女、★旅のサーカス、★お祭りマンボ、☆こだまは歌うよ、☆ 二人の瞳、★初夢道中、☆乙女旅、☆馬っこ先生、★津軽のふるさと、★チューチューマンボ、☆バラ色の船、☆春のサンバ、★流れのギター姉妹、☆バラ色の乙女たち、★唄祭り八百八丁、☆チャルメラそば屋、★山葡萄みのる頃、☆ただ何となく、★楽しい日曜日、☆ひよどり草紙、☆鳥笛吹けば、★ 伊豆の踊り子、☆いでゆの里、★ひばりのマドロスさん、☆さよなら波止場、☆花のオランダ船、☆母恋扇、★お針子ミミーの日曜日、★日和下駄、☆心ブラお嬢さん、★旅のチャリンコ娘、☆ブラジルの花嫁さん、☆八百屋お七、☆恋の折鶴、★お夏清十郎、★千両舞いすがた、☆お役者道中、★娘船頭さん、☆湯島月夜、★あの日の船はもう来ない、☆さすらいの雨、★ひばりの三度笠、★ぬすめ旅笠、☆エスキモーの娘、☆灰色のワルツ、☆恋の曽根崎、★わたしゃ糸屋の器量よし、★素敵なランデブー、☆小夜姫旅姿、☆花売馬車、☆青葉の笛、☆ペンキ塗りたて、☆狐と笛吹き、☆春方様まいる、☆ワンワン物語☆アルプスの娘たち、☆やくざ若衆祭り唄、★君はマドロス海つばめ、☆港は分かれていくところ、☆かもめ白波、☆振袖太平記、☆明日は日本晴れ、☆尾張の馬子唄、★波止場だよ、お父つぁん、☆初恋小鳩、☆喧嘩纏、☆ジンタ悲しや、★港町十三番地、☆伊豆の乗り合いバス、★浜っ子マドロス、☆波止場小僧、☆夕やけ峠、★長崎の蝶々さん、☆青い海原、☆港町さようなら、☆それはナイショ、☆月夜笛、★青春の恋人たち、☆別れのトロイカ、★雪之丞変化、★江戸の闇太郎、☆銀座四丁目、☆若い季節、☆ご機嫌ようマドロスさん、☆ パパの故郷、☆三味線マドロス、★急行青森行き、☆初恋い柳、☆菊五郎格子、☆おかる道ゆき、★花笠道中、★白いランチで十四ノット、☆アンデスの山高帽子、☆ら・あさくさ、☆江戸っ子寿司、☆みなし子つばめ、☆太陽は今日も輝く、☆東京も今夜は雨、★大川ながし、☆危険な恋人、☆大川祭り囃子、☆初恋マドロス、★哀愁波止場、★車屋さん、☆小さな波止場町★ ひばりの渡り鳥だよ、★母さんギター、☆ギター追分、☆リンゴ郵便、☆ サノバイバイ、☆わが母の姿は、☆白い野菊と三度笠、☆会う、☆波止場の道を歩こうよ、☆ポトマックの桜、☆傷心、☆君去りし夜のタンゴ、★関東春雨傘、☆旅の若者、★お島千太郎、★夾竹桃の咲く頃、★悲しい酒、☆新宿波止場、☆まなざしの彼方、★しのぶ、★函館山から、★みだれ髪、★川の流れのように、ふー!、お疲れ様でした。カラオケで歌った事のある曲が58曲、以外と少ないなー、一般的によく歌われる「柔」、「真っ赤な太陽」、「おまえに惚れた」、などが入っていないので、まあ、こんなももですかね?カラオケで歌った事の無い好きな曲が92曲、これも、意外と少ないのかも知れません。私としては、業務用カラオケ・メーカーさんにお願いしたいのです。この92曲を、業務用カラオケに入れて欲しい!特に、「青空天使」、「父恋し母恋し」、「涙の白桔梗」、「バラ色の乙女たち」、「鳥笛吹けば」(リュウちゃん、現在最愛の曲!)、「ブラジルの花嫁さん」、「伊豆の乗り合いバス」、「月夜笛」、「大川祭り囃子」、「小さな波止場町」、「ギター追分」、「わが母の姿は」、メーカーさん、宜しくお願いいたします。今回は、ひばりちゃんの好きな曲を、曲名のみズラーと羅列しましたが、個々の曲の魅力については、またボチボチと書いていきたいと思っています。次回は「リュウちゃんのプロフィール2」で、中学時代の話をしたいと考えています。足利事件の菅家利和さん、私と同じ年代、橋幸夫がお好きとの事、私も橋さんの大ファンなのです。菅家さんと一緒に「潮来笠」を歌いたいリュウちゃんなのです。
2009年06月11日
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初めまして、リュウちゃんです。リュウちゃんといっても、昭和21年生まれ、今年63歳になるオジンなのです。アラカン年代の人間共通のパソコン音痴、ブログを書くなんて、本当に初めての経験で、色々変てこなミスも多々起きるでしょうが、そこは、年齢に免じて、ご容赦頂きますよう、お願い致します。このブログでは、私の幼少期から現在に至る懐メロ、カラオケ遍歴について、気の向くままに、自由に書いて行きたいと思っています。始めに、簡単な私のプロフィールを書いておきます。(リュウちゃんのプロフィール)昭和21年6月、三重県の二見ヶ浦に生まれる。幼少期は、近所のお爺さんに石をぶつけるわ、小便はひっかけるはと、かなりの悪ガキだったようです(本人は、殆ど覚えていません)この頃、近所のラジオから流れてくる美空ひばりの「悲しき口笛」、「私は街の子」、「東京キッド」、「越後獅子の唄」や、岡晴夫の「憧れのハワイ航路」、藤山一郎の「長崎の鐘」、霧島昇の「誰か故郷を思わざる」、津村謙の「流れの旅路」、「上海帰りのリル」などの唄が、かすかに印象に残っています。また、幼稚園に入った頃から、山川惣治に熱中、月刊「おもしろブック」連載の「少年王者」や、産業経済新聞に連載され、サンケイ児童文庫で刊行された「少年ケニヤ」「少年タイガー」などを夢中で読みました。小学校高学年になると、講談社世界名作全集で、マーク・トゥエンの「トム・ソウヤーの冒険」「乞食王子」や、ユーゴーの「ああ無情」、ルブランの「怪盗ルパン」などを読むようになりましたが、どうも生来軟派な私は、それぞれの物語のヒロインに魅かれるのでした。「少年王者」のすい子さん、「少年ケニヤ」の白人美少女ケート、「少年タイガー」のアンゼラ姫、「ああ無情」のコゼット、「トム・ソウヤー」のベッキー・サッチャー、ルパン物では、「奇巌城」のレイモンド夫人、「三十棺桶島」のヴェロニックとエルフリーデ(これ、「天使と悪魔」の関係)、「水晶の栓」のクラリス・メルジイ、「813」のドロレス・ケッスルバック、そして、これは大人になってから読んだ「八点鐘」のオルタンス・ダニエル(これは、正統騎士道物語でした)私の幼少時代の娯楽といえば、月に1、2回、村の集会所に来る巡回映画でした。確か料金は大人30円、子供は10円(だったかな?)NHKラジオで人気沸騰した「新諸国物語」の「紅孔雀」に特に熱中した記憶があります。「紅孔雀」の前が「笛吹き童子」、その前が「白鳥の棋士」(だったかな?、これは全く記憶なし)、「紅孔雀」の後が「オテナの塔」、その後が「七つの誓い」、、でも、生来軟派の私は、「紅孔雀」の高千穂ひずるに魅かれるのです。「オテナの塔」の女優、青山京子だったのかな?東映チャンバラ映画のお姫様では、桜町弘子、大川恵子がご贔屓、大川恵子は、大友柳太郎と共演した「捨て売り勘兵衛」が素敵でした(リュウちゃん、幻の作品なのです)この頃、ラジオから流れてきた歌で印象に残っているもの、、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」、それと、美空ひばりの「長崎の蝶々さん」「別れのトロイカ」、このひばりちゃんの2曲は、特に後まで印象に残りました。考えて見れば、この2曲がひばりちゃんのファンになる萌芽だったように思います。リュウちゃん第1回目のブログはこれ位にして、次回はいきなり、私の好きな美空ひばりちゃんの曲について書きたいと思います。多分100曲を超える筈です。乞う、ご期待!なのです。
2009年06月10日
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