全3件 (3件中 1-3件目)
1
MOJ NIKIFORKrzysztof Krauze(100min)那覇・桜坂劇場にて寸評:ニキフォルという画家の映画であることを抜きにしても見られる良い作品。やはりポーランドの映画文化は質が高い。また絵画に興味のない人も楽しめる映画。フランス、イタリア、スウェーデン、ポーランド、日本。これら5つの国の映画が自分の性に合うようだ。もちろんこれらの国の映画で大嫌いなものもあれば、他の国の映画にも大好きな映画はある。ところで実在の画家とか作曲家とかを題材とした映画はつまらないものが多いような気がする。同じ映画館で現在上映中の『クリムト』の方は最初から見にいくつもりはない。何度も予告編を見せられているし、海外の別バージョンの予告編や抜粋映像もネットで見たが、豪華絢爛な駄作のような気がする。あてになるとは限らないがフランスでは観客の反応も酷評。『カイエ・デュ・シネマ』誌も酷評だ。この『ニキフォル』も画家映画だから、期待はありながらも、あまり期待しないように見に行ったのだが、さすがポーランド映画。いい映画だった。原題は『私のニキフォル』、邦題には「知られざる天才画家の肖像」と付されているが、実在した画家の晩年を描いたということを抜きにしても、ドラマとして人間を描けていた。ポーランド南部クラクフに近い温泉保養地クリニツァ。1960年。役所の美術担当か何かをしている画家でもあるマリアン・ヴォシンスキのアトリエに60歳を過ぎた小柄な老人が入ってきて、勝手に机に着くとそこにあった絵の具で絵を書き始めてしまう。彼の名はニキフォル。1895年生まれだから65歳だ。父親はよくわからず、母親が言語障害だったために、彼も言葉が不自由だ。彼は独特の素朴な絵を描き、保養地やウィンタースポーツのスポットでもある土地柄観光客も多く、路上で絵を売ってはわずかな収入を得ていた。頑固でわがままな彼は、何を言われても自分のペースでしか動かない。マリアンが追い払おうとしても上手くいかない。そのうちに自分の家でも世話を始める。ニキフォルは問答無用でマリアンの絵を酷評する。家族に自分は三流画家だと自嘲するマリアンだが、社会主義リアリズムとでも言えばいいのだろうか、彼自身自分の描く絵に決して心から満足はしていないのだろう。だから純粋素朴に描きたいと思ったものを描くニキフォルの絵や人柄に魅力も感じてるのだ。やっかいなお荷物と感じながらも、やがてマリアンは歴史ある地方の大都市クラクフへの転任の話も断り、ひとりニキフォルの世話をするのだった。(以下ネタバレ)ニキフォルが肺結核であることがわかり、感染を恐れられてマリアンの家族も周囲から遠ざけられていく。ニキフォルを無理矢理療養施設に入れたりするが、結局彼はひとりでニキフォルの面倒をみるのだが、新しい借家に入っても結核のウワサが広がって同じ建物の住民に嫌われ、出ていくしかないような状況だ。そして何年かたった1967年に場面はかわる。2人はワルシャワに向かうべく鉄道の駅にいる。以前からクリニツァを訪れた画家などに知られるようになっていたが、ワルシャワのザヘンタ美術館で大回顧展が催されることになったのだ。その翌年の秋、ニキフォルは悪化した結核のために療養所の病室でマリアンに見守られながら息をひきとる。この映画を見て感じたことは、ニキフォルと晩年その世話をしたマリアンの物語を語りながら、絵とか芸術以外の2つのことを語っていたことだ。この2つは互いに無関係ではないのだけれど、1つはこの時代のポーランドの社会だ。始めの方でマリアンと2人の娘との対話が出てくる。より幼い妹は「馬車に乗ったお姫さまになりたい」と将来の夢を語るが、姉の方は「夢は何もない」と答える。単なる子供のこれだけのセリフなのだが、そう語らせるにはそれなりの意味があるはずだ。この映画の製作はソ連が崩壊し、共産党独裁も終わり、ポーランドの民主化が進んだ2004年。(ちなみにポーランドは1999年にはNATOに加盟、2004年にはEUにも加盟している。)共産党時代のポーランドについて映画監督のキェシロフスキは言っている。「反体制的なことを描けば映画は検閲でカットされたり、上映禁止になる。しかしどこまでならOKが出るかがある程度わかっているので、検閲に引っかからないように比喩や仄めかしで描きたいことを撮る。そうすると観客もその裏をちゃんと理解してくれる」と。そういう意味でポーランドの賢い観客は、些細な表現を通して監督が言わんとしたことを理解する。その方向でこの幼い姉娘の言葉を解釈すると「個人が自分の将来に希望を持てない社会だ」という意味になるのではないか。そしてこの1つ目と無関係ではない2つ目のことだ。やはり姉娘のセリフなのだが、ニキフォルの結核騒ぎで死ぬの死なないのという母娘3人の会話で、「あなたが死んだら、私があれ貰っていいわね」と姉が妹に言う。これは「自分さえよければ他人はどうでもいい」と言う社会批判と解するべきであって、キェシロフスキが自伝の中で共産時代のポーランドの社会風土を批判して言っていることでもある。映画最後のクレジットロールである歌が流され、歌詞も字幕にでる。詳細は憶えていないが「もっと他人を理解して、理解し合って、優しくなろうよ」というようなものだ。これはもちろん感染の恐れや他人への無関心から、言語障害で、老齢で、ひたすら絵を描くことしか出来なかった人間としてのニキフォルに対する社会の無理解を批判している。この映画でマリアンの幼い2人の娘は端役中の端役だ。別にこの姉娘の人物描写などする必要はもともとない。何の関係もない別のセリフでも映画全体にほとんど影響を与えはしない。なのにこの2つのセリフをわざわざ言わせているということは、なんらかの意図があるということだ。この映画の邦題に「知られざる天才画家の肖像」と付して、また公式サイトやビラでもニキフォルの画家としての面を強調する宣伝で、それはそれでいいと思うが、最後に流される歌の歌詞も考え合わせると、マリアンのニキフォルへの理解あるいは愛、ひいては人と人の理解や愛、そのことの方が監督の意図したテーマなのだと思う。だからこそ原題はもっと親密性を感じさせる『私のニキフォル』と「MOJ」が付されている。そして2人の相互理解が成立し、愛し合うに至っていたからこそニキフォルの最後の言葉は「未完の絵は君が完成してくれ」となるのだ。監督別作品リストはここからアイウエオ順作品リストはここから
2007.02.13
コメント(0)
SZAMANKA / CHAMANKA Andrzej Zulawskiポーランド(現ウクライナ領リヴィフ)出身の映画監督アンジェイ・ズラウスキー、12本くらいある作品の半分ぐらいは見ていますが、いまいちピント来ないと言うか、最終的にシックリしないというか、そういうものが多い中で、この『シャマンカ』(原題は意味は恐らくシャーマンの意)は解りやすい作品でした。この映画は日本では「エロティック」のジャンルに入れられ、邦題もその線でつけられている感じですが、ジャンルは「ドラマ」ですね。なるほど性描写は多いけれど、ポルノのように性的興奮を誘発するものではありません。人を描こうとすれば性は重要な要素だということです。余談ですが、例えばロブ・グリエ監督の『Le jeux avec le feu』(1974)「火遊び(?)」は『エマニエル夫人』のシルビア・クリステルがポルノ的イメージの人物として使われていて、日本の配給会社はバラバラになっている彼女のシーンをつなぎ(編集し)直して、『危険な戯れ』という邦題でソフト・ポルノとして公開しようとしたらしいですが、性描写が多いというだけで何でも安易にポルノ的に公開しようとすることはやめて欲しいものです。人の文化的信じ込みというのは根強い。というよりも「信じ込み」こそ文化なわけです。次元は違いますが、「迷信は信じない、科学的・理性的」と言っているような人でも、危険な手術を受けるために入院した病室が「9号室」とか「4号室」だと良い気分はしないわけです。「神を信じている」と答えるポーランド人(西洋人)がどれだけいるかとは別に、カトリック的文化が根に染み込んでいる人々です。この映画ではやり切れない自分の人生を感じた主人公の女、通称イタリア女(イオーナ・ペトリ)は最初の方のシーンでマリア像を見つめ、また工場で事故による死者が出たときには、やはりマリヤ像があって、その下の作業部分で冷却水の水が天から差す光のように見え、流れる水がマリアの流す涙のように見えるのを見つめます。神に頼りたいという気持ちと、神は何もしてくれないという気持ちの共存です。主人公の人類学者ミッシェル(ボグスワフ・リンダ)が19歳のとき父は死んだ。その父は56年まで刑務所に服役していたとミッシェルは語りますが、56という年号はソ連でフルシチョフがスターリン批判を行った年ですから、ミッシェルの父もたぶん政治犯として捕まっていたのでしょう。「そのとき15歳の弟が自分を助けてくれた。弟は生まれながらに神父だったんだ。」と彼は言う。(以下少しネタバレ)しかし神学校に通っていたミッシェルの弟は、心に傷を持ったホモの青年を同居させていて、青年を慰める/助けるために関係を持つことと、男色を禁じるカトリックの教えのはざまで、苦しみ自殺してしまう。神を信じれば青年を救えない。神は存在するのか。ならば何故にこれほどの試練を神は与えたもうか。現実や心の苦しみを和らげてはくれないではないか。何故に世界はこれほど不条理なのか。そういう疑問が根深くあるわけです。そしてそれを紛らしてくれるのがセックス。孤独に苦しむからこそセックスを求める。肉体的であるよりももっと精神的意味で。だから窓に十字架状に貼った写真の前で両手を真横に伸ばして十字架の体形でセックスもする。ホモのようにアナルセックスもする。神に疑問を持つものの捨てきれない。だから冒涜的ことをする。(この辺は『ラストタンゴ・イン・パリ』や『沈黙』にも描かれている。)神を持ち出されると我々日本人には解りにくいが、どうにもならない不安や苦しみを持たされている我々にとって世界の条理・不条理、それが神に象徴されると考えればいい。主人公の女はミッシェル以外との関係では性的に感じない。ミッシェルとも最初の関係では感じない。しかしミッシェルが不安や疑問や苦しみの中で、その救済相手として彼女を感じたときから、ミッシェルとのセックスではイケるようになる。ただの愛情や欲望の対象として彼女を感じるだけの男とでは彼女は感じられない。人類学者のミッシェルは彼女との出会いと平行して2500年前のミイラを発掘する。結局「シャーマンであった女を愛して彼女に殺された」とミッシェルは分析する。シャーマンは苦しみからの救済をもたらす存在でもあり、死をも司る。その意味で彼女はシャーマン、あるいはその生まれ変わりとなる。人間に普遍的なことを描いていますが、56年という年号が出てくることや、カトリック、戦前・戦後にポーランドが置かれた政治・社会状況が背景にはあることも確か。そんな中で言葉がフランス語だったことに違和感を感じました。ポーランド語だともっとポーランド的状況が感じられたかも知れませんが、その方が良かったのか悪かったのかはわかりません。人間疎外的に重工業。一方彼女はナイフとフォークもろくに使えない野生児や、象徴的に猫としても描かれています。そんなこんな内容の映画です。最初のタイトルロールで、主人公の女がセルヴェルやセルヴラ(どちらも「脳みそ」の語や語感をもつ料理やソーセージの名)をセルフ・サービスの店で注文する点と、野生児の彼女がスプーンを使う点が、物語のミソともなっています。監督別作品リストはここからアイウエオ順作品リストはここから
2006.12.20
コメント(0)
PRZESLUCHANIERyszard Bugajski キェシロフスキの『デカローグ2』でドロタ役を演じたクリスティナ・ヤンダがカンヌ映画祭で主演女優賞を取った作品ということで見たくなりました。DVDはたぶん無く、VHSでの鑑賞です。 劇中に1952年という年号や、スターリンの死(1953年)が語られるので、その時代5~6年間の物語。粛正の時代であり、いつ誰が身に憶えのないスパイ容疑で逮捕されるかわからない時代。キェシロフスキの『傷跡』に妊婦の秘書役で登場した映画監督のアグニェシカ・ホランド(彼女は『トリコロール』で脚本協力もしている)が主人公と同じ監房の囚人としてなかなかいい演技してました。たしか彼女が語ったセリフだと思います。「自分は共産党員で、党の命令でアメリカ人の案内をした。そしたら後でそのアメリカ人が西側の諜報員だったことがわかった。自分は国家の重要な施設にも案内してしまった。間接的には自分は西側の諜報活動に協力したことになる。」そんなとんでもない理屈が通用した時代です。 キャバレーで歌う歌手のアントニーナ・ジビシ(クリスティナ・ヤンダ)がある日突然逮捕・拘留され、かつて男女関係を持ったオルツカの国家反逆罪の共犯であることを自白しろと迫られる。オルツカを公正な手続き(?)の裁判で有罪とするために誰かの証言が必要なのでしょう。彼女がオルツカと関係があったので、事実関係などどうでもいい。ただ彼女の供述調書が欲しいのだ。そういうお話です。もちろん拷問なども描かれますが、政治や社会告発に託こつけて観客の好奇心やサド的欲求を満足させるような描写ではなく、意外とサラリとしているので、見ていて気分が悪くなるようなことはないと思います。 ちなみにやはりキェシロフスキの『デカローグ4』の父親、『トリコロール/白の愛』のミコワイで登場したヤヌシュ・ガイヨス(左上写真の背広の取り調べ官)や、『偶然』第2話の神父、『終わりなし』の地下活動家<赤ひげ>を演じたアダム・フェレンツィ(右下写真の背後の軍服の男)など、見知った顔ぶれがメインロールを演じていました。 (以下ネタバレ)上で少し書きましたが、キャバレーの歌手アントニーナ・ジビシがスパイ容疑で突然拘束され、オルツカといいう彼女がかつて関係した男の国家反逆罪を立証する自白をし、調書にサインするよう迫られる。脅したり、賺かしたり、拷問を加えたり、死の恐怖を与えたり、あの手この手で自白・署名させようとする。最初はヤヌシュ・ガイヨス演じる大尉だか大佐だか何かが担当で、途中からアダム・フェレンツィ演じる少尉だか中尉だかに担当が変わる。しかし取り調べる側にも、恐らく彼女が諜報活動とは無関係であると、少なくとも途中からはわかっている。もちろん今の自分の役職を利用して、囚人をいじめたりする者もいる。こういう人間がいるのは、悲しいかなこれは人の醜い一面です。でも二人の取り調べ官に関しては、もちろん拷問のようなことをも命じるけれども、ある意味「人と人」との対決なんですね。取り調べ官が言います。「個人的利益や友情なども犠牲にしなければならない時もある。国家の安全というような重大問題の前にはな。」これが取り調べ官が自分を納得させている論理、きっと本人にとっても苦しい論理で、だから友人を裏切ることになっても、そうは明言しませんが嘘でも自白しろ、ってことになるわけです。自白すれば罪は軽くなるし、場合によっては釈放もされる。もともと無実の罪なわけですし、国家の決めたことに協力をする証言なわけですから。 しかし主人公のアントニーナは最初は訳がわからずその場の苦しみを終わらせるために署名もし、途中でも心も揺らいだりしますが、結局最終的には頑なに自分の人としてのプライド、尊厳を貫こうとします。彼女は2人目の取り調べ官タデウシュに言います。「働いている店をサボって、好きな男と昼間に情事にふけっていた。みんなが働いているのに自分だけ楽しんでいることに後ろめたさも少しあったけれど。で店に戻ったら、店がない。破壊されて地面に穴があっただけ。その時から、したいように自分はしよう、って思うようになったの。」と。ちょっとキェシロフスキの描く偶然を思いおこします。そしてそんな彼女、何をされても自分の意志を貫こうとする彼女、その尊厳をもったあり方にタデウシュは魅力を感じ始める。もしかしたら彼女のように苦しみや生命を賭けても誠実であろうという姿の中に、そうありたいと感じながらそうできない自分の卑怯さを感じたのかも知れない。手首の血管を歯で切って自殺をはかり、出血多量で病室房に移された彼女。クリスマスの日に、獄中でありながらやはりカトリックの国、囚人が聖体パンを回して一かけずつ食べてる。そこに訪ねてきたタデウシュ。彼女に樅の木の枝をプレゼントして「クリスマス、おめでとう」と言う。そして二人は抱き合っていた。 彼女は妊娠したとタデウシュに告げるが、オルツカはもう銃殺されたと彼女に教える。彼女は裏切られた思いで顔を背けると、取調室を出ていく。しかしやがて彼女は獄中で出産。それから3~4年はたったのだろうか、ある日取り調べ室に呼ばれた彼女はタデウシュから「釈放だ」と告げられる。その前にスターリンの死が語られており、1956年はフルシチョフが党大会でスターリン批判を行った年。自由化政策が推進され、スパイ容疑で収監されていた人々も釈放された時期だ。タデウシュはアントニーナに子供は××託児所に預けてあることを教える。彼女はタデウシュの執務室を去るが、その時ドアの中で銃声がする。タデウシュは自殺したのだ。自分が彼女の愛を裏切り、また彼女に犯してしまった人としての罪を感じたのだろう。そして釈放される彼女の子供の父親としての資格がないと思ったのだろう。潔い死の選択だ。 出所して託児所を訪れるアントニーナ。どれが自分の子供かもわからないほど大きくなっている。「お父さんもときどいみえますよ。」と保母さんに言われ、彼女はタデウシュの風体を描写するが、そうではない、と彼女の夫の風体を言う。夫は、恐らく取り調べの一つの手段として呼ばれたのだろう、途中で収監中の彼女に面会に来るが、そこで夫は取り調べで彼女が自白した夫以外の男性との不倫の話を知っていて、不貞で訴訟でも離婚は成立するだろうと彼女をなじり、そのとき彼女には何も答えることができなかったのだが、その彼が彼女を許し、愛で包み、誰の子かもわからない彼女が獄中で生んだ子供を自分の子とし、彼女とやっていこうということだろうか。 かつての家に子供を連れて戻ってきたアントニーナ。子供が先に階段を上がってドアをノックし、それを見つめている彼女がラスト。スターリン時代のポーランドを描いた作品で、描かれるのはほとんど獄中の尋問や同房の囚人たちとの交流や裏切りや反目の様子だけれど、そのような状況にあっても自分を貫いて生きよう(死のう)としたアントニーナを演じたクリスティナ・ヤンダは、アクションとしての演技だけでなく、そんな彼女の人間としての美しさを名演していた。そしてある政治状況下での問題を告発する一方で、人の尊厳、愛、憎しみ、葛藤などを描いた、暗くはあるけれど後味の清々しい作品となっている。ちなみに「たとえば室内に3人がいて、他人が入ると話をやめれば、それは共同謀議だ。」という取り調べ官のセリフがあって、また既に挙げた「個人的利益や友情なども犠牲にしなければならない時もある。国家の安全というような重大問題の前にはな。」というセリフを聞いていると、共謀罪が成立しようとしている状況に恐怖を感じた。制作1982年のこの映画、自由主義化の成立する1989年までポーランドでは公開されませんでした。監督別作品リストはここから
2006.12.08
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1