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2代目タイガース非公式サイトです
みなさんこんばんは 一体なんてことなのまた中止なんて しかもまた台風が 2 つも発生して発達中なのよね
10号は中国大陸方向へ向かうみたいだけど 問題は9号! 猛烈な勢力になりそうで今は沖縄の方向へ進んでるけど どこで向きを転ずるかはまだ予想できないみたい ヤバ過ぎね
もう自然が起こすことなので抵抗できません とりあえず今夜も「タイガース背番号史」でつなぐよ 42-2 だんだんと書き置いてある原稿が少なくなってきて 2代目の方は干上がってしまいそう・・・・
背番号42(その2)
2代目タイガース非公式サイトです
みなさんこんにちは 背番号42の第2回目です
前回ご紹介したとおり 冷水さん 赤松さん 西岡さんと3名が着けたあと この番号は7年間も空いてしまうのよ 「死に」という語呂が嫌われるのかなあ 着けたがる人が少なかったのかもしれないね
久しぶりにこの番号を着けるのが鏑木悦純(かぶらきよしずみ)という投手ですが 実は入団した時は背番号「51」だったの 途中で「42」に変えてるのね
それでは 背番号42 第2回目を始めますよ
鏑木 悦純(かぶらきよしずみ) 投手
千葉県出身で高校は千葉工商高等学校(現:敬愛学園高等学校)。NPBの在籍名簿では右投げ右打ちの投手で178センチ・79キロと紹介されており、当時としては大柄で均整の取れた体格だがアンダースローだったという情報もある。
高校では大きな大会での活躍はなく、卒業後は社会人野球の富士鉄室蘭へ入社している。
1963(昭和38)年にタイガースに入団し、最初の3年間は背番号「51」を着けている。
プロ入り4年目の1966(昭和41)年に
背番号を「42」に変えると初めて一軍に昇格して2試合に登板するが、いずれもリリーフで計2イニング、失点1に終わる。
1967(昭和42)年から再び2年間ファームで過ごし、再度一軍で起用されるのは1969(昭和44)年だったが僅か3試合、翌1970(昭和45)年も1試合にとどまり進退を意識しなければならない状況になってくる。
そんな状況で迎えた1970年オフ、今でいう現役ドラフトと同じような「プロ野球選手選抜会議」(トレード会議)が初めて開かれ、タイガースは鏑木を名簿に載せた。ここで指名してくれたのが大洋ホエールズだった。
しかし当時の制度は1巡目に選ぶと参稼報酬+200万円、2巡目は参稼報酬+100万円、3巡目以降は参稼報酬が元所属球団に支払われる仕組みで、1巡目は指名がなかった。2巡目で唯一阪神の鏑木が大洋に指名され、3巡目以降で14名が指名さるという結果だった。
大洋だけが移籍金100万円を支払ったことから「バカを見た?大洋」という記事まで出た。

結局は出番が無いまま1年で解雇されており、。1971(昭和46)年オフのトレード会議の名簿に載せられてしまう。
もうだめかと思っていたところ読売ジャイアンツから手が上がり移籍する幸運に恵まれる。しかし現役は名ばかりで実質はバッティング投手として1977(昭和52)年まで6年間在籍したのち引退している。
プロでの公式戦通算成績は6試合0勝0敗、4回2 /
3を投げて与四球1奪三振2自責点4で、防御率7 .
20という寂しい数字で終わっている。
デーブ・ヒルトン 内野手
鏑木が大洋へ移籍したあと1971(昭和46)年から1979(昭和54)年までの9年間、背番号「42」は誰も着けていない。
1980(昭和55)年にこの番号を着けたのがアメリカ・テキサス州出身のデーブ・ヒルトンだった。ヒルトンについては「猛虎異人伝」で詳しく紹介しているので、細かいところは次のURLで参照していただきたい。
猛虎異人伝18 デーブ・ヒルトン① | 2代目タイガース非公式サイト - 楽天ブログ
猛虎異人伝18 デーブ・ヒルトン② | 2代目タイガース非公式サイト - 楽天ブログ
ヒルトンは、1978(昭和53)年に就任したばかりの廣岡達朗監督が春のアリゾナキャンプで堅実な守備を見て惚れ込み獲得された。
「しっかり守ってさえくれればいい」というつもりで入団させたが、1年目はさながら安打製造機のように大活躍して、128試合で501打数159安打19本塁打、打率 .
3割1分7厘を記録し、ヤクルト・スワローズ初のリーグ制覇の立役者になっている。
日本シリーズでは1勝2敗で迎えた第4戦で9回二死から逆転2ランを放って2勝2敗に持ち込み、最終的に日本一に輝いて「シリーズ技能賞」を受賞するなど貢献度抜群だった。
ところが2年目の1979(昭和54)年になると、前年日本一になった反動で選手に緩みが見られ、主力選手の成績が軒並みダウンして最下位を低迷する事態になる。
8月には球団が森・植村両コーチに休養を命じたことに反発した廣岡監督が辞任する事態となって、断トツの最下位でシーズンが終わる。打率2割5分8厘と低迷したヒルトンも戦犯の一人と判断され解雇されてしまった。
ところが1980(昭和55)年、タイガースで2年目を迎えたドン・ブレイザー監督がヒルトンに目を付けて入団させたことで波乱を招く。
同年のドラフト1位で獲得した岡田彰布のポジションを奪う形になり、岡田を出場させないブレイザー監督や、スタメンに出続けるヒルトンに対して阪神ファンの怒りや不満が爆発し、凄まじいバッシングの嵐が吹き荒れた。
すっかりファンの反感を買い、悪役的な存在になってしまったヒルトンは打率1割9分7厘と大不振に陥り、精神的にも耐えられなくなったようだ。
チームの成績も低迷し窮地に陥った球団は5月15日にブレイザー監督とヒルトンの解雇を発表する。ヒルトンはその日のうちに帰国している。
NPBでの3年間の通算成績は、251試合971打数276安打128打点38本塁打で、76四球、152三振、打率 . 284だった。
ヒルトンは2017年9月17日に67歳で亡くなっている。
ブルース・ボウクレア 外野手
上述のとおり1980年の5月15日にヒルトンが解雇されたが、タイガースは水面下で代わりの外国人選手の獲得に動いており、5月24日には新助っ人としてブルース・ボウクレアの入団が発表されている。

岡田をセカンドに固定したいことから、外野手であるボウクレアを選んだようだ。背番号は退団したヒルトンが着けていた「42」をそのまま引き継いでいる。
ボウクレアについてもすでに「猛虎異人伝」で紹介しているので、詳しくは次のURLでご確認いただきたい。
猛虎異人伝19 ブルース・ボウクレア | 2代目タイガース非公式サイト - 楽天ブログ
ボウクレアはアメリカ・コネチカット州の出身で左投げ左打ち、まだ27歳と若い選手で、5シーズンのメジャー経験はあるものの通算ホームランは10本なので、大砲というタイプではなかった。
5月29日に一軍デビューしたが打撃は振るわず、スタメンで起用されたのは初めの1か月だけ。 その後は守備固めや代打での起用になり名前をもじって「ボンクラや」などと呼ばれるようになってしまう。
シーズン終盤で少し状態が好くなり打率を上げたが、残留をアピールできるほどではなくシーズン終了とともに解雇されている。
最終的に80試合177打数44安打26打点8本塁打、22四球、55三振、打率 . 249の成績に終わっている。
まとめ
背番号42の2回目は残念な選手ばっかりで終わったね
鏑木さんは実力的にプロのレベルではなかったようだし ヒルトンさんはヤクルト優勝・日本一で運を使い果たしてしまった感じだわ
ヒルトンさんと入れ替わって入団してきたボウクレア選手もさっぱり そもそもシーズン中に米国の球団が手放す選手なんて所詮使い物にならないのよね
では次回予告だけど 1980年にボウクレア選手が解雇されると 背番号「42」は翌1981(昭和56)年から1987(昭和62)年まで7年間欠番になってしまうのよ よほど着けるの嫌な番号なのかな?
そういうわけで次回着ける人は1988(昭和63)年ですが、「誰だか知ってる?」って聞いてもおそらくどなたも分かんないんじゃないかな・・・
背番号42-3へつづく

タイガース背番号史 42-6 2026.07.24 コメント(2)
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