タイガース非公式サイト2代目

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タイガース非公式サイト2代目 @ Re[2]:タイガース背番号史 35-4(11/14) New! マリーさんへ 久々のコメントに感謝です♪ …
タイガース非公式サイト2代目 @ Re[1]:タイガース背番号史 35-4(11/14) New! ヒロくん2010さんへ コメントありがとう!…
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2023年09月28日
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背番号14(その3)

背番号14の第3回目です

ここで最初に出てくるのは小山正明さん この320勝の大投手は「14」を着けたのは1年だけなのね 6-2で紹介してるから詳しくはそっちで見てね

後の人は歴史に埋もれた人て感じもするけど 本間さんはかなり有名だよね 今回は多種多様って感じかな

小山正明 投手(再掲)

小山は1957(昭和32)年の1年だけ背番号「14」を着けている。前年17勝を挙げてエース格になったことで野手の番号と言われる「6」を返上したのかもしれないが、たった1年でまた「47」に変更している説明がつかない。真相は分からないと言うしかない。「14」を小山の着けた番号と認識している人はほとんどいないだろう。
 なお、セ・パ両リーグそれぞれで100勝以上を挙げた投手はNPB史上を通じて小山以外誰もいない。(セ・リーグ:180勝、パ・リーグ:140勝)

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本間 勝 投手

愛知県岡崎市出身で高校は名門中京商業。在学当時は絶対的エースに安井勝がいたため第2投手、甲子園にも出ているがリリーフでしか投げていない。

 1958(昭和33)年、高校からタイガースへ入団し、前年小山が着けていた「14」を譲り受けた。

 一軍での登板は1年目が3試合、2年目は2試合だが、高卒新人なので仕方がない。芽が出たのは3年目の1960(昭和35)年だった。

 この年は47試合に登板し先発が23試合、リリーフも24試合ありフル回転している。成績は13勝8敗と戦力になっており、防御率も2 . 78と高卒3年目にしては上々の成長ぶりだろう。

 1961(昭和36)年にも41試合に登板しているが、8勝13敗と負け越し、その後1962(昭和37)年からは、0勝、5勝、1勝、1勝と成績は芳しくなかった。

 タイガースでの背番号は入団から5年間が「14」、その後「45」を3年間着けたあと、再び2年間「14」に戻っている。

1966(昭和41)年に安部和春とのトレードで西鉄ライオンズへ移籍し、2年間在籍したが1997年のシーズンを最後に30歳で引退している。
 引退後は新聞社に入社し14年間記者として勤めたあと、タイガースのフロント入りし、おもに広報部門に携わり広報部長を最後に勇退した。

 現在は80歳を超えられたが、球団発行紙「月間タイガース」誌上で「本間勝交遊録」を執筆連載して、多くの出会いや関係者にしかわからない貴重なエピソードを綴っている。

山尾孝雄 外野手・投手

 大阪府大阪市出身。高校は明星で岡田監督の先輩にあたる。同志社大学に進み本格派投手として活躍、通算55試合に登板して24勝10敗、防御率1 . 19の好成績を残している。

 1963(昭和38)年にタイガースへ入団、本間から背番号「14」を譲られる。1年目に3試合に投げたが防御率6 . 30と打ち込まれて自信を無くし、1964(昭和39)年には早々と野手に転向した。

 ただし、野手転向といっても簡単ではなく、1968(昭和43)年までの5年間は満足な出場機会に恵まれない状況に甘んじている。この間、1965年まで3年間着けた「14」を本間に返し、1966(昭和41)年から「21」に代えて引退するまで7年間背負っている。

 1969(昭和44)年に初めて100打席を超え、この年を含む3年間はセンターで準レギュラーとなるものの、守備や足は好かったが打撃に関しては目立った成長が見られなかった。

 1972(昭和47)年、ドラフト3位で望月充(立教大~大昭和製紙)が入団するとポジションを失い、わずか19試合の出場に終わったことから現役を退いた。

安部和春 投手

 本間→山尾→本間と背番号のキャッチボールがあったあと、「14」は本間とのトレードで西鉄ライオンズから移籍してきた安部和春が引き継いでいる。

安部は大分県大分市出身、1959(昭和34)年の高校在学中にライオンズの入団テストを受けて合格し、高校に通いながら日曜日はライオンズの二軍の練習に参加し、高校卒業とともに入団した。

1962(昭和37)年、公式戦で9試合を投げて1勝1敗の成績だが、この1勝が完封勝利だった。シーズン中に右手の指を負傷し、この指をかばうような握り方を工夫することで「アベボール」と呼ばれる変化球を開発している。これは現代でいう「ツーシーム」で、打者の手元で小さく変化して芯を外すボールだったようだ。

このボールを武器にして翌年の1963(昭和38)年に10勝、1964(昭和39)年にも11勝と、連続して二けた勝利を挙げている。

1963年はリーグ優勝に貢献し、日本シリーズでも4試合でリリーフ登板があり、第4戦では勝利投手になっているが日本一は逃した。(巨人4勝3敗)

1965(昭和40)年は5勝に終わり、オフのトレードで本間と入れ替わりでタイガースに移籍した。
 タイガースではおもにリリーフとして投げる傍ら、ローテーションの谷間などで先発もこなしている。

タイガースには移籍した1966(昭和41)年に29試合登板で5勝5敗、先発が8試合あった。1969(昭和44)年まで4年間在籍して10勝13敗の成績を残し引退。

プロ通算では225試合に登板して36勝26敗、防御率は2 . 75で安定した投球をしていた。

 2023(令和5)年、82歳で逝去。

まとめ

 小山さんは「6-2」で紹介済みだけど 改めて大投手なんだとおもうわ でもタイガースは高卒で練習生上がりの小山さんをあまり大事にしてなかった感じがするのよ どちらかと言うと大卒の村山贔屓って感じ 2代目ならこんな大投手をトレードになんか出さないよ

 本間さんの「交友録」は楽しく読ませてもらってる 現場にいた人じゃないとわからない人間関係やエピソードは臨場感があってホントに面白いし ブログ書くのに参考にしてるんだ!

 山尾さんは高校~大学とエリートコースね でもプロではレギュラーに届かずに終わっちゃったの やっぱり簡単にのし上がれる世界じゃないのね でも引退まで10年間をタイガース一筋で通しているよ 大学時代に肩を壊してなかったら投手として大成したかもしれないだけに残念
 安部さんは記憶に残らないようなタイプなのよね でも数年だったけど貢献してるし日本でのツーシームの元祖かもね

 その4に続く



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Last updated  2023年09月28日 22時00分06秒
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