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2006.12.06
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カテゴリ: 『デカローグ』
DEKALOG OSIEM

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8『ある過去に関する物語』

ポーランドのテレビで放映された『デカローグ』、Audimatという統計機関によると第1回の視聴率が52%で、回を追うごとに視聴率は上がり、最後の第10回は64%に達したといいます。当時のポーランドのテレビ事情、つまり安直な娯楽としてテレビしかなかったとか、チャンネル数が少なく選択の余地がなかったとか、そういうことはわかりませんが、ものすごい数字ですね。20年前の人口は知りませんが、現在の人口が約3800万で、少なくとも約1500万人が見たことに相当するらしいです。『1』から『10』まで順に通して見ると、出来・不出来や好き・嫌いもありますが、最初の3作ぐらいはジャブ程度で、『4』あたりから深みを増し、『5』、『6』、『7』~『9』と力強い作品になっている気がします。そして最後の『10』はややコミカルな「しめ」でしょうか。『7』のラストは最も印象が強いと書きましたが、長編劇場版があるので有名な『5』と『6』だけではなく、『7』や『8』や『9』も名作だと思います。

この『デカローグ8』ではユダヤ人の問題が絡みます。とは言ってもそれは背景として使われているだけで、中心テーマではありません。ポーランドにとってはユダヤ人は特に意味が深いんですね。心ならずもユダヤ人の大量虐殺、ホロコーストが行われたのはオシヴィエンチム(アウシュビッツ)のビルナウ収容所。これはポーランドにあり、ナチの仕業でありながらポーランドが恨まれるということもあり、またそれとの関係とは別に反ユダヤ主義はポーランドを始めヨーロッパの各所にもともとあるし、またポーランドは法王を出すほどのカトリック大国でもあるからです。

この物語について監督は「これは正義と不義についての映画である。」と言っていますが、人と人が本当に心を割って理解し合うには、ある罪とその謝罪が必要悪ではないか、と言っているように思います。人に対しての罪を犯してしまうこと、それは人の弱さや偶然のなせる業として生じてしまいます。それを相手に対して真摯に詫びること、そして相手はその人間としての弱さを理解し受け入れ許すこと、これがあって初めて人と人は本当に理解し合い、結びつくことができるのではないか。そんなことを言っているような気がします。

(以下ネタバレ)
ワルシャワの大学で倫理学の講義をする老女性教授ゾフィアのもとに、聴講したいとエルジュビエタという女性研究者がアメリカから来る。学部長に紹介されるが、実は既に知り合いだった。エルジュビエタはゾフィアの全著作の翻訳者であり、米国を訪れたゾフィアをかつて案内などした。講義は身近な問題を倫理的に考えるというもので、ある学生が『デカローグ2』のドロタと老医師の話をする。癌で手術を受け死の境にある夫が、助かるか死ぬかの告知を老医師に迫る。ドロタは不倫の子供を妊娠していて、中絶するかどうかを夫の生死で判断すると言うのだ。つまり老医師はドロタのお腹の子供の生死の決定権を持たされてしまう。老医師は神でもない自分にそんなことはできないと考えるが、子供の生命を救うために「ご主人は助かりません」と告知した。ゾフィアは「子供が生きている、それがこの話では一番、重要なポイントになると思います。」と学生たちを導く。

この「子供の生命が一番大切」という言葉にエルジュビエタは黙っていられなくなり、戦争中のユダヤ人の少女の話(実は自分の話)を始める。40年前のナチ・ドイツ統治下のポーランドで、少女をかくまおうという家庭があり、少女のカトリック洗礼を求めた。そこである夫婦が名付け親となることをいったん承知するが、どたんばで「良いことのためでも、偽証は偽証であり、それをすることは出来ない」と拒否し、夜の外出禁止時間の迫った寒空に追いかえす。それは少女がゲシュタポに捕まり収容所に送られること、そしてその死をも意味した。

講義は終わりゾフィアは何時間も研究室で物思いにあったが、夕刻に大学の廊下でエルジュビエタに出会う。ゾフィアには分かっていた。エルジュビエタこそ彼女の話のユダヤ人少女であると。生きていたのだ。そして名付け親を断った夫婦の妻とは自分だった。ゾフィアはうちで食事でも、と一人住まいのアパートに彼女を誘う。実は彼女をかくまうと言った家庭が実はゲシュタポ側だという誤情報があって、エルジュビエタのことを通じてゾフィア夫妻の関係する地下活動がゲシュタポに漏れてしまうことになり、そのために少女を拒否したのだ、と真相を語る。しかしエルジュビエタを死に追いやったことは事実だと、ゾフィアは詫びる。二人は互いに理解し合い、和解する。



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色々な思いや境遇はあるだろう。しかし悪気があったわけでなくゾフィアがエルジュビエタや仕立て屋に対して犯してしまった罪、ゾフィアはどちらも謝罪し、エルジュビエタは受け入れたが、仕立て屋は受け入れていない。仕立て屋を偏狭だと批判する気はないが、真摯に許しを求め、相手はそれを受け入れる。このことが人と人を本当に理解させ合い、真の心の繋がりを実現するのではないか?。人は誰も弱さに負けることはあり、また偶然がそれを強いる場合もある。そんなことを感じた。仕立て屋はゾフィア等を許し受け入れなければ、自分の過去からも解放されることはない。窓から二人の女性を見つめる仕立て屋、『トリコロール/赤』の最後で老判事はガラスの割れた窓から外界を見ているが、似たショットであるこの『8』のラストで、外の二人を見る仕立て屋、その窓のガラスは壊れていない。他人を理解しようとしない、あるいはあまりに深い傷のためにそれのができず、自分の殻に閉じこもったままなのだ。

ちなみにこの『8』には『10』では死者となってもはや登場しない切手コレクターが、入手した激レアな切手をゾフィアに見せにきて、生前の姿で登場する。

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Last updated  2006.12.06 01:18:21
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