ラッコの映画生活

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2007.02.13
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カテゴリ: ポーランド映画
MOJ NIKIFOR
Krzysztof Krauze
(100min)
那覇・桜坂劇場にて

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寸評:ニキフォルという画家の映画であることを抜きにしても見られる良い作品。やはりポーランドの映画文化は質が高い。また絵画に興味のない人も楽しめる映画。

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フランス、イタリア、スウェーデン、ポーランド、日本。これら5つの国の映画が自分の性に合うようだ。もちろんこれらの国の映画で大嫌いなものもあれば、他の国の映画にも大好きな映画はある。ところで実在の画家とか作曲家とかを題材とした映画はつまらないものが多いような気がする。同じ映画館で現在上映中の『クリムト』の方は最初から見にいくつもりはない。何度も予告編を見せられているし、海外の別バージョンの予告編や抜粋映像もネットで見たが、豪華絢爛な駄作のような気がする。あてになるとは限らないがフランスでは観客の反応も酷評。『カイエ・デュ・シネマ』誌も酷評だ。この『ニキフォル』も画家映画だから、期待はありながらも、あまり期待しないように見に行ったのだが、さすがポーランド映画。いい映画だった。原題は『私のニキフォル』、邦題には「知られざる天才画家の肖像」と付されているが、実在した画家の晩年を描いたということを抜きにしても、ドラマとして人間を描けていた。

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ポーランド南部クラクフに近い温泉保養地クリニツァ。1960年。役所の美術担当か何かをしている画家でもあるマリアン・ヴォシンスキのアトリエに60歳を過ぎた小柄な老人が入ってきて、勝手に机に着くとそこにあった絵の具で絵を書き始めてしまう。彼の名はニキフォル。1895年生まれだから65歳だ。父親はよくわからず、母親が言語障害だったために、彼も言葉が不自由だ。彼は独特の素朴な絵を描き、保養地やウィンタースポーツのスポットでもある土地柄観光客も多く、路上で絵を売ってはわずかな収入を得ていた。頑固でわがままな彼は、何を言われても自分のペースでしか動かない。マリアンが追い払おうとしても上手くいかない。そのうちに自分の家でも世話を始める。

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ニキフォルは問答無用でマリアンの絵を酷評する。家族に自分は三流画家だと自嘲するマリアンだが、社会主義リアリズムとでも言えばいいのだろうか、彼自身自分の描く絵に決して心から満足はしていないのだろう。だから純粋素朴に描きたいと思ったものを描くニキフォルの絵や人柄に魅力も感じてるのだ。やっかいなお荷物と感じながらも、やがてマリアンは歴史ある地方の大都市クラクフへの転任の話も断り、ひとりニキフォルの世話をするのだった。

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(以下ネタバレ)
ニキフォルが肺結核であることがわかり、感染を恐れられてマリアンの家族も周囲から遠ざけられていく。ニキフォルを無理矢理療養施設に入れたりするが、結局彼はひとりでニキフォルの面倒をみるのだが、新しい借家に入っても結核のウワサが広がって同じ建物の住民に嫌われ、出ていくしかないような状況だ。そして何年かたった1967年に場面はかわる。2人はワルシャワに向かうべく鉄道の駅にいる。以前からクリニツァを訪れた画家などに知られるようになっていたが、ワルシャワのザヘンタ美術館で大回顧展が催されることになったのだ。

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この映画を見て感じたことは、ニキフォルと晩年その世話をしたマリアンの物語を語りながら、絵とか芸術以外の2つのことを語っていたことだ。この2つは互いに無関係ではないのだけれど、1つはこの時代のポーランドの社会だ。始めの方でマリアンと2人の娘との対話が出てくる。より幼い妹は「馬車に乗ったお姫さまになりたい」と将来の夢を語るが、姉の方は「夢は何もない」と答える。単なる子供のこれだけのセリフなのだが、そう語らせるにはそれなりの意味があるはずだ。この映画の製作はソ連が崩壊し、共産党独裁も終わり、ポーランドの民主化が進んだ2004年。(ちなみにポーランドは1999年にはNATOに加盟、2004年にはEUにも加盟している。)共産党時代のポーランドについて映画監督のキェシロフスキは言っている。「反体制的なことを描けば映画は検閲でカットされたり、上映禁止になる。しかしどこまでならOKが出るかがある程度わかっているので、検閲に引っかからないように比喩や仄めかしで描きたいことを撮る。そうすると観客もその裏をちゃんと理解してくれる」と。そういう意味でポーランドの賢い観客は、些細な表現を通して監督が言わんとしたことを理解する。その方向でこの幼い姉娘の言葉を解釈すると「個人が自分の将来に希望を持てない社会だ」という意味になるのではないか。

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そしてこの1つ目と無関係ではない2つ目のことだ。やはり姉娘のセリフなのだが、ニキフォルの結核騒ぎで死ぬの死なないのという母娘3人の会話で、「あなたが死んだら、私があれ貰っていいわね」と姉が妹に言う。これは「自分さえよければ他人はどうでもいい」と言う社会批判と解するべきであって、キェシロフスキが自伝の中で共産時代のポーランドの社会風土を批判して言っていることでもある。映画最後のクレジットロールである歌が流され、歌詞も字幕にでる。詳細は憶えていないが「もっと他人を理解して、理解し合って、優しくなろうよ」というようなものだ。これはもちろん感染の恐れや他人への無関心から、言語障害で、老齢で、ひたすら絵を描くことしか出来なかった人間としてのニキフォルに対する社会の無理解を批判している。

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この映画でマリアンの幼い2人の娘は端役中の端役だ。別にこの姉娘の人物描写などする必要はもともとない。何の関係もない別のセリフでも映画全体にほとんど影響を与えはしない。なのにこの2つのセリフをわざわざ言わせているということは、なんらかの意図があるということだ。この映画の邦題に「知られざる天才画家の肖像」と付して、また公式サイトやビラでもニキフォルの画家としての面を強調する宣伝で、それはそれでいいと思うが、最後に流される歌の歌詞も考え合わせると、マリアンのニキフォルへの理解あるいは愛、ひいては人と人の理解や愛、そのことの方が監督の意図したテーマなのだと思う。だからこそ原題はもっと親密性を感じさせる『 私の ニキフォル』と「MOJ」が付されている。そして2人の相互理解が成立し、愛し合うに至っていたからこそニキフォルの最後の言葉は「未完の絵は君が完成してくれ」となるのだ。

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Last updated  2007.07.05 03:28:04
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