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列伝27 ランディ・バース④
入団3年目を迎えたバーズさん チームの主力選手たちと同じで「今年は優勝のチャンスだ」という感触や予感を持っていたんだってね
1985年は神がかり的なことがいっぱいあったし大事故もあった長いシーズンよね 2回に分けてまず85年の前半のバースさんを見ていきますね
(11)オープン戦で伝説のクリーンアップが完成
安藤監督だった1984(昭和59)年のバースの打順は1年を通じて5番に固定されていた。
年が明けて1985 (
昭和60 )
年、吉田監督はオープン戦で3番・掛布、4番・バース、5番・岡田というオーダーを組んでいる。しかし、オープン戦で出場したすべての試合にヒットを記録したバースを見ていた吉田監督は、「3番イコール最高打者」という当時のメジャーリーグの発想に基づいて、開幕直前に掛布とバースの打順を入れ替えた。こうしてタイガースの歴史に残る3番・バース、4番・掛布、5番・岡田の最強クリーンアップが確立し、1年を通して不動のものとなった。
(12)伝説のバックスリーン3連発、バースがチームの牽引車に
バースは開幕から3試合目までは、13打数2安打6三振と乗り遅れていたが、4月17日の巨人2回戦での「伝説のバックスクリーン3連発」が復調のきっかけになった。
巨人先発・槙原の力投の前に1対3とリードされて迎えた7回裏、二死1・2塁の場面でバースがバックスクリーンへ第1号逆転3ランを叩き込む。続く掛布、岡田も同じようにアーチをかけて追い打ちをかけると試合の雰囲気は一変し、最後は中西が1点差で守り切った。
この衝撃的な3連発によって、強力打線が爆発し、あとを託されたリリーフ陣が締めくくる「85年版阪神」の典型的な必勝パターンを、ライバル球団の脳裏に強く刷り込むこむことに成功したと言えるかもしれない。
バースはこの1発を皮切りにして、4月22日の中日3回戦まで5試合連続ホームラン。4月は13試合で7本塁打、打率3割9分2厘の好成績で月間MVPに選ばれた。チームも2ケタ得点が6試合もあり、9勝3敗1分と見事な開幕ダッシュに成功している。
ところが、4月29日に始まった連敗が5月5日まで続き6連敗、阪神は首位を明け渡しただけでなく、一気に4位まで滑り落ちてしまった。チームにとって最初の躓きとなったが、このピンチを救ったのがバースのバットだった。
5月6日の中日6回戦でバースは1回に先制の9号2ラン、3回にも2打席連続の10号ソロ、7回にはタイムリーを放つなど4安打で5打点を叩き出す大活躍でチームを引っ張る。
このバースに連鎖反応を起こしたのか打線に火がつき、23安打18得点の猛攻で1試合チーム最高打率の日本新記録 (
5割7分5厘 )
を樹立して、中日投手陣を木っ端微塵にし、豪快に連敗を脱出した。
(13)バース骨折のアクシデントも死のロードは5連勝スタート
ペナントレースは、阪神に加えて前年日本一の広島や、前評判の高かった巨人が絡んで三つ巴の展開になっていく。
阪神は6月から7月にかけての対広島戦8連敗がひびいて、前半戦は広島から3ゲーム差の2位で折り返した。ここまで全試合に出場して29本塁打を記録したバースは、岡田・掛布・平田・真弓らのチームメイトと共に、ファン投票でオールスターに選出されている。
後半戦開始早々、阪神にとって2度目の危機となるアクシデントがバースを襲った。7月31日の中日15回戦で自打球を右足甲に当て、剥離骨折してしまったのである。「死のロード」を目前に控えているだけに、大砲の故障が長引けば致命的な戦力ダウンになってしまう。
ところが、バースはわずか4試合休んだだけで、8月6日に始まったロードの第1戦から戦列に復帰している。しかも、8日のヤクルト16回戦から11日の中日15回戦にかけては、3試合連続ホームランで周囲の不安を吹き飛ばす。
開幕前から「優勝」を意識していたバースは、痛みをこらえながら闘い続けた。そのおかげで阪神はロードに出た直後から、無傷の5連勝を記録して首位を奪還、新聞は「極楽ロード」などと書きたてた。
ランディ・バース⑤へつづく

なんだか現場写真より紙面の画像が増えてきてる それだけ1985年はいろんなことがあったってことかな
伝説の3連発にまつわる秘話を生前の吉田義男さんが語ってるよ バースさんが野球殿堂入りした時に初めて明かした秘中の秘 ここに載せておくけどがホントに涙が出そうなお話なんだよ
85年、バースは開幕広島戦でサウスポーの大野豊に4の0に抑えられました。同じ左の川口和久が先発だった2戦目の試合前ベンチ裏でバースが、「岡田を3番にして、おれを5番に下げてほしい」と申し出てきました。
監督が選手を信頼して起用するには、我慢も必要です。相手投手の右左で外すつもりはなかったのは、バースの力を信じていたからです。その場で「お前を外すつもりはない」と突き返したのを覚えています。
その3日後の4月17日、甲子園の巨人戦で生まれたのが、伝説の「バックスクリーン3連発」でした。2年目を終えた前年に球団が下した方針は解雇でしたが、わたしから残留を求めた決断は間違っていなかったと感じました。
もともとは、バースと一緒に来日した外野手のスティーブ・ストローターのほうが働くと思っていました。重量バットでヘッドを利かせ、左方向に打ち返して打撃開眼したのは、バース本人の努力のたまものです。
あの「バックスクリーン 3 連発」で、チームが勢いづいたことは間違いありません。連続 3 冠王も立派で、 86 年の打率 3 割 8 分 9 厘は、いまだ破られていない日本記録として輝いています。
殿堂入りにふさわしく、当時を知る監督として敬意を表します。
バースさんも決して万全じゃなく悩んだり苦しい時期もあったのよ いろいろな史料を見てると常にどこかが痛い状態で試合に出てたんだって ここまで貢献してくれたら絶対優勝しなくちゃね 次回は1985年後半のバースさんです
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