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2006.12.16
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カテゴリ: デュラス関連映画
『愛人/ラマン -- 最終章 -- 』『デュラス/愛の最終章』
CET AMOUR-LA
Josee Dayan

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マルグリット・デュラスは、日本では映画『愛人/ラマン』の主人公が15歳の少女時代のデュラスを描いたもので、その自伝的小説の作者として大衆的に有名になりました。フランスでは、いつの頃からか、生きているうちから、伝説となったようなところがある。伝説と言ったのは、好きな人も嫌いな人も、読者も非読者も、なんとなくどこかで気になる人、という意味だ。戦争中はレジスタンス活動で、大統領になったフランソワ・ミッテランとも親交があったような人物。

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そのデュラスの、38歳年下の最後の愛人ヤン・アンドレアとの晩年16年間を、ヤンの自伝的小説をもとに作られた映画。ボクは中学生の頃から彼女の小説&監督映画のファンだけれど、ヤン・アンドレアの原作『デュラス、あなたは僕を本当に愛していたのですか』は未読。映画にも出てくるデュラス入院時を語った『M.D.』(邦訳はたぶん『マルグリット・デュラス -- 閉ざされた扉』)の方は読んでいた。

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もたもたした、すっきりしない書き出しでになってしまった。この映画について、何を、どう語ったらよいか、なんとなく迷いがあるからです。このことは、でも実はヤンのデュラスに対する気持ちと無関係ではないような気がします。映画の中でジャンヌ・モローの演じるデュラスがヤンに言います、「あなたは私を愛しているのではなく、私の作品の作者を愛しているのだ。」と。彼女の小説世界に心酔した者(まあ男性であるべきなのでしょうが)にそのような思いを持たせてしまう面のある作家、ないし作品群なのです。そしてボクにも多少はその傾向がある。彼女の小説の登場人物は、アンヌ・デバレードであり、アンヌ=マリー・ストレッテル、ロル・V・スタインであり、副領事や女乞食、マイケル・リチャードソンであって、決して『愛人/ラマン』のように自伝的デュラス本人ではない。しかし、やはり映画の中のデュラスが「自分を書くことしかない」と言うように、デュラスの作品世界は、人間デュラスの内的世界そのものなわけです。

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まだもたもたしてしまっているので、「 やっぱ才能があるっていいなぁ。こんなに醜くなっても、若い男が近づいてきてくれるんだもん。 」という、たぶん女性の書いたレビューから話を起こしたいと思います。それはこの女性観客の感じ方が全く当を得ていないのではないかな、と感じたからです。デュラスにヤンが近づいた理由は、上に書いた彼女の作品の特殊事情もありますが、少なくも66歳のデュラスに「女」あるいは「人間」としての魅力があったということです。ボクの知人(男性)の一人が「 賞味期限切れの来ない女がいい。 」と言ったことがあります。若い女性の魅力はあります。しかし若さだけが、女の、人間の、魅力だとしたら、40、50、60・・・となっていく女性には「女としての価値」はなくなって、単なるゴミにしかならないのか。引用したレビューの女性の価値観はそう言っていると感じられます。たぶん若いから言えることで、実は20年後、40年後の自分を否定するような言葉です。

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よくボクが考えること、結論は出ないだろうことですが、性愛を含めた男女の(ないし同性の)愛、親子の愛、兄弟の愛、隣人愛・・・、そうした愛にははたして本質的な差があるのかな、という疑問です。誰も人は究極的に独りで、だから各自が実は孤独に生きていて、そして色々な人と色々なレベルで接する。そこでお互いに求め合い、与え合う、愛の本質というのはこういうことで、実はどんな愛にも本質的差はやはりない、連続したものではないか。そんな思いを強くする作品でした。

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デュラスの作品や人となりを知っていた方が深く味わえるでしょうが、何も知らなくても見られる映画だと思います。アル中治療中に病院でデュラスが暴れる場面や死の場面などは描かれない、きれいごとの映画だと言う人もいるかも知れませんが、その方が良かったと思います。どうしても最後が寂しくならざるを得ない物語なので、続けて繰り返し見たい映画ではないかも知れませんが、手元に所有しておきたい暖かい作品でした。






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Last updated  2006.12.16 23:38:18
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